知命立命 心地よい風景

This is Kiyonori Shutou's weblog

2016-03-01から1ヶ月間の記事一覧

【平家物語】 巻第二 一四(三〇)康頼祝

さて、鬼界が島の流人たちは、草葉の先に結んだ露の落ちるがごときの命、もはや惜しむべくもないが、丹波少将成経殿は舅・平宰相教盛殿の領地である肥前国鹿瀬庄から衣食をいつも送られていた それにより俊寛僧都も平判官康頼も命をつないでいた 康頼は流さ…

【平家物語】 巻第二 一三(二九)善光寺炎上

その頃、信濃国・善光寺が炎上したことがあった 阿弥陀如来像は昔、天竺・舎衛国に五つの悪病が広まって多くの人々が死んだとき、月蓋長者の要請により、龍宮城から、閻浮樹の森林を流れる川の底の砂金を得て、釈尊と弟子・目連、月蓋長者が心をひとつにして…

【平家物語】 巻第二 一二(二八)山門滅亡

後白河法皇は、三井寺の公顕僧正を師範として真言密教の秘法を伝授されていた 大日経、金剛頂経、蘇悉地経の三部の秘法を伝授され、九月四日、三井寺において、正統な継承者となるための潅頂の儀式を行うとのことであった 延暦寺の大衆は憤慨し 昔から、御潅…

【平家物語】 巻第二 一一(二七)徳大寺厳島詣

徳大寺大納言実定卿は、平家の次男・宗盛卿に大将の地位を越され、しばらく世の動向を見ようと大納言を辞して屋敷にこもっておられたが 出家する と言い出されたので、仕える者たちは皆嘆き悲しんだ その中に蔵人大夫・藤原重兼という諸大夫がいた さまざま…

【平家物語】 巻第二 一〇(二六)新大納言死去

さて、法勝寺執行・俊寛僧都、丹波少将・藤原成経、平判官康頼、この三人を薩摩の南方・鬼界が島へ流された その島は、都の彼方、はるばる荒波を越えた向こうにあるので、生半には船も通わず、島には人もほとんどいなかった 時折見かける人は、色が黒くて牛…

【平家物語】 巻第二 九(二五)阿古屋松

成親卿一人に限らず、処罰を受けた者は多かった 近江中将・源成雅・蓮浄入道は佐渡国、山城守・中原基兼は伯耆国、式部大輔正綱は播磨国、宗判官・惟宗信房は阿波国、新平判官資行は美作国であったという 当時清盛入道は福原の別荘におられたが、同・治承元…

【古事記】序 ― 古伝承とその意義、天武天皇と古事記の企画、太安万侶の古事記撰録

【序】 過去の時代(序文の第一段) --- 古伝承とその意義 ――古事記の成立の前提として、本文に記されている過去のことについて、まずわれわれが、傳えごとによつて過去のことを知ることを述べ、續いて歴代の天皇がこれによつて徳教を正したことを述べる…

【平家物語】 巻第二 八(二四)新大納言被流

さて、治承元年六月二日、新大納言成親卿を公卿の座に呼ばれ、食事を出されたのだが、胸が詰まって箸さえ取られない 預かり役の武士・難波次郎経遠が車を寄せて お早く と言うと、成親卿は渋々乗られた ああ、なんとかしてもう一度重盛殿にお目にかかりたい …

【古事記】 日本最古の歴史書、はじまり、はじまり!

日本最古の歴史書と言われる古事記。 712年(和銅5年)に稗田阿と太安万侶が編纂したと言われていますが、その内容はどんなものがあるかといわれると、思いい付くのはイザナギとイザナミの国生み神話や、スサノオのヤマタノオロチ退治の話。オオクニヌシと因…

ラッセンより♪普通に♪ゴッホが好~き♪「Loving Vincent(愛するフィンセント)」

ラッセンより♪普通に♪ゴッホが好~き♪ フィンセント・ファン・ゴッホの生涯を描くアニメーション映画が、ポーランドで制作されています。 その映画のタイトルは「Loving Vincent(愛するフィンセント)」 まずはその予告編をみてみてください。 まさにゴッホ…

【平家物語】 巻第二 七(二三)烽火

もっともこれは法皇の御道理ですから、叶わぬまでも、院の御所は私が警護します 理由は、私が五位に叙せられてから今の内大臣兼左近衛大将になるまで、法皇の御恩に他なりません その恩を重さに譬えれば、千粒万粒の玉より重く、その恩の深さを色に譬えれば…

PACHA FESTIVAL TOKYO 2016 ! イビサ島の老舗クラブ「PACHA」がフェスになって日本へ上陸!

ダンスミュージックの楽園スペイン・イビサ島の世界最高峰の人気を誇るクラブ「PACHA」(パチャ)が、いよいよ日本上陸です! 真っ赤なチェリーのトレードマークで有名な世界最高峰のクラブ「PACHA」ですが、2016年末に日本で開催されるフェスティバル本祭を前…

【平家物語】 巻第二 六(二二)教訓

清盛入道は、このように多くの人を処罰してもなお満足できないのか、既に、赤地の錦の直垂に、黒糸威の腹巻の銀の金具を施した胸板を着け、安芸守だった頃、神社参拝の折にありがたい夢のお告げを受け、厳島大明神から実際に授かられ、いつも枕元に立ててい…

‘Photo 365’ project ! 365日にわたって描き続けた、愛する妻との幸せのアルバム!

愛する妻や恋人との日々は、次第に単なる日常となっていきがちです。 でも、笑い合い、喧嘩をし、仲直りし、そしてさらに深く愛おしく思う日々のスケッチを描いていったとしたら、それはステキなことだと思いませんか? Curtis Wiklundさんは、愛する妻と過…

【平家物語】 巻第二 五(二一)少将乞請

丹波少将成経殿はその夜、院の御所・法住寺殿で宿直をして、まだ御所を退出されずにいたが、成親卿の侍たちが慌てて院の御所に駆けつけ、成経殿を呼び出してこのことを伝えると、成経殿は こんな大事なことを、どうして宰相殿のところから知らせてこないのだ…

【竹 取 物 語   作者不明】

竹取物語に就いて 竹取物語は我国の初めての小説ともいわれています。 製作の時代は平安朝の初期というだけで、作者も不明、その外のことも一切わからず仕舞です。 その後、『字津保』、『落窪』、『源氏』といった小説類が追々現れてきますが、この『竹取物…

【平家物語】 巻第二 四(二〇)小教訓

新大納言・藤原成親卿は清盛入道の屋敷の一室に押しこめられ、汗だくになりながら ああ、これは日頃の計画が洩れているのに違いない 誰が洩らしたんだろう きっと北面武士の誰かだな などあれこれ想像しているところに、背後から高らかな足音が聞こえてきた…

春分の日!彼岸中日、弘法大師忌となれば、プチ遍路の旅かなあ。

今日(3月20日)は、春分の日にして、彼岸中日、弘法大師忌ですね。春分の日!彼岸中日、弘法大師忌となれば、プチ遍路の旅かなあ。 昼と夜の長さが同じになると言われていますが、厳密には地球から見える太陽の大きさ分誤差があるんですよね。 というのも、日…

【平家物語】 巻第二 三(一九)西光被斬

大衆による明雲先座主奪還の一件を後白河法皇がお聞きになり、ひどくご不快でいらしたとき、西光法師が 延暦寺の大衆が傍若無人な訴訟を起こすことは今に始まったことではありませんが、このたびは度が過ぎております よくよくお考えなさいませ これを戒めに…

【平家物語】 巻第二 二(一八)一行

比叡山の東の麓にある十禅師権現の御前で大衆は再び評議を開いた さあみんな、粟津へ行って明雲僧正を奪還しようではないか だが、追い立て役人や護送役人がいるから、奪還は困難だ 日吉山王権現の御力に頼るほかはない 本当に問題がなく、奪還が可能である…

『三国志演義』第百二十回(終わり) 杜預を薦めて老将新謀を献じ、孫皓降って三分一統に帰す

さて、呉主は司馬炎が魏を奪ったと聞いて呉が心配なって病となり、丞相ボク羊祜ウを呼んで太子の孫休を世継ぎと指さして息絶えた。しかし、孫休は弱年であったので万彧、趙浮の進言でボク羊祜ウは、孫晧を帝位にした。そして、元興元年と改元し、孫休を豫章…

【平家物語】 巻第二 一(一七)座主流

治承元年五月五日、天台座主・明雲大僧正に対し、朝廷は法会・講義の資格剥奪の上、蔵人を使者として如意輪観音本尊の返上を命じられ、帝の無事を祈祷する役からも外された そして検非違使庁の使者を送り、このたび神輿を内裏へ振り奉った張本人を差し出すよ…

『三国志演義』第百十九回 仮りに投降し計を巧みて虚話を成し、ふたたび授禅し様に依りて葫蘆を画く

姜維は、監軍の衛瓘に鄧艾、鄧忠を捕らえてくるように命じ、夜明けとともに詔を奉じて彼らを捕らえた。鄧艾父子は洛陽に護送された。 そこに、司馬昭が軍勢を率いて来るという知らせが入り、姜維はさらに鍾会に蜀で自立するように進言した。そして、密かに後…

今日は春の社日!産土神と氏神の違いをご存知?

今日(3月17日)は春の社日!古来から産土神様に参拝し、五穀の種を供えて豊作を祈願する日、といわれています。今日は春の社日!産土神と氏神の違いをご存知? そもそも社日とは雑節の一つで、産土神(生まれた土地の守護神)を祀る日。春と秋にあり、春の…

春の彼岸!暑さ寒さも彼岸まで!

今日(3月17日)は春の彼岸入り!春の彼岸!暑さ寒さも彼岸まで! 日本では、春分の日と秋分の日を中日とする7日間は「お彼岸」と呼ばれていますね。 太陽が真東から上がって、真西に沈み昼と夜の長さが同じになる春分の日と秋分の日を挟んだ前後3日の計7日間…

【平家物語】 巻第一 一六(一六)内裏炎上

夕方になって、蔵人左少弁・藤原兼光に命じ、殿上でにわかに公卿の衆議があった `去る保安四年七月の神輿入洛のときは、天台座主に命じて赤山神社へ入れ奉った `また保延四年四月の神輿入洛のときは、祇園感神院の別当に命じて祇園の社へ入れ奉った `今回は…

『三国志演義』第百十八回 祖廟に哭して一王孝に死し、西川に入りて二士功を争う

さて後主は成都にあって、綿竹が破れたことを知り、大いに驚いて慌てふためき百官と評議した。張繍は魏に降ることを勧めて、後主に降伏の文書を起草させた。そこに後主の第5子劉禅が諌めに入ったが、後主は聞き入れず彼を近臣に追い出させた。かくして12…

【平家物語】 巻第一 一五(一五)御輿振

さて、延暦寺の大衆は、国司・加賀守師高を流罪に、弟・近藤判官師経を投獄してもらおうとたびたび奏聞したが、お裁きがないので、日吉神社の祭礼を止め、安元三年四月十三日の辰の刻に、十禅師、客人宮、八王子権現の三社の神輿を飾り奉って陣頭へ向かった …

『三国志演義』第百十七回 トウ士載偸かに陰平を度り、諸葛セン戦って綿竹に死す

さて、輔国大将軍董厥は魏の軍勢が押し寄せたと思って関の前に陣取った。 自ら陣頭に立って軍勢を見ると姜維達の軍であったので喜んで迎え入れた。 さて、鄧艾は息子の鄧忠を先鋒に乾飯や縄を持たせて密かに兵を進めて、摩天嶺を縄を使って越えた。ここには…

【平家物語】 巻第一 一四(一四)願立

神輿を客人の宮へ入れ奉る `客人とは白山妙理権現のことである `白山本宮の神輿なので、父子の間柄である `訴訟の成否はさておき、生前父子であった二柱が逢えたのが喜ばしかった `浦島太郎の子がの七世の孫に逢ったときや、胎内にいた羅睺羅が霊鷲山にいる…