知命立命 心地よい風景

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2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧

【平家物語】 巻第三 八(四〇)有王島下

さて、鬼界が島の流人のうち二人は召し返されて京へ帰った 独りつらかった島の島守となってしまったのがいたわしい 俊寛僧都には、幼いときからかわいがり召し使っていた童子がいた 名を有王という 鬼界が島の流人たちが今日はもう都へ入ると噂に聞き、有王…

【平家物語】 巻第三 七(三九)少将都還

同・治承三年一月下旬、丹波少将成経殿と平判官康頼入道の二人は肥前国鹿瀬庄を発って都へと急がれたが、余寒がまだ厳しく、海上もひどく荒れていたので、浦伝い島伝いにたどり、二月十日頃に備前国児島に到着した そこから父・成親殿が住まわれていたところ…

【平家物語】 巻第三 六(三八)頼豪

かつて白河上皇の時代、京極大殿・藤原師実の娘が后になられたことがあった 源顕房の娘が賢子の中宮と呼ばれてご寵愛を受けておられたので、白河上皇は皇子のご誕生を望まれ、当時効験あらたかと評判であった三井寺の僧・頼豪阿闍梨を召し この后が皇子を授…

【平家物語】 巻第三 五(三七)大塔建立

御産の御修法の結願にあたって褒美が下された 仁和寺御室・守覚法親王は東寺の修造を命じられた また後七日の御修法において、大元の法・潅頂の儀式を執り行うよう命じられた 弟子の法眼・円良は法印に昇進となった 座主宮・覚快法親王は、二品の位並びに牛…

【平家物語】 巻第三 四(三六)公卿揃

皇子の乳母には前右大将宗盛卿の北の方と定められていたが、去る治承元年七月に難産のために亡くなっておられたので、平大納言時忠卿の北の方・帥典侍殿が乳母になられて、後に 帥典侍 と人々は呼んだ 後白河法皇はすぐ御所へ戻られるため、門前に御車を寄せ…

【平家物語】 巻第三 三(三五)御産巻

二人は鬼界が島を出て、成経殿の父・教盛殿の領地である肥前国鹿瀬庄に到着した 教盛殿は京から人を送っており 年内は波風も激しく、道中も不安なので、春になってから帰洛するように と連絡があったので、成経殿は鹿瀬庄で年を越した 同・治承二年十一月十…

【平家物語】 巻第三 二(三四)足摺

使者は丹左衛門尉基康という者であった 急いで舟から上がり ここに都から流された丹波少将成経、平判官入道康頼殿はおられないか とあちこち声をかけて尋ねた 二人は例の熊野詣をしていて、いなかった 法勝寺執行・俊寛僧都が一人いたが、これを聞き 思いが…

【平家物語】 巻第三 一(三三)許文

治承二年一月一日、院の御所で拝礼が行われ、四日、高倉天皇は年賀挨拶に行幸した 例年と何も変わったことはなかったが、去年の夏、新大納言成親卿以下側近の人々が多く流罪に処せられたことに対し、後白河法皇の憤りは収まっていなかった そのため政務も何…

【平家物語】 巻第二 一六(三二)蘇武

清盛入道が卒塔婆を見て憐れまれると、京中の老いも若きも身分も問わず、皆 鬼界が島の流人の歌 といって口ずさまない者はなかった 千本も作り出した卒都婆なので、さぞ小さかっただろうに、薩摩の南方からはるばると都まで伝わったのが不思議であった あま…

【平家物語】 巻第二 一五(三一)卒都婆流

さてこの二人、普段は三所権現の御前で夜を徹して祈願することもあった ある夜、通夜をして、一晩中今様などを歌っていたが、明け方、苦しさから少しまどろんで見た夢の中で、白い帆を掛けた舟が一艘、沖から波打ち際に向かって漕ぎ寄せて来ると、紅の袴を着…