知命立命 心地よい風景

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随想録より学ぶ!日本の経済危機を何度も救った高橋是清!

高橋是清は、明治維新から大正・昭和にかけて活躍した日本の政治家で、第20代内閣総理大臣を務めた人物です。
特に最先端の金融理論を駆使した財政家としての手腕には定評がありましたが、6度目の大蔵大臣に就任当時、軍事予算の縮小を図ったところ軍部の恨みを買い、二・二六事件において、赤坂の自宅二階で反乱軍の青年将校らに胸を6発撃たれ、暗殺されたことは教科書でも学びましたね。

そんな高橋是清は、まさに波乱万丈の人生を送った人でした。
家庭の事情で生まれて間もなく養子に出された高橋は、留学する際にその費用を着服されたり、留学先では悪意に満ちた契約書にサインさせられて奴隷同然の生活を送らざるを得なくなったりと、数々の逆境に耐え抜き、成功を掴み取りました。
維新後帰国し、森有礼の書生、相場師などののち、明治14年農商務省に入り、20年初代特許局長、22年ペルーで銀山開発を行うが失敗。
25年日銀に入行し、32年副総裁、38年勅選貴院議員、39年から横浜正金銀行頭取を兼任、財政家としての名声を得ながらも44年第20代内閣総理大臣に就任しています。
大正2年第1次山本内閣、7年原内閣の蔵相、10年原暗殺の後首相兼蔵相に就任、13年第2次護憲運動に加わり衆院議員に当選、加藤内閣の農商務相、田中・犬養・斎藤・岡田各内閣の蔵相をつとめ、金融恐慌後のモラトリアム、大恐慌後の軍需インフレ政策を敢行。
その後も日銀の発行限度額を10億に引きあげるなど景気回復に大きな足跡を残し、日本の経済危機を何度か救ったと言っても過言ではないでしょう。
“だるま”の愛称で親しまれたが、軍事抑制の予算案が軍部の反感を買って、昭和11年2.26事件で青年将校の襲撃を受け射殺されました。
祖国を先進国の一員に押し上げ、現代日本の枠組みを整えた是清の中には、いったいどのような信念や原理原則があったのでしょうか。

波乱万丈の人生を送った是清ですが、反面非常に楽天家でもありました。
彼の著作『随想録』に「食うだけの仕事は必ず授かる」という確信に似た言葉が出てきます。
気概と独立心と才能に溢れ、多くの障害を切り抜けてきた是清は更に続けてこうも言っています。
「その授かった仕事は何であろうと、常にそれに満足して一生懸命やるから、衣食は足りるのだ」

その上で、地に足をつけて考えることの大切さ、目の前の仕事を真摯に務めることの重要性を紡ぐのです。
「ただわずかに誇り得るものがあるとすれば、それはいかなる場合に処しても、絶対に自己本位には行動しなかったという一事である。
 子供の時から今まで一貫して、どんなにつまらない仕事を当てがわれた時にも、その仕事を本位として決して自分に重きを置かなかった。
 われわれが世に処して行くには、何かの職務につかなくてはならん。
 職務について世に立つ以上は、その職務を本位とし、それに満足し恥じざるように務めることが、人間処世の本領である」
現状や身の程をわきまえないばかりか、要求や不満ばかりが多い考え方を、是清は自己本位であると断じています。

更に、こう言葉を続けています。
「若い人達に向かって、戒めたいことがある。
 それは、決して自分のサラリーと他人のサラリーとを比較するようなことをするなということだ。
 もし、自分より仕合せな境遇にあるものを見て、それを自分の境遇に比較すれば、不平のおこることは必定だ。
 不平をおこすくらいなら、そこに使われてサラリーを貰うことをやめるがよろしい。
 サラリーマンを廃業して独立するがいい。
 独立してやれば、何事も自分の力量一杯であるから不平もおこらぬだろう。
 けれども、独立が出来ないくらいならば不平は言わないことだ」
他人と自分の状況を比べて不平を感じたところで、何もしなければ現状を変えることなどできません。
自分の境遇を他人と比較して悲観することなく、自身の選択に責任を持ち、どのようにすれば改善できるのかを考えるべきと断じているのです。

こうした言葉は、現代の今でも一切色あせることなく通じるものです。
さまざまな逆境を乗り越えてきたこそ響く是清の言葉にこそ、私達は真摯に向き合うべきではないでしょうか。

更に『随想録』には経済についての具体的な政策も語られており、これは十分に現代にも通じることです
・経済における生産と消費:両者の均衡を得るために適正量の通貨供給が必要である。(低金利政策など)
・資本と労力の関係:労力を第一、資本を第二位とし、労力に対する報酬を資本に対する分配額よりも有利の地位に置く。
  人の働きの値打をあげることが、経済政策の根本主義である。
  人の働きの値打の軽視が、購買力の減退を招き、不景気を誘発する可能性がある。
・為政者の低金利政策:経済界・金融界の状況を検討することが必要である。
  その目的は、事業経営者の負担軽減、不況時の景気刺激、労資の和合促進が挙げられる。
・日本人の勤勉さ:生産設備の改善や研究などを含め、大きな武器として認識されている。
・経済効果:数年単位の期間において考慮する必要がある。
・緊急政策:国の経済と個人経済との区別が重要である。
  特に国の経済から見れば、金を使うということが次々と金の働きを生む。
  政府支出や投資を増やすことで、国民所得を数倍に増やすことができるという乗数効果につながる。
・倹約:産業の力を減退させる可能性について警戒されている。
  財政上緊縮を要するときでも、新たな支出を出来るだけ控目にする方法が提案されている。
・仕事の中止:不景気と失業者を招くため、慎重に経済的に考えるべきである。
・国の経済:自主的に決めることが重要である。
  その準備として、国際貨借の関係において支払いの立場に立たないように、国内の産業、海運その他の事業の基礎を確立する事。
  人々の働きは経済発展の第一条件である。
  が、無駄を省くことも、国民の十分注意を払うべきである。
・国家:自分と離れて別にあるものではない(自己と国家とは一つものである)。
・人生:人が職業に成功することが大切である。
・経済:事実に基づいていることの重要性が大事である。
  経済界では各種当業者の間に相互の信頼があり、資本家と労働者の間にも信頼があることで繁栄することが出来る。
  徳性と道徳による人道と、生活と生育による経済を、人類社会における人生の二つの道として掲げられる。
・生産:資本・労働・経済の能力・企業心の働きが必要な四点として挙げられる。
  この四点が一致することで、一国の生産力が延びる。

「ダルマさん」と呼ばれ、国民から親しみと信頼を持たれた高橋是清という政治家の死に国民は慟哭します。
奴隷から総理大臣まで経験した偉大なる人物を失った日本はその後、破滅への道を歩んでいきます。
翌年に日中戦争が勃発し、国を滅ぼす大戦への絶望的な道を前に、命を駆けて日本の舵取りをしようとした幕末最後の武士。

今の日本にこそ、平成の高橋是清が望まれている時代はないのかもしれません。

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以下参考までに、一部抜粋です。

【金融と資本】
 金融業は主として資本を取扱ふ一種の公共的機関である。
 資本とは国富即ち一国の生産力増加のため使用される金である。

世界大恐慌による経済難局】
 今回の経済不況は人類の生活に必要なる物資の欠乏に基くものでないことは明かであつて、むしろ供給過剰のため物価が暴落し生産設備は大部分休止するといふところにあつた。
 換言すれば生産と消費との間に均衡を失したところにその原因があつたのである。
 ゆゑにその対策としては両者の均衡を得せしむることで、これは適正量の通貨供給に俟つ外はなかつたのである。
 先づ低金利政策をとることがその基礎的工作であつたのである。

【資本と労力の関係】
 資本が、経済発達の上に必要欠くべからざることはいふ迄もないことであるが、この資本も労力と相俟つて初めてその力を発揮するもので、生産界に必要なる順位からいへば、むしろ労力が第一で、資本は第二位にあるべきはずのものである。
 ゆゑに、労力に対する報酬は、資本に対する分配額よりも有利の地位に置いてしかるべきものだと確信してゐる。
 即ち『人の働きの値打』をあげることが経済政策の根本主義だと思つてゐる。
 またこれを経済法則に照して見ると、物の値打だとか、資本の値打のみを上げて『人の働きの値打』をそのままに置いては、購買力は減退し不景気を誘発する結果にもなる。

【低金利政策】
 私は低金利政策の遂行は、ひとり事業経営者の負担を軽減して、不況時に際し経済界を恢復に導く方策のみならず、実に労資の円満なる和合を促進せしむるものと信じてゐる。この意味からも、尚低利政策を進めたいと思つてゐる。
 しかしこれは経済界の実情、金融界の事情等を検討して、実際に適応する様に遂行すべきことが主で為政者はこの点に常に留意すべきことはいふまでもない。

【日本人の勤勉さ】
我が国民が世界に比類なく勤勉なことである。いくら為替安であらうが廉価であらうが、輸出品が劣悪であれば、今日のごとき邦品の海外進出は到底望まれるものではない。刻苦精励、工夫を凝らし生産設備を改善し、研究に研究を重ねて今日の結果を招来したのであつて、このたゆまざる永き努力の上に、徐々に躍進の素地が築かれて来たのである。

【経済効果】
 経済的の施設は一朝一夕にその効果を望めるものではない。少くとも二年ぐらゐ経たなくては真の効果は挙げ得ないのである。

【緊急政策】
 緊縮といふ問題を論ずるに当つては、先づ国の経済と個人経済との区別を明かにせねばならぬ。

【倹約と支出】
 言ふまでも無く、如何なる人の生活にも、無駄といふ事は、最も悪い事である。これは個人経済から云へば、物を粗末にする事である。
 倹約といふ事も詮じ詰れば、物を粗末にしないと云ふ事に過ぎない。しかしながら、如何に倹約がよいからと云つて、今日産業の力を減退させるやうな手段を取る事は好ましからぬ事だ。
 もとより財政上緊縮を要するといふ事はあるが、その場合には、なるべく政府の新たなる支出を出来るだけ控目にする事が主眼で無くてはならぬ。

【仕事の中止】
 かかつた仕事まで中止するといふ事は考へものだ。
 これを止めるとか中止するとかいふには十分に事の軽重を計り、国の経済の上から考へて決せねばならぬ。
 その性質をも考へず、天引同様に中止する事は、あまりに急激で、そこに必ず無理が出て来る。その無理は即ち、不景気と失業者となつて現れ出づるのである。
 工事を止めたために、第一に請負人が職を失ふ。又これに従事せる事務員、技術者、労働者及び工事の材料の生産者、その材料を取次ぐ商人等の総ては、節約又は繰延べられたるだけ職を失ふのである。
 これらの人々が職を失ふ事は、やがて購買力の減少となり、かやうな事が至る所に続出すれば、それに直接関係なき生産業者も、将来に於ける商品の需要の減退を慮つて、自分の現在雇傭せる労働者を解雇して、生産量を減少するやうになる。
 その結果は、一般の一大不景気を招来するに至るのである。
 かくのごとき事は国家経済の上から、よほど考慮を要する事柄である。

【金解禁は自主的である理由】
 やれ対米為替が上つたから、やれ英米金利が下つたから、金解禁に好都合になつたと、有頂天になつて居る者もあるが、それは少し早計でないかと考へる。もとより今日金解禁をなすに就ては、外国市場の金利為替相場等の影響も考慮せねばならぬが、もつと、大事な事は、これを自主的にきめる事である。
 自主的の準備とは、我が国の国際貨借の関係に於て、支払いの立場に立たぬやう、国内の産業、海運その他の事業の基礎を確立する事である。

【人々の働きと経済発展】
 今後は漸次働く者が働き易き時代に移ることとせねばなりません。それには人々の働きを尊重せねばなりません。これ経済発展の第一条件であります。
 しかしながら、折角のその働きを浪費せざること、即ち無駄を省くと云ふ事も亦国民の十分注意を払はねばならぬ点であると思ひます。

【国家】
 国家といふものは、自分と離れて別にあるものではない。国家に対して、自己といふもののあるべき筈はない。自己と国家とは一つものである。

【職業】
 人生を観るに、人は職業に成功すると云ふほど大切な事はないやうです。
 而して職業に成功するのが、人類生存の基準であると申して過言でなからうと思ふのです。
 されば人として職業のないほど、恥かしいことはないのであります。

【信頼】
 一家和合といふことは、一家族が互に信頼するといふことから起る。
 信頼があつてこそ、出来ることだ。
 また経済界においても工業、銀行、商業など各種当業者の間に相互の信頼があり、資本家と労働者の間にも、同様信頼があつてこそ、繁栄を見る事が出来るのである。

【事実に基づく重要性】
 経済の問題は申す迄もなく非常に複雑したものであります。
 何か一つの極まつた問題に就て具体的に御話しやうと云ふのには事実に就て御話をせねばならぬのである。

【人道教と経済教】
 私が浅い学問浅い経験とを以てこの人類社会を考へるとこの人生には二つの道があるやうに思はれる。
 その一つは即ち人道教、いま一つを経済教と私は名付ける。
 人道教と云ふ方はこれは人類の徳性を涵養して所謂道徳を進める方の道である。
 宗教の方にも関係を有つ教育の方にも関係を有つ。
 経済教の方から云ふと、その極致は人類の生活慾を満足させることが経済教の極致である。
 生活慾と云つたらあまり露骨かも知れないけれども即ち生育の慾である。
 これは人間ばかりぢやない総ての動物植物に至るまで、生育があつて存在するのである。
 もし、生育がなければそのものは無いのである、して見れば人類には無論成育があるのである。
 経済教の極致はこの生育の慾を満足させることが要諦である。
 とかう私は観察するのである。

【生産】
 生産に必要なものは何であるか、今日では先づ四つと云はれて居る。
 資本が必要である、労働が必要である、経済の能力が必要である、企業心の働きが必要である。
 この四つのものが揃はなければ生産力は伴はない、企業心と云ふものがなければ物の改良も拡張も出来ず、新規の仕事も起せない。
 多少の危険がある。
 初めて企業を起す、それが先駆となつて商業でも製造工業でも発達して行くのである。
 その企業に必要なのはやはり経営者なのである、それだけ力のある人が経営しなければやはり外国との競争に対抗して行く訳にはいかない。
 又資本も豊富でなければ、外国と比べて見て資本が少なければこれも対抗して行く訳にはいかない。
 労働もその通り労働者の能率が外国の労働者に劣つて居つた場合には、我が国の生産品が外国の生産品に負ける結果になるのである。
 この四つのものが能く進んで行つて初めて一国生産の力と云ふものが本統に発達して行くのである。
 今日あるいは労働問題とか資本対労働とか恰も資本と労働とが喧嘩をするやうなことが、世間で大分言論にも事実が現はれるが、これが離ればなれになつて生産が出来るものではない。
 国力を養ふことは出来ない。
 この四つのものが一致して初めて一国の生産力は延びるのである。

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