【平家物語】 巻第二 一四(三〇)康頼祝
さて、鬼界が島の流人たちは、草葉の先に結んだ露の落ちるがごときの命、もはや惜しむべくもないが、丹波少将成経殿は舅・平宰相教盛殿の領地である肥前国鹿瀬庄から衣食をいつも送られていた
それにより俊寛僧都も平判官康頼も命をつないでいた
康頼は流されたとき、周防国室積で出家した
法名を
性照
と名づけた
出家はもとからの願いであったので、このような歌を詠んだ
ついにこのように、捨ててしまった世の中を、早く捨てずにいたのが悔しい
丹波少将成経と康頼入道は、以前から熊野三所権現を信心していたので
なんとかこの島に熊野三所権現を招き奉って、京へ帰れるように祈りたい
と言ったが、俊寛僧都は生まれつき信仰心などない人だったので、これに反対した
二人は同じ心で
もしかすると熊野に似たる場所があるかもしれない
と島内を探し回ると、美しい堤の上の林、紅錦刺繍の敷物のような風景、雲のかかった神秘的な高嶺、綾絹のような緑などの見える場所があった
山の風景から木々に至るまで、どこよりもはるかに素晴らしい
南を望めば海は果てしなく、雲の波・煙の波が遠くへ延びて、北に目をやれば険しい山々から百尺の滝がみなぎり落ちている
滝の音は実にすさまじく、吹き渡る松風の音も神々しく、飛滝権現の鎮座する那智の山によく似ていた
そこで、その地を
那智の御山
と名づけた
この峰は新宮、あれは本宮、これは何々、その王子社、あの王子社など、王子王子の名を言いながら、康頼入道が先達になって、丹波少将教盛を連れ、毎日熊野詣の真似をして、京へ帰れることを祈った
南無権現金剛童子、どうぞ憐れみをおかけになり、我らをもう一度故郷へお返しください、そして妻子にもう一度逢わせてください
と祈った
日数が積もっても、着替える僧衣もないので麻の衣を着て、紀伊国・岩田川の清流に見立てて沢辺の水で身を清め、高いところに登っては熊野本宮の発心門に見立てた
康頼入道は参るたびに熊野三所権現の御前で祝詞を上げるのだが、御幣紙もないので、花を手折って捧げつつ
`年は治承元年丁酉、月は十二か月、日数は三百五十余日ある中で、吉日吉時を選び、語るもおそれ多い日本第一の霊験あらたかな熊野三所権現・飛滝大菩薩がお導きくださる尊い神前において、信心の大施主・右近衛少将藤原成経並びに沙弥・康頼入道性照が、一心清浄の誠意を捧げて、身業・口業・意業調和の志をもって、謹んで敬い申し上げます
`薬師如来は、衆生を苦界より救う教主であり、法身・報身・応身をすべて備えた仏であります
`東方浄瑠璃界で病苦を救う医王の主であり、病を残らず退ける如来であります
`また、天竺南方・補陀落山で一切衆生を教化する主、玄理を究めた菩薩であります
`若一王子は娑婆世界の本主・観世音菩薩であります
`頭上の仏面を現して、衆生の願いをお聞きくださいます
`それによって上は帝から下は万民に至るまで、現世安穏のため、あるいは後生菩提のために、朝には浄水をすくって煩悩の垢をすすぎ、夕には深山に向かって仏の御名を唱えれば、心が通じないことはありません
`険しい峰の高さを神徳の高さに譬え、切り立つ谷の深さを菩薩の誓願の深さになぞらえて、雲を分けて上り、露をしのいで下っております
`ここをご利益の地と頼まないならば、どうしてこのような険難な道をたどるでしょうか
`権現の徳を仰がないならば、どうしてこのような幽遠の境に参るでしょうか
`どうか薬師如来、飛滝大菩薩、青蓮のような慈悲の眼をお持ちになり、小鹿のように御耳をそばだてて、我らの二つとない真心をご覧になり、それぞれの志をお聞き届けください
`結・早玉の両所権現は、時機に従って縁ある衆生を導き、あるいは不信心の者たちをも救うため、七宝で飾った荘厳な浄土の住処を捨てて、八万四千の光を隠し、六道三界の塵に交わられました
`ゆえに、業の定めを転じるため、長寿を求めるため、袖を連ねて礼拝に訪れ、途絶えることなく供物を捧げています
`袈裟の衣を重ね、仏への花を捧げ、神殿の床を動かし、清い水のように信心を澄まして、ご利益の池を満たしています
`神様がお受けくださるならば、願いの成就しないことがあるでしょうか
`どうかお願いです、十二所権現、ご利益の羽を並べて、遥か苦海の空に翔け下り、我らが左遷の愁えを癒し、すみやかに京へ帰れる願いを遂げさせてください
`再拝
と祝言を述べた
Put the internet to work for you.
Recommended for you |