知命立命 心地よい風景

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【平家物語】 巻第二 二(一八)一行

比叡山の東の麓にある十禅師権現の御前で大衆は再び評議を開いた
さあみんな、粟津へ行って明雲僧正を奪還しようではないか
だが、追い立て役人や護送役人がいるから、奪還は困難だ
日吉山王権現の御力に頼るほかはない
本当に問題がなく、奪還が可能であるならば、ここでまず我々に験をお見せください
と、老僧らは精根を尽くして祈ると、無動寺の法師乗円律師が召し使う十八歳の鶴丸という童子が苦しみはじめ、体中から汗を流して、にわかに発狂した
我に十憚師権現が乗り移られた
末世だからといって、我が比叡山の座主を他国へ移してよいはずがない
いつの世までも心憂い
そのようなことになるなら、我がこの麓にいても意味がない
と、左右の袖を顔に押し当ててさめざめと泣くと、大衆はこれを怪しみ
本当に十禅師権現のお告げならば、我らがめいめい験をお渡しします
それをひとつひとつ持ち主にお返しください
と、老僧ら四・五百人がめいめい手に持つ数珠を十禅師権現の大床の上へ投げ上げた
この物狂いは走り回って拾い集め、ひとつも間違えることなく持ち主に返した
大衆は神明の霊験あらたかなことの尊さに、皆合掌して随喜の涙を流した

そういうことなら、奪還しに行こう
と言うやいなや、雲霞のごとくに飛び出していった
志賀唐崎の浜を歩き続ける大衆もいた
山田矢走の湖上に舟を押し出だす宗徒もいた
これを見て、あれほど厳重そうだった追い立て役人や護送役人らは皆ちりぢりになって逃げてしまった

大衆は国分寺へ向かった
明雲先座主はたいへん驚き
勅命によって勘当された者は日月の光にさえ当たらないと聞いている
ましてや、時を待たずただちに追い出すようにとの宣旨であったのだから、のんびりしている場合ではないぞ
衆徒たちよ、すぐに帰りなさい
と、寺の軒先近くに出ると
大臣となるべき家系に生まれ、比叡山の閑静な僧坊に入って以来、広く天台宗の教法を学んで、顕教密教を学んだ
ただ比叡山の興隆だけを願った
国家安泰への祈りもおろそかにしたことはない
衆徒を育む志も決して浅くはない
日吉山王権現の大宮・二宮の神々もきっとご覧になっておられよう
やましいところは少しもない
無実の罪によって遠流の重罪を受けたが、私は世も人も神も仏も恨まない
ここまで訪ねてきてくれた諸君の心には、どう感謝してよいかわからない
と、香染の衣の袖を絞りきれないほどに涙を流すと、大衆も皆鎧の袖を濡らした

そして御輿をそばに寄せ
お急ぎください
と言うと、明雲先座主は
昔は三千衆徒の座主であったが、今はこのような流罪の身、どうして立派な修学者や智恵深き宗徒たちに担がれて登ることができようか
登らなければならないときは、草鞋を足に縛って、皆と同じように歩いて行く
と、ついに乗られなかった

ここに西塔に住む僧に戒浄坊阿闍梨・祐慶という荒法師がいた
身長は七尺ほど、金を混ぜた大荒目の黒革威の鎧を草摺長に着て、兜を脱いで法師たちに持たせ、白柄の長刀を杖にして、大衆の中を押し分けながら明雲先座主の御前に来ると、かっと眼を見開いて先座主をしばらく睨みつけ
そのような御心だからこのような目にお遭いになるのです
さあ、早くお乗りください
と言うと、明雲先座主は恐ろしくなって急いで乗られた

大衆は奪還できた嬉しさに、下級法師でなく身分の高い修学者や僧侶たちが御輿を担いだが、次々に交代する中、祐慶は代わらず、御輿の前方を担いで、轅も長刀の柄も砕けんばかりのたくましさで、あれほど峻しい東坂をまるで平地を行くがごとく進んだ

東塔の大講堂の庭に御輿を据えると、大衆はまた評議を開いた
さて我らは粟津に出向いて明雲僧正を奪還した
だが、勅命で勘当され、流罪となった人を保護し、座主に推挙するとどうなるのだろう
と話し合った
戒浄坊阿闍梨・祐慶は再び前のように進み出て評議に加わり
そもそもこの比叡山は我が国無双の霊地、鎮護国家の道場であり、日吉山王権現の御威光は盛んにして仏法・王法は優劣なし
ゆえに衆徒の意向もまた比肩する者なく、下級法師であっても世の人は軽んじない
明雲僧正はこれまで智恵高貴にして三千衆徒の座主であった
今は重く徳行を積んできた当山における師である
無実の罪を着せられたことは、比叡山・京中の憤慨するところであり、興福寺園城寺の嘲笑の的である
このようなときに顕教密教両学の師を失い、多くの学僧が勉学をおろそかにする事態は悲しい限りである
この祐慶、首謀者と名指しされ、投獄され、流罪にされ、首を刎ねられることになっても、それは今生の面目、冥土の土産と思う
と言って、両の目からほろほろと涙を流すと、数千の大衆は皆
もっともだ、もっともだ
と賛同した
それからこの祐慶は怒目房と呼ばれるようになった
その弟子である恵慶律師を人々は小怒目房と呼んだ

明雲先座主を東塔の南谷にある妙光坊にお迎えした

不慮の災厄は神仏の生まれ変わりと言われる人でも免れられないのだろうか
昔、唐の一行阿闍梨・祐慶は玄宗皇帝の加持・祈祷をする僧でいらしたが、玄宗の后・楊貴妃との噂が立ったことがあった
昔も今も大国も小国も、人は口さがないもので、根も葉もなかったが、その醜聞によって果羅国へ流罪となった

その国へ行くには三つの道がある
輪地道という行幸のための道、幽地道という賤しい身分の者が通る道、暗穴道という重罪の者を移送する道である
一行阿闍梨・祐慶は大罪人であるとして、暗穴道を通らされた
七日七夜の間、日月の光を見ない道を行くのである
真っ暗で他に人もなく、行方も知れずに迷い、森は鬱蒼として山は深い
ただ谷間に鳥の一声が響くばかりで、苔生して濡れた衣も乾かせない

無実の罪によって遠流の重罪を蒙ることをお天道様も憐れまれて、九曜の星の形を現され、一行阿闍梨・祐慶を守られた
すると祐慶は右の指を食いちぎり、流れる血で左の袂に九曜の形を描き写された
和漢両国伝わる真言宗の本尊・九曜曼陀羅というのはこれである

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