知命立命 心地よい風景

This is Kiyonori Shutou's weblog

2016-03-01から1ヶ月間の記事一覧

『三国志演義』第百十六回 鍾会兵を漢中道に分け、武侯聖を定軍山に顕す

司馬昭は、 「彼に二心があっても、蜀が彼を受け入れるはずがなく、兵も遠征で早く魏に帰りたいと思うであろうから彼に従うはずはない。」 と言った。少帝は恐れ入って平伏した。 鍾会は許褚の子許儀を先鋒にして10万の大軍で蜀に押し寄せた。 鄧艾も詔を…

【平家物語】 巻第一 一三(一三)鵜川合戦

そもそもこの俊寛僧都というのは京極の源大納言雅俊卿の孫で、法勝寺法印・寛雅の子である `祖父大納言は武家の出ではないが、実に短気な人で、三条坊門京極の屋敷の前をめったに通らせない `普段は中門に佇み、歯を食いしばり、睨んでおられた `そんな恐ろ…

『三国志演義』第百十五回 班師を詔して後主讒を信じ、屯田に託して姜維禍を避く

姜維は準備が整うと後主に北伐の上奏を出した。 張繍が諌めたが、後主が北伐を許したので、彼は病と言って家に引きこもった。 姜維は廖化を守備に置いて夏侯覇に先鋒を命じた。しかし、夏侯覇は鄧艾に攻めるのを読まれて、城内に攻め入った時に司馬望に矢を…

【平家物語】 巻第一 一二(一二)鹿谷

この事件により、高倉天皇御元服の打合せは延期となり、同・二十五日、院の殿上で御元服の打合せが行われた `基房松殿も現職でおられるはずもなく、同・十二月九日、あらかじめ宣旨を受け、十四日に太政大臣に昇格された `さらに同・十七日、任官のお礼があ…

『三国志演義』第百十四回 曹髦車を駆って南闕に死し、姜維糧を棄てて魏兵に勝つ

姜維は廖化、張翼に後詰めを命じて追い討ちに備えた。鄧艾はこれを見て、 「諸葛亮の兵法そのままじゃ。」 と嘆息して兵を退いた。 姜維は後主に謁見し、鄧艾の離間の計であることを告げると、後主は黙り込んでしまった。そしてようやく、 「朕もそなたを疑…

【平家物語】 巻第一 一一(一一)殿下乗合

さて、嘉応元年七月十六日、後白河上皇が出家された `出家の後もすべての政務を執られたので、院と帝の別もなかった `院側近の公卿や殿上人、上下の北面武士に至るまで、官位や俸禄は皆身に余るほどであった `それでも人の心の常で、なお飽き足らず `あの人…

『三国志演義』第百十三回 丁奉計を定めて孫チンを斬り、姜維陣を闘わせてトウ艾を破る

姜維は援軍到着を恐れて、歩兵を退かせて騎馬に後詰めをさせた。 鄧艾は笑って 「追撃すれば彼の計に落ちる。」 と言って追うのを止めた。 ここに呉主は孫綝の横暴に対して兵をおこそうとし、密詔を黄門侍郎全紀に与えた。しかし、全紀が妻に話すと、全紀の…

【平家物語】 巻第一 一〇(一〇)妓王

清盛入道は天下を掌中に収めたので、人々の非難もはばからず、人のあざけりさえ顧みず、理解できないふるまいばかりしていた `例えば、当時、都で評判の白拍子に妓王と妓女という姉妹がいた `刀自という白拍子の娘たちである `清盛入道は姉の妓王だけを寵愛…

『三国志演義』第百十二回 寿春を救って于詮節に死し、長城を取って伯約兵をミナゴロシとす

諸葛誕は魏軍を退けたが、呉の兵士達は戦うのも忘れて置き去りにされた魏の牛馬に飛びついた。そこを司馬昭の軍勢に襲われたので寿春に逃げ込んだ。全端と子の全禕は孫峻に、 「魏を追い返せねば生きてわしの顔を見れぬと思え。」 と言われ、寿春に向かった…

『三国志演義』第百十一回 トウ士載智をもって姜伯約を敗り、諸葛誕義をもって司馬昭を討つ

姜維は夏侯覇に 「鄧艾は弱年ながら強敵でございます。これまでとは違います。」 と諌められたが、聞かずに自ら先鋒に出て隴西を攻めに行った。しかし、鄧艾の陣を見て、驚いて本陣に戻った。 鄧艾は陳泰とともに陣を布いて待っていたが、蜀軍は仕掛けて来な…

【平家物語】 巻第一 九(九)春宮立

さて、その年は二条天皇の喪に服する間だったので、御禊や大嘗会も行われなかった `後白河法皇の后・建春門院は当時まだ東の御方と呼ばれており、後白河上皇との間にお生まれになった御子を皇太子にお即けしようという話があったさなかの、同・永万元年十二…

【平家物語】 巻第一 八(八)清水炎上

延暦寺の大衆はこの狼藉に反撃してもおかしくなかったが、何か企んでいたのか、一言も言わず `帝が崩御した後は感情を持たない草木でさえ悲しむべきなのに、この騒動の恐ろしさに、人々は皆肝を潰してあちこちに逃げてしまった 同・永万元年七月二十九日の昼…

『三国志演義』第百十回 文鴦単騎雄兵を退け、姜維水を背にして大敵を破る

司馬師は左目に瘤ができ、痛みが止まらないので、医師に命じて切り取らせた所であり、毌丘倹、文欽達の謀反に出陣できなかった。そこに鍾会が進み出て、 「事が大きいので仕損じたらただでは済みますまい。」 と進言したので、司馬師は諸葛誕、胡遵達を率い…

【平家物語】 巻第一 七(七)額打論

さて、永万元年の春頃から二条天皇がご病気であったが、夏の初め頃になると、思いのほか容態が悪くなられた `そのため、大蔵大輔・伊紀兼盛の娘を生母とする、二歳になられる今上二宮を皇太子にお立てするだろうと噂されたが、はたして同年六月二十五日、に…

『三国志演義』第百九回 司馬困れて漢将の謀奇なり、曹芳廃されて魏家に報果たさる

姜維は廖化、張翼、夏侯覇等を率い、同時に羌族に加勢を求めた。羌族の迷当大王は兵を向かわせ、ともに魏軍と戦った。司馬昭は蜀軍に陣まで斬り込まれ大敗するが、陳泰の計で郭淮が迷当大王を捕らえて、蜀軍への協力を断った。そして、羌族を魏軍に協力させ…

【平家物語】 巻第一 六(六)二代后

昔から現在に至るまで、源平両氏は朝廷に召し使われ、帝に従わず朝廷の権威を甘く見る者に対しては互いに制裁を加えていたので、世の乱れはなかったが、保元の乱で源為義が斬られ、平治の乱で源義朝が殺されてからは、末裔の源氏たちは、流罪にされたり、殺…

『三国志演義』第百八回 丁奉雪中に短兵を奮い、孫峻席間に密計を施す

連弩によって司馬師の軍は乱れ、姜維はこの隙に逃れて、両軍兵を退いた。 ここに司馬懿は病になり、2人の息子を呼んで 「わしは長年魏に仕えてきたが、人々から大それた望みを抱いていると疑われ、己の不徳を恥ずかしく思っておった。わしの死後もそなた達…

『三国志演義』第百七回 魏主政を司馬氏に帰し、姜維兵を牛頭山に敗る

司馬懿は、曹操が魏主とともに城を出ると、宮中におもむいて曹操の営所を占拠した。そして武器庫を抑えたが、韓範が事の次第を曹操に話した。慌てた曹操に韓範が、 「天子に許都への幸をお願いし、軍勢を集めて迎え討ちましょう。」 と進言したが、彼は決め…

二十四節気の啓蟄!”陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出れば也”

今日(3月5日)から春分までの期間は、冬眠していた蛇や蛙などが暖かさに誘われて冬眠から覚めて初めて姿を見せる頃といわれる啓蟄。二十四節気の啓蟄にして満月!ステキな春の日々を楽しんで! 「啓」は「ひらく」という意味、「蟄」は虫などが冬眠するとい…

【平家物語】 巻第一 四(四)禿童

そして清盛は仁安三年十一月十一日、五十一歳のとき病に冒され、延命のためにすぐさま出家し、入道した `法名は浄海と号した `その効験か、病はたちどころに癒えて天寿を全うする `出家の後も栄華はなお衰えを見せなかった `人々が心を寄せ従うさまは降る雨…

『三国志演義』第百六回 公孫淵兵に敗れて襄平に死し、司馬懿病いと詐って曹爽を賺く

公孫淵は遼東15万の兵を中原に進めてくると、魏主は司馬懿にはかった。司馬懿は命を受けて出陣し、公孫淵が戦いを避け魏軍の疲れを待っているのに気付いて襄平を攻めに向かった。これに気付いた卑衍、楊祚は遼東に急いで向かった。司馬懿は卑衍、楊祚が来…

3月5日の天空には、地球に大接近する小惑星が見える(かも)!

もうすぐ地球に大接近する小惑星! なんと、わずか1万7000キロ上空を通過する!? 2016年3月5日に小惑星2013 TX68が地球に大接近します、NASA(アメリカ航空宇宙局)が発表しました。 最接近時には、静止軌道衛星高度(3万5786キロ)の約半分、1万7000キロ付近…

『2015 radio』25媒体の年間ベストを総合した究極の年間ベスト・アルバム、ベスト・ソング、etc.

米Pitchforkが、ローリング・ストーン誌からNME、MOJO、Qなど25媒体の年間ベストを総合した究極の「2015年のベストリスト」を発表していましたので、今更ながらですがちょっと振り返ってみようと思います。 ここで挙げられているのは、 「ベスト・アルバムTO…

【平家物語】 巻第一 三(三)鱸

忠盛の子たちは皆六衛府の次官に就いて昇殿するようになったが、もう人々は殿上での存在をあれこれ言えなくなっていた `あるとき、忠盛が備前国から上洛したので、鳥羽上皇が御前に召し `明石の浦はどうであった `と仰せられると、忠盛は 有明の月もあかしの…

『三国志演義』第百五回 武侯預め錦嚢の計を伏し、魏主拆ちて承露盤を取る

楊儀は何事かと物見を放ったところ、押し寄せてくる軍は魏延であった。 魏延は後主に楊儀謀反の上奏文を奉り、後主がそれを読んでいる所に今度は楊儀から魏延謀反の上奏文を奉った。後主は驚いてどちらが謀反しているのか決めかねていたが、そこに費禕が到着…

上巳の節句!今日は楽しいひな祭り♪

今日(3月3日)は、上巳の節句です。上巳の節句!今日は楽しいひな祭り♪ 節句は年中行事を行う季節の節目となる日で、そのうち五節句として年間にわたり5つの節句が存在していますが、中でも3月3日は上巳の節句として桃の節句・雛祭と呼ばれています。 漢名…

【平家物語】 巻第一 二(二)殿上闇討

さて、忠盛朝臣がまだ備前守であった頃、鳥羽院の御願・得長寿院を造進し、三十三間の御堂を建て、一千一体の仏像を安置した `供養は天承元年三月十三日であった `褒美として国司不在の国を与えると仰せ下された `折節欠官であった但馬国を賜る `鳥羽上皇は…

『三国志演義』第百四回 大星隕ちて漢の丞相天に帰し、木像を見て魏の都督胆を冷やす

諸葛亮は、 「わしの寿命がこれまでしかなかったのじゃ。魏延の咎ではない。」 と言って、罪を許し彼に魏を迎え討たせた。そして、楊儀に 「わしが死ねば、奴は必ず背くであろう。さすればこの袋を開けよ。」 と錦の袋を授けた。 そして、夜になって後主に上…

『三国志演義』第百三回 上方谷に司馬困を受け、五丈原に諸葛星を禳う

司馬懿は追っての廖化から森の中を逃げ、自分の兜を森の東はずれに捨てて西へを逃げていった。廖化は兜を取ってその方向に追っていったが見つからず陣に戻った。 司馬懿は、魏主から東呉に攻められているので討って出ぬようにと詔を受け、守備に専念した。 …

【平家物語】 巻第一 一(一)祇園精舎

祇園精舎の鐘の声諸行無常の響あり `娑羅双樹の花の色盛者必衰の理を顕す `奢れる人も久しからずただ春の夜の夢の如し `猛き者もつひには滅びぬ偏に風の前の塵に同じ 遠く異朝を訪へば秦の趙高漢の王莽梁の周伊唐の禄山これらは皆旧主先皇の政にも従はず楽し…