知命立命 心地よい風景

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【平家物語】 巻第二 六(二二)教訓

清盛入道は、このように多くの人を処罰してもなお満足できないのか、既に、赤地の錦の直垂に、黒糸威の腹巻の銀の金具を施した胸板を着け、安芸守だった頃、神社参拝の折にありがたい夢のお告げを受け、厳島大明神から実際に授かられ、いつも枕元に立てていた銀の蛭巻の小長刀を脇に挟んで、中門の廊下に出られた
その気配はただ事ではなさそうだった
貞能
と呼ばれた
筑後守・平貞能は木蘭地の直垂に緋威の鎧を着て、清盛入道の前にかしこまり控えていた
貞能、どう思う。
保元の乱の折、平馬助忠政をはじめとして、平家一門の半分以上が崇徳上皇の味方についた
崇徳上皇の御子・重仁親王は亡き父・忠盛殿の養い君でいらしたので、お見捨てするのはいろいろ難しかったが、亡き後鳥羽上皇の御遺言どおり、後白河法皇方に付いて戦陣を駆けた
これが第一の奉公だ
次に平治元年十二月、藤原信頼源義朝が、謀反の際、後白河法皇二条天皇をお捕らえして大内裏に立てこもり、暗黒の世になったときにも、わしは粉骨砕身して悪党どもを追い落とし、藤原経宗や惟方を捕らえ、その間、法皇のために危うく命を落としかけたことは何度もある
だから誰がなんと言おうと、七代の後まで我が一門をお見捨てになれるはずもなかろうに、藤原成親という無能や西光いった下種どもの言うことに耳を傾けられ、ともすれば我が一門を滅ぼそうとなさる法皇の企みが恨めしい
この後も告げ口をする者があったら、平家追討の院宣を下されるのではないかと思っている
朝敵となったが最後、いくら後悔しても始まらん
世を鎮める間、法皇を鳥羽の北殿にお移しするか、さもなければこの西八条の屋敷へでもお越しいただこうと思うがどうだ
そんなことをすれば、きっと北面の武士どもの中には矢を射かける者も現れるだろう
その用意はしておくよう侍どもに触れを出しておけ
わしは法皇への奉公をほぼ断念した
馬に鞍を置け、大鎧を持ってこい
と言われた

主馬判官・平盛国は急いで重盛殿の屋敷へ駆けつけ
世は既にこのような状況です
と進言すると、重盛殿は聞き終わらないうちに、
ああ、もはや成親卿の首を刎ねられたんだな
と言われたので、
そうではございませんが、入道殿が大鎧を召され、侍たちも皆、法住寺殿へ攻め込む用意を始めております
世の中を鎮めるしばらくの間、後白河法皇を鳥羽の北殿へお移ししようと言われましたが、本心では九州の方へお流ししようと考えておられます
と言うと、重盛殿は、
そんなことがあってはならん
とは思われたが、今朝の清盛入道は機嫌がよく、血迷われたのかもしれないと、急いで車を走らせ、西八条へ向かわれた

門前で車から下り、門内に入られると、清盛入道は腹巻を着けられ、平家一門の公卿や殿上人ら数十人が各自色とりどりの直垂に思い思いの鎧を着て、中門の廊下に二列になって控えていた
そのほか、諸国の受領、衛府や役所の官人などが縁側からあふれ、庭にもびっしりと居並んでいた
旗竿を引き寄せ、馬の腹帯を固め、甲の緒を締め、皆今まさに出陣する気配なのに、重盛殿は烏帽子・直衣に大紋の指貫の股立ちをつかみ、衣擦れの音を立てながら進み入られたので、意外な光景であった。
清盛入道は伏し目になって、
また重盛は世の中を軽んじるようなふるまいをする
みっちり叱ってやらねばならん
とは思われたものの、我が子ながら、仏教においては五つの戒律を守り、慈悲を宗とし、儒教においては五つの徳を乱さず、礼儀正しくふるまう人だ
あんな姿の重盛殿に、腹巻を着けて対面するのはさすがに気が引け、きまり悪く思われたのか、障子を少し閉め、腹巻の上に絹の法衣を慌てて着られたが、胸板の金具が少しはだけて見え、それを隠そうとしきりに衣の胸を合わせようとされていた。

その後重盛殿は、舎弟・宗盛卿の上座に着かれた
清盛入道も何も言葉はなく、重盛殿もまた申し上げる言葉はなかった

少しして、清盛入道が
成親卿の謀反などどうでもよい
すべて後白河法皇が企てられたというのが問題なのだ
世を鎮めるしばらくの間、法皇を鳥羽の北殿へお移しするか、さもなければここへお越しいただこうと思うのだがどうだ
と言われると、重盛殿はよく聞きもせずほろほろと泣かれた
清盛入道は、
はて、どうした
とあきれられた

少しして、重盛殿は涙をこらえ、
今の話を伺い、もはやご運も尽きはじめたと思いました
人の運命が傾きはじめるときというのは、必ず悪事を思い立つものです
また、そのご様子を伺うに、この世の出来事とはとても思えません
我が国は小さな辺境の地とはいえ、天照大神の御子孫が国主となり、天児屋根命の末裔・藤原氏が朝政を執られて以来、太政大臣の位に至った人が甲冑をまとうというのは、礼儀に背いてはおりませんか
しかも、父上は出家された身ですぞ
過去・現在・未来の諸仏が、解脱の印である法衣を脱ぎ捨ててすぐさま甲冑をまとい、弓矢を手にすることは、仏教においては、恥知らずに戒めを破る罪を招くだけでなく、儒教においてもまた、仁・義・礼・智・信の法にも背くことになります
このようなことを申すのは恐縮ですが、心の奥で思われていることを言い残すべきではありません

まずこの世には四つ恩があります
天地の恩、国王の恩、父母の恩、衆生の恩がそうです
その中で最も重要なのは帝の恩です
果てしなく広いこの空の下に、帝の土地でない地はありません
ゆえに、帝堯に国の長官となるよう勧められた許由は穎川の水で耳を洗って穢れを落とし、周の武王への諫言が聞き入れられずに首陽山にこもり、蕨だけを食べて死んでいった伯夷と叔斉も、勅命には背けないという礼儀を知っていたと聞いております
ましてや父上は先祖にも例のない太政大臣という最高の地位に就かれました
世に無能・暗愚と言われるこの重盛ですら大臣の位に至りました
そればかりか、国土の半分以上が我らが一門の所領となり、田園はすべて平家の思うがままです
これこそ世にも稀なる帝の恩ではありませんか
今これらの莫大な御恩をお忘れになってむやみに法皇を潰そうとなさることは、天照大神・正八幡宮の神の御心にも背くことになりましょう

日本は神の国です
神は非礼をお受けになりません
ですから、法皇の思い立たれたことに、半分は道理があります
とりわけ我らが一門は、代々の朝敵を征伐し、国中の反乱を平定したことは無双の忠義ですが、その恩賞を自慢するのは傍若無人とも言えるものです
聖徳太子の十七条の憲法
人には皆心がある。
必ずそれぞれにこだわりがある
相手を是とし、自分を非とし、自分を是とし、相手を非とする
この是非の道理を誰が正しく判断できているというのか
互いに賢となり愚となって、端がない環のようになっている
ゆえに、たとえ人が怒っても、自分の過失を省みて慎め
と記されています
それでも我らが一門の命運が尽きていないため、法皇の御謀反が見え始めてきたのです
それに、ご相談相手の成親卿を軟禁されているのですから、たとえ法皇がどんなに突飛なことをお考えになっても、何も恐れる必要はありません
それ相応の処罰をなさった上は、退いて事情をお述べになり、法皇のために奉公の忠勤に励み、民をさらに慈しむようになされば、神の御加護を受け、釈尊の深い御心に背くことはないはずです
神仏にその心が通じれば、法皇もきっと思い直されるはずです

君主と臣下とを並べたとき、親しい親しくないで分けるべきではありません
筋の通ったことと間違ったことを並べたら、筋の通った方につくのが道理です

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