知命立命 心地よい風景

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【竹 取 物 語   作者不明】

竹取物語に就いて

竹取物語は我国の初めての小説ともいわれています。
製作の時代は平安朝の初期というだけで、作者も不明、その外のことも一切わからず仕舞です。
その後、『字津保』、『落窪』、『源氏』といった小説類が追々現れてきますが、この『竹取物語』は格別に古風です。
ちなみにこの『竹取物語』のことは『源氏物語』の中にも引用されており、またこの物語の大略の筋が『今昔物語』第三十一中の一篇としても現れていることから、延喜年代以前に世間に流行していたらしいことまでは、わかるようです。

【竹 取 物 語   作者不明】

むかし、いつの頃でありましたか、竹取りの翁という人がありました。
ほんとうの名は讃岐の造麻呂というのでしたが、毎日のように野山の竹藪にはひつて、竹を切り取つて、いろいろの物を造り、それを商ふことにしていましたので、俗に竹取りの翁という名で通つていました。
ある日、いつものように竹藪に入り込んで見ますと、一本妙に光る竹の幹がありました。
不思議に思つて近寄つて、そっと切つて見ると、その切つた筒の中に高さ三寸ばかりの美しい女の子がいました。
いつも見慣れている藪の竹の中にいる人ですから、きっと、天が我が子として與へてくれたものであらうと考へて、その子を手の上に載せて持ち歸り、妻のお婆さんに渡して、よく育てるようにいひつけました。
お婆さんもこの子の大そう美しいのを喜んで、籠の中に入れて大切に育てました。

このことがあつてからも、翁はやはり竹を取つて、その日その日を送つていましたが、奇妙なことには、多くの竹を切るうちに節と節との間に、黄金がはひつている竹を見つけることが度々ありました。
それで翁の家は次第に裕福になりました。

ところで、竹の中から出た子は、育て方がよかつたと見えて、ずんずん大きくなって、三月ばかりたつうちに一人前の人になりました。
そこで少女にふさはしい髮飾りや衣裳をさせましたが、大事の子ですから、家の奧にかこつて外へは少しも出さずに、いよいよ心を入れて養ひました。
大きくなるにしたがつて少女の顏かたちはますます麗しくなり、とてもこの世界にないくらいなばかりか、家の中が隅から隅まで光り輝きました。
翁にはこの子を見るのが何よりの薬で、また何よりの慰みでした。
その間に相變らず竹を取つては、黄金を手に入れましたので、遂には大した身代になって、家屋敷も大きく構へ、召し使ひなどもたくさん置いて、世間からも敬はれるようになりました。
さて、これまでつい少女の名をつけることを忘れていましたが、もう大きくなって名のないのも變だと氣づいて、いゝ名づけ親を頼んで名をつけて貰ひました。
その名は嫋竹の赫映姫というのでした。
その頃の習慣にしたがつて、三日の間、大宴會を開いて、近所の人たちや、その他、多くの男女をよんで祝ひました。

この美しい少女の評判が高くなつたので、世間の男たちは妻に貰ひたい、又見るだけでも見ておきたいと思つて、家の近くに來て、すき間のようなところから覗かうとしましたが、どうしても姿を見ることが出來ません。
せめて家の人に逢つて、ものをいはうとしても、それさへ取り合つてくれぬ始末で、人々はいよいよ氣を揉んで騷ぐのでした。
そのうちで、夜も晝もぶっ通しに家の側を離れずに、どうにかして赫映姫に逢つて志を見せようと思ふ熱心家が五人ありました。
みな位の高い身分の尊い方で、一人は石造皇子、一人は車持皇子、一人は右大臣阿倍御主人、一人は大納言大伴御行、一人は中納言石上麻呂でありました。
この人たちは思ひ思ひに手だてをめぐらして姫を手に入れようとしましたが、誰も成功しませんでした。
翁もあまりのことに思つて、ある時、姫に向つて、
「たゞの人でないとはいひながら、今日まで養ひ育てたわしを親と思つて、わしのいうことをきいて貰ひたい」
と、前置きして、
「わしは七十の阪を越して、もういつ命が終るかわからぬ。
今のうちによい婿をとつて、心殘りのないようにして置きたい。
姫を一しよう懸命に思つている方がこんなにたくさんあるのだから、このうちから心にかなつた人を選んではどうだらう」
と、いひますと、姫は案外の顏をして答へ澁つていましたが、思ひ切つて、
「私の思ひどほりの深い志を見せた方でなくては、夫と定めることは出來ません。
それは大してむづかしいことでもありません。
五人の方々に私の欲しいと思ふ物を註文して、それを間違ひなく持つて來て下さる方にお仕へすることに致しませう」
と、いひました。
翁も少し安心して、例の五人の人たちの集つているところに行つて、そのことを告げますと、みな異存のあらうはずがありませんから、すぐに承知しました。
ところが姫の註文というのはなかなかむづかしいことでした。
それは五人とも別々で、石造皇子には天竺にある佛の御石の鉢、車持皇子には東海の蓬莱山にある銀の根、金の莖、白玉の實をもつた木の枝一本、阿倍の右大臣には唐土にある火鼠の皮衣、大伴[#ルビの「おほとも」は底本では「おもとも」]の大納言には龍の首についている五色の玉、石上の中納言には燕のもつている子安貝一つというのであります。
そこで翁はいひました。

「それはなかなかの難題だ。
そんなことは申されない」
しかし、姫は、
「たいしてむづかしいことではありません」と、いひ切つて平氣でをります。
翁は仕方なしに姫の註文通りを傳へますと、みなあきれかへつて家へ引き取りました。

それでも、どうにかして赫映姫を自分の妻にしようと覺悟した五人は、それ/″\いろいろの工夫をして註文の品を見つけようとしました。

第一番に、石造皇子はずるい方に才のあつた方ですから、註文の佛の御石の鉢を取りに天竺へ行つたように見せかけて、三年ばかりたつて、大和の國のある山寺の賓頭廬樣の前に置いてある石の鉢の眞黒に煤けたのを、もったいらしく錦の袋に入れて姫のもとにさし出しました。
ところが、立派な光のあるはずの鉢に螢火ほどの光もないので、すぐに註文ちがひといつて跳ねつけられてしまひました。

第二番に、車持皇子は、蓬莱の玉の枝を取りに行くといひふらして船出をするにはしましたが、實は三日目にこっそりと歸つて、かね/″\たくんで置いた通り、上手の玉職人を多く召し寄せて、ひそかに註文に似た玉の枝を作らせて、姫のところに持つて行きました。
翁も姫もその細工の立派なのに驚いていますと、そこへ運わるく玉職人の親方がやつて來て、千日あまりも骨折つて作つたのに、まだ細工賃を下さるという御沙汰がないと、苦情を持ち込みましたので、まやかしものということがわかつて、これも忽ち突っ返され、皇子は大恥をかいて引きさがりました。

第三番の阿倍の右大臣は財産家でしたから、あまり惡ごすくは巧まず、ちょうど、その年に日本に來た唐船に誂へて火鼠の皮衣という物を買つて來るように頼みました。
やがて、その商人は、やうやうのことで元は天竺にあつたのを求めたという手紙を添へて、皮衣らしいものを送り、前に預つた代金の不足を請求して來ました。
大臣は喜んで品物を見ると、皮衣は紺青色で毛のさきは黄金色をしています。
これならば姫の氣に入るに違ひない、きっと自分は姫のお婿さんになれるだらうなどゝ考へて、大めかしにめかし込んで出かけました。
姫も一時は本物かと思つて内々心配しましたが、火に燒けないはずだから、試して見ようというので、火をつけさせて見ると、一たまりもなくめらめらと燒けました。
そこで右大臣もすっかり當てが外れました。

四番めの大伴の大納言は、家來どもを集めて嚴命を下し、必ず龍の首の玉を取つて來いといつて、邸内にある絹、綿、錢のありたけを出して路用にさせました。
ところが家來たちは主人の愚なことを謗り、玉を取りに行くふりをして、めいめいの勝手な方へ出かけたり、自分の家に引き籠つたりしていました。
右大臣は待ちかねて、自分でも遠い海に漕ぎ出して、龍を見つけ次第矢先にかけて射落さうと思つているうちに、九州の方へ吹き流されて、烈しい雷雨に打たれ、その後、明石の濱に吹き返され、波風に揉まれて死人のようになって磯端に倒れていました。
やうやうのこと、國の役人の世話で手輿に乘せられて家に着きました。
そこへ家來どもが駈けつけて、お見舞ひを申し上げると、大納言は杏のように赤くなつた眼を開いて、
「龍は雷のようなものと見えた。
あれを殺しでもしたら、この方の命はあるまい。
お前たちはよく龍を捕らずに來た。
うい奴どもぢや」
とおほめになって、うちに少々殘つていた物を褒美に取らせました。
もちろん姫の難題には怖じ氣を振ひ、「赫映姫の大がたりめ」と叫んで、またと近寄らうともしませんでした。

五番めの石上の中納言は燕の子安貝を獲るのに苦心して、いろいろと人に相談して見た後、ある下役の男の勸めにつくことにしました。
そこで、自分で籠に乘つて、綱で高い屋の棟にひきあげさせて、燕が卵を産むところをさぐるうちに、ふと平たい物をつかみあてたので、嬉しがつて籠を降す合圖をしたところが、下にいた人が綱をひきそこなって、綱がぷっつりと切れて、運わるくも下にあつた鼎の上に落ちて眼を廻しました。
水を飮ませられて漸く正氣になつた時、
「腰は痛むが子安貝は取つたぞ。
それ見てくれ」
といひました。
皆がそれを見ると、子安貝ではなくて燕の古糞でありました。
中納言はそれきり腰も立たず、氣病みも加はつて死んでしまひました。
五人のうちであまりものいりもしなかつた代りに、智慧のないざまをして、一番慘い目を見たのがこの人です。

そのうちに、赫映姫が並ぶものゝないほど美しいという噂を、時の帝がお聞きになって、一人の女官に、
「姫の姿がどのようであるか見て參れ」
と仰せられました。
その女官がさっそく竹取りの翁の家に出向いて勅旨を述べ、ぜひ姫に逢ひたいというと、翁はかしこまつてそれを姫にとりつぎました。
ところが姫は、
「別によい器量でもありませぬから、お使ひに逢ふことは御免を蒙ります」
と拗ねて、どうすかしても、叱つても逢はうとしませんので、女官は面目なさそうに宮中に立ち歸つてそのことを申し上げました。
帝は更に翁に御命令を下して、もし姫を宮仕へにさし出すならば、翁に位をやらう。
どうにかして姫を説いて納得させてくれ。
親の身で、そのくらいのことの出來ぬはずはなからうと仰せられました。
翁はその通りを姫に傳へて、ぜひとも帝のお言葉に從ひ、自分の頼みをかなへさせてくれといひますと、
「むりに宮仕へをしろと仰せられるならば、私の身は消えてしまひませう。
あなたのお位をお貰ひになるのを見て、私は死ぬだけでございます」
と姫が答へましたので、翁はびっくりして、
「位を頂いても、そなたに死なれてなんとしよう。
しかし、宮仕へをしても死なねばならぬ道理はあるまい」
といつて歎きましたが、姫はいよいよ澁るばかりで、少しも聞きいれる樣子がありませんので、翁も手のつけようがなくなって、どうしても宮中には上らぬということをお答へして、
「自分の家に生れた子供でもなく、むかし山で見つけたのを養つただけのことでありますから、氣持ちも世間普通の人とはちがつてをりますので、殘念ではございますが……」
と恐れ入つて申し添へました。
帝はこれを聞し召されて、それならば翁の家にほど近い山邊に御狩りの行幸をする風にして姫を見に行くからと、そのことを翁に承知させて、きめた日に姫の家におなりになりました。
すると、まばゆいように照り輝ぐ女がいます。
これこそ赫映姫に違ひないと思し召してお近寄りになると、その女は奧へ逃げて行きます。
その袖をおとりになると、顏を隱しましたが、初めにちらと御覽になって、聞いたよりも美人と思し召されて、
「逃げても許さぬ。宮中に連れ行くぞ」
と仰せられました。

「私がこの國で生れたものでありますならば、お宮仕へも致しませうけれど、さうではございませんから、お連れになることはかなひますまい」
と姫は申し上げました。

「いや、そんなはずはない。
どうあつても連れて行く」
かねて支度してあつたお輿に載せようとなさると、姫の形は影のように消えてしまひました。
帝も驚かれて、
「それではもう連れては行くまい。
せめて元の形になって見せておくれ。
それを見て歸ることにするから」
と、仰せられると、姫はやがて元の姿になりました。
帝も致し方がございませんから、その日はお歸りになりましたが、それからというもの、今まで、ずいぶん美しいと思つた人なども姫とは比べものにならないと思し召すようになりました。
それで、時々お手紙やお歌をお送りになると、それにはいちいちお返事をさし上げますので、やうやうお心を慰めておいでになりました。

さうかうするうちに三年ばかりたちました。
その年の春先から、赫映姫は、どうしたわけだか、月のよい晩になると、その月を眺めて悲しむようになりました。
それがだんだんつのつて、七月の十五夜などには泣いてばかりいました。
翁たちが心配して、月を見ることを止めるようにと諭しましたけれども、
「月を見ずにはいられませぬ」
といつて、やはり月の出る時分になると、わざわざ縁先などへ出て歎きます。
翁にはそれが不思議でもあり、心がゝりでもありますので、ある時、そのわけを聞きますと、
「今までに、度々お話しようと思ひましたが、御心配をかけるのもどうかと思つて、打ち明けることが出來ませんでした。
實を申しますと、私はこの國の人間ではありません。
月の都の者でございます。
ある因縁があつて、この世界に來ているのですが、今は歸らねばならぬ時になりました。
この八月の十五夜に迎への人たちが來れば、お別れして私は天上に歸ります。
その時はさぞお歎きになることであらうと、前々から悲しんでいたのでございます」
姫はさういつて、ひとしほ泣き入りました。
それを聞くと、翁も氣違ひのように泣き出しました。

「竹の中から拾つてこの年月、大事に育てたわが子を、誰が迎へに來ようとも渡すものではない。
もし取つて行かれようものなら、わしこそ死んでしまひませう」
「月の都の父母は少しの間といつて、私をこの國によこされたのですが、もう長い年月がたちました。
生みの親のことも忘れて、こゝのお二人に馴れ親しみましたので、私はお側を離れて行くのが、ほんとうに悲しうございます」
二人は大泣きに泣きました。
家の者どもゝ、顏かたちが美しいばかりでなく、上品で心だての優しい姫に、今更、永のお別れをするのが悲しくて、湯水も喉を通りませんでした。

このことが帝のお耳に達しましたので、お使ひを下されてお見舞ひがありました。
翁は委細をお話して、
「この八月の十五日には天から迎への者が來ると申してをりますが、その時には人數をお遣はしになって、月の都の人々を捉へて下さいませ」
と、泣く泣くお願ひしました。
お使ひが立ち歸つてその通りを申し上げると、帝は翁に同情されて、いよいよ十五日が來ると高野の少將という人を勅使として、武士二千人を遣つて竹取りの翁の家をまもらせられました。
さて、屋根の上に千人、家のまはりの土手の上に千人という風に手分けして、天から降りて來る人々を撃ち退ける手はずであります。
この他に家に召し仕はれているもの大勢手ぐすね引いて待つています。
家の内は女どもが番をし、お婆さんは、姫を抱へて土藏の中にはひり、翁は土藏の戸を締めて戸口に控へています。
その時姫はいひました。

「それほどになさつても、なんの役にも立ちません。
あの國の人が來れば、どこの戸もみなひとりでに開いて、戰はうとする人たちも萎えしびれたようになって力が出ません」
「いやなあに、迎への人がやつて來たら、ひどい目に遇はせて追っ返してやる」
と翁はりきみました。
姫も、年寄つた方々の老先も見屆けずに別れるのかと思へば、老とか悲しみとかのないあの國へ歸るのも、一向に嬉しくないといつてまた歎きます。

そのうちに夜もなかばになつたと思ふと、家のあたりが俄にあかるくなって、滿月の十そう倍ぐらいの光で、人々の毛孔さへ見えるほどであります。
その時、空から雲に乘つた人々が降りて來て、地面から五尺ばかりの空中に、ずらりと立ち列びました。
「それ來たっ」と、武士たちが得物をとつて立ち向はうとすると、誰もかれも物に魅はれたように戰ふ氣もなくなり、力も出ず、たゞ、ぼんやりとして目をぱちぱちさせているばかりであります。
そこへ月の人々は空を飛ぶ車を一つ持つて來ました。
その中から頭らしい一人が翁を呼び出して、
「汝翁よ、そちは少しばかりの善いことをしたので、それを助けるために片時の間、姫を下して、たくさんの黄金を儲けさせるようにしてやつたが、今は姫の罪も消えたので迎へに來た。早く返すがよい」
と叫びます。
翁が少し澁つていると、それには構はずに、
「さあさあ姫、こんなきたないところにいるものではありません」
といつて、例の車をさし寄せると、不思議にも堅く閉した格子も土藏も自然と開いて、姫の體はするすると出ました。
翁が留めようとあがくのを姫は靜かにおさへて、形見の文を書いて翁に渡し、また帝にさし上げる別の手紙を書いて、それに月の人々の持つて來た不死の薬一壺を添へて勅使に渡し、天の羽衣を着て、あの車に乘つて、百人ばかりの天人に取りまかれて、空高く昇つて行きました。
これを見送つて翁夫婦はまた一しきり聲をあげて泣きましたが、なんのかいもありませんでした。

一方勅使は宮中に參上して、その夜の一部始終を申し上げて、かの手紙と薬をさし上げました。
帝は、天に一番近い山は駿河の國にあると聞し召して、使ひの役人をその山に登らせて、不死の薬を焚かしめられました。
それからはこの山を不死の山と呼ぶようになって、その薬の煙りは今でも雲の中へ立ち昇るということであります。

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