知命立命 心地よい風景

This is Kiyonori Shutou's weblog

2016-01-01から1年間の記事一覧

『三国志演義』第百六回 公孫淵兵に敗れて襄平に死し、司馬懿病いと詐って曹爽を賺く

公孫淵は遼東15万の兵を中原に進めてくると、魏主は司馬懿にはかった。司馬懿は命を受けて出陣し、公孫淵が戦いを避け魏軍の疲れを待っているのに気付いて襄平を攻めに向かった。これに気付いた卑衍、楊祚は遼東に急いで向かった。司馬懿は卑衍、楊祚が来…

3月5日の天空には、地球に大接近する小惑星が見える(かも)!

もうすぐ地球に大接近する小惑星! なんと、わずか1万7000キロ上空を通過する!? 2016年3月5日に小惑星2013 TX68が地球に大接近します、NASA(アメリカ航空宇宙局)が発表しました。 最接近時には、静止軌道衛星高度(3万5786キロ)の約半分、1万7000キロ付近…

『2015 radio』25媒体の年間ベストを総合した究極の年間ベスト・アルバム、ベスト・ソング、etc.

米Pitchforkが、ローリング・ストーン誌からNME、MOJO、Qなど25媒体の年間ベストを総合した究極の「2015年のベストリスト」を発表していましたので、今更ながらですがちょっと振り返ってみようと思います。 ここで挙げられているのは、 「ベスト・アルバムTO…

【平家物語】 巻第一 三(三)鱸

忠盛の子たちは皆六衛府の次官に就いて昇殿するようになったが、もう人々は殿上での存在をあれこれ言えなくなっていた `あるとき、忠盛が備前国から上洛したので、鳥羽上皇が御前に召し `明石の浦はどうであった `と仰せられると、忠盛は 有明の月もあかしの…

『三国志演義』第百五回 武侯預め錦嚢の計を伏し、魏主拆ちて承露盤を取る

楊儀は何事かと物見を放ったところ、押し寄せてくる軍は魏延であった。 魏延は後主に楊儀謀反の上奏文を奉り、後主がそれを読んでいる所に今度は楊儀から魏延謀反の上奏文を奉った。後主は驚いてどちらが謀反しているのか決めかねていたが、そこに費禕が到着…

上巳の節句!今日は楽しいひな祭り♪

今日(3月3日)は、上巳の節句です。上巳の節句!今日は楽しいひな祭り♪ 節句は年中行事を行う季節の節目となる日で、そのうち五節句として年間にわたり5つの節句が存在していますが、中でも3月3日は上巳の節句として桃の節句・雛祭と呼ばれています。 漢名…

【平家物語】 巻第一 二(二)殿上闇討

さて、忠盛朝臣がまだ備前守であった頃、鳥羽院の御願・得長寿院を造進し、三十三間の御堂を建て、一千一体の仏像を安置した `供養は天承元年三月十三日であった `褒美として国司不在の国を与えると仰せ下された `折節欠官であった但馬国を賜る `鳥羽上皇は…

『三国志演義』第百四回 大星隕ちて漢の丞相天に帰し、木像を見て魏の都督胆を冷やす

諸葛亮は、 「わしの寿命がこれまでしかなかったのじゃ。魏延の咎ではない。」 と言って、罪を許し彼に魏を迎え討たせた。そして、楊儀に 「わしが死ねば、奴は必ず背くであろう。さすればこの袋を開けよ。」 と錦の袋を授けた。 そして、夜になって後主に上…

『三国志演義』第百三回 上方谷に司馬困を受け、五丈原に諸葛星を禳う

司馬懿は追っての廖化から森の中を逃げ、自分の兜を森の東はずれに捨てて西へを逃げていった。廖化は兜を取ってその方向に追っていったが見つからず陣に戻った。 司馬懿は、魏主から東呉に攻められているので討って出ぬようにと詔を受け、守備に専念した。 …

【平家物語】 巻第一 一(一)祇園精舎

祇園精舎の鐘の声諸行無常の響あり `娑羅双樹の花の色盛者必衰の理を顕す `奢れる人も久しからずただ春の夜の夢の如し `猛き者もつひには滅びぬ偏に風の前の塵に同じ 遠く異朝を訪へば秦の趙高漢の王莽梁の周伊唐の禄山これらは皆旧主先皇の政にも従はず楽し…

【平家物語】 (零) 平氏一門の栄枯盛衰を描いた鎌倉時代の叙事詩風の軍記物語!

『平家物語』は、『源氏物語』と双璧を成す、日本の古典文学の代表作品です。 超有名な例の冒頭部分は誰しもが記憶に留めているかと思いますが、それもそのはず。 文章が七五調で言葉としてのリズムがあることから、実際に声に出して読んでみてもテンポ良く…

閏年には、女性から男性にプロポーズを!

閏年(うるうどし、じゅねん)とは閏のある年でまさに今年はそれにあたるのですが、現行使われているグレゴリオ暦では西暦年数で4の倍数となる年のうち、100の倍数で400で割り切れないものを除いた年を閏年としています。閏年には、女性から男性にプロポー…

『三国志演義』第百二回 司馬懿北原・渭橋を占め、諸葛亮木牛・流馬を造る

張繍は、 「天文を観れば、北方に盛気あり、成都では柏の木が泣くのを聞きまする。領内に異変がありますれば北伐は控えられ、動かぬがよろしいかと存じ上げます。」 と言ったが、諸葛亮は聞き入れず出陣の準備をした。 そこに、韓浩の死が知らされ諸葛亮はそ…

『三国志演義』第百一回 隴上に出でて諸葛神をヨソオい、剣閣に奔りて張コウ計に中る

諸葛亮は成都に戻って後主に謁見し、 「この度は長安を攻め落とそうとしておりましたが、いかなる大事にございますか。恐れながら臣が二心を抱いているという様なことを耳にされたのではございませぬか。」 後主は言葉を詰まらせていたが、 「朕は宦官の申す…

『三国志演義』第百回 漢兵寨を劫って曹真を破り、武侯陣を闘わせて仲達を辱しむ

諸葛亮は魏軍が完全に退いてから攻撃を仕掛けようとした。 司馬懿は蜀軍の追撃を恐れて伏兵を配置したが、曹真は信じず、 「もし蜀軍が来たら下賜の玉帯と馬をやる。」 と言った。司馬懿も、 「もし来なかったら女装して詫びる。」 と言って賭をした。そして…

『三国志演義』第九十九回 諸葛亮大いに魏の兵を破り、司馬懿入りて西蜀を寇す

司馬懿は、大将を出して攻めかけるので、郭淮、孫礼に諸葛亮の背後を突くよう命じたが、2人は王平、姜維、張苞、関興に囲まれて大敗した。2人が馬を捨てて逃げ出したのを見つけた張苞が追いかけたが、人馬もろとも谷底に落ちて頭を割ってしまった。諸葛亮…

【源氏物語】最終章 (弐佰参拾肆) 夢浮橋 第二章 浮舟の物語 浮舟、小君との面会を拒み、返事も書かない

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。 物語とし…

『三国志演義』第九十八回 漢軍を追って王雙誅を受け、陳倉を襲って武侯勝を取む

さて、司馬懿は、 「守りに徹していれば蜀は兵糧が尽きて退却をせざるを得ませぬ。そこを攻め込めばたやすく勝てましょう。」 と進言し、魏主は曹真に守りに徹するように申しつけた。 しかし、孫礼は火攻めで蜀軍を破ろうと火薬を積んだ兵糧部隊で蜀軍をおび…

【源氏物語】最終章 (弐佰参拾参) 夢浮橋 第一章 薫の物語 横川僧都、薫の依頼を受け浮舟への手紙を書く

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。 物語とし…

『三国志演義』第九十七回 魏国を討たんとして武侯再び表を上り、曹兵を破らんとして姜維詐って書を献ず

さて、曹休は、洛陽に戻って心痛のあまり病になって死んだので、魏主は彼を手厚く葬らせた。司馬懿は、蜀が攻めてくるのを警戒して直ちに戻って来た。 蜀は、呉の使者から魏を討つように要請され出陣をしようとしていたが、そこに趙雲の死が知らされた。後主…

【源氏物語】 (弐佰参拾弐) 手習 第六章 浮舟の物語 薫、浮舟生存を聞き知る

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。 物語とし…

『三国志演義』第九十六回 孔明涙を揮って馬謖を斬り、周魴髪を断って曹休を賺く

さて、策を献じたのは魏の尚書孫氏であった。彼は、 「諸処の要害を固め、蜀と呉の戦いを待って討伐されれば勝利は疑いござりませぬ。」 と献じ、魏主は司馬懿に計った。司馬懿も孫氏に同意したので、魏主は要害に大将を出して洛陽に戻った。 諸葛亮は漢中に…

【源氏物語】 (弐佰参拾壱) 手習 第五章 浮舟の物語 浮舟、出家後の物語

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。 物語とし…

『三国志演義』第九十五回 馬謖諫めを拒みて街亭を失い、武侯琴を弾じて仲達を退く

司馬懿、張郃が関を出て陣を布くと、諸葛亮が諌めるのも聞かず馬謖が誓紙をしたためて迎え討つと進み出た。丞相は心許なく思ってオウヘイを付けて2万5千の兵を与えて出陣させた。さらに丞相はコウショウ、魏延にも出陣を命じた。 馬謖は、街亭に至って、 …

【源氏物語】 (弐佰参拾) 手習 第四章 浮舟の物語 浮舟、尼君留守中に出家す

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。 物語とし…

『三国志演義』第九十四回 諸葛亮雪に乗じて羌兵を破り、司馬懿日をサダめて孟達を擒とす

さて、郭淮は、西羌と組んで挟み撃ちにする計を進言した。西羌の王テツリキツはこれに同意してエツキツ元帥、ガタン丞相に15万与えて出陣させた。 諸葛亮は、馬岱を案内役に張苞、韓浩を出した。しかし、彼らは追い払う事が出来ずに退いて、丞相に計を求め…

【源氏物語】 (弐佰弐拾玖) 手習 第三章 浮舟の物語 中将、浮舟に和歌を贈る

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。 物語とし…

『三国志演義』第九十三回 姜伯約帰して孔明に降り、武郷侯罵って王朗を死せしむ

姜維は諸葛亮の計を見抜いて 「諸葛亮の計は、城の裏手に兵を置き、我らをおびき寄せて虚を突くというもの。故に遠方まで行かずに戦い、火の手を合図に前後から攻撃すれば大勝間違いございませぬ。」 と進言し、バジュンは兵を出した。 さて、趙雲は、魏軍が…

【源氏物語】 (弐佰弐拾捌) 手習 第二章 浮舟の物語 浮舟の小野山荘での生活

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。 物語とし…

『三国志演義』第九十二回 趙子竜力めて五将を斬り、諸葛亮知をもって三城を取る

さて、丞相と馬岱は馬超の墓を行軍中に参って陣屋に帰って来ると、夏侯楙が出てきたという知らせを聞いた。丞相は笑って、趙雲に軍を進めさせた。 趙雲が夏侯楙の配下、カントク目指して馬を走らせると、彼の長男、カンエイが討って出た。趙雲はカンエイを3…