知命立命 心地よい風景

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『三国志演義』第百回 漢兵寨を劫って曹真を破り、武侯陣を闘わせて仲達を辱しむ

諸葛亮は魏軍が完全に退いてから攻撃を仕掛けようとした。
司馬懿は蜀軍の追撃を恐れて伏兵を配置したが、曹真は信じず、
「もし蜀軍が来たら下賜の玉帯と馬をやる。」
と言った。司馬懿も、
「もし来なかったら女装して詫びる。」
と言って賭をした。そして、2軍に分けて兵を退かせた。
魏延張嶷、陳式、トケイは魏軍の追撃に出た。しかし、魏延、陳式は
「丞相の疑り深さにもほどがある。長雨にやられて伏兵など置く暇などない。」
と言って鄧芝の諌めるのも聞かず討って出て、司馬懿の伏兵の前に大敗し、陳式は魏延に命を助けられて帰ってきた。
鄧芝からの報告で諸葛亮は、
魏延に反骨の相があるのは知っておる。彼の武勇を取り立てていたがいつか悪事を成すであろう。」
と笑って言い、陳式に裏切らないようによくよく慰めて来るように彼に言った。
曹真は、蜀軍が来るとは思わなかったので油断していたが、そこに呉班呉懿が討って出て、背後から韓浩、廖化が襲いかかって来たので魏の兵士の多くは行き場を失って投降した。曹真は、司馬懿に大言を吐いた手前、蜀兵はいなかったと報告した。しかしそこに韓浩、廖化、呉班呉懿達が襲いかかって来たので魏兵は先を争って逃げまどった。そこに司馬懿が駆けつけ蜀軍を追い返した。そして、
「先ほどの賭などは忘れて力を合わせて国恩に報じましょう。」
司馬懿に言われて、恥じ入って再び病になった。

さて、諸葛亮は兵士達の苦労をねぎらったが、陳式が、
魏延にそそのかされて討って出ました。」
と言ったので諸葛亮は怒って、
魏延に命を救われながら、罪を擦り付けようとするか。」
と彼を打ち首にした。
そして、諸葛亮は曹真に見舞いの書面を投降してきた魏の兵士に遣わし、彼はその書面を見ると無念の思いで胸がふさがって、陣中で死んだ。
翌日、諸葛亮司馬懿は対峙して陣比べをした。陣比べではかなわぬと見た司馬懿は陣を固めて立てこもった。
苟安が蜀軍の兵糧を運搬してきたが、彼は途中怠けていたため到着が十日遅れてしまった。諸葛亮は怒って棒打ちの刑にしたが、彼は恨んで魏に投降してしまった。
司馬懿は苟安に会って、彼に丞相が帝位に就こうとしている噂を流すように命じて成都に送った。この噂を知って驚いた後主は詔を出して諸葛亮成都に呼び戻した。
諸葛亮は天を仰いで嘆き、魏軍の追い打ちを恐れて陣のかまどの数を日に日に増やしながら兵を退き、いつ軍が退いているのか分からないようにした。

司馬懿は、苟安の計略が効き目を持ちはじめて蜀軍が退くところに追い討ちをかけようとして待っていたが蜀軍が退く様子もなく考えていると、陣はいつの間にか払われており追い討ちはかけずに魏に戻った。

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