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『三国志演義』第百二回 司馬懿北原・渭橋を占め、諸葛亮木牛・流馬を造る

張繍は、
「天文を観れば、北方に盛気あり、成都では柏の木が泣くのを聞きまする。領内に異変がありますれば北伐は控えられ、動かぬがよろしいかと存じ上げます。」
と言ったが、諸葛亮は聞き入れず出陣の準備をした。
そこに、韓浩の死が知らされ諸葛亮はその場に昏倒した。
魏は、青竜と改元し、青竜2年、蜀が攻めてきたと知ると、司馬懿を大都督に命じて、カ黄琬の長男、夏侯覇、次男の夏侯威、三男のカ黄奎、四男の夏侯和を出陣させた。

司馬懿諸葛亮が渭水を攻めに来たところを待ち伏せして破った。大敗した諸葛亮費禕を呉に送って加勢を求めた。
呉主は魏延を重く用いてはいけないと諸葛に忠告し、加勢の要請にこたえて自ら兵をおこした。
蜀に魏から鄭文が投降してきたが、諸葛亮はこれを偽りと見抜いて、彼に偽書を書かせて司馬懿に届けさせた。その書面を見た司馬懿は夜襲をかけたが、蜀に待ちかまえられて大敗した。

諸葛亮は勝利した後鄭文を斬り捨てさせて、木牛、流馬を造らせた。この木牛、流馬は飲み食いせず兵糧を運ぶというので、これを聞いた司馬懿張遼の子、張虎と楽進の子楽綝に木牛、流馬を奪わせた。
そして、これと同じ物を造らせた。
実は木牛、流馬には舌をひねると動かなくなるという仕掛けがあった。王平諸葛亮の計で魏が木牛、流馬を造ったのを見てそれを襲って、舌をひねって動かないようにした。そして、郭淮が反撃に出ると木牛、流馬を置いて兵を退いた。郭淮は木牛、流馬を連れ帰ろうとするがびくとも動かないので狼狽えた。そこを魏延姜維達に襲われ大敗し兵糧を奪われた。
司馬懿は味方が破られたと聞いて加勢に出たが、そこを張翼、廖化に襲われて逃げまどう。

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