【平家物語】 (零) 平氏一門の栄枯盛衰を描いた鎌倉時代の叙事詩風の軍記物語!
『平家物語』は、『源氏物語』と双璧を成す、日本の古典文学の代表作品です。
超有名な例の冒頭部分は誰しもが記憶に留めているかと思いますが、それもそのはず。
文章が七五調で言葉としてのリズムがあることから、実際に声に出して読んでみてもテンポ良く読めるんです。
『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を彰す。
奢れる人も久しからず、只春の夜の夢の如し。猛き者も終には亡びぬ、偏に風の前の塵に同じ。
遠く異朝を訪らへば、秦の趙高、漢の王まう、梁のしゅうい、唐の禄山、
これらは皆旧主先皇の政にも従わず、楽しみを究め、諌めをも思い入れず、
天下の乱れんことを悟らずして、民間の憂ふるところを知らざっしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。
近く本朝を伺うに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、
近く本朝を窺うに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、
此等はおごれる心もたけき事も、皆とりどりにこそありしかども、
まぢかくは六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申し人のありさま、伝い承るこそ心も詞も及ばれね。』
全十二巻から成る『平家物語』ですが、諸説あるものの作者は『徒然草』に記す信濃前司行長説が有力とされています。
仏教的無常観を基調に流麗な和漢混交文で、平清盛を中心とする平氏一門の栄枯盛衰を描いた鎌倉時代の叙事詩風の軍記物語として、盲目の琵琶法師による語り(平曲)によって伝承されてきました。
あらすじは、というと。
『上記序章に始まり、前半部(巻1~6)では、平家一門の興隆と栄華、それに反発する反平家勢力の策謀などが語られます。
刑部卿忠盛の昇殿によって宮廷社会に地歩を築いた平家は、清盛の世になって大きな飛躍をみせ太政大臣の栄位に上るものの、権勢を掌握した清盛はやがて世を世とも思わぬ悪行の限りを尽くすようになります。
巻1後半から巻3にかけては鹿ヶ谷陰謀の物語、巻4の1巻では源三位頼政の挙兵譚が書かれていますが、こうした平家のふるまいが人々の反発を招き、その反感がやがて平家打倒の陰謀として結集されて行く過程が描かれている訳です。
こうしたことは、いずれも事前に発覚して惨めな失敗に終わり、やがて頼政の奉じた以仁王の令旨が諸国の源氏の決起を促していきます。
源頼朝、木曽義仲の挙兵となり、その騒然とした情勢のなかで熱病にかかり清盛が悶死を遂げていくのです。
後半部(巻7~12)は、源氏勢の進攻と源平合戦、そして平家の滅亡を描いています。
まず信濃に兵をあげた木曽義仲が北陸から都に向かって快進撃を開始、この木曽勢の進攻によって平家はついに都を捨てて西海へ逃れ去ります。
しかし、都入りした義仲はその勢威を維持することができず、後白河法皇との確執から東国の頼朝の介入を招き、東国勢の猛攻を受けてあえなく滅び去っていくのです。
一方、木曽義仲を撃ち破った東国勢は、時を移さず一ノ谷に拠る平家の攻略に立ち向かいます。
ここから本格的な源平の対戦となり、一ノ谷、屋島と敗北を重ねた平家は長門の壇ノ浦に追い詰められ、幼帝安徳天皇は祖母二位尼に抱かれて入水、一門の大半はここで自決するのです。
やがて、捕虜となった宗盛や平家の遺児たちの末路や平家の嫡流6代の処刑が描かれ、
「それよりしてこそ平家の子孫は永く絶えにけれ」
と結ぶのです。』
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