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『三国志演義』第九十九回 諸葛亮大いに魏の兵を破り、司馬懿入りて西蜀を寇す

司馬懿は、大将を出して攻めかけるので、郭淮、孫礼に諸葛亮の背後を突くよう命じたが、2人は王平姜維張苞関興に囲まれて大敗した。2人が馬を捨てて逃げ出したのを見つけた張苞が追いかけたが、人馬もろとも谷底に落ちて頭を割ってしまった。諸葛亮は彼を成都に送り返して養生させた。
司馬懿は、張郃、タイリョウに命じて背後を突かせたが、2人は進路に火攻めを仕掛けられて、伏兵に打ち破られて散り散りに戻ってきた。仰天したシバイは二度と討って出なかった。

諸葛亮は、魏軍に大勝したが以後けしかけてもも応じてこないので、30里ほど退いて陣を布いた。司馬懿張郃を出陣させ自らも討って出たが、王平張翼が奮戦して食い止め、姜維、廖化がその隙に本陣を奪い取った。司馬懿は、慌てて兵を返したが張翼に討ちかかられ大敗した。
大勝した諸葛亮はさらに兵を進めようとしたが、そこに張苞の死が伝えられて彼は血を吐いて昏倒した。
十日余りして直ちに諸葛亮は軍勢を退き、その5日後司馬懿は敵が退いたことに気付いて軍を退いた。

諸葛亮は漢中に兵を退いて、成都に戻って療治した。
一方、曹真は病が癒えたので上奏文を賜って蜀攻めをしようとした。魏主は帰ってきた司馬懿と計って40万の蜀攻めの兵をおこした。
魏軍が蜀に攻め込む頃には、諸葛亮の病も癒えており、張嶷王平に千の兵を与えて守らせた。
魏軍が陳倉城に入ると既に全て焼き払われた後で、さらに雨が降りだして30日も止むことはなく兵の士気は落ち戦える状態ではないので、曹真と司馬懿は軍を退いた。
王平の使者から魏軍が退いたことを知ると諸葛亮は、
「今、追えば敵も備えておるであろうから、別の策を用いる。決して追ってはならぬ。」
と伝えた。

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