『三国志演義』第百九回 司馬困れて漢将の謀奇なり、曹芳廃されて魏家に報果たさる
姜維は廖化、張翼、夏侯覇等を率い、同時に羌族に加勢を求めた。羌族の迷当大王は兵を向かわせ、ともに魏軍と戦った。司馬昭は蜀軍に陣まで斬り込まれ大敗するが、陳泰の計で郭淮が迷当大王を捕らえて、蜀軍への協力を断った。そして、羌族を魏軍に協力させて、蜀軍を打ち破った。姜維は羌族までもが攻めてきたので慌てて逃げ出したが、郭淮が追いかけて来たので彼を討ち取り漢中戻った。
さて、司馬昭は羌族をあつくねぎらって帰した後、兄司馬師とともに朝廷におもむいた。魏主はあわてて玉座から降りて迎えたが、司馬昭は
「天子が臣下を出迎えるという礼儀がどこにありましょう。」
と笑った。
夏侯玄、糜芳、張皇后の父張氏ュウは司馬師、司馬昭を討とうと魏主と計った。しかし、司馬師の挑発に乗せられた夏侯玄が事を露見してしまい、魏主の血の密詔が見つかり3人は処刑された。そして、張皇后も殺された。
翌日、曹豹は玉璽を引き渡し斉王に格下げされた。司馬師は曹丕の孫、曹髦を帝位に即け、嘉平6年を正元元年と改めた。
翌年、毌丘倹、文欽が、廃帝に怒って軍をおこした。
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