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『三国志演義』第百十四回 曹髦車を駆って南闕に死し、姜維糧を棄てて魏兵に勝つ

姜維は廖化、張翼に後詰めを命じて追い討ちに備えた。鄧艾はこれを見て、
諸葛亮の兵法そのままじゃ。」
と嘆息して兵を退いた。
姜維は後主に謁見し、鄧艾の離間の計であることを告げると、後主は黙り込んでしまった。そしてようやく、
「朕もそなたを疑ったことはない。ひとまず漢中に戻り魏に異変が起こるのを待って攻めるがよい。」
と言った。姜維は嘆息して漢中に去った。

この機に司馬昭は自ら蜀攻めをしようとしたが、賈充に、
「天子は殿を疑っております。今軽はずみに動けば朝廷に異変が起きましょう。」
と諌められた。司馬昭は大いに怒って魏主に参内し、群臣一同がそれを迎えて、
「大将軍ほどの大功と徳功なれば、晋公に昇られて九錫を賜ってしかるべきと存じます。」
と上奏した。魏主は異存はないと言って後宮に戻り、王経達に計った。そして彼らが諌めるのも聞かずに司馬昭を討とうと兵を挙げた。しかし、賈充が率いてきた星彩に魏主は討たれ、遅れて駆けつけた王経も捕らえられた。
司馬昭は参内して曹髦の屍を見ると、わざと驚いて泣き、全ての罪を星彩に着せて彼の一族までも皆殺しにし、王経の一族も処刑した。
司馬昭は、賈充に王位に即くよう勧められたが、曹昂を帝に即けた。曹昂は曹奐と改名し司馬昭を丞相、晋公に封じた。

姜維はこれを知って呉と兵をおこそうとした。鄧艾の配下、参軍の王観が
「それがしは司馬昭に殺された王経の甥でございます。この度、将軍が征伐の軍をおこされたとお聞きして、5千の軍勢を率いて参じました。お指図に従って奸族を討ち滅ぼし、叔父の恨みを晴らしたく存じます。」
と偽って投降した。姜維は偽りの投降を見抜いて彼に兵糧輸送を任せた。そして王観が鄧艾に送った密書を書き替えて、王観が兵糧を引き入れた事を伝え、5日早く蜀陣を襲わせた。そして魏軍が押し寄せたところを傅僉に襲わせて大勝し、王観の持っている兵糧を奪い返しに向かった。
王観は姜維が来ると知ると、漢中に攻め入った。姜維は、王観が魏に帰るものと思っていたので、慌てて鄧艾を攻めるのをやめて漢中を守りに行った。王観は四方を囲まれ行き場を失い、黒竜江に身を投げて死んだ。
姜維は再び返して出陣せんとした。

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