知命立命 心地よい風景

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【平家物語】 巻第三 四(三六)公卿揃

皇子の乳母には前右大将宗盛卿の北の方と定められていたが、去る治承元年七月に難産のために亡くなっておられたので、平大納言時忠卿の北の方・帥典侍殿が乳母になられて、後に
典侍
と人々は呼んだ
後白河法皇はすぐ御所へ戻られるため、門前に御車を寄せられた

清盛入道は嬉しさのあまり、砂金一千両、富士の綿二千両を法皇に献上した
それはよくない
と人々は言った

今回の御産にはおかしなことがいくつもあった
まず法皇が御験者となったこと
次に后の御産の際に御殿の棟からこしきを転がすときのことである
皇子ご誕生のときは南へ落とし、皇女誕生のときは北へ落とすのだが、今回は北に落とされたので、人々は
なぜだ
と騒がれてこしきを拾い上げ、落し直されたが
なおさら縁起が悪い
と人々は言った
おかしかったのは、清盛入道の狼狽
見事だったのは、重盛殿のふるまい
残念だったのは、前右大将宗盛卿が最愛の北の方に先立たれて大納言・大将の両職を辞し、引きこもっておられたこと
兄弟揃って出仕されていたら、どれほどめでたかったであろう

次に、七人の陰陽師が参上して、千度の御祓を行ったこと
その中に従者も少ない掃部頭・安倍時晴という老人がおり、邸内がまるで筍や稲・麻・竹・葦の密生のように混雑していたときの出来事である
御用を務める者です、開けてください
と押し分けて参内しようとしたところ、どうしたか、右の沓を踏まれて脱げ、その場で少し休んでいると、今度は冠まで落とされてしまった
こんなときに束帯をまとった老陰陽師がばらばらな髻で登場したので、若い公卿や殿上人はこらえきれず、一斉にどっと笑われた
陰陽師などというのは、返陪といって足もおろそかに踏み下ろさないという
にもかかわらず起こったおかしな出来事を、当時はなんとも思わなかったが、後々思い当たる節が増えてきた

御産のときに六波羅へ参内した人々は、関白松殿・藤原基房、太政大臣妙音院・藤原師長左大臣大炊御門・藤原経宗、右大臣月輪殿・九条兼実、内大臣小松殿・平重盛、左大将・徳大寺実定、大納言・源定房、大納言・三条実房、五条大納言・藤原国綱、大納言・藤原実国、按察使・源資方、中御門中納言・藤原宗家、花山院中納言・藤原兼雅、中納言・源雅頼、権中納言・源実綱、中納言・藤原資長、池中納言平頼盛、左衛門督・平時忠検非違使別当・藤原忠親、左宰相中将・藤原実家、右宰相中将・藤原実宗、新宰相中将・源通親、宰相・平教盛、宰相・六角家通、宰相・堀川頼定、左大弁宰相・藤原長方、右大弁三位・藤原俊経、左兵衛督・藤原成範、右兵衛督・藤原光能、皇太后宮大夫・藤原朝方、左京大夫・藤原脩範、太宰大弐・藤原親信、新三位・藤原実清、以上三十三人、右大弁三位・藤原俊経のみ狩衣、他は直衣であった
参上しなかった人々には、花山院前太政大臣藤原忠雅公、大宮大納言・藤原隆季卿以下十余人
後日、無紋の狩衣姿で清盛入道の西八条の屋敷へお祝いに向かわれたという

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