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【源氏物語】 (佰捌拾参) 橋姫 第三章 薫の物語 八の宮の娘たちを垣間見る

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。
物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされています。
物語は、母系制が色濃い平安朝中期(概ね10世紀頃)を舞台に、天皇親王として出生し、才能・容姿ともにめぐまれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏の栄華と苦悩の人生、およびその子孫らの人生が描かれているのです。

そんな今回は、「橋姫」の物語の続きです。
a href=”http://ift.tt/1It1eYK; target=”_blank”>【源氏物語】 (佰漆拾壱)第三部 はじめ 源氏没後の子孫たちの恋と人生!

第三章 薫の物語 八の宮の娘たちを垣間見る
 [第一段 晩秋に薫、宇治へ赴く]
 秋の末方に、四季毎に当ててなさるお念仏を、この川辺では、網代の波も、このころは一段と耳うるさく静かでないので、と言って、あの阿闍梨が住む寺の堂にお移りになって、七日程度勤行なさる。姫君たちは、たいそう心細く、何もすることのない日が増えて物思いに耽っていらっしゃるころ、中将の君が、久しく参らなかったなと、お思い出し申されるままに、有明の月が、まだ夜深く差し出たころに出立して、たいそうこっそりと、お供に人などもなく、質素にしておいでになった。
 川のこちら側なので、舟なども煩わさず、御馬でいらっしゃったのであった。山に入って行くにつれて、霧で塞がって、道も見えない生い茂った木の中を分け入って行かれると、とても荒々しく吹き競う風に、ほろほろと散り乱れる木の葉の露が散りかかるのも、たいそう冷たくて、自分から求めてひどく濡れておしまいになった。このような外歩きなども、あまり御経験ないお気持ちには、心細く興味深く思われなさった。
 「山颪の風に堪えない木の葉の露よりも
  妙にもろく流れるわたしの涙よ」
 山賤が目を覚ますのも厄介だと思って、随身の声もおさせにならない。柴の籬を分けて、どことなく流れる水の流れを踏みつける馬の足音も、やはり、人目につかないようにと気をつけていらっしゃったのに、隠すことのできない御匂いが、風に漂って、どなたの香かと目を覚ます家々があるのであった。
 近くなるころに、何の琴とも聞き分けることができない楽器の音色が、たいそうもの寂しく聞こえる。「いつもこのように遊んでいらっしゃると聞いたが、その機会がなくて、親王の御琴の音色の評判高いのも、聞くことができないでいた。ちょうど良い機会だろう」と思いながらお入りになると、琵琶の音の響きであった。「黄鐘調」に調律して、普通の掻き合わせだが、場所柄か、耳馴れない気がして、掻き返す撥の音も、何となく清らかで美しい。箏の琴は、しみじみと優美な音がして、途切れ途切れに聞こえる。

 [第二段 宿直人、薫を招き入れる]
 暫く聞いていたいので、隠れていらしたが、お気配をはっきりと聞きつけて、宿直人らしい男で、何か愚直そうなのが、出て来た。
 「いかじかの理由で籠もっていらっしゃいます。お手紙を差し上げましょう」と申す。
 「なに、その必要はない。そのように日数を限った御勤行のところを、お邪魔申し上げるのもいけない。このように濡れながらわざわざ参って、むなしく帰る嘆きを、姫君の御方に申し上げて、お気の毒にとおっしゃっていただけたら、慰められるでしょう」
 とおっしゃると、醜い顔がにこっとして、
 「申し上げさせていただきましょう」と言って立つのを、
 「ちょっと待て」と召し寄せて、
 「長年、人伝てにばかり聞いて、聞きたく思っていたお琴の音を、嬉しい時だよ。暫くの間、少し隠れて聞くのに適当な物蔭はないか。不適切にも出過ぎて参上したりする間に、皆が琴をお止めになっては、まことに残念であろう」
 とおっしゃる。そのお振る舞い、容姿容貌が、そのようなつまらない男の考えでも、実に立派に恐れ多く見えたので、
 「誰も聞かない時には、明け暮れこのようにお弾きになりますが、下人であっても、都の方面から参って、加わっている人がある時は、お弾かせなさりません。だいたい、こうして女君たちがいらっしゃることをお隠しになり、世間の人にお知らせ申すまいと、お考えになりおっしゃっているのです」
 と申し上げるので、ほほ笑みなさって、
 「つまらないお隠しだてだ。そのようにお隠しになるというが、誰も皆、類まれな例として、聞き出すに違いないだろうに」とおっしゃって、「やはり、案内せよ。わたしは好色がましい心などは、持っていないのだ。こうしていらっしゃるご様子が、不思議で、なるほど、並々には思えないのだ」
 と懇切におっしゃると、
 「ああ、恐れ多い。物をわきまえぬ奴と、後から言われることがありましょう」
 と言って、あちらのお庭先は、竹の透垣を立てめぐらして、すべて別の塀になっているのを、教えてご案内申し上げた。お供の人は、西の廊に呼び止めて、この宿直人が相手をする。

 [第三段 薫、姉妹を垣間見る]
 あちらに通じているらしい透垣の戸を、少し押し開けて御覧になると、月が美しい具合に霧がかかっているのを眺めて、簾を短く巻き上げて、女房たちが座っている。簀子に、たいそう寒そうに、痩せてみすぼらしい着物の女童一人と、同じ姿をした大人などが座っていた。内側にいる人一人、柱に少し隠れて、琵琶を前に置いて、撥をもてあそびながら座っていたところ、雲に隠れていた月が、急にぱあっと明るく差し出たので、
 「扇でなくて、これでもっても、月は招き寄せられそうだわ」
 と言って、外を覗いている顔、たいそうかわいらしくつやつやしているのであろう。
 添い臥している姫君は、琴の上に身をもたれかけて、
 「入り日を戻す撥というのはありますが、変わったことを思いつきなさるお方ですこと」
 と言って、ちょっとほほ笑んでいる様子、もう少し落ち着いて優雅な感じがした。
 「そこまでできなくても、これも月に縁のないものではないわ」
 などと、とりとめもないことを、気を許して言い合っていらっしゃる二人の様子、まったく見ないで想像していたのとは違って、とても可憐で親しみが持て感じがよい。
 「昔物語などに語り伝えて、若い女房などが読むのを聞くにも、必ずこのようなことを言っていたが、そのようなことはないだろう」と、想像していたのに、「なるほど、人の心を打つような隠れたことがある世の中だったのだな」と、心が惹かれて行きそうである。
 霧が深いので、はっきりと見ることもできない。再び、月が出て欲しいとお思いになっていた時に、奥の方から、「お客様です」と申し上げた人がいたのであろうか、簾を下ろして皆入ってしまった。驚いたふうでもなく、ものやわらかに振る舞って、静かに隠れた方々の様子、衣擦れの音もせず、とても柔らかくなっておいたわしい感じで、ひどく上品で優雅なのを、しみじみとお思いなさる。
 静かに出て、京に、お車を引いて参るよう、人を走らせた。先ほどの男に、
 「具合悪い時に参ってしまいましたが、かえって嬉しく、思いが少し慰められました。このように参った旨を申し上げよ。ひどく露に濡れた愚痴も申し上げたい」
 とおっしゃると、参上して申し上げる。

 [第四段 薫、大君と御簾を隔てて対面]
 このように見られただろうかとはお考えにもならず、気を許して話していたことを、お聞きになったろうかと、実にたいそう恥ずかしい。不思議と、香ばしく匂う風が吹いていたのを、思いかけない時なので、「気がつかなかった迂闊さよ」と、気も動転して、恥ずかしがっていらっしゃる。
 ご挨拶などを伝える人も、とても物馴れていない人のようなので、「時と場合によって、何事も臨機応変に」とお思いになって、まだ霧でよく見えない時なので、先ほどの御簾の前に歩み出て、お座りになる。
 山里めいた若い女房たちは、お答えする言葉も分からず、お敷物を差し出す恰好も、たどたどしそうである。
 「この御簾の前では、きまり悪うございますよ。一時の軽い気持ちぐらいでは、こんなにも尋ねて参れないような難しい険しい山路と存じておりましたが、これは変わったお扱いで。このように露に濡れ濡れ何度も参ったら、いくらなんでも、ご存知でいらっしゃろうと、頼もしく存じております」
 と、とてもまじめにおっしゃる。
 若い女房たちが、すらすらと何か申し上げることもできず、正体もないほど恥ずかしがっているのも、見ていられないので、年配の女房で奥に寝ている者を起こし出している間、ひまどって、わざとらしいのも気の毒になって、
 「何事も存じませんわたくしどもで、知ったふうに、どうして、お答え申し上げられましょうか」
 と、たいそう優雅で、上品な声をして、引っ込みながらかすかにおっしゃる。
 「実は分かっておいでなのに、辛さを知らないふりをするのも、世の習いと存じておりますが、ほかならぬあなたが、あまりにそらぞらしいおっしゃりようをなさるのは、残念に存じます。めったになく、何事につけ悟り澄ましていらっしゃるご生活などに、ご一緒申されておいでのご心中は、万事涼しく推量されますから、やはり、このように秘めきれない気持ちの深さ浅さも、お分かりいただけることは、効がございましょう。
 世の常の好色がましいこととは、違ってお考えいただけませんか。そのようなことは、ことさら勧める人がありましても、言う通りにはならない決心の強さです。
 自然とお聞き及びになることもございましょう。所在なくばかり過ごしております世間話も、聞いていただくお相手として頼み申し上げ、またこのように、世間から離れて、物思いあそばしていられるお心の気紛らわしには、そちらからそうと、話しかけてくださるほどに親しくさせていただけましたら、どんなにか嬉しいことでございましょう」
 などと、たくさんおっしゃると、遠慮されて、答えにくくて、起こした老人が出て来たので、お任せになる。

 [第五段 老女房の弁が応対]
 たとえようもなく出しゃばって、
 「まあ、恐れ多いこと。失礼なご座所でございますこと。御簾の中にどうぞ。若い女房たちは、物の道理を知らないようでございます」
 などと、ずけずけと言う声が年寄じみているのも、きまり悪く姫君たちはお思いになる。
 「まことに妙に、世の中に暮らしていらっしゃる方のお仲間入りもなさらないご様子で、当然訪問してよい方々でさえ、人並み扱いにご訪問申される方々も、お見かけ申さないようにばかりなって行くようですので、もったいないお志のほどを、人数にも入らないわたしでも、意外なとまでお思い申し上げさせていただいておりますが、若い姫君たちもご存知でありながら、お申し上げなさりにくいのでございましょうか」
 と、まことに遠慮なく馴れ馴れしいのも、小憎らしい一方で、感じはたいそうひとかどの人物らしく、教養のある声なので、
 「まこと取りつく島もない気がしていたが、嬉しいおっしゃりようです。何事も、なるほど、ご存知であった頼もしさは、この上ないことです」
 とおっしゃって、寄り掛かって座っていらっしゃるのを、几帳の側から見ると、曙の、だんだん物の色が見えてくる中で、なるほど、質素にしていらっしゃると見える狩衣姿が、たいそう露に濡れて湿っているのが、「何と、この世以外の匂いか」と、不思議なまで薫り満ちていた。

 [第六段 老女房の弁の昔語り]
 この老人は泣き出した。
 「出過ぎた者とのお咎めもあるやと、存じて控えておりますが、しみじみとした昔のお話の、どのような機会にお話申し上げ、その一部分を、ちらっとお耳に入れたいと、長年念誦の折にも、祈り続けてまいった効があってでしょうか、嬉しい機会でございますが、まだのうちから涙が込み上げて来て、申し上げることができませんわ」
 と、震えている様子、ほんとうにひどく悲しいと思っていた。
 だいたい、年老いた人は、涙もろいものとは見聞きなさっていたが、とてもこんなにまで思っているのも、不思議にお思いになって、
 「ここに、このように参ることは、度重なったが、このように物のあわれをご存知の方がいなくて、露っぽい道中で、一人だけ濡れました。嬉しい機会のようですので、すっかりおっしゃってください」とおっしゃると、
 「このような機会は、ございますまい。また、ございましても、明日をも知らない寿命を、当てにできません。それでは、ただ、このような老人が、世の中におったとだけ、ご存知いただきたい。
 三条の宮におりました小侍従、亡くなってしまったと、ちらっと聞きました。その昔、親しく存じておりました同じ年配の者は、多く亡くなりました晩年に、遠い田舎から縁故を頼って上京して来て、この五、六年のほど、ここにこのようにしてお仕えております。
 ご存知ではないでしょう、最近、藤大納言と申すお方の御兄君で、右衛門督でお亡くなりになった方は、何かの機会にか、あのお方の事として、お伝え聞きなさっていることはございましょう。
 お亡くなりになって、まだいかほども経っていないような気ばかりがします。その時の悲しさも、まだ袖が乾く時の間もなく存じられますが、このように大きくおなりあそばしたお年のほども、夢のような思われます。
 あの故権大納言の御乳母でございました人は、弁の母でございました。朝夕に身近にお仕えいたしましたところ、物の数にも入らない身ですが、誰にも知らせず、お心にあまったことを、時々ちらっとお漏らしになりましたが、いよいよお最期とおなりになったご病気の末頃に、呼び寄せて、わずかにご遺言なさったことがございましたが、ぜひお耳に入れなければならない子細が、一つございますけれども、これだけ申し上げましたので、さらに続きをとお思いになるお考えがございましたら、改めてごゆっくり、すっかりお話し申し上げましょう。若い女房たちも、みっともなく、出過ぎた者と、非難するのも、もっともなことですから」
 と言って、さすがに最後まで言わずに終わった。
 不思議な、夢語り、巫女などのような者が、問わず語りをしているように、珍しい話と思わずにはいらっしゃれないが、しみじみと本当のことが知りたいと思い続けて来た方面のことを申し上げたので、ひどく先が知りたいが、なるほど、人目も多いし、不意に昔話にかかわって、夜を明かしてしまうのも、無作法であるから、
 「はっきりと思い当たるふしは、ないものの、昔のことと聞きますのも、心をうちます。それでは、きっとこの続きをお聞かせください。霧が晴れていったら、見苦しいやつした姿を、無礼のお咎めを受けるに違いない姿なので、思っておりますように行かず、残念でなりません」
 とおっしゃって、お立ちになると、あのいらっしゃる寺の鐘の音が、かすかに聞こえて、霧がたいそう深く立ち込めていた。

 [第七段 薫、大君と和歌を詠み交して帰京]
 峰の幾重にも重なった雲の、思いやるにも隔てが多く、心痛むが、やはり、この姫君たちのご心中もおいたわしく、「物思いのありたけを尽くしていられよう。あのように、とても引っ込みがちでいらっしゃるのも、もっともなことだ」などと思われる。
 「夜も明けて行きますが帰る家路も見えません
  尋ねて来た槙の尾山は霧が立ち込めていますので
 心細いことですね」
 と、引き返して立ち去りがたくしていらっしゃる様子を、都の人で見慣れた人でさえ、やはり、たいそう格別にお思い申し上げているのに、まして、どんなにか珍しく思わないことあろうか。お返事を申し上げにくそうに思っているので、いつものように、たいそう慎ましそうにして、
 「雲のかかっている山路を秋霧が
  ますます隔てているこの頃です」
 少し嘆いていらっしゃる様子、並々ならず胸を打つ。
 何ほども風情の見えない辺りだが、なるほど、おいたわしいことが多くある中にも、明るくなって行くと、いくら何でも直接顔を合わせる感じがして、
 「なまじお言葉を聞いたために、途中までしか聞けなかった思いの多くの残りは、もう少しお親しみになってから、恨み言も申し上げさせていただきましょう。一方では、このように世間の人並みに、お扱いなさることは、意外にもお分かりにならない方だと、恨めしくて」
 と言って、宿直人が準備した西面にいらっしゃって、眺めなさる。
 「網代では、人が騒いでいるようだ。けれど、氷魚も寄って来ないのだろうか。景気の悪そうな様子だ」
 と、お供の人々は見知っていて言う。
 「粗末な幾隻もの舟に、柴を刈り積んで、それぞれ何ということもない生活に、上り下りしている様子に、はかない水の上に浮かんでいるが、誰も皆考えてみれば同じことである、無常の世だ。自分は水に浮かぶような様でなく、玉の台に落ち着いている身だと、思える世だろうか」と思い続けられずにはいられない。
 硯を召して、あちらに申し上げなさる。
 「姫君たちのお寂しい心をお察しして
  浅瀬を漕ぐ舟の棹の、涙で袖が濡れました
 物思いに沈んでいらっしゃることでしょう」
 と言って、宿直人にお持たせになった。たいそう寒そうに、鳥肌の立つ顔して持って上る。お返事は、紙の香などが、いいかげんな物では恥ずかしいが、早いのだけをこのような場合は取柄としよう、と思って、
 「棹さして何度も行き来する宇治川の渡し守は朝夕の雫に
  濡れてすっかり袖を朽ちさせていることでしょう
 身まで浮かんで」
 と、実に美しくお書きになっていらっしゃた。「申し分なく感じの良い方だ」と、心が惹かれたが、
 「お車を牽いて参りました」
 と、供人が騒がしく申し上げるので、宿直人だけを召し寄せて、
 「お帰りあそばしたころに、きっと参りましょう」
 などとおっしゃる。濡れたお召し物は、皆この人に脱ぎ与えなさって、取りにやったお直衣にお召し替えになった。

 [第八段 薫、宇治へ手紙を書く]
 老人の話が、気にかかって思い出される。思っていたよりは、この上なく優れていて、立派だったご様子が、面影にちらついて、「やはり、思い離れがたいこの世だ」と、心弱く思い知らされる。
 お手紙を差し上げなさる。懸想文めいてではなく、白い色紙で厚ぼったい紙に、筆は念入りに選んで、墨つきも見事にお書きになる。
 「ぶしつけなようではないかと、むやみに差し控えまして、話し残したことが多いのも辛いことです。一部お話し申し上げておいたように、今からは、御簾の前も、気安くお許しくださいますように。お山籠もりが済みます日を伺っておきまして、霧に閉ざされた迷いも、晴れることでしょう」
 などと、たいそう生真面目にお書きになっている。左近将監である人を、お使いとして、
 「あの老人を訪ねて、手紙を渡すように」
 とおっしゃる。宿直人が寒そうにしてうろうろしていたのなど、気の毒にお思いやりになって、大きな桧破子のようなものを、たくさん届けさせなさる。
 翌日、あちらのお寺にも差し上げなさる。「山籠もりの僧たち、近頃の嵐には、とても心細く辛いだろうに、そうして籠もっていらっしゃる間のお布施を、なさらねばならないだろう」とご想像になって、絹、綿など多かった。
 ご勤行が終わって、下山なさる朝だったので、修行者たちに、綿、絹、袈裟、法衣など、総じて一領ずつ、いるすべての大徳たちにお与えになる。
 宿直人は、お脱ぎ捨てになった、優艷で立派な狩のお召物の、何ともいえない白い綾織物の、柔らかでいいようもなく匂っているのを、そのまま身に着けて、身は変えることのできないものなので、似つかわしくない袖の香を、会う人ごとに怪しまれたり、褒められたりするのが、かえって身の置きどころがないのであった。
 思いのままに、身を気軽に振る舞うこともきず、とても気持ち悪いまでに、人が驚く匂いを、無くしたいものだと思うが、大層な方の御移り香なので、洗い捨てることもできないのが、困ったものであるよ。

 [第九段 薫、匂宮に宇治の姉妹を語る]
 君は、姫君のお返事が、とてもよく整っていておおようなのを、風情があると御覧になる。父宮にも、「このようにお手紙がありました」などと、女房たちが申し上げ、御覧に入れると、
 「いや、なに。懸想めいてお扱いなさるのも、かえって嫌なことであろう。普通の若い人に似ないご性格のようだから、亡くなった後もなどと、一言ほのめかしておいたので、そのような気持ちで、心にかけているのだろう」
 などとおっしゃるのであった。ご自身も、さまざまなお見舞い品が、山寺にあふれたことなどをおっしゃっているころに、参ろうとお思いになって、「三の宮が、このように奥まった所に住む女が、会えば見まさりするのは、おもしろいことだろうと、せいぜい想像するだけでおっしゃっているのも、羨ましがらせて、お気持ちを揉ませ申そう」とお考えになって、のんびりした夕暮に参上なさった。
 いつもものように、いろいろなお話をおとり交わしなさる折に、宇治の宮のことを話し出して、見た早朝の様子などを、詳しく申し上げなさると、宮は、切に興味深くお思いになった。
 やはり予想通りであったと、お顔色を見て、ますますお心が動くように話し続けなさる。
 「ところで、その来たお返事は、どうしてお見せ下さらなかったのですか。わたしだったなら」とお恨みになる。
 「そうです。実にいろいろと御覧になるような一部分さえ、お見せ下さらない。あのあたりは、このようにとても陰気くさい男が、独占していてよい人とも思えませんので、きっと御覧に入れたい、と存じますが、どうしてお訪ねなさることができましょう。気軽な身分の者こそ、浮気がしたければ、いくらでも相手のいる世の中でございます。人目につかない所では多いようですね。
 それ相応に魅力のある女で、物思いして、こっそり住んでいる家々が、山里めいた隠れ処などに、自然といるようでございます。この申し上げるあたりは、たいそう世間離れした聖ふうで、ごつごつしたようであろうと、長い間、軽蔑しておりまして、耳をさえ、止めませんでした。
 ほのかな月光の下で見た通りの器量であったら、十分なものでしょうよ。感じや態度は、それはまた、あの程度なのを、理想的な女とは、思うべきでしょう」
 などと申し上げなさる。
 しまいには、本気になってとても憎らしく、「並大抵の女に心を移しそうにない人が、このように深く思っているのを、いい加減なことではないだろう」と、興味をお持ちになることは、この上なく高まった。
 「さらに、またまた、よく様子を探って下さい」
 と、相手を勧めなさって、制約あるご身分の高さを、疎ましいまでに、いらだたしく思っていらっしゃるので、おもしろくなって、
 「いや、つまらないことでございます。暫くの間も、世の中に執着心を持つまい思っておりますこの身で、ほんの遊びの色恋沙汰も気が引けますが、我ながら抑えかねる気持ちが起こったら、大いに思惑違いのことも、起こりましょう」
 と申し上げなさると、
 「いや、まあ、大げさな。例によって、物々しい修行者みたいな言葉を、最後まで見てみたいものだ」
 と言ってお笑いになる。心の中では、あの老人がちらっと言った話などが、ますます心を騒がせて、何となく物思いがちなのに、心をとめかすことも、美しいと聞く人のことも、どれほども心に止まらないのだった。

 

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