知命立命 心地よい風景

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『三国志演義』第百四回 大星隕ちて漢の丞相天に帰し、木像を見て魏の都督胆を冷やす

諸葛亮は、
「わしの寿命がこれまでしかなかったのじゃ。魏延の咎ではない。」
と言って、罪を許し彼に魏を迎え討たせた。そして、楊儀
「わしが死ねば、奴は必ず背くであろう。さすればこの袋を開けよ。」
と錦の袋を授けた。
そして、夜になって後主に上奏文を記し、
「わしの死後は喪を発せず、軍中常の如くし平静を保つよう。」
と言って、後事は蒋琬に託し、その後は費禕がよいと言って息絶えた。建興12年、54歳であった。
姜維楊儀は遺命に従って喪を隠して退却した。

司馬懿諸葛亮の死を聞いて追い討ちをかけるように命じたが、夏侯覇に様子を探らせた。
一方、魏延楊儀諸葛亮の後を取り仕切るのが気に入らず、費禕の取りなしで楊儀の兵権を手にできる事となった。しかし、費禕からは音沙汰がなく、既に姜維を後詰めに兵の大半は退いていた。怒った魏延は、楊儀が気に入らない馬岱と組んで楊儀を殺そうと考えた。
夏侯覇五丈原に誰もいないことを伝えると、司馬懿は、
「さては諸葛亮は死んでいたのか。」
と地団駄を踏んで五丈原に殺到した。
魏軍が追いつくと蜀軍は反転した。するとそこには諸葛亮が車に坐って現れたので、司馬懿は慌てて兵を返して戻ろうとした。そこに姜維が背後より襲いかかって大敗した。
司馬懿は、車に乗っていたのは諸葛亮の木像であった事を知ると嘆息した。
蜀の兵士は諸葛亮の死を知りいたく悲しんだ。
そこに一軍が押し寄せてくると急報が入った。

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