知命立命 心地よい風景

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アルチュール・ランボオへの想い!

今日(10月20日)はアルチュール・ランボー、いやランボオ生誕の日です。
ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボオ、 Jean Nicolas Arthur Rimbaud
フランスの詩人、1854年生まれですので、今年で生誕163年です。
節目の年なのにあまり世間で騒がれていないのが残念なこともあり、ちょっと整理してみることにしました。

ランボオは、私が中学高校の鬱屈した時期をずっと一緒に過ごした大事な詩人です。
当時は友人にランボオを読んでるなんて恥ずかしくてとても言えませんでしたが、
・”早熟の天才”と呼ばれ
・同じく詩人ヴェルレーヌとの出会いと別れを経て、
・20歳代前半で筆を折るように創作を放棄し、
・その後、放浪者・開拓者としての人生を歩み、
・37歳で悪化した骨肉腫が原因で死去(1891年11月10日)
・代表的な詩集には”酔いどれ船””地獄の季節””イリュミナシオン”などがある
といったところで、一種破滅的ともいえるその詩編が、当時の青い私には随分新鮮に映っていたのかもしれません。

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ランボウの詩の特徴といえば、韻もないしリズムの規則性もない上に、詩というよりは散文に近いものです。
しかし、書きなぐったように吐き出された言葉とその鮮烈な文体の迫力に、当時は随分のめり込んだものです。
いや、傾倒していた、という方が正しいかな。

ランボオの代表作”地獄の季節”は1873年に書かれて印刷製本されたものの、出版費用が払わずに500部近くが倉庫行きになったまま30年近く眠り続け、当時は著者用見本の一部が知人に配られたのみだったようです。
この詩篇は、地獄で夏の一季節を過ごした語り手による心理的自伝という形を取っており、現在を振りほどき未来に掴みかかるような激情と高揚感を誘うものです。
・自身に流れる異教徒の血を確認しながらキリスト教の救済を拒否し、ヴェルレーヌとの関係を奇妙な夫婦に託した告白”錯乱Ⅰ”
・後期韻文詩を改変し、自己言及によって装飾、論証された自己検証の”錯乱Ⅱ”
・労働を侮蔑した語り手が、次第に新しい労働の創造へと向かっていく”閃光””朝”
・文学への決別とも取れる”別れ”
こうした構成による”地獄の季節”はランボオの生の集大成と言っても過言ではないでしょう。

ランボオは早熟の天才と呼ばれ、早くに筆を折ったことについてはいろいろな講釈が付いてます。
ランボウの全盛期は17~19差歳前後。
私が同世代だった尾崎豊が全盛期だったのだって10代の頃。
尾崎が”15の夜””卒業”などで歌に込めたものは”誰にも縛られたくない””逆らい続け あがき続けた”大人への反抗とそこからの自由でした。

でもこの多感な時期においては、理由もなく憤ったり、言葉を暴力的に吐き出したり、持って行きようがない感情を持て余したりする経験は誰しもあるはずです。
従って、ランボウは別に天才でも稀有な才能を持ち合わせていたのではなく、行き場のない怒りや苦しみを詩に託したに過ぎないのではないか、今では何となくそう思えるのです。

・青春期にしか味わうことのできない独特な感覚や感情は、その時期だけに味わえる一過性の感情でしかない。
・青春と大人への反抗の象徴だった自分が、成長しその大人へとなることで、その感情を見失ってしまう。
・心境を激しく形にして躊躇なく吐き出していたはずなのに、歳を取ることによってその対象を見失ってしまう。

そこに対するいわれもない葛藤がますます自分を追い詰め、尾崎は自分を壊し、ランボウは自分を壊す代わりに筆を捨ててしまったと思うのです。

実は、ランボオが自分の人生の中で詩にそれほど重きを置いていなかったということは、それ以降の彼の人生を見てもよくわかります。
やがて軍隊に入ったりアフリカで貿易の仕事を始めたり、放浪者・開拓者としての人生を歩んでおり、詩作は彼の人生にとっては10代の通過点に過ぎなかったのでしょう。
ですから、成人してからのランボオの人生は、天才詩人の不幸な半生というよりは、アフリカ貿易商人が旅の途中で人生を終えた、とみる方が正しいのかもしれません。

だからといってランボオの詩が色あせる訳ではなく、青春のもどかしさの中書き殴った詩だからこそ、私も当時熱中して読み耽っていたのでしょうし、当時の自分の心を激しく揺さぶっていたのです。
だからこそ、剥き出しの生々しいまでの感覚を詩という形で表現されていることが、今の時代にも新鮮に感じるのでしょうし、いつの時代の若者にも共感できるものだと思うのです。

だとしたら、ランボオに熱中できるのはやはり20歳ぐらいまでかな。
青春の発作、麻疹といったところでしょうか。

当時を懐かしんで、改めて読み耽るか、そのまま良い思い出としてそっとしておくか。
ちょっと悩むところです。

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~アルチュール・ランボオ

永遠
”見つけたぞ!
――なにを?――永遠を。
それは、太陽と混じり合う
海だ。

見張り番する魂よ
そっと本音を語ろう
こんなにはかない夜のこと
炎と燃える昼のことを

世間並みの判断からも
通俗的な衝動からも
おまえは自分を解き放つ
そして自由に飛んでいく

きみたちだけだ
繻子サテンのような緋の燠よ
義務の炎を上げるのは
ついに という間まもないうちに

そこに望みがあるものか
救済だってあるものか
忍耐の要る学問だ
煩悶だけは確実

また見つけたぞ!
――なにを?――永遠を。
それは、太陽と混じり合う
海だ。”

別れ
”俺は誑されているのだろうか。
俺にとって、
慈愛とは死の姉妹であろうか。
最後に
俺はみずから虚偽を食いものにしていた事を謝罪しよう。
さて行くのだ。
だが、友の手などあろう筈はない、
救いを何処に求めよう。”

”夏の青い夕暮れに ぼくは小道をゆこう
麦の穂にちくちく刺され 細草を踏みしだきに
夢みながら 足にそのひんやりとした感触を覚えるだろう
吹く風が無帽の頭を浸すにまかせるだろう”

話しはしない なにも考えはしない
けれどかぎりない愛が心のうちに湧きあがるだろう
そして遠くへ 遥か遠くへゆこう ボヘミアンさながら
自然のなかを――女と連れ立つときのように心たのしく”

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随想録より学ぶ!日本の経済危機を何度も救った高橋是清!

高橋是清は、明治維新から大正・昭和にかけて活躍した日本の政治家で、第20代内閣総理大臣を務めた人物です。
特に最先端の金融理論を駆使した財政家としての手腕には定評がありましたが、6度目の大蔵大臣に就任当時、軍事予算の縮小を図ったところ軍部の恨みを買い、二・二六事件において、赤坂の自宅二階で反乱軍の青年将校らに胸を6発撃たれ、暗殺されたことは教科書でも学びましたね。

そんな高橋是清は、まさに波乱万丈の人生を送った人でした。
家庭の事情で生まれて間もなく養子に出された高橋は、留学する際にその費用を着服されたり、留学先では悪意に満ちた契約書にサインさせられて奴隷同然の生活を送らざるを得なくなったりと、数々の逆境に耐え抜き、成功を掴み取りました。
維新後帰国し、森有礼の書生、相場師などののち、明治14年農商務省に入り、20年初代特許局長、22年ペルーで銀山開発を行うが失敗。
25年日銀に入行し、32年副総裁、38年勅選貴院議員、39年から横浜正金銀行頭取を兼任、財政家としての名声を得ながらも44年第20代内閣総理大臣に就任しています。
大正2年第1次山本内閣、7年原内閣の蔵相、10年原暗殺の後首相兼蔵相に就任、13年第2次護憲運動に加わり衆院議員に当選、加藤内閣の農商務相、田中・犬養・斎藤・岡田各内閣の蔵相をつとめ、金融恐慌後のモラトリアム、大恐慌後の軍需インフレ政策を敢行。
その後も日銀の発行限度額を10億に引きあげるなど景気回復に大きな足跡を残し、日本の経済危機を何度か救ったと言っても過言ではないでしょう。
“だるま”の愛称で親しまれたが、軍事抑制の予算案が軍部の反感を買って、昭和11年2.26事件で青年将校の襲撃を受け射殺されました。
祖国を先進国の一員に押し上げ、現代日本の枠組みを整えた是清の中には、いったいどのような信念や原理原則があったのでしょうか。

波乱万丈の人生を送った是清ですが、反面非常に楽天家でもありました。
彼の著作『随想録』に「食うだけの仕事は必ず授かる」という確信に似た言葉が出てきます。
気概と独立心と才能に溢れ、多くの障害を切り抜けてきた是清は更に続けてこうも言っています。
「その授かった仕事は何であろうと、常にそれに満足して一生懸命やるから、衣食は足りるのだ」

その上で、地に足をつけて考えることの大切さ、目の前の仕事を真摯に務めることの重要性を紡ぐのです。
「ただわずかに誇り得るものがあるとすれば、それはいかなる場合に処しても、絶対に自己本位には行動しなかったという一事である。
 子供の時から今まで一貫して、どんなにつまらない仕事を当てがわれた時にも、その仕事を本位として決して自分に重きを置かなかった。
 われわれが世に処して行くには、何かの職務につかなくてはならん。
 職務について世に立つ以上は、その職務を本位とし、それに満足し恥じざるように務めることが、人間処世の本領である」
現状や身の程をわきまえないばかりか、要求や不満ばかりが多い考え方を、是清は自己本位であると断じています。

更に、こう言葉を続けています。
「若い人達に向かって、戒めたいことがある。
 それは、決して自分のサラリーと他人のサラリーとを比較するようなことをするなということだ。
 もし、自分より仕合せな境遇にあるものを見て、それを自分の境遇に比較すれば、不平のおこることは必定だ。
 不平をおこすくらいなら、そこに使われてサラリーを貰うことをやめるがよろしい。
 サラリーマンを廃業して独立するがいい。
 独立してやれば、何事も自分の力量一杯であるから不平もおこらぬだろう。
 けれども、独立が出来ないくらいならば不平は言わないことだ」
他人と自分の状況を比べて不平を感じたところで、何もしなければ現状を変えることなどできません。
自分の境遇を他人と比較して悲観することなく、自身の選択に責任を持ち、どのようにすれば改善できるのかを考えるべきと断じているのです。

こうした言葉は、現代の今でも一切色あせることなく通じるものです。
さまざまな逆境を乗り越えてきたこそ響く是清の言葉にこそ、私達は真摯に向き合うべきではないでしょうか。

更に『随想録』には経済についての具体的な政策も語られており、これは十分に現代にも通じることです
・経済における生産と消費:両者の均衡を得るために適正量の通貨供給が必要である。(低金利政策など)
・資本と労力の関係:労力を第一、資本を第二位とし、労力に対する報酬を資本に対する分配額よりも有利の地位に置く。
  人の働きの値打をあげることが、経済政策の根本主義である。
  人の働きの値打の軽視が、購買力の減退を招き、不景気を誘発する可能性がある。
・為政者の低金利政策:経済界・金融界の状況を検討することが必要である。
  その目的は、事業経営者の負担軽減、不況時の景気刺激、労資の和合促進が挙げられる。
・日本人の勤勉さ:生産設備の改善や研究などを含め、大きな武器として認識されている。
・経済効果:数年単位の期間において考慮する必要がある。
・緊急政策:国の経済と個人経済との区別が重要である。
  特に国の経済から見れば、金を使うということが次々と金の働きを生む。
  政府支出や投資を増やすことで、国民所得を数倍に増やすことができるという乗数効果につながる。
・倹約:産業の力を減退させる可能性について警戒されている。
  財政上緊縮を要するときでも、新たな支出を出来るだけ控目にする方法が提案されている。
・仕事の中止:不景気と失業者を招くため、慎重に経済的に考えるべきである。
・国の経済:自主的に決めることが重要である。
  その準備として、国際貨借の関係において支払いの立場に立たないように、国内の産業、海運その他の事業の基礎を確立する事。
  人々の働きは経済発展の第一条件である。
  が、無駄を省くことも、国民の十分注意を払うべきである。
・国家:自分と離れて別にあるものではない(自己と国家とは一つものである)。
・人生:人が職業に成功することが大切である。
・経済:事実に基づいていることの重要性が大事である。
  経済界では各種当業者の間に相互の信頼があり、資本家と労働者の間にも信頼があることで繁栄することが出来る。
  徳性と道徳による人道と、生活と生育による経済を、人類社会における人生の二つの道として掲げられる。
・生産:資本・労働・経済の能力・企業心の働きが必要な四点として挙げられる。
  この四点が一致することで、一国の生産力が延びる。

「ダルマさん」と呼ばれ、国民から親しみと信頼を持たれた高橋是清という政治家の死に国民は慟哭します。
奴隷から総理大臣まで経験した偉大なる人物を失った日本はその後、破滅への道を歩んでいきます。
翌年に日中戦争が勃発し、国を滅ぼす大戦への絶望的な道を前に、命を駆けて日本の舵取りをしようとした幕末最後の武士。

今の日本にこそ、平成の高橋是清が望まれている時代はないのかもしれません。

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以下参考までに、一部抜粋です。

【金融と資本】
 金融業は主として資本を取扱ふ一種の公共的機関である。
 資本とは国富即ち一国の生産力増加のため使用される金である。

世界大恐慌による経済難局】
 今回の経済不況は人類の生活に必要なる物資の欠乏に基くものでないことは明かであつて、むしろ供給過剰のため物価が暴落し生産設備は大部分休止するといふところにあつた。
 換言すれば生産と消費との間に均衡を失したところにその原因があつたのである。
 ゆゑにその対策としては両者の均衡を得せしむることで、これは適正量の通貨供給に俟つ外はなかつたのである。
 先づ低金利政策をとることがその基礎的工作であつたのである。

【資本と労力の関係】
 資本が、経済発達の上に必要欠くべからざることはいふ迄もないことであるが、この資本も労力と相俟つて初めてその力を発揮するもので、生産界に必要なる順位からいへば、むしろ労力が第一で、資本は第二位にあるべきはずのものである。
 ゆゑに、労力に対する報酬は、資本に対する分配額よりも有利の地位に置いてしかるべきものだと確信してゐる。
 即ち『人の働きの値打』をあげることが経済政策の根本主義だと思つてゐる。
 またこれを経済法則に照して見ると、物の値打だとか、資本の値打のみを上げて『人の働きの値打』をそのままに置いては、購買力は減退し不景気を誘発する結果にもなる。

【低金利政策】
 私は低金利政策の遂行は、ひとり事業経営者の負担を軽減して、不況時に際し経済界を恢復に導く方策のみならず、実に労資の円満なる和合を促進せしむるものと信じてゐる。この意味からも、尚低利政策を進めたいと思つてゐる。
 しかしこれは経済界の実情、金融界の事情等を検討して、実際に適応する様に遂行すべきことが主で為政者はこの点に常に留意すべきことはいふまでもない。

【日本人の勤勉さ】
我が国民が世界に比類なく勤勉なことである。いくら為替安であらうが廉価であらうが、輸出品が劣悪であれば、今日のごとき邦品の海外進出は到底望まれるものではない。刻苦精励、工夫を凝らし生産設備を改善し、研究に研究を重ねて今日の結果を招来したのであつて、このたゆまざる永き努力の上に、徐々に躍進の素地が築かれて来たのである。

【経済効果】
 経済的の施設は一朝一夕にその効果を望めるものではない。少くとも二年ぐらゐ経たなくては真の効果は挙げ得ないのである。

【緊急政策】
 緊縮といふ問題を論ずるに当つては、先づ国の経済と個人経済との区別を明かにせねばならぬ。

【倹約と支出】
 言ふまでも無く、如何なる人の生活にも、無駄といふ事は、最も悪い事である。これは個人経済から云へば、物を粗末にする事である。
 倹約といふ事も詮じ詰れば、物を粗末にしないと云ふ事に過ぎない。しかしながら、如何に倹約がよいからと云つて、今日産業の力を減退させるやうな手段を取る事は好ましからぬ事だ。
 もとより財政上緊縮を要するといふ事はあるが、その場合には、なるべく政府の新たなる支出を出来るだけ控目にする事が主眼で無くてはならぬ。

【仕事の中止】
 かかつた仕事まで中止するといふ事は考へものだ。
 これを止めるとか中止するとかいふには十分に事の軽重を計り、国の経済の上から考へて決せねばならぬ。
 その性質をも考へず、天引同様に中止する事は、あまりに急激で、そこに必ず無理が出て来る。その無理は即ち、不景気と失業者となつて現れ出づるのである。
 工事を止めたために、第一に請負人が職を失ふ。又これに従事せる事務員、技術者、労働者及び工事の材料の生産者、その材料を取次ぐ商人等の総ては、節約又は繰延べられたるだけ職を失ふのである。
 これらの人々が職を失ふ事は、やがて購買力の減少となり、かやうな事が至る所に続出すれば、それに直接関係なき生産業者も、将来に於ける商品の需要の減退を慮つて、自分の現在雇傭せる労働者を解雇して、生産量を減少するやうになる。
 その結果は、一般の一大不景気を招来するに至るのである。
 かくのごとき事は国家経済の上から、よほど考慮を要する事柄である。

【金解禁は自主的である理由】
 やれ対米為替が上つたから、やれ英米金利が下つたから、金解禁に好都合になつたと、有頂天になつて居る者もあるが、それは少し早計でないかと考へる。もとより今日金解禁をなすに就ては、外国市場の金利為替相場等の影響も考慮せねばならぬが、もつと、大事な事は、これを自主的にきめる事である。
 自主的の準備とは、我が国の国際貨借の関係に於て、支払いの立場に立たぬやう、国内の産業、海運その他の事業の基礎を確立する事である。

【人々の働きと経済発展】
 今後は漸次働く者が働き易き時代に移ることとせねばなりません。それには人々の働きを尊重せねばなりません。これ経済発展の第一条件であります。
 しかしながら、折角のその働きを浪費せざること、即ち無駄を省くと云ふ事も亦国民の十分注意を払はねばならぬ点であると思ひます。

【国家】
 国家といふものは、自分と離れて別にあるものではない。国家に対して、自己といふもののあるべき筈はない。自己と国家とは一つものである。

【職業】
 人生を観るに、人は職業に成功すると云ふほど大切な事はないやうです。
 而して職業に成功するのが、人類生存の基準であると申して過言でなからうと思ふのです。
 されば人として職業のないほど、恥かしいことはないのであります。

【信頼】
 一家和合といふことは、一家族が互に信頼するといふことから起る。
 信頼があつてこそ、出来ることだ。
 また経済界においても工業、銀行、商業など各種当業者の間に相互の信頼があり、資本家と労働者の間にも、同様信頼があつてこそ、繁栄を見る事が出来るのである。

【事実に基づく重要性】
 経済の問題は申す迄もなく非常に複雑したものであります。
 何か一つの極まつた問題に就て具体的に御話しやうと云ふのには事実に就て御話をせねばならぬのである。

【人道教と経済教】
 私が浅い学問浅い経験とを以てこの人類社会を考へるとこの人生には二つの道があるやうに思はれる。
 その一つは即ち人道教、いま一つを経済教と私は名付ける。
 人道教と云ふ方はこれは人類の徳性を涵養して所謂道徳を進める方の道である。
 宗教の方にも関係を有つ教育の方にも関係を有つ。
 経済教の方から云ふと、その極致は人類の生活慾を満足させることが経済教の極致である。
 生活慾と云つたらあまり露骨かも知れないけれども即ち生育の慾である。
 これは人間ばかりぢやない総ての動物植物に至るまで、生育があつて存在するのである。
 もし、生育がなければそのものは無いのである、して見れば人類には無論成育があるのである。
 経済教の極致はこの生育の慾を満足させることが要諦である。
 とかう私は観察するのである。

【生産】
 生産に必要なものは何であるか、今日では先づ四つと云はれて居る。
 資本が必要である、労働が必要である、経済の能力が必要である、企業心の働きが必要である。
 この四つのものが揃はなければ生産力は伴はない、企業心と云ふものがなければ物の改良も拡張も出来ず、新規の仕事も起せない。
 多少の危険がある。
 初めて企業を起す、それが先駆となつて商業でも製造工業でも発達して行くのである。
 その企業に必要なのはやはり経営者なのである、それだけ力のある人が経営しなければやはり外国との競争に対抗して行く訳にはいかない。
 又資本も豊富でなければ、外国と比べて見て資本が少なければこれも対抗して行く訳にはいかない。
 労働もその通り労働者の能率が外国の労働者に劣つて居つた場合には、我が国の生産品が外国の生産品に負ける結果になるのである。
 この四つのものが能く進んで行つて初めて一国生産の力と云ふものが本統に発達して行くのである。
 今日あるいは労働問題とか資本対労働とか恰も資本と労働とが喧嘩をするやうなことが、世間で大分言論にも事実が現はれるが、これが離ればなれになつて生産が出来るものではない。
 国力を養ふことは出来ない。
 この四つのものが一致して初めて一国の生産力は延びるのである。

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政談より学ぶ!荻生徂徠が説く経世済民と礼楽刑政の道!

荻生徂徠は、朱子学に立脚した古典解釈を批判し、古代中国の古典を読み解く方法論としての古文辞学(蘐園学派)を確立した江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者です。
「道として民を利することができなければ、それを道と呼ぶことはできない」
柳沢吉保や8代将軍・徳川吉宗への政治的助言者でもあり、吉宗に献上した政治改革論の意見書『政談』には、徂徠の政治思想が具体的に示されている著書として知られており、日本思想史の流れのなかで政治と宗教道徳の分離を推し進める画期的な著作です。

この『政談』以降、経世論(経世思想・経世済民論)が本格的に生まれてきました。
ちなみに経世論とは、「経世済民」のために立案された諸論策もしくはその背景にある思想です。
現代でいうところの「政治学」「政治・政策思想」「経済学」「経済思想」「社会学」「社会思想」など広範な領域を含んでおり、さまざまな社会矛盾の問題にいかに対応するかという権力者への献言・献策として、以下のような書物が執筆・刊行されました。
集義和書、集義外書、大学或問(熊沢蕃山)
・政談(荻生徂徠
・経済録(太宰春台)
・経済録拾遺(太宰春台)
・統道真伝、自然真営道(安藤昌益)
・価原(三浦梅園)
・赤蝦夷風説考(工藤平助)
・三国通覧図説(林子平
・海国兵談(林子平
・西域物語、経世秘策(本多利明)
・稽古談(海保青陵)
・夢の代(山片蟠桃
・経世談(桜田虎門)
・混同秘策(佐藤信淵
・新論(会沢安)
・経済要録、農政本論(佐藤信淵
・慎機論(渡辺崋山
・戊戌夢物語(高野長英
・経済問答秘録(正司考祺)
・東潜夫論(帆足万里)
・広益国産考(大蔵永常)
・海防八策(佐久間象山
・国是三論(横井小楠
武教全書講録(吉田松陰)

そんな『政談』です。

この書物ほど、江戸の社会体制のありようを根本から論じたものはありません。
社会観察が細かく、その細かに捉えられた墳末とも思える事象が、いずれも社会の深部で進行している大きな変化に由来する只ならぬ問題の表出であることが解明されていきます。
徂徠は、江戸の社会が綱吉の治世の頃から大きく変容しており、貨幣・商品・市場の力が浸透して、伝統的な人間関係が、人々の気付かないうちに解体を始めたことや他人に気を配ることを忌避するあり方「面々構」という印象的な言葉で表現しました。
このように現実を捉えた徂徠は、政教分離を説き、その全面的な制度改革を吉宗に訴えた訳です。

・困窮が社会の混乱の原因になるため、国を豊かにすることが治世の根本と考え、
・人と土地との結びつきを、戸籍や旅券などによって把握することを提案
・武士や百姓と土地の関係を重視する反面、商人の商売はそれとは異質であることを認め
・自然に発生する風俗と、人為によって定めた制度を区別
・誠の制度として歴史感覚や程度問題を考慮すべき
・制度においては、それによって倹約も可能となることから、各々の分限や節度を重視
・人を使う道と、人が取り扱う法は区別。人があっての法であり、その上での法による支配の重要性を説き
・人の住処をはっきりさせて、適切な制度を立てることによって、経済は適切に動いて世界は豊かになる
と考えたのでした。

では、そのエッセンスを抽出してみましょう。

【困窮と富豊】
経済を論じるためには、困窮の悲惨さを考えておくことが重要
困窮が礼儀作法の喪失につながるため、困窮を病気に例え、国家においては困窮しないのが治めの根本であるということです。
古代の聖人が立てた法制の基本は、上下万民をみな土地に着けて生活させることと、そのうえで礼法の制度を立てることであるというこです。

【風俗と制度】
武士は米を貴ぶ気持ちを無くしてお金に執着するから、商人にいいようにお金を吸い取られて困窮すると考えられています。
落ち着かない風俗においては、法律も上のものが下を思いやることなく勝手に定めるため宜しくないというのです。
制度とは、分限を立てて世界を豊かにするものなのです。
少し注意が必要なのは、風俗によって自然と成立したものは制度とは認められていないことです。

【誠の制度】
誠の制度とは、時代によって変わることない人情をもって、過去を顧みて未来を憂うことによってもたらされるのです。
さらにその制度は、質素がよくても質素過ぎてはよろしくなく、華やかであっても華やかすぎてもよろしくなく、すなわち程度を考慮すべきことが示されているのです。

【制度と人の関係】
下の者は、天下世界のために心身を労することがないと考えられています。そのため、上の者が天下世界のために心身を労して考え、末永く続き万民のためになる制度を立てるべきことが語られています。
また、徂徠は、〈総じて天地の間に万物を生ずる事、おのおのその限りあり〉という考えに立って、各人の分限に応じて、限りある資源を配分すべきことが語られています。
その上で、制度を立てることによって、分を守るようにするというのです。
国の秩序を守るには、人に道義を説いたところで何の解決にもならない、筋道だった計画、新たな制度が必要だと徂徠は断言しています。

【人材育成】
人は用いて始めて長所が現れるものなので、人の長所を始めから知ろうとしてはいけないのです。
その上で、人はその長所だけを見ていればよいし、短所を知る必要はありません。
なお、自分の好みに合う者だけを用いることのないようにし、用いる際には小さい過ちをとがめず、その仕事を十分に任せるのです。
器量をもつ人材であれば、必ず一癖あるものなので、癖を捨てず、ただその事を大切に行えばよいのです。
上に立つ者は、己の才智によらず、下の者と才能や知恵を争うことなく、その「才智」をみぬき、それを用いる力量に求めました。
良く用いれば、事に適し、時に応じる程の人物は必ずいるものです。
「言語・容貌」を慎み、下の者を大切にし、その力をふるわせる作法こそは指導者たる者が身につけておかねばなりません。

【万民と土地】
戸籍や路引などの政策から分かるように、徂徠は人と土地との結び付きを重視しています。
特に武士については、〈身貴ければ身持も自由ならず、気の詰る事がち也〉とあるように、武士の気苦労がしのばれます。
万民についても、土地と結び付けることの重要性が指摘されています。
ただし、商人は、急に大金持ちになったり、一日で没落したりして、定めなく世を渡る者だというのです。
それに対し、武士階級や百姓は、土地との結びつきが強いため、それを考慮する必要がありますが、商人は勝手に商売してろということです。

そもそも都市と田舎の境界がなくなってしまったのが、この境界ができていないため、どこまでが江戸の内で、ここから田舎という限度がなくなってしまっているというのです。
勝手に家を建てならべていった結果、江戸の範囲は年々に拡がってゆき、誰が許可を与えたというわけでもなく、奉行や役人の中にも誰ひとり気がつく人もいない間に、いつの間にか北は千住、南は品川まで家つづきになってしまった。
従って、都市と田舎の境界がなければ、農民はしだいに商人に変わっていき、生産者が減少して国は貧しくなるものであるというのです。

【法と道】
法を立てずに何でも自由にできてしまうことを戒めています。さらに、罰則を伴う法による支配を提示しています。
法と人の関係については、法は人次第であり、人が法を取り扱うところにおいて、道があらわれます。
人を知り、人をつかうことにおいて道があり、その取り扱うものとして法があるのです。
とるべき方法としては、政治の根本に立ち返って、やはり現在の柔弱な風俗をもとにし、古代の法制を勘案して、法を立て直すのが肝要ということです。
政治の根本は、とにかく人を地に着けるようにすることであって、これが国を平和に治めるための根本なのであるとしています。

【戸籍と路引】
国を豊かに富ますことが、治めの根本であると徂徠は考えています。
治めの根本は、人が土地に根付くことであり、そのために戸籍・路引の二つが必要ということです。
戸籍によって国民の所在をはっきりさせなければ、世の中は混乱するということです。
路引とは旅券のことです。人の移動を、路引によってはっきりさせよということです。
この戸籍と路引の二つによって、国民の居場所を把握することの重要性が示されています。
自由すぎると、害悪が多くなるというのは重要な指摘です。

とにかく戸籍の法を立てて、人を土地に着けるという方法が、古代の聖人の深い知恵から出たものであることをよく理解しなくてはならないということです。
根本を重んじて、枝葉末節を抑えるのが、すなわち古代の聖人の原則。
根本というのは農業であり、末節というのは工業や商業です。
工業や商業が盛んになると農業が衰えるということは、歴史上の各時代を見ても大体そのとおりで、これもまた明らかな事実であるということです。

徂徠は、結論として、国民の住処を把握し、それぞれに合った制度を立てることで、世界の流通が活発に動いて経済が正しく直り、豊かさがもたらされると説きました。
そして、天下を治める道とは、民が安心して生活できること(経世済民)であり、そのためには儀礼・音楽・刑罰・政治などの制度(礼楽刑政)を用いて、人民の意見や才能を育み、発揮させることが肝要であるとしたのです。
さらに、六経に記された礼楽刑政を知るためには、古文辞(古語)を学ばねばならない(古文辞学)と唱えた人物でした。

こうした教えは、今の時代にも十分に通用するものです。
そのエッセンスを生かすべく、何をなすべきかを考えて参りましょう。

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武教全書講録より学ぶ!時代に対する危機意識と忠誠観!

吉田松陰の主著の一つとされるのが山鹿素行の著書・山鹿流兵学の「武教全書」を講じた『武教全書講録』です。
この著述は、安政三年に子弟を相手に「武教全書」の序論にあたる「武教小学」を講じた講義ノートで、そういった意味では『武教全書講録』ともいえる講義録ですが、ただ内容を説明するだけでなく、松陰の思いや見解が付け加えられているところが特徴です。

この講義のテキストたる「武教小学」は「誠実であって自らを偽らず、つねに士としての正義を思って自ら励ます、これが人との交わりを最後まで続けていくための道」を論じているのですが、松陰はまず開講の辞として、こう述べています。
「国恩の事に至りては、先師、萬世の俗儒、外国を尊び我が国を賤しめる中に生まれ、独り卓然として異説を排し、上古神聖の道を究め、中朝事実を撰れたる深意を考えて知るべし」。

松陰は先師・山鹿素行の教えをさらに拡大解釈し、真剣勝負の日常こそが重要であり、浩然の気を養う大切さを説き始めます。
「所謂浩然の気を養うの『公孫丑上篇』工夫なり。
凡そ人は浩然の気なければ、才も智も用に立つ者にあらず。
この気は血気客気に非ず、人の本心より靄然として湧出し、如何なる大敵猛勢にも懼れず、小敵弱勢も侮らず、如何なる至難大難をも恐怖せず、宴安逸楽にも懈怠せず、確乎として守る所あり、奮然として励むところのある気、これなり」
また、時間を無駄に過ごす安逸な姿勢を厳しく断じてはこう説きます。
「武義を論ずるは固より書をひらいて購読することなり、然れども読書の弊最も多し。
或いは異俗を慕い、或いは時勢に阿り、或いは浮華に走り、或いは文柔に流るるの類枚挙に堪えず」。

なぜ、松陰は『武教全書講録』を講じたのでしょう。
松陰は、この講義の中での経世論いわゆる尊王攘夷論について忠誠観と対外認識に着目し論じています。
松陰の経世論とは、いかに西洋列強から日本の国體を守るかという論ですが、松陰の忠誠観や対外認識及び政策は、幾度も変化していきます。
松陰の忠誠観は、潜在的に朝廷や幕府に忠誠を内包しながら藩に忠誠を尽くすという構造からはじまり、朝廷を頂点とし次に幕府、そして藩という構造を経て、朝廷と藩という忠誠観を形成ながらも、最終的には、朝廷と天皇、藩と藩主毛利敬親を分離し、天皇を頂点に藩主毛利敬親を次に置き個人を中心とする忠誠観を形成するに至っています。
いわゆる、忠・孝・武、そして義ですね。
こうした考えは『士規七則』※)の「三.武士の道は義より大切なものはない。義は勇気によって行われ、勇気は義によって成長する」にも表されています。
※)『士規七則』については”吉田松陰の命日に想う”http://ift.tt/2vE2KqK

松陰は、時代に対する危機意識から生涯を通じて幕末激動の時代と対決し、それを死を賭して対峙し続けました。
やがてその死の意味と思いは、明治維新という近代日本への一大変革へと開花し成し遂げられたといっても過言ではないでしょう。
翻って、混沌とし人も国家も自らの姿とあり方を見失いがちな現代にあって、こうした危機意識をそれぞれが持ち合わせ、自ら考え精神練磨する中から、初めて目前の問題を探り当てる方途を探り当てることができるのではないでしょうか。
このような危機感を日常の中で多少なりとも感じているからこそ、松陰が、そして『武教全書講録』が今間われる所以なのかもしれません。

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以下参考までに、『武敎全書講録』原文から一部抜粋です。

先づ士道(しどう)と云ふは、
無禮(ぶれい)無法(むほう)
粗暴(そぼう)狂悖(きょうはい)の
偏武(へんぶ)にても濟(す)まず、
記誦(きしょう)詞章(ししょう)
浮華(ふか)文柔(ぶんじゅう)の
偏文(へんぶん)にても濟(す)まず。

眞武(しんぶ)眞文(しんぶん)を學び、
身を修め心を正しくして、
國を治め天下を平かにすること、
是(これ)士道(しどう)也(なり)。

國體(こくたい)と云ふは
神州は神州の體(たい)あり、
異國は異國の體(たい)あり、
異國の書を讀(よ)めば、
兎角(とかく)異國の
事のみを善(よ)しと思ひ、
我國をば却つて賤(いやし)みて、
異國を羨(うらや)む様(よう)に
成り行くこと
學者の通患(つうかん)にて、
是れ神州の體は、
異國の體と異なる
譯(わけ)を知らぬ故也。

士たる者は
三民(さんみん)の業(ぎょう)なくして
三民(さんみん)の上に立ち、
人君(じんくん)の下(しも)に居り、
君意(くんい)を奉(ほう)じて
民の爲に災害
禍亂(からん)を防ぎ、
財政輔相(ほしょう)を
爲すを以て職とせり。

而(しか)るに今の士たる者、
民の膏血(こうけつ)を搾(しぼ)り
君の俸禄(ほうろく)を攘(ぬす)み、
此の理を思はざるは、
實(じつ)に天の賊民を謂ふべし。

此(ここ)の處(ところ)
人々自ら考へ、
三民の長たるに負かぬ如く
覺悟し給へ。

漢籍(かんせき)を讀(よ)んで
漢土(かんど)を羨(うらや)みて
我國(わがくに)を遺(わす)れ、
漢土(かんど)の先王(せんわう)を尊みて、
我國の神聖を
疎(おろそ)かに心得る類(たぐひ)、
是れ皆不究理(ふきゅうり)の弊(へい)なり。

何事に依らず
形跡に拘泥(こうでい)せずして、
神理(しんり)を會得(えとく)すること
緊要(きんよう)にて、
禮義作法(れいぎさほう)に於て
最も其の理を思ふべし。

禮義作法は
總(すべ)て君臣の義、
父子(ふし)の親(しん)、
夫婦の別(べつ)、
長幼の序)、
朋友の信に
落着(らくちゃく)することなるに、
其の所には
反つて心附かずして、
威儀(いぎ)容止(ようし)の節(せつ)、
宮室(きゅうしつ)衣服の制等の
瑣事(さじ)に拘はること、
是れ大いに誤りなり。

行住坐臥
暫くも放心せば則ち必ず変に臨みて常を失ひ
一生の恪勤
一事に於て闕滅す。
変の至るや知るべからず」と云ふは
細行を矝まざれば
遂に大徳を累はすと云ふと同一種の語にして
最も謹厳なる語なり。

夫婦は人倫の大綱にて
父子兄弟の由って生ずるところなれば
一家盛衰治乱の界、全く茲にあり。
故に先づ女子を教戒せずんばあるべからず。

男子何程剛腸にして武士道を守るとも
婦人道を失う時は
一家始まらず
子孫の教戒亦廃絶するに至る。
豈に愼まざるべけんや。

而して逸近女子の教戒を以て
重事とする者あることを聞かず。

又貝原氏の書或は心学者流の書等を以て教えるところあり
是れ尤も正しく尤も善し。

然れども柔順、幽閑、清苦、倹素の教えはあれども
節烈果断の訓に乏し。

滔滔たる父兄
要は皆其の忠心なし
故に児女其の教戒を聞かず。

故に人の妻と成りて
貞烈の節顕はれず、
人の母となりて
其の子を教戒することを知らず。

是れ父兄女孫も
矇昧にして無教戒の世界に死す

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三酔人経綸問答より学ぶ!東洋のルソーが説く友好重視の姿勢について!

中江兆民は、明治時代の思想家、ジャーナリスト、政治家であり、フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーを日本へ紹介して自由民権運動の理論的指導者となった事で知られ、東洋のルソーと評された人物です。
そんな兆民が記した『三酔人経綸問答』は、3人の男が酒を飲みながら日本の針路について議論する話。
・西洋近代思想を理想主義的に代弁する洋学紳士
膨張主義的国権主義思想を説く壮士風の豪傑君
・これを迎える現実主義的な民権拡張論者の南海先生
の三者の問答形式で,日本がいかにあるべきかを論じたもので、近代の日本の政治・軍事・社会・文化の根本問題が浮き彫りにされていますが、実は隣国との歴史問題、領土問題で対立を深めつつある現代にも通じる内容で、今後の日本の方向性を考えるヒントとなる著書です。

ざっとその内容を整理してみます。

【洋学紳士の主張】
・民主制の確立、軍縮・平和主義の理想を主張する、非武装民主立国論者。
・役に立たない軍備の撤廃=完全非武装の提唱。急な軍拡は経済を破綻させるため、他国への侵略の意思が無いことを示す方がいい。
・世界の国々が民主制を採用することにより戦争が起こらない状態が作れると論じる。
・政治的進化の信奉者である紳士は、人類が最後に到達する最高の政治形態である民主共和制の採用を主張する。
・世界平和の実現と各国における民主共和制の採用、国際連盟の提唱(兆民は世界国家論)。
・日本への侵略に対しては、非暴力・無抵抗に徹する(絶対平和主義の立場)。国家の防衛は道義に適うか。「防衛中の攻撃」も悪である。
・もし非武装につけ込んで、凶暴な国がわが国に侵攻したらという問いに対し、まずは説得して、それがダメなら弾に当たって死ぬだけの覚悟を持とうと呼びかけている。
・結果、日本が国として滅びても(世界市民主義の立場)、後世のための一つの先例となればいいと主張。

【豪傑君の主張】
・近代史の前例を踏まえた力の行使を主張する、対外戦争論者。
・現実に戦争が存在する以上、軍事強化が大切。しかし急激な軍事大国化は不可能。
・内政において守旧派と改革派の対立が不可避である現実を踏まえている。
・対外戦争によって国論をまとめ発展させ、守旧派の一掃をはかろうと考える。
・力による抑止力を重視し、軍事大国化と日本の文明化の自覚を喚起する。

【南海先生の主張】
・洋学紳士の理想と豪傑君の力を折衷した平和的友好関係の樹立への努力を主張する、現実主義者。
・紳士の考えは未来のユートピア、豪傑君の考えは過去の戦略で、双方とも現在に役に立たない。
・両者とも国際社会を弱肉強食の世界として固定化するが、国際社会のニ面性(パワ―・ポリティックスと国際法の拡大)とその可変性への注目が大切。
・日本への侵略に対しては、国民的総抵抗で対処する(ナショナリズムの意識)。ゲリラ戦と民兵制の採用。
・世界各国との平和友好関係の樹立への努力と大幅な軍縮
・列強諸国の勢力均衡を前提として、日本は必要な軍備で自衛し、決して外に打って出るべきではない。
・一方の国が不安定で神経質になると、もう一方の国も不安定になる「安全保障のジレンマ」がおきてしまう。
・「安全保障のジレンマ」に陥る愚を避け、諸国と友好関係を築いていくべきである。

参考:中江兆民の『三酔人経綸問答』

以上のように、著書の中では、
・民主主義者である洋学紳士は自由・平等・博愛の大義による徹底した民主化と非武装平和論を説き、
・侵略主義者の豪傑君は軍備拡張と大陸侵略とそれをてこにした国内改革による国権の確立を主張し、
・現実主義者の南海先生は、対外的には平和外交と防衛本位の国民軍構想を、国内的には「恩賜の民権」から「回復の民権」へ、「立憲制」から「民主制」への漸進的改革を
唱えました。
こうしたことから兆民の思想は、国内外の歴史的条件を俯瞰した上での実践的な選択を採る南海先生の議論に沿いながらも、近代文明の基本理念を堅持し歴史進化の理法を確信する洋学紳士の主張と、帝国主義化する西洋諸列強の現実に即応する豪傑君の主張を並べることで、『三酔人経綸問答』を日本の近代化過程全般を見通しうる政治理論書として纏め上げていったのです。

今年は今年は第一次世界大戦から101年目で、敗戦から70年という節目の時期にあたります。
※)このあたりのことは、”歴史や古典から学ぶこと!100年前・69年前から日本の未来を見据えてみよう!”も参考にしてみてください。
こうした時期にあたり、私達は改めて歴史から学び、冷静な事実の判断力が求められます。

ネットやメディアからの安易で一方的な情報だけに惑わされて隣国をただ敵視するのではなく、多様な議論と相手への理解を元に、相互の立場のバランスを考慮した協調の道を辿っていきたいものですね。

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ギュスターヴ・ドレ:荘厳なる挿絵・絵画の天才!

今年は、著名なる画家・版画家・挿絵画家・彫刻家であるポール・ギュスターヴ・ドレの生誕から185年目。
ドレの名前はご存知なくとも、その荘厳なる挿絵はどこかで見た事があるはずです。
以前に整理した神曲失楽園、聖書などにおける理解を一助としても、古来からドレの挿絵は多くの人たちに親しまれてきました。
※)過去の整理した内容については、以下を参考にしてみてください。
壮大な抒情詩『神曲』!実はたった一人の女性に捧げられた愛の形!
旧約聖書:エクソダス 神と王をきっかけにして。
新約聖書:キリスト降誕祭と羊飼いから。
スーパーナチュラルを通してみるミルトン・失楽園!

挿絵画家としてダンテやバルザック、フランソワ・ラブレー、ミルトン、バイロン、イギリス版の聖書やエドガー・アラン・ポーの『大鴉』の挿絵を手がけ、生前から国際的にその名を知られていました。
Orlandobabel

実はあまり知られていないですが、大きな絵画も制作しており『地獄第9圏のダンテとウェルギリウス』(1861年、311x428cm、ブルー美術館蔵)、『謎』(オルセー美術館蔵)、幅6メートル・高さ9メートルの『法廷から退場するキリスト』(1867-1872年)などがあります。
Christ

古典大作を読み込むのは、なかなか敷居が高くて手を伸ばすのを敬遠しがちですが、ドレの挿絵を取り掛かりに、改めて古典にじっくりと取り組んでみてはいかがでしょうか。

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二宮翁夜話より学ぶ!小さなことからコツコツと!

江戸後期の農政家で思想家である二宮尊徳は、薪を背負った姿で有名なご存知、二宮金次郎です。
農家に生まれ、没落した家を再興し、幕末の頃、六百十余の諸藩・諸村の財政危機を立て直し、大飢饉から多くの人々を救い復興に尽力し、ついには幕臣となって活躍しました。
その実体は、歴史上まれにみる「再建の神様」「建て直し屋」で、個人的にもどこか親近感を覚えずにはいられないのですが、こうした二宮尊徳が生きた時代はまさに現在の状況と非常に似ているのかもしれません。

二宮尊徳の思想は、門人である福住正兄が尊徳の言葉を書き記した日本の経済論『二宮翁夜話』などで垣間見る事ができます。

『二宮翁夜話』に書かれていることは、ずばり経済についての考え方です。
尊徳は、小さなことの積み重ねが大きな成果となることを説いており、その手段のひとつが将来のために節約によって貯蓄することだと語っています。
併せて倹約については、用いるべきところのために行うことだと説いており、資本を作って国家を富有にし、万民を救済するために行われるべきだと語っています。
そして、節約や倹約と共に学問を行うことで貨幣や財産が集まると説いていますが、その考えは徳に報いる教えです。
尊徳は、特に衣食住である天禄を尊び、方法においては物事をはかるための分度を重視している訳です。
また、今日のものを明日へ譲り、今年のものを来年に譲り、子孫や他の人へ譲るという未来を見据えた譲道が肝要だと説いており、過去の恩を思って、恩を忘れないでいるべきだと語っています。
更には、村里の復興については、投票や表彰や無利息金の貸し付けなどの方法が提案されています。
こうした上で、日本人は日本に留まるため、日本のことをもっと知るべきだと説いており、日本国家における利は、個人的な利とは異なることだと語っています。

こうした教えは「仕法」と呼ばれ、報徳・勤労・分度・推譲の4つの徳目が柱となっています。
・報徳:生活の信条。天地人三才の恩徳への恩返しに働くという人生観。
・勤労:天地人から受け取る恩徳が無限であるために、力のかぎり働いて返そうという情熱。
・分度:実力に応じた生活の限度。資産に応じた消費生活。生活の分を守る計画的な消費。
・推譲:分度して余剰が出たらその多少にかかわらず他に譲ること。

二宮尊徳『二宮翁夜話』(巻之一~巻之五)
二宮尊徳「二宮翁夜話 続篇」

学校の校庭にある金治郎の銅像のイメージは、我慢忍耐、勤勉実直、質素倹約ですが、実際の尊徳は禁欲主義を否定し、人の欲を認め、まわりと調和させながら、心も金も同時に豊かにする実学を貫いた人物です。
徹底した合理主義と積極精神で増産計画を立て、人心を収攬し、次々に藩や郡村を再建していく過程で、実生活に根ざした独自の思想を確立していた訳です。
こうした実践思想は日本的経営の原点となっており、明治には渋沢栄一安田善次郎豊田佐吉はじめ代表的な事業家に多大な影響を与え、現代も多くの経営者が事業経営に大きく活かしています。

二宮尊徳の教えを学び実践することで、自信をなくしつつある日本人の魂の根底を揺さぶり、変えてくれる力を持つ『二宮翁夜話』。
「再建の神様」がひとりでも増えることを祈りつつ、ご一読ください。

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以下参考までに、一部抜粋です。

【大小】
「大事をなさんと欲せば、小さなる事を、怠らず勤むべし、小積りて大となればなり。
 千里の道も一歩づゝ歩みて至る。
 励精小さなる事を勤めば、大なる事必なるべし」
小さなことの積み重ねが、大きな結果につながることが示されています。

【倹約】
「我が倹約を尊ぶは用ひる処有が為なり、宮室を卑し、衣服を悪くし、飲食を薄うして、資本に用ひ、国家を富実せしめ、万姓を済救せんが為なり」
 倹約を尊ぶのは、用いるべきところのためだというのです。住居・衣服・飲食を粗末にするのは、資本を作り国家を富有にし、万人を救済するためだというのです。

【譲道】
「遠を謀る者は富み、近きを謀る者は貧す、夫遠を謀る者は、百年の為に松杉の苗を植う」
将来のことを考える者は富み、目先のことだけを考える者は貧するというのです。将来のことを考える者は、百年後のために松杉の苗を植えるというのです。
「譲は人道なり、今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲るの道を勤めざるは、人にして人にあらず」
 今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲り、其上子孫に譲り、他に譲るの道あり、雇人と成て給金を取り、其半を遣ひ其半を向来の為に譲り、或は田畑を買ひ、家を立て、蔵を立るは、子孫へ譲るなり、是世間知らずしらず人々行ふ処、則譲道なり」
雇人の給金の半分を使って、半分は将来のために投資することは、世間の人が知らず知らずに行っている譲道だというのです。

【天禄】
「人生尊ぶべき物は、天禄を第一とす、故に武士は天禄の為に、一命を抛つなり、天下の政事も神儒仏の教も、其実衣食住の三つの事のみ、黎民飢ず寒えざるを王道とす、故に人たる者は、慎んで天禄を守らずばあるべからず」
衣食住という天禄について、その重要性が指摘されています。

【分度】
「凡事を成さんと欲せば、始に其終を詳(ツマビラカ)にすべし」
物事の成就には、計画を細かく立てることが必要だというのです。
「我方法は分度を定むるを以て本とす。
 我が富国安民の法は、分度を定むるの一ッなればなり」
物事をはかるための分度が、基本的な方法として提示されています。

【恩】
「凡て世の中は、恩の報はずばあるべからざるの道理を能(ヨク)弁知すれば、百事心の儘なる者なり」
恩に報いることの重要性が示されています。
「明日助らむ事のみ思ひて、今日までの恩を思ざると、明日助らむ事を思ふては、昨日迄の恩をも忘れざるとの二ッのみ、是大切の道理也、能々心得べし。
 村里の衰廃を挙るには、財を抛(なげう)たざれば、人進まず、財を抛つに道あり、受る者其恩に感ぜざれば、益なし」
恩によって益が生まれるのであり、恩なくして益は生まれないとされています。

【富国】
「多く稼いで、銭を少く遣ひ、多く薪を取て焚く事は少くする、是を富国の大本、富国の達道といふ。
 貯蓄は今年の物を来年に譲る、一つの譲道なり。
 人道は言ひもてゆけば貯蓄の一法のみ、故に是を富国の大本、富国の達道と云なり」
「米は多く蔵につんで少しづゝ炊き、薪は多く小屋に積んで焚く事は成る丈少くし、衣服は着らるるやうに扱らへて、なる丈着ずして仕舞ひおくこそ、家を富すの術なれ、則国家経済の根元なり、天下を富有にするの大道も、其実この外にはあらぬなり」
将来のための節約が、富国へ至る方法だというのです。

【学問】
「人皆貨財は富者の処に集ると思へ共然らず、節倹なる処と学問する処に集るなり」
節約や倹約とともに、学問することで貨幣や財産が集まるというのです。
「我が教は、徳を以て徳に報うの道なり、天地の徳より、君の徳、親の徳、祖先の徳、其蒙る処人々皆広太也、之に報うに我が徳行を以てするを云」
これは徳に報いる教えです。その教えにおいては「勤倹を尽して、暮しを立て、何程か余財を譲る事を勤むべし。是道なり」とされています。

【経済】
「経済に天下の経済あり、一国一藩の経済あり、一家又同じ、各々異にして、同日の論にあらず」
天下・国家・藩・家などの単位において、経済は異なった様相を示すというのです。

【村里】
「村里の興復は、善人を挙げ出精人を賞誉するにあり、是を賞誉するは、投票を以て耕作出精にして品行宜しく心掛宜しき者を撰み、無利足金、旋回貸附法を行ふべし」
出精人とは、出精奇特人のことです。出精奇特人とは、尊徳の仕法開始にあたって、民風印新・農民教化のため、村民の投票によって選ばれ、村の平均以下の貧乏人の内で農業によく精出し、心がけもよい模範的な者のことです。
この出精奇特人を表彰し、無利息金貸付などを行い、自力復興の気運をおこさせるのが尊徳の荒村復興の第一要件なのです。

【日本】
「世人富貴を求めて止る事を知らざるは、凡俗の通病なり、是を以て、永く富貴を持つ事能はず、夫止る処とは何ぞや、曰、日本は日本の人の止る処なり、然ば此国は、此国の人の止る処、其村は其村の人の止る処なり」
人は、自身のとどまるところを知るべきだというのです。日本人ならば、日本という国家がとどまるところになります。
「国家の盛衰存亡は、各々利を争ふの甚しきにあり。
 天下国家、真の利益と云ものは、尤利の少き処にある物なり、利の多きは、必真利にあらず、家の為土地の為に、利を興さんと思ふ時は、能思慮を尽すべし」
国家単位における真の利とは、個人的な利とは別であることが示されています。

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瞑想と座禅の違いを表すなら、あなたはどう答えますか?

瞑想と座禅の違いを表すなら、あなたはどう答えますか?

端的にいえば、自我意識に集中するか、それを削ぎ落として無と化すか、でしょう。
瞑想では、自我に対して向き合い、自分や物事を客観的に観察するところから始まります。
そこには、自我への意図や到達点というイメージが存在し、そこに行き着くという何がしらかの欲が存在することになります。
その欲に集中していくための動機がある、とでもいえばよいでしょうか。
そのため、瞑想を行う手段としてマントラやセルフイメージを用い、自分と神や宇宙との合一、つまり一体感を求める訳です。
ですから、最近流行りのマインドフルネス瞑想やサマタ瞑想、ヴィパッサナー瞑想というのも、それぞれ意図するところに集中するためのメソッド、ということになります。

一方座禅では、こうした自我から離れ、捨て去ることから始まります。
自我を極力排除して、自我以外の存在を全感覚で受動的に感じ取る事によって、自我以外の存在に縁取られた自我自体の認識へと立ち戻る、ということです。
端的に言えば、自分の存在や自我を持ち込まず、ただそこに坐す。
思い浮かぶ想念や邪念を手放し、自己を無くし尽くすのみ。
ただ、無心、無心、無心。
仏教の空・無の境地です。

同じように捉えがちですが、そのアプローチもあり方も全く異なるもの。
今の自分のあり方を見据えた上で、何をどううまく取り入れていくかが肝要です。
うまく活用くださいね。

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山鹿語類より学ぶ!権威や権力に屈せず、義心を変えない大丈夫の心!

『山鹿語類』は、朱子学に疑問をいだき独自な古学を主唱した山鹿素行の講義を門人たちが集録した、45巻からなる講義録です。
内容は君道、臣道、父子道、三倫談、士道、士談、聖学、枕塊記などに分れ、儒学のあらゆる問題について論談し、素行学説の骨格をなすものです。

素行の士道論はその「士道篇」において、また朱子学を批判し孔子への復古を唱える復古的主張はその「聖学篇」で詳しく展開されており、後に「聖学篇」を要約して『聖教要録』まで刊行されています。
『聖教要録』については、聖教要録、配所残筆より学ぶ!日常の礼節・道徳の重要性!も参考にしてください。

そこで今回は「士道篇」に注目してみます。
「士道篇」は「この世は万物の陰陽ニ気の微妙な配合によって夫々の使命を持っている。(略)武士に生まれた以上、当然、武士として職務がなければならない。何の職分もなく徒食をしている様では、遊民と軽蔑されても返す言葉がないではないか。この点を深く考えねばならない」と始まります。
三民の上に立つ武士を「天下の賤民」だと諌め、武士とは斯く在るべきと説いていますが、当時は武家から政治家への変身・脱皮に照応する指導理念が求められる情勢が背景にあったことも、士道論が登場した理由のひとつにあるのです。
「士道」は「武士道」から「武」の一字を外したものですが、これはもはや合戦の場に戦闘者として臨むことの必要が無くなった武士が、平和の世に三民の師範たる「士」として立つことを要求されたために出てきた概念でした。
泰平の世に戦闘者としてでなく統治者として対処しなければならなくなった武士の存在根拠が、まさに「士道」論に定式化されているといっていいでしょう。
そのため素行の士道論は、「士」の道についての内面的自覚の要請はもとより、外面的表現としての威儀を正すことに重点が置かれています。
当時の武士はこれを熟読して遵守すべき心得を学ぶと共に、自らの士魂を精錬練磨し、その精神性を高めていったのです。

また、その士道論の根底には儒学がありますが、その性格は融通の利かぬ「理」ではなく、現実的な「情」に重きを置くものです。
そのため、以降の「武士道」自体が正義を道徳律の根本に置きながらも、その正義が衝突すると「仁」に重きを置き換え「武士の情け」という「情」を発揮していきます。
この「情け」が「武士道」の根底に有ったからこそ、上杉鷹山恩田木工らの人間信頼に基づく改革が成功したのであり、江戸時代267年という長きに亘って、世界史的に見ても殆ど戦渦の無い平安な時代を築けたともいえます。
更に、武士道が目指した究極の目標に「誠」という徳目がありますが、この字は「言」と「成」から出来ている様に、「言ったことを成す」ということで、此処から「武士に二言は無い」という言葉が生まれています。
こうした山鹿流兵学の精神は、やがて吉田松陰に受け継がれ、明治維新の峻烈で純度の高い気風を生み出していきます。
素行の唱えた士道は、嘗ての「美しき日本人」を鍛え上げた生き方であり、明治維新の最大の戦いであった会津戦争で、会津藩が無謀ともいえる戦いに臨んだのも、会津生まれの山鹿素行の教えが滔滔と流れていたからと思われます。
松平容保公の「たとえ義をもって死するとも不義をもって生きず」という言葉が、まさにその精神を表しているといえるでしょう。

武士の職分を全うし、激烈な行動を律する行動美学を体現すること。
これこそが、素行が『山鹿語類』の「士道篇」で伝えたかったことなのです。

素行は「士道篇」で度々「大丈夫」という言葉を使っています。
これは、確かで間違いない、という意味で使ったのではなく、志操堅固、質実剛健といった男の美学を集約的に具現化した男子であり武士の理想像を表すものです。
いかなる状況でも権威や権力に屈せず、義心を変えないあり方。
一命をかけても物事を遣り通す気概と覚悟により、人よりもぬきんでた働きを為す。
素行は、卓越し自立した堂々たる心構えを「剛操の志」と呼び、「大丈夫」たらしめる根幹としました。

日々の雑事に惑わされて志を見失いがちな現代ですが、こうした『山鹿語類』を参考としながら士道の精神をもって自らの志を全うしていきたいものです。

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以下参考までに、『山鹿語類』の目次です。

『山鹿語類』目次
・君道一:君徳・君職
・君道二:親親
・君道三:賢賢
・君道四:使臣
・君道五:民政上
・君道六:民政下
・君道七:治教上
・君道八:治教下
・君道九:治禮
・君道十:國用
・君道十一:治談上
・君道十二:治談下・・・・・以上1巻
・臣道一:臣體・臣職
・臣道二:仕法
・臣道三:臣談
・父子道一:父道・教戒
・父子道二:子道・孝教・養父母・事父母
・父子道三:父子談
・兄弟之序・夫婦之別・明友之信・惣論五倫之道
・三倫談
・士道:立本・明心術・詳威儀・愼日用・附録
・士談一
・士談二・・・・・以上2巻
・士談三
・士談四
・士談五
・士談六
・士談七
・士談八
・士談九
・士談十
・士談十一・・・・・以上3巻
・聖学一
・聖学二
・聖学三
・聖学四
・聖学五
・聖学六
・聖学七
・聖学八
・聖学九
・聖学十
・聖学十一
・枕塊記上
・枕塊記下・・・・・以上4巻

・「凡天地の間、二氣の妙合を以人物の生々を遂ぐ、人は萬物の霊にして、萬物人に至て盡、こゝに生生無息の人、或は耕して食をいとなみ、或はたくみて器物を作り、或は互に交易利潤せしめて天下の用たらしむ、是農工商不得已して相起れり、而して士は不耕してくらひ、不造して用い、不売買して利たる、その故何事ぞや」(士道立本)
・「凡そ士の職と云は、其身を顧み、主人を得て奉公の忠を盡し、朋輩に交て信を厚くし、身の獨りを愼で義を専とするにあり」(士道立本)
・「爰にをいて時々に自省み、己が過ちを改、気質の偏をたゞし、時と處とをはかつて其事物の用相叶ふべきことわりを了簡し、而して不レ流不レ蕩が如く平生内を省るときは、たゞす事詳なるを以て、己がつとむる事の是非邪正自然に明白にして、其つかゆる處あらんには、工夫して師により其關を透り得るが如く仕るべし」(士道明心術)
・「人富貴にいたりては、身に安を好で必ず其職を忘れぬべし、農工商の三民やヽもすれば富饒に至て身を失ひ家を滅すの輩世以て多し、中も士の職甚重く甚つとめがたし、任重して道遠し、故にやゝもすれば富貴に至て先祖の功を失ふこと多し」(士談一)

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騎士道精神!レディ・ファーストに繋がる紳士の美徳!

先に武士道に関しての整理※)を行いましたが、今回は武士道と対比される騎士道について、簡単にまとめてみたいと思います。
※)武士道については、こちらを参考にしてみてください。
 ・武士道より学ぶ!ますらをの道を行く大和魂!
 ・武士道より学ぶ!新渡戸稲造の表す思想と陽明学の精神!

騎士道(Chivalry)は、ヨーロッパで成立した騎士階級の行動規範です。
この行動規範は、
・優れた戦闘能力
・勇気
・正直さ、高潔さ
・清貧、蓄財をしない
・誠実、忠誠心
・寛大さ
・気高さ、気前のよさ
・信念
・礼儀正しさ、親切心
・崇高な行い、統率力
・信心、教会を守る
・弱者の保護
・主君への忠誠
といった徳目として
・騎士たるもの、常に女性を守るべし。
・騎士たるもの、真実のみを語るべし。
・騎士たるもの、主君に忠誠を誓うべし。
・騎士たるもの、教会に帰依すべし。
・騎士たるもの、貧しき者や弱き者を慈しみ、擁護すべし。
・騎士たるもの、勇敢であるべし。
・騎士たるもの、遠征の際は就寝時以外は常に甲冑と剣を身につけるべし。
・騎士たるもの、恐怖にのまれて危機から逃げるようなことは行わざるべし。
・騎士たるもの、戦闘や競技において常に腕を磨くべし。
・騎士たるもの、冒険から戻るたびにその偉業を説うべし。
・騎士たるもの、捕虜になった場合は武器と馬を断念し、合意をえて再び敵に挑むべし。
・騎士たるもの、敵に対しては1対1で戦うべし。
といった騎士が守り倣うべき戒律として定義されています。

西洋では女性や民を羊に例え、盗賊や悪党は狼、騎士は犬に例えます。
これは力というものが、物を奪うためのものなのか、守るためのものなのか、使う人次第であることを表しているのですが、これを厳格に行動規範としたものが騎士道なのです。

武士道と比較される騎士道ですが、武士道と大きく異なる点としてロマン騎士道としてのレディへの献身が挙げられます。
騎士階級が成立していた中世の時代には「宮廷的愛(courtly love)」といって騎士が主君の奥方を崇拝し、奥方の精神的な導きを求めつつ奉仕を行う文化がありました。
こうした騎士道精神が、紳士としての美徳として現代のレディ・ファーストに繋がっている訳です。
しかも、こうした紳士的振る舞いは男性だけではなく、男女を問わず西洋一般の行動規範へと繋がっているのです。

武士道は自身の誇りや尊厳を守るのに対し、騎士道はレディ・ファーストに代表されるように正しさ、清廉さを重んじるもの。

私達日本人の根底に流れる武士道精神ですが、物質的な豊かさと引き換えに誇りや尊厳に基づく精神的な軸を見失いつつあります。
しかし、こうした時代であるからこそ、騎士道の正しさ、清廉さの精神をうまく習合しながら、ひとりひとりが誇り高く生きていきたいものですね。

目標のひとつとしてご一考ください。

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