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知命立命 心地よい風景

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『三国志演義』第七十七回 玉泉山に関公霊を顕し、洛陽城に曹操神に感ず

呂蒙の謀は、麦城から逃げる関羽に伏兵を用いて捕らえるというものであった。
関羽の手勢は300余人であったが、彼らも呉からの投降を呼びかけられて降ってしまう有り様。仕方なく西川に逃れて軍勢を立て直そうとして、王甫と周倉を麦城に残して関平らとともに討って出た。そして、馬を進めること20里余り、突然銅鑼が鳴り朱然が押し寄せた。しかし関羽達が襲いかかろうとすると馬を返して逃げ出したので、追わずに先を急いだ。すると、またも行く手には松明を持った潘璋が立ちはだかり、関羽は怒って襲いかかった。ただ3合いで潘璋は逃げ出したので、逃げる敵を追わずにさらに先を急いだ。ゆくうちどっと左右から潘璋の部将、馬忠の伏兵が現れ、馬を倒された関羽馬忠に捕らえられた。関平がこれを見て助けに行ったが、朱然、潘璋らが追いついてきて、彼らに捕らえられてしまった。
関羽孫権の前に連れて行かれ、降るように勧められたが、決して降ら
なかったので関平とともに首を刎ねられた。
関羽没後、赤兎馬馬忠のものになったが、赤兎馬は馬草を食わず数日の内に死んだ。
呉は関羽関平の首をかかげて麦城に投降を呼びかけた。王甫と周倉は麦城にて自ら命を絶った。

さて、関羽の霊は成仏せずにこの世を漂っており、荊門州当陽県の玉泉山に来たとき、そこに住んでいた普浄という法名の老僧に会った。
関羽
「わしの首を返せ。」
と叫んでいたが、普浄に、
「前世の是非は言われぬがよい。因果を説いていてはきりがない。それでは、顔良文醜、五関の6将などは、誰に首を返せと言うであろうか。」
と言われて成仏した。

さて、荊襄を手にした呉では、呂蒙を上座にすえて大宴会を開いたが、その席で呂蒙関羽の霊にとり憑かれて七穴から血を吹き出して死んだ。
孫権は、蜀の報復を恐れて関羽達の首を魏に渡して、魏の指図であったかのように仕向けた。
首を受け取った曹操は、司馬懿の助言で呉の計略を見抜き、手厚く葬った。
関羽の首は生きているかのようだった。思わず笑って、
「その後、お変わりないか。」
と、言葉も終わらぬうちに、関羽の口が開き目が動いて、髪も髭も逆立ったので、あっと驚いて倒れた。
その後、曹操関羽に荊王の位を賜った。

さて、漢中王は、夢枕に関羽が立ち、不安を抱いていたが、そこに馬良、伊籍から荊州が落ち、関羽が敗走したという知らせが入った。続いて廖化から、劉封孟達に援軍を断られた事が伝えられ、張飛に知らせ、軍勢を集めた。しかし、夜も明けぬうちに、関羽討ち死にの知らせが舞い込んできた。
これを聞くなり劉備はその場に昏倒した。

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