知命立命 心地よい風景

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『三国志演義』第八十七回 南寇を征つべく丞相大いに師を興し、天兵に抗って蛮王初めて執を受く

さて、丞相諸葛亮は、成都で親しく政務を見、事の大小を問わず全て公平な裁断をしたので、両川の民は泰平を謳歌した。
建興3年、南蛮の孟獲が10万の大軍をおこして、建寧の太守ヨウガイもこれに与した。そして、シュホウ、コウテイは彼らに攻めたてられ城を開け渡した。これを鎮めるべく、丞相は自ら蒋琬を参軍、費禕を長史として、チョウウン、魏延を大将にして50万の軍を率いた。そこに関羽の三男、カンサクが丞相を訪ねて参戦を願い出た。丞相はいたく喜んで彼を先鋒にした。

ヨウガイは諸葛亮が自ら出てきたと知ると評議して、コウテイの配下のガクガンに先鋒を命じた。
ガクガンは魏延に捕らえられ、
「コウテイは忠義にあつい者であるがヨウガイの口先に引っかかってこんなことをしたのじゃ。コウテイに早く降参して無駄死にせぬように勧めて参れ。」
と丞相に言われて釈放された。
ガクガンは礼を述べてコウテイのもとに戻った。ガクガンはこの事を伝えるとコウテイは半信半疑でいたが、その後の戦いで捕らえられたコウテイの兵が釈放されたので、ヨウガイの首を取って丞相に降参した。しかし、丞相はコウテイを打ち首にするように命じた。
コウテイは、
「丞相の大恩にに感じましたればこそ、ヨウガイの首を取って参りましたのに、打ち首とは無体な。」
丞相は笑って、
「詐って投降して参った癖に何を言うか。ほれシュホウからの書面がここにあるわ。」
と一通の書面を見せた。
「これはシュホウの離間の計にございます。それがしがシュホウを捕らえて参ります。」
と言ってガクガンを率いてシュホウを捕らえに行った。シュホウはガクガンに捕らえられた。
コウテイがシュホウの首を持って丞相のもとに行くと
「わしはわざとそなたに功名を挙げさせてやったのじゃ。」
と大笑し、彼を益州太守に命じ、ガクガンを牙将にした。
かくして三軍は平定され、丞相はリョガイキヘイから「平蛮指掌図」という一枚の絵図面を得て南蛮の領内深く進んだ。
進軍を続けるところ、馬良の死が弟の馬謖から伝えられた。丞相は馬謖を参軍に任じて再び軍を進めた。

ヨウガイ等が破れたことを知ると蛮王孟獲は三洞の元帥、キンカンサンケツ、トウトナ、アカイナンと評議して討って出た。キンカンサンケツはチョウウンに討ち取られ、トウトナは張嶷に、アカイナンは張翼に捕らえられた。
丞相は、捕らえた2人を二度と悪事を働かぬように言い聞かせて釈放した。

怒った孟獲は自ら軍を進めたが、王平、カンサクに誘い込まれて大敗し、魏延に生け捕りにされた。
丞相が、
「先帝陛下はそなたに十分なお手当をされたのに何故謀反いたしたか。」
と聞くと孟獲は、
「両川の地は他人のものだ。貴様の主がそれを横取りして勝手に天子などとぬかしたまで。わしは代々この地に住んでおる者だ。貴様の方こそ勝手にわし等の土地に入ってきて謀反呼ばわりとは片腹痛いわ。」
と服従せず、
「参道が狭かったので間違って捕まったのだ。わしを放してくれるというなら、もう一度軍を整え勝負を着けに来る。もしももう一度わしを手取りにできたらお前の言うことを聞くことにしよう。」
と言った。丞相は彼を釈放し陣へ返してやった。

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