知命立命 心地よい風景

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『三国志演義』第八十一回 兄の讎うちに急りて張飛害に遇い、弟の恨みを雪がんとして先主兵を興す

先主が兵を興そうとした時、趙雲は諌めて、
国賊は魏であって呉ではありませぬ。すみやかに関中に討ってい出られ、逆賊討伐に向かわりますれば、関東の義士たちが自ら王師をお迎えいたしますこと必定でございます。」
「弟を殺した者を皆殺しにせねば、朕の恨みは晴れぬ。」
国賊に対する恨みは公のもの。兄弟の恨みは私事にございます。」
「弟の仇を晴らさねば、天下を得たとて嬉しくはない。」
と、趙雲の諌めも聞かずに軍勢を興した。さらに、蛮族の兵も借りて後援を頼んだ。
また、張飛も、関羽が東呉に殺されたと知ると、昼夜なく号泣した。気を紛らわそうと酒を飲んだが、酔っては荒れ、配下が少しでも規律を外れようものなら、鞭打ち、はては打ち殺してしまう有り様。
爵位を拝して、成都に駆けつけた張飛劉備に仇討ちを涙ながらに訴えた。そして、劉備は呉討伐に乗り出した。張飛が出ていく時、
「お前は配下を鞭打って、そのまま側に置くが、これは自ら禍を招くぞ。」
と忠告した。
さて、張飛は、3日以内に白旗白衣を整え、三軍白装束で呉を討つ事を下知した。范疆、張達が、もうしばらくの猶予を願い出たが、張飛は大いに怒って、
「わしは一刻も早く仇を討ちたいのだ。貴様等は大将の命令が聞けないのか。」
と2人を木に縛り付けて鞭打ちにした。そして、
「もし遅れたら貴様等の首はないものと思え。」
と言った。
幕舎に戻った2人は、
「奴に殺されるくらいなら、こちらが奴を殺した方がましだ。」
と密談し、酒を飲んで酔って寝ている張飛のもとに行った。そして隠し持っていた短刀を腹に突き立て、張飛は一声叫んで息絶えた。時に55歳であった。
さて、2人はその夜、張飛の首を持って東呉に向かった。
事の次第を知った呉班は、上奏文を持って成都に向かった。
劉備は上奏文を見るとわっと泣き声を上げ、その場に昏倒した。
翌日、張飛の長男張苞関羽の次男韓浩が父の仇討ちに現れた。
先鋒は張苞に任されたが、そこに韓浩が、
「貴公にその大任が果たせるものか。」
と進み出た。
劉備は、
「朕はそなた達の手並みがみたい。いずれが勝るか決め手つかわそう。」
と武芸の勝負をさせた。
弓矢ではどちらも勝負が着かず、張苞は矛を、韓浩は薙刀を出して切っ先を交えようとした。その時、劉備は、
「朕はそなた達の父とは義兄弟の契りを結んだ。さればそなた達もその仲にあるはず。父親の仇を討たねばならぬ時に同士打ちをして大義を忘れるとは何事か。」

と言って、1歳年長の張苞を兄として、韓浩と義兄弟の契りを結ばせた。
先主は詔を下して、呉班を先鋒に張苞、韓浩に自分の警護をさせて呉国へ向かった。

さて、范疆、張達は呉に降り、孫権は2人の降伏を許した。
そこに、蜀より軍勢が押し寄せているとの報告が入った。
一同、色を失って、顔を見合わせるばかりであったが、そこに諸葛瑾が「それがしが戦いをやめるように説かせて参ります。」
と進み出た。

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