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『三国志演義』第八十回 曹丕帝を廃して炎劉を簒い、漢王位を正して大統を続ぐ

さて、華歆等が献帝に上奏し、魏王に王位を譲るように迫った。
献帝はしばらく言葉もなくいたが、一同を見回して落涙した。さらに、リフク、キョシ、王朗にも上奏したので、激しく泣いて奥に入っていった。
しかし、曹昂曹休達にも強硬され、ついに魏王に王位を譲り、
「せめて、天寿を全うせしめよ。」
と願った。
曹丕は受禅台を築いて帝位に即き、献帝は山陽公に封じられた。
魏王が王位についたとき、にわかに狂風が起こり、雨あられと砂石を飛ばした。
曹丕はその場に昏倒した。百官が助けて息を吹き返したが、病がいっこうに癒えないので、許都は祟られていると疑って、洛陽に遷都した。

成都にもこの情報は早く伝わり、漢中王はこれを聞くと終日声を上げて泣き、百官に喪に服すことを命じた。諸葛亮は、許靖張繍と計って漢中王を奉じて帝にせんとした。しかし、上奏文を見た漢中王は、
「わしを不忠不義の人間に落とそうと申すか。逆賊の真似などできぬ。」
と言うなり席を立って奥に入っていった。その後も諸葛亮が諌めたが漢中王は頑として承知しなかった。
諸葛亮は病と偽って引き篭り、見舞いに来た漢中王に、
「大王を天子にいただき、魏を滅ぼして劉氏を再興して、ともに功名を建てんものと思いおりまするに、承知いただけないとは誠に残念に思います。このままでは一同離散するのも間違いありませぬ。」
「わしとて、聞けぬわけではないが、天下のそしりを招くのを恐れておるのじゃ。」
「この度は、大王が名を正して事を順おうとされますのに異議があろうはずがございますまい。」
「ならば、軍師の回復を待って、さよう事を運ぶとしよう。」
と漢中王が言うや、諸葛亮はがばっと起きて、衝立てを叩いた。すると、外から文武官が入ってきて平伏した。
そして張繍が祭文を読み上げて、諸葛亮が玉璽を奉り漢中王は天子を称し、章武元年と改元した。
翌日、劉備関羽の敵討に出る詔を降した。しかし、趙雲が階下に平伏して諌めた。

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