知命立命 心地よい風景

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『三国志演義』第七十二回 諸葛亮智をもって漢中を取り、曹阿瞞兵を斜谷に退く

徐晃は攻撃を仕掛けたが、蜀軍は一向に動かなかったので一時退こうとした。そこを蜀軍に叩かれ敗走し陣に戻った。そして、怒って王平に、
「わしの軍勢が危うくなったときなぜ加勢に来なかった。」
「それがしまで出るとこの陣が取られていたやもしれませぬ。」
徐晃は激怒して殺そうとした。王平はその夜、陣に火を放って蜀に投降した。
徐晃は、この事を曹操に伝えた。怒った曹操は兵を進め蜀軍を退けた。しかし、そこに諸葛亮の合図が出て、一斉に夜討ちをかけられ陽平関まで落ち延びていった。

陽平関を張飛魏延が襲ってきたので、許褚が兵糧護送と張飛を討つと申し出た。しかし途中で大酒を飲んでしまい、そこを襲われて敗走した。
曹操は自ら兵を率いて出るが大敗し、陽平関を棄てて落ち延びた。そして、行く手に曹彰が現れて斜谷まで導いた。
ある日、曹操は、料理の鶏の肋を見てふと胸につくものを感じた。触れを伺いに来た夏侯惇に、思わず「鶏肋」を口にしてしまう。意味の分からない夏侯惇は揚州に聞くと、
「肉を食えないが味わいがあって棄てられぬ。つまり、進もうと思ってもかなわず退けば笑われる。ともあれここにいても仕方ないので引き揚げるに越したことはござらぬ。近々陣払いが出されましょう。」
と答えた。
曹操は、夏侯惇の陣が荷物をまとめているのを見て事情を聞くと、大いに怒って揚州を打ち首にした。
そして、次の日斜谷から兵を出した。行く手に魏延が立ちたちはだかり、龐徳が激しく打ち合った。そこに馬超が討ち入った。曹操は、
「退く者は大将でも斬る。」
と剣を抜いて下知すると、皆が必死に進んだので、魏延はわざと退いた。ソウソウは魏延を追ったが、彼の矢を受けて落馬し薙刀で斬られそうになる。そこに龐徳が駆けつけ魏延を追い払った。曹操は手傷を負って帰陣したが、
矢によって門歯が二本欠けていた。この時、初めて揚州の言葉に思い当たることがあったので、彼の屍を手厚く葬って陣払いの命を出した。
そこに、斜谷の左右の山上に火が上がり伏勢が追いすがるとの知らせ。

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