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『三国志演義』第二十八回 蔡陽を斬って兄弟疑を釈き、古城に会して主臣義に聚る

 関羽夏侯惇に「わしを追ったりして丞相のお志を無駄にする気か」と言うと、夏侯惇は、「丞相からのお触れもなく人を斬って行くとは無礼にもほどがある」と言って突きかかろうとした。
そこへ、張遼が「各地の関所をお通しするようにとの丞相の仰せである」と馬を飛ばして現れた。
しかし、夏侯惇は部下を殺されているので引き下がらなかった。
「丞相が大度量をもって許しておられる事に背かれるのか」と張遼に言われて仕方なく軍をひいた。

 関羽等一行が山道に入った時、山賊の頭周倉と裴元紹に出会った。
周倉等は関羽に目通りが叶い同行することを許された。
裴元紹は周倉に「仲間がちりぢりになってしまうから、居場所が決まり次第迎えに来る」と言われ落胆した。

 一行は汝南を目指して進んでいたが、途中で張飛が役人を追い出して居座っている古城に着いた。
張飛関羽曹操の所に身を寄せていた事を裏切り者であると怒った。
甘夫人とビ夫人が関羽のいきさつを話したが信用しなかった。
そこへ、曹操の意向に従わずに蔡陽が追ってきた。
関羽はこれを迎え討って張飛の誤解を解いた。
そこへ糜竺の弟糜芳が合流した。

 汝南でリュウヘキとキョウトに劉備の居場所を尋ねると、再び袁紹の所へ身を寄せたと言われた。
関羽は、周倉に裴元紹を迎えに行かせて街道筋で落ち合うことにした。
孫権劉備の所に行き、関羽達の事を伝えた。
劉備は、劉表を味方にする事を袁紹に進言して出立した。

 関羽は国境の村里に宿をとって劉備を待った。
そして、その宿で再会を果たした。
宿の主カンテイの息子カンペイは劉備の仲立ちで関羽の養子となった。

 一行が出立してしばらくして、手傷を受けた周倉が現れた。
周倉が傷を負わされた所に行くとそこには趙雲がいた。
趙雲は、「公孫瓚が死に、殿のもとに参じようとこの地を通りかかったところ、裴元紹が馬を奪おうと山を下りてきたので討ち果たしました」と言った。
劉備等は趙雲との再会を喜んだ。

 さて、袁紹劉備が帰ってこないので怒ったが、郭図に劉備よりも曹操こそ大敵と諌められ、孫策とともに力を合わせることを進言した。

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