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『商君書』より学ぶ!曹操や劉備も学び、 秦の統一の道筋をつけた商鞅の「商君の変法」とは!

以前、法家について触れましたが、今回は全29編のうち24編が現存する、戦国秦の法家・商鞅の『商君書』(商子)という書についてです。
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そもそも商鞅は秦の孝公の宰相・大良造で、変法改革の令となる「商君の変法」を定め、富国強兵と厳格な法治主義を唱えましたが、孝公の死後、恨みをかい車裂きの刑に処せられた人物です。
そんな『商君書』は純然たる法家思想(「法」による統制)でまとめられており、三国時代曹操劉備も読んでいたといわれており、農業と戦争に重点を置いているのが最大の特徴でもあります。
主な内容としては、富国強兵の施策による君主権の強化であって、対外的には戦争、対内的には農業の重視と具体的方策の提示、厳刑主義の法治の遂行、学者・手工業者・商人の抑圧の主張が中心となっています。
こうした、平和時には耕作し戦時には戦う農民の重視、文民・手工業者・商人などの抑圧の思想は、後の韓非に継承された法家の重要な基本的態度となっています。

現行本は五巻編成で、『漢志・諸子略・法家』に「商君二十九篇」が、『同・兵書略・兵權謀家』に「公孫鞅二十七篇」がそれぞれ著録されており、これらのうち二十四篇が現存している他、篇名のみの「刑約篇」「禦盗篇」と、『群書治要』中に佚文が収録されている「六法篇」を含めると二十七篇となります。

では、ざっとその内訳を示しておきましょう。

巻次 篇名  問題点など (※成立時期は齋主の解釈)
卷一 更法篇 史記・商君列傳》《新序・善謀篇》にほぼ同文、《戰國策・趙策二》《史記・趙世家》に武靈王胡服騎射論争に仮託した類文がある。成立は戦国末~漢初。
墾令篇 更法篇篇末の「墾草令」を受ける形。成立は古く、本来の冒頭の篇か。
農戰篇 史記・商君列傳》賛に、「余嘗讀商君…耕戰書」とある。戦国中期~後期の作か。
去彊篇 比較的成立が古く、「説民」「弱民」の二篇は去彊篇を解説したもの。
卷二 説民篇 去彊篇後半部分の注釈とされている。成立は少なくとも去彊篇よりも後。
算地篇 地力を活かすことが主眼。徠民篇との関わりが深い。秦の昭襄王期の作か。
開塞篇 史記・商君列傳》賛に「余嘗讀商君開塞書」とあるも、成立は戦国後期。《淮南子》にも「啓塞」とあり、或いはこれが本来の篇名で、「開塞」は景帝の諱(啓)を避けたものか。
卷三 壹言篇
錯法篇 「離朱」「烏獲」の名があり、弱民、禁使と同一人の作か。成立は少なくとも秦の武王以降。
戰法篇 この三篇は兵法との関わりが深く、成立も古い。《荀子・議兵篇》に「秦之衞鞅、…是皆世俗之所謂善用兵者也」とある。兵守篇の「四戰之國、務在守戰」の句から、三晉との関わりを指摘する説(木村英一氏)もある。
立本篇
兵守篇
?令篇 韓非子・飭令篇》と酷似し、しばしばその前後関係が議論されている。
修權篇
卷四 徠民篇 「長平之勝」の句有り。昭襄王48年(前259)頃の范雎(はんしょ)の奏議文か。(拙稿準備中)
(刑約篇) 亡。篇名のみ。
賞刑篇 「周公旦」の名が見えるなど、儒家の影響がみられる。戦国後期の成立。
畫策篇
卷五 境内篇 戦国秦の軍功爵制の史料として注目される。成立が古く、原文が著しく乱れている。
弱民篇 去彊篇前半部分の注釈。「離婁」「烏獲」の引用などから、錯法・禁使篇や説民篇と同時の作と思われる。末尾の章が《荀子・議兵篇》と重複する。
(禦盗篇) 亡。「禦盗篇」の篇名は綿眇閣本に見える。
外内篇 韓非子・南面篇》に「説在商君之内外」とある。
君臣篇
禁使篇 「離婁」「(盗)跖」の名が見える。錯法・弱民両篇と同一人の作か。
愼法篇
定分篇 更法篇以外では唯一「公孫鞅」の名が登場している。内容は極めて具体性に富むが、成立は戦国最晩期~漢初。
群書治要 六法篇 《群書治要・卷三十六》に収録されている佚篇。更法篇の内容と若干類似する。

なお、参考までに「商君の変法」についても少し触れておきます。

商鞅が秦の孝公の宰相・大良造になった際に定めた変法改革の令となる「商君の変法」は、富国強兵と厳格な法治主義を唱えたものです。
その「商君の変法」と呼ばれる改革は、二回に分けて行われました。

第一回の改革は、秦の孝公3年(紀元前359年)で、
「五人組・十人組の連座制度」
「旅館に宿泊する時には、証明書の携帯を義務づける」
「軍功を上げたものには爵位を与える」
「農業の奨励」
「公族・貴族であっても、軍功のないものは身分を剥奪する」
「詩書を焼き捨て、政府の定める法令を社会規範の唯一の基準とする」
といった法令でした。
こうした法令は施行されて一年たち、多くの民がその不便さを訴えに国都へやってくるようになります。
そんな最中、太子が法を犯したため、商鞅は法に照らして太子を罰しようとするものの、結果、お守り役の公子虔を処刑し、師の公孫賈を黥の刑としたため、その翌日から人々は法令に従うようになったといわれています。

第二回の改革は、秦の孝公12年(紀元前350年)で、
「雍から咸陽への遷都」
「県令制の実施」
農地改革によって、貴族の奴隷を解放して自作農を増やす」
「度量衡の制定」
「戎狄の風俗を改めるため、父子兄弟の同室住居の禁止」
といった法令でした。
こうした法令は、公族貴族などの特権階級の力を奪って中央集権化をはかり、農業と軍功を奨励することで「耕農の士」を育成し、富国強兵を狙ったもので、商鞅は用兵家としても手腕を発揮していきます。
秦の孝公10年(紀元前352年)には魏の安邑を包囲してこれを下し、孝公20年(紀元前342年)には、魏が齊に大敗した(馬陵の戦い)のを受けて、魏へ侵攻。
商鞅は迎撃にきた魏の公子コウに盟約を申し込み、酒宴の席でこれを捕らえて、魏軍を敗っています。

しかし、秦の孝公24年(紀元前338年)に孝公が死亡し、太子が即位すると、公子虔の徒が商鞅が謀叛しようとしていると密告。
秦の恵文王は、見せしめのため商鞅を車裂きの刑にし「商鞅のように、謀反することのないように」とふれを出し、商鞅の一族を滅ぼしたといわれています。
こうして商鞅自身は殺されますが、その政策は以後の受け継がれ、やがて秦が中国の統一を果たしたのも、この「商君の変法」が起点になったともいわれる程。
史記商君列伝第八の司馬遷の評には「その天性、残酷無情の人であった」とありますが、商鞅は厳罰主義で事に臨んだため、よけいに非情な印象が強かったのかもしれません。
秦帝国の道筋をつけた要因のひとつともなった商鞅の『商君書』。
機会があれば、一度触れてみてください。

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以下、参考までに現代語訳にて一部抜粋です。

【商君書】

第1章、改革

1、なぜ政治改革をおこなうのか(厚法篇)

確信をもって断行せよ

秦の孝公が政治の改革に乗り出そうとしたときのことである。公孫鞅、甘竜、杜摯の三人の重臣を呼んで、時代の変化をどう読むか、政治を確立するにはどうすればよいか、人民を使いこなすにはどうすればよいか、などについて意見を求めた。
席上、まず孝公がたずねた。
「先代の後を継いで王位についたからには、片時も国家のことを忘れないのが、君主の道である。また、法を施行して君主の威令を貫徹させるのが、臣下の務めである。このさい私は政治を改革し制度を刷新して人民に臨みたいと思っているのだが、天下の非難を浴びはしないかと心配でならない」
公孫鞅が答えた。
「確信をもって断行しなければ、成功させることはできない、と申します。すぐにでも改革の決意を固められ、世間の非難などに耳を貸してはなりません。すばらしい事業を成し遂げる者はもともと世に容れられないもの、人並みすぐれた識見の持主は必ず世の非難を浴びるものです。
諺にも、
『愚者は物事が形をとって現われて来てもそれに気づかないのに対し、知者は物事がまだ兆さないうちにその動きを察知する』
『人民というのは、事を始めるまえに相談する必要はない。成果をともに楽しめば、それでよいのだ』
とあります。
また、晋の文侯に仕えて政治改革にあたった郭偃も、『至上の徳について語る者は世俗におもねらない。大きな仕事を成し遂げる者は衆人の意見を求めない』と語っています。
そもそも法律をつくるのは人民を愛するからであり、制度を定めるのはそのほうが仕事を円滑に進めることができるからです。だから、すぐれた人物は、国家を強くすることなら、今までのしきたりにとらわれることなく実行に移しますし、人民に利益をもたらすことなら、今までの制度を変えることもあえて辞さないものです」
「よくわかった」
これに対し、甘竜が反論した。
「それはちがいますぞ。聖人は今までのしきたりを改めないで人民を教化し、知者は今までの法律を変えないで国を治める、といわれます。今までのしきたりに従って教化すれば労せずして成果があがり、今の法律にもとづいて治めれば、官吏も慣れておりますし、人民も安心できるのです。今もし法律を変えて、新しい制度で人民を治めようとすれば、天下の非難を受ける恐れがあります。どうかそのあたりのことをよくお考えになってください」
公孫鞅が反論した。
「あなたのおっしゃるのは、ありふれた常識論にすぎない。そもそも一般の人民は今までの慣習に安住し、学者は教わったことにとらわれるもの。かれらは官吏となって古い法律を守ることはできてもしともに新しい法律について論ずる資格はありません。夏・殿・周(か・いん・しゅう)の三代はそれぞれに制度を異にしながら天下の王者になることができましたし、春秋の五覇はそれぞれに法律を異にしながら天下に号令することができました。これで明らかなように、知者が法律をつくって愚者がそれを守り、賢者が制度を改めて不肖者がそれに拘束されるのです。制度に拘束されている人間とは物事を議論してもはじまりませんし、できあがった法律を守っているだけの人間とは改革について語りあってもはじまりません。ぐずぐずしてはなりませんぞ」
杜摯が反論した。
「利益が百倍でなければ法律を変えず、効果が十倍でなければ器をとりかえない、と申します。また、今までのやり方に従えば失敗がなく、今までのしきたりに従えば手落ちがない、とも申します。どうかそのあたりの事情をよくお考えになってください」
公孫鞅がさらに反論した。
「歴代の王朝はみな教化のやり方を異にしていました。いったいそのどれを手本にせよとおっしゃるのか。また、昔の帝王はそれぞれの制度をつくつて国を治めました。そのどれに従えとおっしゃるのか。伏義や神農は刑罰を使わず、もっぱら教化をもって人民に臨みました。黄帝尭・舜は刑罰を使いましたが、感情にかられて乱用することはありませんでした。下って、周の文王・武王の代になると、時代に応じて法律をつくり、必要に応じて制度をつくりました。このように、法律や制度はその時代の要求に応じ、その時代にふさわしいものがつくられたのです。武器や用具もその用途に合致したものがつくられました。それゆえ私は、政治のやり方は同じである必要はなく、その国にふさわしいというものであれば、必ずしも昔のやり方を手本にする必要はないと思います。殿の湯(とう)王や周の武王は昔のやり方を手本にしなくても国を興しましたし、股王朝や夏王朝は制度を変えなくても国を滅ぼしてしまいました。それゆえ、昔のやり方に従わないからといって必ずしも非難さるべきではありませんし、逆に、昔の制度を変えないからといって必ずしも称賛さるべきではありません。なにとぞ迷うことなく断行していただきたい」
孝公が答えた。
「よくわかった。田舎者はあやしげなことばかりしやべり、愚かな学者は埒もないことをしゃべりまくるという。また、愚者の笑うことを智者は悲しみ、狂夫の楽しむことを賢者は憂うるともいう。世間の者どもがなんと言おうと、私はもう迷いはしないぞ」
かくて、「荒地開墾令」が発布されたのである。

しきたりにとらわれるな

2、何をどう改革するのか(墾令篇)

政務を迅速に処理する
税制を確立する
人民に学問は必要ない
徒食する人間をなくす
商人には穀物を扱わせない
歌舞音曲を禁止する
人夫の雇用を禁止する
旅籠の営業を禁止する
山林沼沢の資源は国で管理する
酒や肉の値段を高くする
刑罰を重くして連座制を布く
人民の転居を禁ずる
役務を免除しない
重臣の旅行を禁止する
軍関係の市場管理を厳しくする
同じ制度で各県を統治する
通行税と商品税を重くする
商人には労役を課す
食糧をを搬入するとき
罪人に対する差し入れを禁ずる

3、政治の根幹とは何か(農戦篇)

農業と軍事に力を入れる
農業と軍事を怠ると
現状はこうなっている
法にもとづいて治める
拠るべき基準は法である
法を無視すると
農業と軍事に目標をしぼる
口舌の徒に耳を貸すな

第2章、政治

4、国を強くするにはどうすればよいか(去強篇)

国力を一点に集中する

徳にもとづく教化によって法に従わない人民をとり除こうとすれば、その国は弱くなる。逆に、あくまでも法を貫徹することによって法に従わない人民をとり除こうとすれば、その国は強くなる。
なまじ思いやりの政治を行なえば、それにつけこんで必ず悪事をはたらく者が多くなる。
国が豊かなのに、さらに勤勉を奨励する政策を実施すれば、ますます豊かになり、国も強くなる。
逆に、国が貧しいのに、贅沢を奨励する政策を実施すれば、ますます貧しくなり、国も弱くなる。軍事については、敵がためらっていることでもあえて実行すれば、強くなる。政治についても、敵がしたがらないことを手がければ、成果をあげることができる。
君主は権謀を駆使する一方、政治の基本にはあくまでも忠実でなければならない。国力を分散させると国は弱くなり、一点に集中すると国は強くなる。かりに千乗の大国でも、持てる力を千に分散させると、衰退を免れない。
一致結束して戦ってこそ強さを発揮できるのであって、やる気もなく結束力もなかったのでは、国は弱くなるばかりである。

統制を強化する

農民、商人、官吏は、国にとっていずれも必要な職業である。この三者には、つぎのような六つの弊害が生じる。
一、「歳」。耕作を怠って収穫が減少する。
一、「食」。遊惰(ゆうだ)な生活で食糧を食いつぶす。
一、「美」。利を求めて華美なものを売買する。
一、「好」。珍貴なものを求めて贅沢にふける。
一、「志」。官吏にやる気がなく職務を怠る。
一、「行」。職権を乱用して汚職に走る。
この六つの弊害が目立ってくると、国は必ず衰亡する。
これらの弊害は三者それぞれに生じるが、発する根源はただ一つ、君主の姿勢いかんにかかっている。
法をもって治める国は強くなり、徳をもって治めようとする国は衰退を免れない。治績をあげた官吏は昇格させる。政治が繁雑であれば国は弱くなり、簡素であれば国は強くなる。国民をつけあがらせれば、いよいよ国は衰亡し、法によってしっかりと統制すれば、ますます強くなる。国民を甘やかせば滅びるし、統制を強化すれば王者となることができるのだ。
国力が充実しても戦いを避けたのでは、その毒素が国中にまわって繁雑な礼楽(れいがく)などがもてはやされるようになり、やがては国も衰亡する。戦えば、毒素は敵のほうに移ってゆき、国内では礼楽などの害も生じないので、国は必ず強くなる。
功績のある者を任用すれば国は強くなり、礼楽などをもてはやすようになると国は衰亡する。農民が少なくなって商人がふえると、官吏も商人も農民もみな貧しくなる。そうなると、国は必ず衰亡する。

文化や道徳は役に立たない

世の中では、礼、楽、詩、書などの文化、善、賢、孝、悌、廉、弁などの道徳がもてはやされている。国がこのようなものを奨励していたのでは、かりに戦いを避けたとしても、必ず領土を削られて滅亡するに至る。逆に、これらのものを重んじなければ、無理な戦いを挑んだとしても、ますます国力を強化して天下の王者となることができる。
道徳によって悪人を感化するという生ぬるいやり方をしていたのでは、必ず国は乱れて衰亡する。逆に、法を確立して良民を治めている国は、よく治まって強大になる。
詩、書、礼、楽、孝、悌、善、賢などをふりかぎして人民の教化をはかっている国は、敵が攻めてくれば必ず領土を削られ、攻めてこなくても貧しい生活を送らざるをえない。一方、これら八つのことを無視してかかる国は、敵もあえて攻めてこようとしないし、かりに攻めてきても必ず攻めあぐんで退却する。また、敵国を攻めても必ず攻略し、いったん奪い取った領土はけっして手放さない。かりに軍事行動を控えていれば、国は必ず豊かになる。
力を重んずる国は攻めにくい。弁舌に惑わされている国は攻めやすい。攻めにくい国は、一つのことをして十の成果をあげ、攻めやすい国は十のことをして百のものを失う。

十三の数値を把撞せよ

強国たらんとするなら、つぎの十三の数値を把握してかからなければならない。
一、国内の倉庫数と人口
一、壮年男女の数
一、老人と弱者の数
一、官僚と吏員の数
一、弁舌で生計を立てている者の数
一、農業に従事している者の数
一、馬と牛の数および飼料の数量
強国たらんとしながら、この十三の数を把握していなければ、いかに地の利を占め、いかに人口が多くても、国はいよいよ弱くなり、やがては衰亡に至るであろう。
国内に政治を怨む人間がいない。これが強い国の条件である。
 兵を挙げて敵を討ち、軍功に応じて
 爵位や官職が保証されるなら、その国は必ず勝つ。
 武力行使を控えて農業に力を入れ、生産高に応じて爵位や官職が保証されるなら、その国は必ず豊かになる。
 戦えば敵に勝ち、戦いを控えれば豊かになる。

賞罰をもって奮いたたせる

国力をうまく発揮する

生産力をあげる

農業を興して食糧の備蓄を

5、治国の勘どころはどこにあるか(説民篇)

人民を押さえこむ政治
徳をもって治めるのは不可
攻めにくい国とは
軽い罪でも重く罰する
賞と罰を使い分ける
一つの門だけ開けておく
人民が自分で判断できる

6、人間の本性に逆らわない政治とは(算地篇)

土地の有効利用をはかれ
命を投げ出すのはなんのためか
名誉と利益を保障する
今の政治は間違っている
人間は利益のために働く
名誉や地位は功績に応じて

7、時代に即応した政治を行え(開塞篇)

時代とともに統治法も変わった
昔はそれぞれのやり方で統治した
刑罰を厳しくして治める
道義だけでは治められない

8、まず法制の確立を急げ(壱言篇)

政治の根本は法の確立である
集中と分散のバランスをとる
法の制定は実情に即して

第3章、統治

9、賞罰の適用はあくまでも厳正に(錯法篇)

爵禄の基準を明確にせよ
賞罰をもってやる気を促す
罰や法の適用を誤るな

10、国を統治する三本柱とは何か(修権篇)

明君の統治とは
法は国の秤である
君主は公私のケジメをつけよ
隙間をつくるな

11、賞賜、刑罰、教育の基準を統一せよ(賞刑篇)

行きつく先は無刑である
賞賜は軍功に応じて
刑罰は差別なく適用する
高い地位につくには戦功を立てること
聖人は原理を把握している

12、組織を統制する原則とは(禁使篇)

勢威を背景に術数を駆使せよ
臣下を統制するコツ

13、迷わずに法の確立をはかれ(慎法篇)

登用する「人材」に問題がある
法の厳守を徹底させよ
戦う意欲をもたせる

第4章、兵法

14、戦いにさいしては万全の計を立てよ(戦法篇)

彼我の状況を把握する
勝ちて驕らず敗れて怨まず

15、戦うまえに政治を整えよ(立本篇)

兵士の闘志を奮いたたせる

16、敵に侵攻されたときどう戦うか(兵守篇)

死力を尽くして守る
総動員で戦力の増強をはかる

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