知命立命 心地よい風景

This is Kiyonori Shutou's weblog

ブログ刷新、一年を経て。

ここ十数年来、散在してきたブログや各種情報類を整理・刷新しようと一念発起して、ブログの刷新を思い立って早や一年。
これまでの記事総数は既に1,300件超にもなっていますが、当初整理しようと考えていた想定のほんのわずかでしかないという状況に、先が長いなあ、と感じる今日この頃です。

織田信長も「人間五十年」として、人生の集大成を追える節目を50という歳に置いていたように見受けられますが、自身を振り返るに”まだまだ、何にも出来ていない”
焦燥感というよりは、改めての自己鼓舞を誓わざるを得ない、というのが今日の想いです。

日々の積み上げに加えて、これからはこれまでの積み上げの見直しという観点で、一年前に起草した記事の再点検も行って行こうと思います。

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ブログ刷新に際して。2014/9/1

私が小学校5年の頃に亡くなった父方の祖母は、当時九州ではそれなりに知られた人物だったそうです。
おそらくは、良し悪し含めていろいろなことをやっていた祖母の生い立ちや足跡を事細かに改めて振り返るというつもりはサラサラないのですが、
・市内繁華街に料亭や遊郭などを何件も所有していた、それなりの資産家だった祖父に嫁ぎながら
・戦争で全てを失った祖父が家族から逃げ、子供7人を女手一つで育てながらも事業を行い、
・私がもの心着くころには九州で片手に入る程の資産を一代で築き上げたものの、60代で亡くなり、
・当時それなりの屋敷だった父の実家であげられた葬儀には、広間や庭、塀の外まで人が鈴なりにごった返していたこと
・祖母の死後、降って湧いたような遺産のために、数十人単位の人の人生が大きく変わってしまったこと
を思うと、やはり相当な人だったのだなあ、と思わざるを得ません。

実際、相当な芸能人でもない限り、葬儀であれだけの人が集まることなど私は未だかつてみたことがないですし、それだけでも「人は、亡くなった時にこそ、どれだけの人生の足跡を残せたのかが確認できる」ということは実感としてあります。
残酷なようですが、人は亡くなればただの灰にしかなりませんから、物理的なモノを残すことに汲々とするのではなく、どれだけの人に自らの思いや気持ちを残せたのかが、その人が生きた証となります。
そういった意味では、人の死とは、肉体よりも自分以外の人の記憶から消え去ることなのでしょう。

私自身、何か特別なものを残したり、偉大な業績を挙げることは、人生にとって大した比重を占めるようなものではないという達観は若い時期からありますが、生きながらにして死んだような生き方だけはするまい、とは大人になってから自分の中に強くある思いです。

さあ、あなたはそんな生き様を示していきますか。

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