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【源氏物語】 (拾玖) 若紫 第三章 紫上の物語(2) 若紫の君、源氏の二条院邸に盗み出される物語

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。
物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされています。
物語は、母系制が色濃い平安朝中期(概ね10世紀頃)を舞台に、天皇親王として出生し、才能・容姿ともにめぐまれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏の栄華と苦悩の人生、およびその子孫らの人生が描かれているのです。

そんな今回は、「若紫」の物語の続きです。
【源氏物語】 (壱) 第一部 はじめ

第三章 紫上の物語(2) 若紫の君、源氏の二条院邸に盗み出される物語
 [第一段 紫の君、六条京極の邸に戻る]

 あの山寺の人は、少しよくなってお出になられたのであった。京のお住まいを尋ねて、時々お手紙などがある。同じような返事ばかりであるのももっともであるが、ここ何か月は、以前にも増す物思いによって、他の事を思う間もなくて過ぎて行く。

 秋の終わりころ、とても物寂しくお嘆きになる。月の美しい夜に、お忍びの家にやっとのことでお思い立ちになると、時雨めいてさっと降る。おいでになる先は六条京極辺りで、内裏からなので、少し遠い感じがしていると、荒れた邸で木立がとても年代を経て鬱蒼と見えるのがある。いつものお供を欠かさない惟光が、

 「故按察大納言の家でございまして、ちょっとしたついでに立ち寄りましたところ、あの尼上は、ひどくご衰弱されていらっしゃるので、どうして良いか分からないでいる、と申しておりました」と申し上げると、

 「お気の毒なことよ。お見舞いすべきであったのに。どうして、そうと教えなかったのか。入って行って、挨拶をせよ」

 とおっしゃるので、惟光は供人を入れて案内を乞わせる。わざわざこのようにお立ち寄りになった旨を言わせたので、入って行って、

 「このようにお見舞いにいらっしゃいました」と言うと、驚いて、

 「とても困ったことですわ。ここ数日、ひどくご衰弱あそばされましたので、お目にかかることなどはとてもできそうにありません」

 とは言っても、お帰し申すのも恐れ多いということで、南の廂の間を片づけて、お入れ申し上げる。

 「たいそうむさ苦しい所でございますが、せめてお礼だけでもとのことで。何の用意もなく、鬱陶しいご座所で恐縮です」

 と申し上げる。なるほどこのような所は、普通とは違っているとお思いになる。

 「常にお見舞いにと存じながら、すげないお返事ばかりあそばされますので、遠慮いたされまして。ご病気でいらっしゃること、重いこととも、存じませんでしたもどかしさを」などと申し上げなさる。

 「気分のすぐれませんことは、いつも変わらずでございますが、いよいよの際となりまして、まことにもったいなくも、お立ち寄りいただきましたのに、自分自身でお礼申し上げられませんこと。仰せられますお話の旨は、万一にもお気持ちが変わらないようでしたら、このような頑是ない時期が過ぎましてから、きっとお目をかけて下さいませ。ひどく頼りない身の上のまま残して逝きますのが、願っております仏道の妨げに存ぜずにはいられません」などと、申し上げなさった。

 すぐに近いところなので、不安そうなお声が途切れ途切れに聞こえて、

 「まことに、もったいないことでございます。せめてこの姫君が、お礼申し上げなされるお年でありましたならよいのに」

 とおっしゃる。しみじみとお聞きになって、

 「どうして、浅く思っております気持ちから、このような好色めいた態度をお見せ申し上げましょうか。どのような前世からの因縁によってか、初めてお目にかかった時から、愛しくお思い申しているのも、不思議なまでに、この世の縁だけとは思われません」などとおっしゃって、「いつも甲斐ない思いばかりしていますので、あのかわいらしくいらっしゃるお一声を、ぜひとも」とおっしゃると、

 「いやはや、何もご存知ないさまで、ぐっすりお眠りになっていらっしゃって」

 などと申し上げている、ちょうどその時、あちらの方からやって来る足音がして、

 「祖母上さま、先日の寺にいらした源氏の君さまがいらしているそうですね。どうしてお会いさらないの」

 とおっしゃるのを、女房たちは、とても具合悪く思って、「お静かに」と制止申し上げる。

 「あら、だって、『会ったので気分の悪いのも良くなった』とおっしゃったからよ」

 と、利口なことを申し上げたとお思いになっておっしゃる。

 とてもおもしろいとお聞きになるが、女房たちが困っているので、聞かないようにして、行き届いたお見舞いを申し上げおかれて、お帰りになった。「なるほど、まるで子供っぽいご様子だ。けれども、よく教育しよう」とお思いになる。

 翌日も、とても誠実なお見舞いを差し上げなさる。いつものように、小さく結んで、

 「かわいい鶴の一声を聞いてから
  葦の間を行き悩む舟はただならぬ思いをしています
 同じ人を慕い続けるだけなのでしょうか」

 と、殊更にかわいらしくお書きになっているのも、たいそう見事なので、「そのままお手本に」と、女房たちは申し上げる。少納言がお返事申し上げた。

 「お見舞いいただきました方は、今日一日も危いような状態なので、山寺に移るところでして。このよう緩お見舞いいただきましたお礼は、あの世からでもお返事をさせていただきましょう」

 とある。とてもお気の毒とお思いになる。

 秋の夕暮れは、常にも増して、心の休まる間もなく恋い焦がれている人のことに思いが集中して、無理にでもそのゆかりの人を尋ね取りたい気持ちもお募りなさるのであろう。尼君が「死にきれない」と詠んだ夕暮れを自然とお思い出しになられて、恋しく思っても、また、実際に逢ってみたら見劣りがしないだろうかと、やはり不安である。

 「手に摘んで早く見たいものだ
  紫草にゆかりのある野辺の若草を」

 [第二段 尼君死去し寂寥と孤独の日々]

 神無月に朱雀院への行幸が予定されている。舞人などを、高貴な家柄の子弟や、上達部、殿上人たちなどの、その方面で適当な人々は、皆お選びあそばされたので、親王たちや、大臣をはじめとして、それぞれ伎芸を練習をなさり、暇がない。

 山里の人にも、久しくご無沙汰なさっていたのを、お思い出しになって、わざわざお遣わしになったところ、僧都の返事だけがある。

 「先月の二十日ごろに、とうとう臨終をお見届けいたしまして、人の世の宿命だが、悲しく存じられます」

 などとあるのを御覧になると、世の中の無常をしみじみと思われて、「心配していた人もどうしているだろう。子供心にも、尼君を恋い慕っているだろうか。わたしも亡き母御息所に先立たれた頃には」などと、はっきりとではないが、思い出して、丁重にお弔いなさった。少納言の乳母が、心得のある返礼などを申し上げた。

 忌みなどが明けて京の邸に戻られたなどとお聞きになったので、暫くしてから、ご自身で、お暇な夜にお出かけになった。まことにぞっとするくらい荒れた所で、人気も少ないので、どんなに小さい子には怖いことだろうと思われる。いつもの所にお通し申して、少納言が、ご臨終の有様などを、泣きながらお話申し上げると、他人事ながら、お袖も涙でつい濡れる。

 「父兵部卿宮邸にお引き取り申し上げようとの事でございますようですが、『亡き姫君が、北の方をとても情愛のない嫌な人とお思い申していらしたのに、まったく子供というほどでもないお年で、まだしっかりと人の意向を聞き分けることもおできになれず、中途半端なお年頃で、大勢いらっしゃるという中で、軽んじられてお過ごしになるのではないか』などと、お亡くなりになった尼上も、始終ご心配されていらしたこと、明白なことが多くございましたので、このようにもったいないかりそめのお言葉は、後々のご配慮までもご推察申さずに、とても嬉しく存ぜずにはいられない時ではございますが、全く相応しい年頃でいらっしゃらないし、お年のわりには幼くていらっしゃいますので、とても見ていられない状態でございます」と申し上げる。

 「どうして、このように繰り返して申し上げている気持ちを、気兼ねなさるのでしょう。その、幼いお考えの様子がかわいく愛しく思われなさるのも、宿縁が特別なものと、わたしの心には自然と思われてくるのです。やはり、人を介してではなく、直接お伝え申し上げたい。

  若君にお目にかかることは難しかろうとも
  和歌の浦の波のようにこのまま立ち帰ることはしません
 失礼でしょう」とおっしゃると、

 「なるほど、恐れ多いこと」と言って、

 「和歌の浦に寄せる波に身を任せる玉藻のように
  相手の気持ちをよく確かめもせずに従うことは頼りないことです
 困りますこと」

 と申し上げる態度がもの馴れているので、すこし大目に見る気になられる。「どうして逢わずにいられようか」と、口ずさみなさるのを、ぞくぞくして若い女房たちは感じ入っていた。

 姫君は、祖母上をお慕い申されて泣き臥していらっしゃったが、お遊び相手たちが、

 「直衣を着ている方がいらっしゃってるのは、父宮さまがおいであそばしたのらしいわ」

 と申し上げると、起き出しなさって、

 「少納言や。直衣を着ているという方は、どちら。父宮がいらしたの」

 と言って、近づいて来るお声が、とてもかわいらしい。

 「宮さまではありませんが、必ずしも関係ない人ではありません。こちらへ」

 とおっしゃると、あの素晴らしかった方だと、子供心にも聞き分けて、まずいことを言ってしまったとお思いになって、乳母の側に寄って、

 「ねえ、行きましょうよ。眠いから」とおっしゃるので、

 「今さら、どうして逃げ隠れなさるのでしょう。わたしの膝の上でお寝みなさいませ。もう少し近くへいらっしゃい」

 とおっしゃると、乳母が、

 「これですから。このようにまだ頑是ないお年頃でして」

 と言って、押しやり申したところ、無心にお座りになったので、お手を差し入れてお探りになると、柔らかなお召物の上に、髪がつやつやと掛かって、末の方までふさふさしているのが、とてもかわいらしく想像される。お手を捉えなさると、気味の悪いよその人が、このように近くにいらっしゃるのは、恐ろしくなって、

 「寝よう、と言っているのに」

 と言って、無理に奥に入って行きなさるのに後から付いて御簾の中にすべり入って、

 「今は、わたしが世話して上げる人ですよ。お嫌いにならないでね」

 とおっしゃる。乳母が、

 「あら、まあ嫌でございますわ。あまりのなさりようでございますわ。いくらお話申し上げあそばしても、何の甲斐もございませんでしょうに」といって、つらそうに困っているので、

 「いくらなんでも、このようなお年の方をどうしようか。やはり、ただ世間にないほどのわたしの愛情をお見届けください」とおっしゃる。

 霰が降り荒れて、恐ろしい夜の様子である。

 「どうして、このような少人数な所で頼りなく過ごしていらっしゃれようか」

 と思うと、ついお泣きになって、とても見捨てては帰りにくい有様なので、

 「御格子を下ろしなさい。何となく恐そうな夜の感じのようですから、宿直人となってお勤めしましょう。女房たち、近くに参りなさい」

 と言って、とても物馴れた態度で御帳の内側にお入りになるので、奇妙な思いも寄らないことをと、あっけにとられて、一同茫然としている。乳母は、心配で困ったことだと思うが、事を荒立て申すべき場合でないので、嘆息しながら見守っていた。

 若君は、とても恐ろしく、どうなるのだろうと自然と震えて、とてもかわいらしいお肌も、ぞくぞくと粟立つ感じがなさるのを、源氏の君はいじらしく思われて、肌着だけで包み込んで、ご自分ながらも、一方では変なお気持ちがなさるが、しみじみとお話なさって、

 「さあ、いらっしゃいよ。美しい絵などが多く、お人形遊びなどする所に」

 と、気に入りそうなことをおっしゃる様子が、とても優しいので、子供心にも、そう大して物怖じせず、とは言っても、気味悪くて眠れなく思われて、もじもじして横になっていらっしゃった。

 一晩中、風が吹き荒れているので、

 「ほんとうに、このように、お越し下さらなかったら、どんなに心細かったことでしょう」
 「同じことなら、お似合いの年でおいであそばしたら」

 とささやき合っている。少納言の乳母は、心配で、すぐ近くに控えている。風が少し吹き止んだので、夜の深いうちにお帰りになるのも、いかにもわけありそうな朝帰りであるよ。

 「とてもお気の毒にお見受け致しましたご様子を、今では以前にもまして、片時の間も見なくては気がかりでならないでしょう。毎日物思いをして暮らしている所にお迎え申し上げましょう。こうしてばかりいては、どんなものでしょうか。姫君はお恐がりにはならなかった」とおっしゃると、

 「父宮もお迎えになどと申していらっしゃるようですが、故尼君の四十九日忌が過ぎてからか、などと存じます」と申し上げると、

 「頼りになる血筋ではあるが、ずっと別々に暮らして来られた方は、他人同様に疎々しくお思いでしょう。今夜初めてお会いしたが、わたしの深い愛情は父宮様以上でしょう」

 と言って、かき撫でかき撫でして、後髪を引かれる思いでお出になった。

 ひどく霧の立ちこめた空もいつもとは違った風情であるうえに、霜は真白に置いて、実際の恋であったら興趣あるはずなのに、何か物足りなく思っていらっしゃる。たいそう忍んでお通いになる方への道筋であったのをお思い出しになって、門を叩かせなさるが、聞きつける人がいない。しかたなくて、お供の中で声の良い者に歌わせなさる。

 「曙に霧が立ちこめた空模様につけても
  素通りし難い貴女の家の前ですね」

 と、二返ほど歌わせたところ、心得ある下仕え人を出して、

 「霧の立ちこめた家の前を通り過ぎ難いとおっしゃるならば
  生い茂った草が門を閉ざしたことぐらい何でもないでしょうに」

 と詠みかけて、入ってしまった。他に誰も出て来ないので、帰るのも風情がないが、空が明るくなって行くのも体裁が悪いので邸へお帰りになった。

 かわいらしかった方の面影が恋しく、独り微笑みながら臥せっていらっしゃった。日が高くなってからお起きになって、手紙を書いておやりになる時、書くはずの言葉も普通と違うので、筆を書いては置き書いては置きと、気の向くままにお書きになっている。美しい絵などをお届けなさる。

 あちらでは、ちょうど今日、父宮がおいでになった。数年来以上にすっかり荒れ行き、広く古めかしくなった邸が、ますます人数が少なくなって月日を経ているので、ずっと御覧になって、

 「このような所には、どうして、少しの間でも幼い子供がお過しになれよう。やはり、あちらにお引き取り申し上げよう。けっして窮屈な所ではない。乳母には、部屋をもらって仕えればよい。姫君は、若い子たちがいるので、一緒に遊んで、とても仲良くやって行けよう」などとおっしゃる。

 近くにお呼び寄せになると、あの源氏の君のおん移り香が、たいそうよい匂いに深く染み着いていらっしゃるので、「いい匂いだ。お召し物はすっかりくたびれているが」と、お気の毒にお思いになった。

 「これまでは、病気がちのお年寄と一緒においでになったことよ、あちらに引っ越してお馴染みなさいなどと、言っていましたが、変にお疎んじなさって、妻もおもしろからぬようでいたが、このような時に移って来られるのも、おかわいそうに」などとおっしゃると、

 「いえどう致しまして。心細くても、今暫くはこうしておいであそばしましょう。もう少し物の道理がお分かりになりましたら、お移りあそばされることが良うございましょう」と申し上げる。

 「夜昼となくお慕い申し上げなさって、ちょっとした物もお召し上がりになりません」

 と申して、なるほど、とてもひどく面痩せなさっているが、まことに上品でかわいらしく、かえって美しくお見えになる。

 「どうして、そんなにお悲しみなさる。今はもうこの世にいない方のことは、しかたがありません。わたしがついているので」

 などとやさしくお話申し上げなさって、日が暮れるとお帰りあそばすのを、とても心細いとお思いになってお泣きになると、宮ももらい泣きなさって、

 「けっして、そんなにご心配なさるな。今日明日のうちに、お移し申そう」などと、繰り返しなだめすかして、お帰りになった。

 その後の寂しさも慰めようがなく泣き沈んでいらっしゃった。将来の身の上のことなどはお分りにならず、ただ長年離れることなく一緒にいて、今はお亡くなりになってしまったと、お思いになるのが悲しくて、子供心であるが、胸がいっぱいにふさがって、いつものようにもお遊びはなさらず、昼間はどうにかお紛らわしになるが、夕暮時になると、ひどくおふさぎこみなさるので、これではどのようにお過ごしになられようかと、慰めあぐねて、乳母たちも一緒に泣いていた。

 源氏の君のお邸からは、惟光をお差し向けなさった。

 「私自身参るべきところ、帝からお召しがありまして。お気の毒に拝見致しましたのにつけても、気がかりで」と伝えて、宿直人を差し向けなさった。

 「情けないことですわ。ご冗談にも結婚の最初からして、このようなお事とは」
 「宮さまがお耳にされたら、お仕えする者の落度として叱られましょう」
 「ああ、大変だわ。何かのついでに、父宮にうっかりお口にあそばされますな」

 などと言うにつけても、そのことを何ともお分りでいらっしゃらないのは、困ったことであるよ。

 少納言の乳母は、惟光に気の毒な身の上話をいろいろとして、

 「これから先いつか、ご一緒になるようなご縁から、お逃れ申されなさらいものかも知れません。ただ今は、まったく不釣り合いなお話と拝察致しておりますが、不思議にご熱心に思ってくださり、またおっしゃってくださいますのを、どのようなお気持ちからかと、判断つかないで悩んでおります。今日も、宮さまがお越しあそばして、『安心の行くように仕えなさい。うっかりしたことは致すな』と仰せられたのも、とても厄介で、なんでもなかった時より、このような好色めいたことも改めて気になるのでございました」

 などと言って、「この人も何か特別の関係があったように思うだろうか」など思われるのも、不本意なので、ひどく悲しんでいるようには言わない。惟光大夫も、「どのような事なのだろう」と、ふに落ちなく思う。

 帰参して、様子などをご報告すると、しみじみと思いをお馳せになるが、先夜のようにお通いなさるのも、やはり似合わしくない気持ちがして、「軽率な風変わりなことをしていると、世間の人が聞き知るかも知れない」などと、遠慮されるので、「いっそ迎えてしまおう」とお考えになる。

 お手紙は頻繁に差し上げなさる。暮れると、いつものように惟光大夫をお差し向けなさる。「差し障りがあって参れませんのを、不熱心なとでも」などと、伝言がある。

 「宮さまから、明日急にお迎えに参ると仰せがありましたので、気ぜわしくて。長年住みなれた蓬生の宿を離れますのも、何と言っても心細く、お仕えする女房たちも思い乱れております」

 と、言葉数少なに言って、ろくにお相手もせずに、繕い物をする様子がはっきり分かるので、帰参した。

 [第三段 源氏、紫の君を盗み取る]

 源氏の君は左大臣邸においでになったが、例によって、女君はすぐにはお会いなさらない。君は何となくおもしろくなくお思いになって、和琴を即興に掻き鳴らして、「常陸では田を作っているが」という歌を、声はとても優艶に、口ずさんでおいでになる。

 参上したので、呼び寄せて様子をお尋ねになる。「これこれしかじかです」と申し上げるので、残念にお思いになって、「あの宮邸に移ってしまったら、わざわざ迎え取ることも好色めいたことであろう。子供を盗み出したと、きっと非難されるだろう。その前に、暫くの間、女房の口を封じさせて、連れて来てしまおう」とお考えになって、

 「早朝にあちらに行こう。車の準備はそのままに。随身を一、二名を申し付けておけ」とおっしゃる。承知して下がった。

 源氏の君は、「どうしようか。噂が広がって好色めいたことになりそうな事よ。せめて相手の年齢だけでも物の分別ができ、女が情を通じてのことだと想像されるようなのは、世間一般にもある事だ。もし父宮がお探し出された場合も、体裁が悪く、格好もつかないことになるだろうから」と、お悩みになるが、この機会を逃したら大変後悔することになるにちがいないので、まだ夜の深いうちにお出になる。

 女君は、いつものように気が進まない様子で、かしこまった感じでいらっしゃる。

 「あちらに、どうしても処理しなければならない事がございますのを思い出しまして、すぐに戻って来ます」と言って、お出になるので、お側の女房たちも知らないのであった。ご自分のお部屋の方で、お直衣などはお召しになる。惟光だけを馬に乗せてお出になった。

 門を打ち叩かせなさると、何も事情を知らない者が開けたので、お車を静かに引き入れさせて、惟光大夫が、妻戸を叩いて、合図の咳払いをすると、少納言の乳母が察して、出て来た。

 「ここに、おいでになっています」と言うと、

 「若君は、お寝みになっております。どうして、こんな暗いうちにお出あそばしたのでしょうか」と、どこかからの帰りがけと思って言う。

 「宮邸へお移りあそばすそうですが、その前にお話し申し上げておきたいと思って参りました」とおっしゃると、

 「どのようなことでございましょうか。どんなにしっかりしたお返事ができましょう」

 と言って、微笑んでいた。源氏の君が、お入りになると、とても困って、

 「気を許して、見苦しい年寄たちが寝ておりますので」とお制し申し上げる。

 「まだ、お目覚めではありますまいね。どれ、お目をお覚まし申しましょう。このような素晴らしい朝霧を知らないで、寝ていてよいものですか」

 とおっしゃって、ご寝所にお入りになるので、「もし」とも、お止めできない。

 紫の君は何も知らないで寝ていらっしゃったが、源氏の君が抱いてお起こしなさるので、目を覚まして、父宮がお迎えにいらっしゃったと、寝惚けてお思いになった。

 お髪を掻き繕いなどなさって、

 「さあ、いらっしゃい。父宮さまのお使いとして参ったのですよ」

 とおっしゃる声に、「違う人であったわ」と、びっくりして、恐いと思っているので、

 「ああ、情けない。わたしも同じ人ですよ」

 と言って、抱いてお出なさるので、大輔や少納言の乳母などは、「これは、どうなさいますか」と申し上げる。

 「ここには、常に参れないのが気がかりなので、気楽な所にと申し上げたが、残念なことに、宮邸にお移りになるそうなので、ますますお話し申し上げにくくなるだろうから。誰か一人付いて参られよ」

 とおっしゃるので、気がせかれて、

 「今日は、まことに都合が悪うございましょう。宮さまがお越しあそばした時には、どのようにお答え申し上げましょう。自然と、年月をへて、そうなられるご縁でいらっしゃれば、ともかくなられましょうが、何とも考える暇もない急な事でございますので、お仕えする者どももきっと困りましょう」と申し上げると、

 「よし、後からでも女房たちは参ればよかろう」と言って、お車を寄せさせなさるので、驚きあきれて、どうしたらよいものかと困り合っていた。

 若君も、変な事だとお思いになってお泣きになる。少納言の乳母は、お止め申し上げるすべもないので、昨夜縫ったご衣装類をひっさげて、自分も適当な着物に着替えて、車に乗った。

 二条院は近いので、まだ明るくならないうちにお着きになって、西の対にお車を寄せてお下りになる。若君を、とても軽々と抱いてお下ろしになる。

 少納言の乳母が、
 「やはり、まるで夢のような心地がしますが、どういたしましたらよいことなのでしょうか」と、ためらっているので、

 「それはあなたの考え次第でしょう。ご本人はお移し申し上げてしまったのだから、帰ろうと思うなら、送ってやろうよ」

 とおっしゃるので、苦笑して下りた。急な事で、驚きあきれて、心臓がどきどきする。「宮さまがお叱りになられることや、どうおなりになる姫君のお身の上だろうか、とにもかくにも、身内の方々に先立たれたことが本当にお気の毒」と思うと、涙が止まらないのを、何と言っても不吉なので、じっと堪えていた。

 こちらはご使用にならない対の屋なので、御帳などもないのであった。惟光を呼んで、御帳や、御屏風など、ここかしこに整えさせなさる。御几帳の帷子を引き下ろし、ご座所など、ちょっと整えるだけで使えるので、東の対にお寝具類などを取り寄せに人をやって、お寝みになった。

 若君は、とても気味悪くて、どうなさる気だろうと、ぶるぶると震えずにはいらっしゃれないが、やはり声を出してお泣きになれない。

 「少納言の乳母の所で寝たい」

 とおっしゃる声は、まことに幼稚である。

 「今からは、もうそのようにお寝みになるものではありませんよ」

 とお教え申し上げなさると、とても悲しくて泣きながら横におなりになった。少納言の乳母は横になる気もせず、何も考えられず起きていた。

 夜が明けて行くにつれて、見渡すと、御殿の造りざまや、調度類の様子は、改めて言うまでもなく、庭の白砂も宝石を重ね敷いたように見えて、光り輝くような感じなので、きまり悪い感じでいたが、こちらの対には女房なども控えていないのであった。たまのお客などが参った折に使う部屋だったので、男たちが御簾の外に控えているのであった。

 このように、女をお迎えになったと、聞いた人は、「誰であろうか。並大抵の人ではあるまい」と、ひそひそ噂する。御手水や、お粥などを、こちらの対に持って上がる。日が高くなってお起きになって、

 「女房がいなくて、不便であろうから、しかるべき人々を、夕方になってから、お迎えなさるとよいだろう」

 とおっしゃって、東の対に童女を呼びに人をやる。「小さい子たちだけ、特別に参れ」と言ったので、とてもかわいらしい格好して、四人が参った。

 紫の君はお召物にくるまって臥せっていらっしゃったのを、無理に起こして、

 「こんなふうに、お嫌がりなさいますな。いい加減な男は、このように親切にしましょうか。女性というものは、気持ちの素直なのが良いのです」

 などと、今からお教え申し上げなさる。

 ご容貌は、遠くから見ていた時よりも、美しいので、優しくお話をなさりながら、興趣ある絵や、遊び道具類を取りにやって、お見せ申し上げ、お気に入ることどもをなさる。

 だんだん起き出して座って御覧になるが、鈍色の色濃い喪服の、ちょっと柔らかくなったのを着て、無心に微笑んでいらっしゃるのが、とてもかわいらしいので、ご自身もつい微笑んで御覧になる。

 東の対にお渡りになったので、端に出て行って、庭の木立や、池の方などを、お覗きになると、霜枯れの前栽が、絵に描いたように美しくて、見たこともない四位や五位の人々の服装が色とりどりに入り乱れて、ひっきりなしに出入りしていて、「なるほど、素晴らしい所だわ」と、お思いになる。御屏風類などの、とても素晴らしい絵を見ては、機嫌を良くしていらっしゃるのも、あどけないことよ。

 源氏の君は、二、三日、宮中へも参内なさらず、この人を手懐けようとお相手申し上げなさる。そのまま手本にとのお考えか、手習いや、お絵描きなど、いろいろと書いては描いては、御覧に入れなさる。とても素晴らしくお書き集めになった。「武蔵野と言うと文句を言いたくなってしまう」と、紫の紙にお書きになった墨の具合が、とても格別なのを取って御覧になっていらっしゃった。少し小さくて、

 「まだ一緒に寝てはみませんが愛しく思われます
  武蔵野の露に難儀する紫のゆかりのあなたを」

 とある。
 「さあ、あなたもお書きなさい」と言うと、
 「まだ、うまく書けません」

 と言って、顔を見上げていらっしゃるのが、無邪気でかわいらしいので、つい微笑まれて、

 「うまくなくても、まったく書かないのは良くありません。お教え申し上げましょうね」

 とおっしゃると、ちょっと横を向いてお書きになる手つきや、筆をお持ちになる様子があどけないのも、かわいらしくてたまらないので、我ながら不思議だとお思いになる。「書き損ってしまった」と、恥ずかしがってお隠しになるのを、無理に御覧になると、

 「恨み言を言われる理由が分かりません
  わたしはどのような方のゆかりなのでしょう」

 と、とても幼稚だが、将来の成長が思いやられて、ふっくらとお書きになっている。亡くなった尼君の筆跡に似ているのであった。「当世風の手本を習ったならば、とても良くお書きになるだろう」と御覧になる。

 お人形なども、特別に御殿をいくつも造り並べて、一緒に遊んでは、この上ない憂さ晴らしの相手である。

 あの残った女房たちは、兵部卿宮がお越しになって、お尋ね申し上げなさったが、お答え申し上げるすべもなくて、困り合っているのであった。「暫くの間、他人に聞かせてはならぬ」と源氏の君もおっしゃるし、少納言の乳母も考えていることなので、固く口止めさせていた。ただ、「行く方も知れず、少納言の乳母がお連れしてお隠し申したことで」とばかりお答え申し上げるので、宮もしょうがないとお思いになって、「亡くなった尼君も、あちらに姫君がお移りになることを、とても嫌だとお思いであったことなので、乳母が、ひどく出過ぎた考えから、すんなりとお移りになることを、不都合だ、などと言わないで、自分の一存で、連れ出してどこかへやってしまったのだろう」と、泣く泣くお帰りになった。「もし、消息をお聞きつけ申したら、知らせなさい」とおっしゃる言葉も、厄介で。僧都のお所にも、お尋ね申し上げなさるが、はっきり分からず、惜しいほどであったご器量など、恋しく悲しいとお思いになる。

 北の方も、その母親を憎いとお思い申し上げなさっていた感情も消えて、自分の思いどおりにできようとお思いになっていた当てが外れたのは、残念にお思いになるのであった。

 次第に女房たちが集まって来た。お遊び相手の童女や、幼子たちも、とても珍しく当世風なご様子なので、何の屈託もなくて遊び合っていた。

 紫の君は、男君がおいでにならなかったりして、寂しい夕暮時などだけは、尼君をお思い出し申し上げなさって、つい涙ぐみなどなさるが、父宮は特にお思い出し申し上げなさらない。最初からご一緒ではなく過ごして来られたので、今ではすっかりこの後の親を、たいそう馴れお親しみ申し上げていらっしゃる。外出からお帰りになると、まっさきにお出迎えして、親しくお話をなさって、お胸の中に入って、少しも嫌がったり恥ずかしいとは思っていない。そうしたことでは、ひどくかわいらしい態度でなのあった。

 小賢しい智恵がつき、何かとうっとうしい関係となってしまうと、自分の気持ちと多少ぴったりしない点も出て来たのかしらと、心を置かれて、相手も嫉妬しがちになり、意外なもめ事が自然と出て来るものなのに、まことにかわいらしい遊び相手である。自分の娘などでも、これほどの年になったら、気安く振る舞ったり、一緒に寝起きなどは、とてもできないものだろうに、この人は、とても風変わりな大切な娘であると、お思いのようである。

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