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10万年の世界経済史を読む!世界経済史は謎と驚きに満ちている!

マルサスの罠」というのをご存じでしょうか。

幾何級数的に増える人口と算術級数的にしか増えない食糧供給量の差は必然的に貧困を発生させ、これは社会制度の改良などでは回避することができないという、1789年の『人口論』でイギリスの経済学者・トマス・ロバート・マルサスが論じた理論です。
著者のグレゴリー・クラークは「10万年の世界経済史」においてこの「マルサスの罠」が、
・人類が誕生して間もない古代社会から1800年までを貫く経済原理として働いていたこと
・古代社会と1800年直前の社会を比べても大きな人口の変化が見られず、人口一人当たりの所得も増えなかったこと
を指摘しています。
つまり、産業革命以前の経済社会は決して、古代社会よりも豊かではなかったと示しているのです。
またクラークは、1800年を境に社会が一変して決定的な格差社会が確立したことを示しています。
「大いなる分岐」と呼ばれる富める国と貧しい国の格差が生まれたのが、世界が「マルサスの罠」を脱して以降であることを、以下のたった一枚のグラフで表しているのです。

10mannen-worldGraph

こうした「10万年の世界経済史」ですが、クラークが論じているのは次の3点についてです。
・「マルサスの罠」の時代はなぜかくも長く続いたのか?
・「マルサスの罠」からのはじめての脱出が小さな島国であるイギリスで1800年ごろにはじまったのは何故か?
・その結果として大いなる分岐が生じたのは何故か?
こうした問いに対して、「10万年の世界経済史」の上巻でひとつ目の問いの考察を行い、下巻で残りの2つの問いに答える構成となっています。

表題は「10万年の世界経済史」となっていますが、原題は”A Farewell to Alms: A Brief History of the World”。
”A Farewell to Alms”の”Alms”は「寄付」「寄金」「施し」という意味ですので、施しへの決別、とでも意訳すればよいでしょうか。

そこで、ざっと中身の整理です。

マルサス的経済の時代には、人間社会を支配していた経済法則は、あらゆる動物社会を支配する法則と同じであり、人間はずっと自然淘汰の法則に従ってきた」
「このことは、紀元前8000年頃に新石器時代が始まり、狩猟採集社会が、農耕中心の定住社会に移行してからも同じ。
人間の本質を形作ってきた、自然淘汰のプロセスを勝ち抜く闘いは、新石器革命とともに終わったのではなく、産業革命の時代まで延々と続いた。」

1800年当時の平均的な生活水準は、紀元前10万年の平均的水準を上回っていたわけではなく、むしろ1800年の世界人口の大半は、遠い先祖らよりも貧しい暮らしをしていました。
18世紀の英国やオランダなどの、豊かな社会に生きた幸運な人々なら、物質意的豊かさの面では石器時代と同等の暮らしをかろうじて営むことができていましたが、東・南アジアの住民の大部分の人々は、原始人のそれに比べてもはるかに劣っていたと考えられる生活条件のもとで、細々と暮らしを立てていたのです。
土地や生産効率の革新がない限り、極端な人口増加も、全社会における富の向上が見られないのが、1800年まで続いたマルサス的社会です。

なぜ、産業革命はまず英国で起こったのか、との分析のくだりで、1600-1800年にかけて日本と中国の両国で教育水準は大きく上昇していますが、この二国はいずれも自力で産業革命を成し遂げたと示されています。
しかしながら、明確な経済システムに規定された人間社会の様相が大きく変化したのが、江戸をはじめとした都市部を中心に識字率の向上など社会の知識化が進んだ日本や、綿織物産業の隆盛がみられたインドなどではなく、イギリスであったことを指摘します。

この経済成長の圧倒的に大きな要因とは、「生産活動に関する社会の知識ストックを増大させることの投資」です。
つまり、1800年を境にして起こった変化は、それまでの土地の生産効率に縛られていた富の生産の限界を、知識ストックの増大による生産効率の革新に移行によるものということです。
しかし、その変化の要因を単純に「産業」による革命だと捉えるのは間違いだということです。

著者はもうひとつの要因として、「知識層にあたる富裕層の子供の数が多かった」ことを、当時のほかの国ではイギリス同様の変化が起きなかった理由として挙げています。
知識に対する価値の増大だけをみれば同時期の日本も同じ状況にありましたが、日本ではその知識を社会的生産性の資本に変える富裕層の数が不足していました。
これについても、いくつもの数多くのデータを掲げて、そう考える根拠を示しています。

1800年を境にイギリスがマルサス的経済の制約から脱して、人口が増えても、一人当たりの所得が減らない状況に移ったのに続いて、オランダやフランスなどもマルサス的経済を脱していきます。
生産率向上を可能にする知的ストックを有効に使えた国々が次々にマルサス的経済状況を乗り越えていったのです。

そうした変化を引っ張ったのが、イギリスで発明された綿織物産業やその生産品を素早く市場に運ぶ鉄道産業でした。
イギリスは最初こそは自国で発明された機械やその技術的ノウハウの国外流出を拒んでいましたが、やがて逆にその機械や知識の輸出を推し進めて行くようになります。
世界各国でイギリスの綿織物や鉄道の技術が使われ、同じイギリス製の機械が用いられました。
ところが、同じ機械、同じ技術を使い始めたはずの世界で、その後、大きな格差が生まれてくるのです。

1910年ごろの綿織物産業と鉄道産業は同じ様相を呈していました。
貧しい国も豊かな国も同じ技術を使い、資本一単位あたりの産出高も同水準。
しかし、貧しい国々では機械一台あたりの雇用労働者数がきわめて多かったために、当初の労働コスト面での優位性をほとんど失ってしまってしまいます。
インドではイギリス製の綿織物機械を導入しても、生産性の向上は見られませんでした。しかも、それだけでなくグローバルな経済において、既存の手工業による綿産業が大きな打撃を受けます。
やがて、日本との競争によってボンベイの綿織物産業はまったく利益のあがらないものになってしまいます。
結果、機械1台あたりの雇用労働者の数が多いにもかかわらず、資本一単位あたりの産出高の増加につながっていなかったことを、著者は格差のひとつの要因として説明しています。

それは単純に技術の問題ではなく、知識をストックして富に変えるという実践が可能な社会とそうでない社会が格差を生み出しています。
単純に新たな技術を貧困国に持ち込んでも、その社会はこのグローバル経済の世界において、有効な富を産出することはできないのです。
更に、経済学では経済の世界を説明し予測する能力は1800年ごろにピークに達してしまっており、時代や国・地域による所得や豊かさの格差を経済モデルを使っても予測できない傾向は、産業革命以降現代に至るまでずっと続いており、結果現代の経済を理解する有効なモデルはないということです。

1800年以前のマルサス経済モデルを脱した世界は、それ以降自らの経済を説明するモデルを同時に見失ってしまっていると論じるのです。
「現代人の大半は、産業革命以前の社会で懸命に努力し、仲間よりも大きな経済的成功を収めよういう意欲に駆り立てられた人々の子孫である」

現代人の多くの人々は、1800年以前の富裕層が実現していた豊かさを真似て、自らの生活を彩っているにすぎず、そこには何ら新しい豊かさが生まれた訳でもなく、単純にマルサス的経済において憧れであった豊かさを自らの現実に反映させているにすぎない。
「経済史からわかる驚くべき事実は、物質的な豊かさや、子供の死亡率の低下、成人の平均余命の延長、不平等の改善などが実現したにもかかわらず、現代人は狩猟採集時代の祖先に比べて、少しも幸福になっていないことである」
こう指摘する著者は、幸せを感じる度合いが、生活がどんどん豊かになっても、まったく変わっていないどころか、徐々に低くなっていると締め括るのです。

いろいろと賛否両論がある著書ではありますが、人類史の最大の謎である「大いなる分岐」を巡る議論に納得する箇所もあり、単純に結論を出すことのできる程薄っぺらい内容ではないことは間違いありません。

じっくりと取り組み、心地よい知的興奮を覚えながらあれこれ熟考するにうってつけの本であることは確かです。
「世界経済史は謎と驚きに満ちている」

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