知命立命 心地よい風景

This is Kiyonori Shutou's weblog

【平家物語】 巻第三 六(三八)頼豪

かつて白河上皇の時代、京極大殿・藤原師実の娘が后になられたことがあった
源顕房の娘が賢子の中宮と呼ばれてご寵愛を受けておられたので、白河上皇は皇子のご誕生を望まれ、当時効験あらたかと評判であった三井寺の僧・頼豪阿闍梨を召し
この后が皇子を授かるよう祈れ
御願が成就したら褒美は望むに任せる
と仰せになった
頼豪はかしこまり承って三井寺に帰り、百日間精根を振り絞って祈ると、中宮はまもなくご懐妊となり、承保元年十二月十六日、安産で皇子がご誕生になった

白河上皇はたいへん喜び、頼豪を内裏へ召して
さて、そちの望みはなんだ
と仰せになると、三井寺に授戒の壇場を建立したいと願い出た
位を飛び越して僧正になりたいとでも申すのかと思っていたが、これは思ってもみない要求だ
そもそも皇子が誕生し、皇位を継承をさせようとするのも世の中を平和に治めたいと思うからだ
今そちの望みを叶えたら、延暦寺が怒って世の中が乱れてしまう
三井寺延暦寺が争ったら天台仏教は滅んでしまうぞ
と拒否された
頼豪は
ああ悔しい
と急いで三井寺に走り帰って、断食し、餓死しようとした

白河上皇はたいへん驚かれ、当時まだ美作守であったという権帥・大江匡房卿を召して
そちは頼豪と師僧と檀那の関係であろう、行ってなだめてまいれ
と仰せになったので、かしこまり承ると急いで三井寺に出向き、頼豪の宿坊へ行って、上皇の仰せを言い聞かせようとしたが、護摩の煙でひどくくすぶった持仏堂に立てこもり、恐ろしげな声で
帝は戯れにものを言わない、その言葉は汗と同じく引っ込めることができないものだというではないか
この程度の望みも叶わないのなら、どうせ自分が祈ってご誕生させた皇子だ、奪い奉って魔道へお連れする
と、ついに対面もしなかった
匡房卿は戻ってこの由を奏聞すると、白河上皇はひどく嘆かれた
頼豪はついに餓死した

そのうちに皇子が苦しまれ、病に臥されたので、さまざまな祈祷を行ったが、回復の兆しは見られなかった
人々が、白髪の老僧が錫杖をついていつも皇子の枕元に佇んでいるのを夢に見たり、現実に立っているのを見たりもした
恐ろしいなどというどころではない

承暦元年八月六日、皇子は御年四歳でついに崩御した
この皇子が敦文親王である

白河上皇はひどく嘆かれ、当時まだ円融坊僧都と呼ばれていた西京の座主・良信大僧正を延暦寺より内裏へ召して
どうしたものか
と相談されると
いつもこのような御願は当延暦寺の力で成就するものでございます
右丞相・九条師輔公も慈恵大僧正と契りを結んでおられたので、冷泉院の皇子がご誕生になりました
たやすいことでございます
と、延暦寺に帰って、百日間精根を振り絞って祈られると、中宮はまもなく百日のうちにご懐妊となり、承暦三年七月九日、安産で皇子がご誕生になった
この皇子が堀河天皇である
怨霊は昔もこのように恐ろしいものであった
今回あれほどめでたい御産に特別な大赦が行われたとはいえ、俊寛僧都ひとりだけが赦免されなかったのだからひどいものである

同・治承二年十二月八日、言仁親王が東宮となられた
東宮傅には小松内大臣重盛殿、東宮大夫には池中納言頼盛卿がなられたという
そうしてその年も暮れ、治承は三年となった

4043574045400201075940060226114062760088B008B5CCPC439661523X4396615396B002EEKTHY

IFTTT

Put the internet to work for you.

Turn off or edit this Recipe