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知命立命 心地よい風景

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『三国志演義』第百十六回 鍾会兵を漢中道に分け、武侯聖を定軍山に顕す

司馬昭は、
「彼に二心があっても、蜀が彼を受け入れるはずがなく、兵も遠征で早く魏に帰りたいと思うであろうから彼に従うはずはない。」
と言った。少帝は恐れ入って平伏した。
鍾会は許褚の子許儀を先鋒にして10万の大軍で蜀に押し寄せた。
鄧艾も詔を受けて羌族と組んで隴西から進み出た。

姜維は魏軍の侵攻を上奏し漢中を守った。後主は黄皓と計ったが、黄皓は、
「これは姜維が功名を上げようとして申してきたもの。それほどお気にかけることはございませぬ。」
と言ったので気にかけなかった。その後も姜維は上奏文を出したが黄皓が隠してしまった。

先鋒の許儀は道を開いて橋を架け、関に押し寄せたが、連弩を浴びせられて退却した。これを聞いた鍾会は自ら討って出たが、連弩を浴びせられて兵を退こうとした。しかし、許儀の作った橋が落ち、蜀軍が押し寄せたので、鍾会は命からがら逃げ戻った。そして、許儀を呼んで橋が落ちて死にそうしなったことをなじって打ち首にした。
そして先鋒をリホにして大軍を率いて押し寄せた。
鍾会は陽安関を守る傅僉に降伏を勧めたが、傅僉は怒って蒋舒に城を守らせて討って出た。しかし、蒋舒が城を開け渡してしまい、傅僉は奮闘して死んだ。
鍾会は定軍山にある諸葛亮の墓におもむいて祭りをした。
その夜、鍾会に一人の男が訪れ、
「今朝は鄭重な挨拶を受けてかたじけない。漢が衰えたのは天命故仕方ないが、蜀の領民は罪もないのに戦いに悩まされて、哀れでございます。そなたが蜀に入ったなら、人民をみだりに殺さぬように心してくれい。」
と言って立ち去った。引き止めようとして、はっと目が覚めるとなんとそれは夢。
諸葛亮の霊と気が付いて感嘆した。
鍾会は「保国安民」と書いた旗を立てて行軍した。
姜維は沓中にあって魏軍が来たと知ると、廖化、張翼達を率いて討って出て、鄧艾と対峙した。しかし、陽安関を鍾会に落とされたという知らせを聞いて陣を払って退いた。そして、廖化、張翼と合流し、張翼から黄皓が軍を出さなかった事を聞いた。姜維は剣閣に兵を退いた。
姜維達が関に近づくと一軍が立ちふさがった。

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