知命立命 心地よい風景

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『三国志演義』第百十五回 班師を詔して後主讒を信じ、屯田に託して姜維禍を避く

姜維は準備が整うと後主に北伐の上奏を出した。
張繍が諌めたが、後主が北伐を許したので、彼は病と言って家に引きこもった。

姜維は廖化を守備に置いて夏侯覇に先鋒を命じた。しかし、夏侯覇は鄧艾に攻めるのを読まれて、城内に攻め入った時に司馬望に矢を射かけられて射殺された。
司馬望が討って出たが、そこに姜維が到着し彼を打ち破った。その後、両軍睨み合ったが、張翼が、
「魏の軍勢はここに集まっておりますゆえ、将軍はここで対峙され、それがしが長安までの陣を奪って参ります。」
と進み出たので、姜維は彼に急行するよう命じた。しかし、鄧艾はこれに気付いて張翼を討ちに行き、姜維も鄧艾が陣から消えたと知ると張翼の加勢に向かった。張翼は、鄧艾に襲われたが、姜維が駆けつけて来たので、魏軍は打ち破られた。

ここに後主は宦官黄皓の言葉を信じて、またもや姜維成都に呼び戻した。姜維は怒って黄皓を排除しようと考えたが、後主が彼をかばうのでそのまま引き下がった。
姜維は、漢中で屯田をする事を上奏し兵糧を確保し、兵権を外に置くことにした。

司馬昭は、鄧艾、鍾会に蜀攻めを命じた。鍾会は船を造って呉を攻めるように見せかけて呉を牽制し、蜀攻めの準備を行った。
そして、鍾会が出陣すると、少帝が、
鍾会は大望を抱く者で、彼一人に兵権を委ねるのは危険でございます。」
と、司馬昭に言った。司馬昭は笑って言った。

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