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『三国志演義』第百十回 文鴦単騎雄兵を退け、姜維水を背にして大敵を破る

司馬師は左目に瘤ができ、痛みが止まらないので、医師に命じて切り取らせた所であり、毌丘倹、文欽達の謀反に出陣できなかった。そこに鍾会が進み出て、
「事が大きいので仕損じたらただでは済みますまい。」
と進言したので、司馬師諸葛誕、胡遵達を率いて自ら病をおして迎え討った。
毌丘倹は、司馬師自ら兵を率いて来たので皆で評議しているところに、呉の孫峻が寿春に押し寄せたと聞いて兵を退いた。
司馬師は鄧艾を呼び寄せて、自らも討って出ようとした。しかし、鄧艾が来る前に瘤が裂けてしまい、幕中に臥せていたところに文欽が息子文鴦とともに討って出てきた。文鴦が手に負えぬ剛の者と聞くと、司馬師は大いに怒った。その拍子に瘤の切り口から目玉が飛び出した。
文鴦は敵陣に斬り込み暴れ回ったが、そこに鄧艾が現れた。文鴦は彼と50合いしても勝負がつかず、そこに魏軍が押し寄せたので文鴦は逃げだし、ただ一騎で落ち延びた。文鴦は魏軍に追いつかれそうになるが、馬を返して大喝一声で魏軍を押し返した。そして寿春目指して落ち延びた。文欽が寿春に戻れば、そこは諸葛誕の軍が入っており、鄧艾、胡遵達が押し寄せてきたので、東呉の孫峻を頼って落ち延びた。
毌丘倹は鄧艾と戦ったが、胡遵達が到着したので、血路を開いて落ち延びた。しかし、途中で慎県の県令ソウハクにかくまわれたが、もてなしの酒に酔ったところを彼に殺された。
かくして反乱は平定された。
司馬師は病の床につき、諸葛誕印綬を渡して後を任せ陣払いをした。
司馬師は死期を悟って司馬昭を呼んで印綬を渡して後を任せた。司馬師は一声叫んで目玉が飛び出て死んだ。
司馬昭は魏主に知らせれば、魏主は司馬昭に東呉に備えるように命じた。そして、兄の跡を継がせて大将軍に封じた。

蜀では、姜維がこれを知って後主に魏討伐を上奏し、5万の兵を従えて行軍した。魏の王経は、姜維が水を背に陣を布いているのを見て、
「蜀軍はいったん破れたら溺れ死ぬばかりじゃ。」
と言って討って出た。
姜維は、
「ここで破れたら死あるのみじゃ。」
と軍を奮い立たせて迎え討った。奮い立った蜀軍は見事魏軍を打ち破り王経は大敗した。姜維張翼が諌めるのも聞かずにさらに進軍した。そこに鄧艾が援軍に駆けつけたので、張翼に王経を攻めさせて自分は援軍を迎え討った。しかし、鄧艾、陳泰の軍に待ち受けられて火計を喰らって、全軍まとめて漢中に戻った。
さて、後主は姜維を大将軍に封じ、姜維はさらに魏討伐に向かおうとした。

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