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知命立命 心地よい風景

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『三国志演義』第百六回 公孫淵兵に敗れて襄平に死し、司馬懿病いと詐って曹爽を賺く

公孫淵は遼東15万の兵を中原に進めてくると、魏主は司馬懿にはかった。司馬懿は命を受けて出陣し、公孫淵が戦いを避け魏軍の疲れを待っているのに気付いて襄平を攻めに向かった。これに気付いた卑衍、楊祚は遼東に急いで向かった。司馬懿は卑衍、楊祚が来ると知ると、夏侯覇、夏侯威に伏兵を命じて討ち破った。卑衍は夏侯覇に討ち取られ、公孫淵の敗軍は襄平城に立て篭もった。
司馬懿は、襄平城を兵糧責めにし、公孫淵が降伏の使者を使わして来たが受け入れなかった。公孫淵は、その夜落ち延びようとしたが伏兵に襲われて捕らえられ、斬首された。

さて魏主は宮中にあったが病になり次第に悪化し、曹真の長子曹操を大将軍として、司馬懿とともに太子曹豹を補佐するように言った。そして手で太子を指さして息を引き取った。36歳であった。
司馬懿曹操は8歳の曹豹を帝位に即けた。大将軍カシンの孫、何晏は曹操に、
「他人に大権を与えるべきではありませぬ。のちに禍がかかるやもしれませぬ。それに、父君が司馬懿に辱められたのをお忘れか。」
と、進言して司馬懿を兵権から遠ざけた。司馬懿は病と偽って家に篭もった。
曹操は、配下の諌めも聞かずに巻狩りに出て、司馬懿の病の様子を伺った。
司馬懿の病はひどくいつ死ぬともしれない様だったので安心して巻狩りをした。

司馬懿曹操が巻狩りに城を出たと知ると、いたく喜んで彼の命を奪おうと乗り出した。

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