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知命立命 心地よい風景

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『三国志演義』第九十七回 魏国を討たんとして武侯再び表を上り、曹兵を破らんとして姜維詐って書を献ず

さて、曹休は、洛陽に戻って心痛のあまり病になって死んだので、魏主は彼を手厚く葬らせた。司馬懿は、蜀が攻めてくるのを警戒して直ちに戻って来た。
蜀は、呉の使者から魏を討つように要請され出陣をしようとしていたが、そこに趙雲の死が知らされた。後主は声を上げて泣き、詔を下して趙雲に大将軍の位を追贈した。
諸葛亮は、「出師の表」を奉って魏延を先鋒に軍をおこした。これを知った魏は曹真を大都督に、郭淮張郃達に要害を固めさせた。

魏延は城を攻めたてるが、郝昭の守りに攻め落とせずにいた。郝昭の旧友金尚が彼を説得し投降させようとしたが全く相手にされなかった。怒った諸葛亮は、
「わしに城攻めの道具がないと思っておるのか。たかが3千の兵で防げると思うてか。」
と言って陣中で雲梯を組み立て攻め込んだが、火矢で撃退され退却した。怒った諸葛亮は、その夜の内に衝車をそろえて、翌日攻め込んだが石を投げかけられて撃退された。20日あまり攻めたてたが城は落ちず、魏軍の援軍王双が到着した。
謝雄、キョウキが進み出て、援軍を迎え討ったが、2人は王双に軽く討ち取られてしまった。廖化、王平張嶷が迎え討つが、3人も王双の前に逃げ戻ってきた。諸葛亮姜維とはかってやむなく兵を退いた。

曹真は司馬懿に功を奪われ口惜しく思っていたが、そこに姜維から、「諸葛亮の計にかかってやむなく降伏させられたが、内応して先の罪を償いたい。」と密書が届いたので、大いに喜んで費耀に5万の兵を与えて進めた。しかしこれは姜維の計略で、誘い込まれた費耀は蜀軍に囲まれて大敗し自ら首をはねた。

曹真は費耀が殺されたと知って郭淮と計ったが、孫礼、辛毗が魏主にこの事を上奏したので魏主は司馬懿に計った。司馬懿は、
「臣は既に蜀を退ける計を立ててございます。」

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