知命立命 心地よい風景

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『三国志演義』第九十六回 孔明涙を揮って馬謖を斬り、周魴髪を断って曹休を賺く

さて、策を献じたのは魏の尚書孫氏であった。彼は、
「諸処の要害を固め、蜀と呉の戦いを待って討伐されれば勝利は疑いござりませぬ。」
と献じ、魏主は司馬懿に計った。司馬懿も孫氏に同意したので、魏主は要害に大将を出して洛陽に戻った。

諸葛亮は漢中にあって、趙雲、鄧芝だけが戻っておらず、いたく心配していたが、趙雲は自ら後詰めをして敵の心胆を寒からしめたので追ってくる者なく一兵も失わずに鄧芝とともに漢中に戻ってきた。丞相はこれをいたく喜んだ。
かかる時、馬謖王平、コウショウが帰着したので、諸葛亮は、王平を強くなじって、
馬謖を諌めず、あの布陣は何か。」
「それがし再三諌めましたが聞き入れられず、1人で5千を率いて道筋に土塁を築いて陣を構えました。そこへ不意に魏軍が山を囲みました故、加勢に駆けつけましたがかなわず落ち延びました。」
諸葛亮は、彼を引き下がらせ馬謖を呼んだ。馬謖は自分を縛って幕下にひざまずいた。諸葛亮は、
「そなたが王平の諌めを聞き入れておれば今度のような事にはならなかったのじゃ。軍律を揺るがすわけにはいかぬ故打ち首とするが、そなた死後も家族はわしから扶持をくれてやるゆえ安堵致すがよい。」
と言った。蒋琬は処刑することを諌めたが、法をおろそかには出来ぬと、涙を流しながら彼を打ち首にした。
そして、先帝の遺言で、「馬謖を重く用いるな」とあったことを思い返して泣いた。諸葛亮は、自ら位を右将軍に降格して丞相の職務を行った。

魏主はこれを知ると司馬懿に計ったが、守りを固めるように進言され、陳倉に城を築いて郝昭に守らせた。そこに、揚州司馬、大都督の曹休から、呉のシュウホウが降ってともに呉を攻るので軍を出して欲しいという要請が来た。
建威将軍賈逵は罠であると諌めたが、司馬懿は、
「賈逵の言うこと一理ありますが、この機を逃すのも惜しいと思います。」
と進言し、魏主は賈逵、司馬懿を向かわせた。

呉の陸遜は魏が罠にかかった事を知ると、朱桓、ゼンソウを率いて魏軍を迎え討った。

さて、曹休がシュウホウと会って、
「このたびはそなたの書面を受け取り大軍をおこすことになった。ただ、そなたが計っておるという者もあるのじゃ。わしはそなたが欺く事はないと思っておるぞ。」
と言ったので、シュウホウは、剣を引き抜いて自分の首をかききろうとした。ソウキュウが慌てて止めると、
「それがしの肝胆まで言い表せなかった事、無念に思います。」
と言って髪を切って誠心を見せた。曹休は心から彼を信じ、酒宴を開いてもてなした。
酒宴が終わった頃、賈逵が到着し計略であると曹休を諌めたが、彼は聞き入れずに自ら軍勢を率いて東関に向かった。
陸遜は徐盛に先鋒を命じて打ち立った。曹休は、シュウホウとともに石亭におもむいたが、呉軍が陣取りしているのでシュウホウに何故呉軍がいるのか聞こうとしたが彼の姿はなかった。そこに朱桓、ゼンソウが背後から火を放ったので大騒ぎとなり同士討ちが始まり、曹休は慌てて逃げ出した。そして賈逵に助けられて落ち延び、大敗したと知った司馬懿も軍を退いた。
陸遜はシュウホウをあつくねぎらって関内侯に封じた。そして陸遜は、「国書をお作りになって使者を蜀に遣わし、蜀に軍を進めるようにさせるがよろしゅうござります。」
孫権に進言した。孫権はこれに従った。

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