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【源氏物語】 (弐佰弐拾弐) 蜻蛉 第二章 浮舟の物語 浮舟失踪と薫、匂宮

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。
物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされています。
物語は、母系制が色濃い平安朝中期(概ね10世紀頃)を舞台に、天皇親王として出生し、才能・容姿ともにめぐまれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏の栄華と苦悩の人生、およびその子孫らの人生が描かれているのです。

そんな今回は、「蜻蛉」の物語の続きです。
【源氏物語】 (佰漆拾壱)第三部 はじめ 源氏没後の子孫たちの恋と人生!

第二章 浮舟の物語 浮舟失踪と薫、匂宮
 [第一段 薫、石山寺で浮舟失踪の報に接す]
 大将殿は、母入道の宮がお悩みになったので、石山寺に参籠なさって、おとりこみの最中であった。そうして、ますますあちらを気がかりにお思いになったが、はっきりと、「こうだ」と言う人がいなかったので、このような大変な事件にも、まっさきにご使者がないのを、世間体もつらいと思うが、御荘園の者が参上して、「これこれしかじかです」とご報告申し上げさせたので、驚き呆れた気がなさって、ご使者が、その翌日のまだ早朝に参上した。
 「ご一大事は、聞くなりすぐに自分が駆けつけるべきところ、このようにご病気でいらっしゃる御事のために、身を清めて、このような所に日数を決めて参籠しておりますので。昨夜の事は、どうして、こちらに連絡して、日を延期してでもそういうことはするべきものを、たいそう簡略な様子で、急いでなさったのか。どのようにしたところで、同じく言っても始まらないことだが、最後の葬儀さえ、山賤の非難を受けるのが、わたしにとってもつらい」
 などと、あの信任厚い大蔵大輔を使者としておっしゃった。お使いが来たことにつけても、ますます悲しいので、何とも申し上げようのないことなので、ただ涙にくれているだけを口実にして、はっきりともお答え申し上げずに終わった。

 [第二段 薫の後悔]
 殿は、やはり、実にあっけなく悲しいとお聞きなるにも、
 「何という嫌な土地であろう。鬼などが住んでいるのだろうか。どうして、今までそのような所に置いておいたのだろう。思いがけない方面からの過ちがあったようなのも、こうして放っておいたので、気楽さから、宮も言い寄りなさったのだろう」
 と思うにつけても、自分の迂闊で世間離れした心ばかりが悔やまれて、お胸が痛く思われなさる。お患いあそばしているところで、このような事件でご困惑なさるのも不都合なことなので、京にお帰りになった。
 宮の御方にもお渡りにならず、
 「大したことではございませんが、不吉な事を身近に聞きましたので、気持ちが静まらない間は縁起でもないので」
 などと申し上げなさって、どこまでもはかなく無常の世をお嘆きになる。生前の容姿、まことに魅力的で、かわいらしかった雰囲気などが、たいそう恋しく悲しいので、
 「現世には、どうしてこのようにも夢中にならず、のんびりと過ごしていたのだろう。今では、まったく気持ちを静めるすべもないままに、後悔されることが数知れない。このような方面の事につけて、ひどく物思いをする運命なのだ。世人と異なって道心を身上とした人生なのに、思いの外に、このように普通の人のように生き永らえているのを、仏などが憎いと御覧になるのではなかろうか。人に道心を起こさせようとして、仏がなさる方便は、慈悲をも隠して、このようになさるのであろうか」
 と思い続けなさりながら、勤行ばかりをなさる。

 [第三段 匂宮悲しみに籠もる]
 あの宮はまた宮で、彼以上に、二、三日は何も考えることができず、正気もない状態で、「どのような御物の怪であろうか」などと騒ぐうち、だんだんと涙も流し尽くして、お気持ちが静まって、生前のご様子が恋しく悲しく思い出されなさるのであった。周囲の人には、ただご病気が篤い様子ばかりに見せて、「このような無性に涙顔でいる様子を知らせまい」と、気強く隠そうとお思いになったが、自然とはっきりしていたので、
 「どのような事にこんなにご困惑なさり、お命も危ないまでに嘆き沈んでいらっしゃるのだろう」
 と、言う人もいたので、あちらの殿におかれても、とてもよくこのご様子をお聞きになると、「そうであったか。やはり、単なる文通だけではなかったのだ。御覧になっては、きっとそのように熱中なさるはずの女である。もし生きていたら、他人の関係以上に、自分にとって馬鹿らしい事が出て来るところだった」とお思いになると、恋い焦がれる気持ちも少しは冷める気がなさった。

 [第四段 薫、匂宮を訪問]
 宮のお見舞いに、毎日参上なさらない方はなく、世間の騷ぎとなっているころ、「大した身分でもない女のために閉じ籠もって、参上しないのも変だろう」とお思いになって参上なさる。
 そのころ、式部卿宮と申し上げた方もお亡くなりになったので、御叔父の服喪で薄鈍でいるのも、心中しみじみと思いよそえられて、ふさわしく見える。少し顔が痩せて、ますます優美さがまさっていらっしゃる。お見舞い客が退出して、ひっそりとした夕暮である。
 宮は、臥せって沈んでばかりいられないお気持ちなので、疎遠な客にはお会いにならないが、御簾の内側にもいつもお入りになる方には、お会いなさらないことできもない。顔をお見せになるのも何となく気がひける。お会いなさるにつけても、ますます涙が止めがたいのをお思いになるが、冷静になって、
 「大した病気ではございませんが、誰もが、用心しなければならない病状だ、とばかり言うので、帝におかれても母宮におかれても、御心配なさるのがとてもつらくて、なるほど、世の中の無常を、心細く思っております」
 とおっしゃって、押し拭ってお隠しになろうとする涙が、そのまま防ぎようもなく流れ落ちたので、たいそう体裁が悪いが、「必ずしもどうして気がつこうか。ただ女々しく心弱い者のように見るだろう」とお思いになるが、「そうであったのか。ただこの事だけをお悲しみになっていたのだ。いつから始まったのだろうか。自分を、どんなにも滑稽に物笑いなさるお気持ちで、この幾月もお思い続けていらしたのだろう」
 と思うと、この君は、悲しみはお忘れになったが、
 「何とまあ、薄情な方であろうか。物を切に思う時は、ほんとこのような事でない時でさえ、空を飛ぶ鳥が鳴き渡って行くのにつけても、涙が催されて悲しいのだ。わたしがこのように何となく心弱くなっているのにつけても、もし真相を知っても、それほど人の悲しみを分からない人ではない。世の中の無常を身にしみて思っている人は冷淡でいられることよ」
 と、羨ましくも立派だともお思いなさる一方で、女のゆかりと思うとなつかしい。この人に向かい合っている様子をご想像になると、「形見ではないか」と、じっと見つめていらっしゃる。

 [第五段 薫、匂宮と語り合う]
 だんだんと世間の話を申し上げなさると、「とても隠しておくこともあるまい」とお思いになって、
 「昔から、胸のうちに秘めて少しも申し上げなかったことを残しております間は、ひどくうっとうしくばかり存じられましたが、今は、かえって身分も高くなりました。わたくし以上に、お暇もないご様子で、のんびりとしていらっしゃる時もございませんので、宿直などにも、特に用事がなくては伺候することもできず、何となく過ごしておりました。
 昔、御覧になった山里に、あっけなく亡くなった方の、同じ姉妹に当たる人が、意外な所に住んでいると聞きつけまして、時々逢いもしようか、と存じておりましたが、不都合にも世間の人の非難もきっとあるような時でしたので、あの山里に置いておきましたところ、あまり行って逢うこともなく、また一方、女も、わたくし一人を頼りにする気持ちも特になかったのであろうか、と拝見しましたが、れっきとした重々しい扱いをいたす夫人ならともかく、世話するのには、格別の落度もございませんのに、気楽でかわいらしいと存じておりました女が、まことにあっけなく亡くなってしまいました。すべて世の中の有様を思い続けますと、悲しいことだ。お聞き及びのこともございましょう」
 と言って、今初めてお泣きになる。
 この方も、「まこと涙顔はお見せ申すまい。馬鹿らしい」と思ったが、いったん流れ出しては止めがたい。態度がやや取り乱しているようなので、「いつもと違っている、気の毒だ」とお思いになるが、平静を装って、
 「まことにお気の毒なことを。昨日ちらっと聞きました。どのようにお悔やみ申し上げようかと存じながら、特に世間にお知らせなさらないことと、聞きましたので」
 と、さりげなくおっしゃるが、とても我慢できないので、言葉少なくいらっしゃる。
 「適当なお方としてお目にかけたい、と存じておりました女でした。自然とそのようなこともございましたでしょうか、お邸にも出入りする縁故もございましたので」
 などと、少しずつ当てこすって、
 「ご気分がすぐれないうちは、つまらない世間話をお聞きになって、驚きなさるのも、つまらないことです。どうぞ大事になさってください」
 などと、申し上げ置いて、お帰りになった。

 [第六段 人は非情の者に非ず]
 「ひどくご執心であったな。まことにあっけなかったが、やはりよい運勢の女であった。今上の帝や、后が、あれほど大切になさっていらっしゃる親王で、顔かたちをはじめとして、今の世の中には他にいらっしゃらないようだ。寵愛なさる夫人でも、並一通りでなく、それぞれにつけて、この上ない方をさしおいて、この女にお気持ちを尽くし、世間の人が大騒ぎして、修法、読経、祈祷、祓いと、それぞれ専門に騒ぐのは、この女に執着したための、ご病気であったのだ。
 自分も、これほどの身分で、今上の帝の内親王をいただきながら、この女がいじらしく思えたのは、宮に負けていようか。それ以上に、今は亡き人かと思うと、心の静めようがない。とはいえ、愚かしいことだ。そうはすまい」
 と我慢するが、いろいろと思い乱れて、
 「人は木や石ではないので、みな感情をもっている」
 と、口ずさみなさって臥せっていらっしゃった。
 後の葬送なども、まことに簡略にしてしまったのを、「宮におかれてもどのようにお聞きになろうか」と、お気の毒で張り合いがないので、「母が普通の身分で、兄弟のある人はなどと、そのような人は言うことがあるというのを思って、簡略にするのであったろう」などと、気にくわなくお思いになる。
 気がかりさも限りがないので、その時の実際の様子を自分でも聞きたくお思いになるが、「長い忌籠もりなさるのも不都合である。行くには行ってもすぐ帰るのは心苦しい」などと、ご思案なさる。

 
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