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【源氏物語】 (弐佰弐拾壱) 蜻蛉 第一章 浮舟の物語 浮舟失踪後の人びとの動転

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。
物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされています。
物語は、母系制が色濃い平安朝中期(概ね10世紀頃)を舞台に、天皇親王として出生し、才能・容姿ともにめぐまれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏の栄華と苦悩の人生、およびその子孫らの人生が描かれているのです。

そんな今回は、「蜻蛉」の物語です。
【源氏物語】 (佰漆拾壱)第三部 はじめ 源氏没後の子孫たちの恋と人生!

第一章 浮舟の物語 浮舟失踪後の人びとの動転
 [第一段 宇治の浮舟失踪]
 あちらでは、女房たちが、いらっしゃらないのを探して大騷ぎするが、その効がない。物語の姫君が、誰かに盗まれたような朝のようなので、詳しくは話し続けない。京から、先日の使者が帰れなくなってしまったので、気がかりに思って、再び使者をよこした。
 「まだ、鶏が鳴く時刻に、出立させなさった」
 と使者が言うと、どのように申し上げようと、乳母をはじめとして、あわてふためることこの上ない。推量しても見当がつかず、ただ大騷ぎし合っているのを、あの事情を知っている者どうしは、ひどく物思いなさっていた様子を思い出すと、「身を投げなさったのか」と思い寄るのであった。
 泣きながらこの手紙を開くと、
 「とても気がかりなので、眠れませんでしたせいでしょうか、今夜は夢でさえゆっくりと見えません。悪夢にうなされうなされして、気分も普段と違って悪うございますよ。やはりとても恐ろしく、あちらにお移りになる日は近くなったが、その前後に、こちらにお迎え申しましょう。今日は雨が降りそうでございますので」
 などとある。昨夜のお返事を開いて見て、右近はひどく泣く。
 「そうであったか。心細いことを申し上げなさっていたのだ。わたしに、どうして少しもおしゃってくださらなかったのだろう。幼かった時から、少しも分け隔て申し上げることもなく、塵ほども隠しだてすることなくやって来たのに、最期の別れ路の時に、わたしを後に残して、そのそぶりさえお見せにならなかったのがつらいことだ」
 と思うと、足摺りということをして泣く有様は、若い子供のようである。ひどくお悩みのご様子は、ずっと拝見して来たが、まったく、このように普通の人と違って大それたこと、お思いつくとは見えなかった方のお気持ちを、「やはり、どうなさったことか」と分からず悲しい。
 乳母は、かえって何も分からなくなって、ただ、「どうしよう。どうしよう」と言うだけであった。

 [第二段 匂宮から宇治へ使者派遣]
 宮にも、まことにいつもと違った様子であったお返事に、「どのように思っているのだろう。わたしを、そうはいっても愛している様子でいながら、浮気な心だとばかり、深く疑っていたので、他へ身を隠したのであろうか」とお慌てになって、お使者がある。
 居合わせた者たちが泣き騒いでいるところに来て、お手紙も差し上げられない。
 「どうしたことか」
 と下衆女に尋ねると、
 「ご主人様が、今夜、急にお亡くなりになったので、何もかも分からなくいらっしゃいます。頼りになる方もいらっしゃらない時なので、お仕えなさっている方々は、ただ物に突き当たっておろおろなさっています」
 と言う。事情を深く知らない男なので、詳しくは尋ねないで帰参した。
 「こうこうでした」と申し上げさせたところ、夢のように思われて、
 「まことに変だ。ひどく患っていたとも聞いてない。日頃、気分が悪いとばかりあったが、昨日の返事は変わったこともなくて、いつものよりも興趣があったものを」
 と、ご想像もおつきにならないので、
 「時方、行って様子を見て、はっきりとしたことを尋ね出せ」
 とおっしゃると、
 「あの大将殿は、どのようなことか、お聞きになっていることがございましたのでしょう、宿直をする者が怠慢である、などと訓戒なさったと言って、下人が退出するのさえ、注意して調べると言いますので、口実もなくて、時方が参ったのを、事が漏れたりしましたら、お気づきになることがございましょう。そうして、急に人のお亡くなりになった所は、言うまでもなく騒がしく、人目が多くございましょうから」と申し上げる。
 「そうかといって、まことに気がかりなままでいられようか。やはり、何か適当に計らって、いつものように、事情を知っている侍従などに会って、どうしたわけでこのように言うのか、と尋ねよ。下衆も間違ったことを言うものだ」
 とおっしゃるので、お気の毒なご様子も恐れ多くて、夕方に行く。

 [第三段 時方、宇治に到着]
 身分の軽い者は、すぐに行き着いた。雨が少し降り止んだが、難儀な山道を身を簡略にして、下衆の恰好で来たところ、人が大勢立ち騒いで、
 「今夜、このままご葬送申し上げるのです」
 などと言うのを聞く気分も、驚き呆れて思われる。右近に案内を乞うたが、会うことはできない。
 「ただ今は、何も分かりません。起き上がる気持ちもしません。それにしても、今夜を最後に、このようにお立ち寄りになるのでしょうが、お話しできませんことが」
 と言わせた。
 「そうは言っても、このようにはっきり分かりませんでは、どうして帰参できましょう。せめてもうお一方にでも」
 と切に言ったので、侍従が会ったのであった。
 「まことに呆れたことです。ご自身も思いがけない様子でお亡くなりになったので、悲しいと言っても言い足りず、夢のようで、誰も彼もが途方に暮れています旨を申し上げてくださいませ。少しでも気分が落ち着きましたら、日頃、物思いなさっていた様子や、先夜、ほんとうに申し訳なくお思い申し上げていらした有様などを、お聞かせ申し上げましょう。この穢など、世間の人が忌む期間が過ぎてから、もう一度お立ち寄りくださいませ」
 と言って、泣く様子はまことに大変である。

 [第四段 乳母、悲嘆に暮れる]
 内側でも泣く声ばかりがして、乳母であろう、
 「わが姫君は、どこに行かれてしまったのか。お帰りください。むなしい亡骸をさえ拝見しないのが、効なく悲しいことよ。毎日拝見しても物足りなくお思い申し、早く立派なご様子を拝見しようと、朝夕にお頼み申し上げていたので、寿命も延びました。お見捨てになって、このように行く方もお知らせにならないこと。
 鬼神も、わが姫君をお取り申すことはできまい。皆がたいそう惜しむ人を、帝釈天もお返しになるという。姫君をお取り申し上げたのは、人であれ鬼であれ、お返し申し上げてください。御亡骸を拝見したい」
 と言い続けるが、合点の行かないことがあるのを、変だと思って、
 「やはり、おっしゃってください。もしや、誰かがお隠し申し上げなさったのか。確かな事をお聞きなさろうとして、ご自身の代わりに出立させなさったお使いです。今は、何にしても効のないことですが、後にお聞き合わせになることがございましょうが、違ったことがございましたら、聞いて参ったお使いの落度になるでしょう。
 また、そのようなことはあるまいとご信頼あそばして、『あなた方にお会いせよ』と仰せになったお気持ちを、もったいないとはお思いになりませんか。女の道に迷いなさることは、異国の朝廷にも、古い幾つもの例があったが、またこのようなことは、この世にない、と拝見しています」
 と言うので、「おっしゃるとおり、まことに恐れ多いお使いだ。隠そうとしても、こうして珍しい事件の様子は、自然とお耳に入ろう」と思って、
 「どうして、少しでも、誰かがお隠し申し上げなさったのだろう、と思い寄るようなことがあったら、こんなにも皆が泣き騒ぐことがございましょうか。日頃、とてもひどく物を思いつめているようでしたので、あの殿が、厄介なことに、ちらっとおっしゃってくることなどもありました。
 お母上でいらっしゃる方も、このように大騷ぎする乳母なども、初めから知り合った方のほうにお引っ越しなさろう、と準備し出して、宮とのご関係を、誰にも知られない状態にばかり、恐れ多くもったいないとお思い申し上げていらっしゃいましたので、お気持ちも乱れたのでしょう。驚き呆れますが、ご自分から身をお亡くしになったようなので、このように心の迷いに、愚痴っぽく言い続けてしまうのでしょう」
 と、そうはいっても、ありのままにではなく暗示する。合点が行かず思われて、
 「それでは、落ち着いてから参りましょう。立ちながら話しますのも、まことに簡略なようです。いずれ、宮ご自身でもお出でになりましょう」
 と言うと、
 「まあ、恐れ多い。今さら、人がお知り申すのも、亡きお方のためには、かえって名誉なご運勢と見えることですが、お隠しになっていた事なので、またお漏らしあそばさないで、終わりなさることが、お気持ちに従うことでしょう」
 こちらでは、このように異常な形でお亡くなりになった旨を、人に聞かせまいと、いろいろと紛らわしているが、「自然と事件の子細も分かってしまうのでは」と思うと、このように勧めて帰らせた。

 [第五段 浮舟の母、宇治に到着]
 雨がひどく降ったのに隠れて、母君もお越しになった。まったく何とも言いようなく、
 「目の前で亡くなった悲しさは、どんなに悲しくあっても、世の中の常で、いくらでもあることだ。これは、いったいどうしたことか」
 とうろうろする。このような込み入った事件があって、ひどく物思いなさっていたとは知らないので、身を投げなさったとは思いも寄らず、
 「鬼が喰ったのか。狐のような魔物が連れさらったのか。まことに昔物語の妙な事件の例にか、そのような事も言っていた」
 と思い出す。
 「それとも、あの恐ろしいとお思い申し上げる方の所で、意地悪な乳母のような者が、このようにお迎えになる予定と聞いて、目障りに思って、誘拐を企んだ人でもあろうか」
 と、下衆などを疑って、
 「新参者で、気心の知れない者はいないか」
 と尋ねるが、
 「とても世間離れした所だといって、住み馴れない新参者は、こちらではちょっとしたこともできず、又すぐに参上しましょう、と言っては、皆、その引っ越しの準備の物などを持っては、京に帰ってしまいました」
 と言って、元からいる女房でさえ、半分はいなくなって、まことに人数少ないときであった。

 [第六段 侍従ら浮舟の葬儀を営む]
 侍従などは、日頃のご様子を思い出して、「死んでしまいたい」などと、泣き入っていらした時々の様子、書き置きなさった手紙を見ると、「亡くなった後形に」と書き散らしていらっしゃったものが、硯の下にあったのを見つけて、川の方角を見やりながら、ごうごうと轟いて流れている川の音を聞くにつけても、気味悪く悲しいと思いながら、
 「こうして、お亡くなりになった方を、あれこれと噂し合って、どなたもどなたも、どのようなふうにお亡くなりになったのか、とお疑いになるのも、お気の毒なこと」
 と相談し合って、
 「秘密の事とは言っても、ご自身から引き起こした事ではない。母親の身として、後に聞き合わせなさったとしても、別に恥ずかしい相手ではないのを、ありのままに申し上げて、このようにひどく気がかりなことまで加わって、あれこれ思い迷っていらっしゃる様子は、少しは合点の行くようにして上げよう。お亡くなりになった方としても、亡骸を安置し弔うのが、世間一般であるが、世間の例と変わった様子で幾日もたったら、まったく隠しおおせないだろう。やはり、申し上げて、今は世間の噂だけでも取り繕いましょう」
 と相談し合って、こっそりと生前の状態を申し上げると、言う人も正気を失って、言葉も続かず、聞く気持ちも乱れて、「それでは、このとても荒々しい川に、身を投じて亡くなったのだ」と思うと、ますます自分も落ち込んでしまいそうな気がして、
 「流れて行かれた方角を探して、せめて亡骸だけでもちゃんと葬儀したい」
 とおっしゃるが、
 「全然何の効もありません。行く方も知れない大海原にいらっしゃったでしょう。それなのに、人が言い伝えることは、とても聞きにくい」
 と申し上げるので、あれやこれやと思うと、胸がこみ上げてくる気がして、どうにもこうにもなすすべもなく思われなさるが、この女房たち二人で、車を寄せさせて、ご座所や、身近にお使いになったご調度類など、みなそのままそっくり脱いで置かれた御衾などのようなものを詰めこんで、乳母子の大徳や、その叔父の阿闍梨、その弟子の親しい者など、昔から知っていた老法師など、御忌中に籠もる者だけで、人が亡くなった時の例にまねて、出立させたのを、乳母や、母君は、まことにひどく不吉だと倒れ転ぶ。

 [第七段 侍従ら真相を隠す]
 大夫や、内舎人など、脅迫申し上げた者どもが参って、
 「ご葬送の事は、殿に事情を申し上げさせなさって、日程を決められて、厳かにお勤め申し上げるのがよいでしょう」
 などと言ったが、
 「特別に、今夜のうちに行いたいのです。たいそうこっそりにと思っているところがありますので」
 と言って、この車を、向かいの山の前の野原に行かせて、人も近くに寄せず、この事情を知っている法師たちだけで火葬させる。まことにあっけなくて、煙は消えた。田舎者どもは、かえって、このようなことを仰々しくして、言忌などを深くするものだったので、
 「まことに変なこと。きまりの作法などが、あることもなさらずに、いかにも下衆のように、あっけなくなさったことよ」
 と非難すると、
 「兄弟などのいらっしゃる方は、わざとこのように、京の方はなさる」
 などと、いろいろと感心しないことを言うのであった。
 「このような者どもが言ったり思ったりするだけでも憚れるのに、それ以上に、噂が漏れて広がる世の中では、大将殿あたりで、亡骸もなくお亡くなりになった、とお聞きになったら、きっとお疑いになることがあろうが、宮もまた、親しいお間柄であるから、そのような人がいらっしゃるかいらっしゃらないかは、しばらくの間は隠していると疑っても、いつかは明らかになるであろう。
 また一方、きっと宮だけをお疑い申し上げることはなさらないだろう。どのような人が連れて行って隠したのだろうなどと、お考え寄りになるだろう。生きていらした間のご運勢は、とても高くいらした方が、なるほど亡くなって後は、たいへんな疑いをお受けになるのだろうか」
 と思うと、この家にいる下人どもにも、今朝の慌ただしかった騒動に、「その様子を見たり聞いたりした者には口止めをし、事情を知らない者には聞かせまい」などとごまかしたのであった。
 「年月が経ったら、どちらにも、静かに、生前のご様子を申し上げよう。ただ今は、悲しみも覚めるようなことを、ふと人伝てにお聞きなさると、やはりとてもお気の毒なことになるであろう」
 と、この人ら二人は、深く良心が咎めるので、隠すのであった。

 
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