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【源氏物語】 (弐佰弐拾) 浮舟 第七章 浮舟の物語 浮舟、匂宮にも逢わず、母へ告別の和歌を詠み残す

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。
物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされています。
物語は、母系制が色濃い平安朝中期(概ね10世紀頃)を舞台に、天皇親王として出生し、才能・容姿ともにめぐまれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏の栄華と苦悩の人生、およびその子孫らの人生が描かれているのです。

そんな今回は、「浮舟」の物語の続きです。
【源氏物語】 (佰漆拾壱)第三部 はじめ 源氏没後の子孫たちの恋と人生!

第七章 浮舟の物語 浮舟、匂宮にも逢わず、母へ告別の和歌を詠み残す
 [第一段 内舎人、薫の伝言を右近に伝える]
 殿からは、あの先日の返事をさえおっしゃらずに、幾日も過ぎた。この恐ろしがらせた内舎人という者が来た。なるほど、たいそう荒々しく不格好に太った様子をした老人で、声も嗄れ、何といっても凄そうなのが、
 「女房に、お話申し上げたい」
 と言わせたので、右近が会った。
 「殿からお呼び出しがございましたので、今朝参上しまして、たった今、帰って参りました。雑事などをお命じになった折に、こうしてここにいらっしゃる間は、夜中、早朝の間も、わたくしどもがこうしてお勤め申している、とお思いになって、宿直人を特にお差し向け申し上げることもなかったが、最近お耳になさるには、
 『女房のもとに、素性の知れない者供が通っているようにお聞きになったことがある。不届きなことである。宿直に仕える者供は、その事情を聞いていよう。知らないでは、どうしていられよう』
 とお尋ねあそばしたのが、全然知らないことなので、
 『わたくしは病気が重くございまして、宿直いたしますことは幾月も致しておりませんので、事情を知ることができません。しかるべき男どもは、怠けることなく警護させておりますのに、そのようなもってのほかのことがございますのを、どうして知らないでいられましょう』
 と申し上げさせました。気をつけてお仕えなさい。不都合なことがあったら、厳重に処罰なさる旨のご命令がございますので、どのようなお考えなのかと、恐ろしく存じております」
 と言うのを聞くと、梟が鳴くのよりも、とても恐ろしい。返事もしないで、
 「そうか。申し上げたことに違わないことをお聞きあそばせ。事の真相をお察しになったようです。お手紙もございませんよ」
 と嘆く。乳母は、ちらっと聞いて、
 「とても嬉しいことをおっしゃった。盗賊が多いという所で、宿直人も最初のころのようではありません。みな、代理だと言っては、変な下衆ばかりを差し向けていたので、夜回りさえできなかったが」と喜ぶ。

 [第二段 浮舟、死を決意して、文を処分す]
 女君は、「なるほど、今はまことに悪くなってしまった身の上のようだ」とお思いになっているところに、宮からは、
 「いかがですか、いかがですか」
 と、苔が乱れるような無理なことをおっしゃるのが、とても厄介である。
 「どちらにしても、それぞれの方につけて、とても嫌なことが出て来よう。自分一人がいなくなるのが最もよいようだ。昔は、懸想する男の気持ちが、どちらとも決められないのに思いわずらって、それだけで身を投げた例もあった。生き永らえたら、きっと嫌な目に遭ってしまいそうな身で、死ぬのに、どうして惜しい身であろう。親も少しの間は嘆きなさろうが、大勢の子供の世話で、自然と忘れよう。生きながら間違いを犯し、物笑いな様子でうろうろしては、それ以上の物思いになろう」
 などと思うようになる。子供っぽくおっとりとして、たおやかに見えるが、気品高く貴族社会の様子を知ることも少なくて育った人なので、少し乱暴なことを、考えついたのであろう。
 厄介な反故などを破って、大げさになるような一度には始末せず、灯台の火で焼いたり、川に投げ入れさせたりなど、だんだん少なくして行く。事情を知らない御達は、「京へお引っ越しになるので、退屈な日々を送るうちに、いつしか書き集めなさった手習などを、お破り捨てになるのだろう」と思う。侍従などは、見つけた時には、
 「どうして、このようなことをあそばします。愛し合っていらっしゃるお間柄で、心をこめてお書き交わしなさった手紙は、他人にはお見せあそばさなくても、何かの箱底におしまいあそばして御覧になるのが、身分相応に、とても感慨深いものでございます。あれほど立派な紙を使い、恐れ多いお言葉のあらん限りをお尽くしになったのを、あのようにばかりお破りあそばすのは、情けないこと」
 と言う。
 「いいえどうして。厄介な。長生きできそうにない身の上のようです。落ちぶれ残って、相手の方にとってもお気の毒でしょう。利口ぶってお手紙を残しておいたものよなどと、漏れ聞きなされたら、恥ずかしい」
 などとおしゃる。心細いことを思い続けていくと、再び決心ができなくなるのであった。親を残して先立つ人は、とても罪障深いと言うものをなどと、やはり、かすかに聞いたことを思う。

 [第三段 三月二十日過ぎ、浮舟、匂宮を思い泣く]
 二十日過ぎにもなった。あの家の主人が、二十八日に下向する予定である。宮は、
 「その夜にきっと迎えよう。下人などに、様子を気づかれないように注意なさい。こちらの方からは、絶対漏れることはない。疑いなさるな」
 などとおっしゃる。「そうして、無理をしておいでになったとしても、もう一度何も申し上げることができず、お目にかかれぬままお帰し申し上げることよ。また、束の間でも、どうしてここにお近づけ申し上げることができよう。効なく恨んでお帰りになろう」その様子を想像すると、いつものように、面影が離れず、始終悲しくて、このお手紙を顔に押し当てて、しばらくの間は我慢していたが、とてもひどくお泣きになる。
 右近は、
 「姫君様、このようなご様子に、終いには周囲の人もお気づき申そう。だんだんと、変だなどと思う女房がございますようです。このようにくよくよなさらずに、適当にご返事申し上げなさいませ。右近がおります限りは、大それたこともうまく処理いたしましたら、これほどお小さい身体一つぐらいは、空からお連れ申し上げなさいましょう」
 と言う。しばし躊躇して、
 「このようにばかり言うのが、とても情けない。たしかにそうなってもよいこと、と思っているならともかくも、とんでもないことだ、とすっかり分かっているのに、無理に、このようにばかり期待しているようにおっしゃるので、どのようなことをし出かしなさろうとするのかなどと、思うにつけても、身がとてもつらいのです」
 と言って、お返事も差し上げないでしまわれた。

 [第四段 匂宮、宇治へ行く]
 宮は、「こうしてばかり、依然として承知する様子もなくて、返事までが途絶えがちになるのは、あの人が、適当に言い含めて、少し安心な方に心が落ち着いたのだろう。もっともなことだ」とはお思いになるが、たいそう残念で悔しく、
 「それにしても、わたしを慕っていたものを。逢わない間に、女房が説き聞かせた方に傾いたのであろう」
 などと物思いなさると、恋しさは晴らしようもなく、むなしい空にいっぱい満ちあふれた気がなさるので、いつものように、大変なご決意でおいでになった。
 葦垣の方を見ると、いつもと違って、
 「あれは、誰だ」
 と言う声々が、目ざとげである。いったん退いて、事情を知っている男を入れたが、その男までを尋問する。以前の様子と違っている。やっかいになって、
 「京から急のお手紙です」
 と言う。右近は従者の名を呼んで会った。とても煩わしく、ますますやっかいに思う。
 「全然、今夜はだめです。まことに恐れ多いことで」
 と言わせた。宮は、「どうして、こんなによそよそしくするのだろう」とお思いになると、たまらなくなって、
 「まず、時方が入って、侍従に会って、しかるべくはからえ」
 と言って遣わす。才覚ある人で、あれこれ言い繕って、探し出して会った。
 「どうしたわけでありましょう。あの殿がおっしゃることがあると言って、宿直にいる者どもが、出しゃばっているところで、まことに困っているのです。御前におかれても、深く思い嘆いていらっしゃるらしいのは、このようなご訪問のもったいなさを、悩んでいらっしゃるのだ、とお気の毒に拝しております。全然、今晩はだめです。誰かが様子に気づきましたら、かえってまことに悪いことになりましょう。そのまま、そのようにお考えあそばしている夜には、こちらでも誰にも知られず計画しまして、ご案内申し上げましょう」
 乳母が目ざといことなども話す。大夫、
 「おいでになった道中が大変なことで、ぜひにもというお気持ちなので、はりあいもなくお返事申し上げるのは、具合が悪い。それでは、さあ、いらっしゃい。一緒に詳しく申し上げましょう」と誘う。
 「とても無理です」
 と言い合いをしているうちに、夜もたいそう更けて行く。

 [第五段 匂宮、浮舟に逢えず帰京す]
 宮は、御馬で少し遠くに立っていらっしゃったが、里めいた声をした犬どもが出て来て吠え立てるのも、たいそう恐ろしく、供回りが少ないうえに、たいそう簡略なお忍び歩きなので、「おかしな者どもが襲いかかって来たら、どうしよう」と、お供申している者たちはみな心配していたのであった。
 「もっと、早く早く参ろう」
 とうるさく言って、この侍従を連れて上がる。髪は、脇の下から前に出して、姿がとても美しい人である。馬に乗せようとしたが、どうしても聞かないので、衣の裾を持って、歩いて付いて来る。自分の沓を履かせて、自分は供人の粗末なのを履いた。
 参上して、「これこれです」と申し上げると、相談しようにも適当な場所がないので、山家の垣根の茂った葎のもとに、障泥という物を敷いて、お下ろし申し上げる。ご自身のお気持ちにも、「変な恰好だな。このような道につまずいて、これといった、将来とても期待できそうにない身の上のようだ」と、お思い続けると、お泣きになることこの上ない。
 気弱な女は、それ以上にほんとうに悲しいと拝見する。大変な敵を鬼にしたとしても、いいかげんには見捨てることのできないご様子の人である。躊躇なさって、
 「たった一言でも申し上げることはできないのか。どうして、今さらこうなのだ。やはり、女房らが申し上げたことがあるのだろう」
 とおっしゃる。事情を詳しく申し上げて、
 「いずれ、そのようにお考えになっている日を、事前に漏れないように、計らいなさいませ。このように恐れ多いことを拝見いたしておりますと、身を捨ててでもお取り計らい申し上げましょう」
 と申し上げる。ご自身も人目をひどくお気になさっているので、一方的にお恨みになることもできない。
 夜はたいそう更けて行くが、この怪しんで吠える犬の声が止まず、供人たちが追い払いなどするために、弓を引き鳴らし、賤しい男どもの声がして、
 「火の用心」
 などと言うのも、たいそう気が気でないので、お帰りになる時のお気持ちは、言葉では言い尽くせない。
 「どこに身を捨てようかと捨て場も知らない、白雲が
  かからない山とてない山道を泣く泣く帰って行くことよ
 それでは、早く」
 と言って、この人をお帰しになる。ご様子が優雅で胸を打ち、夜深い露にしめったお香の匂いなどは、他にたとえようもない。泣く泣く帰って来た。

 [第六段 浮舟の今生の思い]
 右近が、きっぱり断った旨を言っていると、君は、ますます思い乱れることが多くて臥せっていらっしゃるが、入って来て、先程の様子を話すので、返事もしないが、だんだんと泣けてしまったのを、一方ではどのように見るだろう、と気がひける。翌朝も、みっともない目もとを思うと、いつまでも臥していた。頼りなさそうに掛け帯などかけて経を読む。「親に先立つ罪障を無くしてください」とばかり思う。
 先日の絵を取り出して見て、お描きになった手つき、お顔の美しさなどが、向かい合っているように思い出されるので、昨夜、一言も申し上げずじまいになったことは、やはりもう一段とまさって、悲しく思われる。「あの、のんびりとした邸で逢おう、と末長い約束をおっしゃり続けていた方も、どのようにお思いになるだろう」とお気の毒である。
 嫌なことに噂する人もあるだろうことを、想像すると恥ずかしいが、「浅薄で、けしからぬ女だと物笑いになるのを、お聞かれ申すよりは」などと思い続けて、
 「嘆き嘆いて身を捨てても亡くなった後に
  嫌な噂を流すのが気にかかる」
 親もとても恋しく、いつもは、特に思い出さない姉妹の醜いのも、恋しい。宮の上をお思い出し申し上げるにつけても、何から何までもう一度お会いしたい人が多かった。女房は皆、それぞれの衣類の染物に精を出し、何やかやと言っているが、耳にも入らず、夜となると、誰にも見つけられず、出て行く方法を考えながら、眠れないままに、気分も悪く、すっかり人が変わったようである。夜が明けると、川の方を見やりながら、羊の足取りよりも死に近い感じがする。

 [第七段 京から母の手紙が届く]
 宮は、たいそうな恨み言をおっしゃっていた。今さらに、誰が見ようかと思うと、このお返事をさえ、気持ちのままに書かない。
 「亡骸をさえ嫌なこの世に残さなかったら
  どこを目当てにと、あなた様もお恨みになりましょう」
 とだけ書いて出した。「あちらの殿にも、最後の様子をお見せ申し上げたいが、お二方に書き残しては、親しいお間柄なので、いつかは聞き合わせなさろうことは、とても困ることだどう。まるきり、どうなったのかと、誰からも分からないようにして死んでしまおう」と思い返す。
 京から、母親のお手紙を持って来た。
 「昨晩の夢に、とても物騒がしくお見えになったので、誦経をあちこちの寺にさせたりなどしましたが、そのまま、その夢の後で、眠れなかったせいか、たった今、昼寝をして見ました夢に、世間で不吉とするようなことが、お現れになったので、目を覚ますなり差し上げました。十分に慎みなさい。
 人里離れたお住まいで、時々お立ち寄りになる方のご正室のお恨みがとても恐ろしく、気分悪くいらっしゃるときに、夢がこのようなのを、いろいろと案じております。
 参上したいが、少将の北の方が、やはり、とても心配で、物の怪めいて患っていますので、少しの間も離れることは、いけないときつく言われていますので。そちらの近くの寺にも御誦経をさせなさい」
 とあって、そのお布施の物や、手紙などを書き添えて、持って来た。最期と思っている命のことも知らないで、このように書き綴ってお寄越しになったのも、とても悲しいと思う。

 [第八段 浮舟、母への告別の和歌を詠み残す]
 寺へ使者をやった間に、返事を書く。言いたいことはたくさんあるが、気がひけて、ただ、
 「来世で再びお会いすることを思いましょう
  この世の夢に迷わないで」
 誦経の鐘の音が風に乗って聞こえて来るのを、つくづくと聞き臥していらっしゃる。
 「鐘の音が絶えて行く響きに、泣き声を添えて
  わたしの命も終わったと母上に伝えてください」
 僧の所から持って来た手紙に書き加えて、
 「今夜は、帰ることはできまい」
 と言うので、何かの枝に結び付けておいた。乳母が、
 「妙に、胸騷ぎのすることだわ。夢見が悪い、とおっしゃった。宿直人、十分注意するように」
 などと言わせるのを、苦しいと聞きながら臥していらっしゃった。
 「何もお召し上がりにならないのは、とてもいけません。お湯漬けを」
 などといろいろと言うのを、「よけいなおせっかいのようだが、とても醜く年とって、わたしが死んだら、どうするのだろう」とご想像なさるのも、とても不憫である。「この世には生きていられないことを、ちらっと言おう」などとお思いになるが、何より先に涙が溢れてくるのを、隠しなさって、何もおっしゃれない。右近は、お側近くに横になろうとして、
 「このようにばかり物思いをなさると、物思う人の魂は、抜け出るものと言いますから、夢見も悪いのでしょう。どちらの方かとお決めになって、どうなるにもこうなるにも、思う通りになさってください」
 と溜息をつく。柔らかくなった衣を顔に押し当てて、臥せっていらっしゃった、とか。

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