知命立命 心地よい風景

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『三国志演義』第八十三回 コウ亭に戦って先主讐人を得、江口を守って書生大将を拝す

黄忠は、陣頭に駆けつけ、潘璋に挑んだ。潘璋は、かなわぬと馬を返して逃げ帰りさんざんに兵を打たれた。
韓浩、張苞が駆けつけて諌めるのも聞かず、翌日再び潘璋に戦いを挑んだ。しかし、凌統等に囲まれ矢で射られた。そこに、韓浩、張苞が助けに来て呉はちりぢりになった。その後陣屋に戻った黄忠劉備が見舞いに来た時に気を失って、その夜に死んだ。
劉備は深く悲しみ、自ら大軍を率いて進軍した。
そして、張苞、韓浩は韓当達を打ち破った。甘寧はこの時、ふせっていたが蜀の大軍が来たと聞くと馬に飛び乗った。出会い頭に沙摩柯とぶつかった。敵軍の多さに馬を返して逃れたが、沙摩柯の放った矢が額当たり、富池口までのがれ、とある大木の根本に坐って死んだ。これを聞いた呉王は彼を手厚く葬った。
さて、先主は大勝し皇帝を取ったが、韓浩の姿がなかった。韓浩は敵陣に切り込んだ際に潘璋に出会い、彼を剣一閃で倒し、父の青竜刀を手に入れた。帰りに馬忠に襲われたが、張苞に助けられ帰陣した。
糜芳傅士仁は呉も長くないと考え、馬忠の首を取って投降した。しかし、先主は、
「形成が不利となったので投降してきたのであろう。」
と見抜いて彼らを切り刻んで関羽の霊前に供えた。
これを聞いた呉王は、蜀帝の憎む者で生きている者は范疆、張達であるので、彼らを送り返した。さらに、使者を使わして荊州も返すことにした。

先主は范疆、張達を処刑し、張飛の霊前に供えた。しかしさらに先主は、
「憎むべきは孫権。今さら和睦を受け入れられるものか。」
と怒った。
使者が帰って呉王に伝えると、闞沢が陸遜を推挙した。張松は一介の書生であると笑ったが、呉王は陸遜を召しだす事を命じた。
陸遜が呉王の命を受けたが、皆は
「なぜ、一介の書生に大任を任されたのか。」
と不服であった。
そこに、周泰から孫桓への援軍を求めてきた。陸遜は、「みどもが蜀を打ち破れば将軍は出ることができる。」
と言った。

さて先主は、陸遜が来たことを知ると、
「朕は長年戦をしてきた。小わっぱに負けはせぬ。」
馬良が諌めるのも聞かず軍勢を率いて攻めかかった。しかし、討ってこない呉軍に、劉備は伏兵を持って擒にしようと谷川沿いに囮の兵を進めた。
蜀が兵を進めてきたのを見て、韓当周泰陸遜に討って出るように勧めた。

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