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『三国志演義』第八十二回 孫権魏に降って九錫を受け、先主呉を征して六軍を賞す

さて、先主は、白帝城に兵を止めた。そこに、呉の使者、諸葛瑾が参上し、説得した。しかし、弟を殺されて怒っているので相手されず追い返された。

張松孫権に、
諸葛瑾はこの機に蜀に投降し、二度と戻って参りますまい。」
と言ったが、孫権は聞き入れなかった。そこに、諸葛瑾が戻って来たので、張松は赤面して下がった。
しかし、和睦ができなかったことで孫権は仰天したが、そこに中大夫張氏が、
「それがしの計で、魏に漢中を攻めさせましょう。」
と進言した。
孫権は大いに喜んで、張氏に上奏文をしたためさせて魏に向かわせた。
許都の曹丕は、魏と蜀を戦わせる策略であることを見抜いたが、孫権
呉王に封じて自分の傘下に入れた。劉繇が、
「呉の降参は一時的なものです。今、蜀と呉が戦えば天下は魏のものでございます。」
と諌めたが、曹丕は、
「助けるつもりはない。蜀と呉が戦って疲れたところを我らが攻めるのじゃ。」
と言った。

孫権は、王位を貰ったものの魏帝からの援軍が得られなかったので、協議していたところ、孫桓と朱然が進み出た。
孫権は彼らに水陸5万の兵を与え劉備を迎え討たせた。
蜀から進軍してきた呉班の前に呉は戦わずしてみな降っていった。
宜都まで来た時、張苞は、孫桓が待ち受けていると聞くと討って出た。そして孫桓に襲いかかる所に、謝旌が出て来たので彼と打ち合った。
しかし、かなわず逃げ帰るところに、李異が代わって相手になった。20合いもするうちに、不利になった李異を助けるために譚雄が矢を放った。それが張苞の馬に当たり張苞は落馬した。李異が迫った時、韓浩が大喝して斬り捨て張苞を救い出した。
張苞は退くときに、謝旌に出会って一突きで殺した。陣屋に戻るとき、韓浩は譚雄を生け捕りにした。張苞は譚雄の首をはねて血を注いで死んだ馬を祭った。
その後、多くの大将を失った孫桓は大敗した。

孫桓は呉に援軍を求めた。張松は、
「多くの大将がこの世を去ったとはいえ、劉備如き恐れるに足りませぬ。」
と言って、韓当周泰潘璋凌統達を出陣させた。時に、甘寧は下痢に悩んでいたが、病をおして出陣した。
劉備は、韓浩、張苞に、
「昔から朕に従ってきた者は老いて役に立たなくなったが、甥達のような剛の者が現れると、呉など恐れるに足らぬ。」
と彼らを厚くねぎらった。
そこに、韓当等が押し寄せたという知らせが入り、黄忠が5、6騎で出陣した。先主は、
「年寄りと言われたのを不服に思い戦いに行ったのじゃな。」
と急いで、張苞、韓浩に加勢に向かわせた。

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