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【源氏物語】 (弐佰拾伍) 浮舟 第二章 浮舟と匂宮の物語 匂宮、薫の声をまねて浮舟の寝所に忍び込む

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。
物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされています。
物語は、母系制が色濃い平安朝中期(概ね10世紀頃)を舞台に、天皇親王として出生し、才能・容姿ともにめぐまれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏の栄華と苦悩の人生、およびその子孫らの人生が描かれているのです。

そんな今回は、「浮舟」の物語の続きです。
【源氏物語】 (佰漆拾壱)第三部 はじめ 源氏没後の子孫たちの恋と人生!

第二章 浮舟と匂宮の物語 匂宮、薫の声をまねて浮舟の寝所に忍び込む
 [第一段 匂宮、宇治行きを大内記に相談]
 ただそのことを、最近は考え込んでいらっしゃった。賭弓や、内宴などが過ぎて、のんびりとした時に、司召などといって、皆が夢中になっていることは、何ともお思いにならないで、宇治へこっそりとお出かけになることばかりをご思案なさる。この大内記は、期待するところがあって、昼夜、何とかお気に入ってもらおうと思っているとき、いつもよりは親しく召し使って、
 「たいへん難しいことではあるが、わたしの言うことを、何とかしてくれないか」
 などとおっしゃる。恐縮して承る。
 「たいそう不都合なことだが、あの宇治に住んでいるらしい人は、早くにちらっと会った女で、行く方が分からなくなったのが、大将に捜し出された人と、思い当たるところがあるのだ。はっきりとは知る手立てもないが、ただ、物の隙間から覗き見して、その女か違うかと確かめたい、と思う。まったく誰にも知られない方法は、どうしたらよいだろうか」
 とおっしゃるので、「何と、やっかいな」と思うが、
 「お出かけになることは、たいへん険しい山越えでございますが、格別遠くはございません。夕方お出かけあそばして、亥子の刻にはお着きになるでしょう。そうして、早朝にはお帰りあそばせましょう。誰か気づくとすれば、ただお供する者だけでございしょう。それも、深い事情はどうして分かりましょう」
 と申し上げる。
 「そうだ。昔も一、二度は、通ったことのある道だ。軽々しいと非難されるのが、その評判が気になるのだ」
 と言って、繰り返しとんでもないことだと、自分自身反省なさるが、このようにまでお口に出されたので、お思い止めなさることはできない。

 [第二段 宮、馬で宇治へ赴く]
 お供に、昔もあちらの様子を知っている者、二、三人と、この内記、その他には乳母子で蔵人から五位になった若い者で、親しい者ばかりをお選びになって、「大将の、今日明日はよもやいらっしゃるまい」などと、内記によく調べさせなさって、ご出立なさるにつけても、昔を思い出す。
 「不思議なまでに心を合わせて連れて行ってくれた人に対して、後ろめたいことをするなあ」と、お思い出しになることもいろいろであるが、京の中でさえ、まるきり人の知らないお忍び歩きは、そうはいっても、おできになれないご身分でいて、粗末な恰好に身をやつして、お馬でお出かけになる気持ちも、何となく恐ろしく気が咎めるが、知りたい気持ちは強いご性質なので、山深く入って行くにつれて、「早く着きたい、どうであろうか、確かめることもなくて帰るようでは、物足りなく変なものであろう」とお思いになると、気が気でない思いがなさる。
 法性寺の付近まではお車で、そこから先はお馬にお乗りになったのであった。急いで、宵を過ぎたころにお着きになった。大内記が、様子をよく知っているあの邸の人に尋ねて知っていたので、宿直人がいる方には寄らないで、葦垣をめぐらした西面を、静かにすこし壊してお入りになった。
 大内記自身も何といってもまだ見たことのないお住まいなので、不案内であるが、女房なども多くはいないので、寝殿の南面に燈火がちらちらとほの暗く見えて、そよそよと衣ずれの音がする。戻って参って、
 「まだ、人は起きているようでございます。直接、ここからお入りください」
 と、案内してお入れ申し上げる。

 [第三段 匂宮、浮舟とその女房らを覗き見る]
 静かに昇って、格子の隙間があるのを見つけて近寄りなさると、伊予簾はさらさらと鳴るのが気が引ける。新しくこぎれいに造ってあるが、やはり荒っぽい造りで隙間があったが、誰も来て覗き見はしまいかと、気を許して、穴も塞がず、几帳の帷子をうち懸けて押しやっていた。
 燈火を明るく照らして、何か縫物をしている女房が、三、四人座っていた。童女でかわいらしいのが、糸を縒っている。この子の顔は、まずあの燈火で御覧になった顔であった。とっさの見間違いかと、まだ疑われたが、右近と名乗った若い女房もいる。女主人は、腕を枕にして、燈火を眺めている目もとや、髪のこぼれかかっている額つき、たいそう上品に優美で、対の御方にとてもよく似ていた。
 この右近が、衣類を折り畳もうとして、
 「こうしてお出かけあそばしたら、すぐにはお帰りあそばすわけにはいきませんが、殿は、『今度の司召の間が終わって、朔日ころにはきっといらっしゃる』と、昨日のお使いも申していました。お手紙には、どのように申し上げなさいましたのでしょうか」
 と言うが、返事もせずに、たいそう物思いに沈んでいる様子である。
 「来訪の折しも、身を隠していらっしゃるようなのは、困ったことです」
 と言うと、向かいにいた女房が、
 「それでは、このようにお出かけになったと、お手紙を差し上げなさるのがよいでしょう。軽々しく、どうして、何も言わずに、お隠れあそばせましょう。ご参詣の後は、そのままこちらにお帰りあそばしませ。こうして心細いようですが、思い通りに気楽なお暮らしに馴れて、かえって本邸の方が旅心地がするのではないでしょうか」
 などと言う。また他の女房は、
 「やはり、しばらくの間、こうしてお待ち申し上げなさるのが、落ち着いていて体裁がよいでしょう。京へなどとお迎え申されてから後、ゆっくりとして母君にもお会い申されませ。あの乳母が、とてもせっかちでいられて、急にこのような話を申し上げなさるのでしょうよ。昔も今も、我慢してのんびりとしている人が、しまいには幸福になるということです」
 などと言うようである。右近は、
 「どうして、この乳母をお止め申さずになってしまったのでしょう。年老いた人は、やっかいな性質があるものですから」
 と憎むのは、乳母のような女房を悪く言うようである。「なるほど、憎らしい女房がいた」とお思い出しになるのも、夢のような気がする。側で聞いていられないほど、うちとけた話をして、
 「宮の上は、とてもめでたくご幸福でいらっしゃる。右の大殿が、あれほど素晴らしいご威勢で、仰々しく大騒ぎなさるようだが、若君がお生まれになって後は、この上なくいらっしゃるようです。このような出しゃばり者がいらっしゃらなくて、お心ものんびりと、賢明に振る舞っていらっしゃることでありましょう」
 と言う。
 「せめて殿さえ、真実愛してくださるお気持ちが変わらなかったら、負けることがありましょうか」
 と言うのを、女君は、少し起き上がって、
 「とても聞きにくいこと。他人であったら、負けまいとも何とも思いましょうが、あのお方のことは口に出してはいけません。漏れ聞こえるようなことがあったら、申し訳ありません」
 などと言う。

 [第四段 匂宮、薫の声をまねて浮舟の寝所に忍び込む]
 「どの程度の親族であろうか。とてもよく似ている様子だな」と思い比べると、「恥ずかしくなるほどの上品なところは、あの君はとてもこの上ない。この人はただかわいらしくきめこまやかな顔だちがとても魅力的だ」。普通程度の、不十分なところを見つけたような場合でさえも、あれほど会いたいとお思い続けてきた人を、その人だと見つけて、そのままお止めになるようなご性分でないので、その上すっかり御覧になったので、「何とかしてこの女を自分のものにしたい」と、心もうわの空におなりになって、依然として見つめていらっしゃると、右近が、
 「とても眠い。昨夜も何となしに夜明かししてしまった。明朝早くにも、これは縫ってしまおう。お急ぎあそばしても、お車は日が高くなってから来るでしょう」
 と言って、作りかけていた縫物を持って、几帳に懸けたりなどして、うたた寝の状態で寄り臥した。女君も少し奥に入って臥す。右近は北面に行って、しばらくして再び来た。女君の後ろ近くに臥した。
 眠たいと思っていたので、とても早く寝入ってしまった様子を御覧になって、他にどうしようもないので、こっそりとこの格子を叩きなさる。右近が聞きつけて、
 「どなたですか」
 と言う。咳払いをなさったので、高貴な方の咳払いと気づいて、「殿がいらっしゃったのか」と思って、起きて出た。
 「とりあえず、ここを開けなさい」
 とおっしゃるので、
 「変ですわ。思いがけない時刻でございますこと。夜はたいそう更けましたものを」
 と言う。
 「どこそこへ外出なさる予定であると、仲信が言ったので、驚いてすぐ出て来て。まことに困ったことであった。とりあえず開けなさい」
 とおっしゃる声、たいそうよくお似せになって、ひっそりと言うので、別人とは思いも寄らず、格子を開けた。
 「途中で、とてもひどい目に遭ったので、みっともない姿になっている。燈火を暗くしなさい」
 とおっしゃるので、
 「まあ、大変」
 とあわて騒いで、燈火は隠した。
 「わたしを、他の人には見せるな。来たからと言って、誰も起こすな」
 と、とてもたくみなお方なので、もともとわずかに似ているお声を、まったくあの方のご様子に似せてお入りになる。「ひどい目に遭った姿だとおっしゃったが、どのようなお姿なのだろう」とお気の毒で、自分も隠れて拝見する。
 とてもほっそりとなよなよと装束をお召しになって、香の芳しいことも劣らない。近くによって、お召物を脱ぎ、馴れた顔でお臥せりになったので、
 「いつものご座所に」
 などと言うが、何もおっしゃらない。寝具を差し上て、寝ていた女房たちを起こして、少し下がって皆眠った。お供の人などは、いつものように、こちらでは構わない慣例になっているので、
 「お志の深い、夜のご訪問ですこと」
 「このようなご様子を、ご存知ないのよ」
 などと、利口ぶる女房もいるが、
 「お静かに。夜の声は、ささやく声が、かえってうるさいのです」
 などと言いながら眠った。
 女君は、「違う人だわ」と思うと、びっくりし大変だと思うが、声も出させないようになさる。とても憚られる所でさえ、理不尽であったお心なので、何ともいいようがない仕儀だ。初めから別人だと知っていたら、何とかあしらうすべもあったろうが、夢のような気がするので、だんだんと、あの時のつらかった、いく年月もの間を思い続けていた有様をおっしゃるので、その宮だと分かった。
 ますます恥ずかしくなって、あの上の御ことなどを思うと、またどうすることもできないので、限りなく泣く。宮も、なまじ逢ったのがかえってつらく、たやすく逢えそうにないことをお思いになって、お泣きになる。

 [第五段 翌朝、匂宮、京へ帰らず居座る]
 夜は、どんどん明けて行く。お供の人が来て咳払いをする。右近が聞いて参上した。お出になる気持ちもなく、心からいとしく思われて、再びいらっしゃることも難しいので、「京では捜し求めて大騒ぎしようとも、今日一日だけはこうしていたい。何事も生きている間だけのことなのだ」。今すぐにお出になることは、本当に死んでしまいそうにお思いになるので、この右近を呼び寄せて、
 「まことに無分別と思われようが、今日はとても出て行くことができそうにない。男たちは、この近辺の近い所に、適当に隠し控させなさい。時方は、京へ行って、『山寺に人目を忍んで行っている』とつじつまが合うように、返事などさせよ」
 とおっしゃるので、とても驚きあきれて、気づかなかった昨夜の過失を思うと、気も動転してしまいそうなのを、落ち着けて、
 「今となっては、どのようにあたふた騒いだところで、効ないし、また失礼である。困った時にも、たいそう深く愛してくださったのも、このような逃れがたかったご運命なのであろう。誰がしたということでない」
 と思い慰めて、
 「今日、お迎えにとございましたが、どのようにあそばす御ことでしょうか。このように逃れることがおできになれないご運命は、まことに申し上げようもございません。あいにく日が悪うございます。やはり、今日はお帰りあそばして、ご愛情がございましたら、改めてごゆっくりと」
 と申し上げる。「生意気なことを言うな」とお思いになって、
 「わたしは、いく月も物思いしたので、すっかり呆然としてしまって、人が非難するのも注意することも分別できず、一途に思いつめているのだ。少しでも身の上を憚るような人が、このような出歩きは思い立ちましょうか。お返事には、『今日は物忌です』などと言いなさい。人に知られてはならないことを、誰のためにも思いなさい。他のことは問題でない」
 とおっしゃって、この人が、世にも稀なくらいかわいく思われなさるままに、どのような非難もお忘れになったのであろう。

 [第六段 右近、匂宮と浮舟の密事を隠蔽す]
 右近が出て来て、この声を出した人に、
 「これこれとおっしゃっていますが、やはり、とても見苦しいなさりようです、と申し上げてください。驚くほど目にもあまるようなお振る舞いは、どんなにお思いになっても、あなた方お供の人びとの考えでどうにでもなりましょう。どうして、こう無分別にも宮をお連れ申し上げなさったのですか。無礼な行ないを致す山賊などが途中で現れましたら、どうなりましょう」
 と言う。内記は、「なるほど、とてもやっかいなことであるなあ」と思って立っている。
 「時方とおっしゃる方は、どなたですか。これこれとおっしゃっています」
 と伝える。笑って、
 「お叱りなさることが恐ろしいので、ご命令がなくても逃げ出しましょう。本当のところを申し上げますと、並々でないご愛情を拝見しますと、皆が皆、身を捨てて参ったのです。よいよい、宿直人も、皆起きたようです」
 と言って急いで出て行った。
 右近は、「人に知られないようにするには、どうだましたらよいものか」と困りきっている。女房たちが起きたので、
 「殿は、ある理由があって、ひどくこっそりといらっしゃっています様子を拝見しますと、道中で大変なことがあったようです。お召物などを、夜になってこっそりと持参するように、お命じになっています」
 などと言う。御達は、
 「まあ、気味が悪い。木幡山は、とても恐ろしいという山ですよ。いつものように、お先も払わせなさらず、身を簡略にしていらっしゃったので、まあ、大変なこと」
 と言うので、
 「お静かに、お静かに。下衆どもが、少しでも聞きつけたら、とても大変なことになりましょう」
 と言っているが、嘘をつくのが恐ろしい。具合悪く、殿のお使いが来た時にはどのように言おうと、
 「初瀬の観音様、今日一日がご無事で暮らせますように」
 と、大願を立てるのであった。
 石山寺に今日参詣させようとして、母君が迎えに来るのであった。この邸の女房たちも皆精進潔斎をし、身を清めていたが、
 「それでは、今日は、お出かけあそばすわけにはゆかないでしょう。とても残念なこと」
 と言う。

 [第七段 右近、浮舟の母の使者の迎えを断わる]
 日が高くなったので、格子などを上げて、右近は近くにお仕えしていた。母屋の簾はみな下ろして、「物忌」などと書かせて貼っておいた。母君もご自身でお出でになるかも知れないと思って、「夢見が悪かったので」と理由をつけるのであった。御手水などを差し上げる様子は、いつものようであるが、介添えを不満にお思いになって、
 「あなたが先にお洗いあそばしたら」
 とおっしゃる。女は、たいそう体裁よく奥ゆかしい人を見慣れていたので、束の間も逢わないでいると死んでしまいそうだと恋い焦がれている宮を、「ご愛情が深いとは、このような方を言うのであるろうか」と思い知られるにつけても、「不思議な運命だわ。皆が、噂をきいたら、どのようにお思いになるだろう」と、まずはあの宮の上のお気持ちを思い出し申し上げるが、
 「素性を知らないので、返す返すもとても情けない。やはり、ありのままにおっしゃってください。ひどく身分の低い人だと言っても、ますますいとおしく思われましょう」
 と、無理やりにお尋ねになるが、そのお返事は全然しない。他のことでは、とてもかわいらしく親しみやすい様子にお返事申し上げたりなどして、言うままになるのを、とてもこの上なくかわいらしいとばかり御覧になる。
 日が高くなったころに、迎えの人が来た。車二台、乗馬の人びとが、いつものように、荒々しい者が七、八人。男連中が大勢、例によって、下品な感じで、ぺちゃくちゃしゃべりながら入って来たので、女房たちは体裁悪がりながら、
 「あちらに隠れなさい」
 と言わせたりする。右近は、「どうしよう。殿がおいでになっている、と言った時、京にはそれほどの身分の方がいらっしゃる、いらっしゃらないというのは、自然と知られていて、隠せないことかも知れない」と思って、この女房たちにも、特に相談せずに、返事を書く。
 「昨夜から穢れなさって、とても残念なこととお嘆きになっていらっしゃったのですが、昨夜、悪い夢を御覧あそばしたので、今日一日はお慎みなさいと言って、物忌をいたしております。返す返すも、残念で、悪夢が邪魔しているように拝見いたしております」
 と書いて、人びとに食事をさせてやった。尼君にも、
 「今日は物忌で、お出かけなさいません」
 と言わせた。

 [第八段 匂宮と浮舟、一日仲睦まじく過ごす]
 いつもは時間のたつのも長く感じられ、霞んでいる山際を眺めながら物思いに耽っていたのに、日の暮れて行くのが侘しいとばかり思い焦がれていらっしゃる方に惹かれ申して、まことにあっけなく暮れてしまった。誰に妨げられることのない長い春の日を、いくら見てもいて見飽きず、どこがと思われる欠点もなく、愛嬌があって、慕わしく魅力的である。
 その実は、あの対の御方には見劣りがするのである。大殿の姫君の女盛りで美しくいらっしゃる方に比べたら、お話にもならないほどの女なのに、二人といないと思っていらっしゃる時なので、「こんなによい女は他に知らない」とばかり思っていらっしゃる。
 女はまた一方、大将殿を、とても美しそうで他にこのような方がいるだろうかと思っていたが、「情愛こまやかで輝くような美しさは、この上なくいらっしゃるなあ」と思う。
 硯を引き寄せて、手習などをなさる。たいそう美しそうに書き遊んで、絵などを上手にたくさんお描きになるので、若い女心には、愛情も移ることであろう。
 「思うにまかせず、お逢いになれない時は、この絵を御覧なさい」
 と言って、とても美しそうな男と女が、一緒に添い臥している絵を描きなさって、
 「いつもこうしていたいですね」
 などとおっしゃるのにも、涙が落ちた。
 「末長い仲を約束してもやはり悲しいのは
  ただ明日を知らない命であるよ
 まことにこのように思うのは、縁起でもないことだ。思いのままに訪ねることがまったくできず、万策めぐらすうちに、ほんとうに死んでしまいそうに思われる。つらかったご様子を、かえってどうして探し出したりしたのだろうか」
 などとおっしゃる。女は、濡らしていらっしゃる筆を取って、
 「心変わりなど嘆いたりしないでしょう
  命だけが定めないこの世と思うのでしたら」
 とあるのを、「心変わりするのを恨めしく思うようだ」と御覧になるにつけても、まことにかわいらしい。
 「どのような人の心変わりを見てなのか」
 などと、にっこりして、大将がここに連れて来なさった当時のことを、繰り返し知りたくなって、お尋ねになるのを、つらく思って、
 「申し上げられませんことを、このようにお尋ねになるとは」
 と、恨んでいる様子も、若々しい。自然とそれは聞き出そう、とお思いになる一方で、言わせたく思うのも困ったことだ。

 [第九段 翌朝、匂宮、京へ帰る]
 夜になって、京へ遣わした大夫が帰参して、右近に会った。
 「后の宮からもご使者が参って、右の大殿もご不満を申されて、『誰にも知らせあそばさぬお忍び歩きは、まことに軽々しく、無礼な行為に遭うこともあるのを、総じて、帝などがお耳にあそばすことも、わが身にとってもまことにつらい』とひどくおっしゃっていました。東山に聖僧にお会に行ったと、皆には申しておきました」
 などと話して、
 「女というものは罪深くいらっしゃるものです。何でもない家来までうろうろさせなさって、嘘までつかせなさるよ」
 と言うと、
 「聖と呼んでくださったのは、とても結構な。あなた個人の嘘をついた罪も、その功徳で帳消しなさりましょう。ほんとうに、とても困ったご性質で、おっしゃるとおり、いったいどうしてそのような癖がおつきになったのでしょう。前々からこのようにいらっしゃると聞いておりましたら、とても恐れ多いことですから、うまくお取り計らい申し上げましたでしょうに。無分別なご外出ですこと」
 と、お困り申す。
 帰参して、「これこれです」と申し上げると、「なるほど、どんなに騒いでいるだろう」と、ご想像になって、
 「窮屈な身分はつらいものだ。軽い身分の殿上人などで、しばらくいたいものだ。どうしたらよいだろうか。このように慎むべき外聞も、構ってはいられない。
 大将もどのように思うであろうか。親しくて当然と言ってよいながら、不思議なまでに昔から親しい仲で、このような秘密が知られた時は、恥ずかしく、またどんなであろうか。
 世のたとえに言うこともあるので、待ち遠しがらせている自分の怠慢を顧みずに、あなたが恨まれなさるだろうとまで心配になります。まったく誰にも知られぬ状態で、ここではない所にお連れ申し上げよう」
 とおっしゃる。今日までもここにじっとしていらっしゃるわけにはいかないので、お出になろうとするにも、魂は女の袖の中にお残しになって行くのであろう。
 すっかり明けない前にと、供人たちは咳払いをしてお促し申す。妻戸まで一緒に連れてお出でになって、とても外にお出になれない。
 「いったいどうしてよいか分からない
  先に立つ涙が道を真暗にするので」
 女も、限りなく悲しいと思った。
 「涙も狭い袖では抑えかねますので
  どのように別れを止めることができましょうか」
 風の音もとても荒々しく、霜の深い早朝に、お互いの衣装も冷たくなった気がして、お馬にお乗りになるとき、引き返す気持ちのようで驚くほどつらいが、お供の人々が、「まったく冗談ではない」と思って、ひたすら急がして出発させたので、魂の抜けた思いでお出になった。
 この五位の二人が、お馬の口取りとして仕えた。険しい山道をすっかり越えて、それぞれの馬に乗る。水際の氷を踏みならす馬の足音までが、心細く何となく悲しい。以前もこの道だけは、このような山歩きもなさったので、「不思議な宿縁の山里だなあ」とお思いになる。

 

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