知命立命 心地よい風景

This is Kiyonori Shutou's weblog

『三国志演義』第七十五回 関雲長骨を刮って毒を癒し、呂子明白衣にて江を渡る

関羽が倒れたので曹仁は討って出たが、関平はこれを押し戻して帰陣した。関平は四方に名医を求め華佗を連れてきた。華佗は、関羽
「柱に鉄の輪をつけ腕を通していただき縄で縛った上で、肉を裂いて骨を削って骨に付いた毒を削り落とします。そして薬を付けて再び縫合致します。」
と言った。関羽は、
「それだけの事なら柱などいらぬ。」
と言って、酒を飲んで馬良と碁を打ち始め、一方右腕を華佗に差し出した。
華佗関羽の傷を治したが、周りの者は皆顔を青くしていた。傷を縫い終えると関羽は笑って、
「この通り腕を伸ばしても痛くなくなった。まこと先生は名医じゃ。」
と言った。

于禁が捕らえられ、龐徳が斬られた事を知った曹操は仰天し、文武官にはかった。
司馬懿は呉を動かすように進言し、書面を呉に送った。

書面を受け取った孫権が評議したところ、張松が、
「この度は、樊城が危うくなったので加勢を求めて参ったものの、首尾良く収まったら江南を与えるという約束を反故にされる恐れがございます。」
といって加勢を進言した。
関羽が長江に沿って狼煙台を設けて呉を警戒したいたので、呂蒙はリクソンの案で、病気を理由に彼を後役に着けた。
関羽はこれを聞いて
「江東の心配も消えたようでござるな。」
と大いに喜んだ。
孫権は、呂蒙を大都督に任じて軍勢3万で荊州に向かわせた。かくして魏に荊州を背後から突くという書面を送り、陸遜にあらかじめ手はずを伝えて、白衣の者に船を出させた。
そして、呉の者が狼煙台に詰めると、
「我々はみな商人でございますが、風にあったのでおさまるまで待とうとここに寄ったのでございます。」
と答えて金目の物を出したので荊州の兵は疑わなかった。
その夜、船に潜んでいた兵士が襲いかかり狼煙台の兵士を捕らえ、船を荊州に向かわせた。そして、捕らえた兵士を味方に付けて荊州の城門を開けさせて、占領した。牢獄に入れられていた于禁も助けられて、魏に送り返された。
虞翻が、公安の傅士仁と南郡の糜芳を説得して降伏させようと進み出た。
孫権も大いに喜んで彼を向かわせた。
荊州が落ちたことを知った傅士仁は城門を固く閉ざしていたが、虞翻に降伏を勧められ、以前関羽が出立の際に罵ったことを思い出して城門を開いた。
呂蒙傅士仁を呼んで、
「そなたは糜芳と親しいようじゃが、彼を降参させてくれればきっと重い恩賞をとらせよう。」
と言った。傅士仁は承知して糜芳を味方に引き入れようとする。

4004303486B00OKC2DCCB00PS2FMO4B00R3MUW60B00S5XTE8S449721009X

IFTTT

Put the internet to work for you.

Turn off or edit this Recipe