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知命立命 心地よい風景

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『三国志演義』第七十回 猛き張飛智をもって瓦口の隘を取り、老いし黄忠計をもって天蕩山を奪う

張郃は3万の兵を率いて3つの砦を構えた。張郃張飛は対峙し、両者20合い余りした。そこに、蜀の軍勢が押し寄せたので張郃は慌てて逃げ出した。その後50日余り滞陣し、張飛は大酒を飲んでいた。その情報を聞いた成都劉備諸葛亮に相談したがそれは計略であると笑って言った。そして、魏延を加勢に向かわせ、酒も送った。
しびれを切らせた張郃は夜討ちをしたが、伏兵に襲われ、魏延雷銅等にさんざんに打ちのめされた。そして、3つの砦も張飛に落とされ、瓦口関に落ち延びた。

瓦口関に退いたものの、3万のうち2万を失ったので曹昂に加勢を求めたが、
「わしの言うことを聞かず兵を進めて陣地を失い、今度は加勢をよこせだと。」
と怒って、逆に自分で討って出ろと言った。
張郃は今度は伏兵を用いて張飛を誘い出したが、伏兵は魏延によって打ち破られた。
またしても張郃は敗走し、瓦口関に立てこもった。しかし、瓦口関の裏手を突かれ落とされてしまい、曹昂のもとに戻った。
曹昂は大いに怒って
「誓紙を置いてまで出ていって大軍を殺すとは何事か。よくも帰って来れたものだ。」
と左右の者に打ち首を命じた。しかし、郭淮に諌められて、新たに5千の兵を与えて瓦口関を取り返しに向かわせた。

瓦口関を固めていたには孟達と郭汜ュンである。孟達が討って出たが破れて逃げ戻ってくると、郭汜ュンが成都に加勢を求めた。そこに、黄忠と厳顔が名乗り出て加勢に向かった。
孟達と郭汜ュンは加勢に来たのが年寄りだったので、心の中で諸葛亮の不手際を笑ったものであった。
黄忠と厳顔は、
「年寄りだと笑っておる。こういう時こそ功を上げてへこませてやらねば。」
と関を出て、張郃を打ち負かした。
曹昂張郃が破れて帰ったのを聞くと、打ち首にしようとするが、郭淮に諌められて夏侯惇の甥、夏侯尚と韓玄の弟、韓浩を使わせた。韓浩は、
「長沙におった時、あの老いぼれの手並みはよく知っている。それがしの兄の仇だ。」
と夏侯尚とともに出た。
黄忠は二人の大将を相手に、毎日打ち合っては逃げての繰り返しであった。それを聞いた成都では劉封が加勢に向かったが、黄忠は、
「これは計略でござる。若将軍は我らが敵を蹴ちらすのを見ておられい。」
といって、連勝を重ねて油断している夏侯尚と韓浩を攻めに行った。
そして見事に敵を討ち負かした。
張郃、夏侯尚、韓浩は夏侯徳のもとに落ち延びていった。
さらに黄忠達が追撃してきたので、韓浩、夏侯徳は遠路を来た兵相手なので勝てると考え討って出た。しかし、韓浩は黄忠に、夏侯徳は厳顔に討ち取られてしまった。張郃と夏侯尚は定軍山のカ黄琬を頼って落ち延びていった。
劉備はこの知らせを聞き祝宴をしたが、法正はこの機に漢中を攻めることを進言した。かくして張飛趙雲を先鋒に諸葛亮とともに10万の軍を進めた。
黄忠は、諸葛亮らが合流すると今度はカ黄琬を討ちに行くと申し出た。しかし、諸葛亮に反対されたが、どうしても行くと言い張った。
諸葛亮は監軍をつける条件で許した。

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