知命立命 心地よい風景

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『日本イデオロギー論』より学ぶ!時の権力に反抗し、自分の信念を貫き続けた戸坂潤という唯物論哲学者!

今回は、「京都学派」という呼称を最初に与えた人物として知られ、唯物論哲学者として西田幾多郎田辺元などからも高い評価を得ていた戸坂潤です。
『善の研究』より学ぶ!人間存在に関する根本的な問いを考え抜いた西田幾多郎!真の実在とは、善とは、宗教とは、神とは?
戸坂の仕事は、「時局に対応した批評論文」と、主に啓蒙的な意図から執筆された「唯物論の原理的な解明にかかわる論文」とに分けることができますが、戸坂の本質的な目的は時局への批評、イデオロギー批判にありました。

1929年最初の著書『科学方法論』では、科学的認識というものを現実の生活と関連させてとらえ直すことが必要、という問題意識にたって、学問を含む実生活の全領域を「方法」という観点から理論的に統括する新しい学問論を目ざしたものでした。
ちなみに、思想発展の到達点は、31年の論文「空間論」といわれています。
1932年、岡邦雄、三枝博音らと「唯物論の研究に重大な意義をみとめる研究家の研究団体」として「唯物論研究会」を設立し、以後会の研究・出版・組織活動を指導すると共に、確固たる「科学的精神」をもって、科学、技術、政治、イデオロギー、文芸、風俗その他の社会現象全般を批判する評論活動を展開します。
『日本の思想文化』『論理学』より学ぶ!日本思想の本格的先駆者・三枝博音!
こうした批評論文の精力的な執筆は、ファシズムの野蛮・非合理主義との闘いに他なりませんでしたが、戸坂は、唯物論研究会のリーダーとして、軍国主義に抵抗し、科学的精神を擁護、普及する運動に取り組んでいきます。
1933年「『無の論理』は論理であるか」を発表するものの、1935年思想不穏のかどで検挙され、法政大学免職。
その後、『唯物論全書』『科学論』『日本イデオロギー論』『現代唯物論講話』を刊行する中、37年、大森義太郎、岡邦雄、向坂逸郎中野重治らと共に執筆禁止になっています。
1938年、弾圧の熾烈化の中で、唯研事件で岡、永田広志、古在由重らと共に検挙の後、保釈。
44年9月、日本敗北の時期にほぼ見通しをつけてから東京拘置所へ下獄するも、45年月9日、長崎への原爆投下の日に長野刑務所にて獄死しています。

そもそも戸坂の思想にとって、常識ないし日常性の原理に根ざしていることは重要な要素の一つとなっています。
日常性の原理を超えることを訴える哲学理論においては特異な主張に見えますが、戸坂はT・リード的な常識は一定のテーゼの形を成したドグマが公理として常識の内容となるようなものにすぎず、その内容は固定的保守的なものにすぎないと断じ、常識を単なる知識量の総和やその平均値ではなく、或る質的な水準と考えました。
つまり、平均を常に超出することこそが常識水準には求められるのであり、常識的とは平均値を高めるべき標準ないし理想である、という訳です。
こうした常識に立脚するということが、日常性の原理に立つことであり、特に時局に対する実際性を有するということであって、唯物論※)はこうした立場に立たねばならないと説いた訳です。
※)唯物論とは、精神の実在を否定して、物質の根源性、独自性のみを主張する哲学の理論、または立場のことで、宇宙の本質は物質であり、物質とは別物の霊魂・精神などは実在せず、意識は高度に組織された物質である脳髄の所産であり、認識は客観的実在である脳髄による反映であるとする説です。

戸坂の認識論は、カントの物自体を実践を通じて認識可能な物質として把握することから説き起こし、こうした反映・模写が可能であるのは、意識が自然史の或る段階で自然から発生したという原始的同一性に基づいています。
認識内容は自然科学と社会科学とに分類されるものの、この両者は共軛関係にあり、これらの科学を統一的に体系化するものが唯物論哲学であるという訳です。
このようなものとして哲学とは範疇体系、即ち方法ないし論理に他なりません。
戸坂にとって哲学は科学の方法としての論理であり範疇の体系ですが、こうした規定にはもちろん様々な哲学的問題が孕まれていると言えます。
が、それは戸坂が哲学を方法として実際に活用し、現にある時局に於いて生かそうと考えたことの現われでもあるのです。

戸坂は、急進的唯物論者として時の権力に反抗し逮捕を繰り返しながらも自分の信念を貫き続けました。
こうした戸坂の行動と思いが唯物論として集約された『日本イデオロギー論』、一度じっくりと取り組んでみてはいかがでしょうか。

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以下、参考までに『日本イデオロギー論』を一部抜粋です。

『日本イデオロギー論 ―― 現代日本に於ける日本主義・ファシズム自由主義・思想の批判』

 この書物で私は、現代日本の日本主義と自由主義とを、様々の視角から、併し終局に於て唯物論の観点から、検討しようと企てた。
この論述に『日本イデオロギー論』という名をつけたのは、マルクスが、みずからを真理と主張し又は社会の困難を解決すると自称するドイツに於ける諸思想を批判するに際して、之を『ドイツ・イデオロギー』と呼んだのに傚ったのだが、それだけ云えば私がこの書物に就いて云いたいと思うことは一遍に判ると思う。
無論私は自分の力の足りない点を充分に知っていると考えるので、敢えてマルクスの書名を僭する心算ではないのである。

(「現代日本の思想上の諸問題」と「自由主義哲学と唯物論」の二つは新しく書いたものである。
他の論文は『唯物論研究』『歴史科学』『社会評論』『進歩』『読書』『知識』や、『改造』『経済往来』『行動』『文芸』に、一旦載せたものであるが併し之を整理して一貫した秩序を与えたのである。

 なお私がひそかに想定している思考上の伏線に就いて、注意を払う読者があるならば、左記の書物を参照して貰えば幸いである。
特に第二以下のものが直接の役に立つだろうと思う。

 一、科学方法論      (一九二九)  (岩波書店
 二、イデオロギーの論理学 (一九三〇)  (鉄塔書院)
 三、イデオロギー概論   (一九三二)(理想社出版部)
 四、技術の哲学      (一九三三)   (時潮社)
 五、現代哲学講話     (一九三四)   (白揚社
  (『現代のための哲学』――大畑書店――の改訂版)
以上
一九三五・六・三〇
東京
戸坂潤

増補版序文

 再版に際して補足として三つの文章を加えることにした。
時局の進展に応じてこれが必要だと思ったからである。
――なお参考として、初版序文に挙げた他に、『思想としての文学』(一九三六・三笠書房)と『科学論』(一九三五・唯物論全書・三笠書房)の二つの拙著をつけ加えておく。

一九三六・五
著者

増補版重版序文

 増補版も版を重ねること数回に及んだ。
今、特に云うべき言葉は持たないが、ただ増補版序文の後、本書と連関のある私の著書が四つ程出版されていることを、読者に報告しておきたいと思う。

 巻末の著書表〔そこには『道徳論』(一九三六・唯物論全書・三笠書房)、『思想と風俗』(一九三六・三笠書房)、『現代日本の思想対立』(一九三六・今日の問題社)、『現代唯物論講話』(一九三六・白揚社)、の四つの著書が追加されている〕を参照されたい。

一九三七・一
著者

序論

一 現代日本の思想上の諸問題
    ――日本主義・自由主義唯物論

 現代の日本に於いては、凡んどありとあらゆる思想が行なわれている。
日本・東洋・欧米の、而も過去から現在にかけてのあれこれの人物に基く思想を取り上げるならば際限がない。
曰く二宮尊徳山鹿素行、曰く孔子、曰くニーチェドストエフスキー、曰くハイデッガー、曰くヤスペルス、曰く何々。
こう並べて見ると、こういう所謂「思想」なるものが如何に無意味に並べられ得るかに驚かされるだろう。
だがこの種のあれこれの思想はどれも、実は高々一個の「見解」といったものにしか過ぎないのであって、まだそれだけでは社会に於ける一貫した流れとして根を張った「思想」ではない。
――思想とはあれこれの思想家の頭脳の内にだけ横たわるようなただの観念のことではない。
それが一つの社会的勢力として社会的な客観的存在をもち、そして社会の実際問題の解決に参加しようと欲する時、初めて思想というものが成り立つのである。

 そうした意味に於ける思想として、現代日本に於てまず第一に挙げられるべきものは、自由主義なのである。
世間の或る者は自由主義が昨今転落したと云っている。
だが、そういうならば一体最近に転落し得るようなどういう自由主義が旺盛を極めていたか、と反問しなければならなくなるだろう。
少くとも最近、自由主義は世間の意識に少しも積極的に上ってはいなかった。
大戦以後、自由主義思想が勢力を有ったと見られ得たのは、僅かに吉野作造氏等によるデモクラシー運動位のものだったが、それもマルクス主義の駸々たる台頭の前には、完全に後退して了ったと見ねばならぬ。
それ以後意識的に自由主義思想が高揚したのを吾々は見ないのである。
だがそれにも拘らず、自由主義は明治以来の社会常識の基調をなして来ているという他面の事実を忘れてはならない。

 云うまでもなく日本に於ける民主主義は決して完全なブルジョア・デモクラシーの形態と実質とを備えたものではなかった。
封建性に由来する官僚的・軍閥的・勢力との混淆・妥協によって、著しく歪められた民主主義でしか夫はなかった。
併しそれが夫なりに、矢張り一個の民主主義を基調としたればこそ民主主義の歪曲でもあり得た、という点が今大切である。
日本に於ける自由主義の意識は、甚だ不徹底な形に於てであるにも拘らず、吾々の社会常識の基調をなして今日に及んでいる。
ただそれが余りに常識化したものであったため、それから又、決して常識以上に抜け出なかったために、特別に「自由主義」として意識的に自覚され強調されるような場合が、極めて例外な偶然的な場合と見られるのに他ならない。
日本主義が台頭するに当って、さし当り第一の目の敵としなければならなかったのは、だから、この普及した社会常識としての自由主義思想だったのであって、之は別に、それまで自由主義の思想が特に意識的に旺盛を極めていたからではない。
で、自由主義は無意識的にしろ近代日本の思想のかくされた基調をなしている。

 自由主義思想は、自由主義の意識は、その本来の淵源を所謂経済的自由主義の内に持つにも拘らず、思想としての直接の源泉は之を政治的デモクラシーの内に持っている。
だが自由主義思想は決してデモクラシーという観念内容に終始するものではない。
それはもっと広範な観念内容を含んでいるが、そこから、自由主義思想には、ありと凡ゆる内容が取り入れられることが出来る、ということになって来るのである。

 一体自由主義が本当に独立した一個の思想として成り立つかどうかが抑々の疑問なのである。
と云うのは、一定の発展展開のメカニズムを有ち、自分と自分に対立するものとの甄別を通して自らを首尾一貫する処の、生きた論理組織を、自由主義が独自に持てるかどうかが、抑々の疑問なのである。
だが仮にそうした自由主義の哲学体系が成り立ったとして、そうした「自由主義」哲学は必ずしも自由主義思想全般の忠実な組織であるとは限らないのである。
なぜかと云うに、自由主義的思想にはありと凡ゆる観念内容が這入り得るのだったから、仮にその観念内容を理論的な哲学体系にまで組織したとして、果してその体系が、依然として「自由主義」という名目に値いするかどうかが、保証の限りではないからである。
つまりそれ程、自由主義思想の観念内容は雑多で自由なのである。

 自由主義思想にぞくする内容の一つには、社会的政治的観念からの自由、とも云うべきものが含まれている。
そこでは専ら文化的自由だけが問題となる。
之は今日多くの自由主義者の自由観念の内に見出される処であるが、その一つの場合として、その文化的自由の観念が宗教的意識にまで高揚し、又は深化されるのを見なくてはならぬ。
キリスト教的(主にプロテスタント的)神学や仏教的哲学を通って、自由主義者の哲学は宗教意識へと移行するのを、読者は至る処に見るだろう。
今日教養あるインテリゲンチャ宗教観念に到達する道は、多くはここにあるのであって、この種の宗教意識は、この段階に止まる限り(この段階からもっと進めば別になるが)、自由主義意識の一つの特別な産物なのである。

 この宗教的自由は云うまでもなく政治的自由からの自由を意味する。
現実からの逃避を意味している。
処がここに実は、宗教の第一義的な真理が、即ち又その第一の用途が、横たわることは人の知る処だ。
社会に於ける現実的な矛盾がもはや自由主義思想のメカニズムでは解決出来なくなった現在のような場合、その血路の一つが(但し唯一の血路ではないが)ここにあるのであって、矛盾の現実的な解決の代りに、矛盾の観念的な解決が、或いは矛盾の観念的な無視・解消が、その血路である。
現代は、従来国家的又社会的に認定された「既成宗教」や、比較的無教育な大衆の上に寄生する所謂邪宗の他に、インテリゲンチャを目あてとする多少とも哲理的な新興宗教の企業時代だが、一般に自由主義に基くインテリゲンチャの動揺がなければ、こうした企業の目算は決して成り立たない筈であった。

 処で、この云わば宗教的自由主義は、一変して、云わば宗教的な〔絶対主義〕に転化するのである。
自由主義は宗教意識を仲立ちとすることによって、容易に一種の〔絶対主義〕に、而も一種の政治的〔絶対主義〕に、移行することが出来るのである。
宗教は今や政治的〔絶対主義に協力〕し始める。
例えば仏教は日本精神の一つの現われだと解釈され始める。
カトリック主義さえが法皇宗教的権威と日本の〔絶対君主とを調和〕させよと主張し始める。
日本の〔絶対君主〕が一種の宗教的〔対象〕を意味することなど、もはや少しも問題ではないかのように。
――で自由主義の埒外へ一歩でも踏み出した宗教意識は、やがて日本主義の埒内に収容されるのだ、ということを注目すべきである。

 宗教復興によって宗教的世界観が、宗教的思想が、最近の日本を支配し始めたように云われている。
之が本当の「宗教」的真理運動を意味することが出来るかどうかは別として、とに角そういう特別な宗教思想が今日の著しい現象だということには疑いはあるまい。
だが、これは必ずしも、宗教的思想が独自な思想分野を構成するものだということを意味しない。
宗教意識は自由主義思想に基くものでなければ、日本主義思想に帰着するものであったからだ。
――思想は社会人の政治的活動と一定連関を持つことによって初めて思想の資格を得る。
もし単なる宗教としての宗教というものがあるとしたなら、それは何等の思想でもなく、全くの私事に過ぎないだろう。
だが無論実際には、単なる宗教としての宗教などというものは決して存在していない。

 自由主義思想が一つの独自な論理を有つことによって哲学体系にまで組織される時、夫は広く自由主義哲学と呼ばれてよいものになるのであるが(尤もその多くのものはそういう命名法に満足しないことは判っている)、この哲学体系の根本的な特色は、その方法が多少に拘らず精練された「解釈の哲学」だということにある。
事物の現実的な秩序に就いて解明する代りに、それに対応する意味の秩序に就いてだけ語るのが、この哲学法の共通な得意な手口なのである。
例えば現実の世界では、宇宙は物理的時間の秩序に従って現在の瞬間にまで至っている。
よく云われることであるが、意識の所有者である人間や(他の生物さえ)がまだ存在しなかった時にも、すでに地球が存在した、ということを地質学と天文学とが証明している。
処が自由主義的論理に立つ解釈の哲学は、宇宙のこうした現実の秩序(物理的時間)を問題とはしない、その代りに人間と自然との関係を、人間の心理的時間の秩序に於て問題にしたり、或いは超人間的な又は超宇宙的な従って又超時間的な秩序(そういう秩序は意味の世界に於てしかあり得ない)に於て問題にしたりしかしない。
現実の世界に就いて語るように見せかけて、実際に聞かされるのは、意味の(だから全く観念界にぞくする)世界に就いてでしかない。
そういうことが世界の単なる解釈ということなのである。

 観念論が最も近代的に自由主義的形態を取ったものが、この精巧に仕上げられた解釈哲学に他ならない。
露骨な観念論という髑髏は、この自由主義という偽装によって、温和なリベラルな肉付きを受けとる。
だがそれだけ自由主義が観念論の近代文化化された被服であるということが、証拠立てられることになる。

 この解釈哲学という哲学のメカニズムは非常に広範な(寧ろ哲学的観念論全般に渡る)適用の範囲を有っている。
従ってこれが必ずしも自由主義哲学だけの母胎でないことは後に見る通りだが、併しここから出て来る最も自由主義哲学らしい結論の一つは、文学的自由主義乃至文学主義という論理なのである。
之は解釈哲学という方法の特殊な場合であって、この解釈方法を、文化的に尤もらしく又進歩的に円滑にさえ見せるために工夫し出されたメカニズムに他ならない。
現実に就いてのファンタスティックな表象である処の文学的な表象乃至イメージを利用して、この文学的表象乃至イメージをそのまま哲学的論理的概念にまで仕立てたものが之である。
こうすれば現実の秩序に基く現実的な範疇組織(=論理)の代りに、イメージとイメージとをつなぐに適した解釈用の範疇組織(=論理)を結果するのに、何よりも都合がいいからである。

 処で実際問題として、この文学主義は、多く文学的自由主義者である処の日本現在のインテリゲンチャの社会意識にとって、何より気に入ったアットホームなロジックなのである。
だから現在インテリゲンチャが自らインテリゲンチャを論じるに際して知らず知らずに採用する立場はこの文学的自由主義乃至文学主義であらざるを得ない。
事実インテリゲンチャ論は現在に於ては何よりもまず広義の文学者達の一身上の問題として提起されているのであって、そこからこの種のインテリゲンチャ論がインテリ至上主義に帰しはしないかと疑われる点も出て来るのであるが、それはとに角、少くとも之が文学主義という一種の自由主義哲学に立脚していることはこの際特徴的だと考えられる。
――だがインテリゲンチャの問題は元来インテリジェンスの問題に集中する。
処でインテリジェンスの問題を解くにはもはや自由主義哲学では役立たない。
というのは、一体インテリジェンスの問題に就いて、自由主義的に科学的解決を与えるということは、何か意味のある言葉だろうか。
――ここでも気づくことだが、自由主義哲学を、科学的理論体系として徹底することは、すでに何かの錯誤を意味しているのだ。

 自由主義哲学の最もプロパーな場合は、自由そのものの観念的な解釈に立脚する理論体系である。
ここでは経済的・政治的・倫理的・自由が、それ自身だけとして問題になることによって、自由そのものとなり、従って又自由一般となり、従って哲学は自由の一般的な理論となる。
ここから結果するものは自由一般に関する形式主義的理論でしかない。
――形式主義は解釈哲学の必然的な結果の一つであるが、元来形式主義と解釈哲学とは、形而上学=観念論的論理の、二つの著しい特色だと認められている。

 さて処で、自由主義宗教的意識を産み出すことによって、やがて〔絶対主義〕としての日本主義に通じて行くことを前に見たが、今度は恰もこの現象に平行して、自由主義に於ける解釈哲学という方法が、日本主義を産み出す所以を見よう。
之を見るならば、日本主義の哲学が実は或る意味に於て自由主義哲学の所産であり、少くとも日本主義哲学への余地を与えたものが自由主義哲学の寛大な方法だった、ということに気がつくだろう。

 先に自由主義哲学の方法上の特徴であった例の解釈哲学が、自由主義に特有な文学主義を産む所以を見たが、之に平行して、今度はこの解釈哲学は文献学主義を産むのである。
文学主義が現実に基く哲学的範疇の代りに文学的イメージに基く文学的範疇を採用するという解釈方法だったとすれば、文献学主義は、現実の事物の代りに文書乃至文献の語源学的乃至文義的解釈だけに立脚する。
その最も極端な場合は、国語の内からあれこれの言葉を勝手に取り出して来て、之を哲学的な概念にまで仕立てることである。
文学主義は表象を概念にまで仕立てたが、文献学主義は言葉を概念にまで仕立てる。
処でそれだけならば誰しもこうした「哲学方法」(?)の極度に浅薄なことに気付かぬ者はないのだが、併しこのやり方を古典的な文献に適用すると、その時代の現実に就いて人々が充分歴史科学的な知識を有っていない限り、相当の信用を博することも出来なくはない。
そこでこうした古典の文献学主義的「解釈」(或いは寧ろコジツケ)を手頼って、歴史の文献学主義的な「解釈」を惹き出すことも出来る。
今日の日本主義者達による「国史の認識」は殆んど凡てこの種類の方法に基いているのである。

 そしてもっと大事な点は、こうした古典の文献学主義的解釈を以て、現在の現実問題の実際的解決に代えようとする意図なのである。
仏典を講釈して現下の労働問題を解決し得ようといった類の企てが夫なのである。
古典が成立した時代に於てしか通用しない範疇を持って来て、夫を現代に適用すれば、現在の実際的な現実界の持っている現実はどこかへ行って了って、その代りに古典的に解釈された意味の世界が展開する。
現実の秩序の代りに、意味の秩序を持ち出すのに、恐らくこの位い尤もらしく見えるトリックはないだろう。

 文献学主義は尤も、必ずしもすぐ様日本主義へ行かなければならぬという必然性は有たない。
元来日本主義というものが何かが決して一般的に判っているのではないが、少くとも文献学主義から、ギリシア主義やヘブライ主義へ行くことも出来れば、古代支那主義(儒教主義)や古代印度主義(仏教主義)へ行くことも出来る。
アカデミーの哲学者やキリスト教神学者、王道主義者や仏教神学者達は、夫々この文献学主義のメカニズムを利用して、現代の事物に就いて口を利いているのである。
古典の研究は古典の研究であって、現代の実際問題の解決ではない。
処がこの古典研究を利用して、現在の実際問題を解き得るように見せかける手品が、文献学主義だというのである。
――之は現代の資本主義内部から必然的に発生する処の各種の反動主義の国際的原則をなしているのである。

 以上からすぐ様想像出来るように、文献学主義は容易に復古主義へ行くことが出来る。
復古主義とは、現実の歴史が前方に向って展開して行くのに、之を観念的に逆転し得たものとして解釈する方法の特殊なもので、古代的範疇を用いることによって、現代社会の現実の姿を歪曲して解釈して見せる手段のことだ。
そして忘れてならぬ点は、夫が結果に於て社会の進展の忠実な反映になると自ら称するのが常だということである。

 さて文献学主義が愈々日本主義の完全な用具となるのは、之が国史に適用される時なのである。
元来漫然と日本主義と呼ばれるものには、無数の種類が含まれている。
一般的にムッソリーニファシズムナチスファシズム、社会ファシズムと呼ばれるべきものさえ、今日では日本主義と或る共通の利害に立っていると考えられる。
又単に一般的な復古主義精神主義神秘主義や、又ただの反動主義に過ぎないものも、日本主義的色彩によって色どられている。
アジア主義や王道主義も実は一種の日本主義なのである。
だがプロパーな意味での日本主義は「国史」の日本主義的「認識」に立脚しているのである。
日本精神主義、日本農本主義、更に日本アジア主義(日本はアジアの盟主であるという主義)さえが、「国史的」日本主義の内容である。
だから結局、一切の日本主義は淘汰され統一されて、〔絶対〕主義にまで帰着しなければならず、又現にそうなりつつあるのである。
天皇〕そのものに就いては、論議の限りではないが、〔絶対主義〕は処で、全く文献学主義なる解釈哲学方法を国史へ適用したものに他ならない。
この主義が日本に於ける積極的な観念論の尖鋭の極致である所以だ。
之に較べれば自由主義は、消極的な観念論の単なる安定状態を示しているものに他ならぬ。

 と角の議論はあるにしても、日本主義は日本型の一種のファシズムである。
そう見ない限り之を国際的な現象の一環として統一的に理解出来ないし、又日本主義に如何に多くヨーロッパのファシズム哲学が利用されているかという特殊な事実を説明出来なくなる。
色々のニュアンスを持った全体主義的社会理論(ゲマインシャフト・全体国家・等々)は日本主義者が好んで利用するファシズム哲学のメカニズムなのである。
だが日本主義はこうした外来思想のメカニズムによっては決して辻褄の合った合理化を受け取ることは出来ないだろう。
唯一の依り処は、国史というものの、それ自身初めから日本主義的である処の「認識」(?)以外にはあるまい(結論を予め仮定にしておくことは最も具合のいい論法だ)。
処でそのために必要な哲学方法は、ヨーロッパ的全体主義の範疇論や何かではなくて、正に例の文献学主義以外のものではなかったのである。
――併し実は、この文献学主義自身は、もはや決して日本にだけ特有なものではない、寧ろドイツの最近の代表的な哲学が露骨な文献学主義なのだが(M・ハイデッガーの如き)。
だから、日本主義に於て日本主義として残るものは、日本主義的国史だけであって、もはや何等の哲学でもない、という結果になるのだ。

 例えば自由主義乃至自由主義哲学によって国史を検討する、というような言葉には殆んど意味がないだろう。
日本主義的歴史観に対立するものは、唯物論による、即ち唯物史観による、科学的研究と記述とでしかあり得ない。
だからこの点からも判るように、日本主義に本当に対立するものは自由主義ではなくて正に唯物論なのである。
その証拠には、日本主義の殆んど唯一の「科学的」(?)方法である文献学主義のために余地を与えたものは、他ならぬ自由主義の解釈哲学だったのである。
この意味に於て、自由主義的哲学乃至思想の或るものは、そのままで容易に日本主義哲学に移行することが出来る。
日本主義哲学は所謂右翼反動団体的な哲学には限らない、最もリベラルな外貌を具えたモダーン哲学であっても、それがモダーンであり自由主義的であることに基いて、やがて典型的な日本主義哲学となることが出来る。
和辻哲郎教授の『人間の学としての倫理学』などがその最もいい例であって、元来「人間の学」乃至人間学なるものは、今日(可なり悪質な)自由主義哲学の代表物であり、例の文学主義の一体系にぞくするものであったが、夫が誠に円滑に、日本主義の代表物にまで転化することが出来るのである。
――ここに自由主義的哲学と日本主義的哲学との本質的な類縁関係が横たわる。

 高橋里美教授の全体主義の論理は、それだけとして見れば全く自由主義の哲学体系に数えなければならないが、併し全体という範疇がナチス的社会理論の不可欠な基礎概念となっていることは改めて指摘するまでもないだろう。
西田幾多郎博士の「無」の論理も亦、決して一見そう思われるような宗教的神秘的な境地だと云うことは出来ないが、それにも拘らずこれはその客観的な運命から判断すれば、例のインテリ向きの宗教意識に応えんがために存在しているようにさえ見受けられる。
そしてこうした宗教意識が、多少とも社会的な積極性を帯びると、忽ち日本主義のものになるという、現実の条件に就いてはすでに述べた。
――自由主義はその自由主義らしい論理上の党派的節操の欠乏から、日本主義に赴くことに対して殆んど何等の論理的抵抗力をも用意していないように見える。
自由主義者乃至自由主義的哲学者が日本主義に赴かないのは、論理的な根拠からではなくて、殆んど全く情緒的な或いは又性格的な根拠からであるに過ぎない。
処が彼等が唯物論に赴けないのは、単に情緒的な或いは又性格的な根拠からだけではなく、又論理的な根拠からでもあるのである。

 普通自由主義は日本主義よりも寧ろまだ唯物論に近い、という政治的判断が下されている。
だが自由主義自由主義哲学の体系に関わり合っている限り、それは原則的には唯物論の反対物であって、寧ろ日本主義への準備に他ならない。
にも拘らずなお、自由主義唯物論の同伴者めいた役割を持つことが出来ると判断されるのは、自由主義自由主義としての立場を固執することを止めて、却ってその反対な立場にまで自分の立場を徹底させうるだけの自由な立場を採る時に限る。
自由主義は日本主義へ移行するには理論的に自由主義の立場を固執していても不可能ではない、だが自由主義唯物論に移行するためには、自由主義は真に自由主義として、否、もはや自由主義ではないものにまで、自らを徹底しなければならない。
この意味に於てだから自由主義は、決して普通考えられるように、日本主義と唯物論との公平な中間地帯などではなかったのである。

 さて初めに私は、自由主義が近代日本の隠然たる社会常識だと云った。
このことは日本が曲りなりにも高度に発達した資本主義国であることから、当然出て来る結論でもある。
今日の自由主義、即ちブルジョアリベラリズムは、云うまでもなく資本主義に基いたイデオロギーなのだから、これは又資本主義社会の根本常識でもなくてはならない筈だ。
従って自由主義が、発達した資本主義の社会的所産を現在の所与として仮定する限り、そうした所与を無視する他の各種の思想に較べれば、少くとも進歩的だと云わねばならぬ。
中世的封建制を思想上の地盤にしている各種の復古思想の反動性と比較すれば、何と云ってもそうなのである。
或るカトリック学者は自由主義が今日なぜ一応の社会常識であるかを理解し得ないと云うのであるが、この常識の是非はとに角として、自由主義乃至プロテスタンティズムの方が、中世的なカトリチスムスなどに較べて、ブルジョア社会の常識に一致するということは、今更論証を必要としないことだろう。

 処で日本主義(之が今日一個の復古思想であり又反動思想なのだという点に注意を払うことを怠ってはならぬ)は、この自由主義ブルジョア社会常識に照せば、著しく非常識な特色を有っている。
この非常識さが自由主義者を日本主義的右翼反動思想から、情緒的に又趣味の上から、反発させるに充分なのである。
処がそれにも拘らず、事実上は、こうした非常識であるべき日本主義思潮が、今日日本のあまり教養のない大衆の或る層を動かしているという現実を、どうすることも出来ない。
そうなると之又一つの常識だということにならざるを得ないように見えるのである。
社会に於ける大衆やその世論(?)というものがどこにあるか、という問題にも之は直接連関している。
――で、常識というものの有っているこうした困難を解決するのでなければ、今日の日本主義に対する批判は充分有力にはなれまい。

 実際日本主義は自分がもっているこの一種の常識性(?)をすでに自覚しているばかりではなく、今では夫を愈々強調しようとする方針に出て来つつあるように見える。
日本主義は大衆を啓蒙(!)しなければならぬとさえ叫んでいる。
処が一般に大衆を相手にする啓蒙なるものは、今日の上品なリベラーレン達が決して潔しとしない仕事なのである。
解釈哲学者や文学主義者達の多くは、専ら意味の形而上学の建設や自己意識(自意識―自己反省)の琢磨に多忙であって、社会や大衆などは一杯の紅茶の値さえもないと考える。
これはつまり、如何に自由主義者達が日本主義的啓蒙運動(?)に対して、有力な援助を与えつつあるかということを物語っている。

 自由主義者達の日本主義的啓蒙運動に対するこの援助は、云わば日本主義の前哨戦である文化ファシズムとしての文化統制運動となって、日本主義者の側から感謝の手をさし延べられているのである。
今日の多くの自由主義者達が、最近の各種の文化統制運動に対して、殆んど何等の本質的な反発を感じないらしいことは、関係が援助と感謝との間柄だからに他ならない。

 日本主義と自由主義とに対立する第三の思想は、云うまでもなく唯物論である。
日本主義と自由主義との各々に就いて、又その相互の関係に就いて、科学的に批判し得るものは、日本主義でもなければ自由主義でもなくて、正に唯物論でなければならぬだろう。
今この点に注目するならば、唯物論の思想としての優越性が、おのずから間接に証明されることになる。
――ここに思想というのは他でもない、実際問題の実地の解決のために、その論理を首尾一貫して展開出来る処の、包括的で統一的な観念のメカニズムのことである。

 私は以上のような観点から、日本主義と自由主義との若干の批判を企て、或いは少くとも批判の原則を指摘しようと目論みたのである。
思うに現在に於ける唯物論の仕事の半ばはここにあるのである。

第一編 日本主義の批判とその原則

二 「文献学」的哲学の批判
    ――一、文献学の哲学への発達
      二、文献学主義に対する批判の諸原則

 まず問題の意味を説明しよう。

 現代に於ける唯物論の一つの課題は、世界と精神(文化)とに対する科学的批判である。
ここに一つの課題という意味は、之だけが現代に於ける唯物論の課題の凡てではないということだが、更にここに批判というのは、批判されるべき対象の現実的な克服に相応する処の理論的克服のことである。
理論的な克服だけで事物は決して現実的に克服されるものでないことは明らかだが、逆に理論的な克服なしに実際的な克服を全うすることは実際的に云って出来ないことだ。
世間では往々批判というものを実証に対立させて、消極的な労作にしか数えない場合が多いが、之は実証主義の安易な知恵に発するものだ。
無論又、力量のないくせに眼だけ沃えた傍観者の批評趣味や、それから所謂批判主義などは、吾々が今必要とするこの批判とは殆んど全く関係がない。

 この批判が、そして科学的批判だという意味は、統一的で最も広範な科学的範疇(云い直せば哲学的範疇)を使って事物を分析する処の批判ということである。
統一的で包括的な科学的諸範疇・哲学的諸範疇の組織は、無論厳密に云うとただ一つしかあってはならない。
一つしかないということが客観的で科学的であることの特色の一つでもあるからだ。
そういう唯一性をもった哲学的範疇組織を今日、唯物論(乃至もっと説明して云えば弁証法唯物論)と吾々は呼んでいる。
唯物論はこうした唯一の科学的な論理のことなのだ。
――この論理が使う色々の根本概念は、実際上はどういう外貌をもった具体的表象をでも外被として纏うことが出来る。
実際吾々は表象をアナロジーやユーモアやファンタジーやサジェッションに結びつけていつも文学的にもちいることしか他に道を有たない、そうしなければ実際的の文章にも思想にもならないからだ。
だが、それにも拘らず、否それであればこそ、そういう浮動する文芸的表象、日常的観念の碇となるものが唯物論の範疇と範疇組織とでなければならない。

 処で、唯物論によるこうした科学的批判の一般的な基本的方法は、すでに広く知られている処であるが、問題はこの一般的な方法を、現在の諸事情に即して役に立つように具体化すことなのである。
科学的批判の現在に必要な諸根本命題=諸原則をこの一般方法から導き出しまたは新しく工夫して之に組み入れることなのである。
――私の現在の課題は特に、現下の哲学的観念論とそれのありと凡ゆる社会的・文化的適用とに対して、技術的に科学的批判を行うのに実地に役立つ諸原則を求めることに他ならない。
この見透しに従って私はこれまで、一方ジャーナリズム・日常性・常識などの問題を取り上げたし、他方解釈哲学乃至その一つである文学主義に対してどこから攻撃してかかるべきかという吾々の態度をテーマとして来た(三、四、一一、一四、等を見よ)。
無論この二つの系統の問題は実は同じ根柢に基いている。
そしてまだ残っているテーマは沢山ある。

 文献学(フィロロギー)は文学主義の問題其他と並んで、解釈哲学(世界を専ら解釈して済ます哲学)の問題の特殊な場合の一つとして提出される。
つまり文献学主義がここでの問題なのである。
或る人は文献学(Philologie)を文学と呼ぶことを提案し、そして所謂文学を文芸と呼ぶべきだと主張しているが、この提案は或る尤もな理由を有っている。
少くとも、ここから見ても判るように、文献学主義の問題が文学主義の問題とごく近親な関係に立っていることをまず記憶しておくのが便利だろう(文学主義に就ては一一、「偽装した近代的観念論[#「近代的観念論」は底本では「近代観念論」]」を見よ)。

 Philologie(文献学)は世間で通俗的に言語学と訳されている言葉である。
併し言語学は必ずしもフィロロギーではないことを注意しなければならぬ。
例えばソシュール(Fer. de Saussure, Cours de Linguistique G※(アキュートアクセント付きE小文字)n※(アキュートアクセント付きE小文字)rale)によれば、言語の研究はギリシアにおいて文法学としてはじまったが、それが主にF・A・ヴォルフの学派(十八世紀後半)によってはじめて、所謂フィロロギーと呼び慣わされるようになったに過ぎない。
しかもこのフィロロギーは主に古典語と古典語の解釈法に止まっていて、まだ活きた言葉の研究ではなかったので、本当の言語学はこのヴォルフ的な「フィロロギー」をつき抜けて、比較文法学へまで発達し(F. Bopp)、やがて本来の科学的な言語学(それはもはやフィロロギーではなくて Linguistique と呼ばれる)の段階に這入ったのだ、と説明されている。
でフィロロギーなるものが必ずしも言語学と一致しないばかりではなく、実は言語学が横合いから之に触れ又は之れを横切り交叉する処の或る一地帯を意味しているに他ならない。
フィロロギー(文献学)はフィロロギーで、その後言語学とは比較的別なコースを辿って展開されているように見える。
つまり例のヴォルフ的な「フィロロギー」は、単に言語学が文献学と交叉した地点に他ならなかったわけで、従ってフィロロギーを特に文献学、更に「文学」とさえ訳す理由があるのである。
ヴォルフのこのフィロロギーは更に一般の文芸理論乃至芸術理論とも交叉している(例えばボーザンケトの美学史を見よ―― B. Bosanquet, A History of Aesthetic. Chap. ※(ローマ数字9、1-13-29))。
単なる言語学ではない所以だ。

 吾々は文献学の問題に就いて、所謂言語学自身の問題は之を一応等閑に付してもいいことになるわけだが(事実、言語学は現今の思想の動向に対して直接の影響を有っていないから)、併し文献学が言語学的なものから全く独立なものでなく必ずどこかで之と交叉しなければならないという点は、どこまでも忘れてならない要所である。
つまり文献学の問題は、後にどれ程それが古典や歴史や、又更に哲学自身の問題としてさえ生長しようとも、万一にも言葉の問題を離れてしまっては、もはやどこにも定位を有たなくなるわけで、大まかに云えば、言葉・言語と思想・論理との間から起きる困難が、文献学乃至文献学主義の問題を提起するのである。
――事実を云えば文献学的研究と言語学的研究とが殆んど一つに結び付いている場合は決して少なくない。
すでに先に云ったヴォルフがその先駆的な一例だが、十九世紀ではW・v・フンボルトが何よりもいい例である。
言語の比較研究が彼に於ては直ちに古典芸術の理解や歴史記述の問題に連続するのであるが、それは彼の一種の比較言語学が同時に文献学の意義を有っていたからこそ出来たことだ。

 処がフンボルトで見られるように、文献学と言語学との連関は普通、言語哲学と呼ばれるものによって最もよく特色づけられると考えられないでもない。
そして言語哲学は一方哲学的な文献学と他方実証的な言語学とに交錯しながら、又それ自身に固有な発展のコースを辿っている。
――でヴォルフ的フィロロギーは、言語学と言語哲学とが文献学に於て交叉した点だったと見てもいいことになるが、文献学自身はこの言語哲学からも割合独立に発展する。
それにも拘らずここでも大切なのは文献学が言葉の問題から決して解放されるものでないという一つの要点だ。

 文献学としてのフィロロギーは古典特に古典的文書の解読を最初の課題としている。
併し事実之は、一方に於ては古典的な造形芸術其他の観照へまで、他方に於ては同時代的な文書及び其他の一般文化的表現の理解へまでその課題を拡大される。
文献学が目的を単なる文献の解読に限らず、すぐ様一般的な古典学や同時代的な文化表現の解釈理論へまで拡大されるという点は、このフィロロギーの非常に大切な特色なのであって、そこから文献学が所謂言語学や言語哲学を離れる点が出て来るのであり、従って又一寸見ると、文献学が言葉の問題の制約から自由になって、何か独自の哲学的な――普遍的で現在に対して実際的な意味をもつ――方法にでもなるかのように思われても来るのである。
文献学が言語学的なフィロロギーから外へ向って拡大されるプロセスは、大体次のようなものだ――

 文書を解読するのは、云うまでもなく単に言葉や文章を理解するためでなく、そこに盛られた思想や観念をこうして理解するためである。
処で何でもがそう簡単に徒手空拳で理解出来るものではないので、理解の用具を提供するものが実は言葉や文章そのものだが、古典にぞくしていたり外国のものであったり、又あまりに専門的な術語に基くものであったりすれば、この理解の用具の使い方自身を又理解するための用具が必要となる。
こうした理解の用具・技法が解釈なのであって、理解はいつもこの解釈を通じて行なわれる。
フィロロギーはこうした言葉や文章が盛っている思想の解釈の技法を伝承して学問に仕上げたもののことで、狭い意味に於ける「解釈学」(Interpretationswissenschaft――Hermeneutik)をその哲学的核心としているのである。
――なぜ狭い意味に於けるというかと云えば、この解釈学はまだ言葉(乃至文章)の説明という直接目的を離れていないからである(その内でも更に最も狭い意味で解釈学という言葉を使えば、言葉や文章の文法学的説明が解釈の事になる)。
言葉の説明という直接目的から離れないこの狭義のフィロロギー=解釈学の立場はA・ベックなどが最も忠実にこれを代表している(A. Boeckh, Enzyklop※(ダイエレシス付きA小文字)die und Methodologie der philologischen Wissenschaften ――ここでは言葉の説明――解釈の仕方が四つに区別されている)。

 処がフィロロギーの哲学的核心が解釈学にあるということ、理解という独自の人間的認識作用にあるということは、この理解対象や解釈学の適用範囲を、もはや文書だけには限定しないことを意味する。
況して古典文書だけに限定しないことを意味する。
だから文献学をその哲学的核心について受取ることは、やがて文献学を単に言葉の世界に制限されない一般的な解釈学として、又更に一般的な理解論として(Hermeneutische Theorie, Theorie des Verstehens)受取ることである。
――之を極端に推して行けば、やがて文献学は外見からいうと殆んど全く哲学的な(そして無論観念論的な)科学自身と一致することになり、又結局は同じことだが、哲学の方が殆んど全く文献学化されて了う、という結果になる。
こうした哲学的文献学(?)への動きを代表するものが、誰よりも先にシュライエルマッハーなのである。

 シュライエルマッハーは無論ベックに較べて先輩である。
だから時間上から云えば、シュライエルマッハーの哲学的解釈はベックの手によって再び言語学的解釈にまで萎縮したのだとも考えられる。
だから文献学という科学の勝手な生長から云えばシュライエルマッハーがその最高峰か分水嶺に立つわけだ(但し現代に於ける文献学の哲学的認識への全面的な適用は今見ないとして)。
――一体解釈学乃至フィロロギーは、実はギリシア以来存在する。
アリストテレスはフィロソフォス(哲学者――知恵を愛する者)はフィロロゴス(文献学者――言葉を愛する者)だとも云っているし、アレキサンドリアにはすでに文献学派と呼ばれるものが存在した。
中世を通じて(アヴェロエスや聖トマス其他)、聖書とギリシア哲学古典との解釈学は著名である。
だが近世の解釈学の特色は、それが組織的に科学的で、従って又聖書とかギリシア哲学古典とかいう特定の古典だけを対象とはしないという一般性にある。
聖書解釈学を科学的にしたものは Semler であり、之を一般的な解釈技法にまで高めたものは Meier だと云われるが(Dilthey, Die Entstehung der Hermeneutik)、つまり近代文献学の始まりは宗教改革以後だと見なければならぬ(ルターは某大学の図書館でバイブルを探した処、塵にまみれたラテン訳がたった一冊出て来た。
彼は之によって初めて聖書なるものを手にしたという話しである。
当時はバイブルを[#「バイブルを」は底本では「バイバルを」]読まなくても立派に神学の教授になれたとさえ云われる)。
そして文献学と哲学とを最も密接に結びつけたものはプロテスタントとしてのシュライエルマッハーであった(シュライエルマッハーの書物―― Akademiereden ※(ダイエレシス付きU小文字)ber Hermeneutik. その先駆者としてはアスト―― Fr. Ast, Grundlinien der Grammatik, Hermeneutik und Kritik[#「Grammatik, Hermeneutik und Kritik」は底本では「Grammatik. Hermeneutik und Kritik」] 1808; Der Grundriss der Philologie 1808. 及び前に述べたヴォルフ―― Fr. A. Wolf, Museum der Altertumswissenschaft. Leitaufsatz)(J. Wach, Das Verstehen 1 参照)。

 だがシュライエルマッハーのフィロロギーが哲学的な深さを持つということは、同時に夫が神学的な深さを持つということに他ならない(事実彼は哲学者としてよりも神学者として、又宗教的啓蒙家として、の方が勝れていた)。
彼の神学乃至哲学は、無限なものへの思慕によって裏づけられている。
この無限なものへの思慕が、独り中世と云わず又ギリシア古典と云わず、凡そ過ぎ去った世界への回顧的な思慕にまで行く処が、ドイツ・ロマンティックの落ちつく処なのである。
世界の審美的観想と人間的情緒による解釈とが、そこに於ける唯一の「科学的」なものとなる。
或る時期のシェリングはその哲学によって、現実を消去して自由なファンタジーの世界を導き入れたが、この自由なファンタジーの代りに過去の歴史を導き入れるものが、シュライエルマッハーの解釈学の動機だと云ってもいいだろう。
――文献学乃至解釈学が哲学と結びつき又は哲学的となる時、その哲学はこのロマン派的・審美的・回顧的・観想的な[#「観想的な」は底本では「観念的な」]一種の解釈哲学であったことを注意しておかなくてはならない。

 シュライエルマッハーの文献学(乃至解釈学)は併し、どれ程それが哲学的であり又哲学化されていると云っても、依然として文献学(乃至解釈学)プロパーの線の上に止まっていることを忘れてはならぬ。
なる程彼によって文献学乃至解釈学はごく一般的な方法にまで、又可なり深遠とも見える世界観にまでさえ拡大された。
がそれはまだあくまで、文献学乃至解釈学プロパーとして拡大されたものであって、文献学乃至解釈学が、文献学乃至解釈学プロパー以上又は以外のものとして拡大されたのではない。
――本当に文献学が哲学化され、或いは同じことだが、哲学が文献学化されるためには、すでにW・v・フンボルトでも見られたように、その前段階として歴史の問題がこのフィロロギー・プロパーの線から独立しなくてはならなかった。
文学が歴史記述又は歴史哲学の問題として、テーマを改めて現われる時、文献学は哲学へ向って決定的な飛躍を用意するのである。
ここから初めて、理解一般というものが文献学プロパーや古典学に於ける「理解」から独立化して、やがて一切の人間的認識の本質だと宣布され始めるのである。

 この跳躍の最初の準備は恐らくドロイゼン(J. G. Droysen, Historik)の内にある。
彼によれば理解は歴史学的方法の本質だということになるのである。
処がG・ジンメルの『歴史哲学の諸問題』になると、理解というこの歴史的認識そのものが、もはや単に歴史学の方法であるに止まらず、やがて一般的な哲学的態度そのものを決定するものとなるのである。
これが最も大規模に展開されたものは云うまでもなくディルタイであって、彼は一方その精神科学の記述方法を例の解釈学から受取っていると共に他方、理解こそ、こうした精神科学の記述を通して表わされるその所謂「生の哲学」の、認識理論の枢軸をなしているものだ。
吾々の生活は歴史に於て客観化されて表現される、この表現が本当の精神なのであって、この精神の把握を通して初めて、吾々は却って自分自身の生活を知ることが出来る。
――表現の解釈こそ生の理解なのだ。
哲学は生が歴史の内に表現されたものの解釈を通して生みずからを自己解釈し従って又自己理解することなのだ、とディルタイは主張する。
――かくて歴史に於ける理解というものを踏み台にして、文献学乃至解釈学は、歴史哲学にまで、又更に哲学そのものの方法にまで、高められる。
この際、この文献学乃至解釈学によって支援される「歴史学」や「生の哲学」が、どういう素性のものであるかは、今更説明するまでもないことだろう。

 文献学が解釈学=理解論として、その本来の文献学的地盤である言葉の問題から飛躍して哲学と一つになったのは、ディルタイを以てさし当りの代表者とするのであるが、併しディルタイのこの文献学的哲学は、その実質から云って精神(文化及び社会)の最も豊富な歴史的記述に他ならないのだから、そして歴史的記述から云えば何と云っても文書の文献学的解釈が中心的な手続きであることに間違いはないのだから(仮に文献学乃至解釈学が歴史科学の方法にならないまでも)、その点から云えばディルタイの哲学はなお文献学的・解釈学的な本質のものである権利を、或る限界の内では、実際上持っているわけだ。
仮にこの哲学を歴史の原則的な記述に他ならぬものと考えて見るなら、それがフィロロギー的であることに何の不思議も一応ないだろう。
その哲学の無意味な点は、夫が単にフィロロギッシュだと考えられる処にあるよりも寧ろ、一応当然文献学的であってもよいこの哲学も結局解釈哲学につきているという処にあるのである。
この点を除けば、ディルタイの哲学は実に現実的で健全なので、これは却って取りも直さずその文献学的な方法のおかげだとさえ云えるかも知れない。
――併し文献学的・解釈学的・哲学は、いやしくも歴史記述という特別な形態を離れる時、その分相応の地盤を失って、一挙にして昇天して了わざるを得ない。
M・ハイデッガーの[#「M・ハイデッガーの」は底本では「W・ハイデッガーの」]解釈学的現象学は丁度そうしたものに相当する。

 ハイデッガーがフッセルルから受け継いだ現象学なるものは、元来が文献学的なものと無縁であったばかりではなく、その反対物でさえあった。
フッセルルが主にディルタイ生の哲学に対して厳密学としての哲学を主張したことはよく知られている通りだし、現象学の現象という観念を直接にフッセルルに伝えたF・ブレンターノの『経験的心理学』そのものも文献学と殆んど何の関係もない。
更にブレンターノが現象という観念を引き出したA・コントの実証主義こそは批判や解釈なるものをこき下すことを建前とするものに他ならなかった。
近代文献学が主にプロテスタントのものであって人間的情意の総体やそのオルガニズムを尊重したに対して、カトリック的なフェノメノロギーはそうしたヒューマニズムと縁の近いものではなかった。
そこをハイデッガーディルタイの解釈学とフッセルルの現象学とを結合したのである。
――尤も晩年のディルタイはフッセルルの現象学的分析に可なり動かされていたし、F・ブレンターノ自身有力なアリストテレス文献学者でもあったから、この結びつきが諸般の事情から云って唐突だなどと云うのではない。
問題はもっと根本的な処に潜んでいる。

 どういうフェノメノロギーも凡て非歴史的だということにまず注目してかからなければならぬ。
ヘーゲルの『精神現象学』であっても、意識発達の段階の叙述ではあっても、書かれてあるのは意識の歴史でもなければまして世界の歴史でもない。
それが現代の所謂フェノメノロギーになると愈々ハッキリするのであって、現象とは現象が現われては隠れる一定の舞台のことで、その舞台面が意識とか存在とか其他々々と名づけられるのである。
だからそれだけから云っても、現象に解釈学や文献学を結合することは、もしその解釈学なり文献学なりが歴史の問題からの由緒の正しさを持つ限り、元来無意味でなければならない。
処がまた、現象というものの意味は、それがいつもその表面に於てしか問題として取り上げられない、という処に横たわっている。
と云うのは、現象の背後や裏面を正面から問題にするということがそこでは無意味なのである。
表面化すということが現象するということに他ならない。
そうだとすれば、例えば事物の背後や内奥に生活の表現を探り、事物の裏から事物の匿された意味を取り出すといったような解釈学や文献学は、現象なるものに対して初めからソリの合わない方法だと云わざるを得ない[#「得ない」は底本では「得えない」]。
表面というものの厚さを量ることは出来ない相談だからである。

 にも拘らずハイデッガーは解釈学的な現象学を企てようとする。
つまりこの意図を客観的に見れば、解釈学乃至文献学からその歴史用の用途を抜き去り、歴史的認識に代わるような体系的な、その意味に於て形而上的な(必ずしも所謂形而上学だというものではない)哲学上の学的構築を齎らそうという事になる。
文献学乃至解釈学は歴史的には使えないから何か現象的にでも之を使う他はない。
ドイツ・イデアリスムスの世界観としての(人々はそれを好意的に形而上学と呼んだ)歴史的行き詰まりを打開するには、こうした非歴史的な哲学体系が何より時宜に適したものであったに相違ない。
ナチスの綱領がドイツの小市民を魅惑したと同様に、ドイツの所謂教養ある(?)インテリゲンチャを魅惑したのがこの哲学「体系」であった。

 処が歴史的用途から解放されたこの解釈学乃至文献学は、云うまでもなく完全に「哲学」的用途のものにまで昇華する。
今やハイデッガーに於ては、文献学乃至解釈学は、そのプロパーな言語学的又歴史学的桎梏から脱して、正に哲学そのものの方法にまで羽化登仙するのである。
文献学にとってこれ以上の名誉は又とあるまい。
と同時に、これ程文献学にとって迷惑な事もないのである。
なぜというに、ここでは文献学はその本来の歴史学言語学的な実体性を失って、極めて戯画化されて現われざるを得なくなるからだ。
例えばハイデッガーによれば、距離(Entfernung)とは遠く離れてある(fern)処へ、手を伸ばすなり足を運ぶなりして、その遠さを取り除く(Ent)事によって、成り立つというのだ。
こうした説明は一応甚だ尤ものように見えて案外他愛のないものであり、殆んど一切の言葉が同じ仕方で説明出来ない限り、語源学的な意義さえそこにはないのであって、之は何等言語学的な説明でさえあり得ないのだ。
言葉(ロゴス)が現象への通路だというが、こういう調子では、この通路もただ割合に工夫を凝した思いつきの示唆にしか過ぎない。
解釈学の実質がこういうフィロロギーのカリケチュアにまで萎縮したのは、全く解釈学や文献学が自分に固有な歴史学的乃至言語学的エレメントから跳ね出したからで、もしそれ以外になおこの解釈学の実質があるというなら、それは解釈学的現象学の科学的方法にではなくて、そうした方法が息っている処の一つの何か僧侶的な「イデオロギー」にしか過ぎない、という事を注目すべきだ(死・不安・其他)。

 で、文献学はこうして哲学化されることによって却って戯画化される。
逆に哲学は、文献学化することによって非科学化す。
文献学は文献学として無論少しも誤ってはいない。
だが世界の現下のアクチュアリティーは決して文献学の対象ではないのだ。
だから、文献学を何か特別な主賓として待遇しなければならないと考える哲学は、必ず何かこの現実=アクチュアリティーを恐れなければならぬ理由を有った哲学に違いない。
――そしてアクチュアリティーが問題にならぬ時、どんな「歴史」も意味がないのだ。

 さてハイデッガーの解釈学的現象学は、存在の問題を取り上げる、夫が「存在論」たる所以だが、存在(Sein)は更に人間存在から始めて取り上げられる。
そこで問題になるものが現実存在(Existenz)だ。
その意味で存在論は「人間学」から始められる。
夫は存在の自己解釈であった。

 人間学(アントロポロギー)の歴史は極めて多岐であり、その言葉の意味さえが様々である。
遠く人間知に始まって人性論・人類学更に哲学的人類学にまで及んでいる。
だがここで云う人間学はそうしたものから区別された人間学のことであって、この区別を与えるものがとりも直さず解釈学の有る無しにあるのである。
だからこの人間学は云わば解釈学的人間学に他ならない(人間学の系統的な批判を私は機会を得て試みたいと思っている)。
――だから少くとも、例えば之をL・フォイエルバハの宗教批判のための人間論などと同列に置くことは出来ない。
ここで解釈的と呼ばれる所以は、すでに云ったように歴史認識から足を洗ったという処にあるのだったから、結局残るものとしては、形而上的な従って又精々神学的な建築材料しか持ち合わさないからだ。
之に直接比較されてよいものはさし当りS・キールケゴールの著作などだろう。
――なぜこんなことを云うかと云えば、日本では曾てはフォイエルバハに結びつけられて、人間学なるもの一般が、何かマルクス主義哲学と関係あるもののようにして輸入されたからである。
云うまでもなく輸入されたこの人間学は例の解釈学的人間学のことで、唯物論とは凡そ原則的な対立物だったのだが、にも拘らずこうした人間学が、その素性の曖昧な一般性を利用して、なおわが国の進歩的(?)な自由主義者達に可なりの魅惑を与えているらしい。
之は現下の文芸其他に於ける各種のヒューマニズムの素地とさえなるだろう。
人間学は今日、あまり素質の高くないインテリの間では一つの合言葉とさえなっている。
どんなものにでも人間学という言葉をつけられないことはないが、一旦そう名づけて見ると如何にも尤もらしく進歩的(?)に聞えて来るだろう。
仏教も人間学として(高神覚昇・益谷文雄・其他の諸氏)、倫理学も就中「人間の学」として(和辻哲郎)現代物らしくなり多少とも「進歩的」なものになる、というわけである。

 文献学を最も模範的に人間学に適用したものは和辻氏の『人間の学としての倫理学』である(七、を見よ)。
否、ただの適用でなくて、云わば文献学からの人間学の演繹だとさえ云っていいだろう。
文献学の溶液に存在という微粒子を落すと忽ちにして人間学=倫理学の結晶が見る見る発達する。
それ程文献学の適用がここでは完全なのだ。
それにもっと完全なことには、この人間の学の方はハイデッガーの人間学から、現象学的残滓をすっかりとりのけて、その解釈学(=文献学)を純化したものなのである。
――つまり之はもっと純粋なハイデッガーに他ならない。
だから吾々は之に対してハイデッガーの文献学主義に就いて云ったことを、もっと純粋に云い直せば事は足りる。

 以上は科学として発達して来た文献学を想定した上で、之を解釈学という一般的な組織的手続きに直して哲学に適用した場合を、解明して来たのであるが、私の今の目標は寧ろ、そうした組織的手続きとしての文献学の代りに、もっと断片的に従って又或る意味では常識的に、文献学的なものに頼って物を考える場合の社会現象に対してであって、その意味に於ける文献学の無組織的適用が次の問題だ。
現在のわが国では特にこの問題が時事的重大さを持っているのである。

 だがこの現象を一つの社会現象として見れば、一見極めてナンセンスなものから、一見極めて荘重なものにまで及んでいる。
坊間の言論家(為政者や朝野の名士も含めて)の茶番のような言動から、ブルジョア・アカデミーの紳士達(教授から副手や学生まで含めて)の高遠真摯な研究に至るまで、この現象は及んでいる。
そしてこの社会現象の哲学的意義になると、坊間の茶番劇だからと云って、決してアカデミーの悲劇的な身振りに較べて、その重大さが劣るとばかりは云えない。
却って茶番劇であればある程、その科学的批判の原則は複雑で困難だというのが事実である。
実際相手が非科学的な時、之を科学的に批判するほどムツかしいことはあるまい。
実はこの困難に打ち勝つためにこそ、私は文献学の問題の必要を痛感するのである。

 尤もこの現象にも罪障の甚だ深いものと割合罪のないものとの区別はある。
前に云った茶番と悲劇との区別に関係なく、別にこの区別がある。
例えば和辻氏の倫理学は、その推理過程を殆んど凡て辞典的根拠に置いているが、それが「純粋」解釈学の重大な症状であるにしても、それだけ取って見れば比較的罪は軽いと云っていいだろう。
人々は容易にそこにすぐ様フィロロギーのカリケチュアを気づくだろうからだ。
紀平正美氏のやり口でも、その文義的論拠にぞくするものは、同様に思い付きのギゴチなさを感じさせるだけで、真剣な問題を惹き起こす類のものではない(例えば「理」=コトワリ=断=分割―ヘーゲルの Ur-Teilen)。
このカリケチュア自身のカリケチュアは一例を挙げれば木村鷹太郎氏の日本=ギリシア説のようなものに相当するが、之は併し実は、かの教授達のこの点でのナンセンスを単に高度にして見せたものに過ぎない。
このフィロロギー現象と精神病理現象との間にはあまり本質的な距離があるものではない。

 重大なのは、現在のアクチュアリティーに向って古典を無批判的に適用することの罪である。
否、もっと一般的に云えば、文献学的意義しか持たない古典を持ち出し、之に基いた勝手な結論で以て現実の実際問題を解決出来るという、故意の又無意識の想定なのである。
之も亦、巷間からブルジョア・アカデミーの回廊にまで及ぶ現象である。
――例えば権藤翁における南淵書や、神道家の国学古典などが最も良い例で、この古典の古典としての真偽とは関係なく、古典の現在への時事的適用自身が無意味でなければならぬ。
紀平・鹿子木・平泉・の諸氏やその他多数の国粋主義的ファッショ言論家が、この日本ものの部類にぞくする。
東洋もの乃至支那ものでは、西晋一郎氏の「東洋倫理」や漢学者・アジア主義者の言論、印度ものとしては仏教僧侶の時局説法、更に欧米ものとしてはブルジョア・アカデミー哲学者達の半フィロロギー的哲学問題の選択――文献学的に論じて行くうちに夫がいつの間にか問題の実際的解決になるとでも思っているらしいドイツ語フィロローグやギリシア文引用家達の哲学的作文等々、その現象には限りがない。

 こうしたものを一つ一つ部分々々に批判して行くことは無論決して不可能ではない。
一々現実界の状態や運動に引きあててそのナンセンスを実証してもいいし、各々の不統一な主張をアブサーディティーにまで追い落してもいい。
だが困難はこういうデタラメなフィロロギー現象が、限りなく存在し又とめ度なく繰り返すという事実にある。
吾々は百億という数値の〇を一つ一つ書いている煩に耐えないというので、10nといったようなフォーミュラ(公式)を必要とすることになるが、それと同様な必要から、文献学のこの組織的な適用に対する批判の諸公式を、根本命題、原則の形で、今四つ程挙げようと思う。

 第一、一般に言葉の説明は事物の説明にならぬ。
――この判り切った命題は実は私の云いたい事の初めであり又終りでもある。
現在使われている各国乃至各民族の言葉は、当然夫々の現実の事物に対応する観念を云い表わす、だがそれにも拘らず言葉と論理との間のギャップはいつも問題として残る。
ここで論理というのは概念が実在に対する対応関係を云うのであるが、この論理が人類の歴史を通じて発達すればする程、即ち実在に対する概念の対応が具体的になり精細になればなる程、言葉の方はいつも論理に引きずられることになるから、言葉と論理との間のギャップの可能性は増々大きくなる。
論理は思想を首尾一貫して貫徹する活きたメカニズムだが、処が言葉も亦社会的に消長する活きた存在で、言葉は言葉でそれ自身の発育と代謝機能とを有っている。
言葉の説明、言葉による説明は、夫々の言葉の語源からの変遷を溯ることを普通とするが(もしそうでなければ社会的な統計でもとって「通念」を算出しなければならなくなる)、そうして溯源の結果発見されるだろう言葉の語源的な意味を採って、夫によって事物を説明し、それで現在の言葉による事物の説明の代りにするならば、言葉と論理との間のギャップの可能性は二重に大きくなるわけだ。

 古代の思想のメカニズムでは、言語と論理(古代論理)とは極めて親しい関係に立っている。
例えばE・ホフマンの論文(E. Hoffmann, Sprache und die archaische Logik)によれば、秘義(ミュステリオン・語るを許さず)――神秘(ミュスティック・語る能わず)――神話(ミュトス・語らんと欲す)=ミュトス(話)――エポス(言葉)――ロゴス(思惟)という具合に、言語と論理との近親関係をつけることが出来る。
つまり語ることを問題にしている前の系列と、考えることを問題にする後の系列とがミュトスによって直接に連なっているのである。
処が近代の論理はこうした言葉から独立することをこそその使命としている。

 言葉による説明は、だから、説明される事物が発展した社会の所産であればある程、夫を何等か古代的なものにまで歴史の流れを逆行させない限り、事物の説明の態をなさない。
文献学主義者は、何等かの意味での[#「意味での」は底本では「意味で」]古典にまで論拠を溯行させようとしたがる、そうした故意の又無意識の企てを有つのだ。
併し――
 第二、古典は実際問題の解決の論拠とはならぬ。
一体古典とは何を意味するか(古典と云っても古典主義やギリシア古典と必ずしも関係はない)。
自然科学に於ける古典主義に就いては改めて考えなければならないが、少くとも文学・哲学・社会科学の領域に於ける古典は、大体三つの意義と科学的用途とを持っていると考えていいようだ。
(一)或る考え方や経験(実験までも含めていい)の有用な先例又は文献として、(二)歴史的追跡のための事実又は資料として、そして最後に(三)訓練のための用具又は模範として。
(一)ならばこの古典が先例又は文献として現在役立つかどうかは古典自身が決める事ではなくて、現在の実際的な事情が決定することである。
現に文献を先例として引用しただけでは、一向自分の主張の論拠にはなるまい。
文献は論拠として見る限り、すぐに古くなるものだ。
(二)ならば資料の使い道の決め方は資料自身にあるのではなくて、夫は全く現在の実際的な認識目的に基くことだ。
資料それ自身は論拠にはならぬので、誤謬の歴史に資する資料というものがあるからである。
(三)ならば模範は模範であって少しも論拠ではない。
――だからいずれにしても、古典はあくまで参考物の限界を出ないもので、現在の実際問題解決のための論拠を提出する使命をもつものでもないし、又持ってもならない。

 ただ古典の大切な条件の一つとして、それが歴史的に伝承されて今日現在に至ったものだという点を忘れてはならぬ。
そうでなければ古典ではなくてただ過去の一介の歴史的所産にしか過ぎない。
でこの古典が引く伝統の糸は、哲学なら哲学史の、社会科学なら社会科学史の、流れを貫いていつも不断の作用を各時代に及ぼしている。
だからして古典は論拠とされてはならぬが、併し又必ず参照されねばならぬものとなる。
つまり古典とは実際問題の必要に応じて批判され淘汰・陶冶されて行かなければならないものなのである。

 批判と淘汰・陶冶を用意しないで、その意味で無条件に、古典を何かの用に役立てることは、その言葉が示す通り、文献学主義の根本特色の一つである。
古典の引用に当ってもこのテーゼはその通りあてはまる。
自分の主張を単に権威づけるために、古典的文章を引用することは、単に馬鹿げた無用なことばかりではなく、現在の問題を古典の時代の問題にまで引きかえす処の反動をさえ意味しているのだ。

 普通このやり口を公式主義と一口に云うのだが、併しそう云うのは正確でない。
公式は実は常に運用されるための公式なのである。
公式主義の特色は、既知の公式を使うことにあるのではなく(公式を使わなければ科学的でない)、却って、既知の公式を使う代りに無用にもワザワザ之を改めて導き出して見せて、そしてそこが解決点ででもあるかのように問題を打ち切って了う、という処に横たわる。
――併し一体公式は古典の意味を持たないか、古典的ということは普通、均斉のとれた典型的なことだが、之は科学の上では公式に相当しないか、という疑問は起きるかも知れない。
併しそうではない、典型的ということは、(三)の模範性に他ならないからである。
吾々は之を教育上の目的で使用することは出来ても論証上又は製作上の目的に之を技術的に実地に使用することは出来ない。
もし出来るとしたらミケランジェロのデッサンの上に色彩を施すことも完全な絵画の創作となるだろうが、それは無論文学で云えば剽竊に相当するものでしかないだろう。
処が公式は単に訓練上だけではなくいつも論証上の又広く制作上の目的に実地に技術的に役立てられるべきもので、古典のように過去のどこかに位置する事物ではなく、現在日常的に手回り近くに用意されてある処の観念的な生産用具に他ならないのである。

 古典を何か実際的に直接技術的に役立つ公式か何かのように思い込むのは、つまり古典を使って制作をすることと、古典を理想として製作することとを混同するからである。
この区別は唯物論的には重大な意味があるが、観照的な解釈家であり審美的な理解者である古典学主義者(そうした特殊の文献学主義者)にとっては、夫はどうでもいいことらしい。
彼等は云うまでもなく古典を実地に技術的に用具として使うことは出来ない。
併し又初めから使おうなどとは思いもよらないのである。
元来そうしたものが古典なのだが、之に反して公式ならば夫が使われないというようなことは許すべからざる不経済だろう。
――古典の権威に対する不当な尊重は、文献学主義の一つの宿命である。

 第三、古典的範疇はそのままでは論理をなさぬ。
――古典に論拠を求めるという誤りは、要するに古典的範疇乃至範疇組織を、現在に於ても論理的に通用するものと認めることに他ならない。
ギリシア古典・印度の古典・支那・日本・中世ヨーロッパ・アラビア・其他の古典的文物は、夫々に固有な範疇と範疇組織=論理を持っている。
古典的でなくても未開人は未開人固有の範疇論理を有っている。
処が之等は今日の吾々の、即ち現代の文明諸国の、国際的に通用する論理とは同じでない。
極端な例はレヴィ・ブリュール等の一連の研究によって示されているが(未開人に於ける特有な集団表象・分有=パルティシパションの論理・先論理)、古代印度人の思考のメカニズムも亦、今日の国際的な論理との間に可なり決定的なギャップを示している。
その良い例は因明論理の論証手続きなどだろう(例えば Betty Heimann という女史は古代インド的思考の研究を Kant-Studien に時々発表しているが、その一つによるとヨーロッパと古代印度ではアナロジーをさえ絶する程異った思考のメカニズムがあるという結果になる)。

 蓋し範疇組織=論理は、それぞれの時代の社会の歴史的条件によって現実界に対応すべく組み立てられた思考の足場なのだが、この現実界が発展すれば当然この足場も発展せざるを得ない。
足場が発展するには、この範疇組織という足場の材料となっている各範疇がモディファイされ止揚されることによって、断えず足場が再構築されて行かなければならぬ。
古典的範疇だからと云って、勝手に持って来て現実の実際問題を処理するオルガノンとすることは、だから絶対に許されない筈なのである。
時代は時代の範疇組織を、論理を有っている。
文献学主義は処で、古典の権威に対するその信頼によって、時代の範疇組織=論理を知らなかったり、又強いて認めなかったりする。
だが、古典的範疇はなる程理解はされよう、併し使うことは出来ない。

 第四、古典的範疇は飜訳され得ねばならぬ。
併し飜訳はいつも飜訳に止まる。
――狭い意味に於ける飜訳は一つの国語の文章を他の国語の文章で置き換える事だが、広い意味の飜訳は、一般に文化の紹介を意味している。
どれも文献的労作である点で変らない。
シュレーゲルのシェークスピア飜訳や、カーライルのゲーテ紹介などはこの二つの意味を兼ね具えたものであった。
正にこうした飜訳こそフィロロギーの使命であり、現在の実際問題解決に対するフィロロギーの唯一の寄与の仕方なのである。
――だが飜訳は飜訳であって原物ではない。
未開・古代的・古典的な文書や言葉であっても、又同時代的な同一文化水準の外国語でも、言葉として或る程度まで飜訳は可能でなくてはならぬ(この文学上の飜訳の問題に就いては野上豊一郎氏「飜訳論」――岩波講座『世界文学』の内を見よ。
なおフェノメノロギッシェな試論としては L. F. Clauss, Das Verstehen des sprachlichen Kunstwerks, 1929 ― Husserls Jahrbuch, Erg※(ダイエレシス付きA小文字)nzungsband などがある、尤も之は大したものとは思われないが)。
だが広い意味の飜訳は文化の紹介なのだから、問題はこの種の文学上の飜訳に止まることは出来ない。
今何より大事なのは範疇乃至範疇組織の飜訳の問題なのである。

 今日の同時代諸国の間の論理の飜訳は併しあまり問題ではない。
なぜなら世界の生産力が或る程度まで発達した結果、生産技術と生産機構とは殆んど全く国際的な共通部面を持つようになって来た。
そして之が夫々の国の生産関係の尖端をなすのだから、尖端は国際的に出揃ったと云っていい。
この生産の尖端に誘導されねばならない理由を有っている夫々の国々の論理機構は又、その尖端を出揃わせるわけで、それに交通運輸機関の著しい発達の必要がこの論理の国際性を日増しに現実的なものにして行きつつある。
で、同じものを同じものに飜訳するのは飜訳ではなくて、ただの交換か授受に過ぎない。
ヨーロッパ文明が日本で消化し切れなかったり、日本精神が外国人に判らなかったりすると考えるのは、論理の飜訳の意義を知らぬもののデマゴギーであって、そういう人間に限って、古代インドや古代支那の論理を平気で現代の日本に使おうとする癖がある、ということを忘れてはならない。

 実は問題は、古代的・古典的諸論理を現代的論理へ飜訳する場合にあったのである。
例えばインドの原始仏教の文献的内容は、単にそのテキストが国訳されただけでは吾々の理解にとって不充分なので、更に之を現代的範疇と範疇組織によって解釈して呉れなければ、原始仏教の文化内容も遂に今日の吾々の文化内容と接続し得ないで終る。
単に古典学的興味の対象とはなっても文化的関心の圏内には這入って来ないだろう。
処が例えば之を木村泰賢氏のようにカント哲学風に解釈して再現すれば初めて多少現代の文化財としての意義が生れて来る。
更に之を和辻哲郎氏のように現象学的な立場からでも解釈し直せば、すでに吾々にとって理論的に充分読めるものとなる、という次第だ(和辻哲郎氏『原始仏教の実践哲学』参考)。

 だが範疇又は範疇組織=論理を飜訳するという事は、AのものをBのものへ移して、Aの生きた生活連関をBに於ける活きた生活連関であるかのように作為することに他ならない。
Aに於て活きていた論理はだから、Bへまで飜訳された上で、なおBに固有な活きた連関を有つことは、決して許されない。
今その限りBへ移し植えられたこの被飜訳論理は[#「被飜訳論理は」は底本では「被飜訳理論は」]死んでいる、だから本当の論理ではあり得ない。
このAが古代的・古典的論理であり、このBが現在の実際的論理なのである。
――だから飜訳は永久に飜訳であって、遂に原物ではないというのである。
即ち文献学者は、文献学者の資格に於ては、活きた論理を使用する使用者としての哲学者ではあり得ない。
フィロロゴスは決してフィロソフォスではない。
ここがフィロロギー・文献学の権利の限界をなしているのである。
でこの文献学の制限を、無意識に、そして甚だ往々にしては故意に、無視することが、文献学主義=文献学的哲学の根本的な誤謬か、又は最も根深い欺瞞の要点なのである。

 フィロロギー現象=文献学主義は、解釈哲学(世界を単に解釈することによる観念論)の一つの特殊な場合であった。
無論文献学主義の形を採らない解釈哲学は他に多い。
解釈哲学が必らずしも解釈学的哲学に限らないことは注目すべきだが、併し文献学的・解釈学的・哲学の組織的な又断片的な形態が、今日わが国の至る処に著しく目立つことに、着眼することは、各種の日本主義に対する批判にとって、極めて大切だ。

三 「常識」の分析
    ――二つの社会常識の矛盾対立の解決のために

 文芸の領域では最近、日常性という問題が相当話題に上るように見受けられる。
一部の知識人によると、現在の文芸家の或る者達が尊重する不安というのも、社会生活の経済的政治的又観念的な不安であるとかないとかいうよりも、何よりも先に、日常生活意識に対する懐疑と攻撃、としての不安でなくてはならぬというのである。
そうした不安にこそ、インテリゲンチャの特色と、更に又インテリゲンチャの積極的な自覚さえが宿っていると云う。
日常的なものは、即ち、こうした不安らしいものと対比させられて、一部の文芸家の観念に取り入れられる。

 文学的修辞からすると、日常的ということは又俗物的なことでもなくてはならぬ。
だから日常性は、俗物主義に反対するためにも取り上げられる必要があり、そして改めてハタき落されなくてはならないということになる。
こうした考え方は、確かに一種常識的な尤もらしさを持っている。
だが、では、日常性というものはどういうものか、ということになると、結局それが不安を覚えない俗物さの対応物だということに尽きているらしく、人々はそれ以上面倒な商量や考察を敢えてしようとはしないようだ。
日常性が不安を知らぬ俗物さの対応物だというこの現在の一つの常識は、その素性を糺すと僧侶主義的な生活へ転心(この宗教的な体験の秘密は今日では各種の転向という世俗的な奇蹟として実現しているが)しない内の空しい堕ちた人間生活のことが日常性のことだとする、ある特定の神学又は哲学から来た民間常識なのであるが、それ以外のそれ以上のことになると、この常識にとってはどうでもいいらしい。
必要なことは却って俗物的な情熱で以て日常性を俗物さと対置することでしかないらしい。

 処がこうして常識的に日常性を俗物的だとしか見ない態度が、却ってそれ自身ごく日常的なものに他ならないのであって、従って又それ自身却って甚だ俗物的な常識に過ぎないのだが、俗物呼ばわりをするに熱心なこの俗物達にとっては、俗物さ自身のもつそうしたアイロニーパラドックスなどは[#「パラドックスなどは」は底本では「パラドクッスなどは」]どうでもよい。
この常識は何等の愛嬌もユーモアもなしに、日常性をひたすら俗物呼ばわりするのである。
日常性というものにどういうディアレクティッシュな裏の裏があるかにもお構いなしに。
――処が日常性には立派に日常性の原理とも云うべきものがあって、それが例えば哲学を俗悪で無意味な形而上論から区別している。
それを私は屡々色々の機会に説明したのであるが、日常性を俗物呼ばわりしたくて仕方のないこの常識論は、日常性の今云うような意義に対して全く無感覚な程非常識なのである。

 日常性とか俗物主義とか(その間を「不安」が取りもつのだが)に就いての今日の常識が、すぐ様如何に非常識なものかという事実を見れば、一般に常識というものがどんなに一筋繩では片づかないものかということが判る。
処で、日常性や俗物主義の場合は、単にこの常識のアイロニー(所謂ロマンティック・アイロニーのことを考えて貰っては困るが)の一例だというばかりでなく、それ自身常識につらなる一連の諸観念に他ならなかった。
所謂日常性―所謂俗物主義―所謂常識という一連の云わばメフィストフェレス的又はサタン的な系列が問題だ。
だからこの種の問題は一切、常識に就いての問題に集中するのである。
――事実常識は、例えば学問・科学・真理・天才・独創・等々を、試み批判する職能を持っている。
サタンは試みるもののことであり、メフィストは誘惑するもののことだ。

 常識も亦文芸の世界で多少は話題に上っている。
常識的な文芸批評は遂に常識以上に出ないと云えば、そう云う当の側が非常識ではないかとやり返される。
ここの関係に一種込み入った矛盾が横たわっていることは明らかなのだが、誰もまだあまり注意を払っていないようだ。
つまり常識は単に全く常識的にしか掴まれていないのである。
そして常識に就いて単に常識的な観念しか見当らないのは、何も今日の文芸の世界に限ったことではないのであって、現在の一般の理論や哲学の世界に於てさえこの事情に変りはないのである。
で、必要なのは常識の(もはや常識的ならぬ)分析でなくてはならない。

 常識は常識的に見て、この二つの相矛盾した側面を有たされている。
一方に於てそれは、非(又反)科学的・非(又反)哲学的・非(又反)文学的・等々の消極的又は否定的な知識を意味している。
処が他方に於ては之に反して、却って一人前の・ノルマルな・社会に通用する・実際的な健全で常態な知識のことをそれは意味している。
前の意味では常識的であることは恥ずべきことであり、後の意味では常識的であることは誇るに値いすることだと考えられる。
そしてこの二つの相矛盾した意味が、同じ常識という観念の内に、どう折り合いをつけるかという段になると、常識自身は一向それを気にしない。
常識はこの二つの矛盾したものの常識的対立で満足しているのであって、この段階に止まるものが、常識の常識的概念に他ならない。
蓋し常識的な態度は、互いに相容れない二つのテーゼを平気で並べておいて顧ないということを、その特色の一つとする。
常識は常識自分自身に対してさえそうなのだ。

 或る意味で文学的科学である哲学は、いつも時代の与える常識から出発する。
だから常識自身に対する哲学的反省も亦、今云ったこの常識的段階から出発するのを常とする。
ギリシア古典に於ける「ドクサ」は丁度そう云った常識に就いての哲学的概念の初歩のもので、真の知識=学問から見れば、それは結果から云って、凡そ真理の反対物でしかあるまい(プラトンの段階)。
だが哲学がこの常識・ドクサの有つアナーキスティックな本質に注目することは、この見解がすでにただの常識的概念を離れ始めることを意味する。
ドクサの本質は、その内にいくつもの相矛盾するテーゼが平気に並んでいるということである。
この相矛盾する諸テーゼを整頓処理して初めて科学的な知識へも行くことが出来ると考えられる。
アリストテレスがディアレクティックをこの種のドクサに於てだけ認めたのは、恰もこの段階の常識概念に相当するのである。
ここでも併し、常識は真の知識への一つの足場にはなっても、云うまでもなく、真の知識の単なる反対物でしかない。
蓋しドクサは一方に於て旧来の自然学者の多少とも偶然な見解や知識的伝説のことであり、他方に於てはデモクラティックな民衆の自然発生的な通念に他ならない。
そうすれば之がギリシアの貴族主義的な知識の依り処となれないことは当然だろう。

 併し、常識という言葉(Common sense, Gemeinsinn)そのものが、アリストテレスに於てドクサとは全く系統の違った観念として提唱されている点は、よく知られている。
彼の De Anima によれば、一定種類の知覚に対応しては、それを受け取る夫々の感官があるのは云うまでもないことで、眼は色や光や形を、耳は音を、知覚する。
だが人間は色や光や形――そうした視覚的なものとなって現われる知覚と、音というような聴覚となって現われる知覚との相違自身をも亦知っている。
単に赤が青でない事を知るだけではなく(それならば視覚だけで判る)、赤や青が音の高低とは[#「高低とは」は底本では「高底とは」]全く別な系列にぞくすることを事実吾々は知っている。
而もこの相違は何と云っても知覚的に知られるのであって、別に知覚以外の又は知覚以上の心的能力によって知られるのではない。
そうすると五官が夫々感受する知覚をば、相互に比較出来るような、従って五官に共通した而も五官の外にある何かの共通な感官がなくてはならぬということになる。
耳でも眼でも舌でも鼻でも皮膚でもない感官が、そこで想定されざるを得ない。
こうした共通感官が、後に常識と訳されるものの語源なのである。
だが之は無論単なる語源の問題には止まらないのだ。

 この共通感官は、無論五官(外官)ではあり得ない。
アリストテレスによれば之は多分脳髄のどこかに位置する器官だと想像される。
だが吾々はそのような感官の位置に就いては問題を感覚生理学か解剖学に一任することにしよう。
哲学的テルミノロギーとしては、感官は一種の心的性能の意味にまで抽象されるのを常とする。
そうした生理解剖学的定位から抽象されたものとしてこの共通感官を見るならば、今云った定位問題とは一応無関係に、之を外官に対する内官と考えることが出来るようになる。
無論外官とか内官とかいう哲学上の常識観念は、相当限定の困難なものだが、少くとも外官が常識的に云っても肉体上明らかな定位を持っているのに較べれば、内官の方は、決してそんなに容易に肉体的器具と一致させることの出来ないように見える理由があるだろう。
内官という観念がだから既に、哲学的な抽象概念を意図したものと云わねばならぬ。
と云うのは内官に就いては、もはや感覚器官を意味する官という規定が相応しくなくなるからである。
そこで之を内感と呼んでもいいと考えられるようになって来るのである(この時内官に対比される外官も亦外感と書かれるに値して来る)。

 そう考えると、感官がやがて感覚を意味して来る理由も亦おのずから理解出来るだろう。
感官は元来感覚――哲学では知覚心理学からの訂正にも拘らずこの言葉に意味を認めていいのだが――を受けとる器官だったのだから、感官は感覚ではない筈だったのだが、今云った理由によって、感官と感覚とが同じ観念になる理由が生じて来たのである。
――さてそこで今の共通感官も亦やがて共通感覚にまで、その意味を転化して来るのである。
センスやジンやサンスという外国語は事実この転化をよく示しているので、単に感覚を意味するだけでなくて、それが意味という言葉や核心という言葉をさえ意味するようになるのを注意すべきだ。

 だからアリストテレスの共通感官は、やがて共通感覚という意味を受けとるようになる。
この時内感という文字の意味が初めて明瞭となるばかりではなく、その内感がやがて内部知覚という概念でも置き換えられ得る所以が明らかとなる。
内感即ちやがて内部感覚は、之を少し心理学的内省によって分析して見れば、内部知覚と云った方が内容が限定されて問題がより具体的になるからだ。

 共通感覚という古典的な規定を内感又は内部知覚という主に近世哲学的な規定で尽せるかどうかには、疑問の余地があるだろうが、それは内感又は内部知覚という規定そのものに色々の決め方がある以上やむを得ないことだろう。
だが共通感覚が何かしら内部的な感覚と考えられねばならぬという一般的な点だけが今大事なのであって、それがなければ、共通感覚がなぜ後世の常識の概念の先駆として之に連なるかが、全く理解出来ないだろう。
之が、ただ言葉が共通だというだけなら全く偶然なことに過ぎなくて、今茲に問題にするに足りないわけだ。
共通感覚が内部的だという点で以て初めて、アリストテレスの共通感官(コイネー・アイステーシス)は、近世の例えば常識学派の哲学による常識に、連絡しているのである。

 古典的なこの共通感官の観念と、近世的な常識の観念との間には、スコラ哲学の一般感官(之が即ち又内部的感覚の問題に帰着するのだが)が仲介の労を取っている。
だが一足飛びに常識学派の場合に来た方が吾々の話しが簡潔になる。

 常識学派はイギリスのスコットランド学派のことに他ならないが、今特に問題になるのはトマス・リード(Th. Reid―1710―96)の場合に就いてである。
普通彼はイギリス経験論(その代表的な源泉はジョン・ロック)に反対して立ったと考えられている。
ロックが人間の心を白紙の如きものになぞらえたことから、イギリスに於ては、心理学では連想心理学が、認識論では各種の主観主義的懐疑論が、結果する。
この前提と帰結とに反対することが、なる程リードの主な意図であったように見える。
彼はシャフツベリ卿やハッチスンから来る審美的倫理的な疑うべからざる直覚の権威を、人間の心一般の問題にまで徹底させるべく、経験主義に対立したのだということに間違いはない。
だがリードは決して大陸のラショナリストが直観主義者であった(例えばデカルト)ような意味で、反経験論的な直覚主義者であったのではない。
彼が直覚主義に赴いたのは、却って正にイギリス風の経験主義の一つの必然的な帰結としてであって、単に所謂経験論的な経験(外的経験)が、内的経験にまでおきかえられた処の、云わば内的経験論乃至は内的経験主義に他ならないということを注意しておかなくてはならぬ。
ここで相変らず大事な根拠として挙げられるものは、経験主義風の「事実」であって、ただその事実が内的な事実でなければ本当の事実とは考えられないというまでなのである。

 外部的経験は彼によれば、客観的な各人に共通なスタンダードを有つ処の認識を与えることが出来ぬ、とも考えられよう。
もしだからそれだけが唯一の認識の源泉だとすると、ヒュームの場合のように、客観的な実在界の因果的連鎖をさえ疑わなければならなくなる。
つまり外部的経験では事実は必ずしも事実としての経験の名に値いする権威を振えない事になる。
この経験の権威を護るためにはだから、認識の根拠を内部的経験に、内部知覚に、直観に、求めなくてはならぬ。
そこで人間の心は初めて、疑うことの出来ない事実にぶつかる、と云うのである。

 処がこの人間の心の内部で吾々がぶつかる内的事実は、それが事実である以上、もはやそれ以上の合理的な根拠を必要としないし、又必要としない筈のものでなくてはならぬ。
なぜなら事実はそれ自身自らの根拠だからこそ事実の名に値いするわけなのだ。
デカルトの表象(観念)が真である場合は、明晰にして判明だという合理的根拠が、この表象の唯一の直接的な根拠即ち直観となっていたが、リードに於てはそうした合理主義的根拠の代りに、経験主義的な事実が口を利くということになる。

 合理主義的ではなくて経験主義的なこの直覚は、この直接な内的事実は、だから事実というものに固有な如何にも事実に相応わしい経験的な所与性を持っている。
と云うのは、この直覚内容の多様が、雑多な幾つかの内容物が、事実の名によって、単に経験的に、即ち合理論的な根拠なしに、「事実真理的」に結びつけられて与えられているのである。
だからこの直観は決して単一な直観ではなくて、一定の具体的内容に分割され得る処の、その意味に於てはアーティキュレーション(分節・音述)を持った処の、テーゼ・命題でなくてはならぬのは尤もだろう。
而もこの命題は事実というものの権威によって組み立てられている限り、之を合理的に分解することは不可能なのだから、その命題の内部の凝結力は絶対的でなくてはならぬ。
即ちこの命題は固定した処の――まるで合理主義によるアプリオリのように――不動の命題、公理の性質を持たざるを得ない。
云わばこの諸命題は人間が実際生活に於て下す一切の判断の元素や単位のようなもので、判断はいつも之をそのまま使う他はなく、苟くも之を分解しそれ以上の要素に還元することの出来ないものなのだ。
それにも拘らず、この元素的な単位が、本当は雑合物なのだから、之は正に公理の名に値いするのである。

 さて公理とは自明なもののことである。
それは直覚的に自明でなければならない筈だ。
判断が使う人間的悟性=理解力はこうした直覚的明白さを持った公理を唯一の根拠とするわけであるが、客観的世界が存在することやそこに因果関係が行なわれるというような公理を、人間の悟性は本能的に承認するものなのだ、とリードは云うのである。
処でリードによれば、こうした直覚の事実としての公理を本能的に承認することが常識の健全な職能であり、またこの公理の内容がこの健全なる人間悟性の、即ち常識の、夫々の内容となるのである。
常識とはつまり審美的・倫理的・宗教的・又理論的な・出来上った一定不変の諸テーゼを、夫々公理として、即ち普遍的に通用するものとして承認し、認識をここから出発させようという、その態度と意識内容とのことだということになる。

 常識(健全な人間的悟性)のこうした権能は、専ら夫が外部的経験によるものではなくて内的経験のものだったという処から発生したわけであった。
ここにアリストテレスの共通感官と、リード風の(一般にスコットランド学派の)共通感覚=常識との、言葉の上だけではない連絡があったのである。
――云うまでもなくアリストテレスに於ては、共通感覚が共通するのは五官乃至五官が受け取る五つ乃至それ以上の知覚(感覚)の間に於てであった。
之に反してリードの共通感覚=常識が共通するのは、社会における各個人の間に於てである。
ここでは例えば各個人と云っても実は或る意味での平均人と云ったようなものが必要となって来る。
共通という意味が、だから両者の間で一向共通でないではないかと云うかも知れない。

 だがリードの主著(Inquiry into the Human Mind on the Principles of Common Sense)が、人間の外部的諸感官の問題から出発していることは多少の注意に値する。
と云うのは、五官に共通する感官によって、実は初めて人間の意識的統一が成り立つわけだが、この人間的・個人的・統一がなければ、社会に於ける個人間に共通するという常識なる統一も成り立たないのは云うまでもないし、それから又逆に、常識というものが初めて、他面に於て個人々々の意識の統一を齎すものだという事実も見逃してはならない、からである。
一人の個人の意識の統一を齎すものは、一方個人心理的に云えばコイネー・アイステーシスであると共に、その同じ関係が、個人を社会心理的に見ると、所謂常識となるのである。
個人意識の統一という点から見れば、だからアリストテレス的共通感官の概念と、リード的常識の概念との、実質的な連絡がハッキリするわけだ。

 常識のリード的概念が実はイギリス風の経験論をその踏台として有ち、経験論の直覚主義的な変容とも見ることが出来る所以はすでに述べた。
シャフツベリ卿やハッチスンは云うまでもなくケンブリッジ・プラトニスト風に、多少ともプラトン的乃至はプロティノス的であって、その動機から云えば経験論の反対者として現われる外貌を有ってはいるが、それがリードによって、単に審美的乃至倫理的宗教的なものから、知的判断にまで一般化され拡大されるに及んで、遂に常識というそれ自身極めて経験的で日常的な概念にまで到達したのである。
陸風の合理主義とハッキリ対立する点に於て、この概念の経験論的本質は疑う余地はあるまい。
一切の人間が、総平均人としての社会の各個人が、その日常の経験によって、何が美であり醜であり、何が善であり悪であり、何が真理であり虚偽であるかということを、理窟なしに、無条件に、直覚的本能的に、判定出来るということが、この常識の職能に他ならない。
凡ての人が経験的に客観界の実在を信じるのが常識になっているが、リードは単にこの日常経験の根拠を、人間の心に予め横たわる内的直観に求めたに過ぎなかったのである。

 だが誰が考えても、このリード的な常識の観念には多くの弱点が含まれている。
第一一定のテーゼの形をなしたドグマが公理として常識の内容になるという説明は極めて無理だと云わねばなるまい。
と云うのは、そうすれば常識とは、その内容から云って(その全体の態度のことは後回しにして)、単に社会の各人に平均的に通用する客観性を持つだけではなく、それが何か人間の悟性=理解力に固有な、それと共に永久不変なものだと仮定されているわけになるからである。
合理主義は人間の悟性なり理性なりの永久不変さを仮定するにしても、それは悟性や理性という一般的な活動態度に就いてそう仮定するまでであって、そうした悟性や理性によって規定される内容自身までが一定不変なものだとは主張しない。
寧ろそうした悟性乃至理性の内容は、悟性乃至理性自身の判断力によって合理的に訂正され進歩せしめられると考えられる。
処がリード的常識に於ては、常識(即ち悟性内容―悟性公理)は決して進歩すべきものではあり得ないので、謂わば常に変らず保守的なものでなくてはならない。
リードの常識概念は、つまり、当時のイギリス的常識を、而も或る一定の社会層に行なわれた一部の常識を、固定化永久化し、又普遍化したものに過ぎないということが想像される。

 当時のイギリスは一方に於て政治的反動期であって、アイルランド其他の新教徒の新教復興運動を眼の前に見ているのであるが、他方に於てフランスの大革命のジャコバン党の活動に直面している。
代表的な保守家である晩年のエドマンド・バーク(ホイッグの巨頭)がフランス・ブルジョアジーのこの新興形態に対して取った反啓蒙的な反動的態度は有名であるが、リードはバークの完全な同時代者であるばかりではない。
バークはまた、そのシャフツベリ卿系の美学思想に立って、永久不変な美的感情の単位を想定した点で、スコットランド学派の闘士の一人に数えられている。
スコットランド学派・常識学派は、イギリス風の経験論に立ちながら、その経験論自身に対立するように見える処のやや尚古的な思潮に立つものであって、イギリス・ブルジョアジーの発達の上に発生したイギリス的現実を尊重する一種独特な貴族主義的イデオロギーの上に立脚すると見ていいだろう。

 バークは一種の社会契約論者に数えられるが、ホッブスの社会契約説は云うまでもなく個人主義に、その意味では却って一種デモクラティックな原理に、立っているとさえ云うことが出来よう。
現実家であり歴史的伝統を重視するバークも亦、凡ゆる形式の政治に於ていつも人民が支配者なのだと云っている。
だから彼は一種のデモクラットと見えないでもない。
フランス大革命に対する彼の激しい反感は、彼の自由主義から来る倫理的反発に由来している。
だが彼は又旧ホイッグ党党是の無条件な信奉者であり、民衆的な衡平の反対者なのであった。
だから云わば彼は極めてイギリス貴族風に保守的なデモクラットだったと云ってもいいかも知れない。
――処でこのイデオロギーはリードの常識概念の内に、相当鮮かに反映されていはしないかと考えられる。
彼によれば、常識というこの元来デモクラティックな観念が、直ちにそれ自身イギリス貴族風の固定感覚を意味して来て、旧来変らぬ保守的な永久法則の意味を有たされたわけであった。
ここで常識として強調されたものは、要するに社会的には革命的行動(ジャコバン党の)に対して、観念的には尖鋭な懐疑主義(ヒュームの――之が進歩的であろうと反動的であろうと)に対して、即ちそうした実際上の又観念上の破壊的な又は突進的な動きに対して、守勢と保守との役割を負わされている処のものに他ならない。

 常識が一般に問題ではなくて、常識をそういう風に役立てることが問題だったのだから、この「常識」は、単に当時のイギリス風に経験論的なそしてイギリス風にデモクラティックな「常識」の反映であったばかりではなく、その内でも特殊に保守的な貴族層の常識によって承認を与えられた常識に過ぎなかった、と云わねばならぬ。
リード達のスコットランド学派が、ケンブリッジ・プラトニスト達(カッドウォース其他)の後裔であることは無意味ではない。
この常識によって想定される平均人とは、謂わば貴族を模範としなければならぬ一般民衆のことになるだろう。
――リード的「常識」は単に、こうした幾層かの制限によって初めて限定され得る常識に過ぎなかったのである。

 この常識概念は、当時のイギリス貴族層の独特なイデオロギーを動機としているから、常識の有つ積極的な貴族的役割ばかりが注目されて、却って常識の消極的な云わば庶民的性質の方が殆んど完全に無視されて了っていることは、驚くに値しない。
平民的常識が遂に常識に止まってそれ以上のものになれないという制限も、又常識はいつもお互いに撞着するものだという性質も、ここでは頭から問題にしていない。
凡てはこの貴族的常識によって根本的に最高の形式で統一的に解決出来ると仮定する。
だからこの哲学的な常識概念は、常識に対して今日の吾々が持っている常識的概念にさえ及ばない程、単純で一本調子なのである。
之が第三の欠点である。
――初めに云った常識の弁証的本質は、この結局は経験論的な、経験主義的な、即ち又現象主義的なイギリス風の仕方によって、完全に見落されて了っている。
処が常識は今日の常識から云ってさえ、もう少しは込み入った矛盾を蔵しているものだった。

 相当純粋なブルジョア的常識に興味を有ったものは、却ってドイツ産の「世界市民」カントだったと云ってもいいだろう。
事実彼は優れた常識家として有名であるし、彼の哲学の歴史上の大きさの一つも亦、「このブルジョア的常識」の哲学であった処にあるだろう。
彼自身トマス・リードの例の常識説にも触れているが、その際すでに、実は当然なことではあるが、常識の例のお互いに撞着する本性に注意している。
だがそれよりも大事な点はカントの人間理性乃至人間悟性と呼んだものが、取りも直さず啓蒙期ブルジョアイデオロギーによる人間常識の能力のややドイツ化された観念に他ならなかったということである。
カントの「純粋理性」批判は「ブルジョア的常識」の批判だったと見ることが出来る。
なぜなら彼の問題は、人間悟性(理性)のどこまでが健全であり、どこから先が不健全な矛盾を暴露するか、にあったのであり、前者の場合(それが「分析論」だ)の健全な悟性が即ち常識のことに他ならず、後者の場合が之に反して「弁証法」と呼ばれたわけだからである。

 そう考えて見ると、感性の「先天的直観」や理性の先験的「範疇」や、その結合と見做される先験的「根本命題」(公理)やが、例えば因果律に就いても判るように、リードの常識による直観的肯定を、如何に現象学的(?)に分析したものであるかに気付くだろう。
カントの所謂形式主義は、この点から見れば、リード的な貴族主義的内容常識の制限を破って、之をブルジョア的な常識にまで一般化する企てと一致させることが出来る。
彼はヒュームの懐疑論に対して、常識学派風の常識の独断(公理・ドグマ)の代りに、常識の批判を置いた。

 カントによるブルジョア的常識の批判は、理性批判をするもの自身がその同じ理性だと云われているように、それ自身一種の(ドイツ的な)ブルジョア的常識に従っていると云わなくてはならぬ。
だがブルジョア的常識のこのブルジョア常識による批判は、ブルジョア的常識の「自己批判」として、やがてブルジョア的常識の限界の極めてきわどい処にまで迫って行っている。
と云うのは、カントが自分で弁証法と呼んでいるものがそのきわどさを見せている当のものであって、例えば二律背反などは、正しく常識のもつお互いの間の撞着性を、論理学的に云い現わしたものに他ならない。
ここで示されているものは、ブルジョア的常識が、良い意味でも悪い意味でも、弁証法的な一種の喰い違いを持ったものだという認識なのだ。
――ヘーゲルにまで来て弁証法が学的思惟の方法として積極的に立ち現われれば、もはやこのブルジョア的常識――学的思惟に対する非科学的思考としての――は退場するものであって、そこには常識に対立した弁証法だけが残される。
だがそうだからと云って、常識の一切の問題がそこで消えて了うのではない。
現に、弁証法的な思考は、今日の吾々にとって、一種のもはやブルジョア的ではない処の常識となっており、又はならねばならないからである。

 常識の二律背反や弁証性は、単に二つの常識的命題が矛盾するという場合にはつきない。
カントの見たのはそれだけであったが、本当は、その他に、常識そのものが、常識であるが故に真理だと考えられると共に、同時に又、常識であるが故に真理でないと考えられている、という二律背反こそ、常識の根本的な弁証性だったのである。
そしてここには非常に複雑したものが匿されているのだ。

 この矛盾を解く手段として、もう一遍リード的常識の一つの性質を思い出して見なくてはならぬ。
リードの常識は一定の独断的テーゼとして現われた根本命題(公理)だったから、その限りそれは実は個々の常識内容を意味している。
一つ一つの常識的な主張を含んだ命題が、常識というものの実質だと考えられている。
処が他方に於て、こうした個々の常識内容は人間の健全な理性に具わる云わば本能のような必然性によってヴァリディティーを与えられているのだったから、個々の常識内容の他に、この個々の常識内容を常識内容たらしめる処の形式が、そうした常識的態度が、常識のもう一つの契機でなくてはならぬ。
故にここでは、さし当り、個々の常識内容と之を成り立たせている常識形式とが区別される。
この二つのものは常識に於ける内容と形式とに相当する。
だが併し、単に何にでもある内容と形式との関係だけではない。
実際、吾々が今は常識的に考えている常識というものに就いて、この個々の常識(テーゼの形をもつ)という内容と、常識という形式とは、対立した或いは喰い違ってさえいる処の、一つの関係におかれているからである。
この二つの区別をもっと展開して見よう。

〔軍部〕が今日のような自信を有つことの出来なかった大戦直後の頃、或る私の知っている将校が私に云うのに、軍人に常識がないという非難があるので上部から常識涵養のために法律や経済の勉強を勧められているが、一体そういう知識が不足していることが軍人の非常識とか没常識とかいうことの意味なのだろうか、どんなに知識を所有しても非常識は非常識であって、そのままでは常識の涵養にならぬように思うが、と云うのであった。
なる程法律や経済や政治という社会科学的な知識を有たなければ人間は必ず非常識になるには相違なく、又この知識を有てば常識の涵養の条件の一つが具わることも間違いではないが、或る一定の意味に於ては、そうした常識の獲得は必ずしも常識そのものを高めることにはならぬ。

 もし常識というものを個々の知識やその総和と考えるならば、知識の獲得はそれだけ常識内容の量的な増加になるわけだが、それによっては必ずしも人間的見識の水準が高まるとは限らない。
常識という水準に人間が謂わば質的に高まり接近することは、量的な常識内容の増加とは一応独立なのである。
知識と見識というものが直ちに一つにならぬことは、誰しも知っていることで、知識のただの総和が見識なのではない。

 尤も知識が豊富ならばおのずから見識も高まるというのが事実であり、そして知識というものをよく考えて見ると、特に社会科学的知識などに於て明らかであるように、それ自身一種の見識に基き、或いはそれ自身で一個の見識の意味をもつのだが、それにしても、ただの知識や知識の総和が見識とはならぬ。
一寸考えると、知識の総和的平均が人間的見識のように見えるかも知れないが、併しこの平均ということが決して簡単なことではない。
内容としての常識(個々の中庸の知識乃至その総和)と、水準としての常識(知識の総和平均と想像されるもの)との関係は、丁度、事象の個々の場合々々とその集団的・統計的な場合との関係に似ているが、この二つの場合の間に何かの実質的な連絡があることが明らかであるにも拘らず、二つは一応夫々独立した立場に立っている。
一つの場合に就いて云われることは、そのままでは他の場合に之を移し植えることが出来ない。
凡ての場合を単に平均するということは、実はそれだけでも既に、個別的なものの立場から平均的・水準的なものの立場を独立させることを意味している。
丁度それと同じように、個々の知識内容としての常識から独立に、水準としての常識が区別されねばならぬ。

 水準としての常識・常識水準としての常識は、常識の内にでなければ見出せないような、常識の独自性を示している。
常識が常識として、他のものに還元されずに問題にされ得るのは、だから内容としての常識ではなくてこの水準としての常識に就いてでしかない。
内容的常識はよく考えて見ると実は本当の常識ではなかったので、つまり個々の知識やその総和に過ぎない。
だから実は、之をそのまま平均しても、生じるものは常識(常識水準)ではなくて、要するに知識水準にしか過ぎないだろう。
そうした知識水準は、組織的な知識に就いては学術的水準にまで発展するもので、更に総合的な知識に就いては文化水準にまで発展するものだろう。
だがまだ夫は一向常識水準とはならぬ処のものだ。

 今一般に常識なるものを、こうした知識水準・学術水準・文化水準によって測定するとすれば、即ち常識なるものをそれ自身の標尺で量らずに、知識・学術・文化・等々の尺度に照して量るとすれば、それは常識なるものの有つ独自性を、常識なるものを知識・学術・文化・等々なるものから区別しているその当の独自性を、無視することになるわけだから、常識という概念は実は初めから否定されてかかっているに外ならない。
その当然な結果としては、常識なるものが知識・学術・文化・等々なるものに還元されて了った上で問題にされるから、常識なるものはいつも知識・学術・文化・等々以下のものであり、従って、不完全な未熟な知識・学術・文化・等々にしか過ぎぬということにならざるを得ない。
常識が自分自身の原理を有たないと仮定されているから、常識とは一般にそれ自身最も低いもののことを意味することになるわけで、常識以下のものは何物も存しないということが同語反覆的に自明なこととなる。

 常識を常識内容とする結果が之だが、之は常識の知識中心主義的乃至学術中心主義的な、アカデミシャン式な概念に他ならない。
事実近頃のわが国のアカデミシャン達によれば、常識とは常にこうしたネガティヴなものでしかないので、例えば科学や芸術を卑俗化し通俗化したものが常識のことだと彼等は考えている。
――だが一方、水準としての常識・常識水準に常識の本体があることを注目するならば、この常識の概念は完全に改められねばならぬだろう。
之によって示されるものは、常識がそれ自身の尺度を有つことであり、それ自身一個の水準を意味するということであった。
常識は独自な(知識水準其他とは独立した)ノルムを意味する。
処でこのノルムに従えば、一切の他のものはこのノルムに一致する点に於て、常識それ自身の右に出ることの出来ないのは当然だ。
だからここでは常識が最高であって、常識以上のものはあり得ないこととなるのである。

 常識が一方に於て常識であるが故に常に真理でないと考えられると共に、他方に於ては又却って常識であるが故に常に真理だと考えられるという、かの矛盾、二律背反は、或いは寧ろ常識のこのパラロギスムスは、こうした内容を有っていたのである。
つまり、常識の独自性、常識固有の原理、を承認すれば、この弁証性が解けるのであった。

 常識が非難されるのは、それが独創性を欠いているということ、その意味で単に平均的な凡庸に止まっているということである。
即ちこの際、一定の知識なら知識は、社会的な平均によって与えられた一定の常識的水準を有っていて(常識水準のことではない)、それ以下の場合は問題外として、その水準以上に抜けないことが、常識というもののネガティヴな宿命だと云って非難される。
世間では殆んど凡てそういう意味に従って、常識以下とか常識的とか常識以上とか云っている。
そしてこの常識以上の知識水準に達したというのが独創性のことなのである。
知識は云うまでもなく、いつも独創的でなくてはならぬ。
独創的でない処の即ち常識的な知識(それが例の常識内容だが)は、いつも不完全な未熟な知識のことをしか意味しない。
社会の平均人に比較して知識が劣っていないということは、無論知識のこの不完全さ未熟さの弁解にはならぬ。

 だが、知識が独創的であるとないとに拘らず、そうしたものとは一応独立に、常識水準の尺度が、云わば常識自身が、独創的であるかないかの問題さえが、存在する。
水準としてのこの常識であっても、それが社会人の見識の平均値だという端初的性質は無論無視出来ない。
処がそう見ている限り、知識の平均値としての常識的水準(常識内容)とこの常識水準とは別なものではないように見える。
併し少し考えて見れば判ることだが、本当に単に平均値的だというだけでは、如何に常識という言葉に愛着を有つものでも、それが評価のノルムや標尺になれるとは考え得られないだろう。
で、社会人の見識の平均値と見えながら実はそれ以上のものでなくてはならぬというのが、この常識水準なるものの内に見出される新しい矛盾なのだ。

 今この矛盾を解くためには、この平均値という観念の謎を解く必要がある。
と云うのは、この平均値を正直に単純に社会に於ける各個人の量質的な総和平均のことだと考えていては之は解けない。
それが平均値であるが故に(どういう根拠だか判らないが)おのずから標準的なものであり、又理想的なものだというのでなくてはならない。
リード的常識の常識的態度は恰も、之を健全という標準又は理想で以て云い表わしたのであった(bon sens という常識概念も亦、こうした標準又は理想をひそかに想定している)。
健全とは無論、病気と健康との総平均などではなくて、各人の健康状態の標準であり又理想のことなのである。
それにも拘らず健全さは人間健康のノルマルな常態だと考えられる。
この間の消息は、健康の保持(不健康疲労物質の新陳代謝と健康恢復)というものが伝えている。
即ちたえず健康を引き上げ健康さを発達させることが、人間の平均的な従ってノルマルで通常の健康状態と考えられるわけである。

 常識も亦、いつも常識という活きた社会人の見識をば、引き上げ発達させることによって初めて自らを保持出来るのであり、そしてこの常識水準の保持がノルマルな常態なのであり、このノルマルな常態は更に、社会人の総平均値をいつも自分まで高めるべき動的イニシエーションとして現われるのである。
そこで初めて、平均値的なものが、おのずからノルマル(ノルム的標尺的)なものとなるのである。
で常識水準に於て平均値的なものと考えられたものは、実はただの平均値ではなくて、この平均値自身を常に高めつつ働く処のソリシテーション(促動)のことだったのである。

 だから常識水準とはその時その時に与えられた社会人の見識の平均値のことではなくて、却って、この平均値を高めるべき目標・理想線を意味している。
この理想線の方眼紙上の位置は不定であり、或いはその位置を問題にすることは不可能なので、平均値のあるところ常にその近くにこの常識水準が力の場のような作用を持って横たわっているのである。
本当の常識はそれ自身いつも低下し消散し死滅して行く或る活きものだが、これを常に刺戟して活きて行かせ保持発達させるものが、この常識水準という言葉の意味でなくてはならぬ。
丁度真理とは真理を保持し高めるもののことであるように、常識とは常識を保持し高めるもののことだ。

 本当の常識・常識水準は、社会人の見識の単なる平均ではなく、又況して社会人の知識の中庸のことでもなかったから、所謂世論と云ったようなものとは可なりの距りを有っている。
世論が大衆の政治的見識の平均値(実は多数者の共通した限りの政治的見識)と見做される限りそうである。
世論は一般に、多数決の原理によって理解されている。
だが多数の原理も亦、多数者の権利を肯定する根拠となると同様に之を否定する根拠ともなる。
多数原理を正直に受け取る限り、多数者の権利を之から惹き出すためには、理論的にはコンベンションに、行動としては単なる多数の存在という以上の行為・暴力に、訴えなければならぬ。
或る時代のギリシアの議会に於ては、声の最も高くて大きい者が多数を意味した。
で世論というこの近世ブルジョアジーのデモクラティックな観念を、こうした哲学的困難から救うためには、世論に於ける多数決の問題を「常識水準」に於ける平均値に準じて考え直されなければならぬだろう(常識をリードの常識に結びつけて分析し得たように、世論―― Opinion, Meinung ――をギリシアの例のドクサに結びつけることも出来る)。

 だが実は常識水準そのものが、政治的な性質のものだということを注意しなければならぬ。
吾々は既に之を単なる知識(やがて学術・文化)から区別された意味に於て見識と呼んで来たが、社会人の見識とは、単に個人の知的意志の統一を意味するばかりではなく、その各個人が社会に於て(物質的生産を媒介として)相互の関係に這入ることからくる社会を通った知的意志の統一を意味している。
こうした社会的な政治的な統一の、社会的・政治的・平均値を引き上げ発展させるものが例の常識水準であった。
だから常識水準はいつも政治的な根本特色を有っている。
世論とは恐らく、このそれ自身政治的な常識の、特に狭義に於て政治的な場合のことだろう。

 更に又常識に連なるものは通俗化乃至大衆化であるが、之等も亦普通ルーズに考えられている処とは異って、平均値や多数決の問題によっては解決出来ぬものである。
大衆化ということは、事物を多数者の平均値に近づけることではなくて、多数者たるべきものを事物にまで近づかしめる通路を提供することなのだが、そのためには人々は大衆にまで、多衆にまで、組織されねばならぬ。
大衆化ということはだから大衆への組織ということを措いて正確な意味を持つことは出来ないだろう。
今は常識水準の常識保持発展力がこの大衆組織化に相応するわけである。
そして通俗化とは、こうした大衆化以外に正当な観念内容を有つものではない。
もし持つとすればそれは例の悪い常識(知識水準に照された常識内容)を混入しているからに過ぎない。

 今まで述べて来たように、常識が一応端初的には社会人の多数の見識の平均値と関係があるにしても、又更に事実上の現象として一見した限りでは多数者の平均的な凡庸な見識のことにすぎぬにしても、この多数とか平均とかいうものが吟味を必要としたのであって、その結果、常識は、常態としての水準常識は、本当を云うと多数や平均そのものではなくて、却って之等のものを引き上げ押し上げデベロップさせる理想線のようなものであった。
であるから、常識は結局に於て多数者のものでもなく平均値的なものでもなくて、却って或る種の少数者だけが事実上このノルムに接近(?)出来るのであり、又却ってこの平均値を抜け出る処にこそ恰も卓越した常識が横たわると考えられる、という事実が説明され得るのである。

 仮に本当に常識が平均値的なものに過ぎないならば、社会に於ける各個人の常識をもう一遍平均することは全く無意味な筈だが、処が実際は卓越した常識とはそうした平均値的常識を遙かに抜いているが故にこそ卓越しているのである。
そして卓越した常識家(例のエドマンド・バークやカント更にはヘーゲルマルクスまでも之に数えることが出来ようと思うが)は決して多数ではない。
――尤も知識内容が例の内容的常識という常識的水準に止まっている意味での「常識家」は世の中に必ずしも少くはない。
だが之とても決して、絶対的に多数ではないので、従って実際には平均値的な知識人よりも稍々高い知識水準を有っているかも知れぬ。
それにティピカルに平均的な人間というものさえそう沢山はいないのが事実だ。

 かくて常識は平均値的なものや多数性から来る端初的な概念規定から、遂に解放される。
この手続きを踏まずに、而も強いて常識に独自の原理を認めようとして、ブルジョア民主主義的な常識概念は、平均性や多数性を常識の固有原理らしいものと考えるが、それは常識の原則を確立する所以ではない。
常識の固有原則は、このようなブルジョア民主主義的な(そしてそこでは社会人の抽象的な同一性・平等が機械論的に設定されている)常識概念からは決して出て来ない。

 こうした数量的な平均性や多数性の規定を脱して常識の規定はどこへ行くのかと云うと、それは最初に触れた日常性の原理と呼ばれてよいものに帰着するのである。
尤も世間では俗物も超俗物も、日常性というものを、平均的な多数者である世間の俗物の、原則を失った生活状態のものだという風に考えているらしいが、日常性をそういう数量的な規定で片づけ得ると考えていることが、それ自身俗悪な常識的な知恵でしかない。
日常性の原理とはそんなことからは独立に、実際性(Actuality)の原理のことだったのである(之はドイツ語では現実―Wirklichkeit―と呼ばれる。
act=wirken)。
日常性の原理の分析そのものが又可なり面倒だと思うが、それに就いては私は屡々出来るだけ機会を利用して説明をして来た(拙著『現代哲学講話』〔本全集第三巻所収〕参照)。

 今最も簡単に実際性の原理を思い浮べるには、新聞なるものの日常的な機能を反省して見ればいいだろう。
誰が一体新聞紙の機能の内に、アカデミーの研究室で行われるような機能を求めるものがあろう。
又単なる研究家や学究や篤学者が新聞に書いたり雑誌を編集したり出来るとは誰も考えない。
アカデミックな機能に対立する新聞のこのジャーナリスティックな機能こそ日常性の原理の最も手近かな証拠になる。
ジャーナリズムとは、言葉通り、日々の実際生活に立脚した主義のことであり、だから日常性の原理に立つことなのである。
云うまでもなく、之は学究的俗悪さの代表者であるアカデミック・フールが想像も及ばない原理かも知れぬ。

 そして最後に、クリティシズム(批判・批評)は他ならぬこのジャーナリズムの、日常性の原理に立った、一機能なのである。
一般に事物の批判乃至批評はいつも、常識水準(この社会的政治的標尺)に準じて行われるのだ。
で今にして云えば、常識とは社会上の単なる共通感覚ではなかったので、社会的な(従って歴史的になる)日常感覚のことだったのである。
之は人間の歴史的な社会的な本能のようなもので、人間生活に於ける知能の一形態だったのである。

 だが重ねて云うが、この人間の日常感覚・常識(水準としての常識)は、単に社会的平均物でもなければ、又社会的共通物でもなかった、之はノルム・水準であった。
だから之は反ノルムに対立しているのである、そしてこの反ノルム自身が皮肉にもノルムの名を僭称しているのである。
常識のメフィスト自身が、そこでこのカイザーとゲーゲン・カイザーとの間に処して一働きしなければならない。
常識水準は階級的対立に従って分裂対立する。
知識―科学に階級性(階級的対立)があったように、そして、知識―科学の論理が階級的〔党派〕性の首尾一貫に他ならなかったように、常識にも亦階級性・階級的対立が、そして階級的〔党派〕性の首尾一貫が存する。
そうして知識―科学について「論理」と呼ばれたものがここで「常識」水準と呼ばれた水準に相当するのであった。

 そこで今二つの常識水準が対立しているとして、この対立(いずれも水準としてのノルマリティーを主張して譲らない)はどこから導かれどう解決されるか。
ここで例の常識内容と常識水準との関係が又々参考に値いする。
今卓越した常識水準に較べて、低劣な方の常識水準が、往々より常識的で尤もらしい通念となるという事実を注意しよう。
つまりこれは低劣な方の常識水準が、社会人の常識的な知識水準に一層適応したものを持ち勝ちだという証拠なのである。
すると水準のこの低い方は、例の常識内容と呼ばれた知識の常識的水準と混同した分量だけ、それだけ卓越した高い常識水準から劣るのだ、ということが判る。
一体知識が完全に常識的水準(常識水準のことではない)に止まっている限り、少くとも、之に対比される常識水準の方にも卓越さを期待出来ないのは当然だが(尤も逆に知識が常識的水準を抜けてもそれだけでは常識水準の確立にはならなかったが)、低劣な常識水準は、いつもその前提として、常識的水準又はそれ以下の知識内容を条件にしている。
これはつまり、知識の欠乏が非常識を結果する、という知れ切った関係に帰するものなのである。

 常識に今日ブルジョア的常識水準と無産者的常識水準とがあることは、それ自身日常経験として明らかであるばかりではなく、ジャーナリズムにブルジョア・ジャーナリズムとプロレタリア・ジャーナリズムとの対立がある事からも明らかだ。
これは大衆化の概念に就いても、世論という概念に就いても実証される。
処が例えばブルジョア的大衆化は何かと云えば、つまり卑俗化・俗流化のことでしかない。
大衆化のブルジョア的概念が、それ以外の分析をなし得ないのであり、従って又元来大衆化という概念によって一般的に期待された目標に到着するには、解くべき困難があまりに手に負えないのである。
今日大衆化というイデー(分析の結果を期待される観念)が無産者的にしか分析され得ないのは周知の事実である。

 世論も亦之と同じであって、このブルジョア民主主義的観念は、ブルジョア的概念としては全く行きづまって了っていると云わねばならぬ。
世論は今日ブルジョア的プブリクムともいうべき社会の一隅からブスブス起こる私語であるか、それでなければ統制的官衙の石段を粛々として降って来る「声」かなのである。
――常識はもはや今日地上のどこにも見当らぬ。
常識は「地下室」などに押し込められて了って、常識の息の根は圧しつぶされて了いそうに見える。
而もそうしたことが今日の日本主義などに於ける「常識」! なのだ。

 さて、私が分析によって得た結果は、水準としての常識・常識水準という規定なのである。
この規定を必要に応じてハッキリさせることによって、常識なるもののもつ困難が、その矛盾・二律背反・弁証性が、解決され止揚されるだろうというのである。
常識に普通な相反する二つのテーゼの雑居、常識そのものの否定と肯定、常識に於ける平均性と卓越さ、常識というノルムの階級的対立、等々がこの困難であった。

 だが、と読者の何人かはキット云うだろうと思う、今時常識の分析などをして、それが実際問題と何の関係があるのかと。
併し常識そのものはとに角として、常識の独自的原理の問題に注目することは、今日、唯物論の基石の一つを据えることなのだ。
なぜと云うに、常識に於て見出される日常性の原理・実際性の原理こそ、大衆の思想を、解釈哲学から、その意味での形而上学から、又その意味での観念論から、防衛するための原理に他ならなかったからである。

四 啓蒙論
    ――現代に於ける啓蒙の意義と必要とに就いて

 啓蒙(Aufkl※(ダイエレシス付きA小文字)rung)という観念は現在二つのものに区別されている。
一つは文化史上に於ける啓蒙期の所謂「啓蒙」であり、一つは今日一般世間で啓蒙という日常語を以て云い表わす処の夫である。
二つのものの間には無論根本的な連関があるのだが、併し歴史上の「啓蒙」は、一面に於て、この言葉のある限り永久に残るだろう処の普遍的な規定を有っていると共に、他面その時代の共通な特定の歴史的制限をも持っている。
従って之は、現在の啓蒙と決して一つではありえない。
でこの二つのものの間を、歴史的に且つ又理論的に媒介することが、さし当っての目的である。

 啓蒙という観念の正確な又は細かい内容はとに角として、少くとも今日世間の大多数の人達は、この言葉が大体何を意味するかを予め知っているだろうと思う。
というのは、何人も必要のない処のものは容易に直覚出来にくいもので、そこから無用に煩雑な衒学的な分析も出て来ないとは限らないのだが、併し之とは反対に、必要のある処では、事物は最も速かに直覚的に理解されることが出来るものなのだ。
でもし今日、啓蒙という言葉を日常的に理解出来ないという人があるとしたなら、その人は必ず今日啓蒙の必要を感じないで済ませる処の或る特別な事情の下にある人に相違ない。
そういう人は、啓蒙に就いて全く利益を感じない人か、又は逆に積極的に之から損害を蒙るだろうと考えている人か、でなくてはならぬ。
日本の昨今程に啓蒙というものの必要な時代は、明治になってからも全く久しぶりだと云わざるを得ない。
啓蒙の必要を昨今切実に感じている人は、啓蒙という言葉の大体の意味を、すでに日常的に理解しているだろう。
吾々は結局、この日常観念を土壌として、分析の結果この日常観念の土に還れば、これからの目的を果すことになる。

 今日わが国で啓蒙と訳されるドイツ語・アウフクレールングは恐らく英語のエンライトゥンメント――文明――からの訳ではないかと思う。
処でエンライトゥンされアウフクレーレンされるものは、例えば闇とか妖雲とかいうものでなければなるまい。
歴史上では、それは封建的な残存機構から自然生的に発生した不合理な(アウフクレールング自身から見て不合理な)観念・イデオロギーのことだったのである。
無論ここで文明と云いアウフクレールングというのは、社会の経済的又技術的な機構の発達のことであるよりも、寧ろ主に社会に於ける文化的観念の発達を意味するのである。
例えばドイツはイギリス特に又フランスに較べてこの文明乃至啓蒙が著しく後れていた。
一種の啓蒙思潮の代表者でもあるカントは処が、フリートリヒ大王下のプロイセンを目して、啓蒙された時代ではないが啓蒙されつつある時代だと呼んでいる。
イギリス・フランスに較べて、生産様式と文化意識とが著しく後れていた当時のドイツにしてからが、すでに「啓蒙されつつある」時代だったというのだが、このことはよく考えて見ると、この啓蒙されるべきものが当時の封建的残存機構から全く自然生的に生じた闇であり妖雲であったことを意味しなければなるまい。
日本がプロイセン憲法に則って憲法を制定したと云われる(今日迄の多くの権威ある法学者や歴史家の間ではこの点科学的常識になっている)のも亦、日本の極めて長い封建制から自然生的に生じた観念的残存物に対するアウフクレールングとしてだったと考えられる。

 之は大体、歴史上に於ける所謂「啓蒙」の系列にぞくするもののことだが、処が今日必要な啓蒙、従って今日の意味での啓蒙は、少くとも一つの根本的な条件に就いて、之とは全く違った新しい種類のものだ、という点を注目しなければならぬ。
今日の啓蒙が打ち払うべき妖雲は、今日でも事実上濃厚に残っている日本の封建的基礎条件から、自然生的に生じた妖雲では決してない。
この闇はこの日本的封建制の基礎条件を目的的に採用することによって、意識的に(「認識する」ことによって又国民としての「自覚」によって)導き入れられようとしている処の闇なのである。
尤もいつの時代にも完全な闇はあり得ないので、闇とは実は薄明りのことなのだが、同じ薄明りでも、歴史上の所謂啓蒙期の「啓蒙」は、「啓蒙されつつある処の」黎明だったが、現今の薄明りは蒙昧化されつつある黄昏にも類するだろう。
或は日明を蔽う蝕魔の翳であるかも知れない。
之だけ見ても今日の啓蒙の性能と機能とにおのずから新しい従来とは異ったものがなくてはならぬ理由が判る。
まして今日の啓蒙は、単に封建制から自生的乃至意識的に導き出された観念に光をあてなければならぬばかりではなく、歴史上の所謂「啓蒙」を産んだ資本制自身に基く観念そのものにも亦、その強い光を当てねばならぬ。
こうして今日の啓蒙の意義は、歴史上の所謂啓蒙に較べて、一方に於ては愈々規定が一般化されると同時に、他方に於ては愈々夫が限定されて来るのである。

 だが、仮に私が之まで云って来たことに反対でなくても、又啓蒙の今云った今日に於ける意義を一応認めなくはないにしても、なおこの問題に大して興味を持てない、という種類の識者が、日本のインテリゲンチャの内には決して尠くない。
吾々はそういう事実を見逃せない。
啓蒙も好いだろう、併し啓蒙よりも遙かに大切なものが吾々の手元には沢山ある。
例えば研究・反省・自己不安・等々が何より吾々には大事で、抑々ひとを啓蒙するなどは後回わしにしたらばどうか、と云った具合に、この種のインテリはまず私達自身を「啓蒙」しようと企てるのである。
――無論それもいいだろう。
だがそうやって研究し反省し或いは自己不安することによって諸君は何を導き入れるか。
例えば全体性・体験・ゲマインシャフト・などという「哲学的」に尤もらしい諸範疇の強調は、殆んど総てこうした謙譲な研究家や反省家や不安家自身の口から洩れたものに他ならないのだ。
之は現代的神秘主義・現代的蒙昧主義の、衒学的な基礎工事に他ならないのである。
抽象的に考えれば、なる程部分主義よりは全体主義が良いし、体験無視より体験尊重が正しいし、ゲゼルシャフトよりもゲマインシャフトの方が人間関係として勝っているに決っている。
だがそれは形式的に云ってのことで、その内容に合理的な啓蒙されたものが這入るか、それとも神秘的な蒙昧が這入るかによって、百日の説法も屁一つとなるだろう。
啓蒙活動の必要を感じない者には何等の自己啓蒙さえもない、というのが、今日吾々の置かれている事情なのである。

 さて歴史上の啓蒙期的啓蒙は、先ず第一に自由主義として現われ、又自由主義をその第一の規定とする。
一体歴史上の啓蒙というのは、云わば文化史上の一時期乃至一範疇であって、決してすぐ様政治的範疇とは考えられないし、まして経済上の範疇ではあり得ない。
従ってここに自由主義と云うのも、無論経済上の自由主義自由契約・自由売買・自由競争)でもなければ、又元来を云うと政治上の自由主義(議会主義・立憲主義・デモクラシー)でもなくて、正に文化的自由主義とも呼ばれるべきものでなくてはならぬ。

 だがそれにも拘らず、この文化上の自由主義(その意味は段々説明して行く)は無論経済的乃至政治的自由主義から蒸溜されたものに他ならないのであって、事実ジョン・ロックに於ては、政治上の自由主義に基いて初めて、啓蒙期的啓蒙の哲学組織が創始されたと見られている。
近世ブルジョア社会に於ける個人の経済上のリベラリズムがそれの物質的根柢であることは今更述べるまでもないが、ただこの経済上のリベラリズムに相当する自由の観念が、文化的な性質を受け取るためには、個人の企業や商行為や契約や労働やの自由の観念の代りに、同じ個人の自由であっても、多少とも文化的な側面にぞくする方の自由にまで、即ち、個人の悟性や意欲やの権威の確立にまで、蒸溜されねばならない。
この時初めて、この自由は政治的自由の観念へも完全に移行することが出来る。
処でロックはこの内でも又特にその文化的なモメントをば、悟性即ち、人間悟性(今の処之を理性と云ってもいい)の内に、求めようとするのである。
で今や、個人の経済的・政治的・又更に文化的・自由は、人間悟性の権威の名の下に一所に集中されることになる。
人間悟性の前には、人間悟性自身を他にして、何等の権威もない。
教会・貴族・国王・其他もこのブルジョアの活きた悟性を前にして、何の絶対性をも誇り得ない。

 この悟性乃至理性は云うまでもなく、フランス啓蒙家達の信条となった処のもので、悟性乃至理性こそフランスの市民の自由を(平等や友愛と共に)保証する文化的権威に他ならなかった。
処がドイツではカントが、この悟性乃至理性の権威をば、恰も悟性乃至理性自身の自由=自律の内に求めることを創案する。
自由は茲で単なる経済的・政治的・自由として受け容れられずに、悟性乃至理性の自己自由として、正に文化的自由にまで蒸溜されて受け容れられる。
自由主義はカントによって、このプロシア世界市民の頭脳によって、文化的自由主義にまで「哲学化」される。
政治的行動の自由の代りに、哲学的思弁の自由が、社会に於ける自由の代りに、観念に於ける自由が、この時以来ドイツ古典観念論の中心課題として導き入れられたのである。
啓蒙はこうして第一に文化的自由主義に帰着する。

 カント自身の啓蒙の観念が、最もよくこの消息を物語っている。
「啓蒙とは何かの問題に答える」という有名な文章で、彼は啓蒙に就いて定義を下してまず云っている。
「啓蒙とは理性が自業自得で陥っている未丁年状態から解放されることだ」と。
理性が自分自身成熟する自由を持っているに拘らず、なお未丁年状態に止まっているのは全く理性自身の責任だというのである。
ドイツ資本主義の後れた発育が理性を未丁年状態に引き留めた責任者などとは決して考えられていない。
次第に啓蒙されつつあるドイツはカントによると、フリートリヒ二世の文化的経綸のおかげであって、ドイツ統一によるドイツ資本制化のために、ドイツ諸公に対する大王にとって必要な進歩政策の結果だった、などとも考えられていない。
そして特に注意すべきは、カントが啓蒙による理性の自由活動を専ら文化人の文化人に対する文化活動に限っていることだ。
市民的職業や地位に就いて理性をどんなに自由に使っても、それは一向啓蒙活動でないばかりでなく、フリートリヒの治下に於ては一個のバーバリズムででもあるかのようにさえ考えているらしい。
カントの啓蒙に於ける自由主義の契機が、いかに文化的自由主義に限られているかが、これで判るだろう。

 啓蒙に於ける自由主義の契機をこうやって蒸溜して見せた点では、カントは最も代表的な啓蒙思想家であると云ってもいいが、併し実はカントこそ却って、ドイツに於ける啓蒙批判家・啓蒙脱却者であった。
一体彼の啓蒙に対して下した例の定義そのものが、ドイツは云うまでもなく、当時のヨーロッパ・イギリスに於ける事実上の啓蒙現象を云い表わしたものでは決してなかった。
夫は寧ろ云わば啓蒙の理想を、啓蒙の永久に変らぬ普遍的な主義を、つかみ出そうとしたものに外ならない。
カントの眼の前には有名な啓蒙哲学者モーゼス・メンデルスゾーンがあるし、カントの先生にはドイツ啓蒙哲学の組織者クリスチャン・ヴォルフが控えている。
そして世間にはあり余る程の「通俗哲学」が横行している。
カントは実にこうした常識的な諸現象の批判をこそその使命としたのだった。

 イギリス啓蒙思想の哲学的(世界観的・論理的)根柢は無論経験論である。
之に対してフランスの夫は他に対して最も特徴あるものを挙げれば唯物論ブルジョア形而上学唯物論)であった。
ドイツ啓蒙哲学=ヴォルフ学派の哲学の根柢は処で「悟性の哲学」だった。
吾々は今やドイツ・アウフクレールングを少くともここまで遡って、その第二の規定をこの悟性の哲学に、その合理主義に見出すことが出来るだろう。
と云うのは、歴史上の所謂啓蒙の第二の規定が、その矛盾律中心主義の哲学組織(ヴォルフで初めて伝統的なドイツ哲学の例の「体系」が出来上った)にあるというのだ。

 併しこの第二の規定は実は、ドイツ・アウフクレールングでは単に最も極端なドイツ式な形で現われたと云うまでで、広くフランスの唯物論にも共通な一つの論理機構に他ならない。
矛盾律、その裏をかえせば同一律だが、この矛盾律を思考の最後の又は殆んど唯一の根拠とし、思想の枢軸とすることは、つまり機械論=機械主義の論理を採用することの宣言を意味する以外の何ものでもない。
所謂経験論も、所謂フランス唯物論も、この機械論に於てドイツ啓蒙的合理主義と全く一つなのである。
だからこの三つのものは、夫が経験論であるにも拘らず、又唯物論であるに拘らず、それから又合理主義であるにも拘らず、斉しく形而上学的と呼ばれる理由を有っているのである。
結局、啓蒙のこの第二の規定は、その形而上学としての特色をコンデンスして云い表わしたものに過ぎなかったのだ。

 そこで今二つの規定を与えたこの歴史上の所謂「啓蒙」と、現在に意味を有つ啓蒙との、連関が次の問題だが、それには前者から後者への必然的な歴史の動きを見ればよいわけである。
処が、啓蒙というこの文化的範疇は、それが文化的であって経済的範疇でも政治的範疇でもなかっただけに、そうした範疇を実際に際して用いる必要を感じなかったドイツ古典哲学の内を特に選んで、発育と変遷と脱化とを経なければならぬ理由があったのである。
すでにその批判を通して啓蒙を脱却しようと企てた最初の思想家はカントだったと云ったが、恰もその消息が、原則的な形としては、カントの理性批判=弁証法の見解となって現われる。

 カントの弁証法(それは理性の使用法の誤りから起る理性の各種の矛盾に就いての理論を意味する)は、彼の哲学組織に於て外見上消極的な否定的な役割をしか果していないが、それがフィヒテシェリングを通じて、ヘーゲルになると、論理そのものの根本的な積極的な本性に帰せられる処にまで展開される。
夫をここで改めて述べる必要はないだろう。
今ただ大切な点は、カントに於てやや曖昧であった悟性と理性との区別又は対立が、ヘーゲルに至って初めてハッキリしたということだ。
ヘーゲルはカントの理性を、まだ依然として悟性の段階に止まるものと見て、之を形而上学乃至機械論の代表者と見立て、之に本当の理性のディアレクティクを対立させたが、恰も之は、カントが批判し脱却しようと力めた啓蒙主義の特有な合理主義・矛盾律中心主義に対する判然とした批判を意味している。
即ち歴史上の所謂啓蒙の第二規定の方は、ヘーゲルに至って、初めて徹底的に止揚されたわけだ。

 論理的な機構だけを見ている限りこの結果のもつ具体的な意義は判りにくいが、実際はこの結果は、歴史に関する認識について所謂アウフクレールングが免れ得ない不吉な宿命と関係があるのである。
少くともドイツ・アウフクレールングはその悟性の立脚点からして歴史の観念に注意を払うことの尠ないのが特徴をなしている。
カントはドイツ風の歴史哲学の先駆者の一人であり、又宇宙進化論の創設者でさえあるが、それにも拘らずその歴史観即ち又社会観は、歴史に独特な所謂非合理性(普通そう呼ばれるが之は信用出来ない言葉だ)の意義を十分認めることが出来なかった。
ヘーゲルによると、之は悟性の形而上学の立場に立つからだ、ということに帰着するのである。
だから理性の弁証法の立場に立つヘーゲルは、全く歴史的だということになる。

 処が人も知る通り、ヘーゲル歴史観自身が又、所謂歴史の非合理性の認識に於て根本的な致命的欠陥を暴露する。
それはやや本筋を離れた横合いから、後期のシェリングによって指摘されたが、つまりヘーゲルの理性の弁証法による歴史、理念の発展が現実の歴史の必然性だという思想は、結局歴史の合理主義的観念化に過ぎなかった。
今や理性そのものが更に批判され脱却されねばならぬ。
処がヘーゲルに於ける理性の特色は、何より先に自分自らを知るという理性の根源的な自律・自由にあった。
之はカントが啓蒙に就いて要求した、例の第一の規定そのものを、即ち文化的自由の観念を、単に最も哲学的に整頓して云い表わしたものに過ぎない。
だから、ヘーゲルの理性の逆立ちが立て直され、夫が物質(哲学的範疇としての物質)によって置きかえられる時、啓蒙期的啓蒙の例の第一規定から来る文化的自由主義の制限は、完全に踏み越えられることになる。
そこに唯物論があったのである。

 で、歴史上の所謂「啓蒙」の二つの規定から来る啓蒙の二つの制限(悟性の哲学と理性の哲学)(即ち形而上学と絶対的観念論)を踏み越えて、啓蒙というものの本当に自由なそして本当に合理的な意義を、現在、歴史的に惹き出すなら、その内容は結局、弁証法唯物論だったということになる。
――読者は或いは、私が初めから啓蒙という名目の外見の下にただ一般的な哲学史を辿って見せたに過ぎないのではないか、と云うかも知れない。
併しそれはそうではないので、こうすることによってこそ初めて、今日必要な「啓蒙」というものの最も合理的で一般的な現実の観念を歴史的に導き出せるわけだ。

 例えば今日必要であろう処の啓蒙を、漫然と表象するならば、恐らくリベラリズム(而も文化活動でのリベラリズムだから文化的自由主義)などが最初に思い浮びはしないかと思う。
併しその機能上の問題は別として、少くとも今日の啓蒙と啓蒙の概念との機構内容から云う限り、リベラリズムでは啓蒙の規定としては、今日すでに間に合わないのである。
そのことは今説明したばかりの点である。
カントが曾て啓蒙を説明したようなやり方――理性の自由な使用――では、吾々は今日自分自身をさえ啓蒙出来ない、そういうような時代に来ているというのである。
一体昨今「理性」程蒙昧なものはなく、「自由」程不自由なものはない。
或る民族の歴史を認識するには他の諸民族には一つも判らないような自覚=理性が必要であるらしいし、国民の自由を伸展防衛するためには国民自身が極度に自由を奪われねばならぬらしい。
進歩的なフリートリヒ治下のプロイセンならば、理性を自由に使用することも出来たろう、反動下の今日では、理性を自由に使用すること自身が只では出来ないのだ。

 以上は啓蒙乃至啓蒙概念の内容機構に就いてであるが、その活動機能になると、即ち啓蒙は今日どういう活動形態を取るべきかということになると、又新しい問題に這入る。
元来啓蒙活動は少くとも一種の大衆化・常識化・ジャーナリズム活動・批判活動なわけだから、この活動形態はごく大切な問題でなくてはならぬ。
別の機会に譲ろう。

 一、を補足するために、もう一遍之を反覆しよう。

 最近文壇ではロマンティシズムの叫び声が高い。
之はリアリズムに対比してそう呼ばれているのである。
処がこの言葉によって云い表わされる内容は科学的に云って、決してまだ判然としたものではない。
人によっては、ドイツ・ロマンティシズムの諸規定を以て之の輪郭を規定しようとする。
なる程文学史乃至は広く文化史の上に於てロマンティシズムと呼ばれた運動を最も特徴的に代表するものはドイツ・ロマンティクであり、ここに於ては独り文学に限らず広く哲学・経済学にまでその運動が貫かれている。
そこで今日の日本の文学者達が考えたり云ったりしている所謂ロマンティシズムをドイツ・ロマンティシズムの諸規定で規定することは、この歴史上の特定な運動と、現在の或る一定の、併しその規定を今現に模索しつつある処の運動とを、直接に接合させ又は混同することであって、決して歴史的な見方ではあり得ない。
と共に又、ロマンティシズムという言葉が少くとも一方に於て、或る特定の時期に於ける歴史的一運動の名であったという処から、この言葉を現在に就いて使う時の使い方を、もっと慎重にしなければならないだろう。

 之と略同じことは啓蒙(アウフクレールング)という観念に就いても云われるのである。
一体啓蒙とは所謂啓蒙期(イギリス・ヨーロッパの十七八世紀)が有っていた一つの政治的又は文化的理想の名であって、従ってそれは特定の歴史的な定型を有った言葉なのである。
現にアウフクレールングはクラシシズムとロマンティシズムとに対立した処の一つの文化理想であった。
現今はロマンティシズムをリアリズムという一つの創作方法に対比するのだが、歴史上のロマンティシズムは何よりも先にクラシシズムに対立したということを忘れることは、その際危険である。
処でこの歴史的ロマンティシズム、そして又同じく歴史的なクラシシズム、に対立するものが歴史的な「啓蒙」運動の特色をなしていた。
――処が現在吾々が啓蒙と云う場合、必ずしもそうした啓蒙期的啓蒙を意味するのでないことは云うまでもない。
現にアウフクレールングの時代は過ぎて文化史上ではクラシシズムやロマンティシズムがすぐその後に之に代わったと考えられる。
そうした過ぎ去った意味では、啓蒙が今日吾々の社会の進歩的な課題になれないことは、云わなくても判っている。
今日必要な啓蒙は、云うまでもなく例の歴史的な啓蒙期的「啓蒙」と全く別なものである筈はないが、それにも拘らず、之から区別された、もっと一般的な、或いはもっと個別な、啓蒙でなくてはならぬ。

 歴史上のロマンティシズムと雖も、例えば無限への憧憬とか自我の世界的拡大とかいう、すでにもはや歴史的一時期の特色にだけは限られない規定をそれから導き出せるし、同じくクラシシズムでも形相的な類型的な均斉と云ったような規定を抽出出来るが、それと同じに、啓蒙も亦、所謂啓蒙期的啓蒙から或る一般的なものとして抽出されることが出来る。
それがすぐ様現下の必要な啓蒙の意味をなすとは限らないが、少くとも之を抜きにしては、之を手頼りにしなければ、必要な啓蒙問題の科学的な解決が望めないことは確かだ。

 福沢諭吉は日本が之まで産んだ所の最大な啓蒙家であったといってもいい。
そして明治の前半は又文化史的に規定すれば云わば日本に於ける啓蒙期に相当するだろう。
併しこの時期はヨーロッパに於てはすでに所謂啓蒙期が遠く過ぎ去った時代なのである。
だから日本の啓蒙期という観念も、福沢翁が啓蒙家だったという意味も、すでに所謂「啓蒙」以上或いは以外の何物かを意味している。
ではそれが、にも拘らずどういう理由で依然啓蒙の名に価したか。
少くとも啓蒙期的啓蒙の有っている幾つかの主な規定がそこに反覆されているからである。
では一体今日必要と思われる啓蒙は、どういう規定を持つのか。
福沢式或はアウフクレールング的啓蒙とどこまで同じでどこから違うか、又違わねばならぬか、そういう問題には今まであまり世間では答えていないのではないかと思う。
否一体啓蒙という運動乃至観念さえが、どういう意義によって今日必要であるかに就いて、あまり世間では多く説いていないように見受けられる。

 私はすでに常識というものを問題にして見たのであるが、常識はすでに今日の文壇などで多少は問題になっている。
処がこの常識という観念も亦一方に於て或る歴史的な特定な意味を有っているので、所謂常識学派の「常識」を参照しないでは科学的に分析出来ないものなのだが、この常識学派なるもの自身が実は、もっと広く之を文化史的に云い表わせば、所謂アウフクレールング(特にイギリス啓蒙期)の哲学学派の一つに他ならない。
だからこの関係から辿って行っても、常識が問題になる処、必ず啓蒙も亦問題にならなければならぬ。
フランスの行動主義文学者達などはすべてこの啓蒙という問題に相当実質的な関心を寄せているのではないかと思う。
――同じことは、もっと具体的にハッキリした場合を通じて、即ち唯物論の問題を通じて、今日のテーマとならざるを得ないように出来ている。
すでにフランス唯物論はアウフクレールングの最も代表的な運動の形の一つであった。
啓蒙活動というものを抜きにしてフランス唯物論を取り上げるならば、之ほど興味の乏しい意味の判り兼ねる思想はないかも知れない。
この筋を辿って行けば、今日唯物論が問題になる処、必ず又啓蒙が問題にならなければならぬだろう。
――併し何もこのような思想史的文化史的な連関を辿らなくても、今日の唯物論にとって啓蒙程重大な科学的使命はない、ということは、何より直接に感得出来る筈のものだと思う。
唯物論は学者達のただの学説ではない、それは真理でなくてはならぬ。
と云うのは、大衆が之を理解し身につけねばならぬ。
科学乃至文化の大衆化・普及・教育・等々の問題は実は啓蒙問題に帰着するのである。

 尤も今日の日本のような文化的バーバリズムが横行する時代でないとすれば、或いは啓蒙という言葉も大して必要ではないかも知れない。
処が今日では一切の文化がその合理性を、その自由を、その現実性(唯物論性)を、失わせられようとしている。
処で後に見るように、この合理性や自由や唯物論性こそ、啓蒙なるものの特徴の内に横たわらねばならぬものだった。

 私は啓蒙の問題を多少詳細に考えて見たいと思っているのだが、夫は別に機会を得た上でなくては出来ぬ。
今はただごく簡単にこの問題のスケッチをするに止めよう。

 所謂啓蒙期に於ける啓蒙活動は、オランダとイングランドとから起きたと考えられる。
尤もその前駆的段階はルネサンス宗教改革との内に横たわっていたと云われるのであるが、本来の啓蒙期は十七世紀、特にイギリスのジョン・ロックに始まると見られる(実を云えばアウフクレールングの理想に含まれる観念の内にはフランシス・ベーコンにまで遡るものを見出すのだが)。
ロックの所謂政治的リベラリズム、之はH・ラスキ等の表現を借りれば、経済的リベラリズムに基くものだが、この自由主義は云うまでもなく個人の行動の自由に集中される。
経済的・政治的・道徳的・自由、行動と意志との個人的自由が、ロックによって初めて強調されたことはよく知られている処である。
之が当時の封建的残存物・絶対王権・カトリック教権の打倒を要求した近代ブルジョアジーの最も代表的な政治的イデオロギーであったことは云うまでもないが、今必要なのは特に、このイデオロギーがロックの手によって個人の知的自由・理性乃至悟性の自由・というものによって根柢を与えられたという点なのである。
彼の『人間悟性論』は単に観念が経験から生み出されるという経験論を主張するだけではなく、同時に悟性こそが人間の、即ち又個人の、核心をなすものだという想定に立脚しているのである。
彼はそこでこの悟性=理性の内に、個人の政治的自由の根拠を見出そうとする。
なぜなら個人の悟性こそ自由でなければならないからだ。
悟性の自由をおいて他に何等の権威も根本的に云うとあり得ないと考えられる。

 ロックに於て、一つに結びつけられているこの悟性(乃至理性)と個人的自由こそ、アウフクレールングのまず第一の規定となる。
この規定に沿うて、イギリスの宗教哲学も亦、理神論(理性宗教)の形を取るし(そしてここから一種の唯物論者――トーランドなども出て来る)、やがてはヒュームの人間性論の課題も掲げられるのである。
スコットランドの常識学派も亦、この悟性の健全さに認識の客観性の根拠を求めた。
イギリスのモーラル・サイエンスがこの一貫した人間悟性の線に沿うて展開したことは有名である。
フランスに於てはヴォルテールも亦理性の健全さを認識の根拠に数えている。
ただし彼によっては個人的自由は却ってこの健全な人間理性によって否定されるべきものではあるのだが。

 ドイツの啓蒙期哲学に於ては、この悟性と自由との関係が特別な形で正面に押し出された。
その最も代表的なものはカントに於ける啓蒙的な部分であって、一方に於て悟性と理性との区別が用意されることによって、この二つのものの外面的な制限と、同時に又この二つのものの内面的な自由(自律)とが、初めて体系的に浮き出して来る。
啓蒙とはカントにとっては理性の自律に他ならない。
彼はだから「啓蒙とは何ぞやに答える」の論文で(この問題はモーゼス・メンデルスゾーンも亦取り上げていたそうだが)、それは「人間が自業自得の未成年から卒業することだ」という有名な定義を下している。
自業自得というのは理性的な人間が自分自身に就いて責任を有つこと、即ち彼の悟性が自由であることを、想定して初めて意味のあることだ。
カントは人間が自分自身の悟性を言論に於て又文章に於て公的に自由に駆使する企て、そうした決心と勇気とがアウフクレールングだと云っている。

 だがこの悟性乃至理性とそれの自由乃至自律とが、それだけでアウフクレールングの規定として決して充分でないことは、一方理性が単に世界を解釈する精神となったり、他方自由が意志の自由や人間の神に対比しての宗教的自由などになって行く経過を注意すればすぐ判ることで、一方アウフクレールングの悟性乃至理性はあくまで一種の合理主義のものでなければならず、他方アウフクレールングの自由はあくまで政治的自由であることを失ってはならぬ。
でここからアウフクレールングの二つの規定が更に導き出される。
一つは合理主義、も一つは政治的変革の理想。

 啓蒙期的合理主義はドイツ・アウフクレールングの特徴をなしている。
その代表的なものはクリスチャン・ヴォルフであるが、彼はライプニツの思想の一半である所謂合理主義を徹底し、そして又之を合理化した。
と云うのは、ヴォルフは、一方に於てはライプニツの事実真理の問題(それが歴史の問題の原理として役立つ)を殆んど無視して、その永久真理の問題を哲学の中心に齎らしたと共に、他方に於て、こうした永久真理的哲学を組織立てて学校式に整備した点に於て、之を合理化したのであった。
――フランス啓蒙運動の代表者ヴォルテールは「歴史哲学」という言葉を造った人だとも云われている通り、ヘルダーからカントに至る、そして更に唯物史観にさえ至る種類の科学的歴史観の先駆者の一人であるが、ヴォルフに於ては歴史の問題は歴史の問題として殆んど全く忘れられる。
彼は形式論理学矛盾律(夫は同時に同一律をも意味する)を唯一のオルガノンとする処の機械論(即ち形式論理主義的悟性主義)を徹底するのである。

 機械論の徹底は決してヴォルフ乃至ドイツ・アウフクレールングだけの特色ではない。
それは広く啓蒙期イギリス・ヨーロッパの国際的な論理であって、この論理に実質的な地盤を提供した代表者はニュートンであった。
なる程彼の立場はライプニツの場合と同じく、デカルトの機械論に対比して云えばダイナミズムであってただの機械論ではない。
そのことは、彼の微分の観念が之を物語っている。
にも拘らず、広義のメヘヤニスムスを脱していない。
ニュートンは当時の国際的な技術水準を理論的に体現した人物であって、当時の主としてイングランドの生産力の学者的表現に他ならないのだが、ニュートンに対する関心は、広くフランス啓蒙家達に共通なものであった。
例えばフォントネル、モペルテュイ、ヴォルテール、等がそうだが、この点無論ドイツ啓蒙家と雖も変りがない。
オイラー、ランベルト、カント等が如何に問題の多くをニュートンに負うているかを注目すれば足りるだろう。
カントが第一批判で問題にした半ばの課題は、ニュートン物理学の客観性を哲学的に解明し又批判することであった。
カントになればニュートンの批判なのであるから、それだけ機械論(=形式論理)の批判を含むわけだが(ニュートン批判はゲーテヘーゲルになって著しくなる)、従ってそれだけニュートン主義はアウフクレールングの特色を示すことになる。
この啓蒙的合理主義はヴォルフの無矛盾律原理に於て典型的に現われる。

 処でヴォルフは、この啓蒙哲学を初めて体系的に講壇的に整備した点に於ても、有名な合理主義者であった。
彼によって或いは少なくとも彼の学派によって、今日のドイツ講壇哲学の用語と通念の多くが確定されたのであり、云うまでもなくカントは直接にヴォルフ哲学からその用語と問題との示唆を得ている(例えばオントロギーという言葉はヴォルフによって決定されたのだし、フェノメノロギーという言葉はランベルトの認識論に於て初めて使われたように思われる。
ランベルトはヴォルフ学派の有力者である)。

 併し啓蒙哲学がこうして講壇哲学として整備されたということは、何か喰い違っているように見えるかも知れないが、実はこの科学的厳密さはアウフクレールングの哲学に於てはヴォルフ学派を殆んど唯一の例外とするのである。
ただそれが例外的に厳密科学的な思想体系であったに拘らず、恐らくドイツ的に後れた生産機構のおかげで従って政治的自由や理性乃至悟性の政治的実践への活用から絶縁して専ら講壇化された結果であろう、ヴォルフの厳密哲学は遂に折衷哲学を出なかった。
その結果、ドイツではこの哲学が悪く通俗化されて所謂「通俗哲学」を産むに至ったのである。
ここにドイツ啓蒙主義の俗悪な一面が露出したと云わざるを得ない。
併し例えばフランス啓蒙主義に於ては、一方に於てこの運動の国際的連帯(丁度フランスの諸革命がそうだったように)にも拘らず、同時に国語乃至俗語の自由な駆使によって言葉通り啓蒙的な役割が果されていることを忘れてはならぬ。
多くのフランス啓蒙家(その内には沢山の唯物論者や又所謂フランス・イデオローグをも含む)は単に哲学的な著述家であるばかりではなく、文学的・演劇的・作家であり批評家・評論家であった。
彼等は決して折衷家ではなかったにも拘らず、云わばエンサイクロペディストだったのである。
当時のフランスは評論雑誌と書斎とサロンとの時代であった。
フランスの所謂「アンシークロペディー」と并んで、之を改版した模造百科辞典が少なからず造られた時代であったのである。

 さて最後に、啓蒙主義の自由の規定から来る社会変革の問題が残っている。
云うまでもなくフランスに於ては啓蒙運動のこの中心的な目的は一応立派に実現された。
否、本当をいうと、フランス的啓蒙主義の自由の観念は、それは平等や友愛と並ぶが、フランス革命イデオロギー啓蒙主義の思想体系に織り込まれたものに他ならなかった。
フランスの啓蒙主義は全く政治的な実質を具えていたと云わねばならぬ。
之に反してドイツ・アウフクレールングは、一般に、人間を理性によって教育する理想だと云われるように、単に文化的な文人的な理想にまで落される。
ドイツの啓蒙主義は全く単なる文化史上の一エポックをしか意味しない。
それは単に文化史上のクラシシズムやロマンティシズムの先行期に他ならぬ。
カントはこの点を非常にハッキリと云い現わしている。
啓蒙とは悟性の公共的な使用のことであって、悟性の私的使用のことではない。
私的とここに云うのは、例えば官吏官吏として命を奉じて行なうブルジョア市民的な世俗的行動のことであるが、啓蒙は之に反して専ら「公衆」即ち「読者層」を対手にして、その意味に於て公共的に文書を通じて、学者として振舞うことだというのである。
ここにのみ人性の進歩が齎らされるのであって、革命を通じてではなく「徐々に」変革が行なわれるようになるだろうと云うのである。
カントは「啓蒙時代(啓蒙された時代ではなく啓蒙し行く時代)はフリートリヒの世紀」だと結んでいる。

 啓蒙として最も特色のあるのはフランスのものとドイツのものだが、その二つの間に之だけの相違がある。
にも拘らず両者共通なものはその機械論(メカニズム)だということが、今まで云って来たことで結論されるだろうと思う。
明らかに之は歴史の一時期としての啓蒙期に於ける啓蒙の特色であった。
その後の世界の政治的文化的発展は、この啓蒙期的機械論を[#「啓蒙期的機械論を」は底本では「啓蒙期的械機論を」]如何にして脱却するかの工夫だったとも云うことが出来るが、それがディアレクティーク(実は唯物論)にまで行かなければ脱却出来ないことは、歴史的にも論理的にも、今日では証明済みの事柄だろう。
――で今日必要な啓蒙は、云わば弁証法的啓蒙でなければならぬだろう。
弁証法によって初めて又、折衷や通俗哲学に堕さない科学的な文化総合の目的も、確実に保証され得るだろう。
こうした文化総合のない処では、どのような啓蒙も大衆化も、まして政治的な活動も、根のない草と択ぶ処はあるまい。
ここで初めて新しい時代のエンサイクロペディストというものの意味も内容を得るだろう。

 エンサイクロペディストと唯物論者とがフランス啓蒙期に於て一つであったという関係は、今日でも少しも変らないだろう。
ただその唯物論が、機械論を脱却したという現在の論理学的条件が、今日の啓蒙の新しい内容を決定するのである。
本当の合理性と自由とがここで初めて実際的な問題になれるのだ。

五 文化の科学的批判
    ――特に国粋主義の批判のためのプラン

 具体的な現実物が、夫々自分の特殊性乃至独自性を持っていることは当り前である。
日本という国家・民族・人類(?)が経済上・政治上・文化上・世界の他の諸国家・諸民族・諸人種に対して、又世界の総体に対して、特殊性乃至独自性を持っていることは、当り前である。
便宜上この特殊性乃至独自性を、日本的現実と呼ぶことにしよう。
――尤も日本的現実と云えば、すぐ様亜細亜的現実とか東洋的現実とかいうものが連関して来るが、この連関に就いては別の機会にする。

 例えば雑誌『思想』(一九三四年五月)は「日本精神」の特集号を出した。
之は恐らく今云った「日本的現実」を主題とした特集という意味だろう。
併しこの日本的現実がなぜ特に日本「精神」でなければならないのか。
――もし精神というのがエッセンス乃至本質という意味ならば別に問題はないかも知れない。
その場合にはその事物を活かしその事物に生命を与えているものが、何によらず精神と呼ばれるわけだから、精神は生命という程度の意味で「キリスト教の精神(ジェニー)」とか「ギリシア精神」とか「資本主義の精神」とかと云われている。
だがこの際にすでに疑問なのは、事物のエッセンス乃至本質を習慣的に精神と命名することによって、いつの間にか知らず知らずに、精神主義を混入させてはいないかということだ。
単に文飾の上でならいいが文飾から論理にまでこの精神という言葉を本気になって持ち込めば、それはすでに精神主義の論理となる。
事物の本質は精神だという哲学的観念論になるのである。

 所謂「キリスト教」としてのキリスト教は元来精神的なものということになっているのだから、その本質が精神(ジェニー)だというのはまだいいかも知れないが、すでに「ギリシア精神(ジェニー)」というようなものになると、大分特別な哲学的仮定を暗示している。
ギリシアに於ける奴隷制度も亦、かかるギリシア「精神」の一部分に属さなくてはならなくなるが、それで果して構わないだろうか。
資本主義の精神がM・ヴェーバーに於てのようにカルヴァン主義などであるなら、資本主義はプロテスタントの信仰から生じた所産にされて了うかも知れない。
でここまで来れば「精神」という命名法も決して容易ならぬ意義を持っていることが判るだろう。

 日本的現実を特に日本精神と呼ぶことは、即ち日本的現実を特に日本精神というものにまで抽象することは、日本に関して私かに精神主義を混入していることの症状と見ることが出来る。
この雑誌の特集号は諸文化領域に於ける「日本的なるもの」の検出をねらっているらしいので、問題は一般に経済的又政治的な領域ではないのだから、この日本的なるものが特に日本精神と呼ばれるのも一応いいかも知れないが、併しそれならば特に之が所謂日本精神主義の立場に立つのでない所以を、即ち日本精神主義のハッキリした批判を、強調しないと、「日本精神」という命名自身の意味が甚だ疑わしいものとなるだろう。
処が日本的なるもの乃至日本精神の検出に参じ、又は単に日本の特殊事情に関する限りの論文は沢山載っているにも拘らず、日本精神主義乃至之に通じる諸日本主義の批判は、殆んど、平野義太郎氏の「明治中期における国粋主義の台頭、その社会的意義」の一篇だけと云ってもいい。
――日本的なものを問題にしながら、或いは日本精神を問題にしながら、日本精神主義の方はあまり問題にならないというこの態度は、その態度自身に日本精神主義が知らず知らず混入していることの有力な症状である。
――日本の代表的な思想雑誌の一つに於けるこの一例は意味の深いものだ。

 尤も日本的なものの検出、日本の特殊事情の強調、と云っても二つの全く相反した動機と興味とから問題になることが出来るわけで、日本的なものに特殊な興味を示すことが、それだけでは決して保守的でも反動的でもなく、却って具体的に進歩的であることを意味すべき場合があるのはあまりに判りきったことだろう。
だがそうだからと云って、自分の動機を識別することなしに単純に、日本的なものに特殊な力点を置くということが、保守的でも反動的でもなく却ってザハリッヒで忠実な研究態度又は認識態度だ、ということにならぬ。

日本的なるもの」が、他のものの説明原理として担ぎ上げられる場合と、夫が他の諸原理によって説明されるべき具体的課題として提出される場合とでは、条件は全く相反しているのである。
各種の「アジア的現実」主義者や、一国社会主義者達から始めて、メートル法強制反対派の論拠に至るまで、この日本的なるものが、説明されるべき具体的事実としてではなく、それを以て説明を始めるべき抽象的原理として、意識されている。
国際的なものの具体的な一環としての日本的なものではなくて、国際的なものに先行する抽象的な対立物としての日本的なものが、ここでは原理となっているのである。
――日本的なるものの強調が、保守的乃至反動的であるか、それとも具体的に進歩的であるのかは、夫が国際的なものとどういう関係に置かれているかを見ることによって一般的に判別出来る。
この点が大事な点なのだ。

 日本的現実を以て、国際的現実から孤立独立した一つの所与と見做し、そうすることによって之を一つの原理にまで抽象昇華させるものが、今日の最も代表的な社会ファシスト乃至転向ファシストの論理上のトリックであるなら、この日本的現実の実体を日本精神にまで抽象して見せるものが国粋ファシストの共通な手法である。
今日の日本国粋ファシスト哲学は、まず第一に「日本精神主義」に帰着するのである。
だから私は例えば例の『思想』の特集号の内容と表題とを社会ファシストや国粋ファシストとの連想に於て、気にしたわけである。

 日本の所謂ファシズムがその原理と名乗る処の「日本的現実」乃至「日本精神」は併し、まだ系統的に批判されていない。
だが之は今日の理論家の最も切実な課題の代表的なものなのである。
私は暇を得てその一部分だけでも手をつけて見たいと思うのだが(六、参照)、いまはその心掛けの一端として、一般にこうしたイデオロギー現象の批判方法の要点だけを簡単に定式化しておきたいと考える。

 所謂内在的又内部的批判が批判にならないことは云うまでもあるまい。
例えば文芸作品に就いて云っても、作家の主観的な(之は往々主体的という言葉でゴマ化されるが)内部的イデーを穿鑿するに止まるならば、恐らく同情や反感、理解や注文、にはなっても批判にはならぬ。
ましてそのイデーを表現する技法の説明に至っては、「作家」の楽屋にぞくする問題であって一般観客の前面に押し出すべき代物ではないのである。
批評はこの意味でそれが客観的であり科学的であるためには、元来外部的なものだと考える必要さえあるのだ。

 処で客観的批評や科学的批評というとすぐ様人々は社会的批評に思い当る。
ミリュー理論的批評が社会学的批判としてもすでに不充分なことは今日では誰にも徹底しているが、社会的批判(実は社会学的批判)になると、まだ仲々信用があるのである。
フリーチェの芸術社会学やカルバートンの社会学的批評などがこの例で、今日でも大いに教える処のあるのは疑えない事実であろう。
それから社会と云えば無論歴史社会なのだから、特に社会から歴史を捨象して了う特別な立場に立たない限り、社会的(社会学的)批判は同時に、一応の意味に於ける歴史的乃至歴史学的批判を含むと考えてもいい。
この歴史的観点が独得の形で発達したものの例は、ディルタイの解釈学的な批評方法だろう。
だが「社会学」的批判や「解釈学」的批判は、それがイデオロギー理論とどれ程共通なもの又は接近したものを持っているとしても、結局イデオロギー理論――社会科学的文化理論――ではない。
吾々はイデオロギー理論の観念に立って、即ち文化をイデオロギーとして社会科学的に批判する立場に立って、今云った内部的批評と外部的批評とを改めて対峙させて見る必要がある。

 予め明らかなことは、内部的という形容詞が本質的という意味を云い表わさねばならぬ限りは、批評も亦内部的批評でなければならぬことだ。
従って、所謂外部的(外面的・皮相的)批評も、この内部的批評と何かの仕方で必然的に結合統一されることによって、初めて批評となることが出来るわけである。
だからつまり、内部的なものと外部的なものとが統一される処に社会科学的批判の機能がある筈だ、と一応云うことが出来る。
だが、この関係は具体的に分析すると、決してそう簡単に判り切ったことではないのだ。

 社会科学はイデオロギー内容を歴史的社会的に分析する。
即ち現在存在しつつあるイデオロギー現象が少くとも現在の如何なる生産関係によって制約され又対応せしめられているか、更に之が少くとも現在の如何なる法制的政治的与件を通って制約せしめられているかが、まず第一に分析される。
帝国主義化した独占資本による社会〔支配〕が、〔階級的〕必要によって生じた〔絶対主義〕を媒介することによって、又更に封建的残滓を基底として急速に萌された資本主義乃至それの〔高度化〕された〔段階を〕表現する各種の立法・行政・司法とを通路として、今日の日本の国粋ファシズムと又夫に相応する社会ファシズムとが成立しているという次第である。

 処で第二に、無論現在のかかる生産関係の事情、法制関係、政治事情は、夫々に於て又相互の連関に於て、過去からの歴史的な継起と発展との連鎖を引きずっている。
現在のこうした経済的政治的条件は、過去の歴史的なものの結論を総括することによって、本当に機能的になっているわけだから、ファシズムならファシズムというイデオロギーがこうして物質的又社会的な客観情勢によって制約され又之に対応せしめられるということは、そうした客観的情勢の歴史的な運動の機構によって発展せしめられたという、因果的な「制約」や「対応」を説明していなくてはならぬことは当然だ。
だからこの際イデオロギーは、この客観的情勢の運動機構によって、その歴史的発生とその歴史的推移とを説明されるのである。
イデオロギー理論の機能はこの限り、その発生と推移との説明の内に存する。
――この説明を通じて初めてイデオロギーはその特色づけをも受け取ることが出来るのであって、そのイデオロギーが現在に於て、或いは他の時代に於て、どの程度に有力であるかあったか又あるだろうか、とか、今日のそのイデオロギーが過去の或る時期の夫に対してどのような対比と区別とをなしているかという特徴づけが、ここで初めて行われる。
――そして更にこの特徴づけを通じて現在に於けるイデオロギーの内容と現勢とが一見殆んど最後的に説明されるのである(例えば平野義太郎氏の自由主義に対する又国粋主義に対する説明――『日本資本主義社会の機構』などがこの場合の「説明」の好模範だと考える)。

 だが、イデオロギーの発生と発展との説明や特徴づけは、つまる処事物の説明であってまだ事物の批判ではない。
無論「説明」を遂行して行く間には、自然と批判又は批判的観点が這入って来たり想定されたりしなければならないのではあるが、この「説明」の内には「批判」が意識化された範型を得ているとはまだ云うことが出来ない。
要するにこの説明の段階に於ては、高々イデオロギーの内部的内容――批判の対象はここにあるのだ――が外部的な歴史的社会の客観情勢に対応せしめられるだけであって、この外部的なものとイデオロギーの内部的内容とがイデオロギー的具体性を以て結合されるに至らない。
つまり之では、単なる外部的批判に過ぎなかったわけである。

 任意の或るイデオロギー(一定の思想・理論・主張)が、どういう社会的機構分子と、どういう歴史的必然関係とに、原因し制約され対応するにしても、そのイデオロギー内容が広く承認されているかどうかとか、流行るか流行らないかとか、更にまたどの程度の真実性・真理を持っているかとか、本当か嘘かとかいう点になると、即ちそうしたイデオロギー内容の通用性・信用度・説得力・納得可能性の問題になると、以上の発生の説明の段階に止まる限り解決出来ない。
現実乃至真実の客観的構造を如何に――歪めて或いは相当正しく――反映するかという論理学的乃至認識論的な内部的説明になると、以上のような単なる歴史的社会的発生の「外部的」説明では、与えられない。

 この歴史的社会的発生(制約と対応とに於ける因果関係)の説明に止まって、之を意識して計画的に、今云った論理学的乃至認識論的な説明にまで結びつけない限り、それはまだ何等の唯物史観でも社会科学でもないので、知識社会学や文化社会学というようなブルジョア社会学」の原則に止まっているに他ならない。
どんなにそれが「階級的」観念を強調しようとも、原則上の欠陥を蔽うことは出来ない。
――イデオロギーの批判の問題はこの外部的なものの帰結としてこの内部的なものを如何に取り上げるかにかかっている。
この問題が解けなければイデオロギーの批判にならぬばかりではなくて又その十分な説明にもならないのだが、併し又歪曲や誤謬の指摘だけでは批判としても不十分なのであって、同時にその歪曲や誤謬の発生の説明を与え得るのでなければ本当の批判にもならぬ、という点も同様に大切だ。
説明(外部的)と批判(内部的)とは夫々の要求から云って、両者の交互関係に於て初めて自分を満足させることが出来る。

 この交互関係を具体的に意識していないと、なぜ存在の必然性から価値の通用性が出て来ることが出来るか、などというカント主義的な愚問を真面目に提出されるわけで、哲学のレーニン的段階として有名な論理と歴史の原則的な交渉は、当然イデオロギー――之はどれでも「論理」を有っているものだ――の「批判」にもそのまま適用されねばならない筈だ。
デボーリン主義に於ける方法論主義の欠陥は云うまでもなく承認されねばならないが、そうした方法論主義的誤謬が発生したのは、イデオロギーの論理学的「批判」の課題にせき立てられたことを動機としているわけであって、デボーリン主義の否定によって、デボーリン主義的方法論主義へまで道を誤った「批判」という課題自身の意義を没し去ってはならぬ。
論理学や認識論は、吾々が現に眼の前に見ているイデオロギーに対する科学的批判の武器として役立つ処に、その実践的な意義があるのだ。
こうした「批判」と「論理学」との直接不離の関係はレーニンの『唯物論と経験批判論』で模範的に見て取れるのであって、所謂党派性の問題も之に中心を置くのでなければ、匍匐的にしか把握されないだろう。

(念のために云っておくが、ここで云う「論理」を科学にだけ限られたものと考えてはならぬ。
芸術的であろうと倫理的であろうと、凡そ文化価値的なものが一般的に論理的なのである。

 さてイデオロギーの客観的与件による制約・対応の「説明」を進めて行くと、それはおのずからそのイデオロギーの論理的真偽の問題に関する「批判」へ這入って行くのである。

 まずイデオロギーイデオロギーである所以として、時代的な・階級的な・セクト的な・又個人的な・生活利害によって、そのイデオロギーの真理対虚偽の関係が編成されていることが発見される。
人間生活に於ける一定共通の生活利害を代表するものとして、歴史的社会的諸構造分子(階級・身分・国家・地方性・等々)が分析されるが、こうした歴史社会的諸構造分子の各々の立脚点から、歴史的社会全体の、又は客観的自然の、「客観的現実」が、主体的に(主体の能動的実践を媒介として)又主観的に部分的に、反映・模写される。
その反映・模写され方に於ける制限と歪曲性(鏡で云えば面積乃至対物距離とその凸凹率)が、イデオロギーの「批判」されるべきイデオロギー性に他ならない。

 実は之は、歴史的社会全体に於ける、又客観的自然に対する、歴史的社会的構成分子の各個部分が占める、云わば客観的な存在上の構造関係が、そのままで論理学的な「イデオロギー性」に映っているわけで、一定のイデオロギーの歴史社会的な発生・制約・対応の関係が、そのままそのイデオロギーの論理的イデオロギー性、即ち真理対虚偽の編成となっているのである。
ここから判るように、「説明」がやがて「批判」に移行するのである。
蓋しこの段階では、誤謬の発生とそれが誤謬たる所以とが説明され得る。
之はただの因果的な説明ではなくて、すでに論理的な説明なのである。
――だがまだ論理的な論証ではない。

 イデオロギーが客観的現実による被制約者・対応物・因果的所産であるばかりではなく、そのことによって更に又、夫の反映物・模写物であることを今強調したわけだが、この被制約物で且つ反映物である処のイデオロギーは、今云った客観的現実とは一応独立な自分自身の発展法則を含んでいる。
この独自の発展法則によって、イデオロギー現象自身とその論理的機能自身とが、再び一部分の客観的現実の内容となって、所謂客観的現実の客観的運動法則に参画するのである。
イデオロギーイデオロギーとしてのこの独自の運動法則を云い表わす論理的な歴史社会的必然性(普通にはやや不充分であるが系譜と呼ばれている)が今度は問題だ。
ここではイデオロギーイデオロギー性(誤謬関係)の発生と根拠との説明ばかりではなく、そのイデオロギーイデオロギー的諸特徴を系譜的に溯源交錯させることによって、この説明を論理学的に要約しコンデンスすることが出来る。
こうやって論理学的にコンデンスされ要約されたものの極致が論証というものだが(論理とは事物を要約しコンデンスし又節約する処の機能だ、論理の一般性・普遍性はそのために必要なのである)、ここではこの論証が純粋の論証の形を取らずになお歴史的社会的(系譜学的)な説明の形で与えられる。
現代に於ける諸イデオロギーの誤謬乃至真実は、古典的な誤謬乃至真実にまで溯源せしめられ、この系譜的説明によって間接にその誤謬乃至真実の誤謬乃至真実たる所以、イデオロギー性、が論証される。
「古典」はイデオロギーの問題に於て、このような役割を有っている。
例えばマルクスエンゲルス・レーニン等々からの引用も、一切この古典の意味に於てしか許されないのである(二、参照)。

「外部的」批判から出発して到達する最も「内部的」な批判は、イデオロギーの内容の論証に関わる。
之は或る一定のイデオロギーの論理的根拠に対する反駁や論拠の提出のことであるが、この際今まで述べて来た批判の三つの段階に相当する三つの相が区別される。
即ち、第一には、現実の事実と主張された事実との対質(客観的現実とイデオロギーとの対応・制約の関係に相当する)、第二には、現実とそれに対応する論理的体系との対比による体系の批判(之は客観的現実の反映物・模写物としてのイデオロギー性の説明に相当する)、第三には、範疇使用方法の批判(之は系譜的説明の形で与えられた間接論証に相当する)。
こうやって一定のイデオロギーイデオロギー性、真偽関係が、第三者(社会の大衆・身方・及び中立者)と論敵とに対して、論理的説得を与えられる。
之が論証としての内部的批判である。

 だが前にも云ったように、単なる論証としての論証と云ったような、全く「内部的」な批判は、事実上決して十分な論理的論証力と説得力を有つことが出来ない。
必要なのはこの内部的な批判が、外部的な批判(イデオロギー発生の説明・イデオロギー性発生の説明・イデオロギー性の系譜的論証)の総決算として初めて現われたものでなければならぬという点だ。
事実、誤謬を指摘し、誤謬である所以を論証しても、その誤謬が何故生じなければならなかったかの「説明」をつけ加えない限り、説明力も納得力もないのであって、同情の無い批判は、決して痛い批判ではあり得ない。
この意味に於て最も具体的な批判こそ、初めて最も実際的な効果があるわけで、こうして初めて批判されるべきものが、事実上批判し去られることになるのである。
批判の課題はいつでも、誤謬に満ち充ちたものが、なぜ広く通用しているか、という形で出て来る。
この矛盾を実地に解消するには、ただの「説明」でもただの「批判」でも役に立たない。
説明を批判にまで展開し、それから批判を説明にまで跡づけなければ、批判にも説明にもならない。

 この社会科学的(歴史的―社会的―論理的)批判の工作に際しては、多分の人間知乃至心理学が必要であることは見落してはならぬ点である。
元来批判には客観の現実に由来するユーモアやアイロニーがどうしても必要になって来る。
これ等のものは云わば弁証法の文学的把握だからだ。
マルクスの特有な表現技術は、批判の方法の上から云っても大きい意味を有っている。
それに、内部的には批判に耐えないような論理的にナンセンスなものが、外部的に云えば批判の大きな対象だというのが、事実上の皮肉な多くの現象だろう。
意味を有っているが故に批判されるべきものばかりではなく、意味がないが故に批判されるべきものが寧ろ多いのである。
現代に於ける各種のファシズムイデオロギー乃至反動イデオロギーがその好い例であるが、ここでも内部と外部とを貫いた批判が益々必要である所以が明らかだろうと思う。

 最後に、特に国粋主義イデオロギーの批判に就いて、一つの注意を書き加えておかねばならぬ。
すでに今、範疇使用方法の最後の段階として、挙げておいたが、日本主義的イデオロギーの批判に於ては、特にこの段階が重大な役割と意義とを有っている。
なぜなら日本主義的イデオロギー程、範疇論的に云って薄弱な観念体系はないからである。
薄弱な点の第一は、日本主義が好んで用いる諸範疇(日本・国民・民族精神・農業・〔神ながら〕の道・〔神〕・〔天皇〕・その他都合の良い一切のものの雑然)が、一見日本大衆の日常生活に直接結び付いているように見えて、実は何等日常の実際生活と親和・類縁関係がない、ということだ。
農産物や養蚕や家畜は人為淘汰に関する農業技術を抜きにしてはそれ自身不可能な存在だし、又工業技術を離れて今日の農村生活を生活することは出来ない。
産業技術を抜きにして産業生活が不可能なことを知らない者はない筈だ。
処が例えば日本型の農本主義者は殆んど凡て農本主義的反技術主義のイデオローグなのである。
日本精神主義亜細亜主義の使徒達も、反技術主義に於ては完全に一致している。
実際行動の連関から云えばとに角、少くともイデオロギーの上から云えば、反技術主義は反唯物論の旗の下に、全世界のファッショ的反動の共同動作となって現われているのである。

 この反技術主義が、凡そ実際の技術的生活とは全く離れた反技術主義的範疇を選ばせるのであって、ファシズムの哲学が永久に単なる観念物としてのイデオロギーを出でない所以であり、又日本主義的イデオロギーが単なる文学的フラーゼオロギーに止まっている所以でもある。

 だがこの反技術主義は何も国粋主義乃至広義のファシズムイデオロギーには限らない。
今日の多かれ少なかれファッショ化した資本主義的乃至半封建的ブルジョア哲学の共通の最後の切札が之だ。
――日本の国粋主義イデオロギーの範疇使用法に於ける弱点は、寧ろその古代主義(Archaismus)とでも云うべきものの内に横たわる。
国粋的な体系を建設するためには、現代の国際的な(普通外来欧米思想と呼ばれる)範疇では都合が悪いので、わざわざ古代的範疇が持ち出される。
国学的範疇や〔絶対主義〕的範疇が之である。
処がこの古代主義は往々脱線して凡そ国粋とは関係の遠い云わば国粋的外来思想への復帰をさえ結果する。
漢学的、支那仏教的、原始仏教―バラモン的、範疇をさえかつぎ出そうとするのである。

 こうした範疇上の古代主義の特徴は、その好む古代的範疇が、今日の実際生活に於て使用される範疇と、何等論理上の共軛関係・飜訳可能の関係に立っていないということだ。
もうすでに〔老い込ん〕で了って、単に文献学的にしか意味を有っていない範疇のために、目抜きの大道で示威的な〔芸当〕をやろうというのである。
世界史的にも国際的にも兌換不能な紙幣を以て強力的に取引きをさせようというのである。
――こうした弱点は範疇論的に批判され得る又されねばならぬ部分をなすのである。

 例えば、今日実際多くの文献的研究が往々こうした範疇の古代主義に結びつく点を注意すべきである。
仏教や儒教国学は大いに文献学的に研究される必要があるだろう。
それは丁度文芸は一般に文芸復興されねばならぬと一対である。
だが、仏教的哲学概論や儒教倫理学国学的法律学がそれから出て来るとすれば、それは文献学の分を超えたものと云わねばならぬ。
――尤も所謂解釈学(之は文献学を野心的に命名したものなのだ)によると、文献学的な範疇と現実的な範疇との論理学上の区別は、奇麗にどこへか解釈し去られて了うのであるが。

 文化の科学的批判は、大体右のようなプランに従って遂行されるべきだろう。
尤もこうした組織的批判は決してそう容易に実行出来るものとは考えられないので、その一部分の遂行だけでも決して無益ではない。
一部分だけでも科学的になれば、あとは常識というものが不完全ながらも一応相当甘くやって行けるかも知れない。
この点に於ても、これは吾々のごく実際的なプランである。

六 ニッポン・イデオロギー
    ――日本精神主義・日本農本主義・日本アジア主義

 日本主義・東洋主義乃至アジア主義・其他々々と呼ばれる取り止めのない一つの感情のようなものが、現在の日本の生活を支配しているように見える。
そしてこの感情によって裏づけられている社会行動は至る処吾々の眼に余っている。
而もそうした種類の社会行動は何か極めて意味の重大なものであるかのように、巨細となくこの世の中では報道されている。

 この感情に併しどれだけの根拠があるか、或いは寧ろこの感情がどれ程無根拠なものであるかは、之から見て行こうとする当の問題であるが、とに角こうした感情が漲溢しているか或は漲溢しているように信じられていることは、一つの著しい事実であって、この事実は政治的な意義から云えば、即ちこの事実が政治上想定されねばならず又は利用もされ得るだろうという点から云えば、極めて重大性を帯びたものであることは、今更ここに断る迄もないことだ。

 だが、元来、感情や感情に基く社会行動は、要するに感情の資格と機能との外へ出ないので、そうした感情や行動がどれ程漲溢している事実があろうと、その理性的価値が豊富だということには決してならないので、従って、この事実は論理的な意義から云えば、その重大さが至極乏しいものだと云うことを妨げない。

 吾々が良い批評家であるためには、例えば人物が問題ならば、前途有望な人物に限って批評の対象に取り上げるべきで、ヤクザな人物は特に意識的にネグレクトするだけの徳義を心得ていなくてはならない筈だが、併しこのことにも一定の限度のあることで、どれ程クダラない人間でも、それが偶然的にか又は外部からの必然性によってか、一時にしろとに角何か相当の社会的影響力を有つ危険性がある時には、愚劣であっても時には遺憾ながら相手にしなければならない。

 で、日本主義・東洋主義・乃至アジア主義・等々の殆んど凡てのものは、進まないながら、吾々の批評の対象として取り上げられるのである。
それは如何にも尤らしく意味ありそうなポーズを示す、処が実はその内容に這入って見ると殆んど全くのガラクタで充ちているのである。
日本に限らず現在の社会に於けるこの切実で愚劣な大きな悲喜劇のト書きを[#「ト書きを」は底本では「卜書きを」]暴露するのは、吾々にとって、極めてツマラない併し又極めて重大な義務にもなるのだ。

 併しこうした国粋主義(又はもっと忠実に説明すれば国粋拡張主義)の勢力は最近の日本に於て初めて盛んになったのではない。
幕末の国学運動から系統を引いているこのイデオロギーは、明治初年から二十年代にかけてまず第一に「欧化主義」に対する反対運動の形で著しく現われた。
次にそれは日清日露の役を著しい契機として台頭した初期の無産者運動に対して、その反動イデオロギーとして眼ざましい生長を新にする。
それから第三に世界大戦を境として起こったデモクラシー運動に対する反感として潜行的に可なり根強く発育したものである。
それが世界危機の一環としての日本資本主義の〔危機〕に際会して、〔満州事変〕や〔上海事変〕の喇叭の音と共に、今は津々浦々にまでその作用を丹念に響き渡らせたものに他ならない。
でこう跡づけて考えて見ると、国粋主義の横行は実は却って「国粋」の〔危機〕を物語るインデックスに他ならないわけで、国粋主義なるものは即ち自分自身を裏切ることをその本質とするもののことに他ならない。
一般に之が反動イデオロギーの「宿命」なのである*。

* この一節に就いては坂本三善氏の簡潔なスケッチがある(「日本主義思想の露漲」――『唯物論研究』一九三四年四月号)。

 だが日本主義・東洋主義乃至アジア主義・其他々々の「ニッポン」イデオロギーが(ニホンと読むのは危険思想だそうだ)大量的に生産され、夫が言論界や文学や科学の世界にまで浸み渡り始めたのは、確かにこの二三年来である。
ドイツに於けるヒトラー独裁の確立、オーストリアに於ける国粋運動、ムッソリーニオーストリアに対する働きかけ、アメリカ独自のローズヴェルト産業国家統制、それから満洲国建国と皇帝の登極、そしてわが愛する大日本帝国に於ける陸続として断えない国粋強力諸運動。
こうした国際的一般情勢の下に立つことによって初めて、日本は最近特に国粋的に扇情的になったわけであった。
無論わが権威ある国粋主義運動をこうインターナショナルに並べることは、一部の国粋主義者の気に入らないだろうが(「日本主義は西洋のとは違ってファシズムではない」と云われている)、併し一部の人間の気に入るようにばかりは事実は出来ていないのである。

 さて、現在の日本は全く行き詰っている、と世間では云っている。
実業家や一派の自由主義者達はこういう流言に賛同しないかも知れないが、どこかで行き詰っているから色々の愛国強力運動も発生するのだろうし、又仮にそうでなくとも色々の愛国強力運動が発生すること自身が少くとも日本の行き詰りに他なるまい。
ではその原因はどこにあるのか。
かの[#「かの」は底本では「この」]非常時という言葉は、この頃呪文としての効験を失って来たということを別にしても、この行き詰りを解釈する言葉としては実は之は甚だ都合が悪い。
なぜなら、どういうことが非常時ということかと尋ねて見れば、他ならぬ非常時の絶叫自身が非常時の原因だったということが判るからである。

 日本の日本主義者達にとっては併し、事物の客観的な原因を理論的に穿鑿するというようなことはどうでもいい。
いつでも説明は、俗耳に入り易い尤もらしささえ持っていればいいのである。
例えば、この行き詰りは「日本精神の本質をはっきり把握しない」ことから来る、と彼等は主張するのである(高須芳次郎氏「日本精神の構成要素」――『経済往来』一九三四年三月号)。
時の総理も議会で之と同じことを言っているから、この考え方の尤もらしさは相当信用して好いかも知れないが、併し一方首相は貴族院ではその言葉尻の説明を要求されていた。
だがとに角、日本の危機は日本精神の本質をはっきり把握しないことにその原因があるというのである。
――中国では支那精神の本質をハッキリ把握することに気付く者がいなかったために、〔中共〕問題や上〔海暴動〕が起きて了った、というわけになる。

 ではこの日本精神の本質とは何か。
高須氏によると日本精神の「構成要素」は、「生命創造主義的」なことや、「中正不偏」なことや、「輳合調和に長ずる」ことや、「積極的に進取膨脹を旨とする」ことや、「明朗」なことや、「道の実行実践に重きを置く」ことや、凡そ想像し得る一切の善いものを網羅している。
だが善いには善いとして、之は少し変ではないだろうか。
生命創造主義的というのはどういう規定なのか判らないが、哲学で例を取ればベルグソン形而上学は間違なくこの名に値いするし、中正不偏はイギリス精神としての政治常識だし、輳合調和の精神ではドイツの学術書などが模範的だし、積極的な進取膨脹と明朗とは、夫々アメリカの建艦計画とヤンキーガールとが最も得意とする処である。
それから、道の実行実践に重きを置くのは云うまでもなくソヴェート・ロシア精神ではないか。
日本精神がこういう外国精神から「構成」されているとすれば遺憾に耐えない。

 高須氏はそこで、「画竜点睛」のために、「日本国体に就いての自覚」を持ち出す。
なぜ之が一等先に出て来なかったかが残念である。
併し国体にしろ何にしろ、自覚するということは強制的に承認させたり、ペテンにかけて思い込ませたりすることではあるまい。
日本の国体を自覚するには日本の本当の歴史の科学的な認識による他はないだろう。
で高須氏達日本主義者は、どういう「日本主義的」な特別な歴史方法論を有っているのであるか。
その点をもう少し世間に、或いは世界に施して惇らぬように示す義務があるだろう。

 処で「無我愛」の信心家伊藤証信氏は、どういう動機からか判らないが、「日本精神の真髄」という論文を書いた(雑誌『雄弁』)。
一体日本精神は恐らく日本という一個の「我」にぞくするものなのだが、無我愛とこの日本の我愛とがどう結び付くのかと見ると、「日本精神」とは「真に日本の国を愛し、国民主義と国際主義との一致の道によって個人的にも国家的にも益々日本を本当のよい国に生長発展せしめるために命懸けで努力する生きた精神である」というのである。
之は氏自らそこで云っている通り、日本人にだけしか行われない道などではなくて、アメリカ人はアメリカ人で、ロシア人はロシア人で、行うだろう「普遍な道」であると云う他はない。
なる程「無我愛」から云えば当然そう云わなければならぬだろう。
併し一体、無我愛の立場からどういう必要があってわざわざ日本精神などというテーマを取り上げる気になったか、吾々に判らないのはその点である。
日本が世界を征服して了った暁には日本精神=即=無我愛となるという縁起ででもあるのか。

 併し、日本は決して世界を征服するのではないらしい。
現に学習院教授紀平正美博士によると、日本精神とは「他人と合同調和」する精神から流れ出たものだというのである(「日本精神に関する一考察」)。
今日では、一頃列強と呼ばれたブルジョア諸国が支那分割を夢みた場合のような植民政策は実行不能になったから、他人を「合同」したのでは決して「調和」が保たれないということが世界の外交常識になっている。
だからこの言葉は決して日本の世界征服を意味するものではあり得ない。
「和平」を愛する国民が日本国民だとも博士はこの書物で云っている。
それに西洋人の他人に対する態度は take and give(とりやり)であるが、日本人のは「やりとり」だそうである。
即ち伊藤証信氏流に云うと、日本国民が如何に無我愛的であるかが、この点からも伺い知ることが出来るわけだ。
日本民族の隣人愛、即ち隣国愛は、支那満洲帝国に対するその友誼から見ても、もはや疑いのない処である。

 博士は処でこういう日本人の「日本精神」をどういうものと規定しているか。
それは他ならぬ前に出ている例の「日本国民としての自覚」――我は日本人なり※(感嘆符二つ、1-8-75)――だというのである(博士著『日本精神』)。
「日本国民精神」は「定義を以て其れを定めることは出来ない」――「三千年の歴史をその内容とする所のものをそう簡単に定められるものではない筈だ」(「一考察」)。
全くその通りである。
併しこの三千年(?)の歴史はどういう風に研究されるべきかが先にも問題だったのだ。
不敏な吾々は今日に至ってもまだ紀平式ヘーゲル(?)歴史哲学の真諦を理解出来ないのが遺憾だが、それはとにかくとして、三千年(?)の本当の歴史を科学的に書いて示して呉れないと、恐らく今の世間は、つい「三千年の歴史」を「簡単に定」めて了うことにもなるだろう。

 金鶏学院安岡正篤氏の言葉は日本歴史の認識に就いて一種の暗示を与えるように見える。
日本民族精神の本領は三種の神器にいみじくも表徴せられたように、清く明るき鏡の心より発する知恵の光を磨き、勇猛に正義の剣を振い、穆たる玉の如き徳を含んで、遂に神人合一、十方世界を全身とする努力になければならぬ」(『日本精神の研究』)。
この心境描写は極めて美文的で従って抽象的であり、従って又、この日本主義が国粋的新官僚から最もよく親まれ易い理由は判るが、歴史のリアリティーをこうした昔風な心境談に還元して了うことが、古来事実日本民族の精神かとも思われる。
だが要するに之は歴史ではなくて道徳的教訓か美文学に他ならないし、道徳的教訓や美文学にしても極めて原始的な夫に過ぎないのが遺憾である。

 事実、幼稚な文学は道徳律と別なものではないので、神話が正に夫であった。
安岡氏によると、三種の神器は知徳勇を表徴するものであって、日本国土はただの自然的地理的土壌ではなく、〔国生みの神〕の眼から生れた「大八州」なのだから、「〔天皇種族〕」と兄弟の関係に立つのだと云った種類の説明が与えられる。
こうなるとどうも、例の日本精神的な歴史認識の方法は、取りも直さず「神話的方法」だったと云う他はなくなり、日本精神は永久に神話的段階に止まるべきもののように受け取られる。
そうすると日本精神というのは進歩や発達をしないもので、進歩や発達の敵だという結論にも到着しそうである。

 以上のような次第で、「日本国民としての自覚」というものは、その実行の段になると、今の処仲々条件が具わっていないので、実は容易なものでないということだけが判った。
が日本精神を理解するのにもう少し科学的な近道がありそうである。
鹿子木員信教授は夫を「新日本主義」と名づけている(『新日本主義と歴史哲学』)。
教授はまず第一に日本精神の成立が不可能でないことを証明する。
博士は精神の「心ざし」を個性と考えているが、この個性=心ざしなるものは、空間的相違・気候風土・地理的差異等々によって程度の差を生じ、特殊具体的な構成を作ったものであり、それが国土によって異る国民精神の発展様式の特殊性となるのである。
だから日本には日本国民精神という特殊性をもったものが出来るわけだというのである。
全くその通りで、日本国民が苟くも精神を持っている限り、「日本国民精神」が存在するということは、証明するまでもなく自明な理ではないかと思う。

 日本国民精神が発生し得ることは判ったとして、問題はその日本国民がどういうものかということだったのだ。
処で博士は「新日本主義」的歴史哲学によって之を明らかにしようとする。
博士は研究の結果を次のような要点に纏めている、自然の世界は「できごと」の世界であり、歴史の世界は「でかしごと」の世界である。
この「でかしごと」の世界というのは行の・主体の・個性の・心の・世界である。
だから歴史は「主体(精神)=行=心の上に立って認識されねばならぬ」というのである。
之で見ると「新日本主義」的歴史哲学とは、西洋の「唯心史観(?)」とあまり別なものでないらしい。
西洋風だということが新日本主義の「新」たなる所以であるようだ。
そして Geschehen の代りに「できごと」、Tat とか Tatsache の代りに「でかしごと」という「やまとことば」を使う点が、新日本主義の「日本主義」たる所以だろう。

 併しこの唯心史観は甚だ不統一な唯心史観で、例の大切な個性即ち日本国民精神自身は、空間・気候・風土・地理などの物質的なものの相違によって構成を得る、ということになっているから、折角の「でかしごと」も「できごと」から決定されているものであるらしく、西洋ではこういう歴史哲学をば、「新日本主義」と呼ぶ代りに「地理的唯物論」と呼んでいるのである。

 処で意外なことには、どういう理由からか判らないが、西洋の地理的唯物論にさえ遠くはないこの新日本主義に立つ「日本国民精神」は、突如、「大君の辺にこそ死なめ」という意気で上代以来〔天皇〕を〔主君〕として績ぎ営んで来た生活の原理であって、この生活のモットーは「義は即ち君臣、情は即ち父子」という支那の文人の好みそうな対句にあるという。
かくて新日本主義は愈々「新」日本主義としての面目を明らかにするわけである。

 以上「日本精神」に味到した人達の見解に接して見たが、少くとも今までに判ったことは、何が日本精神であるかということではなくて、日本精神主義なるものが、如何に理論的実質に於て空疎で雑然としたものかということである。
で日本精神という問題も日本精神主義という形のものからは殆んど何の解答を与えられそうもないということが判ったのである。
文部省下に国民精神文化研究所が出来ても、『日本精神文化』という雑誌が出ても、又日本精神協会というものがあってその機関紙『日本精神』が刊行されても、そうした日本精神主義による日本精神の解明は当分まず絶望と見なくてはならないだろう。
日本精神主義というのはだから、声だけで正体のない Bauchredner のようなもののようである。

 そこで日本精神は、もう少し別な方向から、もっと精神主義的にでなく(?)解明される途はないか。
例えば日本農本主義がそこにある。

 愛郷塾主橘好三郎氏の『農村学』は日本の経済政治社会制度の特色に就いて説明している、「日本国民社会の国質」は「農村国質」なのであると(一七七頁)。
というのは、日本は「資本主義国」や何かでなくて正に農村国質だというのである。
一体マルクスなどは農業と工業とが本質的に別だということを知らない、地上の存在物には生物と無生物とがあるのだが、生物を対象とする農業を、無生物をその対象とする工業と同一の立場から取り扱おうとすることが抑々根本的な誤りだ、工業は相手が死んだ「物質」だから機械的に処理することが出来る質のものだが、植物や畜禽を相手にする農業の生産活動では、何より精神的な要素が大切だ、というのである。

 だから氏によると、農業では、機械化ということは革命を意味するのではなくて寧ろ破壊をさえ意味するだろう。
耕耘は機械で出来ても、苗を植える機械はあるまい、マルクスの考えた大農主義は、農業そのものに対する無知から来るので(マルクスはロンドンやパリにいたが農村に住んだことがない)、イギリスに於ける大農の発達なども、市場競争によって小農が駆逐されたから発生したまでであって、農業の機械化のお蔭などではない、と云うのである。

 特に日本では、日本人は米食でなければならず、そして米作は水田に限るから、トラクターなどを農場に入れることは出来ないので、この点からだけ云っても日本の農業は絶対に機械化し得ない、というのである。
だから日本に於ては「農業の大農経営」は起こり得ず「小農が却って勢力を得ている」ということがその「現実」だというのである(日本の官製の国粋紹介映画を見たソヴェートの住民達が田植えのシーンになると突然哄笑し始めたので、日本の当局は甚だしく狼狽したという現実がある)。

 そしてここから、「資本主義病態下に於て最も決定的致命的な破壊の鉄槌を下さるるものは工業ではない」、「賃労働者でもない」、「それは農村であり且つ農民である。
故に〔資本〕主義的破壊から全国民社会経済組織と全社会を解放せんと欲するならば何より先に農村社会を救わねばならんのである」(四三頁)、という農村学の「根本主張」が出て来る。
――都市社会は知的結合だが、農村社会は霊的結合だそうで、崇祖の情や自然崇拝や庶物崇拝が農村の大切な特色だということである。
土と自然とを尊ぶところの「土の哲学」に立つ「厚生主義社会」こそ日本の現実が向って進むべき理想でなければならぬということになる(二四〇頁)。

 こうやって折角日本の経済的政治的「現実」から出発したこの農村学の農本主義も、遂に例の「精神的」な日本精神主義の一変種だったに過ぎないということが判る。
農業がなぜ、一つの原理となって日本農本主義を産む程に偉いかというと、外でもない、元来「日本的」な農業とか農村とかが、元来「非日本的」な商工業や都会に較べて、いみじくも「精神的」だったからであった。
農業や農村に関するあとの説明はただのそのための口実と弁解とに過ぎないようだ。

 橘氏農本主義が、言葉通り農村学的であったに対して、権藤成卿氏のものになると、「制度学的」になる。
氏によると日本の特異な点は、まず夫が「社稷躰統」の国だという処に存する(『自治民範』)。
というのは、社は土地神主の謂で、稷は高粱を意味するので、こうした社稷の崇拝が、即ち土穀崇拝が、日本のまず第一の特質をなしているらしい。
だから「農は天下の大本」だというのである。

 そこでこういう農本的社会である日本では、又農本的制度が発生しなければならぬ。
権藤氏によると、元来風俗は恒例へ、恒例は礼儀へ、礼儀は制度律令へ、進化漸化するのであるが、こうした道徳的成俗は自然を以て本としなければならぬ。
「飲食男女は人の常性なり、死亡貧苦は人の常艱なり、其性を遂げ其艱を去るは皆自然の符なれば、励めざるも之に赴き、刑せざるも之を黽め」るという具合に、自然に「天下」は治まるものだというのである。
処が恰も日本は元来がこうした自然的成俗に則った国柄であって、自治主義こそ日本の最後の特色だということになる。
処で農は天下の大本だったのだから、自治主義は専ら農村自治に帰着するわけだ。
最近の内閣の農村政策から云えば、農村は自力更生すべきであろう。

 だが一つ注意しておかなくてはならぬ点がある。
この農本主義的自治主義に立つ「制度学」が、他の日本主義の一群のものとは異って、必ずしも〔絶対制〕主義でないということだ。
宇多天皇藤原基経に向って「卿者社稷之臣、非朕之臣」と仰せられたそうだが、之こそ自治主義の真髄であって、之に較べると、国家主義の如きは公益と私益との衝突を免れぬものだという。
現在の日本に於て最も普及している日本主義は、例えば治安維持法を厳罰主義に「改正」しようと欲するような官僚政治的日本主義であるのだが、権藤氏によると、そういう官治主義こそは日本の成俗をなす自治主義を害うことこの上もない当のものなのだ。
今日の日本の行きづまりは、直接には何よりも明治維新以降の官僚主義の責任に帰すものだと、氏は考えている。
でそうだとすると『自治民範』は今日の時勢に於けるファッショ風景には一寸ソリの合わない本になるわけで、氏が夙に自分の思想に対する抑圧を覚悟したと云われるのは、よく自らを知る明があったわけである。

 氏の思想は併し、無論何等の危険思想や悪思想でもないのである。
彼の政治的スローガンは、「社稷の典例」に返り、「民家の共存組織」を「恢興」せよ、ということだが、では社会主義なのかそれとも共産主義なのか(彼によるとマルクス社会主義者であって共産主義者ではない)、それとも又他の何かの政治方針を採るのかということになると、氏はどの民俗も「其民俗国情に随うの外なしと云うのみである」(五一八頁)。
だからこそ右翼団体の被告の一人などから、権藤は食えない男だと思ったなどと批評されるのである。
――危険思想でもなく悪思想でもないだけではない、実は之こそ寧ろ極めて有益な良思想なのである。
というのは、彼によれば実は今日は法律制度の改革よりも、もっと更に一層切実な急務が、人心の改革(レフォルメーション)に存する、人心さえ緊張していれば、どんな悪法悪制も或る程度まで善導出来るのだから、地主も小作もその点を反省して、例えば強力による実行手段などは排斥せねばならぬ、大事なのは成俗の「漸化」である、と云うのである。

 権藤氏の制度学的農本主義によって、日本の特色、従って日本精神の特色も亦、以上のように描かれるが、それにも拘らず、之は必ずしも例の日本精神主義ではないということに注目しなければならぬ。
「人心の改革」で成俗を漸化させようという観念論も、必ずしも之まで見て来た人達の「日本精神」主義と一つにはならない。
――併しこのことは大局から見ると少しも良い徴候ではないようである。
なる程権藤その人は制度学者で、国粋的範疇でしかものを考えない人だが、殆んど同じような目的を遂行するために、もし哲学的範疇を一応でも心得ている国粋的な倫理学者や国粋国史家が現われたとしたならば、彼等の手によって、問題は再び「日本精神」主義にまで引き戻されるだろう*。
権藤氏が日本精神主義の特色を前景に押し出さないのは、偶々精神(Geist)という今日日本で最も調法がられているドイツ哲学の範疇を、心得なかった迄だ。

* 東大倫理学教授和辻哲郎博士(「町人根性」・「日本精神史」・「国民道徳」・「倫理学」等々がそのテーマ)、広島文理科大学教授西晋一郎博士(「国民道徳」・「忠孝論」等々がそのテーマ)、東大国史科教授(朱光会員)平泉澄博士(「建武中興」・「ドイツ精神」等々がそのテーマ)、等の国粋倫理道徳学者・現代式国学者達は、改めて之を批判する必要があると考える。

 で、日本精神主義哲学から云っても、又日本農本主義哲学から云っても、日本の特質は、それが他の国家乃至民族に較べて、勝れて精神的だという処にあるということになるらしい。
凡ての日本主義が、恐らくこの日本精神主義に一応は帰着せしめられることが出来るだろう。
だがそれにも拘らず、日本精神(之が日本の本質な筈だった)が何であるかは、合理的に科学的に、遂に説明されていない。
それはその筈で、元来日本精神なるものは、或いは「日本」なるもの自身さえが、日本主義にとっては、説明されるべき対象ではなくて、却って夫によって何かを相当勝手に説明するための、方法乃至原理に他ならないからである。

 処が、「日本」という宇宙に於ける地理的歴史的社会的な具体的一存在を勝手に持って来て、之が何か哲学の原理になれると考えることが、元来少し常識で考えて見ても変なことで、もしこれが「金星主義」や「水仙主義」とでも云ったような哲学(?)ならば、誰も初めから真面目に相手にはしなかっただろう。

 だが日本主義は何等の内容もないと考えられると同時に、それと反対にどんな内容でも勝手にそれに押し込むことも出来るわけで、蓑田胸喜氏などは、この間の消息に就いて、実に適切に説明を下している。
「神ながらのみちは、古今東西の教という教、学という学の一切、仏教儒教基督教また希臘哲学より近代西欧科学、更にデモクラシー・マルキシズムファシズム国家社会主義等をも、凡て既に原理的にそのうちに融化解消しているのである」(「国家社会主義に対する精神科学的批判」――『経済往来』三四年三月号)。
この恐るべき原理「日本」に就いて、蓑田氏は決して冗談を云っているのではない。
只単に氏の日本主義が多少頭と好みとのデリカシーを節約しているに過ぎない。

 だから又こんなにも無限に豊富な内容を有つことの出来る日本主義は、実は到底一種類や二種類の哲学原理では片づかないわけで、日本主義と云っても、原理上、無限の種類が出て来る心配があるが、夫が杞憂でないことは、綾川武治氏が慨嘆していることでも知ることが出来よう。
「吾人の念頭を強く打つものは……何が故に、日本を本位とする同主義の上に立ちながら、この余りに多き分裂が繰り返され来たったか、である」(「純正日本主義運動と国家社会主義」――『経済往来』三四年三月号)。
貨幣経済に於ける金本位さえマチマチになるこの世界だから、日本本位の思想が兌換され得ようなどということは、希望する方が無理ではないだろうか。
で遂に松永材教授などは「日本主義の学の内容は将来に於て組織さるべきものであるから、吾等は今ここで述べるだけの資格も材料も持たぬ」(『日本主義哲学概論』)という懐疑論に逢着している。

 だが日本主義は幸にして決してただの日本主義に停滞してはいない。
日本主義は東洋主義又は亜細亜主義にまで発展する。
尤も之はただのアジア主義ではなくて、日本主義の発展としてのアジア主義、云わば日本アジア主義なのである。

 アジア主義亜細亜的現実から出発することを得意とするように見える。
アジア主義者でなかったリットン卿は、遂にアジア的現実を認識することが出来なかった。
之に反して、その政党解消哲学の具体的な現実的綱要を少しも示すことのない松岡洋右全権が、多分アジア主義者であるお蔭で、アジア的現実に就いて少しも認識不足に陥らない。

 五・一五事件まで東亜経済調査局の理事長であった大川周明博士は、東洋と西洋とを決定的な対立物として取り上げる。
両者の対立がなかったならば人類の歴史は成り立たなかったと云うらしい。
「言葉の真個の意味に於ける世界史とは東西両洋の対立、抗争統一の歴史に外ならぬ」(「亜細亜欧羅巴・日本」)。
処が、従来「白人」のヨーロッパによって支配されて来たアジアにとって、ヨーロッパ大戦以来、「復興の瑞兆」が現われ始めた、今後は愈々アジアが支配する世界が来るのだ、というのである。
その証拠にはエジプト・支那・印度・安南などの反ヨーロッパ的叛乱を見るがいい、と博士はいうのである。

 処でこれ等アジア的叛乱様式に限って、なる程「その表面に現わるるところは政治的乃至経済的である」が、併し「其の奥深く流るるところのものは、実は徹底的に精神的である」ということが何より大切だ(六七頁)。
なぜアジア的叛乱様式が精神的かと云えば、原因は極めて簡単で、「目覚めたる亜細亜の魂の要求に発しているから」だそうである。
――で之で判ったことは、例の東洋西洋の対立に於て、西洋の方は政治的経済的活動しかやれないのに反して、東洋は精神的な霊による活動をするという対立である。
西洋は物質主義(唯物論=牛飲馬食主義)だが東洋は精神主義だというわけである。
之が東洋の「現実」である。

「茲に於て満州問題を見ますると、権益問題とか、或いは生命線問題とか簡単に唯物論のみで考えて行くことは大なる過であることを十分承知しておらねばなりませぬ。
……然らば我々は満州問題を如何に見るべきかと申しまするに、西欧辺より輸入せられた支那民族の堕落せる唯物論思想が(張学良の阿片のことだろうか?――引用者注)、遂に日本の民族精神、国民道徳を発火点にまで冒涜したのに基因いたします」と荒木貞夫大将は、そこで念のために弁解している(『全日本国民に告ぐ』)。
なぜなら、満州は日本の生命線だの、南洋の委任統治諸島は日本の「海の生命線」だのという、甚だ「唯物論」的な宣伝が一頃〔軍部〕自身によって行われたからである。
――無論満州は西洋ではなくて東洋だから、満州事変は「皇道精神の宣布」や「国徳の発揚」や「王道楽土の建設」などという、霊による精神的事変であった。

 青年将校の〔変革〕理論の淵源である北一輝氏は古く(大正八年)上海で、すでに、「支那印度七億ノ同胞ハ我ガ扶導擁護ヲ外ニシテ自立ノ途ナシ。
……コノ余儀ナキ明日ヲ憂イ、彼ノ悽惨タル隣邦ヲ悲ム者、如何ゾ直訳社会主義者流ノ巾掴的平和論ニ安ンズルヲ得ベキ」云々(『日本改造法案大綱』)と喝破している。
この物騒な大アジア主義は併し他方に於て極めて義侠的な道徳と、教訓的な使命とを帯びていることによって、正にアジア的・東洋的、即ち精神的なのである。
「……亜細亜連盟ノ義旗ヲ翻シテ真個到来スベキ世界連邦ノ牛耳ヲ把リ、以テ四海同胞皆是仏子ノ天道ヲ宣布シテ東西ニソノ範ヲ垂ルベシ。

 さて、アジアが精神的であり、従ってアジア主義精神主義的であることは、全くアジア主義が日本精神主義の拡大であったからに他ならない。
それが日本アジア主義たる所以である。
だが日本は云う迄もなくアジア全体ではないのだから、ではどういう風にして日本精神主義を日本アジア主義にまで拡大するのであるか。
問題の解決は至極簡単である。
日本自身を東洋にまで、アジアにまで、拡大すればいい。
日本は東洋・アジアの盟主となり、そうすることによって或る種の世界征服に着手する、それがわが大アジア主義という戦略であり哲学なのである。
もはやこれまで来れば併し、精神に基いたこのアジア主義が、その発動に際してどういう物質的なエネルギー形態を採ろうと問題ではなくなる。

 経済学士野副重次氏によるとツラン民族なるものがあって、夫はツングース・蒙古人・トルコタタール・フィン・ウゲリヤ・サモエードのことで、準ツラン民族とは北支那人・ブルガン族を含み、ツラン系人種の祖国はアジア・中央アジアスカンジナビア・等を含む殆んど全ユーラシア大陸に渡っているそうである(『汎ツラニズムと経済ブロック』)。
そして汎ツラニズムというのは、わがツラン人を圧迫している白人に対して、ツラン民族が団結してその祖国を奪回することを指すものである。
氏によると日清・日露・満州事変などは、どれもスラブ民族に対するツラニズムの宣戦に他ならなかったそうである。
――和辻哲郎博士はかつて日清・日露役が日本民族精神の発揚運動であったという説を出したが、野副氏の見識に較べると、之は一段とスケールが小さく着眼点が低かったと云わざるを得ない。

 日本アジア主義が日本精神主義の侵略的拡大として、アジア精神主義だということは判ったとして、では之と日本農本主義との関係はどうなるか。
アジア主義によれば、アジアの現実こそ農本主義的だという結論になるらしい。

「東洋主義」者口田康信氏(『新東洋建設論』)によると、東洋には家族制度を初めとして、甚だ強く父家長的な社会関係が残っている。
例えば親作と小(子)作といったような恩義的関係、即ちF・テニエスの云うようなゲマインシャフト的社会形態が有力だが、そこで適当なものは社会主義ではなくて「共同主義」であって、之は経済的には協同組合又は協力運動(合作運動)として、政治的には自治として、文化的には精神主義として、現われるという(三五頁)。

 社会主義個人主義の成熟を俟って後に発生するものだそうで、処が「東洋は個人主義が未だ成熟せず、多分に非個人主義的風格を止めている」から、到底社会主義に一足飛びに移ることが出来ないが、併し、最も非個人主義的風格を止めている東洋の未熟な農民は「非常に楽に共同主義へ衣更え出来る」というわけである。
橘氏の農民解放や権藤氏の農民自治に并行して、ここでは村落共同体が提唱されるのである。

 なる程東洋・アジアは、所謂アジア的生産様式を多分に今だに持っている――その父家長制や半封建隷農制――ということは明白な事実だろう。
この現実を抜きにしては東洋の経済も政治も文化も、その運動様式を理解出来ない。
だが所謂アジア的生産様式は何もアジアにだけ特有なものでもなければ、東洋・アジア自身の生産様式そのものだというわけでもない。
現在のアジアに於ける生産様式ということがアジア的生産様式の意味でもなければ、まして現在のアジアに於ける生産様式がいつまでもアジア的生産様式に止まっていなければならぬということにもならぬ。

 処が口田氏によると、このアジア的生産様式は東洋に於ける固定的生産様式ででもあるように見える。
だが何故そうある必要があるのか。
それは単にこの東洋主義者・アジア主義者が、橘氏の『農村学』に出て来る「完全全体国民」とか「調和国民社会」とかいうものの外国種に相当するO・シュパン式な「全体」の哲学が好きで、特に農村に於ける「合作運動」というようなゲマインシャフトに無条件に好意を持っているからに過ぎない。
――なぜ併しこうしたヨーロッパのファシズム哲学にも紛らわしいものによってさえ理解されねばならぬ「合作運動」が、そんなに気に入るのかと云うと、ただ一つ合作運動が「資本主義を否定するが同時にマルキシズムをも否定する」処の「王道」に則るものだったからに他ならない(一五五頁)。
――ここに凡てのアジア主義の、凡ての日本主義の、「魂」とそして「魂胆」とが横たわっていたのである。

 最後に一言。
――
 どういう精神主義の体系が出来ようと、どういう農本主義が組織化されようと、それは、ファッショ政治諸団体の殆んど無意味なヴァラエティーと同じく、吾々にとって大局から見てどうでもいいことである。
ただ一切の本当の思想や文化は、最も広範な意味に於て世界的に飜訳され得るものでなくてはならぬ。
というのは、どこの国のどこの民族とも、範疇の上での移行の可能性を有っている思想や文化でなければ、本物ではない。
丁度本物の文学が「世界文学」でなければならぬのと同じに、或る民族や或る国民にしか理解されないように出来ている哲学や理論は、例外なくニセ物である。
ましてその国民その民族自身にとってすら眼鼻の付いていないような思想文化は、思想や文化ではなくて完全なバルバライに他ならない(この点に就いて、二、五、を見よ)。

(更に各種の「国家社会主義」・「一国社会主義」等々を取り上げる必要がある。
そして全体を経済的な地盤から説明しなければ本当でない。
ここでは単に手近かな資料を分類して見た迄である。
)[#「。
)」は底本では「)。
」]

七 日本倫理学と人間学
    ――和辻倫理学の社会的意義を分析する

 東大教授和辻哲郎博士の著『人間の学としての倫理学』という本の名前は、和辻教授の倫理学と倫理思想と、更に又教授の文化理論乃至歴史理論の一端とを、甚だ正確に云い現わしている。
私は今この本の紹介又は批評をしようというのでもなく、又和辻教授の思想内容を一般的に検討しようとするものでもない。
ただこのような新しい立場から「学術的」体系として築き上げられようとしている「倫理学」が、それ自身に於て、又現在の日本の諸事情との連関に於て、どういう意義を持っているかを、その理論自身の内部から、併し簡単に、指摘しておきたいのである。

 と云うのは、この倫理学は従来の倫理学教授や修身徳育専門の先生達が、書いたり考えたりする、学術的な或いはデマゴギッシュな道徳論とは異って、その学術的水準が相当高いものであり、従ってそれだけオリジナルな思索に基くものであると共に、現在の日本に於ける反動勢力が要求している処の相当高水準の反動文化のために恐らく一つの基礎を置くことになるだろうからだ。
多分この種の「倫理学」の讃美者や受売人は方々に、アカデミックな研究室に、又は俗悪な半「学術」雑誌の内に、多いことだろう。
更にこの倫理学の模倣者は、今後多分続々と輩出することだろう。
そういう当りを持つべき本であり又思想で之はあるのだ。
西晋一郎教授に『東洋倫理』があるが、之がそれ自身東洋的な(?)語調や引用を有ち、そのロジックさえが東洋的であるように見えるのに較べれば、和辻教授の方はずっと世界的で又国際的だが、併し二つのものが目指している客観的用途と意義とは、あまり別のものではない。
ただ和辻氏の多少モダーン味のある倫理説の方が、西氏のに較べて、日本的乃至東洋的な倫理思想の優越を世界に向ってひけらかすのに、却って一層有利かも知れないまでである。

 和辻氏の新しい立場に立つ倫理学は、無論一つのモダーンな哲学方法を用いる。
この方法の検討はあと回しにするとして、少くとも最も手近かな特色だけは、まず初めから問題にせざるを得ない。
氏の倫理学では平ったく云って了えば、倫理上の言葉の文義的又は語義的解釈を手懸りとして「学術的」分析が始められるのである。
倫理とは何かと云えば、「倫」という語は何か、「理」という言葉は何か、それら二つが「倫理」と熟する時どうなるかが、学術的分析の手懸りである。
「人間」に就いても「存在」に就いても、この文義的語義的解釈が欠くことの出来ない唯一の通路をなしている。

 だがこの文義的解釈なるものを吾々は軽々しく信用してはいけない、と同時に、又軽々しく無視し度外視することもいけない。
ここには実にこの種の哲学的方法の殆んど凡ての徴候が端的に現われているからである。
多少実証的な又は理論的な頭脳を有った人間ならば誰しも、言葉の説明が言葉の云い表わす事物自身の説明にならないものだ、位いのことを知らぬ筈はない。
事実、そういう意味での文義的解釈は、お経の文句を講釈して社会問題の解説に代えることが出来ると考える職業的説教家又は僧侶などに、気に入る位いのものだろう。
この程度のものは実はまだ文義的解釈ですらないのである。

 文義的解釈の本当の権利は、解釈学(ヘルメノエティーク)の内から発生する。
と云うのは、解釈学によると、一定の文書は之を書き残した個人・民族・時代・等々(階級はあまり問題にされない習慣のようだ)の、観念(イデー)なり精神なり体験なり生活なりを表現しているもので、この客観的な手記された又は刻印・印刷された文字を通してこの表現のプロセスを逆に手ぐることによって、その背後にある個人・民族・時代・等々の観念・精神・体験・生活・等々のもつ歴史的意義が解釈出来ようというのである。
無論この解釈学は、歴史的資料の占有の問題や歴史的記述の問題にからんで、歴史学的方法の科学的一要素をなすものであるが、少くとも最もこの方法が信頼出来る場合は、古文書の読解の場合だろう。
だからこの学問は主としてバイブルの解釈のために、それから近世ではギリシア古典の研究のために、組織的なものへと発達して来たのである。
即ちここでは、問題が古文書のテキストであるから、この問題の解決は当然文義的・文献学的であるべきであり、又あらざるを得ないのだ。

 問題は併し、古文書テキストのこの文義的解釈から出発する所の解釈学が、歴史学的方法に於ける科学的要素の一つであるに止まらず、却ってその支配的な要素となる時にあるのであり、更に又こうやって権限を拡大されたこの解釈学が、今や歴史記述一般の課題をさえ離れて、いつの間にか哲学そのものに於ける解釈学的方法にまで深化され、例えば今の場合のように倫理学学術的手続きの背景をさえなすようになる時である。
この時一体言葉の文義的解釈はどういう権限を有つだろうかが、疑問なのだ。

 独り和辻氏に限らず、何人も、吾々も、言葉がただの人工的或いは自然的又は天賦の言葉でないことを知っている。
言葉には民族の・国民の・(階級も必要なのだ)・地方の・人間社会の歴史が、言葉の内に現われ得る限りに於て、現われている。
だから言葉を見ることはそれだけその言葉を産んだ人間生活を見ることになる。
だが果して夫が充分な手懸りとなるに足るだけの生活の表現であるかどうか、その点が疑問なのである。

 氏によると言葉は併し人間生活に取って最も根本的な特徴をなしている。
言葉はギリシア・印度・支那を通じて人間と動物とを区別する標識になっている。
だから之は最も根本的な人間の特色を示すもののようだ。
して見ると事物の文義的解釈は、その事物が人間社会のものである限り、最も根本的な分析への手懸りとなるということに、何の不思議もないということになりそうである。

 解釈学的方法そのものの根本的な弱点乃至トリックに就いては後に触れるとして、こうした場合の文義的解釈に対する不信用は、恐らく夫が何かの証明力・説明力を持つかのように説かれたり又受け取られたりするからだろう。
無論、日本語や支那語で「倫理」という言葉を造り得ても、その倫理という言葉の分析の結果は、倫理という事物関係そのものが亦そうであることの証明になるものではない。
ましてそうした倫理関係が一等「倫理的」(もはや日本語としてではなくて国際的な訳語としての)なものでなければならぬ、という証拠になどはならぬ。
文義的解釈が物を云う範囲は、倫理なら倫理という関係――和辻氏は之を人と人との行為的連関のことと見る――を解明する一つの引例として、直観的な象徴として、倫理という言葉の分析を行う場合に限る。
これは倫理なる関係そのものの証明でもなければ一定の手続きを踏んだ説明でもない。
なぜならそこには理論上のギャップがおかれてあるからだ。
そしてこの理論上のギャップを、直観的な尤もらしさを以て埋めるものが、所謂「解釈」なるものの理論上の意義だったのである。

 でつまり、解釈というものの権利を科学的理論の全面に就いて承認する限り、即ち解釈学的方法を倫理学に於ても認める限り、倫理や人間や存在というものの文義的解釈から倫理学が始まるということに、苦情をつけることは、一寸出来ないだろう。
――この倫理学は元来、何物をも証明又は説明しようとするものではない、単に吾々日本国民の生活を解釈する、多分ジャスティファイする、ためのものなのだ。
之に同感なものは益々同感するだろうが、之に反対なものは益々反対せざるを得なくなるまでで、倫理学的な即ち科学的な、道徳・風習・社会機構・其他一切の人間社会にぞくするものの批判などは、この倫理学では問題ではない。
――思うにこの種の倫理学は批判する処の倫理学ではなくて、却って専ら批判されるべき倫理学なのだろう。

 だが一つの非常に大切な点が残っている。
言葉による文義的解釈である以上、解釈される事物はいつも国語の制約下に立たされる。
「倫理」も「人間」も「存在」も皆日本語としての夫であって、従って之によって解釈される倫理そのもの・人間そのもの・存在そのもの・は、単に日本に於ける夫等であるだけではなく、正に日本のを基準にした夫等のものでなければならなくなる。
なぜなら倫理や人間や存在は一面国際的に理解出来るものなのだが、この国際的なものと日本的なものとの折り合いになれば、この文義的解釈は云うまでもなく日本的なるものをその中心的位置に持って来ないわけには行かない。
その結果、例えば「倫理」という国語によってしか表わせないものを更に又「倫理」という国語の文義的解釈によって解釈するなら、倫理という日本語ばかりではなく、倫理そのものの日本性を、同義反覆的に結論するのが、そのノルマルなロジックになるだろう。
こうやって国語的文義解釈を手頼りにすることは、いつの間にか「日本倫理」や「東洋倫理」を結果するのである。
云うまでもなく日本倫理とは、倫理は夫が日本的である場合に一等優れたものだ、ということを仮定し同時に又結論する処の倫理説なのだが、この点和辻氏の「学術」的なモダーン倫理学も、例の広島大学の人格者西博士の陶然たる「東洋倫理」と、別な本質のものではない。

 さて和辻氏によると、倫理は人倫の理である。
人倫は人と人との、個人と個人との、行為的連関である。
或いは、初め個人があって夫が集って連関をなしたのではなく、初めから個人の代りに共同体があって、それが却って初めて個人と個人との間に人倫的連関を有つのだと見るべきだ、というのである。
で日本語にこういう倫理という言葉がある通り、それからでも判るように、日本の社会は元来共同体的だというのである。
日本の社会が何故共同体的になっているか、又何故共同体と考える他に途がないか、というような、そういう説明や証明はこの「解釈」の外であった。
必要なのは言葉によって思い当る・思いつく・現象の叙述だけだ。
それから、この日本的共同体社会生活が、世界中の社会の(人類の倫理の)模範であるかのような感じを、アトモスフェアーを、興奮を、つくり出すことだ。
ここでは結局、世界に冠たる無比の国体、に似たようなものが必要なのである。

 で倫理とは人倫の理、即ち「人間」の理である。
処が人間という日本語が和辻氏によると、非常に都合のいい持って来いの言葉であって、之は辞書によると、元来が人間(人)と人間(人)との「間」を、「中」を、関係を、連関を、働き合いを、ふるまいを、示すものであったのが、後世誤って(?)個人を指すようになったというのである。
西洋の社会学者達は、社会と個人とを分ち対立させ、その上でこの二つをどう結合しようかと苦心しているが、吾々の云う「人間」とは一方に於て個人と個人との連関を抑々成立させる処の社会関係を意味するのであって、それが後に個人の意味に転化したのは併し決してただの誤りや間違いではなく、却って社会的連関に於ける本当の個人の意味を之によって伝えるものだ、即ち人間という関係そのものは、一方に於て社会関係を他方に於て個人的存在を、「弁証法的に統一」して同時に云い表わすような高度の哲学的結論に一致した極めて優れた言葉だったのである。
無論西洋にはそういう言葉はない、そういう生活がないからだ。
併しなぜそういう生活がないか、即ち西洋ではなぜ個人主義が支配的なのか。
だがそういうことは抑々「倫理学」の、「人倫」の問題の、外だ、「解釈学」の関わり知る処ではない。

 だから人間というものは「世間」或いは「世の中」という言葉でその一面を非常によく云い表わされている。
但し之も文義的に解釈せられるべきもので、不壊の真理から流転界に堕しつつもなお之を抜け出ようとする境地を指して仏典では「世」と云っている。
こうした俗間に堕することが「世間」「世の中」の意味だ。
で「人々が社会を世間・世の中として把握したときには、同時に社会の空間的・時間的性格、従って風土的・歴史的性格を共に把握していたということが出来る。
」日本語の世間乃至世の中ほど、社会の真理を云い表わしたものはないというわけである。
このように、凡て日本語の云い表わす処は、不思議にも大抵最高の真理なのだ。
この不可思議の手品のカラクリについては、併し、同語反覆にすぎぬものとして、さき程説明したばかりである。

 人間とはこうした人間の世間性[#「人間の世間性」は底本では「世間性」](社会性)と人間の個人性との両側面を統一する言葉いや事物であって、その内に横たわる秩序・道が、所謂人倫の理即ち倫理に他ならぬ。
之が人間存在の根柢である。
――だが存在とは一体何か。
併し存在は物質か精神かというのではない。
存在は和辻氏によると元来人間を意味する言葉なのだ。
それを知るには併し「存在」という言葉自身の意味を見ればよい。
存在という言葉は云うまでもなく「ある」という意味を表わす。
だが、「ある」にも「である」と「がある」との区別があるが、支那では、「有」で以て「がある」に当てている。
無論この際、「である」よりもこの支那的な「がある」の方が「ある」の根本に触れているのであって、之がオントロギー(存在論)が「有論」と云われる所以なのである。
そこで氏によると「有る」は「有つ」から来るのであって、そういう風に有の根柢にはいつも人間関係が潜んでいるということが見出される。
「有る」処のものは人間の「所有」に外ならぬ。

「ある」→「がある」→「有る」→「有つ」が人間の所有に帰着するならば、人間自身があるのはどういうあり方か。
人間が人間自身を有つということが人間の「ある」であって、これが「存在」という言葉だというのである。
処で「存」という字の方は、人間の主体による時間的把握に関係しているが(「存じています」・「存続」・「危急存亡の秋」・等)、「在」の方は人間主体が空間的に一定場所を占めることを意味している(「在宅」・「在郷軍人」・「不在地主」・等)。
即ち「存」とは人間存在が自覚的であることを、「在」とは人間存在が社会的であることを意味するわけで、「存在」ということはそれ自身取りも直さず「人間」の存在そのものでしかない。
人間以外のものの存在は、この存在からの譬喩か派生物ででもあろう。

 でこうして倫理の文義的解釈をしたのであるが、こうした「『人間』の学」が即ち「倫理学」だというのである。
尤も人間の学と云っても、所謂アントロポロギーのことではない。
なぜと云うに、西洋の所謂アントロポロギーは、人間を単に個人として抽象して考えるから、例えばM・ハイデッガーの場合のように、仮に人の自覚的存在を論じるにしても、人の社会的人間的連関を見落して了うから、到底「人間」の学ではあり得ない。
まして個人の身心関係を論じるような自然科学的「人類学」や形而上学的な「哲学的人間学」(実は「哲学的人類学」なのだが)は、「人間」の学ではあり得ない。
人間は個人であると共に個人的存在を超越した共同体的人間存在なのだ。
だから個人にとっては、ここから所謂道徳上のゾルレンも発生するのだ、という風に考えられる。
――こうした倫理学のプランは色々と工夫され得るだろう。
だが重点は、こうした本当の倫理、従って本当の倫理学はどうも日本或は精々古代支那に於てしか見出されず、又成立し得ないということになるらしい点だ。
蓋し日本倫理は模範的倫理である。
この倫理学の本は専らこれを示すために書かれているのである。
決して単に日本に於ける倫理の解明でもなければ、吾々現代の日本人のためにその倫理と道徳とを批判するために書かれたのでもない。

 処がこの模範的な日本倫理は、決して珍奇なものでもなければ変なものでもない。
実は之こそ却って西洋倫理(?)の殆んど一切の優れた倫理論者の根本思想だったのだ。
ただそれが彼等に於ては夫々の不充分さを脱しなかったために、判然とした「人間の学」としての日本倫理にまで上昇出来なかった迄で、西洋倫理と対比し或いは之と接続させることによって、日本人間学は模範的な人間の学に、即ち模範的人類の学に、即ち世界人類に倫理的模範を示してやる学に、なるのである。
つまり日本人は模範的な人類だということが結論になるわけなのだ。
――アリストテレスの「ポリティケー」、カントの「アントロポロギー」、コーエンの「純粋意志の倫理学」、ヘーゲルのジットリッヒカイトの概念、フォイエルバハの「アントロポロギー」、マルクスの「人間存在」が、夫々日本倫理学の、不充分な先駆者として挙げられる。
――マルクスを換骨奪胎することによって、マルクス主義的なものから日本的なものへ直線的に走るのは、今日では、何も日本倫理学に限らず、又和辻哲郎教授の思想態度には限らない社会現象だ。

 重ねて云うが、和辻氏の倫理学は、氏のその他の一切の業績もそうである通り(風土史観・日本精神史・原始仏教・国史等々の研究)、その対象の民族的特殊性を強調し、又特に日本的乃至東洋的特殊性を強調解説することにあるのだが、それにも拘らずその研究方法或いは考察態度は、いつも欧洲哲学の支配的潮流に基いている。
『原始仏教の実践哲学』に於ては、当時の日本の大多数の仏教学者が、ヨーロッパ的方法としては高々カントの批判主義などの段階に止まっているのに対して、「現象学」的見地を導き入れたから、仏教の独自な哲学的現代文化的解説を与えることに可なり成功したように見受けられる。
之は当時の平凡な職業的僧侶教授たちの到底企て及ばなかった処であったらしい(但し宇井伯寿教授は例外だったが)。
この倫理学も亦、その対象が前から云っている通り日本の倫理であり、或いは寧ろ日本主義倫理であるのだが、併しその方法は日本では一見モダーンに見えるヨーロッパ的「解釈学」に基いていた。
これが他の教育家風や儒学者風の倫理学に較べて、著しく現代的文化性を有つ所以だ。
と同時にここに吾々が警戒しなければならぬワナがあるのである。

 一体和辻氏の一般的な哲学上の方法は、一見極めて天才的に警抜に見えるが、他方また甚だ思いつきが多くて御都合主義に充ちたものであることを容易に気づくだろう。
だから氏独自の哲学的分析法と見えるものも、多分に雑多な挾雑物から醸造されているので、それは必ずしもまだ本当に独自なユニックな純粋性を持っていない。
現にその倫理学も、多分に西田哲学の援用と利用とがあり、而もそれが必ずしも西田哲学そのものの本質を深め又は具体化す底のものには見えないので、西田哲学からの便宜的な借りものをしか人々はここに見ないだろう。
別に氏自身明らかに云っているのではないが、氏のこの倫理学に於ける方法に就いては、直接には後輩三木清氏等の「人間学」に教唆される処も少くないようだ。
この点が併しもっとオリジナルにはM・ハイデッガーに負うものであることは云うまでもない。

 氏は明らかにハイデッガーの解釈学的現象学に負う処が最も多いことを告げている。
特に「人間」とか「世の中」とか「存在」とかいう言葉の分析と問題の捉え方とは、全くハイデッガーのものの考え直しであり、アナロジカルな拡張に他ならぬことが一見明らかだ。
ハイデッガーがドイツ語やギリシア語や又ラテン語に就いてやったことを、和辻氏は日本語や漢文やパーリ語に就いて拡張して行ったに過ぎないとも云える。
――だが、その結果はもはや必ずしもハイデッガーの所謂解釈学的現象学の根本テーゼに忠実であることは出来ない。
出来ない筈で、もしそれが出来るようだったら、つまりこの倫理学は何かカトリック主義的な、或いはゲルマン的な、或いはヒトラー主義的な、倫理学になるだろうが、決してこの非常時的日本の日本倫理学にはなれまい。
日本倫理学を提供するという社会的需要から云っても、ハイデッガー的根本テーゼのいくつかは、日本型にまで批判改造されなければならぬ義理がある。

 ハイデッガー的解釈学的現象学の根本的な特色の一つは、氏によると、彼が問題を存在(Sein)から始めたということにあるらしい。
というのは、ハイデッガーではこの存在をつかむ通路として初めて人間的存在が、自覚的存在が、Dasein が、問題となる。
だから云わば彼がここでいう「人間学」「人間の存在学」は、存在論(オントロギー)の単なる方法乃至手段の意味をもつだけであって、実はこの哲学の主題となっているのではない。
これが和辻倫理学と異る第一の点だ。

 だが併し問題が違うだけなら、苦情を持ち込むことは出来ない義理だが、大事なことは、その結果として、そこでは存在が本来人間的なものである点を充分に想定しつくしていないという根本欠陥である。
和辻氏によると「存在」という日本語は実は、人間の行為的連関そのものを意味する筈のものであって、而もこれこそが「存在」の世界に冠たる優れた概念でなければならないのだが、もしそうだとすると、仮に存在の問題から、それへの通路としての人間の問題にまで行くにしても、その存在という概念と共に、その人間という概念も亦、ハイデッガーのもののようであってはならぬ。
存在を充分に人間と関係づけることに思い及ばなかったハイデッガーは、実は人間という社会的歴史的(風土的!)な人間共同体ではなくて、その代りに単なる「人」が、個人が、彼の存在への通路として取り上げられる。
だから彼の「人」の存在に於て見出される時間性も、実は人間の歴史性ではなく、又彼の「人」にも本当は何等の社会性(風土性!)はあり得ない。
彼が「世の中にある」(In-der-Welt-Sein, Mit-Sein 等々)というものも「人々」と云うものも、つまりは個人的な人の存在に関わっているので、本当の人間存在の規定にはなっていない。
之が第一の欠陥だというのである。

 人間(実は「人」)の存在をこうした個人的存在(?)と考えることは、ハイデッガーの解釈学的現象学が意識(自覚)をその学的分析の地盤とすることに照応している。
事実、意識・自覚を通路とすればこそ、ハイデッガーの哲学法は一種の(解釈学的な)現象学の名に値するわけで、ヴォルフ学派(ランベルト)以来、カントに於てもヘーゲルに於ても、フッセルルに於ても、現象学フェノメノロギー)とはいつも個人的意識の面に関わるもののことである。
だがハイデッガー現象学はただの「純粋」な現象学ではない。
解釈学を導入した、或いは解釈学的にモディファイされた現象学なのである。
W・ディルタイは歴史の解釈記述の方法として表現の解釈という途を選んだのだが、この表現はディルタイに於ては生の、体験の、その意味では一種の意識の、表現を意味した。
ここではディルタイは、著しく心理学的なものからの制約を脱していない。
この生哲学風のディルタイ的解釈が、学的厳密を誇るフッセルルの現象学と結びついて、云わばハイデッガーの解釈学的現象学となったのだから、この方法の現象学的・意識論的・或る意味では心理学的でさえある特色は、決定的なものだ。

 処で和辻氏の批評によると、解釈学と現象学とが、このような形で結びつくということが一体やや無理なのである。
解釈というのは、表現を通してその背後にある個人なり民族なり時代なりの人間生活を追溯し再経験することでなければならないのだが、こうした表現の背後にあるものと、現象学に於ける現象というものとが、到底一致出来ない要求を有っている。
なぜなら現象学でいう現象とは、本体や本質が現象した処の現象ではなく(現象学は現象の背後にそういうものを想定することを科学的に拒む)、事物をその現象だけに就いて分析するための場面のことであり、そこでは事物そのものがそのありのままの姿を顕わす(現象する)のである。
だから正確にいうと、現象に就いては表現という言葉はトンチンカンになるわけだ、というのである。
――で氏によると、人間の学としての倫理学の哲学方法は、ハイデッガー式解釈学の現象学的な現象主義を清算して[#「清算して」は底本では「精算して」]、純然たる解釈学にまで行かなくてはいけない、というのだ。

 そこで吾々に云わせると、この点必ずしも不賛成ではない。
一体フェノメノロギー(現象学)の現象という言葉は、直接にはF・ブレンターノの「実験的立場による心理学」から来るのであるが、ブレンターノの哲学的立場は一種の実証主義に他ならない。
彼はA・コントの「現象」という言葉を心理学に採用したのだ。
だから、現象学そのものが現象主義で経験主義で、現象の表面を匍匐する現実主義の云わばカトリック的形態に過ぎない。
之によって、倫理であろうと人間であろうと存在であろうと、凡そ事物の真相や意義(意味)などが掴めないのは、常識的に云っても明らかなことだ。
こういう現象面を匍匐することによって、事物を解釈しようということは、元来無理な企てだったとも云えるだろう。

 ハイデッガーの方法に就いての問題は右につきないが、今はその処ではない。
だが一体和辻氏の解釈学が、果して現象学乃至解釈学的現象学に較べて、どこかに根本的な優越性があるだろうか。
解釈学的方法そのものが、一種の、より複雑ではあるが併しより内訌した、現象主義であり反本質主義なのである。

 人倫とか人間とか存在とかいう言葉は、すでに云ったように一つの表現だ。
而も人間を動物界から区別する根本的な表現であり、又之によって事物の分析が始められる意味ではロゴス的な通路としての根本表現だ、とこの倫理学は見ている。
だが一体表現というものの理論上の価値が抑々吾々にとって疑問なのである。
表現は生活の表現だが、生活がどういう風な現実的な物質的プロセスを通ってこの表現物にまで生産され結果したかという、そうした歴史的社会の物質的根柢に触れた因果の説明はこの場合少しも問題にされない。
表現は単に一定の生活背景に対応する(対応は物理的な因果や交互作用ではなくて云わば数学的なつき合わせ―― Zuordnung ――にしかすぎぬ)処の意味を持てばよい。
この意味を解釈することが、表現という概念を哲学のシステムに持ち込むことの目的だったのである。
事物のレアールな物的関係ではなくて、事物の「意味」だけの観念的なつき合わせが、「表現」に於て許される唯一の問題なのだ。

 なる程現象学的な現象主義では、事物のもつ意義さえが、意味さえが、解釈出来なかった。
併し氏に於て見られる解釈学に於ても、事物の物質的な現実のレアールな意味は、決して解釈されない。
解釈されるものは云わば数学的とも云うべき審美的な詩的な象徴的だとさえ云っていい表現の意味だけだ。
表現とは大まかに極言すれば、要するに事物関係そのものに代行する非現実的なシムボルなのだ。
でそういう点から云って解釈学も亦、一つの立派な現象主義或いは現象学でさえあるので、ただ所謂現象学の方が「事物そのものに肉迫する」ことをモットーとするのに反して、解釈学の方は却って、事物そのものの代りに事物の非現実的なシムボルを求めるのだから、それだけ所謂現象学よりもより以上に現象学的で現象主義的だとさえ云えるに他ならぬ。

 なる程解釈学的倫理学は、歴史的社会の物質的生産関係を決して無視しないとはいう。
無論夫を無視しては人間の解釈という招牌に佯りがあることになるだろう。
だがその際生産関係はどういう意味の下にこの倫理学の取り上げる処になるかというと、あくまで人間存在の表現としてであるに過ぎない。
人間存在が物質的生産関係を通じて因果し又交互作用した結果が倫理であるというのではなくて、そうした物的基礎の構造連関の代りに、観念的な意味の構造連関が取り出され、そういう一種の社会的象徴として、歴史社会の物質的基底がとり上げられるに過ぎない。
貨幣に於て社会の人間関係が表わされているというのは、その表現する現実的な物的過程そのものがこの貨幣という一種独特な商品を産み出したという因果関係を指すのだが、解釈学的表現として之を分析するならば、多分、階級対立が次第に必然的に尖鋭化して行く資本主義社会を得る代りに、恰も和辻倫理学が発見した「人間存在」というものでも得るだろう。
ここに解釈学的方法の現実上のナンセンスが横たわる。

 資本主義的階級社会の代りに、極めて一般的な又抽象的な「人間存在」を齎すように出来ている処のこの解釈学的方法は、歴史社会の現象の表面を審美的にかすめて行く方法のことだが、その結果は必ず或る意味に於ける「倫理主義」に行かざるを得ない。
と云うのは、一切の歴史的社会的現象が、その基礎構造や上部構造などの区別を予め払拭した一様に扁平な諸事象として、一つの概念に包摂され投げ込まれることになるが、その時「人間」という概念が最高の類概念となるのである。
そしてこの人間とはそれ自身既に一般化され抽象化されたものの筈だから、全く人間的なもので、即ち人倫学的なものであるのだから、一切の歴史的社会的現象は倫理現象に還元される他ないのである。
――和辻倫理学がこうした倫理至上主義を取るのは、決して問題が倫理であるからではない。
寧ろ、歴史的社会の現実的物質的機構の分析から出発することを意識的に避けようとする解釈学の唯一の必然的な結果なのであって、そういうものが「人間の学」の、即ち広義に於て今日の日本の自由主義者や転向理論家が愛用する「人間学」の、根本特色なのだ。
倫理主義は必ずしも倫理学だけのものではない。
一切の経済学も政治学も社会学も行こうとすればいつでも行くことの出来る、而も「科学的」に行くことの出来る、境地なのである。

 でこうした一切の人間学主義――それは必ず何かの形の倫理主義に到着する――が、今日日本に於て最も確実らしい実を結んだ解釈学だということを示すものが、和辻氏のこの倫理学だろう。
解釈学がどのような意味に於て形而上学であり、又その意味に於ける形而上学がどのように積極的に観念論であるか、という点に就いて一一に述べた。
――問題は今、こうした人間学、倫理主義的解釈学が、いかに日本主義的なものであるかという点だ。
ドイツに於てはヒトラー主義へ、日本に於ては日本主義倫理学へ、之が解釈学に潜んでいる自由主義(?)というものなのである。
つまり和辻式倫理学は、自由主義哲学が如何にして必然的に日本主義哲学になるかということの証明の努力に他ならぬ。

(倫理の問題に関して和辻氏にはなお他に『国民道徳』の労作がある。
其他、原始仏教・国史・日本精神史・の研究、いくつかの風土論や「日本精神」という短文、を参照しなければならぬ。
――なお之を西教授の『東洋倫理』ともっと詳しく比較出来たら面白いと思う。

八 復古現象の分析
    ――家族主義のアナロジーに就いて

 便宜上、話を廃娼運動から初めよう。
内務省は一九三五年の四月を期して全国的に公娼廃止を断行することに決定したと伝えられる(実は四月には断行されなかったが)。
すでにこれまでに、秋田・長崎・群馬・埼玉・の各県では、公娼廃止即ち遊郭廃止が実行されている。
前年警視庁では公娼制度に固有な禁足制度を撤廃し、同時に自由廃業の実質的な自由を多少とも尊重する方針を取ったが、之は内務省の今の方針の先触れをなすもので、天下の大勢がどうやら廃娼の必然性に帰着したように見えることは、否定出来ない事実だ。
全国の公娼五万三千人の身柄の(形式的に止まらざるを得ないにしても)自由のために、そして全国五百三十の遊郭の不幸のために、それから又三百年の国粋的伝統(?)の愛惜のために、之は記憶されるべき大勢なのである。

 この大勢と当局の方針とを早くも察した楼主達は、貸座敷業から料理屋にまで転業することを欲している。
尤も当業者の商売が不振でなければ決してこういう当局の方針も発生しないのだが。
例えば洲崎の百三十の楼主達は警視庁にその嘆願運動をしたと云われている。
云うまでもなく楼主自身から見ての営業不振が唯一の動機であって大勢を察した察しないという問題ではないのだが、併し天下の大勢なるものは、いつもそうした物質的根拠以外に依っては成り立たない。

 そこで廃娼運動の中心勢力であった「廃娼連盟」は三四年末を以て解散し、それに代わって直ちに「純潔郭清会」が組織されて、新しい運動に這入ったのであるが、処がここに一つの問題が発生したのである。

 元来廃娼運動は、云うまでもなくその本来の立場から云えば、社会に於ける公私一切の売笑制度の撤廃乃至撲滅を窮極目的とするものであるが、そういうことは社会組織そのものの問題に帰することであって、単なる売笑廃止問題としては片づかない。
で、今日まで廃娼運動が目標として来た直接の目的は、婦女子児童売買乃至一般に人身売買と、それに当然伴わなければならぬ人身抑留とを、国家が法的に保護の責に任じるという、所謂文明国では非常に珍らしい公娼制度につきている。
之は日本に於ける軽工業婦人労働者の場合と好一対な日本の「特殊事情」に基く労働条件乃至収取条件をなすもので、日本がかねがね国際連盟に於てその日本的現実を強調することを忘れなかった日本固有なものの一つであった。
ただ軽工業婦人労働者の場合には、日本産業の技術的発達とか、日本労働者の優秀な技能とか、それから之は後に大事であるが、日本労働者の家族的家庭的美点とか、として説明されたものが、公娼の場合に就いては却って国辱として指弾されざるを得ないのだ。
廃娼運動はこの国辱的公娼の廃止に於てだけ成功を収めようとしているのである。
だからそこには、必ずしも国辱的ではないが併し無産者の恥辱であることには一向変りのない処の、私娼の問題がまだ残されている。

 問題は、この私娼問題をキッカケとして、起きる。
というのは、六十七議会の終る頃になって、衆議院では娼妓取締法案なるものが提出されたのである。
之は実は廃娼反対・公娼制度強化を内容とするもので、衆議院の過半数である二百七十名の選良の連署を以て提出されたというから注目に値いする。
廃娼法案が夫まで幾回となく提出されて未だかつて真面目に討論されたことさえない日本の衆議院だから、この存娼委員会では、存娼派の方が云うまでもなく圧倒的に多数であらざるを得ない。
廃娼派が、廃娼は天下の世論だと云えば、多数派の存娼派は、衆議院の過半数の提案の方が天下の世論ではないかと嘯くのである。
衆議院が天下の世論を如何に立派に代表しているかがこの例で実に見事に判るのだが、それはそれとして、この娼妓愛好家達の主な表面の論拠は、廃娼の結果として私娼が跋扈して風紀衛生上甚だ弊害がある、という点にある。

 私は今私娼論にまで立ち入ることは出来ないが、併し注目すべきことは、これよりしばらく前、二千名の全国貸座敷業者が、やはり同じ趣旨に帰着する処の存娼大会を持ったという事実である。
処がその発表された宣言が今何より大切なのである。

 曰く「西洋文明に心酔せる為政者識者が、徒らに国法無視の私娼を奨励して、国法に準じ家族制度を尊重して永き歴史を有する貸座敷業者を圧迫することは、将来救い難き禍根を淳風美俗のわが国家社会に残すものとして絶対反対す」というのである。
之は決して楼主達の与太気焔ではない。
全く彼等の生活の叫びなのだ。
そればかりではない。
例の娼妓愛好家の議員達の云いたくて流石に云い切れなかった一点を、極めて率直に勇敢に云って退けたものに他ならないのだ。
私は議員達の大半が楼主達に買収されたとは到底考え得ない。
それから実を云うとまさかそんなに愛娼家揃いだとも思わない。
するとつまり彼等天下の選良達は、公娼制度がわが日本の「家族制度」と「淳風美俗」とかから離れることの出来ないものであり、いやしくも之を疑う者は之即ち「西洋文明」の唯物思想(?)に他ならぬ、と私かに信じているものと見做す他はあるまい。
なぜなら私娼が公娼に較べて風紀衛生上弊害があるというような主張は全く架空の想像に過ぎないことで、内務省あたりから事務官でも欧米に派遣した上でなければ決らぬことだからだ。

 つまり公娼制度の必要は、わが国三百年来の、否三千年来の、淳風美俗たる家族制度から結論される一結論だというわけである。
処がこの滑稽な哲学は、案外一部識者の手近かな常識と縁遠いものではないのではないかと私は思う。
無論こうした馬鹿げた常識(?)は、そのものとしては取るに足りないが、併しこうした馬鹿げた気分の動きが、案外思わぬ処で、民族精神の或る一つの秘密を告げているということが大切である。

 公娼制度の問題は大にしてはその本質に於て無産者農民の桎梏の問題だが、之とつらなる家族制度の方は、抑々日本民族生活の本質なのだと今日主張されている。
だから例の貸座敷業者の亭主達は、決して馬鹿に出来ない民族主義的社会理論の一端を本能的につかんでいるわけなのである。
その成否はとに角として、存娼運動は、現在日本に於ける、復古観念の単に最も色情的な一表現に他ならないのだ。

 処で現在、日本の家族制度ほど現実社会の或る種の解釈表現に便宜を提供しているものはない。
すでに公娼制度の支持一つにも夫は決して無効ではなかった。
また単に低労賃や労働力拘置のための有力な観念的支持であるだけでもない。
広く失業問題そのものに就いてさえ、家族制度は問題の困難を緩和するために存在するように見えるのである。
と云うのは、日本に於ける実際上の失業者の幾十パーセントかは、家庭という既就職の単位の内に吸収されることによって、失業者の官僚的な数値を観念的に激減させる役割を果しているからである。
そう考えて来ると、全く、家族制度こそ日本の社会の本質だという見解の真理が初めてよく判る。
ではその肝心な日本家族制度は最近どうなりつつあるか。

 東京市統計課の調査によれば、市内八十個の小学校六年生児童の家族二万の統計の結果明らかになった処によると、その家庭の九割までが両親とその子供だけからなっている純然たる単一家族であって、祖父母や伯父母が同居しているものは全体の約一割に過ぎないというのである。
之は一方に於て結婚・独立・其他によって家族成員の別居が盛んであることを示すもので、即ちそれだけ日本古来の家族制度が崩壊し、事実上「個人主義」化して行きつつあることを物語る。
と共に他方に於ては、東京の家庭の多くのものが地方の家族成員の出稼ぎの移民のものであることをも示している。
現に警視庁の一九三五年度の戸口調査によると、東京市の人口は前年に比して約十八万五千人を増しているが、その三分の二は地方からの上京者なのである。
従ってここから判るように、この統計に現われた東京に於ける家族制度の崩壊・所謂個人主義化は、同時に又農村乃至地方に於ける家族制度の崩壊・所謂個人主義化をも意味しているわけである。
東京に単一家族の戸数が出来ただけそれだけ、農村乃至地方に於ては残留者による単一家族戸数が発生するわけである。
こうやって全国を通じて(この際決して都市と農村との原則的な区別などを要しない)、その緩急は別としても、とに角日本的家族制度の崩壊が天下の大勢だということは、実は今更統計を俟つまでもない事実である。

 だがこの家族制度を、現実の社会の或る種の解釈表現に際して利用しようとする現在の家族主義者達(之は今日の日本主義者達の大部分に各種の形で一貫して現われている)は、この制度の崩壊を頭っから認めないか、又は認めるとすれば、悪むべき個人主義としてしか認めないのであって、いずれにしても彼等は家族制度に、日本の、又は彼等自身の、最後の期待と希望とをつなぐことに変りはない。
失業問題・貧困問題はこの家族制度という理想によって、観念的にその困難を緩和されるのである。
――処が現実的には、家族制度の崩壊というこの事実によって、家族の成員は失業者又は失業可能性の所有者に加わるべく、家族(家庭)と家族制度との外へ押し出されるのである。

 現に婦人の就職(従って又婦人の失業)が之であって、婦人達は家族制度に安住する家庭生活の崩壊という犠牲を払うことによって、初めてその独立を得ることになっている。
ここで独立というのは、経済的な独立(就職)か、身分に於ては独立だが経済的には非独立(失業)か、の謂いなのだが。
東京で出勤・通学其他のために毎日外出する百五十万人弱の中、五十二万人近くが婦人なのである。
――で少くとも娼妓の独立が家族制度を破壊するだろうと心配された以上に合理的に、一般婦人の独立が日本の家族制度の崩壊に照応していることが、ここから証明出来るわけである。
現代女性は日本古来の彼女達の家族制度から脱却し始めた。
之は家族主義者達(それには各種のものがあったが)が決して安心出来ない不吉な徴しである。

 処で例えば、女子教育家として有名な東京府立第一高女の校長市川源三氏は、その公民科教科書『現代女性読本』に於て、新しい良妻賢母主義、即ち妻の身分上の独立に基く良妻賢母主義を提唱した。
処が、それが果せる哉、多分にもれず家族主義的現代常識の所有者の集りである府会で問題になったという事件がある。
府ではこの本を学校で使うことを禁じたり、削除か発禁にしようとしたのである。
府会議員の常識によると、個人主義が中心になっている市川氏の思想には、教育上不穏な個処が少なくないというのだそうだ。

 さて併し、こうした反個人主義としての家族制度を持ち出す人達の観念や行動原理は、決してただの趣味の愚劣さや教養の低級さだけに帰せられるのではない。
即ちあり振れた単なる保守的反動の意識とだけ云っては済まされない。
之は現在に於ける積極的な復古現象に帰せられるものであり、又復古現象の典型でさえあるのだ、という点が一般的な関係から云って大切だったのである。
一体個人主義と家族制度(家族主義)とを対立させること自身が、現在の日本の社会常識に於ける一つの注目すべきナンセンスであるが、云うまでもなく之によって彼等は、資本主義と資本主義に先行した封建制度との対立を示す心算なのである。
だが現に今日の日本の資本主義は決してもはや純然たる個人主義などではなくて、却ってその反対物である色々の意味に於ける統制主義にまで著しく移行しつつある。
個人主義は単に、独占資本主義以前の前期資本主義の意識に過ぎなかったことは勿論だ。
従って特にこの前期資本主義的な個人主義をもって来て之と家族制度とを対立させること自身がすでに、前期資本主義をば更に溯って、日本の長期の封建制時代にまで積極的に復古しようという意図を示すものだったのである。
今日の発達した独占資本制の資本制としての本質を曖昧にし、逆に反資本主義であるかのような幻想を之に与えることが、こうすることによって初めて、容易になるのは今更云うまでもない。

 尤も単に復古現象と云っても、いつも夫が反動現象だとは限らない。
ことに歴史の時間の流れに於て、本当に古えに復るような復古などはあり得よう筈がない。
だから、所謂復古現象は必ず何かの観念的なイズムかイデオロギーとしてしかあり得ないので、そうした表面的な意識や口実が何であろうと、之によって実際的に合理的見透しのついた社会の前進が齎されるならば、夫はその限り結局進歩的な本質を持つと一応云ってもいいだろう。
明治維新の所謂「王政復古」も或る限度まではそう見ていいし、ヨーロッパの古典復興も亦そうだった。
処が今日のわが家族制度主義(そうした漫然たる意識)は、現に日々に崩壊しつつある所謂家族制度を眼の前にし、而も合理的な社会科学的認識のオーソリティーを向うへ回して、資本主義を一種の統制主義の名の下に維持し続けようというための口実なのであり、それが漫然とした内容であるだけに、愈々卑俗な形で受け容れられ易いように出来ている口実なのである。

 だが、こう云っただけでは、家族主義が反動的復古現象であることは理解出来ても、それがこの反動的復古現象の典型的なものだということは、まだ判らない。
徳川時代的な郭制度の維持や同じく徳川時代に発達し切った女大学的良妻賢母主義が、なぜ現代の復古主義の代表者であり得るのか、というだろう。
併し家族制度は云うまでもなく単に家族乃至家庭の問題ではなくて、社会又は国家そのものに関する問題なのである。
又は、家族制度は社会制度や国家組織そのものではないが、家族制度に止まり又家族制度へ帰えるという家族主義は、取りも直さず社会又は国家そのものの組織に就いて物を云おうとする主義なのである。

 今仮に例の市川校長の新良妻賢母主義その他に現われた個人主義を、国家の問題に就いて求めれば、取りも直さず例の自由主義的〔国家〕論となるのだ、ということの意味に、今注意を払わなければならない。
そこでこそ、国家乃至社会が、民族又は国民の名の下に、一つの家族に譬喩されることによって、この自由主義的〔国家〕論・〔国家〕説が排撃され得ることになるわけである。
或いはもう少し厳密に云うと、社会が国家として、そして国家が民族として、そして更に民族が部族や氏族として、そして遂に之等凡てのものが家族として、譬喩されることによって、この〔国家〕論は排撃され得ることになるのである。
この排撃運動の意識に於ては、社会乃至国家の現実が家族の譬喩となり、更にこの家族の譬喩自身が再び国家の一現実となっている点を見ねばならぬ。
家族主義が復古現象の典型である所以は、ここに最も著しく現われているだろう。

 併し、現代日本の社会意識を見えかくれに一貫しているこの家族主義に於て、復古現象の典型となっている処のものは、実はもはや単なる復古主義と云っては充分ではなくなる。
それは正に原始化主義となっているのである。
尤もブルジョアジーの文明意識に照応する社会契約説さえが、その最も有名なそして他ならぬ日本の〔国家〕観念に対して最も決定的な影響を与えたルソーに於ては、一種の原始主義と結合していないではないが、復古主義の典型としての原始化主義は、この自然法や自然主義の原始主義とは異って、もっと一定の歴史的な観念内容を、その欠くことの出来ない条件としている。
それであればこそ之はまず第一に復古主義だったのである。
処が今は、この復古主義が、その歴史的な性質にも拘らず、原始化主義にまで極端化されるのだ。
なぜ極端かというと、その極点を一歩踏み越えると、もうそこには人間文化の歴史の代りに、自然人の未開や野蛮が横たわっているからである。

 現代家族主義が原始化主義である特色は、まず第一に論理的な場面に就いて現われる。
家族制度を個人主義に対立させる日本のイデオローグ達は、今日往々にして、ゲマインシャフトゲゼルシャフトという舶来の区別を持ち出すのであるが、それによると西洋の社会は個人主義的なゲゼルシャフトであるに反して、日本の社会に限って、家族制的民族主義によるゲマインシャフトだというのである。
すると、そういう家族制の社会心理は、正に親心や親子の情と云った肉身的なセンチメントが無条件に支配する処となるのは必然だ。
センチメンタルな思想やセンセーショナルな行動がそこで眼立って行なわれるのも、ここから見て決して無理ではあるまい。
処でこうした社会心理を動かす論理は、結局神秘主義以外のものではあり得ない。
神秘主義は一方に於て非合理主義、反理性主義であると共に、他方に於て奪魂(エクスタシス)的で即肉的な体験だろう(「肚」の哲学などを見よ)。
之こそ論理機能の原始化であり、論理的分析力の云わば家族主義化でなくてはならぬ。

 家族にあっては例えば二心二体である二人の成員は、一心同体であったり一心二体であったりする、その気持は分析説明の限りではないのであって、全く直覚的に、直接に、そうでなくてはならぬ。
違った二つのものが直接に直観的に一つと考えられるのは、全く象徴や譬喩の論理なのだが、恰も家族主義の論理は社会を家族によって譬喩するものに他ならなかった。
この譬喩は〔天皇制〕的「象徴」と共に、論議すべからざる、ことあげせぬ、論理の最も実際的な適用であった。
家族主義は譬喩からの政治的所産であるが、この譬喩が又家族主義的原始化からの論理的所産なのである。

 さて第二に、神秘主義は一般に、心理的には宗教的情緒を必ず伴うものだ。
処でこの家族主義的原始化に照応する神秘主義は、その内でも特に、原始的な宗教的情緒を結果する。
原始的な宗教情緒というのは、氏族的宗教の情緒に相当するということであって、即ち家族的な限りの民族宗教の情緒のことを云うのである。
問題はここから、現代日本の家族主義に於ける原始化主義が、単に論理的でなくて社会的な場合にまで現われている点に来る。
事実、家族主義的・氏族主義的・民族主義的な敬神思想は、日本の社会に於ける政治的対象に他ならない。
家族主義的神秘主義から来る宗教情緒は、もはや単なる個人の私事に帰着する情緒ではなくて、社会の家族主義的宗教制度に帰着しなくてはならないのである。

 この宗教的情緒と宗教制度とになって現われる家族主義的宗教は、原始化主義的宗教であり、即ち一種の原始宗教であったが、そのことから当然、之は一種のトーテミズムともなって現われる。
トーテミズムが一定の祖先崇拝と禁厭神聖物の存在とを仮定することは、多数の社会学者達の実証的な研究が示している通りである。
更に又之は一種のアニミズムともなって現われる。
天地の生成化育は草木の生命霊魂と共に、農業中心主義と結びついた場合のアニミズムの信仰対照だと見ることが出来よう。
――こうやって、家族主義は、家庭から始めて国家に及び遂に天地の広きに施して悖らぬものとなるのである。

 偉人の神社化も、こうした家族主義的原始化宗教の一つの副現象と見る時、初めて其意味の具体性が判って来る。
この種の一連の現象に較べるならば、建国祭に鉄兜の子供の行列があったり、鎌倉仏教の復興が叫ばれたり、女学校の英語が廃止になりそうだったり、紋付袴が流行ったりすることは、抑々極めて末端の社会現象に過ぎないということが判るだろう。

 民族主義精神主義・〔神〕道主義・其他と呼ばれる代表的な諸日本主義の本質は、この家族主義という復古主義の代表者の内にあるのだが、この復古現象の特色であった原始化は併し、実はその原始化の理想にも拘らず、日本の最も発達した近代的資本主義が自分自身のために産み出した処の、一つの近代化に他ならぬ、ということを忘れてはならぬ。
いつの場合でもそうだが、現代化の意図が、歴史的反省・回顧・「認識」の名の下に、窮極に於ては却って実は非歴史的・反歴史的な原始化の形をとって現われざるを得ないということが、反動的な復古現象の特徴をなしている。
近代性が即ち原始化だという復古主義のこの矛盾は、一見歴史的であることを誇称することによって却って歴史を無視するという矛盾になって現われる。
伝統主義はやがて伝統自身の破壊となって現われざるを得ない。
国民の文化の伝統は、現に国粋化されることによって一つ一つ破壊されて行かざるを得なくなる。
之が復古主義的反動にとって必然的な矛盾なのである。

 復古主義的反動のもつ矛盾の発生原因は併しこうだ。
丁度資本主義という一つの歴史的段階が、資本主義自身を超歴史的な範疇と考えさせ、之を却って無限の過去にまで遡及させるように、それの現段階的に特殊な一場合として、復古主義が或る政治的必要に逼られる歴史的段階に立ってから初めて創案した「古来」という逆歴史的な範疇を、或る任意の(人によってはマチマチだ)有限な過去にまで遡及させる、ということに含まれている喰い違いから、この矛盾は発生するのである。
例えば復古主義の典拠である記紀自身の成立が(それは国史の権威家によれば西暦七世紀頃に書き残されたものである)、こうした関係を含む広義の「復古主義」に立っているということを、復古の論理のために、復古の方法のために、記憶しなければならぬだろう。
明治の〔憲法〕制定とこれに結びついた一派の今日に至るまでの常識による国家観念も亦、元来こうした広義の「復古主義」の所産であったが、この点、現在の反動的な復古主義に就いても、決して別ではない。

 復古主義の反動の秘密は、社会の現実上の現代化をば、観念的に原始化するという、この時間の構造から見た喰い違いにあるのだから、反動的な復古現象はいつも、単なるイデオロギー(思想・感情)又はその発露としてか、又は社会事物のイデオロギッシュな観念的解釈としてか、又は社会事物のイデオロギッシュな側面にだけ関するものとしてか、しか現われない。
今日[#「現われない。
今日」は底本では「現われない今日」]、復古的反動家の大多数が、フラーゼオローグであったり、又イデオロギッシュな観念論者であったりする著しい特色は、決してその運動の未熟その他の一種の偶然によるのではない。
現実の領域に於ては現代的資本主義の維持強化、併し観念の領域にぞくするものに就いては原始化主義、というのが今日の復古的反動の根本条件をなしている。
哲学・文芸・道徳・法律・政治に於ける家族主義的復古主義は現に今日の日本を風靡している。
併し未だかつて、生産技術や自然科学の、又技術的生産機構の、原始化が実現されたのを見ない。

 現代日本の復古現象が、色々の形態のショーヴィニズムに連関していることは、人々の見ている通りだが、この帝国主義の現代的な現実上の要求と、この復古現象という原始化的な観念上の要求とを、離れることの出来ないもののように対応させて考えさせるカラクリは亦、他ならぬ家族制度主義の思想である。

九 文化統制の本質
    ――現代日本の文化統制の諸々相を分析する

 今日云う処の各種の「統制」は云うまでもなく政治的統制を意味する。
と云うのは、例えば資本主義的経営機構は純経済的な一種の統制を必然的に産み出す。
生産商品の画一化、標準化、コンヴェーヤーシステム其他による能率増進、などという所謂産業合理化が之である。
併しこうした純経済的な統制(尤もそれから大いに政治的社会的又文化的な結論が沢山出て来るのであるが)は、今日統制とは呼ばれていない。
そういう意味で、統制という限りいつも政治的統制のことなのである。
国家を単位又は基準とする支配手段としての一切の統制が所謂統制なのである。
処が又仮に国家を単位又は基準とする一種の統制だと云っても、例えば日満ブロックや日支協定となれば、もはやそれは統制という観念には這入り切らないものを持って来る。
――で、統制という機構が、単に政治的な単に支配者の支配機構にぞくするものに止まらず、特にそれが一国主義的な支配様式の法治的表現に他ならない、ということをまず注意しておかなければならぬ。

 日本の資本主義は、今はすでに定説になっている通り、官僚的・軍義的な条件の下に、云わば上方からの圧力によって過急に育成されたものであり、従って初めから夫は、ある程度の統制――政府の干渉――に服して来たものであるが、併しこの上方からの統制が、社会の最も独自性に乏しいと考えられる部面である文化領域に向って、一等早く又有効に、作用し始めなければならなかったことは、能く知られている。
イデオロギーを統制することは、支配者政府の統制一般の役割を、一等手短かに、又一等顕著に、印象づける見本のようなものなのである。

 こうやって日本で最初に宣揚されたものは、教育統制の大指針であった。
処が前に云った通り、統制は常に一国主義的な支配様式に照応するものであったのだから、教育統制も亦当然、日本一国の特殊性、万古無比の歴史というものの構成を離れて成立することが出来ない。
ここに吾々は、日本に於ける統制(経済的又文化的)の典型の一半を見出すのである。
人も知るように、教育の統制は日本に於ては極めて厳正であって、中でも小学校(乃至中学校)は模範的な統制演習場となっている。
教育の権威は、論語でもなければ仏典でもなければソクラテスの理想でもない。
ましてルソーやペスタロッチでもあり得ない。
そうした普遍人間的な文化的権威の代りに、一国主義的な法治的な権威を帯びた一つの〔暴力〕的に構成されたイデーが重圧を加えているのを見なければならぬ。
之が日本に於ける教育統制の元来の本質であり、又日本に於ける統制一般の典型の一般なのである。
――今日の所謂「文芸統制」の淵源は実に茲に存するのである。

 ここで同時に気づくことは、統制というこの政治的な観念が、他の世界で統制と考えられるものから実際上異っている或る特色だろう。
一体統制という観念は、政治上の観念としても、決して今日日本で云っているような積極的な押しつけがましい本性のものではない。
それは自由なイニシャティブ・自由活動・等々に対立するものだが、そうした自由の積極的な諸活動に就いて、之をそのまま、何等之に積極的に手を加えることをせずに、或る一定方向に誘導することが、元来「統制」の意味なのである。
その意味から云う限り、統制とは、或る一定の自由を積極的に否定したり、又はそれと積極的に対立することなどではなくて、単に同格の諸自由が並存している場合に限って、その内どれか目的に適ったもの一つだけに優先権を与えるという、ごく消極的な作用をしか持たないのが本来なのである。
哲学上の観念としては、こうした統制は「構成」から区別されている。
代表的な場合はカントの「統制的原理」であるとか、ハンス・ドリーシュが生命の原理と考えたエンテレヒーのもつ統制などが之である。
この点一般的に云えば政治の通念としても少しも別ではない。
――処がそれが、例の教育統制に就いて見られるように、日本に於ける統制は元来著しく積極的であり又構成的なのである。
国史の「国史」的(一国史的)認識は、教育統制の宣布と同時にほぼ完全に構成されて了ったと見ていいが、それが取りも直さず教育統制の稀に見る積極的な構成内容となっているものに他ならない。

 教育統制はやがて初等教育から段々上部教育にまで網を拡げて来た。
すでに中等学校の検定教科書はやがて国定教科書によって置きかえられようとしている。
高等学校や専門学校では国定教授細目が決定されている。
大学令が改革されたことによって、帝大及び帝大以外の各官公私立大学の講義内容と講義目的とは事実上又は名目上決定されている。
尤も特に小学校でない限り、少くとも大学や専門学校では、この教育統制は決して積極的で構成的ではなく、本来の統制の観念にやや一致しないのではないか、という風にも考えられるかも知れない。
併し既に高等学校には視学制度が敷かれたことをまず注意しなければならぬ。
之は云わば補助督学官であるが、併し従来の督学官の補助ではなくて全く高等視学に他ならない。
大学ではそうではなかろうと云うかも知れぬが、自由を称する各官立大学に於て、〔天皇機関説〕を講じる教授講師は、その講義を停止又は訂正することを余儀なくされている。
之はすでに狭義の教育統制よりも寧ろ学術統制とか言論統制とかにぞくする問題かも知れぬが、とに角大学教育の統制という問題に就いては見逃せない現象なのである。

 教育者自身に対する統制は仮に上級学校や大学へ行けば意義が薄くなるとしても、被教育者に対する教育統制(そしてこれこそ統制の目的なのだ)となれば、関係は全く逆だろう。
学生生徒に対する学生生徒自身の、又大学乃至学校当局、又官憲による、又市民社会そのものによる、教育統制は、今日有名な現象だ。
学生生徒自身が教育統制をやるのは変だと思われるかも知れないが、併し前に云った通り、統制は実は統制でなくて或る種の構成だったのだから、右翼学生団などは国家の暗黙の〔承認の中〕にこうした自治的(?)「統制」の機関を構成しているわけになるのである。

 普通の学校・大学の教育統制に限らず、三五年四月から始まる青年学校から始めて、各種農村塾、青年団、在郷在営軍人団、各種宗教団、等一切のものが、直接間接に教育統制の分担者であることは断るまでもない。
蓋し広義の教育界は、統制の模範実施所に他ならないのである。

 処で学術統制の問題になると、一つの困難が之に加わって来る。
なる程教育に於ても教育の理想の名の下に、一つの真理が掲げられねばならなかった。
処がその理想、その真理が、他ならぬ統制意図自身によって、容易に構成され得たものであった。
忠良なる臣民と国家に枢要なる人物の養成は、統制的教育の理想であり得た。
併し学術の世界では必ずしもそう簡単に行かない。
なぜなら、学術上の真理を、或る何等かの統制意図によって構成することは、名目上から云っても実際上から云っても、決して容易ではないからである。

 無論、本来の意味に於ける自由の積極性に対する消極的対策としての統制は、どのような場合にでも実行出来ることだ。
学術の場合に就いて云えば、例えばある種の研究には研究資金を交付して特に之を奨励するとか、研究施設を国庫によって補助するとか、其他凡ゆる方法の優先権の付与や不平等待遇によって、消極的な統制はやろうと思えばいつでも出来る。
だがそれだけではまだ教育統制が積極的で構成的であったような意味では、学術統制にはならない。
ナチ・ドイツのように仮に学者や技術家の生活を妨害し得たにしても、それだけで学術上の真理が統制的に構成されたのだとは、外部の公明な識者は誰も考えない。
――尤も事実上の問題としては、何が本当に学術上の真理かは決して決定され終らないから、前に云った教育統制の効果を利用することによって、学術上の真理を構成的に統制出来たような外観を呈することも不可能ではないのだが、併し外観と外観ならぬものとの区別がこの際には要点で、正にそこに学術上の真理の核心があるのだと人々は事実考えているのだから、困難は依然として残るわけだ。

 処がこの学術統制さえが、今日の日本で可能になりつつあるように一見見受けられる。
その一例は〔天皇機関説〕の問題であって、日本の現在生きている代表的な憲法学者の大多数が之まで承認し、かつ又日本の知能分子の大部分にとっては国民常識とさえなっているように見受けたこの学説が、その真理であるかないかを、国務大臣の行政判断によって決定して貰うという外見を呈することになって来たからである。
無論国務大臣は学説の真偽を判定する資格も機関も持ち合わさないから、そうした目的を持って事に臨んでいるのではなく、全く行政上の一問題としてこの事件を決裁しようとしているのであるが、併しそれが又とりも直さず、直ちに学説の真偽の決定と同じ内容を持つ結果になるという点が、学術統制たる特色に他ならない。

 政府当局は〔天皇機関説〕に対立するような学説を立てる意志はないと云っているらしい。
政府としては〔軍部団〕でもない限り、云うまでもなくそういうことが出来る筈のものではない。
だが、ある一定の具体的な形を取った学説を否定し又はそれを誤謬と認定することは、学術上では、直ちに一つの反対学説の構成を意味しているという点を、見落してはならぬ。
ここでも亦だから学術統制は極めて構成的であらざるを得ないのである。
――学術の構成的な統制の好い例は、「日本精神文化研究所」が課せられた活動に如くものはない。
だが、云うまでもなくここから発表する「研究」は決して真面目に学界や言論界や読書界の話柄とはなっていないように見受けられる。
学術上の真理が統制的に構成され難いことは、ここでも実証出来ることだ。

 尤も学術統制、学術の統制的構成が、曲りなりにも外見上又現象上可能なのは、学術の内でも主として社会科学・歴史科学・乃至精神科学・哲学に就いてである。
処でこの種の学術の特色は、それが一方に於いて学究的であると同時に、又夫が言論的な性質をも必然に伴わなければならぬということにある。
こうして評論的・又本来の意味でのジャーナル的・批判的・な学術の統制は、だから最も受け取り易い接近路として、言論統制の形で以て現われて来る。
〔機関説〕問題などは元来が純学術上の学説問題であり、又あるべきであったのを(そのブルジョア的・官僚的・軍部的・支配主体の内部に潜んでいる経緯はとに角として)、この学術を統制する必要から特に言論統制の問題にまで「政治化」されたものだったのである。

 内容がアカデミックであろうと又ジャーナリスティックであろうと言論は凡てジャーナリズムの形式に従う(尤もジャーナリズムは所謂言論だけを含むのではないが)。
そこでこの言論の統制は、言論ジャーナリズムの統制として、旧くから合法的な言論統制機構を用意している。
出版法・新聞紙法・税関・其他による検閲制度が、之であるが、併し[#「併し」は底本では「併して」]之を法曹的に理解する限りでは、この統制は単なる本来の「統制」にすぎないのであって、まだ例の構成的な所謂統制にまで行かない場合にしか相当しない。
尤もこの合法的な機構の合法的な運用であっても、事実上は決して合法的に決定されただけの言論統制ではないので、却って一定の統制目的を具象化した言論構成なのだが(各種〔転向〕手記などがその著しい例だ――一国社会主義イデオロギーなどもそのように統制的に構成された)、併しもっと純粋に合法的な手段で、而も積極的な構成的な言論統制が立案されつつあることを、大分前から耳にしている。
例えば軍部や外務省が胆入りで、国内の二大通信社である連合と電通とを合弁することによって(そして之は事実上は政府が電通を買収することを意味するそうだ)、ニュース源、特に満州・中国・ソヴェート連邦に関するニュース源、の統制・統一・作製・構成を目論んだり、或いは新聞総局の建立が計画されたりしていたのを耳にする。
この点ラジオは全く国家の統制的構成下にあるのであるが、新聞紙がどこまでこの構成的統制の餌となるかは、少くとも今の処では疑問だろう。
この点雑誌・パンフレットの類も大同小異と云わねばならぬ。
言論の積極的な構成的な統制は少くとも当分充分な意味では不可能に近いだろうし、又それが当然なことなのだ。
なぜというに、ここでは、仮にただの名目上のものに過ぎないとしても、依然として言論の自由という観念がいつでも人々へ疑問を提出するからである。
――だが言論の積極的な構成的な統制にでも行かない限り、言論統制の最後の本来の目的は到達され得ない、という真理に変りはないのである。

 所謂「統制」は、事物のただの統制ではなくて、却って事物の構成を意味すると云ったが、一定事物を眼の前にして改めて事物を構成する以上、実は夫は更に、反対物・対立物の構成でなくてはならない。
国論統一というような言論統制の一規定があるが、之も云うまでもなく、国論を統制して統一することでもなければ、まして国論を単一化することでもなくて、国論に於ける二大対立物の対立を組織化することに他ならない。
即ち対立的な「国論」(対立した国論などというのはコントラディクティオ・イン・アドエクトーだが)の積極的な構成のことに他ならないのである。

 所謂統制が積極的な対立的な構成でなくてはならぬ証拠は、文芸統制に於て一等よく見て取られる。
曾て内務省警保局で(但し局長個人の名義に於てではあったが)、文壇各派の作家を糾合して「日本文芸院」の創立を計画したことは、当時有名だった。
この計画に追随して第二流、第三流の小「文芸院」運動が、右翼作家(?)の間に続々として起きた。
処がこの計画は今日に至るまで蒸し返されつつも遂に実現を見ずに終っている。
こうしたファッショ的文芸統制運動に対して、最も有力な対抗運動を巻き起こすべき筈であった学芸自由同盟などは、殆んど何等の業績も残さずに今日では有名無実なものに帰して了ったが、この点日本文芸院側の計画もあまり差違はなかったように見える。
処が最近警保局は、著作権法実施に備えるために著作権審査会の構成の目論み、その機会を借りて、同審査会の外郭団体として「日本文化委員会」乃至「日本文化院」の設立を企てていると伝えられている。
処でこの一連の綿々たる計画が、文芸統制の対立的で構成的な性質をよく云い表わしているのである。

 警保局の意図は、各種の文芸領域に就いて、まず夫々の文化団体を組織せしめ、それを打って一丸にしたものを日本文化院と云ったものにしようとしたのである。
日本文化院は文化の最高指導機関となるわけである。
だから例えば小説を書くにしても、作家は作家団を通じて国家の創作最高指導機関たるこの文化院の指示を受けるということになるのである。
云うまでもなく併し文学的真理と国家的現実とは一致するとは限らぬ。
そこにこの文芸統制のボロが出るのであるが、併し今大切な点は、文芸統制が実は文芸的対立の積極的構成に他ならぬということであって、単なる統制としての文芸統制はこの際殆んど無意味でさえあるだろう、ということである。

 だから結論されることは、もし文芸統制なるものがあるとすれば、或いはもしそうしたものが実施されるとしたら、それはもはや文芸の統制ではなくて或る一定の文芸的対立物の産出を意味しなければならぬということである。
従って「統制」の暁に現われる現象は、実は文芸の統一・単一化ではなくて、却って正に国内に於ける二群の文芸陣の対立そのものに他ならぬ、ということである。
そして之が、独り文芸に限らず、一般に今日云われる処の「統制」の本質なのである(帝国美術院の改革問題の本質もここに根ざしている)。
――例の明治初年来の教育統制などは、今日のこの所謂統制観念への発達を模範的に準備工作したものに相当するといっていいだろう。

 国内に於ける文芸のこの対立的構成(それを世間では単純にも統制と呼んでいるが)は、対外的にも亦文芸の対立的構成となって現われる。
「国際文化振興会」の意図はそこにあるので、之は一寸想像されるように、ただの日本文化の紹介や文化の国際的交換を目的にしているのではない。
実は国内文化の「統制」によって生じる文化的対立を、対外的乃至国際的な観点に立つことによって、抹消し単一化そうとする処の、間接な併し遠大な日本の対国際的文化統制計画に他ならない。
尤も「国際文化振興会」の当事者自身が主観的にどういう意図を持っているかは、第二の問題なのだが、併し満州事変リットン報告書の主リットン卿が委員長となってロンドンで開催される「支那美術大展覧会」に、日本の国宝を出品するなどに及ばぬと云っている辺から見ると、当事者自身の或る者は、この国際文化振興会の哲学的意義を案外客観的に捉えているようにも思われないではない。

 元来所謂「統制」という観念程曖昧に理解され巧みに利用されているものはない。
それというのは、その統制は実は統制の正反対物である「構成」に他ならず、又統一の正反対物である「対立化」に他ならないからだ。
そして、この統制なる言葉の低級なデマゴギーとしての特色が、文芸の統制に至ってその絶頂に達するのである。

一〇 日本主義の帰趨
    ――ファシズムから皇道主義まで

 日本主義とは、ファシズムの或る一定特殊場合に発生した一つの観念形態のことである。
尤もこの主義は厳密に云うと必ずしも観念物に就いてに限って見受けられるものではなく、経済機構乃至社会の物質的土壌にまで観念の作用が浸潤する限り、この物質的な社会機構の或るものにもその特徴を押し与えているものではあるが、併し本来から云って、日本主義は勝義に於て観念であり、而も之が云うまでもなく社会の物質的な一定条件から発生するにも拘らずその物質的な基礎を客観的には反映していない。
だから、観念形態という意味に於ても又不幸な観念という意味に於ても、之は極めて著しくイデオロギッシュな根本性質を初めから持っている。
つまり之は「日本イデオロギー」なのである。
今この日本主義の諸条件とその行きつく到達点とを簡単に分析して見たい。

 独占資本主義が帝国主義化した場合、この帝国主義の矛盾を対内的には強権によって蔽い、かつ対外的には強力的に解決出来るように見せかけるために、小市民層に該当する広範な中間層が或る国内並びに国際的な政治事情によって社会意識の動揺を受けたのを利用する政治機構が、取りも直さずファシズムであって、無産者の独裁に対してもブルジョアジーの露骨な支配に対しても情緒的に信念を失った中間層が情緒的に自分自身の利害だと幻想する処のものを利用して、終局に於て大金融資本主義の延長という成果を収めるのに成功しそうに見える比較的有利な手段が之なのである。

 こうしたファシズムの政治的社会的又経済的な一般的方針はとに角として、日本主義的ファシズムに就いては、ファシズム帝国主義的な本質から出て来ることの出来る一つの性質を今特に注意する必要があるだろう。
それは漠然と〔軍〕国主義乃至〔軍国〕意識と呼ばれてもよいものであって、帝国主義帝国主義戦争を呼び起こさねばならぬ場合には、可なりの必然性を以て発生する一種の社会意識なのである。
尤も一般的な社会意識として見れば、〔軍国〕意識は必ずしも帝国主義的なものに限らないが、逆に帝国主義のある処、即ち又帝国主義戦争の可能性が現実性を有つ場合(所謂必然性とはこういうことだ)、いつも可なりの必然性を以て帝国主義的意識が発生する。
処で今は特に之が、更にファシズム的な特色を持った場合が問題なのである。

 尤もファッショ軍国意識は今は必ずしも珍しくない世界的現象の一つだが、日本主義では之が更に、日本の特殊な〔特権的〕職業団である〔軍部〕の存在と夫の意識とによって限定された云わば〔侵略〕的〔軍国〕意識となって現われている。
日本主義の一つの異彩ある規定としてのこの特有な〔軍国〕意識は、帝国主義的、ファシズム的、そして更に〔軍部〕的な〔排外〕主義なのだ。
之は日本ファシズムの要約としての日本主義にとって、決定的な特色をなすものなのである。

 世間の人の知っている通り、〔軍〕閥乃至〔軍部〕団は、単なる社会層・社会群・職業団ではなくて、〔統帥権〕から由来する一切の政治的特権を事実上持っている一つの大きい勢力であることを忘れてはならぬ。
尤もここで〔軍〕部団と呼ぶのは、当然なことだが、経済的自由としての社会身分を保証する意味での職業的〔軍人達〕のことを云うのであって、社会に於ける経済生活の上から云って(命令系統の上から云ってでなく)、一切の非職業的〔兵〕および〔将校〕自身の下級幹部とをば、所謂「〔軍人〕」から除いた残りのものを指している。
この〔軍〕部団を、〔統帥〕関係から来る先に云った特権は論外として、ただの市民的社会層として見れば、形式上にも又相当の程度に実質的にも、色々の意味に於ける身分保証を与えられた〔軍〕官的官僚団であって、その大部分は経済的条件から見て中間層の最上部以上には出ない。
官吏群が一種の中間層であるとすれば、軍部団に就いても同様のことが言われねばならぬ。
――で一般にファシズムが中間層の意識によって支持されるものとすれば、日本主義がこの軍部団のほぼ画一的に養成された或る一定意識によって支持されるということは、本質的な意味のあることだ。

 だが無論日本主義的〔軍〕国意識を支持する主体であるこの〔軍〕部団は、今日の日本に於て決して偶然に存在するのではない。
〔軍〕部の発生は、或いは寧ろ〔軍〕部の創立は、国外資本主義からの圧迫に対抗するために必然にされた明治維新の、避けることの出来ない一つの結果であって、そこから日本主義のこの〔軍〕国的な本質がもつ処の必然性も理解されなくてはならぬ。
それだけではなく、この〔軍〕部団の成立は、日本兵制の沿革から見ても亦、極めて必然的なものとされているのであって、現在の挙国皆兵の根拠は遠く日本古来の兵制へ王政復古したものに他ならないと見られているのである。
ここに又、この〔軍〕部的〔軍〕国意識が日本主義の一本質とならねばならぬ遠い必然性があるのだ。

 ただ私はすでに、所謂〔軍〕部団を、〔軍〕官的官僚団と一応見ることによって、之を一般の「〔軍〕人」なるものの内から区別する根拠を示しておいたのだが、従って事実上の兵制から云って挙国皆兵であることが、必ずしも挙国皆軍部団ということにならぬのは、云うまでもない。
兵制から云えば凡ての国民は軍人であるが、社会身分としての職業関係から云えば、無論凡ての国民が「軍人」なのではない。
併しそれが挙国皆兵の理想によって混一させられているのである。

 こうした制度上の理想と市民社会の現実との間の一種の喰い違いは、歴史的に云うと、〔軍〕部団と中世乃至近世の武士階級との特別なつながりとなって幻想され易いという事情を産むわけで、つまり〔軍〕部団は近代的な(世襲的でない)新武士団だという風に事実考えられ易い。
だから日本古来の武士道、そしてそれは徳川時代に最高の緊張に達したが、その武士道は現代の優れた武人達の血肉が受け継ぐ処だと見られているだろう。

 挙国皆兵であるにも拘らず、〔軍部団〕という特殊の〔軍団〕乃至〔軍人〕団が存在し、それが武士階級や武士道と何等かの直接関係を連想させる、ということによって、観念上から云ってもすでに、この〔軍〕部団が主体となっている例の軍国意識は、何かの封建的な意識でなければならない理由を有っている。
外国人が古くから盛んに讃美し(それが珍しく日本的なもの即ち広義の日本主義のものであったからだ)、そしてこの頃では又特に日本人自身の方が力を入れて強調している所謂武士道は、云うまでもなく日本民族(それとも日本国民?)全体の理想なのだろうが、併し夫は挙国皆兵の兵制の理想以外からは決して来ない。
この兵制の理想以外の何等かの社会的現実が少しでも之に混入すれば、忽ち武士道は封建的な社会層イデオロギーとなって了うのである。

〔軍〕部団が指揮すべき挙国皆兵としての国民では、勿論農民が圧倒的に多数を占めている。
だからこの〔軍〕国意識が現実性を持ち有効に発動するためには、それは最も信頼すべき地盤を農民層に見出さなくてはならない。
挙国皆兵である以上当然そうならざるを得ない。
と同時に挙国皆兵は兵制の理想であって、社会の経済的配分関係とは同じでなかったのだから、ここで農民層と云っても、夫は農民社会(夫が農村と呼ばれているものだ)に於ける経済的な分類分化は問題ではないので、つまり農村という社会秩序の下に立つ農民一般のことなのである。
処でこの農村(山村・漁村も同様)という社会秩序の維持に於て最も中堅的で、模範的で、従って農村を適宜に代表するものは、各種の中農層又は農村中間層に他ならない。
中農層乃至農村中間層こそ、だから皆兵国民の代表的なものだということになる。
日本主義的〔軍〕国意識の主体であった〔軍〕部団が期待する本当の社会的地盤はここにあるのだ。

 さて農村中間層乃至中農層が、日本主義的軍国意識が期待する処の社会的地盤であることは、丁度軍部団自身が日本主義的軍国意識の主体であったのに照応して、一般にファシズムが中間層の意識だということの、特殊に限定された場合に他ならない。
――処で、農村中間層乃至中農層は、一般に、現下の農業生産機構に或る程度まで信頼出来る分子であり、或いはそういう分子をこそ農村の中堅分子と呼ぶのだから、いうまでもなく彼等の生活意識は農業主義に一応安住するわけであるが、今この意識を他種の意識に対立させたり、之を国史的に権利づけたりすれば、その結果が所謂農本主義となる。
処で特に、問題が日本民族乃至日本国民の歴史に関係するのだから、この農本主義は、特に封建的な生産様式の根幹をなす農業生産を原則とする処の封建主義へと志向せざるを得ないのである。

 こうしてここでは市民社会の現実に即して、問題は封建主義に帰着するのである。
先に、日本主義的〔軍〕国意識は、〔軍〕部団の武士階級意識を通じて観念的に封建制の意識に落着したが、ここでは夫が、農村という地盤の現実のコースを通って、再び封建制の意識に到達する。
併しここで云う封建制意識の大事な規定は、つまり兵農一如ということなのである。

 封建制度と云っても併し、日本のものは夫がハッキリした形を取ったと見做され得る時代から数えても、非常に古く又長く、そして政治的に甚だ多くの色々異った時代を経て来ている。
だから一般に日本で封建制意識と考えられるものは、実は一応もっと漫然とした復古主義のことだということに注目する必要がある。
復古主義は時代によって多少異った規定と、それから非常に異った意味とを有っているのだが、今日の復古主義がどういう終局的な限定を事実復古主義者達によって与えられているか、それから吾々が夫にどういう意味を発見するかは後にして、とに角漫然とした復古意識が今まず問題である。
でそうした復古主義はつまり封建制への意識の延長であり、夫のあまり明晰でないシノニムに他ならないと云うのである。

 現に今日復古主義の色々ある内で、吾々から見て(復古主義者自身から見ればそうでないと考えられようとも)根本的で又特徴的なのは、家族主義の強調だが、実は家族制度こそ、封建制が最も完備していたとも考えられる徳川時代に、社会秩序の動かすべからざる要石にまで発達したものであって、従って家族主義という主張は、この最も堅固になった徳川期封建制下の家族制度にまず何より先に照応しなければならぬ筈のものなのだ。
誰も家族主義の歴史的根拠を平安朝の家族制度などに求めようとはしないだろう。
ここから見ても復古主義は封建的意識の漠然とした延長か[#「延長か」は底本では「延長が」]シノニムだということが判る。

 処が元来日本主義というイデオロギーを産んだこの高度に発達した独占資本主義下の現代から、資本主義一般とは著しい差異を有っている過去の封建制へ向って志向するという、この方向がとりも直さず漠然とした復古主義なのだから、こうした封建制への意識、復古主義は、つまり社会の原始化の方向を追うことに他ならない。
尤も物質的な必然性があって現在の高度の資本制にまで発達した社会を、実際に現実的に原始化することは絶対に不可能なのだが、併し少くとも観念的な、イデオロギーの、領域では、そういう原始化主義は一応勝手に可能なことだし、又之と直接関係のあることだが、少くとも物質的な現実界の事物に就いても、そういうことを主観的に観念的に欲することは一応勝手なのだから、その意味で、そしてただその意味でだけ、原始化という言葉が許される(復古主義も封建制主義も皆こうした観念運動として初めて意味があった)。
例えば物質的生産技術を原始化即ち非技術化すことは現実には不可能だが、併し少くとも観念的に之を欲する主義は一応勝手に可能なのであって、所謂反技術主義という国際的に起こりつつある一つの文明観があると共に、之へ直接連関して唯物論の打倒、反唯物論、の主義も亦観念的には常に可能なのである。

 之は一般的に考えた封建制への意識・漠然たる復古主義・一般的な原始主義、に就いてであるが、前に云ったように、日本主義の軍閥的な契機が帰着した処の封建制主義の要点は、その兵農一致(挙国皆兵と農本主義)にあったのだ。
処が兵制として職業的武人が存在しないことも、又主として農業を生活の圧倒的な中心とすることも、極めて一般的に云って原始社会の共通特色だということを思い起こす必要があるだろう。
そうして見ると、こういう風に要点だけを抽出した意味での封建主義から見て行っても、夫は直接に、復古主義などを通らなくても一足飛びに、最も一般的な原始化に連なることが判る。
で、こうして結局、封建制主義は原始化主義に帰着する。
初め独占資本制・帝国主義・〔軍〕国主義・〔軍〕閥主義は封建制主義に帰着することを述べたが、夫が今度は原始化主義に帰するのであった。

 併しまだ大切な点が取り除けられている。
復古現象は今まで単に漠然とした復古主義でしかなかった。
そうしたものでは今日の発達した(?)日本主義のピボットにはならぬ。
一体、原始化というものをもう少し吟味してかからなくてはいけない。

 と云うのは、社会の原始化と云っても、ここで云うのは社会原始化を[#「社会原始化を」は底本では「社会原始化の」]主張し又は欲する処の一つの観念の運動・主義・に過ぎなかったという点が、もう一遍大切なのだ。
之は観念に於ける原始化運動なのだから、その当然な同伴現象として、観念自身の原始化を現実的に結果するのが唯一の所得なわけである。
そしてこうした観念の原始化又は原始観念の支配は、論理的又社会的な意識が、自然にか或いは人工的にか、著しく遅れた社会層の特色であるのは、改めて云うまでもないのだが、丁度そうした社会層は、今日では農村民と〔軍〕部団とにその代表者を見出している。
前者は已むを得ない交通の不完全から、後者は意識的な目的教育の結果として、そうなっているのが現在の否定出来ない事実だろう。
処で今大切なのは、こうした意識の原始化が、更に社会的意識の動揺の甚だしい小市民層に相応する中間層一般をも捉えずにはおかない、という点だ。

 小市民的中間層に於ける意識の原始化は、反技術主義・反機械主義・反唯物思想(?)・反理性主義・其他の名の下に、精神主義となって現われるのである。
意識の宗教的ゴマ化しや神秘主義や、治療や禍福吉凶に結びついた信心や、凡そそうした原始的な認識作用の近代的な形態が、今日の小市民的中間層の意識の動揺を捉える。
神秘主義は元来中間層の、そして中間層に主にその社会層を持っている平和的インテリゲンチャの、日本主義的ファシズム下に於ける、社会意識なのである。

 普通、精神主義は軍部団のイデオロギーだと考えられるかも知れないが(農村の方に就いては農村精神の作興はあまり有望ではないと考えられているようだ)、併し元来軍部団は純然たる精神主義であることは出来ない理由を有っている。
機械化部隊を顧慮しない戦闘精神などはあり得ないからだ。
精神主義は中間層市民の現状下の原始的な自然常識なのだ。
だがそれが特に日本主義の資格に於て精練されるためには、軍部団の強力なもう一つの「常識」に俟つのである。
精神主義はそこでもはや単なる任意の精神主義ではあり得なくなって(例えばヨーロッパ式の精神主義や仏教的儒教的な精神主義では不可くなって)、正に復古主義とならねばならぬ。
併しこのことは又、復古主義がこの普遍的で世界的な一規範である市民常識としての精神主義を通過することによって、之まで述べた漠然たる復古主義であることを已めて、ハッキリと限定された精神主義・日本精神主義・として、一つの政治観念にまで市民的常識への発達を遂げる、ということを意味する。
皇道精神が之なのだ。

 政治観念はどういう時でも市民常識に基かずには成り立たない。
従って軍部団にだけ特有な農兵一如への復古主義は、それだけではまだ政治観念となる資格がない。
処が又小市民的中間層に特有な精神主義は、それだけでは物理的支配強力を予想していない。
二つが云わば軍市合体することによって、復古主義に於ける日本主義は、ファシズム的政治権力の意志表示となることが出来る。
皇道主義こそだから、日本主義の窮極の帰一点であり、結着点なのである。
之は、私が今まで分析しながら触れて来た一切の規定を、最後に統一総合した総結論なのである。

 さて残された仕事は、この皇道主義(皇道そのものではなくその主義だということを特に注意せよ!)という日本主義イデオロギーのエッセンスが、如何に現下のファシズム政治理想とその政治機構とに役立てられるか、又ファシズムが照応している処の現下の資本制機構にどう役立てられるかを、今まで述べて来たとは逆のコースを取って、解明することだが、夫は省略する。

第二編 自由主義の批判とその原則

一一 偽装した近代的観念論
    ――「解釈の哲学」を批判するための原理に就いて

 現代に於て「観念論」という言葉は市民文化の側からも、必ずしも愛好されてはいない。
往々無雑作に、あれは観念論だ、これは観念論的だと云い勝ちだが、そしてその言葉には或る一定の隠れた体系的な含蓄があるのであって、この含蓄の一部を洗い出すのが今のこの仕事の一部分になるのだが、併しそう批評された当の人間達には、この言葉は必ずしも痛くピンと来るとは限らない。
私の又は彼の思想は決して観念論ではない、観念論に敵対することこそこの哲学ではないか、それを事もあろうに、観念論だとか何とか云い放つことは、観念論がどういうものかも、私の又彼の思想の要点がどこにあるかも、つき込んで知らないことを証拠立てているに他ならない、とそう彼等は云うかも知れないのである。

 なる程彼等によると、観念論とはイデア主義であるか、又はイデアール主義(理想主義)であるかだ。
と云う意味は、形象を完備した浮き彫りのような事物の有様だけを本当の存在と考えたり、或いは与えられた眼前の現実に対して天下り式の理想を課して、この現実と理想との絶対的な深淵を当為(ゾルレン)を以て埋め得ると考えたりすることが、観念論だというのである。
或る意味では全くその通りに違いない。
ただ問題は、彼等自身が果してその敵視する観念論そのものの密偵でないかどうかということだ。
観念論と云えばすぐ様ソクラテスプラトンを、又下ってはカントを、思い浮べるわけだろうが、こうしたものに反対するということが、併しそれだけで、観念論の反対者であることの証拠になるものではない。

 一切の道徳的権威を打倒し、価値を倒壊させようと企てたからと云って、ニーチェは観念論の敵だと云うのだろうか。
社会主義的進歩の理想を信用しない後年のドストエフスキーが観念論の本当の敵であるのか(唯物論に就いては後に)。
この頃「不安」の哲学者として事新しく改めてわが国に紹介されたシェストーフによれば、観念論こそ(唯物論と共に!)本来の哲学の、即ち悲劇・無の哲学の、仇敵だというのだ。
現代の神学の新しい一派は神学をロマン派的観念論から護らねばならぬと考える。
日本固有の思想家として国粋的乃至東洋的な照明を投げかけられている西田哲学も、ブルジョア哲学(之はブルジョアジー固有の哲学と云うよりも現在のブルジョア社会の一定の必要に応えんための哲学のことをいう)の自己批判(?)ということの国際的な現象から云って、例外をなすものではない。
観念論はつまりは有の哲学に過ぎぬのであって、無の哲学でないから駄目だというのである。
之は同時に少なからぬ西田哲学応用家の口吻でもあるのだ。
観念論は葬られねばならぬ、無論、唯物論と共にであるが!
 資本主義のこの国際的な動揺期に当って、特に或る特定の観念論だけを、観念論全般の代表者として処刑するという思いつきは、云うまでもなく今日の位置に置かれたブルジョア哲学(その意味は前に述べた)に取っては、極めて賢明な護身法だと云わねばならぬ。
「観念論」は亡びよ、だが例えばニーチェは政治家の腕に、ドストエフスキーは文学者の良心に、そしてシェストーフ(否キールケゴールからマルティン・ハイデッガーに至る一味)は哲学者の脳裏に、生きのび、そればかりではなく復興されねばならぬ、ということだ。
かくてブルジョア哲学の不利な負債や足手纏いは、この犠牲のおかげで片づけられ又は清算される。
特に、一九〇五年以後十年間のロシアにも相当するだろうわが国の現在の事情の下にあっては、この処置は単にブルジョア哲学の護身術であるばかりではなく、又その養生法と延命術でさえあるかも知れぬ。
――で、この時は恰も、『唯物論と経験批判論』がもう一遍書かれなければならぬ時なのだ。

 暗号は戦況の進展と共に変更される。
攻勢に於ても守勢に於ても、観念論はその符号を変更する。
今や観念論の抜け殻が特に大きく観念論と銘打たれて投げ出される。
これに牽制される者は蝉の代りに蝉の抜け殻を拾い上げる、蝉はその時すでに他の樹に止って鳴いているのである。
近代的観念論は好んで偽装する習慣を持っている。
だから唯物論も仲々並大抵ではないのだ。

 処でその観念論なるものは、この蝉と蝉の抜け殻とは(蝉の抜け殻でも矢張り蝉のものだ)、一体何か。
ソクラテスでも又カントでも、其他一切の「観念論」乃至「理想主義」の大を以てしても量り切れない、洪水のようなこのブルジョアジーの観念上の奢侈品は、何をその本性としているか。
――物質よりも観念の方が先にあり又先である、というのが観念論の根本的な特徴だと普通云われている。
だが、この言葉は、内容が極めて豊富で含蓄に富み過ぎているだけに、言葉として却って貧弱な言葉だと云わねばならぬようだ。
吾々が之を実際的に活用して見ない限りは、全く無意味な言葉であるかも知れない。

 少くとも一定類型の観念論を眼の前に持って来てこの言葉をあてはめるのでなければ、この言葉は何の役にも立たない。
尤も仮に、バークリ的観念論、カント的観念論、マッハ的観念論、等々という諸類型を持って来るだけではこの言葉が一応活かされて適用されても、それだけではまだこの言葉自身の発展は起こらない。
問題は、物質の代りに観念から[#「観念から」は底本では「観念論から」]出発するというこの観念論一般を、最も特徴的に代表するような、観念論の何かもっと積極的な規定をここから掴み出すことにある。
こういう規定を使って初めて、例の言葉も今日実際的に活用出来るようになる。

 今云ったような意味で、観念論の第一の積極的規定が、形而上学の内に見出されるということは、すでに広く承認されている一つの知識である。
観念論の弱点はその形而上学にあり、之に反して唯物論こそは反形而上学的だ、というのである。
尤も或る種のマルクス反駁家は、唯物論であるマルクス主義哲学こそは、まさに形而上学的なのであって、そこにこそ之の致命的な欠陥があるのだ、と云っている。
マルクス主義の物質万能主義(?)は物質の古い形而上学に過ぎないし、現象の背後に労働価値とか歴史の必然性とか自由の王国とかを求めるのも亦非科学的で形而上学的だというのである。
要するに認識論的でも実証論的でもないから、形而上学だと云うのである。
だがこのブルジョア哲学的範疇としての「形而上学」は、無論今の吾々の問題にはならぬ。
――唯物論の範疇に従えば、形而上学とは機械論的な思惟方法以外の何物でもなかった。
と云うのは、事物をその連関的な運動に於て掴えることを知らず、個々別々に切り離されたものにまで固定して考える処の思考法を、夫は意味するのであった。

 だが観念論の形而上学としてのこの規定も実は、現在吾々が眼の前に見ている諸種の事情に就いて云えば、まだ実際的ではない。
一体この規定は、主としてカントを批判するためにヘーゲルが使った処のものに始まるので、無論この規定を適用するのに徹底的でありさえしたら、ヘーゲル自身も、その「観念論」の故に(だがこう云っては説明するものとされるものとが本末顛倒になることに注目!)形而上学的になって了うわけなのだが、それだからと云ってこの規定の云い表わし方そのものが徹底的だということにはなるまい。
現在のブルジョア哲学に於ては、例の「観念論」が評判が悪いと殆んど同じ根拠から、「形而上学」も亦、必ずしも愛好されているとは限らない。
メタフィジークが哲学と同じ言葉として慣用されている国(例えばフランス)は別として、日本などで自分の哲学を形而上学と呼んで欲しいと思っている哲学者は決して多くはない。
彼等の観念論の本質がその形而上学にあるにも拘らず、彼等は「形而上学」を拒むに吝かではないのだ。

 而も、こうした匿された形而上学は、必ずしもみずから機械論に立っていることを標榜しないのは云うまでもなく、却って機械論の断罪者としてさえ現われるのがその大部分であって、W・ジェームズやベルグソンによれば、バラバラな固定物処ではなく、流動こそが事物の本性だということになっている。
二十四時間の長篇ジョイスの『ユリシーズ物語り』は、およそ機械論などというものとは縁の遠い現実そのものの「リアリズム」だと、「文学的」リアリスト達は讃美する。
更に又、現代の匿された形而上学の内には、進んで弁証法を包括し或いは弁証法に立脚すると考えているものさえあるのである。
(観念論的)弁証法は古来から今日に至るまで曾て絶えたことがないとさえ云えるばかりではなく、今日に至って愈々本当の(神学的な!)弁証法に到着したのだと、一種の覆面形而上学者は誇っている。

 そこで私は、以前、色々の機会に、形而上学というもののも少し別な規定を必要とすることを述べたのを思い出さねばならぬ。
それによると、現代の形而上学は、推しなべて――機械論的であろうと弁証法を僣するものであろうと――解釈の哲学に他ならぬのである。
現代ブルジョア哲学の勝れたものも愚劣なものも、その殆んど凡てが解釈の哲学であることによって正に形而上学であり、そういう意味の形而上学であることによって、特に積極的に観念論の名に値いする、と考えられる。
云うまでもなく形而上学(従って又観念論)をこう規定することは、唯物論の歴史に於ては決して新しい着想や落想ではない。
人も知る通り、資本論に於けるマルクスの有名な短い言葉の内に、すでに之は約束されていたものなのだ。

 で、観念論の第二の積極的な規定として、吾々は解釈哲学を挙げることが出来るだろう。
もしこの規定を利用しないとすると、今日のブルジョア哲学が、どの点に於てその観念論振りを積極的に発揮し又露出しているかを、吾々は遂に適切に指摘出来ずに終りはしないかと恐れる。

 解釈という以上、夫は無論事実の解釈のことである。
事実がない処に、どんな意味の解釈もあろう筈はない。
と共に、解釈を伴わず解釈を俟つことのない如何なる事実も無い、ということも亦本当だ。
過去の歴史上の事実ならば、解釈の如何によって事実であるとも事実でないとも決定されようが、例えば実験上の事実に就いて、解釈の余地がどこにあるか、と云うかも知れない。
自分自身が直き直きにぶつかった事実のどこが解釈に依っているかと云うだろう。
けれどもそう云うならば、純粋な事実としての事実というものは実はどこにもないことになるので、あるものは恐らく単なる孤立した印象か何かでしかないことになる。
事実ということは、そういう意味では、事実と解釈されたもののことに他ならない。
解釈のないところには事実も亦あり得ない。

 だから、問題が哲学などになれば況してそうであって、どんな哲学でも、解釈に依らず又解釈を通らずに、事物を取り扱うことが出来る筈はない。
そういう意味では一切の哲学が解釈の哲学だと云っても云い過ぎではないのだ。
元来事実の解釈ということは、事実が持っている意味の解釈のことであり、そして、事実はいつでも一定の意味を有つことによって初めて事実という資格を得るものだから(そうではない事実は無意味な事実だ)、事物間の表面からは一寸見えない連関を暴き、隠された統一を掴み出すべき哲学が、事実の有つだろう意味の在りかをつきとめるために、特にその解釈の力に於て勝れていなければならぬのは、寧ろ当然だろう。

 だが実は、この解釈自身に、事実の持っている意味のこの解釈自身の内に、問題が横たわっているのである。
事実は[#「事実は」は底本では「実は」]云わば、自分自身を活かし発展させて行くためにこそ意味を有つわけであって、従って事実のもつ意味とは、専ら事実自身の活路と発展のコースとを指すものに他ならない。
で、この場合大事なことには、夫々の事実の持っている夫々の意味は、あくまで夫々の事実自身に対して責を負うているのであって、従って事実は自分の有つ意味を一旦通って自分自身に帰着することによって、初めて事実として安定を得ることが出来るわけだ。
意味は事実そのものに戻って来るべく、元の事実に向って責を果すべくあるのだ。
だから事実の解釈はいつも、事実を実際的に処理し、之を現実的に変革するために、又そうした目標の下に、下される他はない筈なのである。
現実の事物の実際的処置は、いつも事物の有つ意味の最も卓越した解釈を想定している。

 処が他ならぬ「解釈の哲学」は、この解釈の機能そのものに於て躓くものなのである。
ここでは解釈はこの本来の役割から脱線し、事実の実際的処置という解釈元来の必要と動機とを忘れて、専ら解釈としての解釈として展開する。
と云うのは、事実の有っている意味が、もはや事実の意味であることを止めて、単なる意味だけとなり、かくて意味が事実に代行し、現実の事実は却って意味によって創造された事実とさえなる。
こうした「意味」は意味の元来の母胎であった現実の事実自身の、活路や発展コースであることからは独立に、専ら意味自身の相互の連絡だけに手頼って、意味の世界を築き上げることが出来るようになる、ということを注意しなくてはならぬ。
或る「意味」と他の「意味」とが連絡するのは、夫々の母胎である夫々の事実間の連絡を手頼りにしてであるべき筈だったのに、ここでは意味と意味とが、極めて、奔放に、天才的(?)に、短絡して了う。
こうやって現実の代りに「意味の世界」が出現する。
現実界はわずかに、この「意味の世界」にあて篏まる限りに於て、意味の御都合に従って、取り上げられ解釈されるだけである。
――之が解釈哲学に於ける所謂「解釈」のメカニズムなのだ。
ここで天才的(?)想像力や警抜や着想や洞察と見えるものは、実は狂奔観念や安直な観念連合や、又安易で皮相な推論でしかなかったのである。

 こうした繊細な弱点も、ごく卑俗な形のものは誰でも容易に気がつくことだ。
近年日本に於ても自殺者は非常に殖えて来たようであるが、そのどれもが、新聞記事によると甚だ穿った解釈を与えられている。
哲学に凝ったというのは古いからまだしもとして、最も斬新なのには、父親が〔共産党〕に加わっていたために娘が自殺した、というような種類の解釈もある。
蓋し新聞にとっては事実そのものはどうでもいいので、記事が記事として独立な意味を有てさえしたらいいのだ。
――併し、この弱点も哲学という甲兜の内に隠れると、取りも直さず解釈の哲学になるので、そうなるとこの弱点も容易にボロを出そうとはしなくなる。
一方そこには荘重な名辞と厳めしい語調がある。
而も、時々断片的に、読者や聴衆が持ち合わせた出来合いの知恵に接触するものがあって、それが彼等を感動させ、甘やかし、なだめすかす。
分解や論証や質疑の代りに、単に次から次へとタッチがありタップがある。
これが解釈哲学の極めて意味のある風味の特色の一つであるが、併し之によって、現実の事物に対する実際的処置は、恍惚裏に時としては又涙の裏に、斥けられて了うのである。
世界を「解釈」するということは、拱手して世界を征服するということは、確かに楽しい仕事に相違はない。
たといそのために涙と共に糧を食い、眠れぬ床に臥しても、この仕事は専ら楽しい仕事だ。

生の哲学」と呼ばれるものの多くがこの解釈哲学であることは、今更注意するまでもないだろう。
解釈とは、生の哲学によると、生の自己解釈に外ならないが、生(その科学的な意義が抑々問題なのだ!)が自らを解釈するという自己感応のおかげで、意味が、事実から独立した純然たる意味の世界として、描き出される。
この生の哲学が更に、特に所謂「歴史哲学」や「解釈学的現象学」と不離の関係にあることも、茲に喋々する必要はあるまい。
この二つのものが、如何に解釈学の方法に準じた哲学であるか、又更にこの二つが如何に文献学(解釈学は夫の方法なのだ)的特色と臭味とさえを持っているかが、それを充分に物語っている。
――大事な点はここでも依然として、解釈哲学の本質が意識的無意識的に事物の現実的な処置を回避しようとすることにある、という点である。

 解釈の哲学は、哲学の名の下に、実際問題を回避する処のものである。
時事的茶飯事には何の哲学的意味もない、入用なのは実際問題とは独立な原則の問題の他ではない、というのである。
実際問題は、この原則問題を時に臨んで応用すればよく、この応用を予め用意してかかることなどは無用の配慮だ、と考える。
例えば社会は、私と汝との倫理的意味関係に基いて発展され得る意味のものであって、その社会が〔共産〕主義のものになろうとファシズムへ向おうと、夫は政治上の実際問題ではあっても、少しも哲学上の問題ではない、というわけだ。
――解釈の哲学が抽象的なのは、夫が事物を一般的なスケールに於て論じるからではなく、まして夫がムズかしい言葉を使うからなどではなくて、実は、意味を事実から、原則を実際問題から、抽象するからであり、現実の事実と実際関係とを視界から捨象して了うからである。

 さて今云ったこの抽象性こそが、正に今日の形而上学の特色をなしていることを見るべきだ。
今日の形而上学のナンセンスとユーモアは、之によっては実際問題が少しも哲学的に決定出来ないという処にあるのである。
今日のアカデミックな又ペダンティックな哲学が、学校教師のように生気なく誠意なく見えるのは、このナンセンスがその原因の大きな一つになっている。
そしてこの形而上学が現在最も有力な最も普及した観念論の形式だったのである。

 現実の世界に於ける実際問題を計画的に回避するためには、この解釈哲学=形而上学=観念論は、甚だ屡々、実証科学乃至自然科学と絶縁するか、少くとも之に関わり合わない方が賢明だと考える。
「歴史哲学者」達は、歴史的なものが、即ち彼等に従えば「哲学的」なものが、如何に自然科学的なものから別であるかを、専ら強調することを忘れなかった。
歴史と自然との間に共通し併し発展する本質を見ようとする企ては、歴史を知らぬ者のことであり、人間的文化に盲目の者のことだと云わぬばかりに。
更に「解釈学」的哲学者に来ると、実証科学や自然科学は哲学にとって全く何の意義をも持たないことになる。
哲学の科学性、即ちその客観性(そこから実証的特色と実地的な特徴とが出て来る)は、解釈学的哲学では少しも問題ではない。
哲学とは全く別な全く関係のないそれ自身の秩序を持っている。
世間的な俗物はとに角として、本来的生活者としての人間的存在は、エキジステンツは、一体実証的な世俗の知恵と何の関わりがあろう、とM・ハイデッガーの一派はいうのだ。

 こうした僧侶階級的な反科学主義(尤も科学主義――ル・ダンテクなどが代表する――は決して尊重するに値しないが)は、実際問題を回避しようとする高尚な行ない澄ました解釈哲学の、必然的な結論なのであって、ただ初めはカントや(ヘーゲルでも実はまだそうだ)下って新カント派の手によっている間は、それ程正直に本音を吐かずにいたものが、ブルジョア社会がその矛盾を自然科学のせいにまで転嫁しようと始めた近年に至って、初めて真向からその正体を現わして来た迄なのである。

 だがわが解釈の形而上学は科学特に又自然科学のどの点に向って刃向って来るかと云えば、それは実は何も科学の合理主義や又科学の先天的制限や、又その非人間的な枯淡さが本当に気に入らないのではなくて、実は科学の実際上立脚している処の物質的生産技術の要求が、わが解釈の内容にまで手を伸ばしはしないかを恐れているのである。
物質的生産技術が実際的に実行され実地に運用される筈のものであることは、到底解釈学的にも言いくるめることの出来ない事実だから、之は世界の「解釈」にとって、甚だ厄介な代物と云わざるを得ないだろう。
だから実は反技術主義(尤も技術主義は少しも尊重されるべき主義ではない)こそ解釈形而上学に於ける例の反科学主義の真髄だった。
恰も近年、資本主義の諸矛盾の責任は、ブルジョアジーによって、その技術の自発的な行きづまりにまで転嫁される。
解釈の哲学が召し出されるのはこの時を措いてあろう筈はない。

 処で、注意すべきは、解釈哲学=形而上学も、とも角一つの纏った哲学であるためには、一定の範疇体系を組織して持っていなくてはならぬということだ。
だが無論之は、世界を専ら解釈するためにだけ役立つような範疇であり範疇組織でなくてはならぬ筈であった。
そこで世界解釈のための論理の最も古典的で典型的なものは、ユダヤ教キリスト教・的世界創造説の右に出るものはない。
創造説は、世界の秩序を、あます処なく組み立て、残る処なく解釈する。
その出来始めとその後のコースとその出来終りとを説明出来るならば、事物の「解釈」はそれ以上の完備を望むことは出来ない筈だ。
世界は神の善意志によって、計画的に創設され計画的に歴史発展をし、そして最後の審判の日が来ると神の世界計画は実現し終る。
こうして現実の世界が実際に嘗めて来た貴重な時間上の自然的秩序は、寛大な天帝が濫費する恩寵の秩序で以て置きかえられる。
この転心した新秩序の上に、解釈の形而上学の範疇星座が分布されるのである。

 私は嘗てこの種の範疇を神学的範疇と名づけた。
元来が他の世界秩序に基いているこの範疇を、現実の実際世界の秩序の維持に使おうとしても役立とう筈はないので、その意味から云ってこの神学的範疇は、実際性・実地性・実証性を、即ち地上に於ける検証を、持つことは出来ない。
物質的生産技術によって秩序づけられている現世の俗界ではテスト出来ない範疇が之だ。
だから私は之を曾て非技術的範疇だとも云ったことがある(拙著『技術の哲学』〔本全集第一巻所収〕)。
解釈の哲学は、神学的範疇に立っている、と云って一応今迄のことを纏めておこう。

 之まで云って来たことは、併し、私が今まで何遍も繰り返して云って来たことに他ならぬ。
処が最近、わが国に於て、この解釈の形而上学が一種独特な形態を取りつつあることを注意しなければならなくなった。
その結果今や、観念論の第三の積極的規定を掴み出す必要に迫られる。
この第三の積極的規定を取り出して見ると、之によって、観念論の例の第二の規定(解釈哲学として)が、第一の規定(形而上学として)さえもが、却って明らかに定着されるように思われるのである。

 まず手近かにある一つの現象を注目しよう。
この一年あまり以来、マルクス主義の陣営は遽かに後退したと云われている。
それがどういう意味であるかを、私は必ずしも理解していないのであるが、とに角一頃至る処に充ち充ちていたマルクス主義のファンや好意ある野次馬が、世間から最近著しく整理されたのは事実だ。
そして特に文学の世界に於て、この現象が人目を惹くように見えることは、今の話の筋から云って、興味あることなのである。
今ではマルクス主義に立つ文化団体は残らず解散して了ったが、そして之は必ずしもマルクス主義的文化運動が消えたことを意味し得ないのは云わなくても判っていることだが、特に文学の世界に於て、文化団体の解散が著しい荒波を立てたことを誰しも知っているし又現に見ているだろう。
左翼の文学運動は今ではいくつかの編集中枢に分散し、時によっては左翼文学運動とは何の意識的な連りさえもない文学分子と、混淆している。
或る者は文芸復興の名の下に、何物よりも先に、文学それ自体の発展が焦眉の急だと云って、文学の〔党派〕的首尾一貫性をまで犠牲にしても、プロレタリア文学の従来の桎梏を打ち倒さねばならぬと主張する。
無論文芸復興の名を借りると借りないとに区別なく、反マルクス主義的文学者や純芸術派的文学者は、得意になって、或いは皮肉の腹いせの心算で、この新しい現象を歓迎している。

 マルクス主義的文学者にとってはとに角、其の他の文学者達にとって、この現象が事実上一つの文学至上主義を意味していることは、マルクス主義的文学者のもっと怠らない注意を喚起していい事実だと思うが、とに角文学の世界(尤もそういう別な世界があると思うのは私の又は人々の誤りだが)が、日本の現状の多分に漏れず、文学なりにマルクス主義に対する反動の態勢にあることは根本的な傾向なのであって、恰もこの文学至上主義が今日この傾向の最も著しい特色をなしているだろう。
なぜなら、従来マルクス主義文学理論の根本テーゼであった文学と政治との結合が、之によって殆んど完全に解き放されたかのように、大抵の「文学者」達は考えているらしいからだ。

 処が他方、文学に於ける評論が、文芸評論が、近年甚しく「哲学化」したという事実をもう一つ注意すべきである。
云うまでもなく之は、一つには之まで私が述べて来た例の様々な偽装に手頼ったブルジョア観念論哲学一般の復興(?)に依るものであり、一つには唯物史観に立脚した科学的文芸批評が、例の文学と政治との関係の問題から、左翼的作家自身からさえ一種の不満を買ったからで、この二つの契機によって、ブルジョア観念哲学的な文芸評論が、続出することになったのである。

 そこで、第一に文学に於けるこの文学至上主義と、第二に文学に於けるこの哲学化とから、第三に哲学そのものの「文学」化が発生するのである。
云う迄もなく哲学と文学とは、その本当の意義に於ては特別に不離な関係にある筈のものなのだから、文学(文芸評論)が哲学化そうと、哲学が文学化そうと、初めから当然なことで、珍しくもなければ況して悪いことでも何でもないのだが、併し今の場合、哲学が文学化したというのは、取りも直さず哲学が文学至上主義化したことでなければならぬことになるのである。

 だが、文学に於てこそ文学至上主義という言葉の意味もなり立つが、関係は同じでも、哲学に就いて云う限り文学至上主義という言葉は恐らく無意味だろう。
言葉が無意味なだけではない、そう云っては哲学のこの文学化の本質を暴くことが出来なくなる。
実はこの現象は寧ろ哲学の哲学至上主義と云った方がいい位いかも知れないが、今はこの哲学至上主義自身を何か他の言葉で説明するためにこそ、文学の文学至上主義を引き合いに出したわけであった。
――哲学は文学でないから文学至上主義になる懼れは元来あるまい。
その代り、現在のブルジョア観念論=形而上学=解釈哲学が陥る新しい変貌は、哲学に於ける文学主義と名づける必要があると思う。
文学主義こそ観念論の第三の積極的な規定だ、というのである。

 哲学は仮にそれがどんなに文学主義的であろうと(尤も文学主義の意味は今から説明するのだが)、とに角哲学の体裁を具えている以上は、何かの範疇組織を使って物を云う他に途を持っていない。
処が文学主義哲学とはその範疇が特に文学的範疇である処のものを云うのである。
だが、文学的範疇というのは一体どういう意味か。

 文学が言葉の乗具に頼るものである限り、文学は概念を俟って初めて成り立つ。
尤も概念と云えば、感覚を欠いた抽象的な観念の輪郭に過ぎないと考える向きもあるかも知れないが、それはこの言葉を単純に俗悪に使ったまでで、理論的な用語としては全く取るに足らない迷信だ。
そこで文学に於けるこの諸概念の中、比較的重大であり機動力に富み他の諸概念の結節点に当るようなものが、根本概念即ち範疇なのだ。
だが文学に出て来て文学の内に用いられているからと云って、その範疇がすぐ様文学的範疇だと考えてはいけない。

 哲学・科学其他一切の理論の内に現われる範疇、そうした云わば哲学的乃至科学的・理論的範疇と、文学に於ける範疇と結局別のものであってはならぬことは、少し考えて見れば絶対的に自明なことだろう。
なぜなら、もし範疇の性質そのものが原則的に別なのなら、一体どうやって文学と哲学との間に、一定の密接な連絡や対応や一致や共通性等々が存在し得るのか。
よく聞くことだが、二つの事物の間に原則的な連絡・対応・一致・共通性・等々が欠けている時、二つの事物は範疇的に異るとも云われているのだ。

 だから文学の内に現われる諸範疇は、別に普通と変った範疇でも何でもなくて、哲学や科学が基いているその同じ世界観から、一様に誕生して来た普通の範疇、哲学的乃至科学的範疇のシーリースのうちにぞくするものなのだ。
なる程或る範疇は主として文学のもので、他の範疇は主に哲学にぞくする、ということはいくらでもあるだろう。
又同じ言葉によって呼ばれている一範疇も、科学の世界と哲学の世界とでは別な変容を持つことも出来るだろう。
そういう意味での文学的範疇ならば、そういう意味での哲学的乃至科学的範疇からは異っていると云っても好い。
だが問題は、個々一つ一つの範疇が、どの世界にはあってどの世界にはない、とか何とかいう事柄にあるのではなくて、一定の組織秩序を持った範疇体系に、そういくつもの種類があっては困るという、論理上の要求にあるのだった。

 科学や哲学は一種の範疇のシーリースを有っており、文学は之に対して、このシーリースとは種類の違った別な範疇のシーリースを持っている、ということは、論理的に云って、範疇の一般論から云って、あってはならない約束なのだ。
この約束を無視して、哲学的乃至科学的範疇秩序とは別な、従って之とは範疇的に、原則的に、異った、文学にだけ固有だと信じられそうな範疇秩序を想定し、又は不用意に使うならば、それが文学的範疇(文学主義的範疇)というものになるのである。

 文学的範疇秩序の弊は、それが往々、不幸にも哲学的な――普通の――範疇と同じ名前を沢山含んでいるという、甚だ紛わしい事情のために一層[#「一層」は底本では「大層」]悪質になるのである。
リアリティーと云い現実と云い、真理と云い誠実というが、どれも哲学的範疇であると同時に、現に或る種の文学者によって「文学主義」的範疇として濫用されているのが、現在の事実だ。
もし人があって、私の所謂文学的範疇は実は哲学的範疇と結局同じものであって、而も文学の方が夫を多少とも弾性に富んだフレクシブルなものとしてより繊細に把握するのに、哲学の方はより判然と普遍性の下に併し粗大にしか把握出来ないのに過ぎないのだ、と云うなら、そういう哲学なり文学なりが、とりも直さず文学的範疇で考えられたり書かれたりしている当のもので、そういうものを批判することこそが吾々の今の目的だったのだ。

 だが、なぜ文学的範疇が往々――文学主義者によって――愛好され、而もなぜそれの方法上の弊が容易に気づかれないか、を説明しない限り、文学的範疇の意義は実は掴めまい。
関係は、文学が科学的乃至哲学的表象を用いる代りに、当然なことだが、文学的表象を用いる、という処に横たわる。
本当の場合を云えば、文学も哲学乃至科学も、それが使う範疇は、根本概念は、終局に於て同一組織にぞくするものなのだが、併しこの諸概念に直覚的な形態を与える段になると、即ちその概念に対応する表象――感覚的観念――を求める手法に来ると、文学的表象はもはや哲学的乃至科学的表象と決して同じではないし、又あってはならない。
つまり哲学は哲学的範疇を哲学的表象を借りて使用するのだが、之に反して文学は、この同じ哲学的範疇を使用するのに、是非とも文学的表象を借りなければならないわけだ。

 処が表象と概念とが、論理的な訓練の足りない普通の通俗常識から云えば、つまり同じものにされて了っているように、大抵の場合文学的表象と文学に於ける範疇とが一緒にされているのは必ずしも無理からぬ弊害だ。
文学には文学独特の諸表象が感覚的諸観念がある。
文学者は一応は単にこの感覚的諸観念、諸表象を駆使するだけで、立派に仕事が出来るだろう。
だが、文学を多少とも批評し評論しようとすれば、文学者と雖も諸表象・諸観念を貫いてこれを組み立てている見えない鉄筋の枠を、文学の内から探し出さなくてはならなくなる。
その時は恰も、文学に於ける諸概念を、範疇を、求める時なのである。
併し一般に云って、文学至上主義に移り行くべき物質的根拠を有っている今日の一種の文学者達は、この点に来ると直ちにその哲学的な訓練の不足を暴露する。
と云うのは、文学に於ける概念のメカニズムをば文学的表象を通して掘り当てる他ないのは当然だが、その故に文学に於ける諸範疇が、文学的表象になぞらえられてしか工夫出来ないようになるのだ。
文学者はその得意の文学的表象を手頼りにして、独自に文学上の諸概念・諸範疇を(表象をではない)構築する権利を有つように空想する。
そうやって「文学的」範疇秩序が築き上げられるのである。
文学至上主義の文学者は、哲学者になる時、文学主義者とならざるを得ない。

 文学的表象と文学に於ける範疇・概念(況んや文学的範疇)とを区別したが、そして文学に於ける範疇乃至概念に私は哲学上の興味の重点を置いたが、無論文学自身の立場から云って文学的表象のもつ文学的価値の大きいことを見逃そうと云うのではない。
ここではすぐ様、文学の創作方法の、更に又文学に於ける世界観の、問題が結びついているからだ。
それだけではなく、文学作品上に出現する多くの不朽な性格の独創は、之亦決して概念や範疇の関わり得る問題ではなくて、正に文学的表象の貴重な所産の一つでなくてはならぬ。
哲学的には範疇組織が文学の生きた側面だが、それと同様に、それに対応して、ハムレットドン・キホーテ、バザロフやカルメン其の他等々の性格の創造が、文学的に云って文学的表象の価値だ。
――私は嘗て、概念と性格とを結合しようとする論理学的な試みをやって見たことがあったが、そこには今述べたような次第によって或る無理があったのであり、而もややもすれば文学的範疇の沼地に引きずり込まれる危険がなくはなかった(拙著『イデオロギーの論理学』〔前出〕の最初の章参照)。

 文学主義的範疇は、今日の文学者の多くの文学至上主義者達がその文学活動に於て私かに信頼している論理的根拠であるが、この根拠は文学者の文芸評論と来ると、もっとハッキリ日向にさらけ出される。
文学的表象の発達した卓越した文学者も、少し筋の通った評論を企てる時には全く愚にもつかぬ評論家に堕するという事実は、決して珍しくないが、夫は多分ここに原因の主なるものを持っているのだろう。
――だが、話は文学のことではない、問題は哲学自身、こうした文学的範疇に立脚している場合が、わが国のブルジョア文化社会に於ては甚だ著しいということにある。
この点が特に見易くなるのは、ここでも亦、そうしたブルジョア観念論哲学者達の或る者が、文芸評論を試みようとする時であって、事実又そうした哲学は元来、文芸評論向きに出来ているという処に、「文学的」な良さと弱みとを有っているのだ。
この種の文学主義哲学が実証科学に対して、生産技術のイデオロギーに対する役割に就いて、一般に合理的理論に対して、どういう態度を取っているか、また取るわけがどこにあるかは、読者に一任していいだろう。

 哲学的意識或いは又生活意識は、一方文学的意識となって現われると共に、他方政治的意識となっても現われるものだ、ということをもう一つ注意しなくてはならぬ。
そこで文学主義が文学意識となって現われたものが文学至上主義であったに対応して、文学主義の政治的表現は、文学的自由主義と呼ばれていいだろう。
文学的リベラリズムに就いては一五に述べるが、最近文壇でも注目に値いするテーマになりかけているようだ。
之は元来、政治上の哲学的範疇である自由主義が、専ら文学意識によって支えられる他に歴史的に云っても社会的に云ってもその物質的根拠を有たない結果、いつの間にか文学的範疇で以って置き換えられた、という日本に著しい一現象を云い表わす言葉なのである。
だから今日の日本の可なり多くの文学者が一種の(即ち実は「文学的」な)自由主義者であり、そして今日の日本の自由主義が政治の世界に於てではなく狭義の文学の世界に於てその支柱を見出さねばならぬという現状は、今日の日本の代表的な自由主義が主に文学的範疇としてしか受け容れられていないという関係を物語っているのである。
実際今日、自由主義を文学的範疇によってでも理解しない限り、夫が世間で進歩という表象と何か不離な関係におかれているかのように云い振らされたり思い做されていたりする理由を、到底理解出来ないだろう。

 文学的範疇に立って物を云うことは、事実一見して非常に奇麗なことである。
だが夫は結局生活の一つの美人画に過ぎないのだ。
文学的範疇によって世界を解釈することは、その解釈を一等安易にし滑かなものにする。
解釈哲学として、だから文学主義哲学程、目的に適った形態はないのである。
単なる神学的範疇であっては、到底この種の、云わば「人間学的」な魅力を持つことが出来なかっただろう。
だからここに解釈哲学は特に神から人間に眼を転じて文学主義にまで前進し、自らを有利に展開しようとするわけである。
これによって、現実の(この現実という言葉が又不幸にして最もよく文学主義者に気に入るのだが)、哲学的範疇による本当の現実の、実際問題を、原理にまで回避し、例えば実際世界の見透しや計画や必然性や自由は、人間学的「情念」にまで、そして現実界の矛盾は人間的「不安」にまで還元され、之と取り換えられるのだ。
――恐らくこれ程蠱惑的な形而上学は、之まで無かったとさえ云っていいだろう。
だが又之ほどシニカルでモラル(実はモーラリティー)の欠乏した形而上学も珍らしいだろう(文学者が「モラル」というのは実際界のモーラリティーとは異って元来が文学主義的概念に過ぎないのだ)。
モラルの本家としては、最近アンドレ・ジードの呼び声を聞くことが多いが、このモラリストのジードは、一方夙くから仏領南阿の奴隷制に於ける資本主義的機構に、その「文学的良心」を痛く衝かれたということだ。
彼が所謂転向を伝えられるのは、彼のモラリズムが、すでに完全な文学主義的形而上学として踏み止まることが出来ずに、実際的なモーラリティーに呼びかけねばならなくなったことを、告げているのかも知れない。

 第一に形而上学、第二に解釈哲学、第三に文学主義哲学、この三つのものが順次に重なり合って、少くとも現在の日本に於ける「近代的観念論」の積極的に偽装した標本として、吾々の眼の前に与えられている。

一二 「無の論理」は論理であるか
    ――西田哲学の方法について

 私は拙著『現代哲学講話』〔前出〕の内で、田辺博士の哲学に就いて所見を述べたが、それは所謂京都学派の発展としての「田辺哲学」の成立を祝福するのが主眼だったから、田辺哲学と西田哲学との相違をハッキリさせることは省略した。
併し田辺哲学が成立したということは即ち、田辺博士の哲学がもはや所謂西田哲学とは異った別なものになったということだから、当然二つの哲学の相違点が問題となるべき筈だったのである。
でそういう関係から云っても、西田哲学を取り上げねばならない順序にあるのである。

 尤も『思想』の時評担当者高山岩男氏は、すでに、読者にとって相当親切な西田哲学の部分的解説を与えているし(七年十二月号)、最近ではまた纏った「西田哲学」の入門書をさえ書いた。
だがそれはあまり批評的な観点に立ったものではなかったから、本来の意味に於て西田哲学を特色づけるという視角は、殆んど全く放擲されているように思う。
処で博士の『無の自覚的限定』という最近の論文集は、博士自身の言葉によっても、博士の研究体系に一段落をつけたもののようである。
西田哲学の特色づけを試みるには充分に好い時期ではないかと考える(それにはもう少し主観的な動機もなくはない、私は曾て某雑誌に「京都学派の哲学」〔本全集第三巻所収〕という題で、すでに西田哲学の外部的な特色づけを試みたことがある。
簡単で粗雑なものであったし雑誌も雑誌だったから、学界(?)では問題にもしなかったろうが、夫を敷衍して見たいという心持ちからでもあるのだ)。

 割合主観的な必要や動機はさることながら、吾々は何かの客観的で現実的な必要なしに、問題を取り上げてはならないのだ。
それでは一体、西田哲学がなぜ今日特に取り上げられねばならないか。
当然考慮しなければならぬ色々の条件を抜きにして、西田哲学が今日のわが国又は世界を通じて最も目立たしい有力な思索――グリューベライ――の産物だから、というだけではまだ充分な理由にならない。
――昨今のようにありとあらゆる形態のファシズムイデオロギーが白昼横行している世の中である。
放送局・新聞社・雑誌社・等々が身を以て、与太とかインチキとかいう、哲学者が耳にするのも恥じるだろうような言葉の意味をば、毎日飽かずに体現して見せて呉れる世の中である。
それで哲学者は敢然として「真理」のために奮起するのかと思えば決してそうではない。
彼等は或いは意識的に、或いは無意識的にファシズムイデオロギーを支持している、或いは支持する結果になっているのである。
なぜなら、ファシズムの当面の敵・正反対物は何であるか、この反対物に対して、哲学者達はどういう見解と態度とを取っているか、それを見ればこの点は判るだろう。
要するに哲学者はブルジョア・イデオローグなのである。
――さてそこで、このブルジョアイデオロギーの精髄としてのブルジョア哲学、そのブルジョア哲学のわが国に於ける代表者が、今日では他でもない西田哲学そのものであることが愈々明白になって来た、とそう私は考える。
之が西田哲学を取り上げねばならぬと考える一般的な理由である。

 だがすでに実は茲に、疑問の第一歩があるのである。
哲学にブルジョア哲学とかプロレタリア哲学などという階級性はないし、又あってはならない、というような苦情は今は問題外としよう。
そういう反対者には左翼の教科書の一つ二つを読んで貰ってからにする。
吾々にはそれよりも西田哲学が果して単なるブルジョア哲学プロパーであるのか、それともブルジョア哲学の衣粧をつけた他のもの(例えば封建的イデオロギーファシズムイデオロギー等)であるのかが、問題となるかも知れない。

 そういう嫌疑には充分の根拠があるように見える。
多くの西田哲学信奉者は、この哲学をわが国独特の独創哲学だと考えている。
という意味は、西田哲学は正に東洋的なものだというのである。
或る人は之を禅に結びつけることさえ試みている(尤もヘーゲルさえ禅に結び付けられた場合があるのだが)。
一般に汎神論が、超越神論其他に対して、東洋的なものだということになっている処から、之を汎神論的だとして説明することも出来るだろう。
そういう意味で之はその本質に於て欧州的なものではなく、従ってその限り、例えば左右田哲学などに較べて判る通り、封建的な本質を持っている、とそう考えられそうである。
なる程西田博士が吾々近代人に較べて多分に東洋的(仏教的・儒教的)な従って又封建文化的な教養を有っているということも事実だし、分けても封建的伝統の強い地方で思索の端緒を始めたという事実から想像して見ても(但しこの想像はあまり当っていないようであるが)、そういう色彩は一層強まりそうに考えられるが、それだけではまだ、単に東洋的・封建的な要素が多分に取り入れられているということにはなっても、決して夫が西田哲学の代表的な特色として登場することにはならない。

 汎神論は云うまでもないが、西田哲学に於いて東洋的従って封建的に見えるだろう処の神秘主義や宗教思想も、決して封建的という意味で東洋的なのではなくて、例えばプロティノスが東方的でありアウグスティヌスヘブライ的だという意味でしか東洋的ではあるまい。
そういう東洋的なものは今日の欧州ブルジョア哲学自身が欠くことの出来ない要素なのである。
神秘主義は却ってゲルマン思想でさえあり、そして今の場合の宗教思想と云われるべきものも之と結合して初めて、西田哲学の内容になることが出来るのである。
――それに第一、西田哲学に於ける所謂神秘的なるものや所謂宗教的なものは、実は或る正当な意味では決して所謂神秘主義のものでもなく又所謂宗教思想のものでもない。
西田哲学の方法は――そして方法にこそ哲学の実際的な代表性格が出るのである――、[#「――、」は底本では「、――」]そうした神秘主義や宗教思想やに立つのではなくて、却ってそうしたものを、従ってそれ以外のそれに反対なものさえ(例えば合理主義や批判主義や形而上学)、ジャスティファイする仕方の内に存する。
この方法が例の「無」の立場に立っていると云っても、それは今云った意味での神秘主義だということにはならず、又何か宗教的な解決だと云うことにもならぬ。
無に宗教的な意味を投入しようとすることから、僧侶や牧師が西田哲学と自分達との間に何か本質上の関係がありそうに考えるのであるが、関係のあるのは西田哲学に於ける宗教的要素であって素より宗教的方法(そういうものは無論あり得ない筈だ)ではない。
――西田哲学が東洋的であり従って封建的だという主張は不充分にしかなり立たない。

 ファシズムイデオロギーとはどういう関係にあるか。
近来弁証法の問題を取り上げるようになって以来、西田哲学は弁証法的神学に近づいたと云われている。
処で一方この新しい神学はナチス乃至一般にファシズムイデオロギーと現実問題に於て一致すると云われている。
そうするとどうやら西田哲学はファシズムイデオロギーにぞくしそうに見える。
だが之も、比較的回り道をしない限り、決して直接には成り立たない主張だろう。
第一に西田哲学が、弁証法的神学そのものではないことは云うまでもないし、第二に仮に西田哲学で取り扱われる弁証法弁証法的神学のものと殆んど同一のものであったにしろ、後に見るように、西田哲学の方法はつまる処決して何等かの弁証法ではないので、却って弁証法を説明する処の或る他の一つの方法でしかないのである。
――西田哲学が場合によってはファシズムイデオロギーと結び付くことがないとは云わない、それがファシズム的効果を有たないとは云わない。
それが封建的効果を場合によっては持たないとも限らないと同じである。
だが本質はそこにあるのではない。

 なおそう云っても疑問が残るかも知れない。
実際問題として、今日の進歩的な意識をもったインテリゲンチャは、もはや西田哲学に昔程の興味を有っていない、この頃の哲学の進歩的な学生で西田哲学を多少とも念を入れて読んでいる者がどの位いるだろうか。
その意味で夫はもはや近代的な尖端的な哲学ではない、新しい層では西田哲学は流行らない。
これが、封建的で、従って又それに関係してファッショ的でもあるようなイデオロギーにぞくする証拠ではないか、と云うかも知れない。
併し実はそうではない、この現象は単に、西田哲学がアカデミー哲学であってジャーナリスティクな哲学ではなく、又なくなりつつある、ということを示しているに過ぎないのである。
曾て西田哲学は或る意味でジャーナリスティクな哲学であった(その頃は併し理論的ジャーナリズムのアカデミーからの独立は極めて初歩の段階にあったが)、それ故それが流行ったのである。
処が最近ではブルジョア哲学は一般にジャーナリスティクな進歩的なアッピールを失って、アカデミズムの塔の内に追い込まれて了った。
ブルジョア哲学はアカデミー哲学としてか、又はアカデミーの俗流化した哲学としてしか、生存出来なくなった、西田哲学も亦その例にもれない。
だから、西田哲学が封建的でファッショ的でさえありそうに見える現象は、実は夫がアカデミーの哲学でしかなくなりつつあることを示すものであり、即ち取りも直さず、西田哲学が、外でもないブルジョア社会にプロパーな哲学であることをここでも証拠立てているのである。

 で、西田哲学が真のブルジョア哲学だとして、そのブルジョア哲学たる所以は、積極的にどこにあるか。
それは西田哲学的方法にあるわけであったが、方法はそれが使われる認識目的から見て決められねばならぬ。
そういうやり口が今問題になる方法のことである。

 西田哲学の方法、方法が使われる認識目的から見たやり口、夫は、近来確立された結果から見ると、神秘的、宗教的形而上学的、等々の一切の臭味にも拘らず、意外にもロマンティークのものではないかと考える。
という意味は、実在に関する諸根本概念――諸範疇――を、思考に於て如何に組織し秩序づけるかに認識目的があるのであり、そうした世界の解釈がそのやり口なのである。
そういうやり口――世界を範疇組織として解釈しようとする企て――は全くフィヒテに始まるものであり(彼に於て初めて実在即哲学という意味体系の概念が実現された)、シェリングを通ってヘーゲルに終るのであって、恰もそれはドイツ浪漫派哲学の発生から終焉までの過程に他ならぬ(ドイツ観念論をドイツ・ロマンティーク哲学と見る限り、その最初の代表者がフィヒテであったのである)。
――西田哲学はこういう認識目的を、最も純粋な最も自覚された形にまで、徹底させたのである。
この「徹底」に西田哲学の今の場合の固有性があるのだが、とに角一つの徹底段階であったヘーゲルに於てのように、西田哲学が、一切の哲学体系を分解し再構成出来る見透しがつきそうに見えるのは、このロマンティーク的な範疇世界体系組織という認識目的から来る、当然な現象なのである。

 だから之はブルジョア哲学の云わば正統的発展であって(この点は例えばハイデッガーなどのカトリック主義的と呼ばれているブルジョア哲学と比較して見ればよく判る)、それが又今日のわが国のアカデミー哲学の正統を形造りつつある所以でもある。
だからこそ吾々にとって、西田哲学が問題にならねばならないと云うのである。

 さてそこで、簡単に、西田哲学の方法の固有な特色を明らかにしよう。
西田哲学の方法にとっての第一のそして終局の問題は、如何にして存在なるものを考え得るかである、と云っていい。
ここですでに注意しなければならないのは、存在が何であるか――例えば物質であるか精神であるかそれとも両者の合一未分のものであるか等々――ではなくて、どう考えたならば存在というものを考えることが出来るかが問題なのである。
存在自身ではなくて存在という範疇が、存在という概念が、如何にして成り立つかである。
ここは根本的に大事な点である。

 近代哲学の考え方では、主観と客観との対立から出発して存在を考えて行くが(そして田辺哲学は結局こういう出発の仕方の後仕末をつけようとしたものだが)、西田哲学はもっとヘーゲル的であり、或いはもっとアリストテレス的であると云っていい。
というのは、存在を判断に於ける限定の関係から把握しようとするのである。
そうすれば存在と[#「存在と」は底本では「存在に」]考えられるものは凡て一般者の自己限定でなければならない。
判断に於ける限定は判断的一般者の自己限定だったのである。
一般に、在ると考えられるものはこの種の一般者に於てあるものであり、場所に於てあるものなのである。
だが判断的一般者がどれ程自己限定をして行っても、遂に個物(個体)には到着出来ない。
なぜなら個物は逆に一般者を、云わば個物の環境を、限定出来ねばならぬ(動く・働く)筈だから。
で個物が考えられるためには(そして個物は実は今の場合、後に個人的自己と考えられるものの水先案内者に他ならぬ)、この判断的一般者では不足であって、それが新しい一般者にまで超え、之によって裏づけられてなければならぬ。
そういう一般者が自覚的一般者であり、その自己限定として初めて個物というものの意味が考えられる。
同様にして更に行為的一般者(ノエシス的)乃至表現的一般者(ノエマ的)の自己限定が考えられる。
処で、上にある一般者は底にある一般者の自己限定と考えられるわけであるが、それでは、最後の底にある一般者は何の一般者の限定であるか。
最後の一般者と雖も一般者と考えられ得る以上限定されたものであり、ある処のものである、それは最後の有である。
だがそういう有の一般者が限定である限り、之を限定するものが考えられねばならぬ。
処でそれは最後の有より一枚彼岸にあるのだから、もはや有ではあり得ない。
底には何もない、何も無くて而も限定しなければならぬから、無にして限定する無の自己限定が考えられなければならない。
場所とは無の場所だったのである。

 無にして限定するということが実は自覚ということの、意識ということの、意義である。
でここで問題は、主観と客観との関係に接近するのであるが、自覚・意識は一方に於て無の限定であり、他方に於て併しながらそれであるが故に初めて有(存在)であることが出来たのだから、同時に二つの面を直接に重ねて持っているわけで、前者を西田哲学はノエシス面、後者をノエマ面と呼び慣わしている。
こういうフッセルルの現象学から借りた術語は全く、自覚――この観念――を視野の真中に置かなければ無意味なものであることを忘れてはならぬ。

 従って、一切の存在の諸範疇は、「無の自覚的限定」として、組織づけられ体系づけられねばならぬことになる。
之が実質から云って西田哲学の体系となるべきものであり、そしてそういう表題をもつ例の論文集が西田哲学の仕事の一くぎりとなる所以だったのである。

 従来の哲学の大抵のものは、何かの片手落ちや無理をして来ているのであるが、西田哲学は相反する凡ゆる哲学的要求を素直に受け入れ、夫々の間の撞着・矛盾を、結び付き得ない筈のものを、あり態に暴露する。
そこで博士は考える、結び付き得ないものは結び付き得ない筈のものである(例えば主観と客観・未来と過去・歴史とイデア・等々)、それが永久に結びつかないことこそそれの本性なのだ。
だがそれは事実としては結び付いているのであって、ただどうしてもその結び付きが考え得られないという困難に陥っているにすぎない。
それは考え方が悪いのだ。
と云うのは存在を在るもの・有から出発して考えるからで、有の論理を以て考えようとするからである。
例のノエマ面に即してしか存在を考えないからである、とそう博士は考える。
そこでかの無にして限定するものを考えることが必要になって来るのである。
存在は無の限定として、無から出発して考えられねばならぬ、そうしなければ一般に凡そ存在なるものは考えられぬ、救うべからざる矛盾に陥って了う他はない、と。
有の論理の代りに必要なのは「無の論理」である。
――無とはだから全く方法(機関)上のものであって、之を何か形而上学的なものと考えてはならぬ、形而上学的に考えることは之をノエマ的に考えることであり、即ち之を一種の有と考えることであり(有に対立する無は矢張り何か在る処の有に過ぎない)、それは結局無ではないものを考えることとなるだろう。

 この無という論理的な用具は併し、決して何か神秘主義的な Grund(例えば Ungrund)と云ったようなものではないので、吾々の自覚・意識の事実に於て、その直接な拠り処と出所とを有っている。
無の論理は他でもない「自覚的論理」だったのである。

 西田哲学の方法のさし当っての要点が大体こうであるとして、吾々は今、その「無の論理」「自覚的論理」の本性をもう少し検討しなければならぬ。
そのために、西田哲学が弁証法と考えるものが、どういう本性であるかを見よう。

 西田哲学によると、従来の哲学が考えて来た弁証法はどれも本当のものではなかった。
なぜならそこでは、矛盾ということが充分に把握され得ないような仕方でしか之が取り上げられなかったからである。
従来、矛盾は何かノエマ的に成り立つかのように仮定されていたのであるが、ノエマ的につかまれ得るものは単なる変化や対立や反対ではあっても、本当の矛盾ではあり得ない。
何故なら矛盾はいつも内部的矛盾であるべきであって、そういう内部的対立はノエシスの側に於てしか成り立たない筈だからである。
観念論的弁証法でも唯物弁証法でも、何かノエマ的に観念とか物質とかいう有(存在)を置いて、そこで弁証法が成り立つと見ているのであるが、そういう有の論理では弁証法的矛盾は考えられない。
本当の弁証法は、有が直ちに無に裏づけられている、生即死、死即生という点にしか考え得られないのだ、無の論理によってしか弁証法は考えられない、とそう云うのである。
弁証法は自覚に依ってしか考えられないというのである。

 処で吾々に云わせれば、ここでいう弁証法・自覚の弁証法なるものは、要するに弁証法の自覚でしかない。
吾々にとっては弁証法を先ず第一に存在の根本法則と考えなければならぬ理由があり、そして存在と存在の意識とをあくまで区別する必要があるのだが、従って、弁証法そのものと弁証法の意識(自覚)とを区別することがあくまで必要なのであるが、西田哲学で問題になるのは、弁証法の自覚・意識でしかなくて、弁証法それ自身ではない、というのである。
即ち弁証法なるものは如何にして意識され得るか――考え得られるか――という弁証法の意味(それは無論意識・観念されたものである)だけが問題であって、弁証法それ自身は問題になれない。
弁証法というものの意味が成立する場所はなる程意識・自覚――それは要するに無によって裏づけられる――だろう、だがそのことは弁証法そのものの成立する場所が意識や自覚だということにはならない筈ではないか。

 無の論理に於てこそ(自覚の)弁証法が初めて理解され得るというのだから、この論理は弁証法的論理でなければならないように見えるだろう。
併しここでは実は、弁証法なるものの意味・意義が解明されているだけであって、本当は決して弁証法が使われているのではない。
無の論理で取扱った結果が弁証法なるものの意味・意義を持って来るまでであって、何も弁証法的論理によって、弁証法的に取扱われるのではない。
無の論理は弁証法的に考える論理ではなくて、弁証法というものの意味が如何にして考え得られるかを[#「考え得られるかを」は底本では「考えられるかを」]解釈する処の論理なのである。
だから実際、不連続の連続とか非合理の合理性とかいうものも、弁証法的に考えることを意味するどころではなく、却って超弁証法的な一種の神秘的な方法によっていることを示すに過ぎぬと云わざるを得ない(それが所謂神秘主義と異る点は、無という論理的用具の使い方にあるにすぎない)。

 弁証法ノエシス的に考えると称して、無の論理を採用する以上、即ち云わば無の弁証法を採用する以上、当然、有の・存在の弁証法は拒否されざるを得ない。
従って存在を取扱うためには弁証法的論理(有の弁証法)は役立たないわけで、取りも直さず「無の論理」(無の弁証法)しか残らない、ということは尤もではないか。
「無の論理」(方法)は、夫が盛んに弁証法を云々するので一見弁証法的論理方法であるかのように見えるが、実は他でもない弁証法論理(方法)の排撃そのものでしかない。
――之が西田哲学の無の論理による処の「弁証法」の歪曲された解釈なのである。

 すでに今、無の論理が宿命的な関係を持っている処の弁証法に就いて、特有の仕方で見出されたように、一般に無の論理は、事物そのものを処理する代りに、事実のもつ意味を処理するのである。
本当は、事物そのものを処理しない限り事物のもつ充分な意味の処理も出来ないわけだが、ここでは事実そのものからは独立に、事物の意味だけが問題とされる。
ここでの問題はいつも、事物がどうやったらば「考え得られる」かである。
事物が実際にどうあるかではない、どういう「意味」を持ったものがその事物の名に値いするかである。
社会や歴史や自然がどうあるかではなくて、社会や歴史や自然という概念がどういう意義を有ったものであるか、意味の範疇体系に於てどういう位置を占めるか、が問題である。
で例えば社会は我と汝との関係という意味をしか有たないのである。
試みに『無の自覚的限定』の内から、何々と「考えられる」とか、何々の「意義を有する」とか、何々と「いう如きもの」とかいう言葉を拾い出して見るなら、それがどれ程莫大な数に上るかに読者は驚くに違いない。
無の論理は事物の「論理的意義」だけを問題とするのである(こういう「意味」的方法のカリケチュアを読者は西田学派的美学の内に見出すことが出来るだろう――植田寿蔵氏)。

 こうした意味解釈のためだけの論理としてならば、なる程無の論理程徹底した方法はないだろう。
有の論理はそれが如何に観念論的なものであろうとも、とにかく観念と云ったような有・存在そのものを取扱うことを免れない。
意味だけを、意義だけを、取り扱うためには全く、無の論理に勝るものは又とあるまい。
――厳密にこうした、世界の解釈に止まろうと欲する無の論理こそは、最も徹底した純正形而上学・観念論である。
それは無の論理が「形而上学」でもなく、又「観念論」でないからこそ、却って正にそうなのである。
田辺哲学は自ら称する如く観念論乃至即物主義であり、従って又自らも称する如く形而上学である、だがそれ故に却って、それが「観念論的」で「形而上学」である点に徹底を欠いている。
之はなお有の論理に立っているからである。
之を無の論理にまで徹底するのが西田哲学であった。
――吾々は処で考える、論理は元来存在の論理でなければならぬ。
ということは弁証法的論理でなければならぬということである。
ヘーゲル哲学や田辺哲学は之を非唯物論的な論理でなければならぬと考えたのだが、西田哲学は之を、思い切って逆さまにして、無的論理にする。
だが唯物弁証法的論理こそ本当に唯一の存在の論理であり、従って又本当の論理なのである。
――で、無の論理は論理ではない、なぜなら、それは存在そのものを考えることは出来ないのであって、ただ存在の「論理的意義」だけをしか考え得ないのだから。

 さて最後に、存在をば無の場所に於ける一般者の自己限定として考えるこの「無の論理」から見れば、思弁的・宗教的・道徳的・深刻を以て鳴っている西田哲学は、意外にも、至極陰影明朗な・芸術的な・人本的でヘドニッシュでさえある処の、特色を示すということに気づかねばならぬ。
元来西田博士が世界に就いて有っているイメージはそういう種類のものではなかっただろうか。
事実を云えば、恐らくこうした特色が、西田哲学をあれ程有名にし又あれ程人気を集めたと考える他はない。
そうでなければあんな難解な哲学が、あれ程多数の素人のファンを有つ筈はあるまい。
西田博士という詩人の描く意味の影像は、その要点々々が或る時代の世人の日常的感能とよく合致して行ったので、そういう読者はスッカリ有頂天になって了ったのである。
そういう読者とは併し何であったか。
暫く前迄わが国を風靡していたロマン的な読者なのである。
この種類の読者にあっては、意味の深長さは賞嘆に値いしても、客観的現実事物の物質的必然性は一向心を動かすに足りないものである。
だからこういう読者を大向とする西田哲学はロマンティークのものだと云ったのである。
尤も最近の西田哲学はロマン派的・美学的な外的色彩をやや失ったように見えるが、それは却ってロマン派的・美学的・な方法――意味影像の世界の組織立て方――が確立されたからであって、そしてそれが取りも直さず左右田博士によって「西田哲学」と呼び始められたものだったのである。
――かつて田辺博士は西田哲学をゴチックの伽藍にたとえたが、ロマンティークの末勢が中世の闇の中に後退して行った点でも考えない限りこの形容は賛成出来ない。
西田哲学はそういう封建的な持ち味のものではない。
それはもはや尖端的ではなくなった処の、併し云わばモダーンな哲学なのである。

 西田哲学がブルジョア哲学である所以の特色、それから、従って又それが有つ弱点と考えられる点、を大体述べた。
それは本質上ロマン派的な哲学であった。
――だが、このロマン派的方法による西田哲学も、他の一切の形態のブルジョア哲学の例にもれず、その神秘主義的・宗教的形而上学的・な要素の故に形而上学的・宗教的神秘主義的・な効果を有つことが出来、従ってそこからも亦重ねて、「形而上学的」で「観念論的」な世界像のために奉仕することが出来るという、もう一つの点を見落してはならない。
西田哲学の凡ゆる部分が「形而上学序説」の意味を有つことが出来るのである(岩波講座『哲学』第十四回配本参照)。
で西田哲学はブルジョアジーにとって全く有難い精神的供物でなければなるまい。

 重ねて云うが、西田哲学は決して封建的なゴチック的な方法によるものではない。
寧ろ近代的な浪漫的な本質のものだ。
現代文化人の文化的意識を裏づけるに、これ程適切なものを見ない。
現代人の近代資本主義的教養は、この哲学の内に、自分の文化的自由意識の代弁者を見出す。
そこで之は文化的自由主義(経済的・政治的・自由主義に対す)の哲学の代表者となるわけである。
ここに西田哲学の人気があるのだ。
尤もここから、反動的な「宗教復興」などのための依り処を引き出すことも、西田博士自身の、又人々の、自由にぞくするのだが。

一三 「全体」の魔術
    ――高橋里美教授の哲学法

 私は「『無の論理』は論理であるか」で以て、西田哲学の特色づけを行った。
西田哲学がアカデミカルかジャーナリスティックかというようなことをムキになって喋っている人もいるが、問題はそんな処にあったのではない。
博士の「無」の立場からは、多分哲学的な諸問題・諸関係の意義の解釈は出来るだろうが、哲学的であろうとなかろうと、現実の問題は、実際問題は、こういう形而上学的な解釈の立場と方法とでは解決出来るものではない、ということが要点だったのである。

 西田幾多郎博士の「無」の立場乃至方法と対比出来るのは云わば有の立場乃至方法で、今日わが国でこれを代表するものは田辺博士である。
田辺博士はその「絶対弁証法」(即ち Real-Ideal-Dialektik)によって所謂観念論的弁証法ヘーゲル)と唯物弁証法マルクス主義)との総合に到達出来ると考える。
この田辺哲学の特色づけの一端も亦、私はかつて拙著『現代哲学講話』〔前出〕で触れて見たことがある。

 処で、弁証法と云えば、観念論的であろうと唯物論的であろうと、更に又絶対的なものであろうと、とに角それは運動・過程の立場に立っている。
事物や世界や意識をその動態に於て把握しようとすればこそ、一般に弁証法という方法が必要になるわけだからである。
併し更に、一般的に云って、なぜ存在(有)を運動・過程として把握する必要があるかということが、非常に重大な決定的な点であって、実は存在を現実的に、実際問題として解決するためには、是非ともこの道を選ばなければならぬ必要があるのである。
ただ単に立場として最も完全であるからとか、方法として最も苦情に乏しいからとかいう、主観的な観念的理由からではなくて、存在を実際的に処理するために、このことが云わば物質的に必要になるのである。

 処が机の上や研究室の内では、実際問題と「原理的」な問題とは、苦もなく分離されることが尊重すべき習慣になっている。
実際問題は云わば「応用哲学」に一任すれば良いので、応用哲学とは純粋哲学が用意した原理をただ応用した哲学のことに他ならないのだから、まず第一に原理の研究さえしておけば、実際問題へのその応用は必要とあれば何時でも可能である、と「哲学者」達は考える。
無論こうした主張や或いは一種の自己弁解に徹底した哲学者達は、永久にそうした実際問題・「応用問題」を真面目に取り上げる日は来ないということを自分自身知っているのだから、可能だということは現実的には不可能だということに他ならないのだが。
で、こうした原理哲学(原理を検討しない哲学はないが原理しか研究し得ない哲学のこと)にとっては、実際問題は実は実際問題ではなく、単に原理問題の一種、その応用に他ならない。
彼等によれば実は寧ろ実際問題と原理問題との区別はないので、原理問題さえ片づけばそれで以て実際問題に対する処方も亦出て来るというオプティミズムが根本をなしているのである。
だからこそ、原理的なこの哲学は本当の実際問題をば永久に問題の圏外に追放して了うのである。

 ここでは可能の問題と現実の問題とが混同される、その結果実際問題としては、可能の問題と現実の問題とは永久に切り離されて了う。
存在の把握の仕方を考察するに際して、だから、現実上の必要を標準とする代りに、可能的な諸可能性の内から、任意にその立場や方法やの詮衡が行われる。
存在(有)を何も運動や過程の立場から取り上げねばならぬ必要性は、可能性の上では、どこにもないではないか(なる程その通りで、之は現実の問題から云って必要なのであって、可能的問題としては多分その必要はないだろう)、それよりも寧ろ、運動や過程をさえ含む処の、併し全運動や全過程を越えた処の、静止した全体が少くとも可能性上可能であり、而もこの方が、可能的な立場の内で従って又可能的方法の内で、最も完全な苦情のないものではないか、少くともそう考えることは可能性上不可能ではないではないか、――もしこういう可能性を主張する哲学の代表的なものを、今日のわが国のブルジョア哲学界に求めるならば、東北帝大の高橋里美教授の哲学がそこに待っている。

 世間では高橋教授の哲学は殆んど流行していない、そして高橋教授の名は必ずしも喧伝されてはいない。
高橋教授は西田博士や田辺博士やに較べれば印刷にした原稿の紙数は比較にならない程少ない(尤も他の哲学の教授に較べたら必ずしも少なくはない、殆んど何のアルバイトも示さない哲学者さえわが国では一人前に生活している)。
併し教授は確かに西田・田辺の両氏に並べられていい哲学者であることを注目しなければならぬと思う。
――教授が最も卓越した点は、その分析の執拗さと可なりの鋭さ、現象学者に見られるようなザッヘへの忠実さ、妥協に対する潔癖と徹底癖、等々で、事物をゴマ化さないという点で、形式的には相当信頼すべき科学性を示している。
そういう根拠から云っても吾々は教授の哲学を批評する気になるのである。

 併し或る意味に於て、教授の哲学を批評することは、今の処不可能であるとも云うことが出来る。
というのは高橋氏の哲学の特色はその論文集『全体の立場』で大体見当はつくのであるが、その序文によると、この論文集に出ている体系的全体というものの立場は、すでに現在の氏の立場ではなくなっているらしく、「体系そのものを含む純一なる全体性としての全体性」と云って説明されている絶対無の立場こそ、氏が現在立っていると称している立場だからである。
普通の有限者の立場とこの絶対無の立場との中間に位いする立場が、この書物の内容なのだから、そこでは絶対無の立場は必らずしも吾々にハッキリとは判らないわけである。
教授は、現在立っているそういう立場の詳しい説明をここでは与えていないし、又特にその立場から何かの問題を解決して見せてもいないからだ。
そしてこの論文集の他に、教授の書いたものは「認識論」、「時間論」(何れも岩波講座『哲学』の内)及び「フッセルルの現象学」があるだけで、而も今の最後の立場を知るには、どれもあまり適切ではない。

 で吾々は『全体の立場』(岩波書店・昭和七年)に出ている氏の考え方を批評する他なく、之を通じて見当のつく現在の氏の考え方に及ぶ他はあるまい。

 この書物の名が示す通り、最も重大視されそして最も頼みにされているものは「全体」という概念である。
氏に於ては之は一つの原理にまで高められる(「全体性の原理」)(七頁)。
一体ある概念が或る哲学に於て原理の位置にまで高められる場合は、その原理が論理の性質を有つ時であって、西田哲学の無は「無の論理」にまで展開するのであったが、ここでは全体が、「全体―部分」の論理を展開するものと見ていい。
即ち事物は可能―実現とか、矛盾―総合とか、無―有とか色々な論理・思考のメカニズムを使って哲学的に処理されて来たが、そうしたものに代わる思考のメカニズムとして、全体対部分という根本的な連関が氏によって選ばれるのである。
氏によれば之こそが初めて「具体的全体的方法」(一一頁)だというのである。

 なる程誰も事物を考えるのに、わざわざ部分的に考える者はいないだろう、考えるからには「全体の立場」に立っていると思わないものは恐らく一人もないだろう。
それは丁度誰だって抽象的に考えたり不純に考えたりしていると思っているものはないのと全く同じで、その限り、具体の立場や純粋の立場と云った処でそれだけでは何物をも意味しないが、夫と同じにただ「全体の立場」と云っても何物を意味するものでもないだろう。
だが氏のいう「全体の立場」なるものは、こういう当然な併し無論不可欠な一般的要請のことだけではなくて、之が特殊な形で全体―部分という論理にまで精製された場合を指すのだ。
だから氏の「全体の立場」に、全体という言葉が付いているからと云って、本当にそれが全体的であるのかどうか、さし当り保証の限りではない。
人間主義が決して人間的であるとは限らないように、全体という言葉に、予め読者も高橋氏自身も、決して迷わされてはならないのである。

 そこで全体―部分の論理は論理として使用に耐え得るものかどうかという、根本問題に来るのだが、氏自身の告白によると、どうもこの根本がまだ疑問のないものではないらしい。
一体、全体は無論部分を含むのだが、ではなぜ部分は全体から区別されねばならないか。
本当に部分を含み切っているから、全体だけでいいのでそれから区別された部分というものは、論理的に少し変なものになりはしないか。
この質問は氏によると決して物数奇な動機から来るのではなく、極めて根本的な「恐るべき問い」なのだが、それがまだ解決されていないのだそうである。

 家の全体の内には例えば部屋という部分が含まれているということは、空間的には問題のないことだが、空間的にしか通用性を保証されていないこの全体―部分の連関を、論理にまで一般化するのだから、当然疑問は起きる筈ではないか。
ここへ Nebeneinander(Nacheinander に対して)という範疇を援用して来ても事態は一向有望にはならぬ。
氏は「恐るべき問い」や「恐るべき疑問」と云って、哲学青年や明治時代の人生哲学者を捉えそうな興奮にかられる場面を処々で見せるが、「全体」という言葉も、「ヘンカイパン」という言葉から連想されるドイツ文学的興奮を催すので、或いはそこから、教授はその全体―部分の論理の興奮根拠を得ているのではないかと、気を回わしていけないだろうか。
――本当に全体であるためには、何でもかでも一遍に這入るものを考えなくてはならぬ。
処が事物の関係には矛盾があり排除があるのが少くとも事実であって見れば、相矛盾したものも相排除するものも一緒に仲良く之に這入らねばならぬ。
即ち例えば全体主義自身は、部分主義と云ったようなもの迄も含まなくてはならぬ。
高橋哲学は反高橋哲学をも含まなければ高橋哲学にはならぬということになる。
すると所謂「全体の立場」という一つの立場は実は高橋哲学ではあり得ないということにさえなる。

 現実に於て人々が立脚する立場・立脚点はいつも相対的全体に止まっているのだから、「全体の立場」も実は絶対的には全体的な立場でなくてもいいのだというなら、本当に全体的な立場とは要するに、相対的な立場の進歩や発展という過程の揚句初めて出て来るわけで、この過程性を抜きにしては本当の全体性を云々することは出来ない筈だろう。
全体性という範疇なり原理なりが、それ自身弁証法的なものなので、即ち弁証法的論理にかけて初めて使用出来るようになるものなので、それ自身だけで、部分や何かを相手にして、独立に論理となることは出来ない、ということが之で判るだろう。
この点を見失うから、全体と部分との関係が、全体―部分―論理から云って「恐るべき問い」になって現われて来るので、実は全体と部分との関係は正に弁証法的論理の一使用に他ならないのだ。

 氏の考えはH・コーエンの考え方によって琢磨され、之を批判することによって之を踏み越えて来ているが、そこで、コーエンの例の根源なるものは教授によれば本当の原理ではないというのである。
コーエンの根源はコーエンの汎方法主義によれば、方法が始まる始元(Anfang)であったが、高橋氏によれば原理(Anfang=Prinzip=Principia=Anfangsgrund)は端初にばかりあるのではなくて、端初にすでに含まれている全体の中になくてはならぬというのである。
AからBへの発展はだから又BからAへの発展と独立ではないので、凡ての過程(運動・変化・発展・等々)はその意味で「可逆的」だというのである。
そしてA→BとB→Aの双方を含む全体が必要になって来て、それは又当然静止の性質を有って来なくてはならぬ筈だというのである(七五頁以下)。

 全体は静止である、無論運動を排除した意味での静止ではなく、運動と静止とを一緒にブチ込んで而もこの方にだけ――部分的に――肩を持つ静止である、それが全体的な所以であるという。
よろしい、まあそうしておこう。
併し自由主義のように寛大なこの静止に立脚点を求めることによって、実際に存在している運動や静止はどうなるのか。
それは矢張り前の通りの運動と静止とだろう。
では何の為めに、わざわざそのようなパンドラの手箱に入れて見る必要があったのか(教授によれば出すということは入れるということである)。
「原理の学」である哲学がそれを必要とするのか。
では哲学というものは例の原理問題を取り扱いたいばっかりに、現実のA→Bという運動も、解釈上のB→Aという観念的運動も、何でもいいただ一緒にさえすればいいのであるか。
そうしないと現実の運動A→B自身さえが理解出来ないと氏は云うらしい。
全体の立場に立って初めて個性も本当の個性として理解出来ると。
なる程そうである。
だが、現実の運動A→Bが、観念的運動B→Aと並べられることによって実際には何の得をするのであるか。
精々が現実の秩序にぞくするA→Bが、解釈の秩序にぞくするB→Aと並置されることによって、現実性の原理を去勢されて可能性の原理にまで還元されるのが落ちだろう。
この際得をするのは、与えられた現実の問題、運動A→Bではなくて、勝手に静止の方が好きで、そういう好みの我を張ることだけが仕事であるように見える、全体性の原理自身でしかない。

 運動と静止とは、教授が愛好する高次の静止の立場に於て救われるのではない。
この運動自身と静止自身との何かの(吾々は之を弁証法的だと云うのだが)連関によって救われるのである。
その連関が即ち静止ではないか?と、否その連関は今も云った通り何も静止である必要はなくて、正に他ならぬ静止と運動との連関なのだ。
高次の静止と高次の運動との連関を考えるなら、夫がこの与えられた静止とこの与えられた運動との連関自身と一つなのだ。
一体初めから静止の立場を仮定しなければ、何もそう幾つもの静止を(運動は無論)考える必要はなかっただろう。
1という数字の好きな人は、5=5×1=5×1×1……というように、いくらでも1を付けてもいいが、5という数はそれによって決して殖えはしない。
まして、5の後から1を掛けたからと云って、5が1になるものではない。
――問題は現実に働くものや動くものや個物や何かの解釈にあってはならぬ、解釈はこういう事物の実際的処理のための単なるオペレーターに過ぎない、結果として出す時にはそれは消去されていることが必要だ。
如何に意味を有った(Sinnhaft な)事物でも、事物が意味を有っているのであって、意味が事物になっているのではない。
意味の解釈で以て事物の処理に置き換えては困る。

 併しどうしても哲学である以上こうした「全体的」な「静止」の立場が必要だというなら、教授がそれほど哲学体系を好きだという点を吾々の問題にしよう。
氏は方法を体系から峻別し、方法主義に対して体系主義ともいうべきものを固持する。
無論この体系は静止した体系でなくてはならぬから(開放的体系や動的体系はナンセンスだ)、さっき見た連関によって、過程としての方法をも含んでいるので、全体主義には矛盾などはしない。
高橋氏は前に述べた通り、今日では体系的全体という合言葉では満足していないので、絶対無としての全体性にまでつき進んでいるのだから、今更吾々が体系を問題にしてもあまり適切でないと思われるかも知れないが、併しこの絶対無は不思議にも愈々益々色々のものを含んでいる(Sein)ものなので、無論体系的全体だって夫に這入っているものだし、それに、氏の体系主義と同様に、否更にそれ以上に、実際問題を処理すべき「方法」の産出に於て不毛なのだから、この最後の点を見るためには、氏の愛好する「体系」をその「絶対無」の身代りにするのは、寧ろ当方の側の譲歩でもあるだろう。

 併しよく考えて見ると、体系を愛好する人は当然体系を造るべき筈である。
その良い例はヘーゲルである。
体系ばかりを愛好しない人でさえ体系は造る。
処が高橋氏は之まであまり体系は造らないらしい、体系の代りに体系主義という立場が強調されるに過ぎない。
だが氏が要求している処の、即ち又やがて氏自身が造り上げるだろう処の、体系の見取り図は、ある一点に於て、決定的に決っているようだ。
体系とは例の全体をその内部組織から説明する言葉に他ならないが、この全体は「体験」の全体であり、そして「意識せられる限りのもの」がその内で「存在の権利と能力」とを持つ処の全体なのである(九八頁)。
即ちここに観念の体系しか出来上る心配はないということが殆んど決定的に確実ではないか。
こういう観念だけの体系が、何かの意味で観念論的にならないということは、全く想像出来ないことである。
まだ併し氏の体系は出来ていない、立場があるだけだ。
哲学概論は出来ているが哲学はまだ出来ていない。
だからどういう形の観念論になるかは予断出来ないが、少くともその立場がどういう風に観念論的であるかは、例の「静止」の魔術によって凡ての現実的なものを、パンドラの手箱の内へ仕舞い込んで、可能性の呪を結んだことで判っている筈だろう。
だから恐らく体系としては、「静止」の「形而上学」と云うべきものが出来上ることだろう、そして吾々がそれに反対しても賛成しても、どの道吾々はその全体の立場に呑み込まれて了わなければならぬ宿命を持っているらしい。
このレヴィヤサンは全く、この頃の国家権力のように万能で貪欲である。

 もし高橋氏がこの「全体の立場」の論理を社会の問題にでも持ち込むならば、アブソリュティズムの哲学的基礎づけなどとして、正に恐るべき社会哲学が発生するかも知れない。
体験の全体というような観念も、国民性とか民族とかいう観念と結び付くのは多分困難ではないだろう。
併し学的に慎重で良心的な氏は、決してそのような山師のような企ては有たない。
氏が専ら哲学的に興味を有っているのは、例の立場の問題や、意識と時間との問題や数学や物理学の問題やであって、社会の諸問題はなぜだか殆んど哲学――純正原理哲学――には値いしないとでも考えているようである。
私の見た処では、連続の問題に関して、断絶の理論(弁証法)は「過激派」の「革命理論」に通じると云い、之に反して連続の理論(体系的全体は連続的だ)はもっと穏和な社会理論に対応しそうだと云っている個処が、一つ二つあるだけである。
――「全体」の哲学体系とは、一切の存在の体系ではなくてどうも「意識」の体系のことであるらしい。

 高橋氏の「全体」なるものが「静止」した「意識」(「体験」)の「体系」であるという処から、当然重大問題とならねばならぬのは弁証法の問題である。
そして之に対する氏の態度も、想像するに困難ではないだろう。
併し氏は例の唯物弁証法(西田博士や田辺博士が如何にして之を克服しようかと骨を折っている代物)に就いてはあまり興味はないと見えて、問題になるのはヘーゲル弁証法だけである。
恐らく、ヘーゲル弁証法マルクス主義の夫も、過程の弁証法を脱却していない点で同断だというので、「哲学者」であるヘーゲルだけが特に選にあずかったのだろう。

 ヘーゲル弁証法の根本問題に対しては、精緻なこの教授の頭脳は非常に示唆に富んだ分析を与えている。
一般に弁証法にとっては端初=始元は根本問題だが、氏はヘーゲルの始元に於て「始元の弁証法」と、之から区別される「内容的弁証法」ともいうべきものとの、関係を取り上げる(尤もこの二つの言葉は無論氏が造ったのではない)。
ヘーゲルが純有(reines Sein)を直接的であり且つ抽象的であると云う時、この二つの弁証法が混同されているというのである。
即ち、本当に直接的なものは無媒介な直接性を持つ筈なのに、それを更に抽象的だと考えることによって、媒介された直接性にして了っているのであって、抽象的なものは抽象作用を媒介とする[#「媒介とする」は底本では「媒介する」]のでなければ抽象的とさえ呼ぶ理由がないからである、と云うのである。

 普通ヘーゲル弁証法の真意は、哲学的始元が有つ始元の弁証法を斥け、事物自身のもつ内容的弁証法を採るにあると考えられているが、高橋教授によれば、この内容的弁証法によるのでは、何故純有が無に対立しそして二つが統一され得ねばならぬかが一元的には理解出来ず、之を理解するにはこの純有と無とを同じく抽象的なものと考えねばならなくする筈の「抽象作用」を根本に置く必要が生じる、というのである。
この抽象作用が本当の第一の始元であって、之が第二の始元として自己を限定したのが、所謂始元として選ばれた純有に外ならぬ、と教授は主張する。
之によると純有は全く抽象作用という意識なり観念(イデー)なりの所産としての範疇なわけで、ヘーゲルが不徹底にも、何か之に先立つような本当に直接的な有を考えたことが、その弁証法へ神秘性とパラドックスとの外観を与えているということになる。
即ちヘーゲルは寧ろ、その内容の弁証法の根柢に本当の始元の(抽象作用)の弁証法を置くべきだったというのである。

 抽象という媒介作用によって、抽象的なそして媒介的に直接な「始元」たる純有を結果するのだとすれば、純有はもはや始元でないのは云う迄もないが、この抽象作用に相当するカテゴリーは寧ろ成でなくてはならぬ。
成こそだから本当の始元で、有と無は之から媒介分化されたものにすぎない。
そしてこの成が恰も例の「全体」に相当する、というのである。
もしこう考えればヘーゲルの「有の弁証法」を「成の弁証法」として一元的に理解出来るというのである。

 処で、前にも云っておいた通り、全体は運動と静止とを含むに拘らず、結局静止の方に肩を有ったのだが、ここではこの全体たる成は有と無とを含むに拘らず、無の方に肩を持つ。
この無はただの無ではなくて根源無だ。
でこの場合、弁証法は「無の弁証法」と名づけられる(二八七頁)。
之は有の弁証法と無の弁証法との「全体」であって之こそ弁証法の真理だろうと、教授は希望を示している。
ここでは凡てのものが受け入れられ(「全弁証法」)(三〇二頁)、凡てのものが体系づけられる(「体系の弁証法」)(三〇五頁)。
だがその結果どうなるか。
矛盾は体系的な全体に於てそのまま統一される、ばかりではない、例の根源無から、連続的漸次的に、有が成り又発展して来る。
だからここでは、矛盾ばかりが弁証法の本質ではなくて、無限な差違性も亦その本質にぞくする、というのである。
一体体系そのものが連続的でなければ全体的ではあり得ないと考えられている。

 だが教授によればこうした「体系の弁証法」はあくまで弁証法的運動ではない。
なぜなら運動と云ったような「過程性の見地」を超越しなければ、全体ではなく又体系でもないからである。
こうした運動などはここでは完全に「止揚」されて了っている。
処が止揚は普通の弁証法では一つの過程に他ならないのを、高橋氏は独特な「止揚」の仕方を知っているのである。
即ち例のパンドラの手箱に仕舞い込むことが本当の止揚だというのである。
――之で弁証法は高橋教授の手によって、完全に弁証法ではなくなって了った。
かの「無の弁証法」とは実は「弁証法の無」だったのである。
運動の弁証法が実際問題の現実的な解決上必要だと思って、高橋教授に弁証法の取り扱い方を尋ねると、どうもそういう実際問題は、問題自身が間違っているらしいということを教えられたわけである。

 要点は、ヘーゲルの純有が如何にして直接的であり得て、従って何故に無に対して無媒介的に対立し、そして又それが如何にして媒介されるか、ということの説明にあった。
氏は之を抽象作用という観念的な手段を用いて観念の内部で統一して了った。
観念の間の統一としては全く結構だと云って良い。
だが、有というのは、あるということは、実は何かの客観物があるということを離れては、その最も大切な使用の場合を失って了うという点に、もっと気をつけなければいけないだろう。
有の始元は、或いは有が始元であるということは、高橋氏の哲学によるような抽象作用とか体験の全体とかいう観念に於ける操作から来るのではなくて、もっとハッキリした吾々の日常の経験によれば、吾々が住んでいるこの世界が存在しているという処から来るのである。
有は観念のおかげで始元であるのではなく、その根柢に於ては、云わば物質のおかげで始元になるのだ。
一体この場合、観念の弁証法と雖も、観念と物質との関係を、即ち物質が観念を外界に於て超越し、而も観念が他ならぬこの超越した物質を把握しなければならぬ、という悲劇にあるので、それを観念の抽象作用で片づけて了っては、解決ではなくてブチ毀しに他ならないではないか。
尤も之も観念の名誉のためだと云うなら、もはや致し方のないことであるが。

 ブルジョア哲学が観念論である所以は[#「所以は」は底本では「以上は」]、一方に於て、夫が唯心論的な体系を立てるからばかりではなく、他方に於て、その必要から形而上学的な範疇――論理――方法を使おうとするという処に見出される。
この一般的な事情は高橋教授の「体験の全体」と「全体と部分」という特殊な二つの言葉の内によく現われている。
思うに体験という概念は、現代に於ける観念論が観念を云い現わすために最も工夫を致した処のものであり、又全体と部分という連関は現代に於ける形而上学的論理(各種の形式論理学)の新しい一つの着眼点である(吾々はフッセルルの分析を知っている)。
云わば高橋教授は現在、マルクス主義の洗礼によって広く世間の問題になっている弁証法に対抗するために、この体験の全体―部分の論理を固執していると見ることが出来るだろう。

 尤も教授は古くからの思索家で、之は一朝一夕で出来上った「立場」ではなく、教授の思索生活の初めからその脳裏を往来していた観点だったようだが、併しそれにも拘らず「全体」への要求は極めて直接的であるだけに原始的な未開な要求だとも云えなくはない。
こういう原始的な要求は、その形式を他のものに代えない限り、決してそのままでは満されないのが普通だが、それが教授に於ては、依然として同じ「全体」という形式の下に、そのまま発達して来たものであるらしい。
云わば之は原始的なまま発達した文明のようなもので、教授が私かに東洋的(恐らく又日本的)な思考を愛好しているらしいのも、ここから見ると決して無理ではないようだ。
――精細な教授の頭脳は最後に、併し思想に富んでいるとは思えない。
思想的な見解を示す時は、有態に云って吾々に高々老哲学ファンや宗教青年やを思わせるに過ぎない。
特色の乏しい自由主義者である教授の階級性などに就いて語ることは、恐らく針小棒大の憾みがあるだろう。
教授の「全体」哲学の方法はパンドラのように寛大な自由主義だ。
だが、この「全体」の哲学が、今日国際的に存在しているファシストの社会理論乃至社会哲学(「全体国家」説)にとっても、決して無用な哲学でないことは、注目に値いする。
哲学の本質は、哲学という抽象的な世界自身に於てよりも、却って夫が色々の実際問題に応用又は利用された場合、客観的に明らかになるものである。

一四 反動期に於ける文学と哲学
    ――文学主義の錯覚に就いて

 韻を踏み平仄をつけ旋律に従ってものを云うのが詩であるか。
更に、特別な言葉を尊重しシンタックスを変え行をさえ変更することが詩の資格であるか。
多分之は韻文ではあっても必ずしも詩の本来の意味ではないだろう。
同様に、単に特に「文学」という名を持ったものだけが本来の文学なのではない。
それは丁度哲学という名のついたものだけが哲学ではないのと少しも異らないのである。

 それだけではなく、所謂哲学と名づけられたものだけを哲学だと考えている者が、実は少しも哲学自身の必要を感じているものではないと同じに、所謂文学という伝統的な或いは寧ろ習慣的な一定形式だけを文学だと思い込んでいる者は、殆んど全く文学自身の必要を感じているものではないのである。
そこで作家や批評家は、所謂「文学」の背後或いは根柢から、生活とか意欲とかの問題を取り上げ、ここにこそ本来の文学の源泉が横たわる、というのである。
之を一歩進めれば、文学的と考えられている一定の形象(形式)を以て具象的に現われる処の作品なるものが普通は文学の実体だということになっているにも拘らず、実はそうでなくて、文学の実質は実は出来上ったこの作品にではなくその作品の背景をなす今云った生活や意欲にこそあるのだ、という風に考えられてくる。

 この点哲学も全く同様である。
現に認識論や形而上学(之等の言葉がここでどういう意味に使われるのかに就いて私は今責任を負おうとは思わないが)を蛇蝎のように悪む一種の文学者も、自分が哲学を有っていないとも考えなければ、又他の文学者の内に哲学を見出すことを恥だとも無礼だとも思わない。
そして例えば哲学は理論ではなくて世界観だというのである。
事実、哲学の実質は一つ一つの哲学的作品としての論文や著述にあるのではなくして、哲学者の思想そのものにあるわけだ。

 一般に文学と哲学との根本的な交渉は以上のような関係に基いて理解される。
文学作品の、小説なら小説、詩なら詩という、単に作品形式だけを取って見れば、この言葉が示す通り全く形式的なものに過ぎないので、そこには仮に文学的手法の有つ内容はあったとしても、無論夫だけでは何の思想もあり得ない。
で、そういう文学(?)は哲学とは全く独立な存在となる。
又単に哲学的仮説と哲学的メカニズムとだけならば、そこには何の思想――文学的なもの――もあり得ない。
そうした哲学は文学とは無関係な筈である。
――処が実際には、そういう夫々独立した哲学や文学などはありはしない、否、ありはしない筈だ。
もしあったとしたら、夫は哲学や文学のカリケチュアでなくてはならぬ。
特にこの点を強調しておきたい。

 読者は私が何のためにこんな判り切ったことを云い始めたのかと不思議がるだろう。
その説明はやがて与えられることになると思うが、とに角、文学と哲学とのこの割くことの出来ない結びつきによって、初めて姿を現わすものが批評(評論)だということを、それより先に注意してかかろうと思う。
批評家乃至評論家は、無論資格の上から云って作家ではない。
彼は作品を書かないのだから、もし文学と云うものの実質が、さっき云った時出て来たように、作品形式自身の内になどあるのだとすれば、彼は文学者ではあり得ない。
だから、作品或いは作家に追随する以外に、批評家の「文学的」能力はないとさえ云い出す作家や批評家も少なくない。

 処がこの同じ批評家も文学作品の読者に向っては(否大事なことは文学作品を読まない読者に向ってもだ)、欠くことの出来ぬ文学の紹介者であって、立派に文学者の資格を有った人間なのである。
それだけではない、批評家は作家自身に向ってさえ制作の指導と助言と要求とを加えるものでなければならぬというわけである。
彼自身は実際には作品を制作しないのだが、それにも拘らず他人の制作の過程や結果に容喙すると期待され得る以上、彼が文学者の資格でものを云うことを期待されていることは明らかだ(私は曾てこれを批評家による「可能的制作」という稍々漠然とした観念で云い表わしたことがある)。
批評家というものの資格のこうした矛盾を解くためには、是非とも文学の実質を(従って又哲学に就いても同様だが)文学作品そのものの内ではなく、その外に求めなくてはならなくなる。
即ち文学と哲学との交渉圏に於て初めて、批評というものが現われて来るわけである。
文学と哲学とが批評を媒介にして結合しているのである。

 之から真直に出て来る結論は、批評自身が、文学の批評であろうと哲学の批評であろうと(又は実は何の批評であろうと)、同時に文学であり又哲学でなければならぬ、ということである。
夫が創作でもなく論文でなくてもだ。
評論家は独特な意味に於て、文学者であり且つ哲学者でなければならぬ、仮に彼が作家でもなく哲学科の教授でなくてもだ。
処が文学にピンからキリまであると共に、哲学にもピンからキリまであるので、批評の実質も亦二重にピンからキリまである。
どういう評論が一体批評の名に値いするかは、こうした一般論では無論決まるものではない。

 さて現在日本に於て行われている批評乃至評論はどういう性質のものであるか。
即ち現在の日本に於ける文学と哲学との関係はどういう状態におかれているか。
だがもう一遍改めて注意を繰り返したい点は、批評自身が単に文学であるばかりではなく又同時に哲学だったということである。
批評が文芸評論の資格に於ては文学制作作品と無関係である筈がないと同じに、哲学は評論の資格に於ては、哲学の理論体系と無関係だということはあり得べからざる許し難いことでなければなるまい。
即ち又、文学的評論であっても哲学の理論体系と無関係ではあり得ない筈だ。
もしあったとしたら、少くとも夫は哲学的評論ではない処の文学的評論なわけだから、本当の評論ではあり得なかった筈である。
そういう評論は文学と哲学とを媒介すべく存在するのではなく、実は逆に文学と哲学とを絶縁して夫々を独立絶対化すためにだけ存在するのだ。
文学と哲学とをカリケチュアするものは正にこの評論だということになる。

 処で、一体現在の日本に於ては、文芸評論と名のつくものは非常に多く、又もっと極端に云えば文芸評論でない批評は殆んど無いとさえ云っていい位いだが、併しこの場合の所謂文芸批評という意味は甚だ常識的なのであって、単に文芸に関する批評ということに過ぎない。
之をすぐ様文芸に対する文学的即ち哲学的批評のことだと思ってはならないのである。
たとい、この頃流行る哲学的衣裳を纏って現われる文芸談であっても、哲学的即ち又文学的であるかないかは、衣裳の問題ではなくて実質の問題だということを、私はさっきから云っているのである。

 そこでその際、文芸に関する批評だけが本当の批評というものであるかのように、文学者によって考えられているらしいのは、一体どういう心算なのか。
文学的であり又哲学的である筈だった批評が、なぜ文芸(即ち文学者の好きな所謂「文学」)にだけその笑顔を向けて、哲学の方に向っては特に冷淡なのか。
例えば思想――哲学――の最も切実な内容の一つである近代科学に関して、この所謂批評はなぜか極めて冷淡なのが常である。
科学に関する哲学的即ち又文学的批評というものは、所謂文芸批評とは何の因縁もないもので、場合によってはそういう科学批評などは成り立たない、従って唯一の批評は所謂文芸批評につきる、とでも「文芸評論家」は考えているらしい。

 今日の日本の科学者が一般に批評(本当の又偽物の)の機能に就いて著しく無知であり、特に自然科学者がこの点に就いて特別に固陋であり、之に反して日本の文学者が之に就いて必要を越えて悪く神経質である以上、批評というものが文学者から受けているこうした均衡の保てない得手勝手な偏頗な待遇も無理からぬことで、それに科学と文学とではその存在条件が異っているのだから、今云った現象には或る限度までの必然性もあるのだが、併し文学的即ち又哲学的な筈であった批評にとっては、こうした事情は少しも弁解になるものではない(近来、文学と科学との実質的な関係を省察する二三の人達によって、科学批評――必ずしも科学的批評のことではない――の問題が取り上げられ始めた。
尤も之は自然科学の所謂専門家達の極端な反感を買うことによってしか研究を進められない現状なのだが)。

 批評とは取りも直さず文芸批評のことだという迷信は、云うまでもなく文学者達の世界観の一種の世間見ずと独よがりとから発生する(そして科学者は之に対して消極的な相槌を打つ)。
彼等は批評という巨象の特に円滑な皮膚の部分だけを「文学的」に撫でまわして、ここから彼等だけに必要なそして彼等以外には必要ではないかも知れない処の、一種の批評の観念を得る。
それが「文芸批評」としての批評となるのである。
実際現在見られる「文芸批評」の大半は拡大された文壇時評に他ならないだろう。
尤も批評という以上、元来が時事的なものでその限り時評でないものには決して批評の資格はないということをも、批評の社会的なジャーナリスティックな機能に因んで説明しなければならないのだが、併し問題は夫が時評的である点にあるのではなくて文壇の時評だという処にあるのである。
というのは、文学者の特有な世界観が一種均衡を失した得手勝手なものになり勝ちなのは、他ならぬ、彼が実際にか可能性としてか、とにかく、結局類型の決った文壇人としての社会生活を送ろうと欲していることに原因するのだからである。
そこでは文学は常に「文学」の内部に於て、即ち多少の出入りはあるとしても大体文壇の周りを回って、評論される。
やがては文学だけではなく一切のものがここから「文学的」に批評される。
で例えば文学を「文学」外から批評するなどということは、身の毛のよ立つ冒涜なのだ。

 文芸批評が殆んど唯一の批評だと信じているこの文壇人達(今日の日本の文学者達)の多くは、この際更にもう一つの利己的な錯覚を有つ癖があるように見える。
批評(彼等によれば)即ち又文芸批評は、専ら作家の活動のためにその存在理由を有っているものだというのがこの錯覚である。
単に作家自身だけではなく、作家と共に「文学者」にぞくする文芸批評家も、亦尊重することを忘れない処の錯覚が之である(例の「批評不能」論争がその好い証拠だ)。

 之と全く同じい錯覚が非常に多くの自然科学者に就いても見られることは、日頃興味のある文化風景に数えることが出来るだろう。
或る有名な物理学者は、哲学者(吾々の場合には批評家になるわけだが)は科学に色々と注文をつけたがるが、科学者は忙しいから之を嗤ってやる暇さえなかろうと云っている。
文学者達は、批評家が作家に対して能力を持っているかいないかを少くとも未解決の問題として提出しなければならなかったが、この自然科学者によると、批評家がそうした能力を有ってはならないことはあまりに当然で問題にする暇さえないのである。

 批評というものを把握し損うと、文学や自然科学(無論哲学も)がどんなにカリケチュアとなって現われるものであるかを、注意すべきだ。
自然科学者によれば、批評家などは専門家の仕事に口を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)んではならぬと云う。
文学者達によると、批評家は作家の作品に口を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)むべきであるのに、夫が出来ないから駄目だと云うのである。
では一体批評家はどうなるのか。
戯画になるのは、文学者や自然科学者ばかりではなくて、批評家も又おかげで道伴れになるわけである。

 文芸批評というものは作家のためにあり、批評というものは文芸批評のためにある、と信じている多くの文学者達は、時とすると生活までが文学のために存在しているかのような倒錯症に陥らないとも限らない。
文学が即ち生活であるというようなフラーゼが、比較的不用意に吐き出されるのは、恐るべきことだと云わねばなるまい。
文学にも前に云ったようにピンからキリまであるので、一体この際それが、哲学や科学(処がこの二つにもピンからキリまであるのだ)とどう連絡がついているのか、或いはいないのか、が問題である。
それに一体その生活とは何のことか。
文学的生活ならば、文学的であってそれ以外のものではあり得ないのは無論当然だが、それだから一般に文学が生活だ、ということになるのであるか。

 現代日本のこうした文学主義は併し芸術至上主義や審美主義とは大分本質を異にしている。
このことは注目に値する。
芸術至上主義は寧ろ芸術乃至「文学」を意識的に生活から独立させて之を生活の上に君臨させることであったが、現代の文学主義は之に反して全生活を挙げてそのまま文学と意識的に一致せしめることにある。
審美主義は単に感情が知性や意志に対して優位を占めているという主張以上のものではない。
だからそれだけでは必ずしも今日の文学主義になるとは限らない。

 なる程文芸批評の正統的伝統に於ては特にこの芸術至上主義は嘗て重大な位置を占めたことがあるだろう。
だが今日の文学主義は云うまでもなくこの伝統の直系として現われて来ているのではない。
それより「深刻」なより「真実」な内容があるというのであって、場合によっては一見、却って非審美的に見えたり芸術否定の形態を取ったりさえし兼ねない。
それはもはや単なる悪魔主義ではなくてもっと真面目な云わば悪党主義であったり、「文学」の形態を取らずに寧ろ「哲学」や神学の形を取ったりして現われる。

 だがこういう現代の文学主義は決して不用意に世の中へ出て来たのではない。
之には見えざる手の深い意図が潜んでいる。
問題は矢張り批評の歴史に、特に又批評の最近の歴史に関わっているのである。
読者はここで最近の所謂「文芸復興」のことを思い出して欲しい。

 無論文芸はいつも復興されねばならぬ、もし文芸を抑圧する最後の〔桎梏〕が〔政治〕ならば、〔現代〕の〔政治〕を倒して文芸はギリシアの昔に倣わねばなるまい。
最近の所謂「文芸復興」が[#「「文芸復興」が」は底本では「「文芸復興が」]どういう権威を倒し、どういう古典に帰り、又はそこから出発し直すのであったかを知らないが、少くとも復興されるべきであったものは科学や生産技術を含めての文芸乃至文化ではなくて、単に文学としての「文芸」でしかなかったことは、吾々の話の筋から云って、興味のあることだと云わねばならぬ。

 文学が「文芸」として復興されねばならぬ。
その言葉に対しては誰しも反対する理由を有たないだろう。
併し何故同様に、或いは同時に、科学も復興される必要がなかったのか。
ブルジョアジーの固有な思考に基く機械論的な近代自然科学は、要所要所に於て殆んど全く行きづまっていると云われているが、之は日本の「文学」などとは比較にならぬ国際的な大問題だろう。
それに自然科学のこの危機から復興されたものは、科学自身ではなくて宗教と神学と形而上学と神秘思想と等々であったのである。
処が文芸復興の旗の下に馳せ参ずるように見えた評論家の或る者達は、復興されるべき文芸の内に、「文学」は無論として、何よりも先に宗教と神学と形而上学と等々を数えることを忘れなかった。
一時駸々として動き始めるかと見えた「文芸」復興から、取り残されるように見えたのは、何故か独り科学だけだったのだ。
否、単にこの運動に取り残されただけではない、「文学」と宗教と神学等々の復興によって打ち倒された旧権威こそ科学だということであるらしい。

 吾々は併しレオナルド・ダ・ヴィンチを慰めようとは少しも思わない。
彼が「私は運河を掘ることも知っていれば城を築くことも研究している」と云ったようなあまりにも非文学的な自己推薦をしているからである。
問題はなぜ最近こうした一群の文学主義が台頭して来たかである。
なぜ「文芸」としての文芸が、「文学」としての文学が頓に復興して来たかである。
それは最近の批評が(批評精神がと云ってもいいだろう)一部分のその「哲学」的乃至「文学」的な衣裳にも拘らず、実は却って全く非哲学的となり、従って又非文学的になって了った結果に他ならぬ。
批評がこういう風に自己分解すれば、そこから文学乃至哲学のカリケチュアしか発生しないことを私はすでに云ったのだが、文学主義こそ文学の最も妥当なカリケチュアでなくてはなるまい。
元来戯画というものはアクセントだけを抽象して強調したものに他ならないのだから。

 日本に於て真に哲学的又文学的な批評の機能が確立され始めたのは、大戦以後マルクス主義哲学がインテリ層を支配し始めた時からであった。
哲学的文学的批評のこの機能は、一方に於ては科学的批評(科学批評ではない)他方に於ては社会的批評として、特色づけられた。
この二つの機能を結合すること――そこにマルクス主義哲学の一般的な本質があるのだ――がこの際新しく確立された批評の価値だったのである。
なぜなら之によって初めて哲学と文学とは正面から媒介され、科学的認識と文学的表象との連絡が日本文学始まって以来初めて全面的につけられる運命だったからである。
例の政治と文学との関係はそこで初めて問題になる理由があった。
恐らく之には多くの弊害が伴ったことだろう。
その結果「文学」は、ガリレイの科学が法王の前で抑圧されたように、この「批評」の前で抑圧の辱しめを受けなければならなかったかも知れぬ。

 だが夫は弊害であって物の本質ではない。
その証拠と云えば、この結果は、決して批評が哲学的文学的であり過ぎたためではなくて、却って次に云うように、批評がまだ充分に哲学的文学的に発達していなかった処からこそ生じたものなのだった。
だからこの事情はこの折角の批評が自己分解しなければならない根拠などになる筈はなかったのである。
処が、今では事実、この批評がガラリと崩壊して了ったように少くとも外見上は見えている。
そしてそこに例の文学主義だ。
愛する文学のためには、党派性なども問題ではなくて、眼の前に横たわるものは一色の文学の煙幕だけだ。
こうなると、この文学は生活のためにあるのではなくて、生活がこの文学のためにあるのだということを、読者は大体それぞれ納得しないだろうか。

 尤もこの文学主義でも、今まで無かったものがいきなり現われたのではない。
日本のブルジョア文学の伝統は文学的自由主義と呼ばれていいものだと思うが、之は云うまでもなく、政治上の自由主義を根拠にして意識された文学意識ではなくて、却って「文学」意識を根拠にして意識された自由主義なのであるから、之を文学的自由主義と呼ぶよりも寧ろ自由主義的文学主義と呼んだ方が当っているので、その通り、元来文学主義なるものは日本のブルジョア文学の前からの伝統にぞくするものなのだ。
それにマルクス主義的作家や文学理論家の内にも、こうしたブルジョア自由主義的文学主義の素地を有ったものは極めて多かったと見なければならぬ。
そこで進歩的な動向の退潮期に這入ると、忽ちにしてその地金を現わしたのがこの文学主義運動なのだ。
そこでは純文芸的なものも自由主義的なものも左翼的なものも、苟くも「文学」的である限り一様に共通で和解し得るものとなる。
そして之によって「文学」は進歩するというのである。
――「文学」の進歩がそのまま拡大されて全般の進歩になるとでも考え兼ねまじい処が、文学主義の文学主義たる所以である。

 現代日本の文化現象に於ける文学主義運動は、陰に陽に、色々様々のニュアンスを以て、大衆の一定層に普及している。
小商人、小ブル低級インテリにはファシズムを、之に対して小ブル高級インテリには文学主義を、というのがマルスの神の配当計画なのである。
今日の所謂「自由主義」や夫に基く進歩主義(?)の最も著しい共通特色がこの文学主義であって、之がこの頃お得意のニッポン型ファシズムと、客観的意義に於て殆んど全く同一の放列を敷いているものだということを頭から信じようとしないのは、之又文学主義者の独特な迷信の一つだ。

 この色々の文学主義の内最も特色のある一つの場合を、最後に注意しておこう。
それは他でもない、批評のこの自己分解期に当って、こともあろうに、却って夫を批評の高揚期だとして自覚する、文学主義的錯覚である。
ここでは文学と哲学とが実はスッカリバラバラになって了っているのだが、それを一方恰も、文学評論が発達して遂に哲学化したかのように思い込んでいる一つの現象があるのである。
そういう側面に於て最近反動期に這入ると同時に、著しく文芸評論家の数が殖えたと同時に、又著しく「哲学」臭い又は「哲学」的な文芸評論が殖えて来たのを見ることが出来る。
だがこの種の哲学が如何に困った哲学であるかは、それが実は単に「文学」の衒学的でアカデミックな延長に過ぎない点を見れば判るだろう(例は沢山あるが曾て私はこの点について小林秀雄氏について書いたことがある)。

 だが「文学」がそのままスクスクと哲学(?)にまで延長出来るためには、他方、「哲学」の「文学」化という対応現象が与って力があるのである。
ヨーロッパ特にドイツのブルジョア哲学(現在のブルジョア社会に適応した哲学のことだ)が実証科学と自分の科学性とを断念して以来、その哲学の範疇は日常的な検証の地盤から浮き上って了って、他に範疇整頓の標準を失って了った。
そこで頼りになる唯一のものが、神学や心理学や人間学其他々々の名称の下に、実は文学的範疇(又は文学主義的範疇)と呼んで然るべきものだけとなったのである。
哲学的範疇は文学的範疇で置きかえられた(文学が範疇を使う場合には、哲学的範疇を文学的表象によって駆使するのであって、決して之を文学主義的範疇で置きかえるのではない)。
そしてそこから「哲学」的文芸評論や「文学」的「哲学」が続々として発生する。

 例えば現実という一つの範疇を取ろう。
之は元来哲学的範疇としては(そして夫だけが本当の範疇だが)歴史的社会的な、即ち経済的政治的観念的文化的な、存在の他の何物でもない。
それが文学的範疇によると、現実という言葉をただ洞然と反覆しているのは論外として、精一杯の処、高々ドストエフスキー式現実でしかない。
不安という妙な範疇も、社会的不安や根拠ある不安から、シェストーフ的無根の不安などに徒されて了う。
之が文学主義的範疇のトリックで、今日形而上学は、こうした範疇に最後の逃避行を企てる他に道が断たれたことをハッキリ自覚している。
いやでも夫が文学主義に左袒しなければならない所以だ。

 現在の文芸評論の賑々しさやその哲学らしいものとの合体は、全く、「文学」が哲学を(従って又文学を)僣奪しようと企てる所の、可なり露骨な反動行為であることを、読者は怠らず注意しなくてはならぬと私は考える。
而もこの企てが、他ならぬ文学的自由主義という意識の下に行われたのであった。

一五 「文学的自由主義」の特質
    ――「自由主義者」の進歩性と反動性

 自由主義を文字の上から解釈することは、最も馬鹿げた解釈であるが、自由主義が流行している今日では、之が案外、多くの自由主義者達のひそかな拠り処であるように見える。
というのは、自由主義とは取りも直さず自由を主義とすることであって、従って不自由主義の反対なのだから、何れにしても悪かろう筈のないものだ、という考え方が夫である。

 勿論誰もこんな他愛のない理由を、有態に理由に挙げて物を云っている者はいないが、つきつめると、それ以外の根拠のない場合が、可なり多いのではないかと思う。
特に観念論的な哲学者は自由というドイツ観念論の中心問題を無条件に尊敬しているのだし、文学者は高踏派的な又放浪的な又逃避的な自由を愛好しているから、それだけで自由主義の味方をするに充分だと考え勝ちである。

 だが大事なことは、自由という観念が、哲学から産まれたものでもなければ文学から出て来たものでもないという点である。
自由と云えば哲学者はすぐ「意志の自由」を考えるが、それは実践と云えばすぐ人間の倫理的行為だと考えて了うのと同じに、哲学者の知識から来る迷信であるし、それに大抵の文学者は一体自由などというものをハッキリと考えたことさえあるかどうか、私には疑わしいのだが、元来それは至極尤もな現象なのであって、彼等は自由というものの知識に就いては知っていたり感じたり考えたりはするが、自由というものの実際的な必要は、一向感じていないで物を云っているからなのだ。
元来、自由の必要は哲学者や文学者が感じるよりも先に、企業家や政治家が、感じて来たものなのだ。
哲学的又文学的な自由の観念は経済的又政治的自由の観念の、云わば出しがらだったからである。

 で自由主義が、云うまでもないことなのだが、「経済的自由主義」として発生し、それがすぐ様政治上の自由主義となったということが歴史上の事実であって、社会主義や其他の政治哲学の場合を他にすれば、一体哲学上の又は文学上の自由主義などというものは、いつ始まったのか私には判らない。
今日迄の処、自由主義哲学というものがまだ出来上っていないと見た方が、事実を強いない見方だろうと思う。
だが自由主義の哲学などというものは今後も恐らく決して成り立つことの出来ないもので、その理由は後に判る。

 自由主義はだから経済的な又政治的な範疇であって、元来哲学者的又文学者的範疇ではなかったのであるが、それが現在の日本などでは、自由主義と云えば、政治上の自由の問題などとは無関係に、哲学者的に文学者的に常識界で通用している。
今日では自由主義という常識的用語は、もはや政治的範疇ではなくて文学的範疇になっているのである。
云わば文化的自由主義自由主義の唯一の故郷となっている。

 この点に注目しないと、現在の日本に於ける所謂「自由主義」又は所謂「自由主義者」に就いて、適切な断定を下すことは出来ないだろう。
自由主義を政治上の問題としてばかり見ていて、之を文学的イデオロギーの問題として見ないとすると、少くとも今日の自由主義者の心事を暴露することは出来ない。

 共産主義の勢力が退きファシズムの勢力さえが峠を越えて、世の中は自由主義の世界になったと一時云われた。
けれども、ブルジョア政党政治の必要が強調されたり、議会政治の悪化が説き始められたりするようなブルジョア政治上の行動乃至思想の動きは、ブルジョア民主主義の動きではあっても、それだけで自由主義の動きだということにはならぬ。
民主主義はブルジョア的政治的自由のための全くの政治的又は政治観的範疇に属する運動で、従って時によっては小ブル・プロレタリア・農民の政治イデオロギーともなるものだが、之に反して自由主義の方は最近では、小ブル・インテリ・ブルジョアの文化的イデオロギーに属するもので、彼等のブルジョア的政治的自由に対してさえ、夫は必ずしも関係があるとは限らないのである。

 だからこの現象を見て政治上の自由主義が復興したという風には云えないのであって、その意味では、政治上では、自由主義は一向華々しくなどはなっていないと云うべきなのである。
今日復興しそうに見えているものはブルジョア民主主義又は夫のマガイものであって、必ずしも政治上の自由主義ではないのだ。

 自由主義の内で今日復興しつつあるものは、寧ろ文学的自由主義である。
そしてここに日本の今日の自由主義の代表的なものの本質が横たわっているのである。
吾々はこの自由主義の台頭をば、現在に於ける広い意味での「文芸復興」の内に見て取ることが出来る。
文学者用の「文学」の内に限られた今日の所謂「文芸復興」(この名称は少し思い上った結果ウッカリつけたもので本当は「純文学復興」ということに過ぎない)を始めとして、結局はここに本部を置く処の、「哲学復興」や宗教復興や、其他一切の復興音頭が、案外「自由主義」の実質的な内容になっているのだから、大体今日の自由主義は要するに文学的自由主義だ、というのである。
で、それであればこそ、元来が政治的動向に対しては興味も持たず又見識も持たない多くの文学的又準文学者イデオローグが、この自由主義という「言葉」に、あんなに好意を寄せているのだ。

 文化と自然との本当に文学的な又哲学的なリアリティーに対するセンスを持たない「文学者」や「哲学者」で、さりとて又意識的に反動の陣営に投じるだけの悪趣味を有つ気にならぬ者達が、その人間的感官を初めてノビノビさせることの出来る唯一のエレメントが、自由主義の名を以て天降って来たのだから、誰しも自由主義者であり又自由主義者であったことを、喜ばない者はないというわけになる。

 自由主義の進歩性と反動性とに就いては、沢山の人々が説明を与えている。
私は今之を、特に自由主義者の心事を中心として分析して見ようと思う。
自由主義をば自由主義者の意識から分析しようとすることは、今日のこの自由主義に対しては非常に相応わしいことで、なぜそうかということは、述べて行く内に判る。

 まず第一に、自由主義個人主義である、という平凡な命題から出発することにしよう。
即ち自由主義者個人主義者であるということになる。
処が個人主義者という言葉はどういう勝手な意味にでも使えるわけで、今日の自由主義者に於てはこの個人主義者がどういう意味での個人主義者かということを決めなくてはならぬ。
プチ・ブル乃至ブルジョア層出身である教養もあり「人格の陶冶」も経ている今日の自由主義者達は、決して経済上の排他主義者ではないし又ある必要もないが、更に道徳上の利己主義者でさえ、一応の意味では、ないのである。
時によっては至極社交的でさえある処の今日の自由主義者は、貴族的な独尊主義者でない場合の方が却って多いだろう。

 今日の自由主義者個人主義は実は、彼の文学上の又哲学上の観点の内に最も純粋に現われるのである。
彼は事物を個人を中心にして考える。
社会であろうと歴史であろうと自然であろうと、又そこに行なわれる一切の価値評価に就いてであろうと、個人という存在が判定の立脚点になる。
公平で理解に富んだ自由主義者は、併し個人を決して自分のことに限りはしない、自分でも他人でもいい、個人でさえあって其他の超個人的な客観的事物でさえなかったら、いいのである。

 だがこの命題も亦至極陳腐なものだ。
問題は、個人を事物判定の立脚点とするということの、その内容自身が何かということに進まなければならぬ。
そこで自由主義者は個人をその人格として把握するのを通則とする。
人格と云っても自由主義者に云わせると倫理道徳風な概念であってはならないので、個人のロゴスからパトス迄を含み、イデオロギーからパトロギー、フィジオグノミーや「性格学」にまでも連なる「人間学」的な範疇としての人格が、今の場合問題となるのである。

 こうした人間は併し自然や歴史や社会から説明されるのではなくて、逆に、自然や歴史や社会が、この人間から説明されねばならぬ。
そうした方がより文学的に忠実でより哲学的に深刻だと、自由主義者達は考える。
――で今日の(文学的)自由主義は殆んど凡て人間学主義だという事実を注意するがいい(曾て「人格主義」というものがあったが、夫はこの人間学主義の前派であったと見ていいだろう)。
所謂「文芸復興」の文士達によると、人間学主義に立脚して腰をすえることが文芸(?)の「復興」だということになるらしい。
人間を研究するからと云って、人間学主義に立たねばならぬという考え方は、自由を欲するから自由主義に立たねばならぬというのと同じに、少し滑稽な推論ではないかと思う。

 処が一般に人間通を以て任じている文学的自由主義者達は、人間という言葉が好きであり、故に又人間学という言葉が好きであり、それ故に又人間学主義ともいうべきものが好きだという結論になるらしい。
この推論は論理学的には兎に角、人間学的には甚だ尤もである。
吾々はここに自由主義者的論理の人間学的なおめでたさの一例に出合わすのである。

 だが人間学主義が個人主義に他ならなかったという点を、もう一遍思い出して見る必要がある。
というのは、この点から云うと、自由主義者にとっては個人と個人とのアトミスティクな結合が、実際問題に際しては口を利き始めるという、一つの「人間学」的な観察を下さなければならないのである。
自由主義者超党派的だというのは、単に之だけの理由から云うのであって、個人主義者である自由主義者は、個人を内部的に結合するような何物をも許すことが出来ない。
個人が内部的なものの凡てで、之を更に結合するようなものは全く外部的なものでしかないと考える。
だから党派などは全く外部的なもので従って個人にとっては第二義以下のものであらざるを得ない。
自由主義者は「人間」を個別的に判定する、そうしないで仮に党派的になど判定すると、それは外部的な作為的な判定になるというのである。
之が彼等の「公平」と呼ぶ処のものだ。

 だが他方文学的自由主義者は、経済上の自由主義や政治的自由主義とはあまり関係がないので、従って、彼等の「公平」は機会均等や「人間平等」の興味とは別であらざるを得ない。
だから彼等の個人主義は実は、個人の完全なアトミスティクに止まることは出来ないのであって、おのずから人間と人間との或る特別な結合様式を必要とするようになる。
この個人主義はここに再び、先の人間学主義の必要を感じて来るのであって、この人間と人間との結合様式として人間学的なものが採用されるのである。
人間と人間との云わば「パトス」的な結合がそこに取り上げられる。
こうやって、この自由主義者によれば、人間は或る一定の人間達だけと、一定の結合関係に這入るのである。
それはどういうことかというと、人間学的趣味判断の上から、好きな人間同志が、一つの社会結合をするのである。
処で吾々はこうした社会結合を、セクトと呼ばねばならぬだろう。

 なる程自由主義者超党派的である(この超党派性が実は一つの立派な党派性だという陳腐な真理は論外として)。
彼等によれば個人と個人とを連ねる客観的な、外部的(彼等によれば)な標準はないからである。
だが彼等は超党派的であるが故に、却ってセクト的なのである。
なぜなら、彼等相互の間を連ねるものは主観的な、内部的(彼等に言わせれば)なもの以外にはあってならないのだから。

 さて人間と人間とを結ぶ客観的な標準がない時、本当の意味での政治はあり得ない。
個人主義者である今日の文学的自由主義者が、一般に政治に対して興味と好意とを持たないということはここから来ている。
だが彼等が政治を潔しとしない理由には、実はもう少し深刻な根拠があるということを注意しなくてはならない。

 文学的自由主義者によると、人間と人間とを結ぶ政治と云ったようなものには、主観的な根拠しかあり得ない筈であった。
何故なら、人間と人間とを結ぶ客観的な関係は第一義的に実在的ではあり得ないというのだったから。
そうすると彼等によれば、政治というのは人間的な(或いは人間学的な?)カケヒキや策動の心事以外の何物をも意味し得ないことになる。
彼等はこうした人間的心事を、少くとも自分の場合に就いて云えば、客観化し対象化し、即ち暴露するのが嫌だから、従って当然、自由主義者は政治が嫌いになり、或いは政治を嫌う義務を感じるということにもなるのである。

 だが元来がセクト的傾向のある文学的自由主義者は、必要に応じては、例の心事的な主体的な意味での政治をそのセクト的傾向に結びつける必要を感じなくてはならぬ。
そして実際、それは極めて容易に出来ることなのだ。
その時文学的自由主義者は最も理想的な真正のセクト主義者として立ち現われることが極めて容易になる。
セクト主義者の政治はいつも併し、機会主義(オッポチュニズム)であって、そういうオッポチュニズム以外に、文学的自由主義者は「政治」的なものを知らないのである。

 セクト的傾向を固有している文学的自由主義者は、超党派的であり、その意味で党派性を持たないのであるが、併し党派性に就いて、もっとハッキリ要点をつかまえておくことが必要である。
自由主義者に固有なオッポチュニズムというのは、第一にはその理論の首尾一貫性を欠いているということに他ならないが、処が理論に於て党派性というのは少くとも理論のこの首尾一貫性を有つことそのものでなくてはならぬ。
そうした「論理」を有つことが理論の党派性の大事な契機の一つなのだ。
理論や論理と云っても併し、思想や言論にばかり限られた問題ではないので、却って行動にこそそういった理論や論理が支配的なので、理論の党派性と云えばすぐ様行動の党派性が問題なのだが、オッポチュニストである(文学的)自由主義者は、その行動に於てオッポチュニストであるが故に、その理論に於て無論理であらざるを得ないのだ。
彼等の「超党派性」というのは、だから、実は彼等の「無論理」を意味するに他ならない。

 党派性を有つことが出来ず、従って論理を有つことの出来ない自由主義者は、どれ程哲学的言辞を弄しても根柢的な意味での「哲学」を持つことは出来ない。
そして源生的な哲学のない処に文学だって出来るかどうか疑わしい。
で(文学的乃至哲学的)自由主義者から例えば自由主義的哲学とでも云うような哲学を期待する人があるならば、その人は自分が哲学に就いて何等本当の必要を感じていないということをそこに告白しているものに過ぎないだろう。
哲学を持たない社会主義者や、哲学の必要を本当に感じていない社会主義者は、容易に〔変節〕するのだが、不断の〔便宜〕主義者に他ならぬオッポチュニス自由主義者になると、哲学を持ちたくても持つことが出来ないということにもなるのである。

 処で自由主義者の進歩性と反動性ということになるが、もし所謂「文芸復興」を一時のシグナルとする今日の日本の広範な範囲の文学的自由主義者達の存在を忘れないなら、自由主義者の進歩性ほど怪しげなものはないということが判ろうと思う。
ある立場なり或る人物なりが、進歩的であるかないかは、之を空に論じることは殆んど無意味なのであって、何かクリティカルな条件の下に置いて之を考えて見なければならないのだが、丁度今日の文化情勢がそういう時に臨んでいるわけで、文学的自由主義者が文化の復興?(何からの復興というのかをハッキリ考えて見るといいが)の名の下に、本当は何に興味を有っているかを、吾々は監視していなくてはならない。
文芸は復興=復古されるのだ、決して開拓され創造されるとは、彼等も云ってはいないのだ。

 文学的自由主義者が進歩的に見えるのは、その文化復興主義を他にすれば、単にファシズムや封建意識に対する「反感」(それ以外のものではない)から来るのである。
だが之は、彼等が一体から云って党派的なものである政治が嫌いだという、一般的な理由から由来するに過ぎぬのであって、現に彼等はプロレタリアの〔抑圧〕などに対してなら、ファシズムに対する以上に、「進歩的」(!)な役割を演じつつあるという、数限りない事実を参考にしなくてはならない。
――結果は凡て、(文学的乃至哲学的)自由主義者の如何にも文学者風な又「哲学者」風な「無論理」から来るのだ。

一六 インテリ意識とインテリ階級説
    ――所謂「知識階級論」に対して

 日本の文壇や論壇では、最近、またまたインテリゲンチャ(俗に知識階級と呼ばれるがこの呼び方が不都合であることは今更断る迄もない)が、問題として取り上げられるようになった。
之はインテリ問題が、インテリ自身にとって、繰り返し繰り返し問題にならなければならないような根本問題で、云わば永遠な宿命的な問題だとも云えるという理由からばかりでは決してない。
寧ろ、どんなにこの問題が根本的で宿命的なものだとしても、ただの繰り返しやただの蒸し返しでは、意味がないわけだし、又そういう無意味な現象が起きる可能性があるとも考えられない。
どういう理由で、今は、又ぞろインテリゲンチャが問題になったかを、まずつきとめてかからなければ、凡そインテリゲンチャ問題なるものは話しにならぬ。

 曾て以前にインテリゲンチャが問題になった際には、事情はインテリ自身にとって可なり悲観的であらざるを得なかった。
インテリが自分自身に対する懐疑・不満が、又自卑さえが、この問題の心理的動機であったように見える。
元来知識人は、知識上の或は知能上の(知識と知能とは必ずしも一致しない)優越を自負する自然的傾向を持っているから、彼等の最も自然発生的な直覚によると、社会は先ず第一に知識人と非知識人とに色分けされると考えられ勝ちであるが、その際、知識上の又は知能上の優越が、社会に於ける支配関係に結びついて、支配者階級とやや同じ利益となってからんで来る場合には、この知識上又は知能上の優越は、ほぼそのまま社会的地位に於ける特権を意味してくる。
処で一方、知識も知能も、対立を越えた普遍的な通用性と普遍性を承認され得る価値とをもっているものだから、今のこの特権はそれ自身、一つの超越的な従って特権的な社会階級を意味するように、おのずからなり勝ちなのである。
「知識階級」という、社会科学的に云えば非科学的な俗流概念が、往々用いられがちなのもこの消息を物語っているわけで、ここから、又極めて自然に、知識階級の知識上又知能上の、従って又何かの形での社会支配上の特権が、知識人の一種の自己迷信となり勝ちなのだが、之が知識人の云わば先天的な例の自負となるものだったのである。
――処がこの自負がどうやら怪しくなった、というのが、この前インテリゲンチャの問題が問題にされた時の動機であった。

 知識人として又知能人として自負するインテリは必ず、非知識人乃至非知能者である俗衆に対する一種の指導者としての支配権に、自信を持っている。
仮に俗間の支配権は金持ちや政治家の手にあっても、精神上の・又は文芸乃至科学上の・要するに文化上の・支配権だけは、自分のものである他はないという安心が、インテリをいつも幸福にするのである。
――所が、社会科学の新鮮な教義が教えた処によると、社会の新しい〔指導者〕はもはや決して彼等インテリゲンチャではなくて正に〔プロレタリア〕でなければならぬ、否、単に俗間的な〔指導者〕ばかりではなく、〔政治〕的意見やそれから又文化的な〔支配権〕までが、悉く〔プロレタリア〕の手中に置かれるべきものだということが、逸早く、他ならぬインテリ自身の、学び知り又教えさえする処となったのである。

 自負する処の大きいものが、自負を裏切られた場合、その事情を過大に評価するのは無理からぬことだ。
自負はすぐ様、それだけの自卑にまで転化するのは極めて自然だろう。
でここで、インテリにつきものとも云われる甚だ深刻な(?)苦悩が初めて始まったわけである(今日某々の文芸評論家達は今だに事新しいインテリの「苦悩」に悩んでいるらしく見えるが、之は全くこの旧インテリ狼狽期への遺伝的なアタビスムス・祖先帰り・の意味を持っているのだ)。
そこで当時の甚だ多くの最も代表的な悪質インテリ達は、歴史的役割に於ける自らの無能をば、本来ならば批判し矯正し又利用さえすべき筈の処を、その代りに、寧ろ之を極めて安易に受け容れ皮相に覚え込み、やがて甚だしいのになると、一種の得意の種にまでさえすりかえて了った。
青白きインテリの嘆きはここから実は一種のインテリ宣言の意味をさえ持つようになって来た。
つまり不幸な人間は、その不幸という点に就いて、幸福な人間よりも特権的だというわけである。

 いかにも之はインテリゲンチャの消極的な弱点だけを特権的に誇張したもので、そして他ならぬこの自己誇張癖などこそインテリの最悪な馬鹿々々しさに他ならないのだが、あくまで彼等が、この自負にしろ自卑にしろとも角凡ゆる場合自己誇張癖をば、清算する意志のなかった又現にない処を見ると、彼等は実は自らを嘆きながらも自らの嘆きを捨てるに忍びない処の、ネガティブではあるが併し相変らずも一種悪質な自負に充ち充ちたインテリに止まっているのであり、また止まることに自己満足を見出していたと云わねばならなかった。
そんなに苦しくてまたクダラないものならばサッサとインテリなんかから足を洗うように力めればいいではないかと云われれば、彼等は一等先に、何よりもインテリの受けまじい侮辱を、ここに人一倍早く感じる性なのだ。

 こうしたナンセンスな悪質インテリの他に、無論もう少し真面目なインテリ自覚者がないではなかった。
彼等は自卑や侮辱や失望を感じる代りに、一種の新しい、もっとそれこそ「知能的」な、自負や期待を有つことが出来た。
その言葉にどれだけの嘘と実際からの乖離とがあったにしても、とに角無産者の側に〔つき〕、無産者の〔利害関係の〕下に進むべきだという彼等の当時の言葉の中には、例の悪質インテリの矛盾のない自己合理化などに較べて、遙かに真理があったのである。
当時私の若い友達などには、自分のアカデミッシャンらしい生活を整理するために、学生時代に高い金を出して買い集めた専門書を、わざわざ売り飛ばして気勢をあげたものもいたが、之などは必ずしも絶望したインテリの自暴自棄からだとは云えないと思われた。

 だがここに一つの本質的な問題へのヒッカカリが存する。
まず、先に云った「知識階級」という俗流的概念が問わず語りに語る処をもう一遍注意しなければならない。
インテリは実は自分を、その常識的な直覚に於ては何とはなし一種の「階級であるかのようなもの」として、自覚していたという点が、今大事だ。
無産者階級でもなければブルジョア階級でもない。
なぜなら自分達は教育があってそして政治家や実業家よりもズット文化的だ。
だからこの二つの階級に対立する何物かで自分達はあるのだ、とそう考えるのは一応彼等として無理ではない。
この観点は、彼等が逸早く吸収した社会科学的知識にも拘らず、或いは却ってこの知識を利用することによって、知らず知らず敷衍さえされたと見ることが出来る。
なぜなら自分達は大体小市民にぞくしている、今そう考えることは、インテリが自分の歴史的役割に於ける無能さを、中間性を、或いは逆に超越性や優越性を、誇張するに何よりも有効だが、そのことはやがて、インテリゲンチャを何か一つの階級であるかのようになぞらえて、知識階級と呼ぶのに、何かの根拠を提供するように見えるからである。
こうやってインテリゲンチャを「知識階級」と俗称する無意識な意図が育ってくるわけで、之によってインテリゲンチャが、言葉の上では何と云おうと、自分が社会の歴史的運動に於ける何か一種の原動力であるかのような己惚れを知らず知らずの中にさらけ出すのである。

 無論、知識階級はどのような意味でも社会科学的範疇としての「階級」ではない。
ブルジョア社会学ならば、社会関係を平気に平面的に群別する癖があるから、そういう群別を意味する限りで一種の社会階級とも云えないのではないが、それはブルジョア社会学が、却ってこうした俗流常識の水準に止まっていることを示すもので、それだけ科学的に無価値だということを告げているに過ぎない。
――でインテリゲンチャが科学的な云い表わし方から云って決して社会階級などではなく、従って「知識階級」という俗流常識語がいかに不当であるかということは、判り切った誰でも知っている点なのだが、処が案外この点が必要な具体性に於てはインテリ自身の頭に(インテリジェンスに)之まで這入っていなかったし、又今でも這入っていないのである。
この点が問題の要点だ。

 一体インテリが自分はインテリ集団にぞくするという一種の集団意識(それがやがて階級としての自覚を産む所以を私は最初に述べた)に立って、予め自負を感じ、そしてその自負が失われれば、自卑にかられ、自卑しながら自卑そのものを自負の材料にせずにはいられないという心根からは、インテリゲンチャを飽くまで一種の優先的な歴史的役割を独占した社会原動力として見ようとする欲望以外の何ものも出て来ない。
悪質インテリにあっては、インテリ問題はいつでも、インテリジェンス(知能)の問題から取り上げられる代りに、つまりインテリ階級の問題として取り上げられる結果になる。
だから、尤も之は必ずしも悪質インテリの場合に限らないが、インテリゲンチャが何かプチ・ブル社会層と同じものであるかのような混乱が、そうした俗流化された社会科学的語呂が、生じて来るのである。
丁度日本ではファシズムというとすぐ様何か封建的なものだと考えられ易いのと、之は同じ俗流的な語呂なのだ。

 だがインテリを、何のかのと云ってもつまりは知識階級と見做すというやり方は、必ずしも悪質インテリにとってだけの仮定ではない。
インテリゲンチャの積極面を強調し、無産者への〔移行〕、無産者との〔共同〕を説いた、科学的に多少の意味を持った以前の「インテリ論者」達さえも、いつも問題をば、吾々インテリは資本家に〔与す〕べきか無産者に〔与す〕べきか、それとも又独立独歩すべきであるか、というような問題として提出したのである。
恰もインテリという社会階級構造上の或る単位があって、之が歴史的投票をどこへ向って遂行すべきか、という問題ででもあるように。
この際実はインテリは自然と、何かキャスティングヴォートでも握るかのように内々仮定されているのである。
インテリの弱小と無力と非独立性とを強調することは、少数派の少数さを強調するというだけのごく自明な所作に過ぎないのであって、之はこの少数派が多数派間の対立を利用して之をリードしようという無意識な意図をば、必ずしも妨げるものではなかった。
インテリというものの第一規定を、夫が何より先に何かの一定社会層だという点にだけ求めようとする限り、どうしてもそうならざるを得ないのである。

 なる程インテリ論者自身は大抵の場合インテリで、之を「自分」の問題として提出するのだから、従って之をインテリ層という社会的主体の問題として押し出すのも、一応さし閊えないようだが、併し実はもっと切実な主体の問題は、インテリの場合に於ては、その知能(インテリジェンス)の問題の中にあるのであって、インテリが一まず一つの社会層であるかのような仮象を取り得るのも全く、この知能を標識とする限定以外に限定の原理がないのだが、この点に気をつければ、インテリ自身にとってインテリ問題の一身上の又社会上の立て方が、まず第一に、自分達の集団的なインテリジェンスを如何に用いるべきか、ということでなければならぬことが当然判る筈だ。

 社会的観点から自分の知能の向上も利用も考えて見たこともない悪質インテリ(彼等はつまりインテリジェンスそのものが悪質なのだ)が、インテリの青白さを嘆くことによって、その知能自身の著しい低下、低能化を招いたという事実は論外としても、知能上の特殊技能を自ら無視する先に例としてあげた単純なアンチ・アカデミッシャンや、自分達インテリはどっちの階級にぞくすべきかを論じた以前のインテリ論者達は、社会に於ける集団的インテリジェンスの問題と、社会階級の問題とを、一緒くたに、同列に並べて了っているのである。

 本当はまず第一に社会階級の〔対立〕が問題の地盤である。
資本制社会はいつも資本家階級と無産者階級との〔対立〕からなっている。
之は公式だ。
公式だから一遍々々証明しなくてもいい代りには、一遍々々思い出さなければいけないテーゼなのである(この点世間によくある「公式主義」反対家に一言注意しておきたい。
諸君は云わば三角の公式を使いたがらないから、本当は一々エレメンタリーな証明から始めなければならないので、三角の公式自身を一々証明してかからなければならない筈になるが、それは又却って立派な一種の公式主義になるわけなので、結局諸君はエレメンタリーなものの証明もしなければ、発達したテーゼの証明も科学的にはなし兼ねるということになるのだ)。
さてこの公式の上に立って(それを忘れた上で、ではない)、知能所存者である一群のインテリゲントは、いかなる階級的役割を有っているかを問題にすべきである。
こうすれば一体インテリゲンチャ一般なるものがどの階級にぞくすべきかとか、中立であり得るか、とかいうような迂濶な抽象的な問題提出の様式は消えてなくなるので、ブルジョアジーの陣営に於てはインテリゲンチャのインテリジェンスはどのような役割を有つか、これに反して無産者内のインテリゲンチャのインテリジェンスはどのような役割を課せられているか、というように、一歩進んだそして一層明白で容易な問題の解決へと臨むことが出来るわけだ。

 さて、今日の、新段階に[#「新段階に」は底本では「新階級に」]於けるインテリ問題、最近復興されたインテリ問題は、旧インテリ問題期のものに較べて、一部分についてはやや楽観的な事情がその動機をなしている。
一般的退潮(之は少くともその輪郭から云って他ならぬ無産者の現実勢力情態の退行だということを公式として覚えておくことが必要だ)のおかげで、例えば「文学」は政治から、〔政治的〕監視から開放され、ある種の文学者達がホッと[#「ホッと」は底本では「ホット」]したという楽観状態が、再びインテリ問題を検討して見ようという気になるまでに、インテリを勇気づけたのである。
だからたとい今日インテリの「苦悩」を説教する文学評論家の或る者でも、「不安」に「身を構え」ているらしい転向評論家の一種でも、全体との連関に於ては決して悲観的ではない。
以前とは異って、彼等の「苦悩」は一種純真に誇らしい貴い苦悩とされ、彼等の「不安」は却って不安主義という確信でさえあるのを見るべきだ。

 インテリの自信を標榜するにしても、インテリの昔ながらの懐疑を標榜するにしても、とに角彼等が、インテリゲンチャの主体性のもつ積極性を問題としたことが、新インテリ論期の一つの進歩(?)少くとも新しい特色だと云っていい。
その意味に於て彼等は「知識人の復活」とも云うし、不安こそ人生永久の面目で、インテリこそこの不安中の存在だと、いうようなことも云い出す。
知識人が果して知能を持っているかどうかを、実は現在私は根本的な疑問の一つに数えているし、又不安がインテリの本性だとか又は人間存在の根柢に根ざすものだとかいうことも嘘で、単に悪質インテリの一変種が好むモノローグにすぎないのだ。

 が、それはさておき、インテリの主体性のもつ積極性が問題だと云っても、何もインテリの社会上に於ける身勝手が喋々と問題になっていいということではないのだ。
インテリの主体性と云うからにはいつもまずインテリの集団的に見られたインテリジェンスから問題になるのでなくてはいけなかったのである。
而もインテリジェンスが問題だと云っても、知能階級至上主義やそれに基く技能至上主義、又超然的アカデミズムへ行っていいというわけではないのだ。
インテリの主体性とその積極性の問題を追求すると称して、こうした一種のインテリ階級説――「インテリ至上主義」「文学主義」等々――に陥って行くならば(曰く「知識人の復活」曰く「不安」曰く「専門化」としてこうしたインテリ階級が「行動」し始める!)、本質に於て、この折角の新しいインテリ論も旧いインテリ論の蒸し返しに過ぎないのであり、而もただの蒸し返しではなくてそのインテリらしいインテリ主義(インテリ階級説)の悪質さと愚劣さとの強調・発展に他ならなくなるだろう。
私はこうした現象を一般的に「転向主義」と定義したいと思うものである。

 インテリゲンチャの主体的で積極的な問題は、無産階級に於けるインテリジェンスの役割を客観的な出発点として、初めて論じられ得るものでなければならないのだ。
之が今日の一切の進歩的インテリの、インテリ意識にもならなくてはならぬ。
それ以外のインテリ論は凡て転向的逸脱である。

一七 インテリゲンチャ論に対する疑問
    ――現代のインテリゲンチャ論は問題の提出方を誤っていないか

 インテリゲンチャの問題は最近多くの社会評論家や文芸評論家によって論じられていて、一見、これ以上、問題の新しい提起の余地は無さそうに見える。
だが実はそうではない。
インテリゲンチャ問題の問題の提起の仕方そのものに吾々は可なりの疑問を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)まねばならない。

 人も知っている通り、数年前までのマルクス主義思想の全盛期に於て行われたインテリゲンチャ論は、大体から云って、資本主義社会に於ける階級〔対立〕に処して、インテリが如何に無力であるか或いは自分が無力であることをインテリは如何に自覚すべきであるか、という消極的な観点から取り上げられた。
そして之が当時、一種の「マルクス主義的」な常識とさえなって世間に普及したように見える。

 インテリの立場から見れば云わば悲観的とも云うべきこのインテリ論の、問題提出の仕方は、云うまでもなく一定の情勢上の必然がその動機をなしていた。
と云うのは、わが国又はわが国に類するような資本制上の後進国に於ては、進歩的な社会意識又は社会運動は、まず初めに主として社会に於ける知能分子(インテリゲンチャをそう訳すのが一等適切ではないかと思う)を先覚者として、従ってその限り指導者として、発達するという表面現象を呈する。
そうでなくても、知能分子は一般的に云って社会の指導的メンバーだ、というそれ自身では一応当然な想定が自他共に許されているのだから、この際インテリのマルクス主義的な進歩的意識は、ややもすればこのインテリ指導主義と結びついて、元来マルクス主義の根本的な観点であったプロレタリア的立場をさえ、知らず識らずに稀薄にしがちとなるだろう。
こうしたあり得べき偏向にそなえるために、自然と、当時、インテリ悲観説が議論の表面に浮び出て、それが強調されねばならなかったのである。

 事実他方に於て、世間ではインテリの各種の独裁論が(?)存在し、之が凡そ反プロレタリア的な思想上又政治上のテーゼを導き出しつつあったのを見れば、この戒心は決して行き過ぎではなかった。
――併し、こうした戒心を厳にするということは、無論、インテリの無条件な又は完全な無力を認めることではなかった筈で、之は実は単にインテリに対して、却ってインテリ固有に制限された社会的活動性を指示するために過ぎなかったのである。
この消極的インテリ論の口裏には、だから、本当を云うと、こうした限定されたインテリの能動性に就いての却って積極的な観点からの主張が、匿されていたのである。
だが常識は、決して事物の裏を見ることを知らない、その意味でのユーモアを解しない俗物なのである。
インテリと呼ばれながらも、一向に知能(之は一種の人類的本能にも数えられよう)の発達していない分子は、馬鹿正直にも、インテリの無条件な悲観説の信奉者となり、そのコーラス隊をまで造り上げて了ったのである。
そして何より恐るべきは、こうしたインテリ悲観論が、わが国では、何かマルクス主義のテーゼの一つでもあるように和讃されたことだ。

 そこで、今度、世間的に云ってマルクス主義の「流行」が衰え始めると、それと一緒にこのインテリ悲観説も亦衰え始めなければならなかったわけであり、一連の所謂〔転向〕現象(その本質をここで論ずることの出来ないのが残念だが)に応じて、本来のインテリ楽観説ともいうべきものが復興して来たのである。
悲観説がマルクス主義的だという常識から云えば、この楽観説は非マルクス主義的乃至は反マルクス主義的だという風に通念されることは、常識上尤もらしい無理のないことだろう。
社会現象の表面を跳躍したり匍匐したりするこの皮相な常識的な見方からすれば、そうした粗雑な既成常識からすれば、そう見えることも亦已むを得ないことだろう。

 だが、インテリ「悲観」説が一向マルクス主義の真理でない限りは、インテリ「楽観」説が非乃至反マルクス主義的だという常識も亦真理ではあり得ない。
悲観説と楽観説というこの対立した二つの仮象となって現われたものの真理は、本質は、この二つの現象の対立と交代とを通じて、おのずから歴史的に顕現する筈である。
そこにこそ初めて本当にマルクス主義的なインテリ理論が展開されることになる。

 現代インテリゲンチャマルクス主義的問題は、現在、インテリゲンチャの積極性はどこに求められるべきか、である。
社会の知能分子が単に消極的だという「マルクス主義的」ドクトリンは今ではすでに清算されており、又は速かに清算されて然るべきものにぞくする。
だが、之を清算するように見せている非乃至反マルクス主義的な「インテリ積極説」は又、このインテリゲンチャの本当の積極性を決して指摘しているものではない。
インテリゲンチャの真の積極性は現在どこにあるかというのが、吾々の現在の問題の提出形式でなくてはならぬのだ。

 普通インテリゲンチャを知識階級と訳しているのだが、その訳語が適切であるかないかはとに角として、少くともこの訳語は、わが国のインテリ問題提出の仕方が誤っていることの一つの症状として、興味のあるものである。
インテリゲンチャを知識階級と訳すからと云って、之が社会科学的な範疇としての、社会の生産機構に直接対応する社会的結合としての、ブルジョアジーやプロレタリアートと同じ意味に於ける「階級」だということにはならないことを、今は知らない者はいないと云っていい。
それにも拘らず知識階級という言葉は、問わず語りに、インテリゲンチャをこの「階級」に類推されるような何かの意味での階級だと想定することを、事実物語っている。
この点を根本的に注目する必要が現在あるのである。

 マルクス主義的範疇としての二つの「階級」である資本家・地主と無産者・農民とは、又夫々四つ乃至二つずつ二つの社会層をなしている。
社会層というものは他方社会身分という意味を持つようになり、再転して社会に於ける職業的定位をも意味するようになるものだが、之は云うまでもなく、社会階級そのものではない。
さてこの二つの社会層の中間層として小市民なる範疇があるのであるが、小市民層とは、或る人が云うように小生産者のことなどには限らないので、社会層としてのブルジョアジー(乃至地主)とプロレタリアート(乃至農民)との間の中間層の特徴そのものを云い表わすための言葉なのである。
そして或る人達によると、インテリゲンチャも亦、こうした小市民層又は中間層にぞくするものだというのである。

 なる程社会層なるものは社会階級ではなかった。
だが、それにも拘らず社会学的に云うと(社会科学ではそうではなかったのだが)、社会層も亦一つの社会階級に他ならない。
社会の基本的な生産関係から観点を導かずに、与えられた社会現象から勝手に観点を導く処の「社会学」的見地は、社会の表面に現象している階級層を、例えば社会的身分や生活程度や職業やを、すぐ様社会階級として記載することに躊躇しない。
こうなると所謂「知識階級」という言葉の問題は、ただの言葉の使い方ではなくて観点上の本質に触れて来るのだ。
インテリゲンチャが仮にこの中間層だとしても、之を知識階級と呼ぶことは、だから一つの社会学的症状にほかならないのである。

 だが言葉の問題は一応どうでもよい。
それよりも一体、インテリゲンチャは本当にそうした中間層にぞくする一つの社会層なのか、どうか。
或る人はそれは、立派に一つの、而も新しく発見された、中間層だというのである(大森義太郎氏の如き)。
サラリーマンという眼に余る程大衆的な中間層があるではないか。
之が「現代」のインテリゲンチャでなくて何か、というのである。
サラリーマンというこの社会現象論的範疇が、社会層の問題として現実上どう限定されているものかは一向判らないのだが(常識では中以下の銀行会社員や精々小官吏などを意味しているようだが「社会科学」的にはどういうものか聞きたいと思っている)、多分、「知識的労働」に従事している人間とでもいう風に、言葉の上では、説明出来るのだろう。
だが知識的労働者といった処で、実際的には依然として何のことか判らぬ。
銀行の窓口で現金を取り扱っている月給取りが知識的労働者ならば、エンジンの故障を直し直し運転しなければならないバスの運転手(之だって大衆的に存在するのだ)も亦知識的労働者ではないか。
サラリーマンを更に月給取りと訳しているようだが、運転手は日給だからサラリーマン即ち知識労働者でないというわけか。
これでは年俸をもらう官吏はサラリーマンではないということになるだろう(小官吏だって大衆的に存在するのだ)。

 知識労働者とかサラリーマンとかいうこの常識的な言葉がすでに分析的に云うと社会層としては可なりのナンセンスになるのだが、更にこうしたものが現代のインテリゲンチャの代表者だというのは、一体何を根拠にして云えることか。
専門学校や大学を出ているからというなら、一体所謂「知識階級職業紹介所」で学校出の大衆的な失業者を、ごくわずか、而も日雇いに周旋しているのはどうしたわけか。
インテリゲンチャがサラリーマンを以て代表者としているという妙説は、多分インテリゲンチャ層(そういう層があると仮定して)を一つの社会上の職業定位と見做したことから来るのではないかと思うが、それならインテリの失業者などはインテリ層に這入る資格がなくなって了う。
私の推察では、この妙説は寧ろ評論雑誌の所謂読者層からでも考えついたものではないかと思うが如何。
併し読者層となると、サラリーマンとか知的労働者とかいう社会層らしいものとは、大分違った意味での「層」なのだが。
そういう読者層を発見したのはタルドという「社会学者」だったが、インテリゲンチャをサラリーマンに於て発見したのも、そうした社会学者的功績に数えることに吾々は吝かではない。

 つまり、サラリーマンという常識的範疇がすでに社会層を現わす言葉として充分に分析的でない上に、サラリーマンはサラリーマンであり、多分は何かの職業的又は身分的な社会層らしいもののことであって、それはインテリゲンチャというものと本来別個な系統の社会規定にぞくし、従って話しの筋がまるで違うものなのだ。
これをインテリの代表者として「発見」し得るためには、初めからインテリゲンチャそのものを何かそうした職業的又は身分的な社会層と考えておかなくてはならない。
即ちインテリゲンチャなるものがそうした社会層の一つに他ならぬと仮定するから、社会現象上手近かに気づくサラリーマンという社会層らしいものへ結びつけたくなり、又結び付ける他に考えが働かなくなるのである。
だから之によってインテリゲンチャが社会層だという説は少しも実証されたのではなくて、単に自家反覆して見せているに過ぎないのだ。

 併しなぜこうした問題のトンチンカンな取り違えを敢えてしてまで、インテリを一つの根本的な社会層と仮定したくなるかというと、つまり、社会学的な現象主義から云えば、インテリゲンチャはとに角知識階級でなくてはならなかったからなのである。
同じ見地で考え出せるだろうが、不良少年を社会学的に通算総括した「不良階級」、自殺者の集団層(?)である「自殺者階級」其他等々でもいいかも知れない。

 そして大事なことは、こうしたインテリ社会層説は結局一種のインテリ「階級」説自身(この誰でも誤りだと知っている)に通じるという点だ。
社会学的現象主義は今日、全く社会科学的な本質観をぬりつぶすために存在している。
そこでは事物は社会の生産関係を観点として取り上げられずに、高々社会に於ける職業的身分的な「懐ろ」関係か何かから取り上げられる。
唯物史観の代りにポケット史観に類するものが発生する。
恐らく之がサラリーマン・イデオロギーででもあろうか。

 さてこうしたサラリーマン主義的インテリ論、社会学的現象主義的インテリ論は、当然なことながら、インテリゲンチャの本当の積極性を理解することが出来ない。
誰が一体今日、サラリーマンに知能の積極性を期待するものがあろう。

 社会学現象主義的インテリ論と並び行なわれているものは、文化主義的インテリ論である。
ここではサラリーマンの代りに、もう少し知能上の或る意味の水準の高いらしい文学者・作家・評論家などを、インテリの代表者と考えている。
そして彼等に於てその知能上の自信が最近著しく増大し、又形式的な形態にせよこの自信の行動的発露が見られるという処から、一般にインテリゲンチャの積極性乃至能動性なる問題の解決を、この種の知識分子の内に求めるのである。
この立場からしては、インテリゲンチャは必ずしもインテリ層とか、インテリ階級とか考えられてはいないらしい。
もっと個人的な、或いは個人主義的な、その意味で内部的な立場から、インテリゲンチャは、例えば「知識人」と考えられる。
知識人独特の立場の積極性が、能動性が、ここでは専らテーマとして取り上げられるのである。

 だがここにも根本的な疑問は数々あるのである。
第一にインテリ(知識人)独特の立場から来る積極性・能動性と云っても、何もそれはインテリだけの世界での積極性・能動性であるのではあるまい。
もしそうならば、それはインテリの独りよがりかインテリ劇場の楽屋の出来ごとであって、一向客観的な意義を持たないばかりではなく、知識人の主観自身にとってすら極めて意味の乏しいものにならなくてはならぬ。
だからインテリの能動性・積極性と云うのは、終局に於ては、知識人の主体を通って、社会の客観的関係にまで一定の影響を及ぼすもののことでなくてはならぬ(それが具体的にどんな影響を与えることかという点をこのインテリ論者達はまだ考える順序に来ていないらしいが)。
インテリの能動性・積極性はだから、インテリの対社会的なそれでなければならないのだ。
処でこの対社会的な能動性乃至積極性がインテリ独特のものだとする処から、現に一種の語弊が生じつつあるのが見受けられる。

 と云うのは、インテリが社会に向って、どういう具体的な形の積極性・能動性を有つべきかということが一向限定されていなくて、ごく呑気に一般的抽象的に止っている結果、インテリの積極性・能動性のもつという独特さもまた一向具体的に限定されないのであり、従って、インテリの一般的抽象的な対社会的独特さとして、例のインテリの対社会的指導性と云ったようなインテリ至上主義に通じるものを持って来るのであり、之が一歩誤れば実際にそれへ通じて了うのである。
そうした意味に於てインテリの独特性だったものはインテリの対社会的独立性となり、即ちインテリの社会層・社会階級からの超越性となり、やがてそれは又インテリの社会支配の観念にまで変質し得るものを得て来る。
之は必ずしも杞憂ではないと思う。

 でもし万一そういう結果になるなら(今日まだそこまで行っていないとすればまだこの動きが具体的に充分展開されていないからに過ぎない)、インテリを公平な不偏不党の中間的第三階級と考える最も原始的なインテリ階級説に帰着することになるだろう。
――仮に今もしそういう仮定を置いて見ると、インテリが特に不安の能力を有っているとか、懐疑の精神に富んでいるとか、という現在の俗間の定説もおのずから理解されるわけで、つまりインテリは公平な第三者としての、ブルジョアにも不満でありプロレタリアにも満足しない、有望な一階級だという処から、之は当然来なければならない結論だったのである。

 インテリを社会現象に於ける客観的な平均的な存在と見るのが――サラリーマン説の如き――、インテリ社会階級説に帰着するばかりではなく、その逆に、インテリを主体的に又更に寡頭的に個人々々を集めた集合概念と見てさえ、正にそれ故に却ってインテリ階級説に陥落する弊害を持つのである。

 そればかりではない、第二に、インテリの代表者を文学者・作家・評論家などに求めることは、文筆上の活動が何よりも人間のインテリジェンスの基準になるものだという仮定に他ならない。
ブルジョア社会でいう所謂文化――之は文明から区別されている――又は教養というものが人間知能の本質だという仮説が之である。
こうしたブルジョアイデオロギーによる知能の観念は、実は中世的な又は封建的な、僧侶階級の知能独占期から発しているものなのである。
文筆上の知的労作は、物質的生産に於ける知的労作よりも、知能(インテリジェンス)上高級だということは、全く、僧侶主義が近世的な形で、文学の姿を取って現われたものに過ぎない。
インテリゲンチャの能動性・積極性が少数の文学者の中に見出されるということを理由としたのでは、インテリゲンチャの積極性の問題乃至インテリゲンチャの問題を、文学的インテリを中心として解決する権利は、どこからも生じて来ない。

 この文化主義的又は文学主義的なインテリ論は併し、例の社会学的インテリ論と本質上の一致を有っていることに注目することが大事だ。
文化主義や文学主義の根本欠陥の一つは、社会に於ける文化現象又は文学的信念が、単にいきなりそういうものとして発生したのでもなければ、単にそれだけとして横たわっているのでもなくて、その背景に社会の物質的生産機構が横たわっているのだということを、そうした公式の実際上の意義を、全く注意しないという点に横たわる。
この点から云って文化主義乃至文学主義は、一種の(文化主義的又は文学主義的な)社会現象主義なのである。
社会学的インテリ論の現象主義と較べれば、社会現象に対する現象主義的観点に於て、全く共通の本質を有つものだということが判るだろう。

 インテリゲンチャは凡ゆる社会階級に跨り、又は分散している。
吾々はそうした分散した知能分子をインテリゲンチャという集合名詞を以て呼ぶのである。
だから事実インテリゲンチャはその所有する知能の質と水準とに応じてマチマチな雑多な分子の集合観念で以て云い表わされる。
之を[#「之を」は底本では「之は」]分析するにはそれ故、どの知能分子群を中心とし出発点とするかということが、他の場合には見られない程、重大性を帯びているのである。
吾々は無論、社会学的又は文学主義的な現象主義的観点の代りに、社会科学的な観点から始めなくてはならぬ。

 問題はいつも社会に於ける物質的生産関係から出発するのである。
ここで知能分子となるものは、サラリーマンでもなければ文士でもない。
正に生産技術者でなければならないだろう。
この生産技術家が基本的なインテリゲンチャなので、そこでは知能とは、人間の生産生活に直接結び付いている処の技術的乃至は技能的知能のことでなくてはならぬ。
インテリジェンスなるものは、テーヌさえそう見ているように、人間の感覚に直接連なる感能なのだ(インテリジェンス又はインテレクトが、感覚から独立した心的能力だという考えは、ブルジョア的又はスコラ的認識論の迷信である)。
例えば労働者が自分の社会階級上の利害関係を本能的に又分析的に感受することが本来のインテリジェンスでなければならぬ。
学校教育やただの知識や学殖がインテリジェンスでないと同じように、文学者の非リアリスティックな認識や、サラリーマンの浮動的な感能は、別に特にインテリジェンスではないのだ。
インテリジェンスとは云わば人間の実践的認識に於ける本能的有能性のことだと云ってもいいだろう。
それは人間の生産生活から離れては内容と意味とを失う心的能力なのだ。
社会群・社会層・社会階級、並びに家庭的個人的又社会的な条件の下に、そうした知能能力を準備されたものが、所謂インテリと呼ばれる知能分子なのだが、それの具体的な主体はどこに見出されるべきかと云えば、まず第一には生産技術家に於てでなければならぬというのである。

 この生産技術家を中心として初めて、吾々のインテリゲンチャ概念は次第に、一般の科学者・芸術家・政治家・一般被教育者、等々にまで、組織的に秩序立って拡大されることが出来る。
この際注意すべきは、こうしたインテリゲンチャがまず初めに、社会に於ける身分・生活程度・生活様式・職業・社会層・社会階級・等々とは別の相位に於て把握されねばならぬということだ。
そうしておいて後から、社会身分や職業や社会層・社会階級・其他任意のものに、之を結びつけて、任意のセクションを作って分析されねばならないのであり、又分析出来るのでもある。

 では一体、日本に於けるインテリゲンチャの代表者であるその技術インテリが、どこに積極性・能動性を示しているかと尋ねられるかも知れない。
だが少くとも今日の生産技術家は文学者などに較べて遙かに多くインテリとしての知能の自信を有っているという事実に注意を喚起しよう。
寧ろインテリ至上主義に帰着するだろう本尊は、ズット前から日本の技術家乃至科学者の意識なのである。
彼等は一方に於て、日本の資本主義的矛盾の一つの結果である処のブルジョア制下の生産技術の矛盾に当面しながら、他方跛行的にも、昨今の軍需産業の人工的扇揚の下にその知能上の有能性を益々自覚しつつあるようにさえ見える。
ただ、彼等はイデオロギーを統一的に持つことが少く、又持っていても之を発表する機会と意図とに乏しいから(併しこの条件が又却って彼等のインテリ的自信と一致するのだ)、自分ではインテリの積極性や能動性を口やかましくは喋らないだけだ。

 技術インテリの能動性・積極性は、云うまでもなく今は、資本主義の制約の下で初めて保証されている。
従ってその結果、意識の上では、之は資本主義的イデオロギーによって支持されさえしているのである。
だがこの点も亦文学者のインテリ的自信と別なものではない。
――問題はこの資本制下に於けるインテリの能動性・積極性を、如何にして資本制から独立させるかにある(資本制的階級〔対立〕から独立させるのではない)。
文学者に於けるインテリ的能動性・積極性に於ても亦、問題はそこにあった筈である(もしそうでなければもう一遍根本的に批判し直す必要があるが)。
だから問題は更に、まず第一に資本制下に於ける生産技術家の有能性を如何にして資本制から独立させるかに存するのである。

 吾々は文学者やサラリーマンの知能などを中心としてソシアリスティックな建設の基本的な契機を期待し得るとは信じない。
そしてこの建設に於ける技術的インテリゲンチャの積極的な能動的な役割と、それに課せられた社会支配組織上の限界とが、一般に(又独り日本に限らず)、インテリゲンチャ――社会に於ける知能分子――の[#「知能分子――の」は底本では「知能分子の――」]積極性と消極性とになるのである。

 マルクス主義的インテリゲンチャ論に於ては、社会の基礎的構造である生産機構から云って、初めからインテリのこうした積極性と消極性との本質が横たわっていたのであるが、それが日本に於ては数次のインテリ論を通じて、否定又は肯定の仮象として夫々現象したのであった。
この諸現象間の矛盾を解決することによって、この本質がおのずから顕現するわけだが、それが最近のインテリ論現象の裏にある客観的な意味でなくてはならぬ。

一八 インテリゲンチャ論と技術論
    ――技術論の再検討を提案する

 ブルジョア社会的な考え方によると、技術の問題は先ず第一に「技術と経済」というような形の問題として提出されるのを常とする。
ここでいうのは、主に工業・農業・其他の産業技術のことであり、従って多くは工業経済・農業経済などがこの「技術と経済」問題の内容になるのだが、併しややもすると、之に一種の商業技術乃至は経営学上の技術が結びつけられる。
技術という概念をこのように押し拡げるやり方を更に拡張して行けば、立法技術・行政技術・其他へまでも連なるわけで、更には創作技術其他までも持ち出されるかも知れない。
処がこの素朴な仕方に於ては云うまでもなく、こうした各種の諸「技術」の間の何の一定した体統関係も殆んど全く与えられていないのであって、そこでは技術という言葉が偶々甚だ世間並みに通俗的に使われているおかげで、起こり得べき疑問がわずかに封じられているに過ぎないのだ。

 之は技術という社会的範疇が、哲学的に充分に社会的範疇の資格に於て整理されていないことに原因している。
元来技術というのは、それ自身ごく重大な哲学的範疇の一つなので、世間でもこの点は暗黙の裏に理解しているから、従って却って技術という範疇は終局的には既に何かお互いに判ったものであるかのように仮定されているのであり、そしてそこから社会の経済機構に就いてまでも、今云ったような極めてルーズな言葉の使い方で行なわれているわけである。

 そこで第二に技術は、独り経済機構又は之に直接連なる限りの社会部面に就いてだけではなく、それ自身だけで何か一つの独自なテーマであるようなものとして、ブルジョア哲学乃至ブルジョア世界観の根本問題の一つとして、取り上げられることが極めて多い。
特に最近の世界情勢のように、経済的・政治的・文化的なクリシスに臨むと、この問題の根本的な重大さが、しきりに注目されるようになる。
技術の哲学や之に連関する文明論的技術論が、今日ではおのずから特別な役割を買って出てくるのである。
処がこの場合の技術という概念そのものが、まだ全く、科学的に云って甚だ掴み難い形のままに残されている。
恐らくここでこそ技術という範疇が最も広範に又最も根本的な点から把握されねばならぬ筈なのだが、実は却って、結局は単なる常識観念としての技術を、わずかに学殖的に荘厳にしたようなものが、この「哲学」的な技術概念に他ならない。

 処で、唯物論全般にとって、技術こそ最も決定的な要点に触れた基本問題の一つであるが、最近日本で多少の展開を見せた唯物論的な技術論は、今までに少くとも二つの要点を解明したという功績を持つと見ていいだろう。
第一は、広範な包括的な意味に於けるこの技術という哲学的範疇を、その一般性にも拘らず、基本的な部分から二次的な部分への階層的な体統として、分解し且つ総合したという点である。
技術一般なるものは、物質的生産技術を基本的な線として、それから分枝組織として具体化されなければならぬという、一見極めて判り切った処の、併し実は従来のブルジョア的通念からはあまりその意味を注目されなかった処の、関係がここで初めてハッキリさせられたというのが、この第一の要点なのである。

 第二の功績は、そうした技術と、技能・技法・乃至手法との区別を指摘した点に横たわる。
プロパーな意味に於ける技術(物質的生産技術)は社会の客観的で物質的な基底のことであって、この技術に関わり合う処の労働主体の一つの特性である技能乃至それからの延長物と考えられる技法又は手法からは、一応は予め厳密に区別されねばならぬ、という点がこれなのである。

 だがこのプロパーな意味に於ける、厳密なる意味に於ける、本来的な技術、技術そのもの、が何であるかに就いては、まだ必ずしも唯物論的に充分な解明が与えられているとは考えられない。

 この第二の点に就いて記憶されてよいものは相川春喜氏の一論稿「最近に於ける技術論争の要点」(『社会学評論』創刊号)である。
氏はここで、従来唯物論の側から提出され又討論された技術論を一応氏の見透しの下に整理したのであるが、その内、かつて私の発表した意見(『技術の哲学』〔前出〕参照)に対する根本的な批判が一脈貫いていたようにも考えられる。
私の所説に見られる観念論的な足りなさや錯誤に就いては、私は氏の意見に同意する他はないと思う。
でその点から云って私自身、今云った氏の論稿の価値を相当高く評価出来るのである。
だがそれにも拘らず私は、氏の積極的な見解そのものに対しては相当根本的な疑問を今だに解消することが出来ない。

 相川氏によれば技術とは、人間社会の物質的生産力の一定の発展段階に於ける社会的労働の物質的手段の体系以外の何ものでもあってはならない。
つまり主として労働手段の体制が技術だというのである。
技術という観念をこういうものとして限定するのが、唯一の唯物論的態度だというのである。
事実、氏の技術的概念の凡ての規定は皆ここから出発し又は凡てここへ集中する。
――恐らく世間では普通、一方技能や技法をも含めて、他方非物質的生産技術をも含めて、漫然と技術の名をつけるだろう。
世間では決してこうした労働手段の体制(機械・道具・工場・交通施設・等)だけで技術になるとは考えていない。
多分常識は、こうした労働手段の体制自身ではなくて、夫に基く処の何ものかを技術というイデーで云い表わしているだろう(ここでイデーというのは、分析の結果が一定に予想されている観念のことだが)。
だから相川氏は、「労働手段の体制」なるものを、他の単語で云い表わす代りに正に「技術」という日常語を以って云い表わすためには、一方に於てこの言葉の常識的な意味内容が取りも直さず非科学的である所以を説明する責を取らねばならず、他方に於て氏自身のこの科学的用語によってこの常識を説得し反省を強い得るものを用意し得るのでなければならぬ。
もしこの手続きを抜きにするならば、技術に就いての規定は却って、よくブルジョア科学などで愛用される「定義」のようなものに終るのであって、単に「労働手段の体制」を「技術」という学術語(?)で以て人工的に定義したに過ぎなくなるだろう。
そしてそういう場合の常として、技術なら技術というテルミノロギーは、全く機械的に勝手に持ちまわられるだけで、そこから何等の真理ある発展も期待出来ないだろう。

 相川氏による例の技術の定義は、マルクスの書いたものの内から選ばれてあるかのように想像される。
私はまだその個処を発見しないし、又それを引用した他の人の文章も今記憶に残っていないので、果してそうかどうかは全く想像の範囲を出ないのである。
――併しとに角相川氏が引用している限りでは、この定義に相当するマルクスの個処は直接には挙げられていない。

 氏がここで専ら論拠としている文献はマルクスの「テヒノロギー」の説明の個処に他ならない。
氏は云っている、「技術が労働手段の体制であるか否かに尚も疑義をもつものは、マルクスのこの命題(これはレーニンの『カール・マルクス』で唯物史観の解説のために前面に押出されている)の再吟味から出発すべきである」と。
そしてマルクスの次の二つの命題をこの文章の前と後に引用する。
第一(前の方)、「テヒノロギーは、自然に対する人間の能動的な関係、云いかえればその生活の直接生産過程を、従って又その社会的生活諸関係と夫に基く精神的諸観念の形成過程を解明するものである」(『資本論』第一巻・エンゲルス民衆版三八九頁)。
――第二(後の方)、「テヒノロギーの批判的歴史――社会人間の生産的諸器官の・夫々特殊な社会組織の物質的基礎の形成史」(訳文相川)。
――レーニンは之を前面に押し出したというのである。

 そこで相川氏は次のように結論する、「テヒノロギーの研究対象たる技術そのものとは、要するに、『夫々特殊な』、つまり一定の歴史的発展形態に一定の、『社会の物質的基礎』である、『生産諸器官』=生産諸手段、就中労働手段に外ならない。
」そしてマルクスが他の個処で「一定の社会の技術的基礎」と云っているものと、この「社会的物質的基礎」とは同一内容を示すものだというのである。

 だがすぐ判るように、この結論は、もし出て来るとすれば精々マルクスのこの第二のテーゼだけからしか出て来ないもので、第一のテーゼからは却ってこの結論と正反対な結論が出て来る筈だ。
と云うのは、テヒノロギーは「自然に対する人間の能動的な関係」(「生活の直接生産過程」)を対象とする。
従って又「社会的生産諸関係と夫に基く精神的諸観念の形成過程」を対象とするというのだから、ここからすれば相川氏が求める技術そのものは今挙げたこの「 」の内のものでなければならぬわけだ。
「人間が自然に対する能動的関係」や、それに基く限り生産諸関係のみならず精神的諸観念までの形成過程がなぜ「労働手段の体制」と考えられねばならぬのだろうか。
寧ろこれは、技術なるものが労働手段の体制などとは制限されていないことを、マルクスがわざわざ説明しているかのようにしか受け取れまい。
そして注意すべきは、マルクスがそのすぐ後を続けて「かかる物質的基礎を閑却するとき、宗教史さえも無批判なものになって了う」と云って、各々の場合に於ける実際生活の事情からその天国化された諸形態を展開することが、唯一の物質的で従って科学的な方法だと述べていることだ。
即ち少くともここでマルクスが「物質的基礎」とか「物質的」とか云っていることは、相川氏が推論したような労働手段や何かを意味するのではなくて、単に一般的に唯物史観の出発点を指示しているに過ぎないのだ。

 それから、第二のテーゼからの推論も甚だ論拠薄弱だと云わねばならぬ。
「社会人間の生産的諸器官」がマルクスによって「社会組織の物質的基礎」と等置されているからと云って、この二つのものを交叉させて「労働手段」を導き出すということはテキストの読み方として可なり危険である。
なぜなら一体社会人間の生産的諸器官というのが、「植物及び動物の生活のための生産器具としての器官」からのアナロジーであったのだが、もしこのアナロジーを単なる外面的な相似によるアナロジーに取れば、夫は単に前に述べた「自然に対する人間(乃至動植物)の能動的な関係」を、器官という物質のもつ能動的機能によって暗示したものに過ぎないだろう(生産器具としての器官だから労働手段を暗示するのだと云うかも知れないが、マルクスは、単なる受動的な認識器官などとしての器官ではなくて能動的な生産器官だと云いたいに過ぎない)。
それから又、このアナロジーがもしもっと本質的なものであるなら、第一に社会人間の生産的諸器官(=社会の物質的基礎)なるものは、単なる労働手段体制などではなくて、もっと器官らしく器官の特色を有った(器官には神経も筋肉もあるのだ)処の何等かの物質的基礎を云い表わそうとしているに相違ない。
夫をマルクスは更にハッキリと云おうとして、他の個処で「技術的基礎」という風に(吾々から見れば)同語反覆の形で説明したものと見受けられる。
それだけではなく、仮に技術を動植物乃至社会人間の生産器官に本質的になぞらえたとすれば、夫はつまり、技術が単に客観主義的に(又は機械論的にでさえある)労働手段の体制などとして定義的に限定されつくせないものだということを示しているのであって、生物の器官にこそ恐らく技術なるものの歴史的起源がある、と考えられているのかも知れない。
そうなれば、ここで用いられた生物的器官というアナロジーの意味は、器官という「労働手段体制」であると同時に、感覚運動的能動機能の[#「感覚運動的能動機能の」は底本では「感覚運動的機能の」]主体ででもあることを指示していなくてはならぬわけだ。

 だからいずれにしても、マルクスの例の二つのテーゼからは、相川氏の求める「労働手段の体制」という技術の定義は出て来ないばかりではなく、少し考えて見ると、寧ろそうした機械論的定義を否定するような結論の方がより自然に、よりレーズバールに、受け取れる。
尤も私は何もマルクスの言葉にあるからとかないからとか云って、そうした文献学的な文義解釈をする心算はないのだが、少くとも相川氏がマルクスの引用から惹き出した結論に関する限り、見解は寧ろ氏とは逆の方向に傾くという点だけを云いたかったのだ。

 無論相川氏はマルクスの言葉を唯一の論拠としているのではない、氏自身の考え方の体系から云って、技術をああ考える必然性があるようにも見受けられる。
だが、人々の体系の上の必然性が必ずしも客観的な必然性でないことは云うまでもない。
常識を批判し克服する代りに、常識と殆んど全くかけ離れたテルミノロギー、而も言葉だけは常識に於ても共通なテルミノロギーを使うのでは、科学的に云ってもあまり尤もだとは云えなくはないだろうか。
なる程常識の主張は少しも尊重する必要はないかも知れないが、併し常識を救ってやるのでなければ科学的な分析にはならぬし、第一社会的な大衆性をさえ有てないだろう。

 尤もこういう風に考えられないでもあるまい。
一体技術という言葉が通俗語で、之をそのまま科学的に仕上げることは不適当だから、之とは全く独立して改めて科学的な技術概念を必要とするのであり、之を便宜上仮に技術と呼んでおくことにするという風に。
だが夫ならば云わば「技術的なもの」とか技術的基礎とか云った方がいいだろうが、併しそれにしても、それが労働手段の体制だということには、言葉の上であまりにギャップがあり過ぎるので、何のために術語の選択の労を取ったのかが判らなくなる。
つまり労働手段の体制は労働手段の体制でいいので、之を無理に技術という言葉やその変容で説明しなくても常識的にも立派に判ることなのだ。
無論労働手段の体制なるものと技術なるものとが全く無関係ならば誰も又相川氏も、二つをアイデンティファイする気になる筈はないので、二つの間に何かの必然的な結びつきのあることは確かなのだが、如何に緊密な結び付きがあっても、二つのものが一つだということにはならぬ。
特に、もっと実質的な連関から、この二つのものの等置そのものが抑々の問題である時に。

 実際を云えば、恐らく技術という俗語はそのままでは科学的な範疇とはならないものだろう。
之に代わる処の、そしてこの通俗観念の有っている困難を分析した結果必要になる幾つかの技術類に属する諸範疇が必要となるだろう。
その一つの範疇として、即ち技術現象の一つの契機として、「労働手段の体制」という範疇は多分絶対に必要である。
だがこの範疇は他の契機を云い表わす範疇から孤立しては無意味になる、範疇としての用途を失う。
ではどういう範疇が想像されるかと云えば、この労働手段の体制によっていい表わされ或いは測定される処の、社会の技術水準というようなものが是非必要になるだろう。
そして世間で普通技術と呼んでいるものは、主としてこの技術水準という範疇を以て指示される一つの契機ではないかと想像する。
尤も今はこの技術水準という概念を想像に止めておく他はないのだが。

 勿論技術水準というものを想定しても、之自身は別に特別な可視的形態を具えていないだろう。
そういう意味では例えば労働手段と云ったようなものの持つ物質性は有たない。
だがそれは丁度、社会に於ける生産力が物質的であると全く同様に、矢張り物質的であらざるを得ないだろう。
技術水準は労働手段乃至その体制に較べて、遙かに高度の社会的抽象体であり、それだけ又より抽象的な社会機構観念に属する。
だが之によって、所謂労働手段の体制と、それに対応する筈の労働力の属性としての技能とが、初めて実際的に結合されるのであり、従って又、所謂労働手段体制と労働力技能とが観念的にも之によって初めて統一されるのであり、従って又所謂生産技術の内に技能を編成して考えようとする常識的要求をも之で以て充たすことが出来るのである。

 技術水準は労働手段体制からの社会的抽象体で、労働手段体制自身によって云わば量られるものだが、処が技能は却ってこの社会的な技術水準に照して量られるのである。
一定の社会に於ける労働手段体制に一定の労働力技能が対応すると云っても、夫は単にそうに相違ないという結果を一口にそう云い表わして了ったまでで、実際には技能と労働手段体制との間に絶えざる交互作用が実在するのであって、例えば技能の社会的平均水準(技能水準)を標準にしなければトラクターの運転台の設計一つ出来はしない。
処がこの技能水準を客観的な形に直して量って見せる尺度が社会の技術水準なのである。

 労働手段と技能との間の実際的な交互作用は、いつもこの技術水準という云わば一種の技術的等価物に換算されることによって初めて行なわれる。

 マルクスは技術と技術学(テヒノロギー)を殆んど同義に使っているように見える場合もあるが、両者は科学的には区別されねばならぬ。
尤も、技術に関する学問が必ずしも技術学だとは云えないのであり、従って技術学の対象がすぐ様技術だとばかりも云えないので、技術に関する研究は必ずしもテヒノロギーではなく、例えば経済学でもあるし社会学でもあるかも知れない。
それからマルクスは『経済学批判序説』で、各々の生産部門の生産の研究をテヒノロギーと呼んで、之を生産一般乃至一般的生産の研究としての経済学から区別してもいる(相川氏がマルクスの「テヒノロギー」の説明から、その対象として「技術」の規定を推論したこと自身が、だからすでに問題だったのだ)。
――で技術学を所謂技術から区別するとして、技術学とはどういうものであるか。
ここで技術水準という範疇が役に立つのである。

 技術学はすでに云ったように技術に関する単なる学問でない。
実は技術(そういうものを仮定して)に関する技術組織(手練・技能的知能及び知識)なのである。
従って之は主として労働手段乃至その体制に関する技術組織であらざるを得ないわけである。
処で技術学の発達というものは何を意味するかというと、それは実質上、イデオロギーとしては技術家一般の主体的技能水準の上昇であり、客観的には取りも直さず社会的な技術水準の上昇することに他ならないだろう。
技術家の水準が、客観的に見れば社会の技術水準のことであればこそ、世間では無雑作に技術学を技術と同じ意味に用いる理由もあるのであって、ここからも吾々は、所謂技術なるものの主なる契機を、常識はこの技術水準の内に期待している、という論拠を見ることが出来る。

 で、労働手段体制と労働力技能とを実地に媒介する社会的な技術等価物は、この技術水準の如きものであって、この社会的等価物に基いて技術の広範な統一的な階層的体統も初めて成り立つことが出来る。
この種の社会的抽象体を云い表わすような技術範疇を用いないとすると、技術に関する哲学や世界観や文化理論は、ピンからキリまでのナンセンスになるわけであって、マルクスが宗教批判もテヒノロギーの見地に立って行なわれる必要があると云っていることなども、あまりピンと来ない指針になって了うわけだ。
――技術問題と文化理論との関係は主に技術の発達と人類の進歩との関係を問題にする処に横たわるが、労働手段と労働力技能とがまだ自然的にさえ分離しないような人類の原始時代に於ては、マルクスが譬喩的に云ってもいたように、生産器具としての器官の機能がこの技術水準のことであった。
そこでは恐らく人類の生物的知能の発達度がすぐ様この技術水準に他ならなかっただろう。
技術水準は、労働手段と労働力技能とのこうした原始的な未分期から、今日の発達した社会組織の内に「技術そのもの」の標準的な契機として、且つ又依然として人類社会の発達の基本的尺度として、伝わって来ているものと見ることが出来る。
技術が社会の物質的基礎だということは、技術水準のこうしたスタンダード性を想定すればその内容が掴めるわけで、そうしないと労働手段とか機械とか道具とかの体系などを考えざるを得なくなる。
之は言葉通り機械論への一歩なのだ。

 技術を「労働手段の体制」と想定してかかるのは、無論相川氏一人の場合だけではない、寧ろ今では唯物論者の多くがこの想定に一応信頼しているように見受けられる。
処がこの信頼は容赦なく唯物論的に再検討されるに値すると私は考える。
之はその試論の一つである。
技術水準に就いての私の私見は今の処ただの想像又は仮説の程度を出ないが、併し技術に就いての従来の唯物論的(?)の定義に対して、唯物論的な疑問を回避することは到底出来ないように思われる。
読者諸氏はこの点、どう判断されるだろうか。

 この疑問を提出するに際して、実は直接の動機となったものに最後に触れておかねばならぬ。
最近文壇や論壇を通じて問題になっているインテリゲンチャ論が、実は今云った疑問に連関があると考えるからである。

 現在のインテリゲンチャ諸論の内には二つの欠陥が見出されると思われる。
第一は、インテリゲンチャ問題をその主体性の問題に於て即ちインテリのインテリジェンス(知能)の問題として捉えずに、往々にして単なる社会層の問題として捉えようとする傾向である。
処が実は今日のインテリゲンチャの進歩的な課題は、インテリゲンチャが、自分の主体的なインテリジェンスを如何に進歩的に役立てようか、という処に現に横たわっているのであり、又そこに横たわっていなくてはならなかったのである。

 第二の欠陥は、インテリのこのインテリジェンスをば技術の問題と切り離して、勝手に文学的な又は哲学的な知識人の問題から分析を出発させ勝ちだという点にある。
人間の知能、インテリジェンスは、社会的人間が自然に対する能動的活動として行う社会生活から発生し又夫によって条件づけられたものなのだから、一般にインテリジェンスをこの技術から切り離して独立に取り扱うことは、元来唯物論の原則を無視してかかることに他ならない。
之は知能の甚だ不用意な観念論的な概念なのである。
こう云った判り切った点が、意外にも今日の進歩的なインテリ論者の視界の焦点にあまりハッキリ這入っていないのではないかと考える。
之がハッキリしない限り、インテリゲンチャの主体性であるインテリジェンスの問題は殆んど無内容なものになって了うか、或いはそうでなければ例えば「インテリの能動精神」と云ったような歪んだ形の問題として、甚だ不幸な運命の下に、提案されることになって了うのだ。

 処で、このインテリジェンスは云うまでもなく労働力技能の一つに他ならない。
だからこのインテリゲンチャ問題は、このインテリジェンスという労働力技能と、技術そのものとの関係として提出されることになるわけだ。
処がこの技術そのものが何か、それと技能との技術としての実地的な連関はどうか、ということが判らない限り、問題は解けない。
少くとも技術が労働手段の体制だなどと考えていては、インテリジェンスの問題、従ってインテリゲンチャ論の問題は、見落されるか、それともブチこわしになる他はないだろう。
敢えて技術を社会に於ける技術水準という如きもので云い表わそうと試みて見た理由がここにあったのである。

 インテリゲンチャの問題が唯物論の立場に立たない限り正当に解決出来ないということが、ここから最後的な結論を得るだろうと思う。
インテリゲンチャ論は、往々考えられ易いように、自由主義者自由主義的な問題としては、決して解けないのだ。

一九 自由主義哲学と唯物論
    ――自由主義哲学の二つの範型に対して

 博士五来素川氏は或る新聞で、日本主義の本当の敵は唯物論だと云っている。
この日本主義なるものがどういうものであるかが、直ちには明らかでない以上に、ここで云う唯物論なるものが、どういうものを指すのかは不明である。
だが第一日本主義は現代社会に於ける行動現象としてはとに角、理論的な価値から言えば、決して本当の理論的独立性を有っているとは云えない。
之は何と云っても一人立ちの出来ない理論であるように見受けられる。
その証拠には之に少し世間一般に適用するような妥当性を与えようとすれば、忽ちあれこれの外来哲学を持って来てその裏づけにしなければならなくなる。
こういう人工的な技巧哲学が、一種の卑俗哲学以外のものとして発達したためしは甚だ少いのだ。
処が唯物論は之に反して、従来から伝統的にも一個の独立な包括的な組織を持った理論体系なのである。
だからこの唯物論とこの日本主義とを対等に並べて、一方が他方の本当の敵であるとかないとか云うのは、少くとも理論上の標準から云う限りでは跛行のそしりを免れない。

 曾て某評論雑誌で、現代思想の各派を並べて紹介しているのを見ると、ハイデッガーやシェーラーやヤスペルスと並べて、そうした現在の海のものとも山のものともつかぬ群生諸思想と同格に、唯物論が並置されているので、苦笑を禁じることが出来なかった。
歴史上の比重を無視して、偶々目の前に現われた昨日今日の現象を比較することは、往々滑稽な価値評価を結果するものだ。
こうした判断の与太であることは、つまり判断の客観的公正を欠いていることから来るので、そういう意味での主観的な独りよがりな見解ほど、醜いものはない。

 現代に於ける唯物論をシェーラーやヤスペルスの落想哲学と並置するのに較べれば、之を現代の日本主義と並置する方が、まだしもコクのある真面目な見解なのである。
先にも云った通り、日本主義は理論的には一人立ちの出来ない内容のものだが(尤も無理論的な理論?としてならいつでも勝手に独立出来るが)、併し社会に於ける実際勢力から判断すれば、唯物論は恐らく日本主義哲学の有力な論敵だというのが真理だろう。
唯物論に取っても亦、日本主義の哲学は決して相容れない論敵なのである。
日本主義哲学は、自分自身は何と云おうと、日本ファシズムの哲学なのである、処で唯物論は一般にファシズム哲学を終局の論敵として持っているからである。

 昨今の日本の社会状勢は特に自由主義の問題に世間の注意を一時集中したように見える。
自由主義は転落した、と世間の編集ジャーナリスト達は叫んでいる。
だが最近まで、転落するような自由主義が一体どこにあったか。
今まであったのはなけなしの自由でしかなく、単にそれが今日改めて圧迫され始めたというのが正直な有態の事実に過ぎぬ。
そのために自由の意識は、そうした自由主義への関心は、却って刺戟され、或いは或る部面に於ては振い立ったとさえ言うことが出来る。
転落したにせよ、或いは又却って燃え上ったにせよ、とに角この程度のものが、少くとも最近の(所謂マルクス主義全盛期?以後の)自由主義の実勢力だったのである。
実は今更転落でもなければ高揚でもないのである。

 だがとに角、元来唯物論の論敵であった処の日本主義哲学に対して、初めて之と敵対関係にあるということの意味を現実的な形で覚らねばならなくなったのが、この自由主義だということを、ハッキリと銘記しなければならない。
そういうことは誰知らぬ者もない判り切ったことのようだが、併しこの観点は、少くとも自由主義者によっては行くべき処まで押しつめられてはいないのである。
と言うのは、自由主義は少くとも日本ファシズムに対抗するためには、唯物論と共同の理論的利害に沿う他に、足場はないのである。
現下の事情は、唯物論か日本主義か、のエントヴェーダー・オーダーなのだ。
自由主義自由主義として独自の論拠を持つためにも、自由主義の足場は唯物論の内に求められなくてはならぬ。

 処が言うまでもなく自由主義者は、そういう勧告には、習慣的に、又情緒的に、同意することを欲しない。
自由主義には自由主義独特の、独立な哲学がある、と自由主義者達は想定し又は主張する。
そこで吾々は、この自由主義哲学なるものを批判し克服する必要を有つこととなる。
そうしなければ、自由主義そのものを活かすことが出来ないからだ。
自由主義は、自由主義の「哲学」をすてない限り、日本主義を批判し克服することは出来ない、ということを、之から見ようと思う。

 自由主義乃至自由主義哲学と云っても、之は現在極めて様々な異った意味で使われている言葉である。
単に自由を愛好する主義(?)のことでもあるし、「反ファッショ」の感情のことでもある。
更に「反マルクス」の口実でさえ往々それはあるのだ。
だがこういう卑俗な観念を一々対手にしていては限りがない。
まず必要なのはリベラリズムに少くとも三つの部分又は部面があるという点だ。
自由主義は云うまでもなく最初経済的自由主義として発生した。
重商主義に立つ国家的干渉に対して、重農派及びその後の正統派経済学による国家干渉排斥が、この自由主義の出発であった。
この自由貿易と自由競争との経済政策理論としての経済的自由主義は、やがて政治的自由主義を産み、又は之に対応したものであった。
市民の社会身分としての自由と平等と、それに基く特定の政治観念であるデモクラシー(ブルジョア民主主義)とが、この政治的自由主義の内容をなしている。

 だがこうした経済的・政治的・自由主義から、或いは之に基いて、或いは之に対応すべく、第三の自由主義の部面が発生する。
便宜上之を文化的自由主義と呼ぶことにしよう。
経済的乃至政治的意識の代りに、もっと一般的に又はもっと上層意識に於て、文化的意識なるものを考えることが出来るだろうが、この文化的意識に於ける、或いはこの特有な文化意識に基いた社会活動である処の文化的行動に於ける、自由主義が、文化的自由主義の意味なのである。
この自由主義部面はすでに多くの人が之を注目している。
或いは「文学に於ける自由主義」(青野季吉氏)とか、或いは「精神的な自由主義」(大森義太郎氏)とか、云われている。
但しこの二つの例では、その内容に就いて他の自由主義部面との比較があまり与えられていないばかりでなく、前者がこの自由主義部面を甚だ尊重するに反して、後者は之を一顧にも値しないかのように軽視しているのであるが。
――併しとに角この文化的自由主義という自由主義の部面は、今日特に意味を有つらしいことが、多くの人々によって想定されていると言ってよい。

 この三つの部分乃至部面は夫々の間に一応の独立性を持っている。
統制経済の方針が必ずしもそれだけでは議会政治や政党政治というような政治上の自由主義と直ちには矛盾しないように、政治的自由主義の「転落」は却って文化的自由主義の意識の高揚をさえ招くというような、部分的現象を見落してはならぬ。
政治的自由主義の転落(実は之はマルクス主義的文化理論の一時的退潮と同じ原因に基くのだが)によって、却って特有な自由主義的文化意識が「復興」され又台頭したと見ることも出来る。
文学に於ける能動精神・不安主義・ロマン派・各種のヒューマニズム・等々がその例だ。

 で仮に経済的・政治的・自由主義が転落しても、夫とは一応独立に文化的自由主義は一時的にしろ繁栄することが出来るのである。
だから、もし一般的に自由主義なるものを何でもいい守り立てる必要があるとすれば、経済的・政治的・な自由主義の大勢が不利である場合、当然文化的自由主義が、自由主義なるもの一般の最後の依り処とならざるを得ないわけである。
現在、自由主義一般の積極性を他ならぬこの文化的自由主義の内に求める文化人は決して少なくない(青野季吉氏の如き)。
そして漫然とその感情に於て自由主義的である処の特色のない多くのリベラーレンは、経済上の自由主義的見解や政治上の民主主義的意志はなくても、この文化的自由主義を私かに信じているのだと云っていい。
そう考えて見ると、文化的自由主義こそ、現在に於て新しく積極性を有つに至った有力な自由主義の形態だとも云うことが出来そうである。

 この文化的自由主義から一種の特別な自由主義哲学が出て来るのであるが、それを見る前にもう一つ注意しておかなくてはならぬのは、「自由主義」という範疇(根本概念)が有っている二つの種類である。
一体社会現象を指し示す各範疇には、大抵の場合、歴史上の一定形象を示す場合と、超歴史的な一般的形象を示す場合とが、同じ言葉で同時に云い現わされている。
浪漫主義は例えばドイツ文化史上、古典主義の後を受けた一定時代の一定運動を指すと共に、一般に凡ゆる時代の反リアリスティックな運動をも意味している。
啓蒙運動に就いても亦同様に云うことが出来る。
自由主義もその例にもれないのであって、夫は歴史的範疇としては十七八世紀のブルジョアジー台頭期の経済的政治的及び文化的イデオロギーであったが、それが、そうした歴史上特定の制限を持ったイデオロギーとしてではなく、もっと一般的に超歴史的な普遍人間的範疇として(長谷川如是閑氏はそれを道徳的範疇と呼んでいる)、通用するという他の一面を見落すことは出来ない。
歴史的範疇としての自由主義は、云うまでもなく資本主義文化の所産としてのブルジョアイデオロギーの他のものではあり得ないが、この道徳的範疇としての自由主義になると、もはやそういう一定の階級性・一定のイデオロギー性格・から自由になったと考えられる。
こうした道徳的範疇としての自由主義は、だから必要に応じては任意の都合の良い内容規定を之に※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)入することが出来そうだという、至極便宜な形を取り得るわけだ。
一般的に何でもいい自由主義を信奉するリベラーレンにとって、だから自由主義の最後の、或いは最近の、段階として、この道徳的範疇としての自由主義が、その血路を提供するのは、甚だ尤もだと言わねばならぬ。

 そこで今必要な点は、この道徳的範疇としての「自由主義」なるものが、例の前に云っておいた文化的自由主義の、直接の裏づけとして援用される、という一つの事実なのである。
云い換えれば文化的自由主義に最後の信頼を置く自由主義者は、自分のこの信頼の根拠として、この自由主義こそこの道徳的範疇としての自由主義に立つものだと考えられる点を利用するのである。
つまり文化的自由主義が権威があるのは、それが道徳的(普遍人間的)自由主義に他ならぬからだ、という論拠になるのである。
もしこの論拠が正当なものならば、文化的自由主義こそ、リベラリズムの最後の最高の形態でなければならなくなる。

 だがここには一つの微細な錯誤が潜んでいる。
そしてそれが大きな誤謬を産むのである。
文化的自由主義が如何に文化的であり、従って超経済的・超政治的であり、即ちその意味に於て如何に非現実的なリベラリズムだとしても、そのことは何も、この文化的自由主義が超歴史的な所謂道徳的な範疇としての自由主義だということとは一つでない。
自由主義の一部分乃至一部面に他ならなかった文化的自由主義を、自由主義全体に及ぶ道徳的範疇としての自由主義と同じに考えることは、無論許されない筈だ。
無理にそう考えるためには、道徳的範疇としての自由主義なるものを、特に道徳的自由主義とでも呼ぶべきものにまで変更しなければならぬ。
そういう道徳的自由主義ならば多分文化的自由主義と同じである他はないだろう。
だがそうすれば、そういう道徳的自由主義は、歴史的範疇としての自由主義なるものの有っている歴史的制限から自由だったという、あの道徳的範疇としての自由主義の有つ「自由」をば、もはや保証されてはいないのだ。

 この論法で行くと、仮に文化的自由主義が今日成立するとすれば、それが同時に道徳的範疇としての自由主義という少くともその妥当性を否定出来ないものと一つであるという論拠から、この文化的自由主義の成立は自由主義一般の成立を告げるものだということとなり、かくて経済的自由主義も政治的自由主義も、却ってこの文化的自由主義を根拠にして初めて成立出来るということになる。
即ち経済的・政治的・自由主義は、何か道徳的根拠によってその成立を権威づけられることになる。
そして例えば政治的自由主義の反対者などは、不道徳だという理由によって非難されねばならなくなる。
――だがそれだけではない。
この文化的リベラーレンは又、往々にして、政治的(又経済的)自由主義(乃至自由)などを問題にすることなく、単にこの文化的リベラリズムを固持することだけによって、一般的にリベラリストであるという権利を獲得出来るかのように思い始める。
政治上の自由などは本当はどうでもいい、大事なのは吾々の逞ましい自意識だ、などと、そういう風に文学者の文化的リベラーレンは主張し出すのである。

 文化的自由主義の弊は、それが自分の自由主義としての一般性を装うために、道徳的範疇としての自由主義なるものを利用して、之を道徳的自由主義にまで植えかえることである。
文化的自由主義は、道徳的自由主義に変質する。
それはもはやただの文化に於ける自由主義ではなくて文化主義的自由主義にまで居直る。
之は広義の文学者の意識に於て往々見受けられる形跡だから、私はかつて之を文学的乃至哲学的自由主義と呼んだ(一一、一五参考)。

 さてこうして、自由主義の「文学的」な哲学体系が初めて成立する。
文化的自由主義自由主義の一部面乃至一部分の名に過ぎなかった。
処がこの一部面一部分が独立を宣言し、自由主義全体の統一運動を始める時、それは自由主義全般に対する一つの主義・一つの哲学的態度・を意味することになる。
ここに初めて「自由主義の哲学」(但しその一半の場合で他の場合は後で書くが)が発生する。
ここでは哲学的範疇の代りに文学的な範疇が使われる(これに就いては既にこの書物で説明した――一一)。
それが文学主義的な自由主義哲学たる所以である。
例えば今日の文芸的評論に於ける各種の人間主義が私かにこの自由主義哲学に基いているのであって、もしこの自由主義哲学から政治的な帰結を惹き出せるとしたら、その政治的結論は推して知るべしなのである。
読者は多分この哲学が転向文学者の一部のものの支柱となっていることを発見するだろう。

 注意すべきはこの文学主義的自由主義の哲学が、決して所謂文学にだけ限られて使われている思想体系ではない、ということだ。
寧ろ却って、今日のブルジョア哲学の主なものの多くに[#「多くに」は底本では「多く」]こそ、この自由主義的文学のメカニズムが潜んでいることに注目しなければならぬ。
例えば西田哲学は或る何等かの自由主義を読者に感じさせるだろう。
もしそうだとすれば、その自由主義とは取りも直さずこの文学主義的自由主義(即ち又道徳主義的自由主義)なのであり、だからこそこの哲学は一種の自由主義哲学だということになるのである。
この意味に於て自由主義哲学に属するものが、今日の日本のブルジョア哲学に於て如何に多いかということは、甚だ興味のある点である。
一見政治的自由主義とは何等の関係もない各種の教養ある哲学は、このようにして多くは矢張り自由主義の哲学に帰着するのである。

 このタイプの自由主義哲学者が、この教養に基く政治常識に於て多少とも合理的であり進歩性を有っているに拘らず、又理論的に云ってマルクス主義的文化史の思想史上の比重を尊重し之に同情を示すことを一応の義務と考えているにも拘らず、例外なく唯物論の敵対者であることは、決して偶然ではない。
なぜならこのタイプの自由主義哲学は、結局文化的自由主義の埒内だけに終始しようと決心していたからである。
生産力や権力という社会の根柢にある物質的諸力とはこの自由主義は何の関係もひっかかりもないのだった。
唯物論はこの哲学にとって元来不用だったのである。
処でこの自由主義哲学者を、そこから唯物論に対する敵対にまで移行させるには、一寸したいやがらせだけで充分なのである。
以上の点は、文化的インテリの代表者とも見做し得る文学者の意識に就いても、少しも変った処はない。

 さて以上は、文化的自由主義を地盤として発生する自由主義哲学の場合であったが、次に経済的乃至政治的自由主義を地盤として発生する別のタイプの自由主義哲学に就いて考えよう。

 一体文学的自由主義哲学は、一見何等の自由主義を説いているとは見えないのが恒だが、それはつまりこれが充分な意味での自由主義哲学でなかったことを物語っている。
元来経済的乃至政治的自由主義を飛び越して、いきなり文化的自由主義に立て籠った結果出て来る自由主義が、充分な意味での自由主義哲学を齎らさないことは寧ろ当然だろう。
本格的な、或いは正札通りの、自由主義哲学は、経済的・政治的・自由主義を地盤として出発を始めなければならぬ。
そうすれば文化的自由主義もおのずからその領野に取り入れられることになるだろう。

 この第二のタイプの自由主義哲学は今日の日本では決して多いとは考えられない。
だがそれの最も著しい形は河合栄治郎教授の努力の間に現われている。
努力と云った意味は、教授自身の従来の意見によると、自由主義の哲学はまだ充分に成立していないのであって、それを成立させるべく今現に努力しつつあるのがこの河合教授達だからである(「改革原理としての思想体系」・『中央公論』一九三五年五月号、其他)。

 河合教授によれば、云うまでもなくリベラリズムは資本主義の発生に基いて生じたイデオロギーなのである。
だが、その初めに於てそうだったということは、いつまでもそうだということを意味しない。
一般に、又特にマルクス主義者達は、自由主義が資本制的制限を有っているから到底社会改良主義以上には出ることの出来ないものだと速断するが、それは早計も甚だしい。
「現段階の自由主義社会改良主義より逸脱して社会主義にまで自己を発展させている」のだ、と教授は注意を促すのである。
ここで社会主義というのは云うまでもなく資本主義の対立物のことを指すのであるが、処が日本やドイツのような特殊の国情に於ては、現存社会秩序の原理は単純に資本主義乃至その意味に於けるブルジョアリベラリズムではない、封建主義の残存物が極めて多いことがその特色をなしている。
だから教授によれば、日本の現段階の自由主義は、同時に資本主義と封建主義とを敵として持っているのである。
封建主義に対しては所謂リベラリズムを、そして資本主義に対しては社会主義を、対立させねばならぬ。
このリベラリズム社会主義との有機的統一・体系的結合こそが、現段階の自由主義だ、というのである。

 自由主義社会主義だという。
ではどういう社会主義なのか。
教授によれば、現段階の自由主義(=社会主義)は理想主義に帰着するのである。
処でマルクス主義は理想主義ではない、ないどころではなく理想主義の反対物だという意味に於て、即ち教授の想定によると「理想」を否定するという意味に於て、唯物論であった。
だから少くともこの社会主義マルクス主義の反対物でなくてはならぬ。
――封建主義に反対し、資本主義に反対し、更に共産主義マルクス主義)に反対するこの現段階式自由主義は、一体どこへ行くのだろうか。

 処で河合教授が現段階式自由主義を理想主義だと説明するには、自由主義の歴史が根拠を提供しているのである。
教授によれば自由主義は自然法から功利主義を経て遂に現段階に於て理想主義に到達したというのである。
――だが理想主義的自由主義は、恐らくトーマス・ヒル・グリーンの倫理学自由主義を範型とするだろう。
このカント化された非アングロ・サクソン倫理学者グリーンは河合教授の詳しく研究する処であるが、十九世紀の八十年代に死んだ人だから、非常時日本の現段階的自由主義の範型として適切であるかどうかを私は知らない。
がとに角、経済学上の自由主義者であり又議会主義者でもある処の河合教授が、著しく倫理的な観点からこうした自由主義を照して見せるということを、覚えておかねばならぬ。

 河合教授の自由主義即ち理想主義とは、個人人格の云わば社会的成長を目的とする主義のことである。
無論社会に於ては自分一人が人格を成長させることは出来ないし、又それはよろしくないことだ。
「公共のためを思い」「不幸なる同胞」に同情を寄せたり何かすることによって世間の皆々の人格の成長を欲することが、取りも直さず自分自身の人格の社会的成長になるのである。
こういう理想を有つことを云い表わすこの理想主義は、だから第一に「道徳哲学」でなければならず、そこから又この道徳の実現のための多少具体的内容を意味する「社会哲学」とならねばならぬ。
即ちこの自由主義的社会哲学、否社会哲学的自由主義によれば、政治的には国家主義反対や議会主義、経済的には資本主義による強制からの自由(旧いブルジョアリベラリズムは国家による強制からの自由であったが)、などがそのドクトリンとなる。

 で教授の自由主義が理想主義であるのは、人格の自由な成長という道徳的理想(グリーンはその『プロレゴメナ』に於て極めて詳しく之を分析している)を持つからこそ、理想主義であったに他ならない。
この自由主義は倫理主義だったのである。
この点から云うと、この折角の経済学的政治学的自由主義哲学も、例の先に云った文学者や文化哲学者の道徳主義的自由主義と何の変る処もないのである。
実際倫理主義は今日の一般のブルジョア哲学の共通な一つのトリックにぞくする。
彼等によれば政治や経済という社会機構は、倫理道徳の理想や当為に還元される。
そしてそこから「社会哲学」や「政治哲学」や「経済哲学」のあるものやが、発生する。
云わばこうだ。
一切の国民が軍人に還元される(挙国皆兵)、そしてそこから将官や佐官の「軍人」が「国民」を代表する。
だが之は果して真面目な論理だろうか。

「倫理」主義が一つのトリックであると全く同じ構造に於て、「理想」主義も亦一つのトリックである。
もし理想を有つことが理想主義なら、マルクスこそ最もシッカリした理想主義者であったろう。
にも拘らず彼は理想主義(又の訳語は観念論)の代りに唯物論を採用した。
なぜというに彼の社会主義的理想(それは人間の本当の自由にあったことを忘れてはならぬ――『ドイツ・イデオロギー』を見よ)という観念の上の目的を達するための物質的な実際手段が、唯物論的認識と夫から出て来る方針とだったからだ。
マルクスは河合教授や小泉信三教授や其他ありと凡ゆる倫理学者や哲学者が心配するように、事物の必然的法則の認識と行動の実践的方針とを、理論的に混同したものでもなければ、又別々に考えなければならなかったのでもない。
現実が論理に、事実が価値に、転化することこそ唯物論によるディアレクティックなのである。
と云うのは、元来論理関係乃至価値関係なるものは、現実乃至事実が人類の経験によって原理にまで要約されたものなのだ。
この点を忘れるならば、今日現に行なわれている一切の文化の科学的批判などは完全に理解出来ない筈だ。
――処でマルクスに於ては唯物論的手段と理想的な目的とは別々なものでもなければ又単純に一つのものでもない。
であればこそこの手段が目的の手段として実地に役立つという資格を得てくる。
処が河合教授の理想主義によると、目的が理想だから手段も亦理想でなければならぬらしい。
例えば自由を得るための手段は又自由な「議会主義」でなければならない。
ブルジョアジーの所謂議会主義という手段に依らないとなぜ手段一般が不自由になるのかが吾々には判らないが、とに角目的と手段とを私かに混同するのがこの「理想主義」のトリックなのである。

 教授はマルクス主義が、物質的手段を目的であるかのように考えて目的と手段とを混同しているから、マルクス主義に反対しなければならぬと云うのであるが、この混同こそ却って教授等の「理想」主義者の代表的な特徴なのである。
理想主義が意味を有ち得るのは、単に倫理的な態度、そういう人間的情緒、そういう心構え(清沢洌氏は自由主義をこうした「心構え」と考える)としてだけであって、哲学体系となればそれは他ならぬ観念論の体系のことだ。
観念論が一般に哲学体系としてどういう根本欠陥を持っているかは屡々述べたが、こうした理想主義のトリックが取りも直さず今の場合のその適例なのである。

 仮にいつも真理・真理と云っている人間がいるとする。
真理を説明するにも真理、真理を擁護するにも真理だ。
そうするとそういう人間は人から真理主義者という綽名を頂戴するに相違ない。
つまりこの真理主義が即ち真理でないという認定を与えられるのである。
「理想」主義や、「自由」主義を、そうした綽名にしないことが、理想そのものと自由そのものとのために必要だろう。
理想と自由との信用を落させるものが他ならぬ「理想」主義者であり「自由」主義者である河合教授でなければ幸いである。
マルクス主義者も亦言論・集会・結社・議会・身体・其他一切の(河合教授の所謂「形式的」及び「実質的」)自由を、人間的理想としての自由という目的のための、手段としてあくまで之を尊重する。
だが自由という目的を設定し更に又この特定の自由行為を手段として尊重することが、すぐ様自由「主義」だと考えるのは、ただ「自由主義者」だけなのだ。
――自由という道徳的倫理的情緒や直覚が、すぐ様自由主義という哲学的理論となるという保証は、一体どこにあるのだろうか。
情緒が体系へ一気呵成に移り行くかも知れないという人間的危険について、最も慎重である習慣を持っているものが、唯物論だったのである。

 で、もし自由を愛好するということから(唯物論者は恐らく誰よりこの自由を愛求しその妨害を誰よりも憎悪するが)、自由主義という独自な哲学体系がすぐ様約束されるとしたならば、靴屋は靴哲学を、床屋は頭髪哲学を有つことになろう。
――豊かな情緒の自由主義は哲学組織となろうとする時、忽ち平板な貧寒な理論となる。
と云うことは、自由主義そのものが、決して本当の自由主義の正当なイメージでなかったことを証拠立てている。
河合教授が自由主義哲学の未成立を憤慨しなければならないのは、決して教授の偶然な不幸ではないのだ。

 自由主義の所謂「転落」に就いて最も興味を感じているものは云うまでもなく唯物論ではなくて日本主義である。
処がこれまで、日本主義の側からする自由主義の多少とも理論的な批判は、甚だ少ないようだ。
藤沢親雄氏の「自由主義を論ず」(『社会政策時報』一九三五年五・六月)などが多分最も注目すべきものだろう。

 だが藤沢氏はその専門である政治学に因んで、眼中には政治的自由主義しかないのである。
氏によると、今日政治的自由主義はすでにその役割を終えた、というのである。
法治主義たる自由主義的国家理論は、国家を社会から出来るだけ引き離し、国家なるものから出来るだけ社会的倫理的な意義を差し引いて、わずかに法治的行政行為の機能だけを国家の側に残そうという一貫した企てである。
社会の倫理的(又しても日本主義者までが倫理的!)権威は、かかる自由主義的国家の与り知ったことではない。
――処が併し、ヨーロッパに於ても、こうした法治主義自由主義が今やその役割を終え、その代りに、之を包含して立ち現われたものが、全体国家の観念だ、と氏は警告する。
なぜ全体国家かと云うと、そこでは社会全体が即ち国家であり、各社会人が又国家の一員としての資格に於て初めて人間なのだからである。
国家の機能は社会の凡ゆる内容に滲徹する。
社会人の個人的私事などはもはや許されない、ということになるらしい。

 かくて全体国家は、国家本来の(?)社会的権威を取りもどす。
処でこの権威なるものは決してただの権力のことではない。
元来自由主義者は権力しか知らない。
だからこの権力が欠如していることを「自由」だと考えることしか知らない(全く河合教授などはそうだ)。
処が氏によると、そんな自由はただの消極的自由のことでしかない。
本当の積極的な自由は、こうした権力と相容れないどころではなく、寧ろこうした権力と結びついているものなのだと言う。
こうした積極的自由と権力とが結びついたものを含むものこそ、例の権威だというのである。

 藤沢氏はここでナチ・ドイツの国家学者(カール・シュミット達)を紹介し又は模倣しているのである。
でつまり「われ等の指導者ヒトラー」のことを思い出せば、この権威とか権力とか積極的自由とかというものの得体が知れるのだ。
――処がヒトラーはまだ決して日本人である藤沢親雄氏の権威の概念を満足させない。
国家の本当の権威は伝統と血統との上の必然性を必要とする。
その意味に於て日本帝国こそこの権威ある全体国家の模範だということになるのである。

 それから後は、殆んど凡ての日本主義者に特有な語源学的・文献学的・な駄洒落に帰着する。
ただ傾聴すべき唯一の点は、機関説が自由主義乃至左翼の国家理論であり、之に反して主権説は右翼の国家理論であるが、日本主義こそ中道を行く偏倚せざる国家理論だということだけだ。

 自由主義マルクス主義と同じ本質のものだということになるのだから、唯物論は今や自由主義のために大いに弁護しなければならぬ破目に陥ったわけだが、唯物論は何よりも、民族の歴史の「科学的」研究を以て、即ち唯物論的・史的唯物論による日本歴史の研究を以て、之に答えなければならないだろう。
そして歴史の唯物論的分析にかけては、矢張り自由主義よりも唯物論の方が本格的ではないだろうかと思うのである。
つまり自由主義を最も根柢的に擁護するものは、自由主義ではなくて唯物論だ、ということになる。
尤もこの際、自由主義者の主観的な情緒がこの結論に対してどう反応するかということは、保証の限りではないのだが。

結論

二〇 現代日本の思想界と思想家
    ――思想の資格に於ける唯物論の優越性に就いて

 思想界を右翼、中堅、左翼という風に区分することは今日の常識になっている。
世間では即ち各種のファシストの思想、各種のリベラリストの思想、各種のマルクシストの思想、という具合に区別しようというのである。
処がこの常識は極めて皮相な社会通念に基いているので、例えば同じくマルクシストと云っても、その本質から云うと社会ファシストに数えられるものが非常に多いし、又自由主義者に近いものも少くない。
同様に自由主義者の内でも亦、時には実質上の自由主義者の資格を持っているものもなくはないが、その大部分は煎じつめると社会ファシスト乃至ファシストに他ならぬ。
だからマルクシストとかリベラリストとか、それから又ファシストとかいう区別は、一応の便宜上の区別としてはとも角、それ以外にあまり根本的な意味のあるものではないように見えるのである。
少くとも、ファシズムにも反対だしマルクス主義にも反対だから、自由主義を採る、と云ったような見当づけほど馬鹿げた常識はないのだ。

 云うまでもなく、ファシズムリベラリズム・マルクシズムの分類は、現在の社会の階級〔対〕立の関係から客観的に導き出されたイデオロギーの類別なのだから、終局に於ては之は無論無視してならない原則にぞくしているが、この終局的な尺度がなければ、今日の思想界に就いては多分一言も口を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)むことは出来ないからだ。
だが、何がファシズムで何がリベラリズムか、又何がマルクス主義かということになると、世間の通念や又イデオローグ達の見解の間に、単に要点の上での一致がないばかりではなく、お互いに根本的に倒錯した理解さえが行なわれているのが、直接の事実だ。
例えば日本の今日のファシスト達は自分達の思想を往々にしてファシズムに対する反対説だと唱え出すし、自由主義者自由主義をば、却って自由を追求することからの自由によって理解しようとさえしている。
そうして見ると、自由主義は実質に於て自由主義反対だという結果になるのである。
自称「マルクス主義者」達はマルクス主義を攻撃することによって、わずかにマルクス主義者であることが出来るという具合だ。

 このような錯綜と倒錯とは、ファシズムリベラリズムマルクス主義というような社会的な一客観現象としてのイデオロギーの区別によっては到底問題が尽くされず、ファシストリベラリスト・マルクシストというイデオローグの主体的な条件の下にしかこの問題を取り上げてはならない、ということを示している。
つまり之は、思想界は思想家の思想を中心にして出来上るものだという、判り切った関係に他ならないのだ。
思想家自身が自分の思想に就いて懐く主観的な見解と、その思想の客観的な意味との喰い違いが、この錯綜と倒錯とを産むのである。
そこで世間の例の分類常識は、時とすると思想家の主観的な自己評価の側についたり、或いは又時とすると思想家の思想の客観的意義の側についたりするので、混乱し動揺せざるを得ないのである。

 世間の常識で、単純にあれはマルクシストだ、あれはファシストだと云うのは、その限りでは、極端に云えばあれは政友会だ、あれは民政党だ、というようなもので、所謂レッテルは外から貼ったものなのだから、あまり真面目に気にかけるべき問題ではない。
ただここに意味のある点は、無論、イデオロギーを政治的に分類することによってその社会現象としての特徴をハッキリさせようという企てにあったのである。
なる程思想をイデオロギーとして社会的連関の下に捉えるには、之を政治的イデオロギーから切り離して問題にすることは絶対に許されない。
だが、そうかと云って、このイデオロギーの政治的性格自身が、それの最も著しいが併し結局はごく直接に手近かにある手取り早い一特徴に過ぎないのだ、という点を見落してはならぬ。
イデオロギーの本当に根本的な特徴は、もっと奥の方にあるのであって、単にそれが必然的に夫々の一定の政治的イデオロギーにまで、直接に或いは又間接に、帰属され得べきだ、と云うに過ぎないのである。
だから、之を政治的イデオロギーに帰属させた結果だけを見れば、それだけでは一向そのイデオロギーイデオロギーとしての特色が浮び出ない場合が少くない。
或る種の哲学的イデオロギーや、又特に自然科学的イデオロギーなどは、その好い例なのである。
ファシズムの物理学と云って見た処で、又自由主義的数学と云って見た処で、夫だけでは殆んど無意味な特徴づけに終るだろう。
イデオロギーとしての思想を単に右翼・中堅・左翼と云ったような「社会学」的社会常識で片づけ得ない所以が之なのだ。
だからこういうやり方では、思想界の分布図など書けるものではない。
なぜなら具体的に各思想家をその分布図に入れて見る段になると、単にハミ出してうまく行かぬだけではなく(ハミ出すのは仕方のないことだ)、恐ろしく見当違いな藪にらみな展望になるだろうからだ。

 で私は右翼・中堅・左翼、乃至ファシズムリベラリズム・マルクシズム、と云ったような社会学的思想界分布図の代りに、もう少し合理的に内容に立ち入った分布図を使わなければならない。
云わばもっと哲学的な分布図を必要とするのである。
思想と云えば世界観と思想方法との結合のことだが、之が古来観念論と唯物論に分類されて来ていることは、今更云うまでもない。
処で実は之こそが、今日の思想界の社会的分布図を与えるのに、一等役立つだろう当のものに他ならぬ。

 観念論と唯物論との対立と云うと、世間のスレッカラシな常識は、又か、というだろう。
処が世間では一向この二つのものとその対比との現代に於ける意義を理解しないどころでなく、この二つの言葉そのものの意味をさえ決して実際的な形で掴んではいないのだ。
それだけではなく、観念論的な哲学概論によっては勿論のこと、唯物論的な哲学教程によってさえも、この観念を実際的な現下の社会的意義の下に充分捉えているとは云えぬかも知れない。
具体的な点は段々見て行くとして、少くとも観念論と唯物論とが、単に世界観であるばかりではなく、之と連関して同時に論理であるということを、世間はあまり知ってもいないし考えてもいない。
之はつまり、思想というものをただの観念か何かと考えている常識に由来することだが、思想というのはただ或る観念を所有したり之を振り回したりすることではなく、実際をよく見ると判るように、或る観念を推し進めて行くことによって之を使うことをいうのだ。
思想とは観念成長の組織機構を意味するのである。
この組織が広く論理と呼ばれるものであって、そこに思想の貞操とか貫徹性とか徹底性とか党派性とかいうものも横たわる。
ヘーゲルなどは之を「推論」という言葉で云い表わした。
この論理の用具がそして範疇組織というものなのである。
――で思想はこうして世界観から始めて範疇組織までを含まなければ成り立たないのがその実際だ。
もし思想家というものがあるなら、夫は思想のこうした組み立てを身につけた者のことで、ただの観念を所有することなら子供でも狂人でも出来るだろう。
観念論とか唯物論とかいう思想のこの原型はだから、ただの世界観なのではなくて同時に論理だったのだ。
友松円諦氏だったか(尤も独り彼に限らないが)、観念論か唯物論か、などという問題はただの閑つぶしの「戯論」に過ぎないと云って問題を回避しようとしているが、彼等の思想家としての無資格は、こういう点に最もよく現われている。
観念論と唯物論との対比は、単に思想乃至思想界の分布図を与えるばかりではなく、この対比に就いての自覚は、思想家自身の思想家としての資格を決定することにもなる。
無論思想家としての資格のない思想家というものも、社会的に思想家として存在しているという事実は、後に見る通りだが。

 特に唯物論と云うと世間では最近特別に妙な観念を有つものが多い。
唯物的なものであるとか唯物思想であるとかいうのであるが、一体それが何を意味するのか、云っている人間自身全く判ってはいないらしい。
こうした理論無用の思想的暴力団式見解は、無論真面目に相手になれないものだが、併し之が案外世間の一部の人間の常識に一致しているように見える。
現在の日本では貴族院衆議院でもこういう見解が立派に通用する、それ程立派な〔観念〕なのである。

 日本に於ける現代の唯物論弁証法唯物論と呼ばれている。
この思想は公平な哲学史的考察に従えば、実は世界の哲学史の現代的要約に他ならない。
所謂観念論の諸課題(例えば主体の問題、個人・意識・自由・其他の問題)は、之によってこそ批判的に解決され又は解決され得べきものなのであるが、処でこの肝心の弁証法唯物論自身が今日様々な形で歪曲されて理解されている。

 第一はこの唯物論を客観主義だと考える見解である。
唯物論は主体の問題を主体の問題としては取り上げないもののことだと考える。
大森義太郎氏などがインテリゲンチャの問題をインテリゲンチャの主体的条件(インテリジェンス)の問題として取り上げずに、専ら「客観的」な社会層や社会階級の問題としてしか取り上げないのは、こうした客観主義の一例に過ぎないが、之は唯物論とさえ云えば、人間の精神を石か水のような物体と考える思想だと思っている卑俗な常識とあまり相距るものではない。
元来今日の唯物論は社会的にはプロレタリアートと農民とに帰属すべき思想であるのだが、今の例では、多分に、サラリーマン層乃至現在の広義に於ける学生層(所謂評論雑誌の読者層)或いは又官僚群に帰する「唯物論」が見受けられるわけである。
向坂逸郎氏などのこの点の見解は之と似たもののようだ。
唯物論もこうなると、もはや思想と云うよりもサラリーマンならサラリーマンの云わば社会的趣味に他ならない。

 唯物論の客観主義化の場合は他に限りなくあるが、それはとに角として、今度は反対物として、唯物論の主観主義化を考えて見ると、之も亦ごくありふれた思想現象なのである。
その内で最も特徴のあるのは弁証法唯物論史的唯物論と考える、唯物史観主義だろう。
之によってマルクス主義は一つの歴史哲学にまで転向させられる。
三木清氏はこの点で最も功績(?)のあった人で、彼が嘗て影響を与えた多数の学生や学者の内には、この唯物的歴史哲学を通じて初めて、自分の観念論的傾向と唯物論との妥協を企て得た者が少なくなかった。
私などもその一人であったし、岡邦雄氏などもそうだったが、今では二人とも奇麗にそうした哲学青年的態度は捨てて了った積りである。
船山信一氏など最も鮮かにこの哲学趣味を脱却した人で、彼の思想の包括性や伸縮性や実際さは兎に角として、今ではまず唯物論の優等生になったと見ていい。
今日の三木氏の立場に接近している少数の文学青年達は問題にならない種類のものだが、それにも拘らず三木氏の過去から今日に至るまでの影響に相応するものは、色々の形で意外な処に現われている。
田辺元博士は自然弁証法なるものの本来の意義を承認しない唯物論理解者の一人であるが、之も亦史的唯物論主義に対する博士の特別な同情と無関係なものではない。
無論田辺博士は元来少しも唯物論者ではないのだが。
で、こうした唯物史観主義が日本の「教養ある」小市民層の哲学趣味や文芸趣味に投じることによって繁栄しているアカデミックに卑俗な夫々の唯物論(?)であることは、すぐ判るだろう。

 唯物論の歪曲は一概に[#「一概に」は底本では「一慨に」]云って了えば取りも直さずそれだけ観念論なのだから、之は観念論の項に譲らなければならないが、併し今一つの例外な場合を注意しておかなくてはならぬ。
弁証法唯物論は云わばプロレタリア唯物論であるが、之は一面に於てはフランスのブルジョア唯物論からの発展だと見做される点を有っている。
今日の日本でそういうブルジョア唯物論を代表する殆んど唯一の、而も非常に著名な人物は長谷川如是閑氏だろう。
日本に於けるブルジョア唯物論は、かつて、啓蒙哲学としては福沢諭吉氏によって、フランス唯物論としては中江兆民氏によって、ドイツ唯物論としては加藤弘之氏によって代表されたが、第一のものは日本ブルジョアジーの日常処生訓として解消して了い、第二のものは幸徳秋水氏や大杉栄氏のアナーキズムを通って現在では思想上の支配力を失って了い(これは新居格氏などに記念品として残っている)、第三のものは最近亡くなった石川千代松博士で家系が断たれたように見える。
如是閑氏だけが今日、割合総合的なそしてよくこなれたイギリス風のブルジョア唯物論者として残っているのである。

 氏の思想態度は極めて「唯物論的」である、と云うのは氏は実証的な常識以外に何等の哲学をも認めないのである。
彼の思考組織がそのものとして取り出されることを氏は好まない、そうした哲学が、論理が、嫌いであるように見える。
その癖氏の思想のやり口には一定の顕著な組織があるのであって、それが一貫した特色として誰の眼にも一眼見て判るように出来ている。
ただその論理組織を自覚的に展開することが、何等か観念的な態度に堕するものと信じ切っているのである。
氏の唯物論弁証法の実際上の有用性を認めず従って弁証法唯物論に移らない理論的な根拠はここに横たわる。
――如是閑氏の唯物論は決して唯物論の歪曲ではない、寧ろ未発展な唯物論がそのまま爛熟したものに他ならぬ。
処がその唯物論の未発展という処から、実は色々の観念論的な動揺が出て来るのであって、氏がファシストのレッテルを貼られるのもそこから出て来るのだ。
ブルジョアリベラリズム(敢えてブルジョア・デモクラシーとは云わぬ)の思想の運命は、今日どれもこの道を選ぶ他はないようだが、この運命に組織的な思想根拠を与えた唯一の思想家が如是閑氏に他ならぬ。

 例えば河合栄治郎博士は自由主義の哲学を提唱している。
併し唯物論と観念論との対立を抜きにして、いきなり自由主義という経済的乃至政治的文化的イデオロギー(河合氏のは経済的イデオロギーに由来するものだが)を原則として哲学を築こうなどというのは、丁度靴屋の哲学を考案したり床屋の哲学を工夫したりするようなものだ。
之では観念は出来ても思想にはならぬ。
自由主義哲学が今日の日本に未だに事実上存在しないのは、決して偶然ではない。
――それから同じくリベラリストと云っても馬場恒吾氏や清沢洌氏は、世界観的背景と論理組織とがハッキリしていないから、充分な意味で思想家に数えることは出来ないようだ。

 では本当に唯物論的な思想家はどんな人かというと、厳密に云えば夫が極端に少ないのである。
単に本当に弁証法唯物論を身につけた人が少ないからばかりではなく、そうした唯物論者で、ただの学者や専門家に止まらずに思想家の域にまで到達している人が、甚だ稀だからである。
だが之は決して無理からぬことで、唯物論的世界観を唯物論的組織に従って、具体的に分析し包括的に統一して、之を唯物論的思想体系にまで形象化すことは、観念論の場合とは違って、そんなに容易に出来ることではない。
なる程多少とも唯物論的な社会科学者は非常に多い。
例えば平野義太郎、山田盛太郎、小林良正、山田勝次郎、大塚金之助、服部之総羽仁五郎、それから猪俣津南雄、土屋喬雄向坂逸郎、有沢広巳、石浜知行、佐々弘雄、大森義太郎、其他の諸氏を数えることが出来る。
多少とも唯物論的な哲学者や文学理論家は併し、もはやあまり沢山はいない。
高々哲学では三枝博音、岡邦雄、船山信一、永田広志、秋沢修二、本多謙三、其他。
文学では(蔵原惟人、宮本顕治)森山啓、窪川鶴次郎、中条百合子青野季吉、其他の諸氏である。
自然科学者数学者になると多少とも唯物論的な人物はごく稀になる。
わずかに小倉金之助博士や再び岡邦雄氏其他を数えることが出来るだけだ。
而も以上あげた人の内でも、どこまで果して本当に唯物論者の名に価いするかが、夫々の人物に就いてすでに問題だろうし、それだけではなくただの学者や専門家では、まだ思想家とは云われないのは前に云った通りで、夫は丁度ただのジャーナリストや批評家が思想家でないのと同じなのである。
――唯物論的になればなる程、思想家としての資格が厳重になるのである。

 だがそれにも拘らず唯物論は今日最も包括的で統一的な客観的な世界観であり、又最も実際的な組織的な論理であるという点を、見落してはならない。
実は今日の唯物論は、初めから「思想」としての根本特色を最もよく具えている思想なのである。
現在吾々はこの唯物論に拠るのでなければ現実的で統一的で組織的な思想を、科学的な批判能力を、有つことが出来ない。
と共に多少とも唯物論的な今挙げた人物は、殆んど例外なく、一種の評論家・批評家、ジャーナリスト・エンサイクロペディストであることによって、一般の思想家の水準を抜き得る一応の思想家だと云ってもいい。
ただ、思想家=科学的批判家としての資格を、非常に厳重にすることが出来る程に、唯物論そのものが他に較べて思想の資格に於て進んでいると考えられるのである。
世間の卑俗な常識をさえ無視してかかれば、唯物論が今後の唯一の思想源だということが、ハッキリ呑み込めるだろうと思う。

 その証拠として、所謂観念論(自らは観念論と称さなくてもよいし又観念論反対と号しても構わないが)の各種のタイプを、その思想としての資格に於て検査して見よう。
万華鏡のように、多彩な眼まぐるしい光景の内に、殆んど思想と称するに足るものがないのを読者は見るだろう。

 日本の一等独創的で一等卓抜な思想家として、世間は西田幾多郎博士を推すだろう。
なる程最も卓越した頭脳とか深刻な思索力とかいうものを問題にするならば、或いは博士を少くとも第一級に推さねばならぬだろう。
併し吾々は今英雄伝を問題にしているのでもなければ素質の心理学を問題にしているのでもない。
問題は博士の思想、哲学にあるのであって、思想は頭脳と一つではないのだ。
西田哲学はなる程極めて独自なものであり、哲学史上哲学法の一つのエポックをなすものでもあろうが、そのことは必ずしも西田哲学の思想としての卓越を示すものではない。
現に西田哲学が社会に就いてどういう見解を示しているかをまず見れば、このことは一等よく判ると思う。
我と汝というものの関係が西田哲学による社会理論の終局の鍵であるが、一般に歴史的な社会がこういう個人的乃至倫理的人類愛的な合言葉で解明されるというような思想は、それが誤っているかいないかは別としても、決して優れた思想ではあるまい。
まして之によって現在の社会の特色・矛盾・動向に就いて説をなすことは、全く出来ない相談でなくてはならぬ。
その意味で西田哲学は社会思想を殆んど全く欠いているとさえ云わねばならぬ。

 西田哲学の思想的卓越さを讃美する多くのファンは、博士の文章の処々に現われるような常識的な人間的真理に随喜するに過ぎないのであって、西田哲学の根本的な要点には殆んど触れないのが普通だ。
又東洋的神秘思想とおぼしいものをここに見出すからと云って野狐禅めいた思い入れをやる読者も之と同じことだ。
西田哲学の本質は実はその所謂「無の論理」にあったのである。
だから西田学派はまずこの無の論理を使って見ることによって、西田論理が思想の形成に有効であるかどうかを実地に判定して見るべきだろう。
処で田辺元博士は之を使って見た殆んど最初の人ではないかと思う。
博士は現実の階級国家の背後に国家の理念を想定すべく、この無の論理を用いている。
つまり現実の有的国家を無的国家によって裏うちされたものと見做すことによって、社会乃至国家の理想的な意義が、現実との矛盾なしに、合理的に解釈出来ようというのである。

 なる程現実の社会を解釈するのに、無としての社会理念という無色透明なメジウムを通してやるのだから、現実はそのまま現実として再現されるに相違はなかろう。
だが現実的にはただそれでお終いであって、之によって現実が現実的にどう変るのでもない。
ただ現実が理念によって裏打ちされたと解釈されただけに過ぎないのである。
こういうものこそが解釈の哲学・世界を単に解釈する処の哲学のことであって、無の論理はこの解釈哲学の世界解釈(それが即ち観念論的に考えられた「思想」というものだが)の恐らく一等徹底した論理組織なのである。
現実の世界を現実的に処理変更するに相応しい肝心な思想のアクチュアリティーは抜きにして、単にこのアクチュアリティーをつつむイデーの・意味の・秩序を打ち立てるのが、この形而上学の特色をなしている。

 今日の観念論は一般に形而上学と呼ばれるが、夫は今云ったような点で具体的な内容を示すわけで、つまり地上の秩序の代りに天上の秩序で間に合わせる思想のメカニズムのことだから、之を一般的に神学的な思想と名づけていいだろう。
西田哲学が弁証法的神学(之は初め同志社大学の神学科あたりで紹介してから今日のアカデミックな宗教復興・キリスト教神学復興の枢軸をなしている)に結びついて行ったり、田辺哲学が菩薩に合致しようとしたりするのも偶然ではない。
――一体西田哲学型の一般的解釈哲学(後に云う特殊な形の解釈哲学に較べて一般的な)は主にリベラリストによって支持されているのであるが、こうした神学主義まで行けば客観的な社会的価値から云って、もはや決してただのリベラリズムの哲学ではなくなって来る。

 無の論理に立つ解釈哲学(観念論思想)は、無という言葉が示している通り、その論理に特別なメカニズムは含まれていないが、処で解釈哲学はその論理に色々のメカニズムを内容として※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)入することが出来る。
その一つの場合を文学主義と呼びたいと私は思っている。
その意味は哲学がその根本的な点に於て文学化されるという現象のことであり、従って又、一般に思想そのものが、科学的な批判能力の代りに、文学的なモノローグにまで上ずり萎んで了う場合を指すのである。

 云うまでもなく思想はただの所謂哲学や、又論理の骨組みのようなものではない。
ただの科学的知識の集成などでもない。
その意味に於ては思想はいつでも文学的な表象を伴う文学的な表現として現われる。
そうであればこそ、吾々は単に科学や哲学に於てばかりではなく、寧ろ却って文芸の内にこそ、思想の具体的な姿を見出すとも考えるのだ。
併しもう一遍云わなければならないが、思想とはただの観念のことではない。
観念の表現された文学なら文学というものが、すぐ様思想の表現物とはならぬ。
思想には思想らしくメカニズムが必要なので、之を欠いた文学は取りも直さず思想のない文学に他ならない。
処で文学はいつでもそれが表現する思想内容を、文学的な具体的な表象の結合で以て云い表わす。
それは当り前のことで、良いことでも悪いことでもないが、併しこの際注意すべき点は、表象必ずしも概念ではないということだ。
即ち文学的表象を借りるからと云って、その概念までが文学的だということにはならぬ。
概念(論理は諸根本概念の機能組織だ)はあくまで科学的乃至哲学的――実際的で客観的――である必要があるのであって、単にそれの表象に限って、少くとも文学の場合には文学的になることが許されるのに他ならない。
処が今日の観念論、形而上学、解釈哲学の一派は、科学的乃至哲学的な根本概念組織――それが唯物論だ――を思想のメカニズムとする代りに、文学的表象を媒介とすることによって、文学的な根本概念組織を論理として持ち出して来る。
そうすることによって初めて、思想を唯物論から救い出すことが出来ると考えるのである。

 その好い例は例のシェストーフなどであって、シェストーフ選訳の監修者である最近の三木清氏達による不安の思想などは、思想の文学主義化された典型だろう。
ニーチェの訳も出つつあるが、ニーチェと云いキールケゴールと云い、その思想の特色は文学主義的哲学のカラクリにあることを注意しなければならぬ。
問題は決して思想の表現や文体が文学的に洗練されているだけではないのだ。
而も思想が文学主義化されれば化される程、世間の卑俗な常識は之を愈々思想らしいものだと考えたがるのだから、困りものである。

 観念論のこの思想現象は、文学の世界では文学至上主義に結びついて行くし、社会理論としてはインテリ至上主義に結びついて行く。
必ずしも三木氏やシェストーフやに同情してはいない小林秀雄氏なども(之はブルジョア文芸評論家の内の「哲学者」の一人であるが)文学主義的な論理で物を云わざるを得ないのがその致命的な欠陥だろう。
――それから社会現象から云うと、この文学主義は一連の文学者達の転向現象と本質的な連りがあることを見逃すわけには行かぬ。
政治的社会的行動に於ける所謂転向はとに角として、唯物論的文芸意識そのものの転向による根本的な変質は、文学主義のメカニズムを意識的無意識的に利用したものに他ならない。

 文学主義は元来、文学的リベラリズムの一つの場合に相当する。
元来日本の近代文学は封建的モーラリティーに対する観念的な批判の役割に従って、一般にリベラリズムを本流としているので、特別な例外でない限り、文芸家の多くの者はリベラリストに数えられる。
豊島与志雄広津和郎菊池寛杉山平助の諸氏は多分最も意識的なリベラリストであるらしい。
不安文学の一派も、又之が多少積極的になった能動主義の一派も、云うまでもなく自由主義者にぞくしている。
而もこの自由主義の意味そのものが文学的なのであって、政治行動上の自由主義(それは必然的にデモクラシーの追求にまで行く筈だが)からは決定的に仕切られている自由主義でなくてはならないのだ。
政治上の自由主義としてもここでは全く超政治的な文学的概念としての自由主義でしかない。
――処でこうした文学的自由主義は、一見意外にもファシズムに通じる道を有っている。
所謂能動精神にその危険があることは今日殆んど凡ての人から戒告されている点だが、不安文学なども、その良心や人間性を通してすでにモラール的宗教に到達している。
そして一切の意味に於ける宗教の現在に於ける役割は、客観的に云うと、実はもはや決して自由主義ではないのだ。

 解釈哲学の以上二つの典型は、その終局的な客観的効果は別として、その直接の関心から云うと、主に文化的インテリゲンチャのインテリジェンスに訴えようとする処に成り立っている。
而もこの思想典型の内容が小市民層の関心に基くものであるために、社会的現実からの逃避か又は夫への不到達として現われざるを得ない。
ただ西田哲学型の解釈哲学は比較的理論的なインテリジェンスの所有者に、之に反して文学主義型の解釈哲学は比較的情緒的なインテリジェンスの所有者に、愛好されるという区別はあるが。

 処でもう一つの解釈哲学は之を文献学主義と呼びたいと思う。
一般に言語学的又は古典学的な知識を以て、断片的に或いは組織的に、現在の実際問題に対する解決の論拠を構成しようとするやり方が之であって、日本のアカデミー哲学の殆んど大部分のものは、ドイツ語文献学か、ギリシア語文献学かを哲学的思想の検討と混同したものに他ならない。
無論こういう「哲学」は何等の思想の名にも値いしないだろう。
併し文献学主義が覗う処は実はもっと実際的な必要に揺り動かされている場面なのである。
日本帝国の歴史的現実(?)と或る種の都合の良い思想とを結びつけるのに必要なのが、実はこの文献学主義なのだ。

 独り国学のものに限らず広く儒教・仏教の古典の文献学的解釈に基いて、現代日本に於ける思想文物を批判し又は確立しようというのがその目的である。
日本の資本主義の物質的機構は、こうした東洋的な古典の内容をなす歴史的範疇と全く絶縁されているにも拘らず、却ってその故に、この古典が日本資本主義の観念的機構にとって必要となって来る。
普通の条件ならば日本資本主義の上に立つべき一定の精神機構は、とりも直さず西洋思想・外来思想・唯物思想として、駆除されることになるから、日本思想乃至東洋思想・精神文明等々――それは現代とは全く歴史的範疇の異った時期の所産である古典からしか惹き出せない――のための位置が空くわけなのである。
日本精神主義農本主義・大亜細亜主義のイデオローグ達のフラーゼオロギーは、皆この文献学主義の拙劣な運用に他ならない。
憲法の解釈も今後この手口で行くことになるだろう。
――この類型にぞくするもので、これ程露骨で拙劣でない文献学主義は和辻哲郎博士や西晋一郎博士の倫理学だろう。
後者は学究的な形に於ける全くの文献学主義者であるに反して、前者はそれが解釈学(ヘルメノエティク)にまで蒸溜され、そして更に夫が人間学にまで移行しているので、一寸見るとそこには文献学主義は気づかれずに済むかも知れない。
寧ろ前に云った文学主義の一亜種にさえ夫は近いようにも見える。
だがこのことはすぐ見るように他に意味があるのだ。

 文献学主義の観念論はその大部分が真性日本ファシズム思想に帰着する。
というのは政教一致社稷宗教、日本民族の国家的選民宗教の復興に帰着するのである。
で、もし日本民族が人類の模範的なものであるなら、この日本文献学主義は必然的に日本人間学になるべき筈ではないか。
之が和辻博士の「人間学」としての日本倫理学だったのである。

 併し最もラディカルな解釈哲学=観念論思想は、もはや世界の解釈をさえ脱却する。
そればかりではない、観念論であることをさえ止めるように見えるのである。
と云うのは一身上の肉体的実践主義となって現われるのである。
頭よりも肚を、知識よりも人物を、理論よりも信念を、絶対的に上に置くことから、思想は柔道や剣道や禅のように道場に於て鍛錬すべきものとなる。
そして之が実践だというのである。
だから政治的活動も直接行動の形を取ることにならざるを得ない。
――処でこの観念論は云わば全くの小乗宗教に帰着する。
問題は肉体なのだ。
だから生老病死が一切の問題なのである。
で、仏教復興や各種の邪教(?)や民間治療、それから之と離れることの出来ない禍福観と各種の骨相学(骨相学はナチス・ドイツなどでは重大な哲学の一部門になっている)、この観念論的ガラクタは問答無用式ファシズム思想のサンチョ・パンザに他ならないのである。
――そして真性日本ファシズムの発生する社会的地盤は、別に茲に今更説明を必要としないだろう。

 さて、今まで見て来た処によって、今日有力な観念論思想の主なるものが、思想の資格に於て如何に望み少ないものかということが判ると思う。
尤もすでに今日では勢力を失って了った思想をも数えれば、観念論はまだまだいくつもの類型を有っているし、そればかりではなく、多少異った類別の方針も立てなくてはなるまい。
例えば新カント主義の思想家として哲学の桑木厳翼博士や物理学の石原純博士など、を忘れてはならない。
そしてこの二人ともが可なりハッキリした自由主義者であることも注目しなければならない。
だが、こうした自由主義は今は、思想家個人としてはとに角、思想界の流れとしては、決して有力でないのが事実だ。

 併し最後に一つの問題が残る。
思想は云うまでもなく思想家の思想だから、思想家個人の思想に特色さえあったら、たとえ何かの思想流を代表するものでなくても、之を有力な一思想と見るべきではないか、と云われるかも知れない。
併し事実上そういうことはあり得ないのである。
本当に代表的な思想家は、その思想の内に何か思想的な客観的メカニズムがあって、他の幾人かが必ず之を用いることから、おのずから一つの思想流をなすものなのだ。
例えば両方とも故人ではあるが、左右田喜一郎博士の下には左右田学派の思想とも云うべきものがなり立ったが、福田徳三博士の影響下に果して福田学派の思想というものが出来ただろうか。
私はこういう点から見て、思想家と思想家でないものとの形式的な区別をつけることが出来ると思う。
河上肇博士は普通の意味では決して独創的な所謂思想家ではないが、マルクス主義を代表することによって多くの思想上の弟子を産んだことは周知の通りだ。
博士はマルクス主義的思想家の代表的な一人であることを失わない。

 私は今云ったような意味に於て例えば杉森孝次郎氏を世間の云う処に倣って思想家に数えることに躊躇する。
なる程氏は多数の崇拝者を持っている。
併し崇拝者の数を云うなら、恐らく徳富蘇峰氏(之は思想家ではなくてただの歴史家かそうでなければ多少デマゴギッシュな文筆家に過ぎない)の方が多いだろう。
つまり杉森氏は優れたイデオローグ=言論家で修辞家ではあるがメカニズムを有った思想家ではないようだ。
室伏高信氏はどうかということになるが、氏も亦実は所謂ジャーナリストとしての文明批評家、或いは寧ろ文明紹介者ではあるが、思想家ではない。
なぜなら氏の魅力は決してその思想の首尾貫徹にあるのではなくて、却って外部から来る諸思想の新陳代謝にあるからだ。
故土田杏村氏も亦この意味に於て決して思想家ではなかった。

 思想家という言葉の意味は尤も、自由に決めていいだろう。
併し問題はどういう思想家が、凡そ思想というものの建前から云って、待望されるか、ということだ。
その意味での思想家は、ただの学者や専門家でもなければ、言論家や趣味人、文筆家や美文家、記者的ジャーナリストやエッセイストでもあり得ない。
思想のブローカーでもなければ固定観念の所有者のことでもない。
――思想家は世界の科学的な批判家とでもいうものだろう。
で、そういう意味での思想家は殆んど全く観念論の陣営の内には見つからないのである。
世間の常識はそう聞いて不審に思うかも知れないが、それは別に不思議なことではない。
元来唯物論こそが、科学的批判の武器、即ち思想の武器なのだからである。
処がその唯物論の内からさえ思想家らしい思想家、イニシャティブを取る点にオリジナルな思想家はまだあまり出ていないと云ってもいい位いなのである。
だがこの現状は、唯物論の道が険阻であることをこそ示せ、唯物論の思想としての資格を揺り動かすものではない。
夫が現実的であり実際的である限り、思想の道はいつも険阻である。

補足

一 現下に於ける進歩と反動との意義

 明治初年の新思想を象徴する合言葉は「文明開化」であった。
試みに手当り次第に例を挙げて見ると、明治初年には『文明開化』『開化の入口』『開化自慢』『開化問答』『文明開化評林』『文明田舎問答』『開化本論』『日本開化詩』等々の著述や編纂物が出版されている。
之は『明治文化全集』の文明開化論からもうかがえることだし、宮武外骨の『文明開化』という本からも知ることが出来る。
今にして思うのだが、思想の合言葉として、之ほど勢を得て愛用されたものは、近代日本にその比を見ないだろう。

 思想を象徴する合言葉と云ったが、その際思想と考えられるものは、当然なことながら、単に思考や思惟のことではない。
所謂思考や思惟(こういうものを抽象して取り扱うのが従来哲学の類いだと考えられている)は、それ自身何かもっと具象的なものの抽象的な一結果に他ならないので、大まかに制度文物風俗等々と呼ばれるものからの抽象物なのである。
具象的な思想とは、だから実は、この制度文物風俗等々に基き、之をその極めて重大な内容実質としているもののことだ。
加藤祐一の『文明開化』(明治六年)の最初を見ると、散髪や洋服や帽子や靴、住居から肉食の議論に至るまで載っているのだが、こうした風俗などこそ思想の最も具象的な形態で、思想が極めて日常的な生活意識となっている場合が風俗なのである。
趣味や習慣さえが、社会機構の変動が割合安定を得ている場合には、単に個人的なヴァラエティーに過ぎなくて何等の思想的価値を持たないように見えるに拘らず、それが一旦社会の変動期になると、強靭な思想的粘着力や圧力となって現われて来る。
思想は一般にここまで行かなければ、本当に生きている思想ではない。
最後にこの点に触れようと思うので、あらかじめこう云っておくのである。

 さて明治初年の文明開化に比較出来るものは、恐らく今日の「進歩」という思想の象徴だろう。
無論所謂文明開化時代にも向上進歩というような言葉もなくはなかったのだが、併し夫は今日ほどの活用は持たなかったし、又今日ほどの理解で以てこの言葉が必要とされたのでもなかった。
一体文明開化という言葉は文化と略称される処のもので、この明治初年的略称が、後にヨーロッパ大戦前後を一期として生じた「文化」意識を云い表わすために、転用されたのだが、すでに阿部次郎等に於て見られるように、この近代的な「文化」の観念は、元来個人主義的人格説に立脚したものなのであり、それが大戦前後の社会化の動向に作用されて多少とも社会観的な意義を受け取り、そして最後に社会の歴史的な一活動としての今日吾々が使っている文化の観念にまで一般化されたのだが、併しこの言葉は、日本ではドイツ・アカデミー観念論の文化哲学的臭味を今日でもまだ完全には脱却していない。
――がこの文化の方はとに角として、その元になる文明開化の方は、その言葉が示す通り、全く啓蒙期的な観念だと云わざるを得ない。
と云うのは啓蒙という言葉(之は主にドイツ語のアウフクレールングに相当する)自身が文明開化の意味であるからだけではなく、人性を照らし明らかにするというこの文明開化なる規定の内には、必ずしも歴史的な観点が注意深く織り込まれてはいないからである(啓蒙という合言葉も亦明治初年には愛用された)。
処が進歩になると、明らかに、元来歴史的な観点に立つ概念だと云わざるを得ない。

 文明開化は啓蒙期的合理主義のモットーであったが、進歩は、敢えて歴史主義とは云わないが、歴史的運動の把握の上に立つ一つのモットーなのだ。
前者は封建制の打倒乃至各種のその変革としてのブルジョアジー台頭の思想を(少くとも日本的に)特徴づけるものであり、後者は之に反して、資本制打倒乃至各種のその変革としての新興勢力による思想を特徴づける。
言葉の意味から云えば文明開化にしろ進歩にしろ、等しく明治初年の日本の思想運動にも大戦後の日本の思想運動にも使って使えない言葉ではないが、歴史的転形の必然そのものを特に自覚せざるを得ない現代の思想運動にとっては、特別に進歩という歴史的観念を必要とするわけなのだ。

 だがそれはいいとして、進歩という合言葉をフンダンに使っているうちに、一切の合言葉がそうであるが、いつとはなしに之は内容の空疎なものとならないでもない。
初めは、仮に明確な輪郭と内容とを意識せしめる底の観念ではなくても、その新鮮さそのものだけですでに十分に人々を納得させ得るだけの真理のあったものでも、時間が経つに従って猫も杓子も口癖にするようになると、もう初めの新鮮味から来る真実さは失われる。
現にしばらく前には文化という合言葉が夫だった。
文化生活や文化住宅はまだ良いとして、文化猿股、文化何々の類になれば、もはや言語を絶するものになる。
進歩という観念は今日まだそこまでは漫画化されていないが、併し、社会的存在としては可なりのロクでなしでも、口には進歩を唱え又みずからを進歩的だと説明している者なら沢山いるだろう。
そこで世間の心ある人達の或る者は、抑々進歩とは何であるかという反省をし始めなければならなくなるのである。
一方恰も之と平行して日本の動きが最近どうも進歩的でなくなりその反対なものになって来たという感触(之は単に感触であってまだ本当の認識ではない)から、今日は丁度そうした進歩観念の検討期に這入ったように思われるのだ。

 それに、合言葉というものは極めて際どいものだ。
例えば挙国一致というと、敵も味方も挙国一致が合言葉になる。
何っちが本当の挙国一致かと云って挙国一致較べを始める。
そういうような仕組みでファシスト達は自分達こそ進歩的だと云い始める。
日本の運命を遠く大陸に開拓することは進取の気象に適ったという意味では進歩的だろうし、資本制の美点を傷けるブルジョア達(地主も含める)や政党政治家を芟除することも一つの進歩前進だろう。
この意味では確かにマルクス主義は進歩的ではなく、ない処でなく正に反動的なものでなくてはならぬ。
マルクス主義の時代は去った、自由主義もまた終った、と叫ぶ、市街や農村に於ける常識的文明観は、そういう気持ちに終始するのである。
――ただの鯨波の声ならば、敵も味方も同じスローガンで結構なわけだ。
そこで空疎になった合言葉としての進歩は、今では誰にでも利用され得る観念になりつつある。
現にそういう危険に現在は臨んでいるのだ。

 一体進歩という概念に就いては、歴史哲学的にも色々と苦情がこれまでないのではない。
進歩というのは何か一定の目標・目的物を想定した上で、それに近づくことでなければならぬと考えられるのが普通だが、して見ると、この概念は歴史の目的論的仮定の上でしか意味のないものになるだろう。
そしてもし歴史の目的論が何かの理由で理論的に困難であったり成立出来なかったりするならば、同時に進歩の観念も決して科学的ではあり得ないということになるのである。

 歴史の動きを進歩と見るのは、非科学的な歴史認識であり、実際の歴史の動きの内に神学的な仮定や(神の世界計画図の実現の如き)倫理的評価(人格の完成や善への到達の如き)を押し込む前科学的な歴史学に他ならない、という考えである。
――なる程この意味に於ける進歩という観念は結局に於て倫理的な(従って理論的な領域外の)もので、ヘーゲルなども進歩(意識の進歩)を主として道徳に於ける進歩と考えているのだが、この倫理的な評価を歴史記述の中に持ち込むことは、確かにその認識の客観性を全く見失うことだ。
歴史を倫理的に説明するのではなくて、逆に倫理をも歴史的に説明せねばならぬ処のマルクス主義理論(今の場合史的唯物論)にとっては、だからこの意味に於ける進歩という観念ほど、不埒なものはないということになる。

 マルクス主義は人格的自由や理想を、即ちそうした倫理的なものを、その唯物論から理論的には導き得ないものだというのが、日本の多くのマルクス主義批判者の常習的な誹謗の手口であるが、それは勿論途方もない見当違いだ。
元来如何なる理想主義者や観念論者が、自由や理想や倫理的価値やを、証明し又は説明し得たか。
彼等はそうした或る事実を、単に彼等一流の上ずった概念使用法で彼等の趣味に適ったような言葉に解釈して見せるだけだ。
彼等と雖もこの事実の存立を仮定するだけで、この事実の証明も説明もこれまで只の一度もしていない。
この倫理的なものの事実の認定(但し一流の仕方による)以外に、如何なる証明も説明も与えられたのを哲学史上私は知らない。
だから何か唯物論にだけこの証明や説明の責があるかのように云うのは全く素人だましという他ない。
だが唯物論は社会的歴史的な存在の構成から、如何にして特定の倫理的な価値関係が因果的に発生するかを立派に説明する処のものだ。
ただ観念論者のように、例えば自由は如何にして可能なりやというような証明(?)をして見せようなどという空約束をしないだけの正直さをもつにすぎぬ。
処で、もしこの種のマルクス主義批判者の云うようだとすると、進歩という概念は、それが何か倫理的な評価を意味する限り、決してマルクス主義のものであることは出来ない筈で、もし万一マルクス主義の内にそうしたものが含まれているならば、それは不徹底にも理想主義を許容したマルクス主義であり、即ち世界観として統一を欠いた唯物論でしかない、ということになる。
即ち、進歩を語り得るものは、理想主義以外にはない、ということになるのである。
この種の理想主義は自由主義と名乗ったり(河合栄治郎)、日本主義になったりする(鹿子木員信其他)。
ここからすると、日本主義や自由主義こそ、進歩的だというわけだ。

 進歩という観念のこうした理想主義的困難(?)を避けるために、今日の歴史哲学者は発展(開展・展化・発達・進化)という概念を奨励している。
ディルタイなどによると、歴史には発展はあるが進歩を考えてはならぬという。
之で一応例の困難は回避出来たように思われるかも知れない。
併し事実は、困難が一層輪をかけて困難になって来るだけだ。
なぜなら発展という概念は、与えられた糸巻きの糸が漸次にほぐれて行くというような意味であって、進歩にとって前方に目標としてあったものが、発展に於ては出発の最初から横たわっているというわけだ。
ゴールだったものをスタートにしたまでで、事情は一向改善されはしない。
進歩が目的論的でいけないならば、発展という有機体説的概念もやはり目的論的であることを忘れてはならぬ。
違いは単にその目的論が内的か外的かということで、歴史が内的に云っても目的論的であってはならないなら、内的目的論だって歴史にとっては矢張り外的なものだ。

 処でこういうブルジョア哲学で常識になっている進歩や発展の観念を、その困難から救い出したのは、他ならぬマルクス主義による進歩(それに関連しての発展)という観念なのである。
今日、日常何の気もなく使っているこの言葉には、前に云ったブルジョア哲学的常識の破片の他に、この新しいマルクス主義的観念の断片が混淆していることは勿論であるが、この後の方の要素[#「要素」は底本では「要求」]こそが、この日常語の唯一の科学的な部分だ。

 ブルジョア歴史哲学による進歩や発展の観念は、根本に於て譬喩の性質を持っているが、マルクス主義による進歩の譬喩は譬喩としてももっと巧みに出来ている。
それによると、歴史の車輪を前方に向って、即ち之まで転って来た方向に基いて(必ずしも一直線ではないが)転ばすことが進歩だというのである。
そして之を逆に転ばそうと試みることが反動だというのである。
これは誰でも知っている譬喩だが、この譬喩の科学的なうまさを今一寸説明しよう。

 ブルジョア哲学常識による進歩の観念によると、現状の事物が目標乃至目的物へ向って進んで行かねばならないことになっていた。
目的に向って歩いて行くのだが、これは譬えば磁極が磁石を引っ張るように、又地球が物体を引くように、一種の「遠隔作用」を仮定している表象だ。
物理現象の遠隔作用ならば今日では充分に合理的に説明される可能性が示されているが(場の理論)、歴史理論や社会理論に於て遠隔作用に類するものは、現実の現状と未来又は理想の状態との間の歴史的因果必然に就いての不可知を意味するに他ならぬわけだから、つまり之はこの遠隔距離を、観念論で埋めるということに他ならぬ。
――処が之に反して車輪の転回の場合には、目標からの引力などとは関係なく、車輪が地についているその瞬間々々の方向切線に沿った押す力か圧力か(之は大衆や客観的事情の力だ)だけを問題にすればよい。
車輪は初めから回転しているのであって、車輪の次々の部分が順次に地上に実現して行くのである。
理想や目的は、それ自身としては与えられていないので、専ら車輪の順次の部分の云わば積分として事情の進展に応じて実現可能を約束されるにすぎない。
歴史の軌道はかくして描かれる。
車輪は地について転ずるものである。
之に反して自由落下物体は虚空を飛ぶものだ。
歴史の認識に於ける唯物論的方法と観念論的方法とが、この譬喩によって、よく対比されてはいないか。

 発展の説についても車輪説は巧みである。
例の糸巻き説であると、糸巻きの心棒というものが永久に、発展が終るまで、いつまでも絶対的な始源になって残らねばならないわけで、歴史はどんなに発展してもつまりはこの糸巻きの圏外へは出られない仕組みになっている。
之だと発展ということは実はやがてそっくり元に還ることに他ならないので、アリアドネーの糸巻きがこの説の秘密をよく物語っている。
つまりテーセウスは初めから元の処へ帰る心算でアリアドネーから貰った糸巻きの糸を発展させたに他ならなかったのだ。
之が非常時日本のラビリンスだと、この発展は往々にして復古主義にもなるわけであり、支那大陸への発展は肇国の初めに還ることだということにもなるわけだ。
――処が之に反して、車輪自身は糸巻きと違って回転と共に本当に進んで行く。
では進み去った後には何も残らないか。
轍が残る、歴史が残る。
之は復古的な「歴史」ではなくて、正に進歩的な発展的歴史だろう。
だが進歩や発展には、そうした広義に於ける変化には、何か変化しないコンスタントなものがなくては論理的に困るだろうと云うかも知れない。
車輪そのものがこのコンスタントだと考えればいいのである。
実際、現実とはこの車輪のようなものではないのか。

 進歩(乃至発展)に就いてのマルクス主義的譬喩を見れば(之にレーニンの螺旋説を参照してもいい)、マルクス達がいかに優れた文学的象徴の所有者であったかが判るが、無論この場合の譬喩はただの譬喩ではなくて、この概念の科学的規定を最も簡単に納得させるための譬喩である。
ここからマルクス主義的な意味に於ける進歩や発展が、どのような意味に於て目的や理想をも設定し得るかということが、見当がつくだろう。
つまり、目的としての目的(目的論)や理想としての理想(理想主義=ユートピア=観念論)なしに、而も進歩や発展を、目的や理想をも、科学的に唯物論的に、車輪のように地について、現実的に、解明出来るのだ。

 併し、そんな事は大抵のブルジョア哲学(?)だって之まで充分工夫して考えていることだ、というかも知れない。
その通りで、マルクス主義の進歩理論と云ってもそんなに突飛な別世界のものではない。
だがどの哲学がこれ程判りよく、而も的確に、進歩の意味を説明し得ただろうか。
西田哲学(之はブルジョア哲学の方法として最も進歩発達したものだ)的に云っても、有的目的・有的理想・有的イデー(ヘーゲルの如き)の代りに、無的目的・無的理想・無的イデーという如きものにでも頼らない限り、この関係の実際は説明出来ないだろう。
処が吾々にとって現実に必要なのは、そういう無的進歩や何かではなくて、正に現実の有的進歩なのだ。
何かの無的進歩ともいうべきものがあるとして、それと無的反動(一種の自由主義者達の反動性?)との間には、云わば無的区別しか実際にはないだろうことを、私は恐れる。

 だが歴史の車輪を転じ進めることが進歩であると云っても、云うまでもなくそういう形式的な規定では、実際問題に就いては形而上学的な規定と大して択ぶ処はない。
問題はその車輪が何かということだ。
歴史という車両の車輪が問題なので、この車両自身がブルジョアの乗用車であるか、プロレタリア無産者の荷車か貨車であるかが第一に問題だが、併しそのためにはそのどの部分が本当に車両の車輪[#「車輪」は底本では「車両」]なのかが大問題なのである。
それはこういう意味だ。
――
 今日良い意味に於て最も常識的になっている進歩の観念は、一般にプロレタリアの利益に沿うているということを意味している。
プロレタリアは国際的に自分自身の政党を有っているが、この政党にぞくし又之と共に進むことが、その意味に於て進歩的だと考えられている。
同伴者的コースを辿るものでもこの限り進歩的だと考えられている。
云うまでもなく之は、プロレタリアの階級が歴史の進歩発展を齎すという役割の唯一の担い手だという根本理論に基くわけで、この階級主観の政治的任務を基準にして、今日広くそう断定されているのである。

 これはこれでいいのであるが、併し他方、この進歩という観念が常識的観念として充分に通用し得るためには、世間の人間銘々が自分自身に就いて感じるだろう何らか増しなものプラスのものを夫が意味せねばならぬという要求をも、この観念は満足させねばならぬので、そういう点に今特に注意を払わなくてはならぬ。
厳正な意味でのプロレタリアにぞくさない多くの世間人(農民・小市民・其他)がなおこのプロレタリア的進歩性の観念を自分自身の常識用語として採用する気になるためにも、それが結局に於て自分自身のプラスとなるという結果を感じ取り得ることが必要だ。
こうして進歩性とは、常識観念としては、何と云っても一つの価値的評語であり倫理的な観念に帰せられているということが、事実上の心理なのだ。
そしてここからこの観念の各種の分裂・動揺が発生する、そこで世間の常識は、一体進歩とは何ぞや、と改めて問い始める次第だったのである。

 ここに関係してまず大衆という概念がある。
之とプロレタリアとの関係は、プロレタリアこそ大衆であるとか、世間の人間一般はまだ大衆ではないとか、という具合に機械的につき合わされるべきものではなくて、二つは正に組織的に結合されねばならぬのだが、併し普通の大衆的常識ではそうした組織的関係の理解は一般に欠けているのであって、大衆は単に多数者の集合か平均のようなものだと考えられている。
そこで、例のプロレタリア的進歩性は、果して吾々世間に普通存在している大衆にとっての、大衆的な進歩性であるのかどうか、という疑問が、当然起きて来るのだ。
この疑問が結局理論的には理由ないものであっても、之が起きるだろうという事情の現実そのものは、計算に入れて考えられなくてはならないのだ。

 そこでブルジョア社会学の持っている一種の魅力は、一般にその極めて常識的な見地にあるということを思い出そう。
と云うのは、社会は常識的には、極めて現象的にあれこれの最も手近かな事象によって特徴づけられたものだが、社会を専らそういう常識の立場から(但しアカデミックに)観察するのが、ブルジョア社会学の悪質な強みなのである。
社会学なるものは今日の日本などでは、理論的には社会科学の敵ではない点好く知られているが、併し意外な処に、経済学や政治学や法律学に又抑々社会の通念的常識自身に、之は執拗にこびりついているのである。
――処で大衆という概念も亦、社会常識としては全くこの社会学的な見地に帰着するもので、そして恰もこの社会学的常識ともいうべき大衆の観念が、事実大衆自身の観念になり彼等大衆の自己意識になっているのだ。
そこでかのプロレタリア的進歩性はこの大衆にとって果して大衆的進歩性であるかどうか、即ち大衆の福利の増進と云ったようなものと夫は本当に一致するのかどうか、という疑問を大衆の常識は懐き始める理由があるのである。

 今や進歩性はこの所謂「大衆」の、所謂「社会」の、所謂世間の、何等かの意味での好況・プラス・一般に関係づけて考えられる。
この大衆にとって良いと思われる社会現象の特徴が、やがてこの大衆にとっては社会の進歩性となるのである。
日本は満州進出以来、少しは良くなったと、この大衆は考える。
内地で食えなくなったら満州へ行けばよい、満州には職がある(?)。
軍事的勢力の緊張によって広義に於ける軍需工業の景気がよくなり、少くとも部分的には仕事も殖え労賃も増した、農村にさえも農村工業化が可能になりそうだ、等々が所謂大衆常識による現下の社会認識であるようだ(無論こうした常識はブルジョアジー、各種軍人・政治家・ジャーナリスト・学校社会教育家・達が製造して与えるものが大部分だが)。
だからこうした現状を招いた勢力、簡単に云って了えば日本ファシズムは、進歩的だ、少くとも日本の困難を解決し、近い未来への希望の可能性を造り出した、日本を発展させるものは之だ、ということになるのである。

 この大衆の卑俗常識を利用し、又之を助長しつつあるものが、今日の日本の治者層であることは云うまでもない。
処が社会学的な常識によると、社会の階級的区別は、要するに学校にA組とB組とがあるような意味でのクラスの区別でしかない。
階級の対立などは精々全く偶然な出来ごとで、市民社会の本質でも何でもない。
だから社会はA組とB組との総和であり(対立ではなくて和だ)、大衆は治者と被治者との公平な総和だ。
治者と被治者とを加えたのが大衆だから、大衆は両方の協調であるわけだが、同時に、どっちが支配するかということも決っているわけだ。
被治者が支配をする道理はないからである。
――かくて進歩性と階級的対立とはまるで無関係なものとなり、進歩は挙国一致の進歩(又は人類の進歩)になって了うのだ。

 治者と被治者との対立はなくて、治者の支配しかないのだから、現象の表面に出て来るものは無論治者だけだ。
そこで今進歩には何か対立物が要るということを思い出して、何とか対立物らしいものをこの社会の内に発見しようとすると、この大衆の眼には治者同志の対立しか写らぬ。
既成政党の没落とか、新官僚の台頭とか議会政治の衰亡とか、自由主義の行きづまりとか、重臣ブロックの排撃とか、機関説による政府攻撃とか、統制派のブルジョア化に対する行動とか、そうしたものが大きな唯一の対立になって見える。
そしてここに見られる各種形態のファシズムの動きこそが、対立の必然に基いてその相手方を克服する処から、進歩的だということになる。
――例えば軍部や官僚の日本主義や挙国一致主義によって粛正選挙が行われたおかげで、無産党は初めて進出出来る、日本主義には進歩的な本質がある、否進歩的な日本主義を支持すべきだ、と云い出す無産者代表さえ少くないのだ。
この偽似的対立に基く進歩の観念と、一つ前に云った挙国一致的進歩の観念とは、その本質を等しくするものだ。

 右翼労働団体の大衆の内に没入して之を進歩的なものに組織するということと、単に右翼団体と提携したり之を支持したりすることとは、同じ統一戦線的実践でも全く別のことで、それはプロレタリア的組織から見た大衆と、社会学的な意味に於ける大衆との違いに一致するのだが、社会学的常識を利用しやがて又みずから之を信仰する処の社会理論家・社会実践家にとっては、そういう区別などは専ら邪魔になるばかりだと見える。

 だがこういう妙な進歩の観念が横行しているのも、例のプロレタリア的進歩性という常識に多少の責任があるのである。
と云うのはこの良い意味に於ける常識観念は、進歩性というものを専らプロレタリアという階級主観に結びつけて考えようとするのだったが、進歩的であるとか反動的であるとかいう区別を、そうした階級主観だけで決めてしまおうとすると、社会の平均的な主観ともいうべき大衆というようなものが混入して来るので、之が今日の世間的常識ではまだうまく整理されていない処から、その混乱が進歩性というものにまでも持ち込まれるのであった。
で、進歩性という規定は、当然なことながら、そういう主観論的な規定からもう一歩根柢へ這入って、他ならぬ生産力の発展から規定されなければならなかったのである。

 つまり社会に於ける生産力を発展させる形式を助長することか、又は特に生産力の桎梏としての形式を打破することが、進歩的なことであり、之に反するものが反動的なことだ、というよく知られた規定なのである。
之は云わば進歩の経済機構的な規定なので、進歩の政治的又文化的な規定ほど道徳常識に訴える処が少ないから、常識ではあまり前面へ持ち出されないまでで、実は進歩に就いての常識の所有者は誰しも一応は心得ていることに他ならない。

 だがこう云ってもなお進歩を政治的に規定し過ぎているかも知れない。
と云うのは生産力の発展形式を助長するにしても、生産力の桎梏形式を打破するにしても、そういう政治的活動が結果し又目的とする処は、実を云うと要するに社会に於ける生産力の発展そのものなのである。
生産力は自然的・自生的にも目的意識的にも発展するのであるが、この生産力の発展を助長し、又はそれを結果する行為や現象が、進歩的だということになる。

 ここまで来て気のつくことは、この意味に於ける進歩の根柢には、他ならぬ発展という規定が横たわっているということであって、而もこの発展は単に質的な例の糸巻き式展開ではなく、何等か量的な増加に立脚しているということなのである。
生産力の増進乃至蓄積という一応数量的な規定にまで、今や進歩という政治的文化的又倫理的でさえある処の質のこの所有者は、帰着するのである。
生産力の増加はつまり生産性を高めることに他ならないわけで、ここで数量的乃至量的と云ったものはやがて直ちに質的な規定に転ずるものに他ならぬのだが、とに角進歩というような文化的な又は文学的な観念を、こういう数量的な規定(それは併しいつも質的規定に転化せざるを得ない)にまで辿って行けるということは、大切だ。
なぜならこうして初めて、進歩という観念は科学的概念になるのだから。

 尤も何も生産力の量質的な規定だけが進歩の科学的規定だというのではない。
ただそういう規定を充分自覚的に想定した上での、プロレタリア階級的・政治的、文化的又道徳的(又文学的)な進歩の概念が、初めて科学的な概念になる、というのである。

 処でこうやって進歩という概念に就いて云わば駄目を押して見て判ることは、この簡単な観念そのものの中に、実はいくつもの関節が含まれていたという点だ。
つまり、単純に生産力の関係から云って一応進歩的と規定されることでも、階級的政治的には典型的な反動に他ならぬ場合も極めて多く(例えば日本による満州支那の資本主義化)、階級的政治的に一応進歩的に見えるものも、文化的道徳的には反動的な規定を有つ場合も少くない(例えば文化運動に於ける公式的政治主義の如き)。
特に例えば自由主義など、プロレタリア階級に関わる政治的見解としては、その反ファッショ的特色にも拘らず、直接に反動的な意義を持っているので、之は自由主義的政党を実際に造って見れば、現実的にプロレタリア的政党自身の発展を妨げるだろうことから、証明されるだろう。
処が之に反して、この同じ(?)自由主義も、文化的道徳的な形態に於ては(私は夫を文化的自由主義と呼ぼうと思うが)、その或るものは(皆が皆までそうではない)、それが文化的道徳的関心に止まって政治的な具体化を得ない限度に於て、充分進歩的であり得るだろう。
こうした事実(之は実例のある事実だ)は、進歩という観念が変哲もない一本調子なものではなくて、いくつものフレキシブルな関節を有っているということから、初めて説明出来ることだ。

 だが今云ったことをよく考えて見ると、進歩というものが、無条件に絶対的な進歩であるのではなくて、それ自身の内に反動への転化の可能性を蔵している生き物だという、リアリティーに就いてだったが、試みに之を逆にすれば、所謂反動にも何等か進歩性への可能性という契機が含まれてはいないかが問題になりそうだ。
だがそれはスコラ的な思弁にすぎない。
反動は進歩の一契機としてしかないのであって、進歩が反動の一契機としてあるのではない。
歴史はそれ自身進歩だからだ。
凡ての反動は、悪を欲して遂に善をしかなし得ないメフィストにしか過ぎない。
問題はいつもメフィストが、反動が、なげかけるのだが、それを解くものは反動性ではなくいつも進歩性の側だ。
進歩の観念自身がいつもそうしたオプティミズムを要請しているのである。
――進歩でも反動でもなく(進歩の外観を装わない反動はない)、却って進歩そのものを懐疑するものの反動性に就いては、併し別に論じるべきだ。

 進歩そのものが社会的に何であるかを中心にして見て来たが、逆に、現在のこの社会そのものの進歩性に就いて、まだ重大な問題が残っている。
現在の日本はマルクス主義の退潮期であり、日本ファシズムの発達期であり、その意味に於て現下の日本の社会は反動期にあると云われている。
之は一応の意味に於ては正にその通りだ。
仮にこの反動期が進歩の取消しではなくて単に進歩への回り道であるにしても、現在が反動期という全体的特色を持っていることは、否定出来ない事実である。

 だがマルクス主義が退潮したということは本当は何を意味しているのか。
それはマルクス主義的政党及び組合の勢力の破壊と、それを囲む文化的政治活動組織の破壊とを本来意味する筈なのだが、併し世間の実際の気持から云えば、之に加えて、或いは寧ろ之よりも手近かに、一般にマルクス主義的風潮の流行が衰えたということなのである。
左翼思想犯人はブルジョア新聞紙上ではもはや何等の英雄でもなくなって、泥棒やギャングの類いとして待遇され始める(今日の英雄は右翼団体的乃至日本主義的〔連中〕だ)。
これは新聞が世間のその日その日の常識を反映したものであると共に、新聞が世間をそういう風に教育しているということでもあるが、おかげでシンパも減ったろうが、マルクス主義の野次馬も減ったのである。
マルクス主義が反省の時期に這入ったことが、所謂反動期の意味である。

 マルクス主義は誤ってはいなかったか、という形の反省ではなしに(そういうタイプの転向者も決して少くはないが、夫はマルクス主義としては問題の圏外にぞくする)、マルクス主義理論を如何にして基本的な教養によって精錬し之に実用的なフレクシビリティーを与えるか、という反省の時期に這入ったのである。
政治的進歩性のモメントは退潮したが、それに基く流行の下火によって、それだけ文化的道徳的な課題としての進歩性が強化されて来たというのがこの際大切な要点なのだ。

 今日こそマルクス主義理論は常識化され日常化され、その意味に於て道徳化され気質化される時であり、又現にそうなりつつある時期なのである。
その意味に於て初めて、夫が思想化しつつある時代だとさえ云ってもいいのである。
今やこの機会を利用してマルクス主義は、又唯物論は、大衆のモラルとなり大衆の気分となり、やがては大衆の風俗とさえなるように、地道に大衆の身辺に浸潤する時期なのである。
「進歩」が生きた思想にまで化すためには、現下の事情は却って欠くべからざる条件なのだ。
之は将来のための見えない力となるものだ。
と共に、今日こそマルクス主義理論が、理論として可能な限りに於て、専心に研鑽され整備されるべき時期なのである。
又事実そうした理論上の問題やトラブルを、丁度一九〇五年以降のロシアの反動期がそうだったように、現在の日本は吾々に沢山なげかけているのを読者は知っているだろう。
云わば、現在はマルクス主義の文学と哲学との時代だ。
無論之は決してただの反動期やただのマイナスではない。
歴史の進歩はころんでもただは起きない。

 労働組合運動及び政治運動に就いては私は今述べることは出来ない。
インテリゲンチャにとっての課題については、一つの必然的な結論がある。
進歩性の今日のこの文化的道徳的形態は、あたかも進歩性のインテリゲンチャ的形態に他ならない。
進歩的活動は今日インテリジェンスの活動に俟つ比重が著しく多くなって来た。
それを吾々は見て来たわけだが、ここにインテリゲンチャの今日の所謂反動期に於ける役割に就いての、一般的な見透しがあるだろう。
――徒らに反動期や退潮期を論じるべきではない。
又徒らにインテリの動揺や困惑や絶望やを説きたてる[#「説きたてる」は底本では「説きたる」]ことは無意味であるばかりでなく誤謬だ。
この時期故に不安になったり動揺したりするインテリは、抑々自分のインテリジェンス・このインテリの特有機能・について、何等の社会的自覚を持たない者で、つまり彼等はサラリーマンや学生や何かにはぞくしても、範疇としてのインテリゲンチャにぞくするものではない。
そういう「インテリ」にかかわり合っている限り、「進歩的インテリゲンチャ」という観念は遂に成立しないだろうと私は思う。
反動期こそ、幸か不幸か、インテリの特有な進歩性が動員されねばならず又動員され得る処の、一つの時期だ。

二 大衆の再考察

 映画は大衆的な芸術だと云われる。
或いは又股旅物やチャンバラは大衆文学だと云われる。
処でここに云う大衆なるものの意味をつきつめて見ると、一見計り知ることの出来ないような奥まった諸規定が[#「諸規定が」は底本では「諸現実が」]、伏在していることを知ることが出来るのである。
単に極めて多数の世間人の嗜好に投じるとか、その関心を呼び起こすものだとかいう、そうした多数の原理では説明し切れないものを吾々はそこに見出さざるを得ない。
現に少くとも、世間の多数人は、単に多数であるだけではなく、経済的には比較的又絶対的に[#「絶対的に」は底本では「絶体的に」]貧困な無産者であるし、政治的には無力な被治者であるということが、社会の現実の事実だ。
而も偶々多数者が無産者で被治者であるのではなくて、この社会に於ては、云わば多数者であるが故に無産者で被治者であるのと同時に、無産者であり被治者であるが故に多数者であるのである。
でここに大衆に就いて、二様の、或いは寧ろ二段階の、観念が発生する。
一つは大衆を単に社会の多数者と見る観念であり、一つは之を更に経済上の無産者乃至政治上の被治者として、見抜く処の観念である。
前者は云わば社会学的(敢えて社会科学的とは云わぬ)概念であり、後者は社会科学的概念だと云って区別することが出来るだろう。

 普通映画の大衆性とか大衆文学とか云うのはこの社会学的概念の方で、之に反してプロレタリア文学の大衆性とか大衆的利害とか云う場合はこの社会科学的概念の方を指すようである。
――処がこの基本的な区別をめぐって、色々のニュアンスのある大衆概念が成り立っていることを忘れてはならぬ。
まず第一に大衆をモッブ(愚衆)と考える常識的な考え方が存する。
尤もモッブという呼び方は、社会に於ける総大衆という一種の想像された実体を指すことから始まるわけではなく、実は、或る時或る場所で、自然的に又は一定の人為的作為に基いて自然的に成立する処の、不規則無訓練無秩序の所謂群衆という個々の現象を指すことに始まるのであって、群衆が[#「群衆が」は底本では「群集が」]その心理と行動とに於て、軽躁であり原始人に類し付和雷同性に富んでいる等々という事実を、モッブという言葉で云い現わしたのであるが、そこから、社会に於ける多数大衆も亦、恐らく夫を集合させればかかるモッブ性を持った群集でしかあり得ないだろうという想定に[#「想定に」は底本では「規定に」]立って、大衆即ち愚衆という観念を惹き出すわけなのだ。
かくて愚衆なるものは大衆の社会学的概念の一代表である。

 この愚衆的大衆の特色は今も云ったように、結局その無組織性に存する。
だが之は決して、愚衆の各個人が他人から自由で独立で勝手に振舞うということではない。
却って雷同性こそこの群衆心理の何よりの特徴だとされている。
でつまり愚衆各個人は自由独立というような積極的個人性を持たないことが、そういう意味に於て消極的な人格しか持たないことが、この無組織ということなのだ。
この無組織は自由勝手な個人を原理とする個人主義個人主義的絶対自由主義を意味する無政府主義などとは、正反対なものにぞくする(所謂自由主義は可及最大の自由を求める)。
従って愚衆の観念は一種の貴族主義的賢者の観念に対立させられる。
貴族主義にも色々あって、寡頭政治的貴族主義もあれば階級身分の標榜から来る夫もあれば、趣味に於ける貴族主義もある。
ここで云うのはまず第一に、技能や精神力に於て抜群なものを尊重する処の精神的貴族主義なのである。
そして一切の貴族主義は要するに、この精神的貴族主義にその合理的根拠名目を求めようとするものだ。

 この精神的貴族主義、即ち「賤民」に対する貴族の評価は、多くの文学的乃至倫理的貴族主義となって、経済的・政治的・社会的・文化的・貴族主義の外被をまとうことなしにも現われてくる。
古くはストイック派其の他の倫理や降ってはショーペンハウアーニーチェの哲学、ロマン派的天才概念や各種のエゴイズムやエゴティズムなどが夫だ。
文芸作品の主人公にもかかる形の貴族の典型は極めて多い(例えばトゥルゲーネフのバザロフ、スタンダールのジュリアン・ソレルなどがそのやや近代的なタイプだ)。
処がこの文学的乃至倫理的・精神的・貴族主義、即ち大衆のこの形に於ける賤民視・愚衆視は、実はやがて一切の経済的・政治的・社会的・文化的・愚衆の概念をば産み出す処の、精神上の淵源となっている。
例えばニラ的形態の所謂ブレントラストは実は単なる技能上のブレントラストではなくて、経済的貴族たる金融資本家の夫であるし、政治的貴族としては重臣其他のものがあり、社会的貴族としては位階勲等の主体などがその例である。
文化的貴族としては国家の学殖ある番頭達が存する。
そして之等のものが凡て、愚衆・賤民としての大衆に精神的貴族として対立せしめられるのである。

 選ばれたる民の観念は必ずしも民族宗教に固有なものではなく、殆んど凡ての祖国信念につきものだ。
祖国愛が祖国文化への愛となったり(東夷西戎南蛮北狄や外来思想や外国文明の観念の類)、夫が祖国の使命となったりする時(世界文化の指導者や東亜の盟主の観念の類)、いつもこの選民的貴族主義が現われる。
だが夫は今は省こう。
今何より注意すべきは選良(Elite)乃至盟主(Duce)の観念である。
エリート乃至デゥチェは一方に於て精神的貴族であると共に、同時に他方文化的・社会的・政治的・経済的・貴族であることを意味する。
その政治的表現は(広義に於ける)所謂ファシズムの政治哲学の第一原理をなすものであって、「党主」ムッソリーニや「指導者」ヒトラーという原理(!)が夫れだ(一般にファッショ哲学では固有名詞が自称原理になり得る。
例えば「日本主義」の如き。
処が例えばアメリカニズムは他人がつけたニック・ネームに他ならない)。
尤も、所謂ファシズムに於ては(一切の形態の限定づきのファシズムに於ては別だが)、かかるファッショ的最高貴族は人格的個性のイニシャティヴを有っているので、まだ完全な神秘的神聖味を有つまでには至っていない、その権威はまだ全知全能性を有たないのである(帝政ロシアのツァールやローマ教皇も之が個人的意志の積極性をもつ限り、やはり神聖な全知全能性を欠いている)。

 指導者とは無論大衆の指導者だ。
と云うのは大衆はこのファシスト的最高貴族によって初めて秩序と組織とを与えられる。
大衆に秩序と組織とを与えるこの指導者は、だから一見大衆のためのものであり大衆自身のものであるかのように取られ得る可能性を有っている。
実際この可能性があってこそ初めて、大衆は指導者の下に組織され得たし又得るのである。
だから例えば中世的大衆はこの意味に於ける組織は持っていない。
大衆に地盤をもつかのように、或いは大衆の組織化であるかのように、見えることが、ファシズムを単なる強力絶対政治から区別する一つの特徴なのである。
――だが、ここにいつも一つの錯覚が横たわっている。
指導者の概念は、無組織な大衆の概念に対立してこそ初めて成立するのであった。
この大衆が自分の内に組織を有ち得るのも、だから、却ってそれが初めから終りまで愚衆であり賤民であるからにこそ他ならぬ。
つまり大衆は自分自身で組織を持つのではなく(夫が自分自身で組織をもつなら無組織な大衆としての愚衆ではないはずだが)、如何に大衆が自発的に組織的行動をやったにしても、その自発性そのものが或る注文による自発性であれば、到底自分自身のものと云うことは出来ない筈だ。

 かくて盟主や選良に対立させられたファシスト的大衆の観念は、例の社会学的大衆概念の、今日最も活動している現代的形態なのである。
現に最近のドイツでは、国民の九割八分何がしの多数と云うことが、かかる大衆の唯一の実質なのだ。

 大衆に自分自身による組織性を認めないことが、所謂ファシズムによる大衆概念の特徴であるが、その意味に於てこの大衆はそれ自身に於ける合理性を認められていない。
血液や信念や肚や人物の類だけが、凡そこうした大衆の内に見出される一切のヒューマニティーでなければならない。
――大衆にとに角一応の合理性を認めるためには、大衆のヒューマニティーをその悟性(Understanding)の内に見出さなければならぬだろう。
近世イギリスの人間論はこの人間悟性論を中心として発達した。
之はやがて近代自由主義とデモクラシーとの哲学的原理となったものだ。
フランス大ブルジョアジーのモットーたる自由平等がこの悟性(レーゾン)に由来することは断るまでもないだろう。
この悟性を原則として大衆の個々人は自由に計算し自由に意見を発表し又討論し、そして世論を構成し得るものだと想定された。
ここに大衆はその無組織性を一応脱却して、とも角一種の合理性・組織性を獲得するのである。

 だがそれにも拘らず、ここには依然として多数原理が大衆の概念を支えている。
一人が一票を意味することによって、大衆はかかる票数の総和として観念される。
大衆はここでも依然として、単なる多数に他ならず、ただ夫が単に機械的な合理性しか持たぬ乏しい組織を獲得したに過ぎぬ。
……各段階の制限選挙(対普通選挙)のもつ質的な効果も実はこの数量の機械性を適宜に利用した結果だと云わねばならぬ。

 比較的小選挙区に於ける定員制の弊、比例代表制の必要など、得点数と当選数とが平行しないという矛盾に基くのだが、夫は、ここでの大衆がもつ機械的組織がこの資本制支配社会に於て現実に受け取る処の矛盾に他ならない。
だからこのデモクラシー的大衆概念も亦、結局例のファッショ的愚衆の観念と同じく、それがあくまで単に多数原理に基く限り、社会学的なものを出ない。

 デモクラシー的大衆の観念は、その各個人の悟性の啓蒙を想定した上でなければなり立たないのであるが、実際問題としては、最大多数の大衆が最もよく啓蒙されるというわけではないから、前に触れた愚衆乃至モッブの性質が、ここにもまだ残っていることを見落すべきではない。
ファシズムは従来のデモクラシー乃至自由主義に支配されていた大衆の内から、その愚衆的乃至モッブ的残滓を誇張すると同時に、事実之を愚衆乃至モッブとして利用したのであるが、デモクラシー乃至自由主義は之に反して、この愚衆性乃至モッブ性の漸次的な減退に希望をつなぐものだ。
之が自由主義の用語としての[#「しての」は底本では「して」](他の場合の用語としては別だが)進歩の概念である。
にも拘らずこの残滓の事実は何人も承認しなければならぬ処だろう。

 デモクラシー的大衆の愚衆振りは、その被デマゴギー性とでも云うべき処に現われる。
大衆各個人にとっての啓蒙作用の不足、即ち悟性の未熟は、彼等が自分の実際的な日常利害とは別な利害観念乃至興味を有つということに現われる。
彼等の観念が充分に現実的でなく物質的根柢を離れている処に、彼等の妄動の可能性があるのであるが、之を政治的に支配者が強調し利用することが所謂デマゴギーなのである。
この被デマゴギー性が、このデモクラシー的自由主義的な大衆観念の把握に際して欠くことの出来ないものだという点を、予め力説しておく必要があるのである。

 処が云うまでもなく大衆の日常の現実的利害は、或る時間を経るに従って、人によっては早く又遅く、やがて大衆の利害観念を訂正しないわけには行かない。
之は自由主義者が往々考えるように大衆の悟性が進歩したからではなくて、逆に現実の関係が発展して夫と観念との関係が訂正された結果であり、其結果が偶々大衆の所謂進歩ということなのだが、とに角、之によってデマゴギーは一つ一つ効力を失って行くことになる。
デマゴギーはもはや大衆支配者にとって有効でなくなる。
なぜなら〔支配者は〕デマゴギーの意識的な発布者としての責を取らねばならなくなるから。
――之は当然な事で判り切ったことだが、併しここからデマゴギーに新しい機能が与えられ始める。
と云うのは〔支配者は〕自分みずから発するデマゴギーに対する大衆からの批判そのものを、逆に却ってデマゴギーと呼び返すことに考えつくからなのである。
かくて流言蜚語とその取締りとが〔支配階級の〕一大方針となる。
大衆は今や、デマゴギーに動かされないと見ると、逆にデマゴギーの流布者と見立てられる。

 だが流言蜚語すると想定されたこの大衆は、実はもはや例の被デマゴギー性をもつ妄動する愚衆やモッブではあり得なかったわけだ。
なぜなら〔支配階級の〕発布するデマゴギーに対する、大衆側の批判こそこの所謂流言蜚語だったからである