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This is ” KABUKI ” ( ノ゚Д゚) もっと歌舞伎を楽しもう!(11) 歌舞伎十八番『外郎売』

歌舞伎は世界に誇る、日本の伝統芸能です。
しかし、元々400年前に登場したときには、大衆を喜ばせるための一大エンターテイメントだったのです。
なんとなく難しそうなので、ということで敬遠されている方も多いのかもしれませんが、そもそもは庶民の娯楽だったもの。
一度観てみれば、華やかで心ときめく驚きと感動の世界が広がっているのです。
しかも歌舞伎は、単に400年もの間、ただただ伝統を受け継いできただけではありません。
時代に呼応して常に変化し、発展・進化してきているのです。

This is ” KABUKI ” ( ノ゚Д゚) もっと歌舞伎を楽しもう!(4) 演目の分類と一覧について
前回は歌舞伎の演目をざっと整理してみましたので、ここからは具体的な演目の内容について触れてみましょう。
今回は、天保年間に七代目市川團十郎(当時五代目市川海老蔵)が市川宗家のお家芸として選定した18番の歌舞伎演目・歌舞伎十八番(当初は歌舞妓狂言組十八番)の中から『外郎売』です。

外郎売』といえば、「ぶぐ、ばぐ、ぶぐ、ばぐ、三ぶぐばぐ、合わせてぶぐ、ばぐ、六ぶぐばぐ。」に代表される長科白で有名ですが、曾我十郎(五郎にすることもある)が小田原の「透頂香」(外郎と通称する)という薬を売り歩く商人の扮装で現れ、この中国伝来の妙薬の由来や効能を、すらすらとよどみなく述べ立てる雄弁術を聞かせるのが眼目の役と演技の中心となります。

これの現行上演のモチーフは有名な『寿曽我対面』でして、『吉例寿曽我』とも、略して『曽我の対面』『対面』とも通称される、元々一幕の時代物です。
内容は、源頼朝の重臣工藤祐経富士の巻狩りの総奉行を仰せつけられることとなり、工藤の屋敷では大名や遊女大磯の虎、化粧坂の少将が祝いに駆け付けているのですが、そこへ朝比奈三郎(小林朝比奈)が二人の若者を連れてきます。
見れば、かつて工藤が討った河津三郎の忘れ形見、曽我十郎・五郎の兄弟。
父の敵とはやる兄弟に朝比奈がなだめ、工藤は、巻狩りの身分証明書である狩場の切手を兄弟に与え双方再会を期して別れるというものです。

そこで現行の『外郎売』はこれを変形させたもので、昔から決まった「型」が伝わっているわけではありません。
が、凡その内容は以下のようなものになります。

外郎売』の舞台は、大磯の廓です。
江戸時代にはすでに大磯は東海道の宿場町のひとつに過ぎませんでしたが、鎌倉時代は政治経済の中心は鎌倉にあったため、大磯は一大歓楽街でした。
従って、イメージは吉原の高級遊女屋です。
「対面」では工藤の館でみんなお祝いしていますが、「外郎売」では大磯の廓で狩の準備がうまくいったお祝いの宴会をしています。
舞台には廓らしいセットは何にもないのですが、そうまでして舞台を「廓」にする理由は、大道芸人である外郎売りが酒宴の余興に売り文句の口上を言うという設定だからです。
そういう設定の上で、工藤は「大磯の虎」や「化粧坂の少将」をはべらせて宴会しています。
そこで評判の大道芸人外郎売り」がいるというので工藤が座敷に呼びます。
これが工藤を敵とねらう曽我五郎な訳です。

で、勧められて口上を言う五郎。
ここからが有名な長台詞『外郎売』の口上となる訳です。

「拙者親方と申すは、御立会の内に御存知の御方も御座りましょうが、
 御江戸を発って二十里上方、相州小田原一色町を御過ぎなされて、青物町を上りへ御出でなさるれば、
 欄干橋虎屋藤右衛門、只今では剃髪致して圓斎と名乗りまする。

 元朝より大晦日まで御手に入れまする此の薬は、
 昔、珍の国の唐人外郎と云う人、我が朝へ来たり。
 帝へ参内の折から此の薬を深く込め置き、用うる時は一粒ずつ冠の隙間より取り出だす。
 依ってその名を帝より「透頂香」と賜る。
 即ち文字には頂き・透く・香と書いて透頂香と申す。
 只今では此の薬、殊の外、世上に広まり、方々に偽看板を出だし、
 イヤ小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のと色々に申せども、平仮名を以って「ういろう」と記せしは親方圓斎ばかり。
 もしや御立会の内に、熱海か塔ノ沢へ湯治に御出でなさるるか、又は伊勢御参宮の折からは、必ず門違いなされまするな。
 御上りなれば右の方、御下りなれば左側、八方が八つ棟、面が三つ棟、玉堂造、破風には菊に桐の薹の御紋を御赦免あって、
 系図正しき薬で御座る。

 イヤ最前より家名の自慢ばかり申しても、御存知無い方には正真の胡椒の丸呑み、白河夜船、
 されば一粒食べ掛けて、その気味合いを御目に掛けましょう。
 先ず此の薬を斯様に一粒舌の上に乗せまして、腹内へ納めますると、イヤどうも言えぬわ、胃・心・肺・肝が健やかに成りて、
 薫風喉より来たり、口中微涼を生ずるが如し。
 魚・鳥・茸・麺類の食い合わせ、その他万病即効在る事神の如し。
 さて此の薬、第一の奇妙には、舌の廻る事が銭ごまが裸足で逃げる。
 ヒョッと舌が廻り出すと矢も盾も堪らぬじゃ。

 そりゃそりゃそらそりゃ、廻って来たわ、廻って来るわ。
 アワヤ喉、サタラナ舌にカ牙サ歯音、ハマの二つは唇の軽重。
 開合爽やかに、アカサタナハマヤラワ、オコソトノホモヨロヲ。
 一つへぎへぎに、へぎ干し・はじかみ、盆豆・盆米・盆牛蒡、摘蓼・摘豆・摘山椒、書写山の社僧正。
 小米の生噛み、小米の生噛み、こん小米のこ生噛み。
 繻子・緋繻子、繻子・繻珍。
 親も嘉兵衛、子も嘉兵衛、親嘉兵衛・子嘉兵衛、子嘉兵衛・親嘉兵衛。
 古栗の木の古切り口。
 雨合羽か番合羽か。貴様の脚絆も革脚絆、我等が脚絆も革脚絆。
 尻革袴のしっ綻びを、三針針長にちょと縫うて、縫うてちょとぶん出せ。
 河原撫子・野石竹、野良如来、野良如来、三野良如来に六野良如来
 一寸先の御小仏に御蹴躓きゃるな、細溝にどじょにょろり。
 京の生鱈、奈良生真名鰹、ちょと四五貫目。
 御茶立ちょ、茶立ちょ、ちゃっと立ちょ。茶立ちょ、青竹茶筅で御茶ちゃっと立ちゃ。
 来るわ来るわ何が来る、高野の山の御柿小僧、狸百匹、箸百膳、天目百杯、棒八百本。
 武具、馬具、武具馬具、三武具馬具、合わせて武具馬具、六武具馬具。
 菊、栗、菊栗、三菊栗、合わせて菊栗、六菊栗。
 麦、塵、麦塵、三麦塵、合わせて麦塵、六麦塵。
 あの長押の長薙刀は誰が長薙刀ぞ。
 向こうの胡麻殻は荏の胡麻殻か真胡麻殻か、あれこそ本の真胡麻殻。
 がらぴぃがらぴぃ風車。起きゃがれ子法師、起きゃがれ小法師、昨夜も溢してまた溢した。
 たぁぷぽぽ、たぁぷぽぽ、ちりからちりから、つったっぽ、たっぽたっぽ一干蛸。
 落ちたら煮て食お、煮ても焼いても食われぬ物は、五徳・鉄灸、金熊童子に、石熊・石持・虎熊・虎鱚。
 中でも東寺羅生門には、茨木童子が腕栗五合掴んでおむしゃる、彼の頼光の膝元去らず。
 鮒・金柑・椎茸・定めて後段な、蕎麦切り・素麺、饂飩か愚鈍な小新発知。
 小棚の小下の小桶に小味噌が小有るぞ、小杓子小持って小掬って小寄こせ。
 おっと合点だ、心得田圃の川崎・神奈川・程ヶ谷・戸塚は走って行けば、灸を擦り剥く三里ばかりか、
 藤沢・平塚・大磯がしや、小磯の宿を七つ起きして、早天早々、相州小田原、透頂香。
 隠れ御座らぬ貴賎群衆の、花の御江戸の花ういろう。

 アレあの花を見て、御心を御和らぎやと言う、
 産子・這子に至るまで、此の外郎の御評判、御存じ無いとは申されまい。まいまいつぶりまいつぶり、
 角出せ棒出せぼうぼう眉に、臼杵擂鉢ばちばち桑原桑原と、
 羽目を外して今日御出での何茂様に、上げねばならぬ、売らねばならぬと、息せい引っ張り、
 東方世界の薬の元締、薬師如来も照覧あれと、ホホ敬って外郎はいらっしゃりませぬか。」

舌がうまく回れば女郎を口説くのに便利だろうと、工藤にへつらっている茶坊主の珍斎が「ういろう」を一服もらって飲みます。
が、全然うまく早口言葉が言えない珍斎。
「薬がまだ効いていないのだから、早く効くように手を打とう」、という五郎。
とにかく「打つ」という言葉に自分で反応していきり立つ五郎、「工藤を「討つ」ぞ」というわけです。
今は時期じゃないし、ヒトも大勢いるし、というわけで止めに入る虎と少将、一緒に踊ってごまかします。
しかし、やがて工藤も「ああ、河津三郎の息子か」と気付きます。
ここが所謂『曽我の対面』となる訳です。
そのうち、五郎の味方の「朝比奈三郎」や妹の「舞鶴」が止めに入ります。
工藤は「狩りのイベントが終わったら討たれてやろう」と言って、便宜をはかる通行手形を渡し終幕となります。

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