知命立命 心地よい風景

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日本三大随筆・枕草子!”をかし”に表れる知性的な美世界と好奇心への誘い!

「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
 夏は夜。月の頃はさらなり。闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
 秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。 日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
 冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。 昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白い灰がちになりてわろし。」

この有名な書き出しで始まる清少納言の『枕草子』(枕草紙、枕冊子、枕双紙)は、『方丈記』、『徒然草』とあわせ「日本三大随筆」と呼ばれています。
一条天皇の中宮(のち皇后)定子に出仕した作者の宮廷生活の回想・見聞にして、自然・人生などに関する随想などを約320段の章段に綴ったもので、感覚鋭く、文章軽快で源氏物語とともに王朝女流文学の双璧とされますが、この冒頭の文以降、先は読んだ覚えがないという方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

枕草子』の“草子”とは閉じた本のことですが、“枕”の由来は、「備忘録」「枕詞の集まり」であるとか、唐の詩人・白居易漢詩集『白氏文書』に登場する「白頭の老監書を枕にして眠る」とする説もあります。

「春は明け方が良い。日が昇るにつれてだんだんと白くなる、その山の辺りの空が少し明るくなって、紫がかっている雲が長くたなびいている様子が良い。
 夏は夜が良い。月が出ている夜はもちろんのこと、(月が出ていない)闇夜もまた、蛍が多く飛び交っている様子も良い。また(たくさんではなくて)、蛍の一匹や二匹が、かすかに光って飛んでいるのも良い。雨が降るのもおもむきがあって良い。
 秋は夕暮れが良い。夕日が差し込んで、山の端がとても近くなっているときに、烏が寝床へ帰ろうとして、三羽四羽、二羽三羽と飛び急いでいる様子さえしみじみと感じる。ましてや雁などが隊列を組んで飛んでいるのが、(遠くに)大変小さく見えるのは、とてもおもむきがあって良い。日が落ちてから聞こえてくる、風の音や虫の鳴く音などは、言うまでもなくすばらしい。
 冬は早朝が良い。雪が降っている朝は言うまでもなく、霜が降りて辺り一面が白くなっているときも、またそうでなくてもとても寒いときに、火などを(台所で)急いでおこして、(部屋の)炭びつまで持っていく様子も、たいそう冬にふさわしい。昼になって暖かくなると、火桶に入った炭火が白く灰っぽくなっているのはよくない。」

源氏物語』を貫く精神“もののあはれ”(情感)の「静」とすれば、『枕草子』には知性的な“をかし”(興味深い)という「動」の好奇心が満ちており、作中には実に400回以上も“をかし”が登場しています。
この“をかし”こそが、鋭い感受性で鮮烈に平安朝を描き出した清少納言の原動力であり、現象や時間を生き生きと自在に切り裂いて行く鋭い感性が『枕草子』の中には迸っています。

政争に巻き込まれて苦しむ清少納言が執筆したものは、政治と一線を画し、次元を異にする私的な好尚の記録であった初稿本が、作者の私邸に出入りしていた源経房によって中宮のもとに届けられて賞賛を博し、まもなく再出仕した作者は人々の慫慂を受けて改稿に着手。
その後の加除訂正の中で、次第に独自の文学を形成した作品であり、作品の完成度は章段ごとに異なるものの、読者を強く意識して読者の驚嘆や哄笑を求める章段や、詩人の眼や心を借り、あるいは逆に自己の世界に沈潜して自己の観察を記しながら、新たな美を提示しようとする章段はある到達点を示しています。
当時、中宮と中宮を取り巻く人々が失意の時代にあって、天皇の恩寵を受けて政治とは無縁に美と好尚の世界に生み出された『枕草子』は、『源氏物語』とともに、王朝女流文学を代表する傑作となりました。
そしてその底には、清少納言自身の素朴な体験と印象をただ羅列するのでなく、不遇の中でめめしい情緒に流されまいとする心の葛藤と戦いが見え隠れしているのです。

改めて清少納言の『枕草子』を見直してみることで、“をかし”の世界観に思いを馳せてみてはいかでしょうか。

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参考までに、以下原文を一部抜粋しておきます。

枕草子清少納言

一 春は、あけぼの。

 春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは少し明りて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
 夏は、夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし。
 秋は、夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音(ね)など、はた言ふべきにあらず。
 冬は、つとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりて、わろし。

二 ころは、

 ころは、正月、三月、四月、五月、七、八、九月、十一、二月、すべて、をりにつけつつ。一年ながら、をかし。

三 正月一日は、

 正月一日は、まいて空のけしきもうらうらと、めづらしう霞(かす)みこめたるに、世にありとある人は皆、姿、かたち、心異(こと)につくろひ、君をも我をも祝ひなどしたる、様異(さまこと)に、をかし。
 七日、雪間の若菜摘み、青やかにて、例はさしもさるもの目近からぬ所にもて騒ぎたるこそ、をかしけれ。白馬(あをうま)見にとて、里人は、車清げにしたてて見に行く。中の御門の閾(とじきみ)引き過ぐるほど、頭、一所にゆるぎあひ、刺櫛(さしぐし)も落ち、用意せねば折れなどして、笑ふもまたをかし。左衛門の陣のもとに、殿上人などあまた立ちて、舎人の弓ども取りて、馬ども驚かし笑ふを、はつかに見入れたれば、立蔀(たてじとみ)などの見ゆるに、主殿司(とのもりづかさ)、女官などの行き違ひたるこそをかしけれ。いかばかりなる人、九重をならすらむ、など思ひやらるるに、内裏(うち)にも見るは、いと狭きほどにて、舎人の顔のきぬにあらはれ、まことに黒きに、白きものいきつかぬ所は、雪のむらむら消え残りたるここちしていと見苦しく、馬のあがり騒ぐなどもいと恐ろしう見ゆれば、引き入られてよくも見えず。
 八日、人の、よろこびして走らする車の音、異に聞こえて、をかし。
 十五日、節供まゐり据ゑ、粥の木ひき隠して、家の御達(ごたち)、女房などのうかがふを、打たれじと用意して、常に後を心づかひしたるけしきも、いとをかしきに、いかにしたるにかあらむ、打ちあてたるは、いみじう興ありてうち笑ひたるは、いとはえばえし。ねたしと思ひたるもことわりなり。新らしう通ふ婿の君などの、内裏へまゐるほどをも心もとなう、所につけて我はと思ひたる女房の、のぞき、けしきばみ、奥の方にたたずまふを、前に居たる人は心得て笑ふを、「あなかま」と、まねき制すれども、女はた、知らず顔にて、おほどかにて居たまへり。「ここなる物、取りはべらむ」など言ひ寄りて、走り打ちて逃ぐれば、ある限り、笑ふ。男君もにくからずうち笑(え)みたるに、ことに驚かず、顔すこし赤みて居たるこそ、をかしけれ。また、かたみに打ちて、男をさへぞ打つめる。いかなる心にかあらむ、泣き腹立ちつつ、人をのろひ、まがまがしく言ふもあるこそ、をかしけれ。内裏わたりなどのやむごとなきも、今日は皆乱れて、かしこまりなし。
 除目(ぢもく)のころなど、内裏わたり、いとをかし。雪降り、いみじうこほりたるに、申文(もうしぶみ)持てありく、四位、五位、若やかにここちよげなるは、いとたのもしげなり。老いて頭(かしら)白きなどが、人に案内言ひ、女房の局などに寄りて、おのが身のかしこきよしなど、心一つをやりて説き聞かするを、若き人々はまねをし、笑へど、いかでか知らん、「よきに奏したまへ、啓したまへ」など言ひても、得たるはいとよし、得ずなりぬるこそ、いとあはれなれ。
 三月三日は、うらうらとのどかに照りたる。桃の花の今咲き始むる、柳などをかしきこそ、さらなれ。それも、まだまゆにこもりたるは、をかし。広ごりたるは、うたてぞ見ゆる。
 おもしろく咲きたる桜を長く折りて、大きなる瓶(かめ)にさしたるこそ、をかしけれ。桜の直衣(なほし)に出袿(いだしうちぎ)して、まらうどにもあれ、御せうとの君たちにても、そこ近く居てものなどうち言ひたる、いとをかし。
 四月、祭のころ、いとをかし。上達部(かんだちめ)、殿上人も袍(うへのきぬ)の濃き薄きばかりのけぢめにて、白襲(しらがさね)など同じ様に、涼しげにをかし。木々の木の葉、まだいとしげうはあらで、若やかに青みわたりたるに、霞も隔てぬ空のけしきの、なにとなくすずろにをかしきに、すこし曇りたる夕つ方、夜など、忍びたる郭公(ほととぎす)の、遠く、そら音(ね)かとおぼゆばかりたどたどしきを聞きつけたらむは、なにここちかせむ。
 祭近くなりて、青朽葉、二藍(ふたあい)の物どもおし巻きて、紙などにけしきばかりおし包みて、行き違ひ持てありくこそ、をかしけれ、末濃(すそご)、むら濃(ご)なども、常よりはをかしく見ゆ。童女(わらはべ)の、頭ばかりを洗ひつくろひて、なりは皆ほころびたえ、乱れかかりたるもあるが、屐子(けいし)、沓(くつ)などに「緒すげさせ、裏をさせ」など持て騒ぎて、いつしかその日にならむと、急ぎおしありくも、いとをかしや。あやしうをどりありく者どもの、装束き(そうぞき)したてつれば、いみじく定者(ぢやうざ)などいふ法師のやうに、ねりさまよふ、いかに心もとなからむ。ほどほどにつけて、親、叔母の女、姉などの供し、つくろひて率てありくもをかし。
 蔵人思ひしめたる人の、ふとしもえならぬが、その日、青色着たるこそ、やがて脱がせでもあらばやとおぼゆれ。綾ならぬは、わろき。

四 同じことなれども聞き耳異なるもの

 同じことなれども聞き耳異なるもの
 法師の言葉。男の言葉。女の言葉。下衆の言葉にはかならず文字余りたり。

五 思はむ子を

 思はむ子を法師になしたらむこそ、心苦しけれ。ただ木の端などのやうに思ひたるこそ、いといとほしけれ。精進物(さうじもの)のいとあしきをうち食ひ、い寝(ぬ)るをも。若きは、ものもゆかしからむ。女などのある所をも、などか、忌みたるやうにさしのぞかずもあらむ。それをも、安からず言ふ。まいて、験者(げんじや)などは、いと苦しげなめり。因(こう)じてうちねぶれば、「ねぶりをもにして」など、もどかる。いと所狭(せ)く、いかにおぼゆらむ。
 これは昔のことなめり。今はいと安げなり。

六 大進生昌が家に、

 大進(だいじん)生昌(なりまさ)が家に、宮の出でさせたまふに、東の門は四足になして、それより御輿(みこし)は入らせたまふ。北の門より、女房の車どもも、まだ陣のゐねば、入りなむと思ひて、頭つきわろき人もいたうも繕はず、寄せておるべきものと思ひあなづりたるに、檳榔毛(びらうげ)の車などは、門小さければ、障りてえ入らねば、例の、筵道(えんだう)敷きておるるに、いと憎く腹立たしけれども、いかがはせむ。殿上人、地下(ぢげ)なるも、陣に立ち添ひて見るも、いとねたし。
 御前にまゐりて、ありつるやう啓すれば、「ここにても、人は見るまじうやは。などかは、さしもうちとけつる」と笑はせたまふ。「されどそれは、目馴れにてはべれば、よくしたててはべらむにしもこそ、驚く人もはべらめ。さても、かばかりの家に車入らぬ門やはある。見えば笑はむ」など言ふほどにしも、「これ、まゐらせたまへ」とて、御硯などさし入る。「いで、いとわろくこそおはしけれ。など、その門はた、狭くはつくりて住みたまひける」と言へば、笑いて、「家のほど、身のほどにあはせてはべるなり」と答(いら)ふ。「されど、門の限りを高う造る人もありけるは」と言へば、「あな、恐ろし」と驚きて、「それは、于定国(うていこく)がことにこそはべるなれ。古き進士などにはべらずは、うけたまはり知るべきにもはべらざりけり。たまたまこの道にまかり入りにければ、かうだにわきまへ知られはべる」と言ふ。「その御道もかしこからざめり。筵道(えんどう)敷きたれど、皆おち入り騒ぎつるは」と言へば、「雨の降りはべりつれば、さもはべりつらむ。よしよし、またおほせられかくることもぞはべる。まかり立ちなむ」とて去(い)ぬ。「なにごとぞ、生昌がいみじうおぢつるは」と問はせたまふ。「あらず。車の入りはべらざりつること言ひはべりつる」と申して、おりたり。
 同じ局に住む若き人々などして、よろづのことも知らず、ねぶたければ皆寢ぬ。東の対の西の廂(ひさし)、北かけてあるに、北の障子に懸金もなかりけるを、それも尋ねず、家主なれば、案内を知りてあけてけり。あやしくかればみさわぎたる声にて、「さぶらはむはいかに、さぶらはむはいかに」と、あまたたび言ふ声にぞ、おどろきて見れば、几帳の後ろに立てたる燈台の光はあらはなり。障子を五寸ばかりあけて言ふなりけり。いみじうをかし。さらにかやうの好き好きしきわざ、ゆめにせぬものを、わが家におはしましたりとて、むげに心にまかすなめりと思ふも、いとをかし。かたはらなる人をおし起こして、「かれ見たまへ。かかる見えぬもののあるは」と言へば、頭もたげて見やりて、いみじう笑ふ。「あれは誰そ。けさうに」と言へば、「あらず。家ぬしと局主と定め申すべきことのはべるなり」と言へば、「門のことをこそ聞えつれ、障子をあけたまへ、とやは聞えつる」と言へば、「なほそのことも申さむ。そこにさぶらはむはいかに。そこにさぶらはむはいかに」と言へば、「若き人おはしけり」とて、ひきたてて去(い)ぬる後に、笑ふこといみじう、あけむとならば、ただ入りねかし、消息を言はむに、よかりなりとは誰かは言はむ、げにぞをかしき。
 つとめて、御前にまゐりて啓すれば、「さることも聞えざりつるものを。昨夜(よべ)のことにめでて行きたりけるなり。あはれ、かれをはしたなう言ひけむこそ、いとほしけれ」とて、笑はせたまふ。
 姫宮の御方の童女(わらはべ)の装束つかうまつるべきよし、おほせらるるに、「この袙(あこめ)のうはおそひはなにの色にかつかうまつらすべき」と申すを、また笑ふもことわりなり。「姫宮の御前の物は、例のやうにては、にくげにさぶらはむ。ちうせい折敷、ちうせい高坏(たかつき)などこそ、よくはべらめ」と申すを、「さてこそは、うはおそひ着たる童女も、まゐりよからめ」と言ふを、「なほ、例の人のやうに、これかくな言ひ笑ひそ。いと謹厚なるものを」と、いとほしがらせたまふも、をかし。
 中間(ちゆうげん)なりをりに、「大進、まづもの聞えむ、とあり」と言ふをきこしめして、「また、なでふこと言いて笑はれむとならむ」とおほせらるるも、またをかし。「行きて聞け」と、のたまはすれば、わざと出でたれば、「一夜の門のこと、中納言に語りはべりしかば、いみじう感じ申されて、『いかで、さるべからむをりに、心のどかに対面して申しうけたまはらむ』となむ、申されつる」とて、また異事(ことごと)もなし。一夜のことや言はむと、心ときめきしつれど、「いま、静かに、御局にさぶらはむ」とて去(い)ぬれば、帰りまゐりたるに、「さて、なにごとぞ」とのたまはすれば、申しつることを、さなむと啓すれば、「わざと消息し、呼び出づべきことにはあらぬや。おのづから端つ方、局などにゐたらむ時も言へかし」とて笑へば、「おのがここちにかしこしと思ふ人のほめたる、うれしとや思ふと、告げ聞かすならむ」と、のたまはする御けしきも、いとめでたし。

七 上にさぶらふ御猫は、

 上にさぶらふ御猫は、かうぶり得て命婦のおとどとて、いみじうをかしければ、かしづかせたまふが、端に出でて臥したるに、乳母(めのと)の馬(むま)の命婦、「あな、まさなや。入りたまへ」と呼ぶに、日のさし入りたるに、ねぶりてゐたるを、おどすとて、「翁丸(おきなまろ)、いづら。命婦のおとど食へ」と言ふに、まことかとて、しれものは走りかかりたれば、おびえまどひて、御簾(みす)の内に入りぬ。
 朝餉(あさがれひ)の御前に上おはしますに、御覧じていみじう驚かせたまふ。猫を御ふところに入れさせたまひて、をのこども召せば、蔵人忠隆、なりなか、まゐりたれば、「この翁丸、打ち調(てう)じて、犬島へつかはせ、ただ今」とおほせらるれば、集まり狩り騒ぐ。馬の命婦をもさいなみて、「乳母かへてむ。いとうしろめたし」とおほせらるれば、御前にも出でず。犬は狩り出でて、滝口などして、追ひつかはしつ。
「あはれ、いみじうゆるぎありきつるものを。三月三日、頭の弁の、柳かづらせさせ、桃の花をかざしにささせ、桜、腰にささせなどして、ありかせたまひしをり。かかる目見むとは思はざりけむ」など、あはれがる。
「御膳(おもの)のをりは、かならず向ひさぶらふに、さうざうしうこそあれ」など言ひて、三、四日になりぬる昼つ方、犬のいみじう鳴く声のすれば、なぞの犬のかく久しう鳴くにかあらむと聞くに、よろづの犬、とぶらひ見に行く。御厠人なるもの走り来て、「あないみじ。犬を蔵人二人して打ちたまふ。死ぬべし。犬を流させたまひけるが、帰りまゐりたるとて、調(てう)じたまふ」と言ふ。心憂(う)のこと、翁丸なり。「忠隆、実房なむど打つ」と言へば、制しにやるほどに、からうじて鳴きやみ、「死にければ陣の外に引き捨てつ」と言へば、あはれがりなどする夕つ方、いみじげにはれ、あさましげなる犬のわびしげなるが、わななきありけば、「翁丸か。このころ、かかる犬やはありく」と言ふに、「翁丸」と言へど、聞きも入れず。「それ」とも言ひ、「あらず」とも口々申せば、「右近ぞ見知りたる。呼べ」とて、召せば、まゐりたり。「これは翁丸か」と見せさせたまふ。「似てはべるれど、これはゆゆしげにこそはべるめれ。また、『翁丸か』とだに言へば、喜びてまうで来るものを、呼べど寄り来ず。あらぬなめり。それは、『打ち殺して捨てはべりぬ』とこそ申しつれ。二人して打たむには、はべりなむや」など申せば、心憂がらせたまふ。
 暗うなりて、もの食はせたれど食はねば、あらぬものに言ひなしてやみぬるつとめて、御けづり髪、御手水(てうづ)などまゐりて、御鏡を持たせさせたまひて御覧ずれば、さぶらふに、犬の柱もとに居たるを見やりて、「あはれ昨日、翁丸をいみじうも打ちしかな。死にけむこそあはれなれ。なにの身にこのたびはなりぬらむ。いかにわびしきここちしけむ」と、うち言ふに、この居たる犬のふるひわななきて、涙をただ落としに落とすに、いとあさまし。さは、翁丸にこそはありけれ。昨夜は隠れ忍びてあるなりけりと、あはれに添へて、をかしきこと限りなし。御鏡うち置きて、「さは翁丸か」と言ふに、「ひれ臥して、いみじう鳴く。御前にも、いみじうおち笑はせたまふ。
 右近の内侍召して、「かくなむ」とおほせらるれば、笑ひののしるを、上にもきこしめして、わたりおはしましたり。「あさましう、犬などもかかる心あるものなりけり」と笑はせたまふ。上の女房なども聞きてまゐり集りて呼ぶにも、今ぞ立ち動く。「なほこの顔などのはれたる、ものの手をせさせばや」と言へば、「つひにこれを言ひあらはしつること」など笑ふに、忠隆聞きて、台盤所の方より、「まことにやはべらむ。かれ見はべらむ」と言ひたれば、「あなゆゆし。さらに、さるものなし」と言はすれば、「さりとも、見つくるをりもはべらむ。さのみも、え隠させたまはじ」と言ふ。
 さて後、かしこまり許されて、もとのやうになりにき。なほ、あはれがられて、ふるひ鳴き出でたりしこそ、世に知らずをかしくあはれなりしか。人などこそ、人に言はれて泣きなどはすれ。

八 正月一日、三月三日は、

 正月一日、三月三日は、いとうららかなる。
 五月五日は、曇り暮らしたる。
 七月七日は、曇り暮して、夕方は晴れたる空に、月いと明く、星の数も見えたる。九月九日は、暁方より雨すこし降りて、菊の露もこちたく、おほひたる綿なども、いたく濡れ、うつしの香ももてはやされたる。つとめてはやみにたれど、なほ曇りて、ややもせば降り落ちぬべく見えたるも、をかし。

九 よろこび奏するこそ、

 よろこび奏するこそをかしけれ。後をまかせて、御前の方に向かひて立てるを。拝し舞踏しさわぐよ。

一〇 今内裏の東をば、

 今内裏の東をば、北の陣といふ。なら木のはるかに高きを、「いく尋(ひろ)あらむ」など言ふ。権中将、「もとよりうち切りて、定澄僧都の枝扇にせばや」とのたまひしを、山階寺別当になりてよろこび申す日、近衛づかさにてこの君の出でたまへるに、高き屐子(けいし)をさへはきたれば、ゆゆしう高し。出でぬる後、「など、その枝扇をば持たせたまはぬ」と言へば、「もの忘れせぬ」と笑いたまふ。
「定澄僧都に袿(うちぎ)なし、すくせ君に袙(あこめ)なし」と言ひけむ人をこそ、をかしけれ。

一一 山は

 山は 小倉山。鹿背山。三笠山。このくれ山。いりたち山。忘れずの山。末の松山。かたさり山こそ、いかならむとをかしけれ。いつはた山。かへる山。後瀬の山。朝倉山、よそに見るぞをかしき。おほひれ山もをかし。臨時の祭の舞人などの思ひ出でらるるなるべし。三輪の山、をかし。手向山。待ちかね山。たまさか山。耳成山。

一二 市は

 市は 辰の市。里の市。海石榴(つば)市、大和にあまたあるなかに、長谷寺にまうづる人のかならずそこに泊るは、観音のご縁あるにや、心異なり。をふさの市。飾磨(しかま)の市。飛鳥の市。

一三 峯は

 峰は ゆづるはの嶺。阿弥陀の峰。弥高(いやたか)の峰。

一四 原は

 原は 瓶(みか)の原。あしたの原。園原。

一五 淵は

 淵は かしこ淵は、いかなる底の心を見て、さる名を付けけむと、をかし。な入りその淵、誰にいかなる人の教へしけむ。青色の淵こそ、をかしけれ。蔵人などの具にしつべくて。隠れの淵。いな淵。

一六 海は

 海は 水うみ。与謝の海。かはふちの海。

一七 みささぎは

 みささぎは うぐひすのみささぎ。かしはぎのみささぎ。あめのみささぎ。

一八 渡りは

 渡りは しかすがの渡り。こりずまの渡り。水はしの渡り。

一九 たちは

 たちは たまつくり。

二〇 家は

 家は 近衛の御門。二条。みかゐ。一条もよし。染殿の宮。せかゐ。菅原の院。冷泉院。閑院。朱雀院。小野の宮。紅梅。県(あがた)の井戸。竹三条。小八条。小一条。

二一 清涼殿の丑寅の隅の、

 清涼殿の丑寅の隅の、北の隔てなる御障子は、荒海の絵(かた)、生きたるものどもの恐ろしげなる、手長、足長なろをぞ、描きたる、上の御局の戸おしあけたれば、常に目に見ゆるを、にくみなどして笑ふ。
 高欄のもとに、青き瓶(かめ)のおおきなるを据ゑて、桜のいみじうおもしろ枝の五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば、高欄の外まで咲きこぼれたる昼つ方、大納言殿、桜の直衣のすこしなよらかなるに、濃き紫の固紋(かたもん)の指貫、白き御衣ども、上には濃き綾のいとあざやかなるを出だしてまゐりたまへるに、上の、こなたにおはしませば、戸口の前なる細き板敷に居たまひて、ものなど申したまふ。
 御廉の内に、女房、桜の唐衣どもくつろかに脱ぎ垂れて、藤、山吹など、色々このましうて、あまた、小半蔀(こはじとみ)の御廉よりおし出でたるほど、昼の御座(おまし)の方には、御膳(おもの)まゐる足音高し。警蹕(へいひち)など、「をし」と言ふ声聞こゆるも、うらうらとのどかなる日のけしきなど、いみじうをかしきに、果の御盤取りたる蔵人まゐりて、御膳奏すれば、中の戸よりわたらせたまふ。御供に、廂より大納言殿御送りにまゐりたまひて、ありつる花のもとに帰り居たまへり。
 宮の御前の、御几帳おしやりて長押のもとに出でさせたまへるなど、ただなにとなく、よろずにめでたきを、さぶらふ人も思ふことなきここちするに、「月も日もかはりゆけども久に経る三室の山の」といふ言を、いとゆるるかににうちいだしたまへる、いとをかしうおぼゆるにぞ、げに、千年(ちとせ)もあらまほしき御有様なるや。
 陪膳つかうまつる人の、をのこどもなど召すほどもなく、わたらせたまひぬ。「御硯の墨すれ」と、おほせらるるに、目は空にて、ただおはしますをのみ見たてまつれば、ほとど継ぎめも放ちつべし。白き色紙おしたたみて、「これに、ただ今おぼえむ古き言、一つづつ書け」とおほらるる。外に居たまへるに、「これは、いかが」と申せば、「とう書きてまゐらせたまへ。をのこは言加へさぶらふべきにもあらず」とて、さし入れたまへり。御硯とりおろして、「とくとく、ただ思ひまはさで、難波津もなにも、ふとおぼえむ言を」と責めさせたまふに、などさは臆せしにか、すべて面さへ赤みてぞ思ひ乱るるや。
 春の歌、花の心など、さ言ふ言ふにも、上臈二つ三つばかり書きて、「これに」とあるに、

 年経れば齢(よはひ)は老いぬしかはあれど花をし見ればもの思ひもなし

といふ言を、「君をし見れば」と書きなしたる、御覧じくらべて、「ただこの心どものゆかしかりつるぞ」と、おほせらるるついでに、「円融院の御時に、草子に『歌一つ書け』とおほせられければ、いみじう書きにくう、すまひ申す人々ありけるに、『さらにただ、手のあしさよさ、歌のをりにあはざらむも知らじ』とおほせらるれば、わびて皆書きけるなかに、ただ今の関白殿、三位中将と聞こえける時、

 潮の満ついつもの浦のいつもいつも君をば深く思ふやはわが

といふ歌の末を、『頼むむやはわが』と書きたまへりけるをなむ、いみじうめでさせたまひける」など、おほせらるるにも、すずろに汗あゆる心地ぞする。年若からむ人は、さもえ書くまじきことのさまにや、などぞ、おぼゆる。例いとよく書く人も、あじきなう皆つつまれて、書きけがしなどしたる、あり。
 古今の草子を御前に置かせたまひて、歌どもの本(もと)をおほせられて、「これが末、いかに」と問はせたまふに、すべて夜昼心にかかりておぼゆるもあるが、け清う申し出でられぬことは、いかなるぞ。宰相の君ぞ、十ばかり、それもおぼゆるかは。まいて五つ六つなどは、たおぼえぬよしをぞ啓すべけれど、「さやは、けにくく、おほせごとを映えなうもてなすべき」と、わびくちをしがるも、をかし。知ると申す人なきをば、やがて皆読み続けて、夾算(けふさん)せさせたまふを、「さてこれは知りたることぞかし。など、かうつたなくはあるぞ」と、言ひ嘆く。なかにも、古今あまた書き写しなどする人は、皆もおぼえぬべきことぞかし。
 「村上の御時に、宣耀殿(せんやうでん)の女御と聞えけるは、小一条の左の大臣殿の御娘におはけると、たれかは知りたてまつらざらむ。まだ姫君と聞えける時、父大臣の教へきこえたまひけることは、『一には、御手を習ひたまへ。次には琴(きん)の御琴を、人より異に弾きまさらむとおぼせ。さては、古今の歌廿巻を皆うかべさせたなを、御学問にはせさせたまへ』となむ、聞えたまひける、と、きこしめしおかせたまひて、御物忌なりける日、古今を持てわたらせたまひて、御几帳をひき隔てさせたまひければ、女御、例ならずあやし、と、おぼしけるに、草子をひろげさせたまひて、『その月、なにのをり、その人の詠みたる歌は、いかに』と、問ひきこえさせたまふを、かうなりけり、と心得させたまふも、をかしきものの、ひがおぼえもし、忘れたるところもあらば、いみじかるべきこと、と、わりなうおぼし乱れぬべし。その方におぼめかしからぬ人、二三人ばかり召し出でて、碁石して数を置かせたまはむとて、強(し)ひきこえさせたまひけむほど、いかにめでたくをかしかりけむ。御前にさぶらひけむ人さへこそ、うらやましけれ。せめて申させたまへば、さかしう、やがて末まではあらねども、すべてつゆたがふことなかりけり。いかでなほ、すこしひがごと見付けてをやまむ、と、ねたきまでにおぼしめしけるに、十巻にもなりぬ。『さらに不用なりけり』とて、御草子に夾算さして、大殿籠りぬるも、いとめでたしかし。いと久しうありて起きさせたまへるに、なほこのこと、勝ち負けなくてやませたはむ、いとわろし、とて、下の十巻を、明日にならば、異をもぞ見たまひあはする、とて、『今日定めてむ』と、大殿油(おほとなぶら)まゐりて、夜ふくるまでなむ、読ませたまひける。されど、つひに負けきこえさせたまはずなりにけり。『上わたらせたまひて、かかること』など、殿に人々申しにたてまつられたりければ、いみじうおぼし騒ぎて、御誦経など、あまたせさせたまひて、そなたに向きてなむ、念じ暮したまひける。好き好きしう、あはれなることなり」など、語りいでさせたまふを、上も、きこしめしめでさせたまふ。「我は、三巻四巻をだにえ見果てじ」と、おほせらる。「昔は、えせ者なども皆をかしうこそありけれ。このころは、かやうなることやは聞こゆる」など、御前にさぶらふ人々、上の女房こなた許されたるなどまゐりて、口々言ひいでなどしたるほどは、まことに、つゆ思ふことなく、めでたくぞおぼゆる。

二二 生ひ先なく、

 生ひ先なく、まめやかに、えせざいはひなど見てゐたらむ人は、いぶせく、あなづらはしく思ひやられて、なほ、さりぬべからむ人のむすめなどは、さしまじらはせ、世の有様も見せならはさまほしう、内侍のすけなどにてしばしもあらせぱや、とこそ、おぼゆれ。
 宮仕へする人をば、あはあはしう、わるきことに言ひ思ひたる男などこそ、いとにくけれ。げに、そも、またさることぞかし。かけまくもかしこき御前をはじめたてまつりて、上達部、殿上人、五位、四位はさらにも言はず、見ぬ人はすくなくこそあらめ。女房の従者、その里より来る者、長女、御厠人の従者、たびしかはらといふまで、いつかはそれを恥ぢ隠れたりし。殿ばらなどは、いとさしもやあらざらむ。それも、ある限りは、しか、さぞあらむ。
 上などいひて、かしづき据ゑたらむに、心にくからずおぼえむ、ことわりなれど、また、内裏の内侍のすけなどいひて、をりをり内裏へまゐり、祭の使などに出でたるも、面立たしからずやはある。さて、こもりゐぬる人は、まいてめでたし。受領の、五節出だすをりなど、いとひなび、言ひ知らぬことなど、人に問ひ聞きなどは、せじかし。心にくぎものなり。

二三 すさまじきもの

 昼ほゆる犬。春の網代。三、四月の紅梅の衣。牛死にたる牛飼。ちご亡くなりたる産屋。人おこさぬ炭櫃、地火炉。博士のうち続き女子生ませたる。方違へに行きたるに、あるじせぬ所。まいて節分などはいとすさまじ。
 人の国よりおこせたる文の、物なき。京のをも、さこそ思ふらめ。されどそれは、ゆかしき事どもをも書き集め、世にあることなどをも聞けば、いとよし。人のもとに、わざときよげに書きてやりつる文の返事、今は持て来ぬらむかし、あやしう遅き、と、待つほどに、ありつる文、主文をも結びたるをも、いときたなげに取りなし、ふくだめて、上に引きたりつる墨など消えて、「おはしまさざりけり」もしは「御物忌とて取り入れず」と言ひて持て帰りたる、いとわびしく、すさまじ。
 また、かならず来べき人のもとに車をやりて待つに、来る音すれば、「さななり」と、人々出でて見るに、車宿にさらに引き入れて、轅ほうと打ちおろすを、「いかにぞ」と問へば、「今日は、ほかへおはしますとて、わたりたまはず」など、うち言ひて、牛の限り引き出でて去ぬる。
 また、家のうちなる男君の、来ずなりぬる、いとすさまじ。さるべき人の宮仕へするがりやりて、はづかしと思ひゐたるも、いとあいなし。ちごの乳母の、ただあからさまにとて出でぬるほど、とかく慰めて、「とく来」と言ひやりたるに、「今宵は、えまゐるまじ」とて、返しおこせたるは、すさまじきのみならず、いとにくくわりなし。女迎ふる男、まいていかならむ。待つ人ある所に、夜すこしふけて、忍びやかに門たたけば、胸すこしつぶれて、人出だして問はするに、あらぬよしなき者の名のりして来たるも、かへすがへすもすさまじといふはおろかなり。
 験者の、物怪調ずとて、いみじうしたり顔に独鈷や数珠など持たせ、せみの声しぼり出だして誦みゐたれど、いささかさりげもなく、護法もつかねば、集り居、念じたるに、男も女もあやしと思ふに、時のかはるまで誦み困じて、「さらにつかず。立ちね」とて、数珠取り返して、「あな、いと験なしや」と、うち言ひて、額より上ざまにさくり上げ、欠伸おのれうちして、寄り臥しぬる。いみじうねぶたしと思ふに、いとしもおぼえぬ人の、押し起して、せめてもの言ふこそ、いみじうすさまじけれ。
 除目に司得ぬ人の家。今年はかならず、と聞きて、はやうありし者どものほかほかなりつる、田舎だちたる所に住む者どもなど、皆集り来て、出で入る車の轅(ながえ)もひまなく見え、もの詣でする供に我も我もとまゐりつかうまつり、物食ひ酒飲み、ののしりあへるに、果つる暁まで門たたく音もせず、「あやしう」など、耳立てて聞けば、前駆追ふ声々などして上達部など皆出でたまひぬ。もの聞きに宵より寒がりわななきをりける下衆男、いともの憂げに歩み来るを、をる者どもは、え問ひにだに問はず、外より来たる者などぞ、「殿は、なににかならせたまひたる」など問ふに、答へには「なにの前司にこそは」などぞ、かならず答ふる。まことに頼みける者は、いと嘆かしと思へり。つとめてになりて、ひまなくをりつる者ども、一人、二人すべり出でて去ぬ。古き者どもの、さもえ行き離るまじきは、来年の国々、手を折りてうち数へなどして、ゆるぎありきたるも、いとほしう、すさまじげなり。
 よろしう詠みたりと思ふ歌を、人のもとにやりたるに、返しせぬ。懸想文は、いかがせむ。それだに、をりをかしうなどある返事せぬは、心劣りす。また、騒がしう、時めきたる所に、うち古めきたる人の、おのが、つれづれと暇多かるならひに、昔おぼえて異なることなき歌詠みておこせたる。
 もののをりの扇、いみじくと思ひて、心ありと知りたる人に取らせたるに、その日になりて、思はずなる絵など描きて、得たる。
 産養(うぶやしなひ)、馬のはなむけなどの使に、禄取らせぬ。はかなき薬玉、卯槌など待てありく者などにも、なほかならず取らすべし。思ひかけぬごとに得たるをば、いと興ありと思ふべし。これはかならずさるべき使と思ひ、心ときめきして行きたるは、ことにすさまじきぞかし。
 婿取りして、四、五年まで、産屋の騒きせぬ所も、いとすさまじ。大人なる子供もあまた、ようせずは孫なども這ひありきぬべき、人の親どち、昼寝したる。かたはらなる子どものここちにも、親の昼寝したるほどは、寄り所なく、すさまじうぞあるかし。師走のつごもりの夜、寝起きてあぶる湯は腹立たしうさへぞおぼゆる。師走のつごもりの長雨。「一日ばかりの精進解斎」とやいふらむ。

二四 たゆまるるもの

 精進の日の行ひ。遠きいそぎ。寺に久しく籠りたる。

二五 人にあなづらるるもの

 築土の崩れ。あまり心よしと人に知られぬる人。

二六 にくきもの

 急ぐことあるをりに来て、長言するまらうど。あなづりやすき人ならば、「後に」とても、やりつべけれど、さすがに心はづかしき人、いとにくく、むつかし。硯に髪の入りて、すられたる。また、墨の中に、石のきしきしときしみ鳴りたる。
 にはかにわづらふ人のあるに、験者もとむるに、例ある所になくて、外に尋ねありくほど、いと待ち遠に久しきに、からうじて待ちつけて、よろこびながら加持せさするに、このころ物怪にあづかりて困じにけるにや、居るままにすなはち、ねぶり声なる、いとにくし。
 なでふことなき人の、笑がちにて、ものいたう言ひたる。火桶の火、炭櫃などに、手のうらうち返しうち返しおしのべなどして、あぶりをる者。いつか、若やかなる人など、さはしたりし。老いばみたる者こそ、火桶のはたに足をさへもたげて、もの言ふままに押しすりなどはすらめ。さやうの者は、人のもとに来て、居むとする所を、まづ扇してこなたかなたあふぎちらして、塵はき捨て、居もさだまらずひろめきて、狩衣の前巻き入れても居るべし。かかることは、いふかひなき者の際にやと思へど、すこしよろしき者の、式部の大夫などいひしが、せしなり。
 また、酒飲みてあめき、口を探り、鬚ある者はそれをなで、盃、異人に取らするほどのけしき、いみじうにくしと見ゆ。「また飲め」と言ふなるべし、身ぶるひをし、頭ふり、口わきをさへ引き垂れて、童の「こう殿にまゐりて」など謡ふやうにする。それはしも、まことによき人のしたまひしを見しかば、心づきなしと思ふなり。
 ものうらやみし、身の上嘆き、人の上言ひ、露ばかりのこともゆかしがり、聞かまほしうして、言ひ知らせぬをば、怨じそしり、また僅かに聞き得たることをば、わがもとより知りたることのやうに、異人にも語りしらぶるも、いとにくし。
 もの聞かむと思ふほどに泣くちご。烏の集まりて飛び違ひ、さめき鳴きたる。
 忍びて来る人、見知りてほゆる犬。あながちなる所に隠し臥せたる人の、いびきしたる。また、忍び来る所に、長烏帽子して、さすがに人に見えじとまどひ入るほどに、ものにつきさはりて、そよろといはせたる。伊予簾など掛けたるに、うちかづきて、さらさらと鳴らしたるも、いとにくし。帽額の簾は、まして、こはしのうち置かるる音、いとしるし。それも、やをら引き上げて入るは、さらに鳴らず。遣戸を、荒くたてあくるも、いとあやし。すこしもたぐるやうにしてあくるは、鳴りやはする。あしうあくれば、障子なども、こほめかしうほとめくこそ、しるけれ。
 ねぶたしと思ひて臥したるに、蚊の細声にわびしげに名のりて、顔のほどに飛びありく。羽風さへ、その身のほどにあるこそ、いとにくけれ。
 きしめく車に乗りてあるく者、耳も聞かぬにやあらむと、いとにくし。わが乗りたるは、その車の主さへにくし。また、物語するに、さしいでして、我ひとりさいまくる者。すべてさしいでは、童も大人いともにくし。あからさまに来たる子ども、童を見入れ、らうたがりて、をかしき物取らせなどするに、ならひて、常に来つつ居入りて、調度うち散らしぬる、いとにくし。
 家にても宮仕へ所にても、会はでありなむと思ふ人の来るに、そら寝をしたるを、わがもとにある者、起しに寄り来て、いぎたなしと思ひ顔に引きゆるがしたる、いとにくし。今まゐりの、さし越えて、もの知り顔に教へやうなること言ひ、後見たる、いとにくし。
 わが知る人にてある人の、はやう見し女のこと、ほめ言ひいでなどするも、ほど経たることなれど、なほにくし。まして、さしあたりたらむこそ、思ひやらるれ。されど、なかなか、さしもあらぬなどもありかし。
 はなひて誦文する。おほかた、人の家の男主ならでは、高くはなひたる、いとにくし。蚤もいとにくし。衣の下に躍りありきて、もたぐるやうにする。犬の諸声に長々と鳴き上げたる、まがまがしくさへにくし。
 あけて出で入る所、たてぬ人、いとにくし。

二七 心ときめきするもの

 雀の子飼。ちご遊ばする所の前たわる。よき薫物たきて、ひとり臥したる。唐鏡のすこし暗き見たる。そき男の、車とどめて、案内し問はせたる。頭洗ひ、化粧じて、香ばしうしみたる衣など着たる。ことに見る人なき所にても、心のうちは、なほいとをかし。待つ人などのある夜、雨の音、風の吹きゆるがすも、ふと驚かる。

二八 過ぎにしかた恋しきもの

 枯れたる葵。雛遊びの調度。二藍、葡萄染めなどのさいでの、押しへされて、草子の中などにありける、見つけたる。また、をりからあはれなりし人の文、雨など降りつれづれなる日、さがし出でたる。 去年のかはほり。

二九 心ゆくもの

 よく描いたる女絵の、言葉をかしう付けて多かる。物見の帰さに、乗りこぼれて、をのこどもいと多く、牛よくやる者の、車走らせたる。白くきよげなる陸奥紙に、いといと細う、書くべくはあらぬ筆して、文書きたる。うるはしき糸の練りたる、あはせ繰りたる。てうばみに、てう多く打ち出でたる。ものよく言ふ陰陽師して、川原に出でて、呪詛の祓へしたる。夜、寝起きて飲む水。
 つれづれなるをりに、いとあまりむつまじうもあらぬまらうどの来て、世の中の物語、このころある事のをかしきもにくきもあやしきも、これかれにかかりて、公私おぼつかなからず、聞きよきほどに語りたる、いと心ゆくここちす。
 神、寺などにまうでて、もの申さするに、寺は法師、社は禰宜(ねぎ)などの、くらからずさはやかに、思ふほどにも過ぎて、とどこほらず聞きよう申したる。

三〇 檳榔毛は、

 檳榔毛(びらうげ)は、のどかにやりたる。急ぎたるは、わろく見ゆ。
 網代は、走らせたる。人の門の前などをよりわたりたるを、ふと見やるほどもなく過ぎて、供の人ばかり走るを、誰ならむと思ふこそ、をかしけれ。ゆるゆると久しく行くは、いとわろし。

三一 説経の講師は、

 説経の講師は、顔よき。講師の顔を、つとまもらへたるこそ、その説くことの尊さもおぼゆれ。ほか目しつれば、ふと忘るるに、にくげなるは罪や得らむとおぼゆ。このことはとどむべし。すこし齢などのよろしきほどは、かやうの罪得がたのことは、、書き出でけめ。今は罪いと恐ろし。
 また、尊きこと、道心多かり、とて、説経すといふ所ごとに、最初に行きゐるこそ、なほ、この罪の心には、いとさしもあらで、と見ゆれ。
 蔵人など、昔は御前などいふわざもせず、その年ばかりは内裏わたりなどには、影も見えざりける。今はさしもあらざめる。蔵人の五位とて、それをしもぞ、いそがしう使えど、なほ、名残つれづれにて、心一つは暇あるここちすべかめれば、さやうの所にぞ、一度、二度も聞きそめつれば、常にまでまほしうなりて、夏などのいと暑きにも、かたびらいとあざやかにて、薄二藍、青鈍の指貫(さしぬき)など、踏み散らしてゐためり。鳥帽子に物忌付けたるは、さるべき日なれど、功徳のかたには障らずと見えむ、とにや。
 そのことする聖と物語し、車立つることなどをさへぞ見入れ、事についたるけしきなる。久しう会はざりつる人のまうであひたる、珍しがりて近う居寄り、もの言ひうなづき、をかしきことなど語りいでて、扇広うひろげて、口にあてて笑ひ、よく装束したる数珠かいまさぐり、手まさぐりにし、こなたかなたうち見やりなどして、車のあしよしほめそしり、なにがしにてその人のせし八講、経供養せしこと、とありしこと、かかりしこと、言ひくらべゐたるほどに、この説経のことは聞きも入れず。なかには、常に聞くことなれば、耳馴れて、珍しうもあらぬにこそは。
 さはあらで、講師居てしばしあるほどに、前駆すこし追はする車とどめておるる人、蝉の羽よりも軽げなる直衣、指貫、生絹のひとへなど着たるも、狩衣の姿なるもさやうにて、若う細やかなる、三、四人ばかり、侍の者またさばかりして、入れば、はじめ居たる人々も、すこしうちみじろきくつろい、高座のもと近き柱もとに据ゑつれば、かすかに数珠押しもみなどして聞きゐたるを、講師もはえばえしくおぼゆるなるべし、いかで語り伝ふばかりと説き出でたなり。聴聞すなど倒れ騒ぎ、額づくほどにもなくて、よきほどに立ち出づとて、車どもの方など見おこせて、我どち言ふことも、なにごとならむとおぼゆ。見知りたる人は、をかしと思ふ、見知らぬは、誰ならむ、それにやなど思ひやり、目をつけて見送らるるこそ、をかしけれ。
 「そこに説経しつ、八講しけり」など、人の言ひ伝ふるに、「その人はありつや」「いかがは」など、さだまりて言はれたる、あまりなり。などかは、むげにさしのぞかではならむ。あやしからむ女だに、いみじう聞くめるものを。さればとて、はじめつ方は、かちありきする人はなかりき。たまさかには、壺装束などして、なまめき化粧じてこそは、あめりしか。それも、もの詣でなどをぞせし。説経なとには、ことに多く聞こえざりき。このころ、そのをりさし出でけむ人、命長くて見ましかば、いかばかり、そしり誹謗せまし。

三二 菩提といふ寺に、

 菩提といふ寺に、結縁の八講せしに詣でたるに、人のもとより「とく帰りたまひね。いとさうざうし」と言ひたりければ、蓮の葉のうらに、

  もとめてもかかる蓮の露をおきて憂き世に、または帰るものかは

と書きてやりつ。まことに、いと尊くあはれなれば、やがてとまりぬべくおぼゆるに、さうちうが家の人のもどかしさも忘れぬべし。

三三 小白河といふ所は、

 小白河といふ所は、小一条の大将殿の御家ぞかし、そこにて上達部、結縁の八講したまふ。世の中の人、いみじうめでたき事にて、「遅からむ車などは立つべきやうもなし」と言へば、露とともに起きて、げにぞ、ひまなかりける轅(ながえ)の上にまたさし重ねて、三つばかりまではすこしものも聞ゆべし。
 六月十よ日にて、暑きこと世に知らぬほどなり。池の蓮を見やるのみぞ、いと涼しきここちする。左右の大臣たちをおきたてまつりては、おはせぬ上達部なし。二藍の指貫、直衣、あさぎのかたびらどもぞ透かしたまへる。少し大人びたまへるは、青鈍(おにび)の指貫、白き袴もいと涼しげなり。佐理(すけまさ)の宰相なども皆若やぎだちて、すべて尊き事の限りにもあらず、をかしき見物なり。
 廂の簾高う上げて、長押の上に、上達部は奥に向きて長々と居たまへり。その次には、殿上人、若君達、狩装束、直衣などもいとをかしうて、え居も定まらず、ここかしこに立ちさまよひたるも、いとをかし。実方(さねかた)の兵衛の佐(すけ)、長命侍従など、家の子にて、今すこし出で入りなれたり。まだ童なる君など、いとをかしくておはす。
 すこし日たくるほどに、三位の中将とは関白殿をぞ聞えし、かうの薄物の二藍の御直衣、二藍の織物の指貫、濃蘇枋の下の御袴に、張りたる白きひとへのいみじうあざやかなるを着たまひて歩み入りたまへる、さばかり軽び涼しげなる御中に、暑かはしげなるべけれど、いといみじうめでたしとぞ見えたまふ。朴、塗骨など骨はかはれど、ただ赤き紙をおしなべてうち使ひ持たまへるは、撫子のいみじう咲きたるにぞ、いとよく似たる。
 まだ講師ものぼらぬほど、懸盤して、なににかあらむ、ものまゐるなるべし。義懐(よしちか)の中納言の御様、常よりもまさりておはするぞ、限りなきや。色合ひの花々といみじうにほひあざやかなるに、いづれともなき中のかたびらを、これはまことにすべてただ直衣一つを着たるやうにて、常に車どもの方を見おこせつつ、ものなど言ひかけたまふ、をかしと見ぬ人はなかりけむ。
 後に来る車の、ひまもなかりければ池に引き寄せて立ちたるを見たまひて、実方の君に「消息をつきづきしう言ひつべからむ者、一人」と召せば、いなかる人にかあらむ、選りて率ておはしたり。「いかが言ひやるべき」と、近う居たまふ限り、のたまひあはせて、やりたまふ言葉は聞えず。いみじう用意して車のもとへ歩み寄るを、かつは笑ひたまふ。後の方に寄りて言ふめる。久しう立てれば、「歌など詠むにやあらむ。兵衛の佐、返し思ひまうけよ」など笑ひて、いつしか返事聞かむと、ある限り、大人上達部まで皆そなたざまに見やりたまへり。げにぞけせうの人まで見やりしもをかしかりし。
 返事聞きたるにや、すこし歩み来るほどに、扇をさし出でて呼びかへせば、歌などの文字言ひあやまりてばかりや、かうは呼びかへさむ、久しかりつるほど、おのづからあるべきことは、直すべくもあらじものを、とぞおぼえたる。近うまゐりつくも心もとなく、「いかにいかに」と、誰も誰も問ひたまふ。ふとも言はず、権中納言ぞのたまひつれば、そこにまゐり、けしきばみ申す。三位の中将「とく言へ。あまり有心すぎてしそこなふな」と、のたまふに、「これもただ同じことになむはべる」と言ふは聞ゆ。藤大納言、人よりけにさしのぞきて、「いかが言ひたるぞ」と、のたまふめれば、三位の中将「いと直き木をなむ押し折りためる」と聞こえたまふに、うち笑ひたまへば、皆なにとなくさと笑ふ声、聞こえやすらむ。中納言、「さて、呼びかへさざりつるさきは、いかが言ひつる。これや直したる定」と問ひたまへば、「久しう立ちてはべりつれど、ともかくもはべらざりつれば、『さは、帰りまゐりなむ』とて、帰りはべりつるに、呼びて」などぞ申す。「誰が車ならむ。見知りたまへりや」など、あやしがりたまひて、「いざ、歌詠みてこの度はやらむ」などのたまふほどに、講師のぼりぬれば、皆、居静まりて、そなたをのみ見るほどに、車は、かい消つやうに失せにけり。下簾など、ただ今日はじめたりと見えて、濃きひとへがさねに二藍の織物、蘇枋の薄物の上着など、後にも摺りたる裳、やがてひろがながらうち下げなどして、なに人ならむ、なにかは、またかたほならむことよりはげにと聞えて、なかなかいとよし、とぞおぼゆる。
 朝座の講師清範、高座の上も光りみちたるここちして、いみじうぞあるや。暑さのわびしきに添へて、しさしたる事の今日過ぐすまじきをうちおきて、ただすこし聞きて帰りなむとしつるに、しきなみに集ひたる車なれば、出づべき方もなし。朝講果てなば、なほいかで出でなむと、前なる車どもに消息すれば、近く立たむがうれしさにや、「早々」と引き出であけて出だすを見たまひて、いとかしかましきまで老上達部さへ笑ひにくむをも聞き入れず、答へもせで、強いて狭がり出づれば、権中納言の、「やや。まかりぬるもよし」とて、うち笑みたまへるぞ、めでたき。それも耳にもとまらず、暑きにまどはし出でて、人して「五千人のうちには入らせたまはぬやうあらじ」と聞えかけて、帰りにき。
 そのはじめより、やがて果つる日まで立てたる車のありけるに、人寄り来とも見えず、すべてただあさましう絵などのやうにて過ぐしければ、ありがたくめでたく心にくく、いかなる人ならむ、いかで知らむと、問ひ尋ねけるを聞きたまひて、藤大納言などは、「なにか、めでたからむ。いとにくし。ゆゆしきものにこそあなれ」と、のたまひけるこそ、をかしかりしか。
 さて、その二十日あまりに、中納言、法師になりたまひにしこそ、あはれなりしか。桜など散りぬるも、なほ世の常なりや。「置くを待つ間の」とだに言ふべくもあらぬ御有様にそこ見えたまひしか。

三四 七月ばかり、いみじう暑ければ、

 七月ばかり、いみじう暑ければ、よろづの所あけながら夜もあかすに、月のころは、寝おどろきて見いだすに、いとをかし。闇もまたをかし。有明はた、言ふもおろかなり。
 いとつややかなる板の端近う、あざやかなる畳一枚うち敷きて、三尺の几帳、奥の方におしやりたるぞ、あぢきなき。端にこそ立つべけれ。奥の後めたからむよ。人は出でにけるなるべし、薄色の、裏いと濃くて、表はすこしかへりたるならずは、濃き綾のつややかなるが、いとなえぬを、頭ごめにひき着てぞ寝たる。香染めのひとへ、もしは黄生絹のひとへ、紅のひとへ袴の腰のいと長やかに衣の下より引かれたるも、まだ解けながらなめり。そばの方に髪のうちたたなはりてゆるらかなるほど、長さおしはかられたるに、またいづこよりにかあらむ、朝ぼらけのいみじう霧り立ちたるに、二藍の指貫にあるかなきかの色したる香染めの狩衣、しろき生絹に紅の透すにこそあはらめ、つややかなる、霧にいたうしめりたるを脱ぎたれて、鬢のすこしふくだみたれば、鳥帽子のおし入れたるけしきもしどけなく見ゆ。朝顔の露落ちぬきさきに文書かむと、道のほども心もとなく「麻生の下草」など、口ずさみつつ、わが方に行くに、格子のあがりたれば、御簾のそばをいささか引き上げて見るに、起きて去ぬらむ人もをかしう、露もあはれなるにや、しばし見立てれば、枕上の方に、朴に紫の紙張りたる扇、ひろごりながらあり。陸奥紙の畳紙の細やかなるが、花か紅か、すこしにほひたるも、几帳のもとに散りぼひたり。
 人けのすれば、衣の中より見るに、うち笑みて、長押におしかかりて居ぬ。恥ぢなどすべき人にはあらねど、うちとくべき心ばへにもあらぬに、ねたうも見えぬるかな、と思ふ。「こよなき名残の御朝寝かな」とて、簾の内になから入りたれば、「露よりさきなる人のもどかしさに」と言ふ。をかしき事、とり立てて書くべき事ならねど、とかく言ひかはすけしきどもは、にくからず。枕上なる扇、わが持たるしておよびてかき寄するが、あまり近う寄り来るにやと、心ときめきして、引きぞ下らるる。取りて見などして、「うとくおぼいたること」など、うちかすめうらみなどするに、明うなりて、人の声々し、日もさし出でぬべし。霧の絶え間見えぬべきほど、急ぎつる文もたゆみぬるこそ、後ろめたけれ。
 出でぬる人も、いつのほどにかと見えて、萩の露ながらおし折りたるに付けてあれど、えさし出でず。香の紙のいみじうしめたる匂い、いとをかし。あまりはしたなきほどになれば、立ち出でて、わが起きつる所もかくやと思ひやらるるも、をかしかりぬべし。

三五 木の花は

 木の花は 濃きも薄きも、紅梅。桜は、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし。
 四月のつごもり、五月のついたちのころほひ、橘の葉の濃く青きに、花のいと白う咲きたるが、雨うち降りたるつとめてなどは、世になう心あるさまに、をかし。花の中より黄金の玉かと見えて、いみじうあざやかに見えたるなど、朝露に濡れたる朝ぼらけの桜に劣らず。郭公(ほととぎす)のよすがとさへ思へばにや、なほ、さらに言ふべきにもあらず。
 梨の花、よにすさまじきものにして、近うもてなさず、はかなき文付けなどだにせず、愛敬おくれたる人の顔など見ては、たとひに言ふも、げに、葉の色よりはじめて、あはひなく見ゆるを、唐土には限りなきものにて、詩にも作る、なほさりとも、やうあらむと、せめて見れば、花びらの端にをかしきにほひこそ、心もとなうつきためれ。楊貴妃の、帝の御使いあひて泣きける顔に似せて、「梨花一枚、春、雨を帯びたり」など言ひたるは、おぼろけならじと思ふに、なほいみじうめでたきことは、たぐひあらじとおぼえたり。
 桐の木の花、紫に咲きたるは、なほをかしきに、葉のひろごりざまぞ、うたてこちたれど、異木どもとひとしう言ふべきにもあらず。唐土にことごとしき名つきたる鳥の、選りてこれにのみ居るらむ、いみじう心異なり。まいて、琴に作りて、さまざまなる音のいでくるなどは、をかしなど、世の常に言ふべくやはある、いみじうこそめでたけれ。
 木のさまにくげなれど、楝(あふち)の花、いとをかし。かれがれに、様異に吹きて、かならず五月五日にあふも、をかし。

三六 池は

 池は 勝間田の池。磐余(いはれ)の池。贄野(にへの)の池、初瀬に詣でしに、水鳥のひまなく居て、立ち騒ぎしが、いとをかしう見えしなり。
 水なしの池こそ、あやしう、などてつけけるならむとて、問ひしかば、「五月など、すべて雨いたう降らむとする年は、この池に水といふものなむ、なくなる。また、いみじう照るべき年は、春のはじめに、水なむ多く出づる」と言ひしを「むげになく、乾きてあらばこそ、さも言はめ、出づるをりもあるを、一筋にもつけけるかな」と、言はまほしかりしか。
 猿沢の池は、采女(うねべ)の身投げたるをきこしめて、行幸などありけむこそ、いみじうめでたけれ。「寝くたれ髪を」と、人丸が詠みけむほどなど思ふに、言ふもおろかなり。
 おまへの池は、またなにの心にてつけけるならむと、ゆかし。鏡の池。狭山の池は、三稜草(みくり)といふ歌のをかしきが、おぼゆるならむ。こひぬまの池は「玉藻な刈りそ」と言ひたるも、をかしうおぼゆ。

三七 節は、

 節は、五月にしく月はなし。菖蒲、蓬(よもぎ)などのかをりあひたる、いみじうをかし。九重の御殿の上をはじめて、言ひ知らぬ民のすみかまで、いかで、わがもとにしげく葺かむと、葺きわたしたる、なほいとめづらし。いつかは、異をりに、さはしたりし。
 空のけしき、曇りわたりたるに、中宮などには、縫殿(ぬひどの)より、御薬玉とて、色々の糸を組み下げてまゐらせたれば、御帳立てたる母屋の柱に左右に付けたり。九月九日の菊を、あやしき生絹(すずし)の衣に包みてまゐらせたるを、同じ柱に結ひ付けて月ごろある、薬玉にとりかへてぞ捨つめる。また薬玉は菊のをりまであるべきにやあらむ。されどそれは、皆、糸を引き取りて、もの結ひなどして、しばしもなし。
 御節供まゐり、若き人々、菖蒲の刺櫛さし、物忌付けなどして、さまざま、唐衣、汗衫(かざみ)などに、をかしき折枝ども、長き根にむら濃の組して結び付けたるなど、珍しう言ふべきことならねど、いとをかし。さて、春ごとに咲くとて、桜をよろしう思ふ人やはある。
 土ありく童などの、ほどほどにつけてはいみじきわざしたりと思ひて、常に袂まぼり、人のにくらべなど、えも言はずと思ひたるなどを、そばへたる小舎人童などに引きはられて泣くも、をかし。
 紫の紙に楝(あふち)の花、青き紙に菖蒲の花の葉細く巻きて結ひ、また、白き紙を根してひき結ひたるも、をかし。いと長き根を文の中に入れなどしたるを見るここちども、いと艶なり。返事書かむと言ひあはせ、かたらふどちは見せかはしなどするも、いとをかし。人の女(むすめ)、やむごとなき所々に、御文などきこえたまふ人も、今日は心異にぞなまめかしき。夕暮れのほどに、郭公の名のりしてわたるも、すべていみじき。

三八 花の木ならぬは

 花の木ならぬは かへで。桂。五葉。そばの木、しななきここちすれど、花の木ども散り果てて、おしなべて緑になりにたる中に時もわかず濃き紅葉のつやめきて、思ひもかけぬ青葉の中よりさし出でたる、めづらし。
 まゆみ、さらにも言はず。そのものとなけれど、宿り木といふ名、いとあはれなり。榊、臨時の祭の御神楽のをりなど、いとをかし。世に木どもこそあれ、神の御前のものと生ひはじめけむも、とりわきてをかし。
 楠の木は、木立多かる所にも、ことにまじらひ立てらず、おどろおどろしき思ひやりなどうとましきを、千枝に分れて、恋する人のためしに言はれらるこそ、誰かは数を知りて言ひはじめけむと思ふに、をかしけれ。
 檜の木、また、け近からぬものなれど、三葉四葉の殿づくりもをかし。五月に雨の声をまなぶらむも、あはれなり。
 かへでの木のささやかなるに、萌えいでたる葉末の赤みて、同じ方にひろごりたる葉のさま、花もいとものはかなげに、虫などの枯れたるに似て、をかし。
 あすはひの木、この世に近くも見え聞こえず、御嶽に詣でて帰りたる人などの持て来める。枝ざしなどは、いと手触れにくげにあらくましけれど、なにの心ありて、あすはひの木とつけけむ。あぢきなきかね言なりや。誰に頼めたるにかと思ふに、聞かまほしくをかし。
 ねずもちの木、人なみなみなるべきにもあらねど、葉のいみじうこまかに小さきが、をかしきなり。楝の木。山橘。山梨の木。
 椎の木、常盤木はいづれもあるを、それしも、葉がへせぬためしに言はれたるも、をかし。
 白樫といふものは、まいて深山木の中にもいとけ遠くて、三位、二位の袍(うへのきぬ)染むるをりばかりこそ、葉をだに人の見るめれば、をかしきこと、めでたきことに取り出づべくもあらねど、いつともなく雪の降り置きたるに見まがへられ、素盞鳴(すさのを)尊、出雲の国におはしける御事を思ひて、人丸が詠みたる歌などを思ふに、いみじくあはれなり。をりにつけても一節あはれともをかしとも聞きおきつるものは、草、木、鳥、虫も、おろかにこそおぼえね。
 ゆづりの葉の、いみじうふさやかにつやめき、茎はいと赤くきらきらしく見えたるこそ、あやしけれど、をかし。なべての月には、見えぬものの、師走のつごもりのみ時めきた、亡き人の食ひ物に敷く物にやと、あはれなるに、また、齢を延ぶる歯固めの具にも、もて使ひためるは、いかになる世にか、「紅葉せむ世や」と言ひたるも、頼もし。
 柏木、いとをかし。葉守の神のいますらむも、かしこし。兵衛の督(かみ)、佐(すけ)、尉(ぞう)など言ふも、をかし。
 姿なけれど、椶櫚(すろ)の木、唐きめて、わるき家のものとは見えず。

三九 鳥は

 鳥は 異所のものなれど、鸚鵡(あうむ)、いとあはれなり。人の言ふらむことをまねぶらむよ。郭公。水鶏(くひな)。しぎ。都鳥。ひは。ひたき。
 山鳥、友を恋ひて、鏡を見すればなぐさむらむ、心若う、いとあはれなり。谷隔てたるほどなど、心苦し。
 鶴は、いとこちたきさまなれど、鳴く声の雲居まで聞ゆる、いとめでたし。頭赤き雀。斑鳩(いかるが)の雄鳥。たくみ鳥。
 鷺は、いと見目も見苦し。眼居(まなこゐ)なども、うたてよろづになつかしからねど、ゆるぎの森にひとりは寝じとあらそふらむ、をかし。水鳥、鴛鴦(をし)いとあはれなり。かたみにゐかはりて、羽の上の霜払ふらむほどなど。千鳥、いとをかし。
 鶯は、詩などにもめでたきものに作り、声よりはじめて、様、かたちも、さばかりあてにうつくしきほどよりは、九重の内に鳴かぬぞ、いとわろき。人の「さなむある」と言ひしを、さしもあらじと思ひしに、十年ばかりさぶらひて聞きしに、まことにさらに音せざりき。さるは、竹近き紅梅も、いとよく通ひぬべきたよりなりかし。まかでて聞けば、あやしき家の見所もなき梅の木などには、かしがましきまでぞ鳴く。夜鳴かぬも、寝ぎたなきここちすれども、今はいかがせむ。夏、秋の末まで、老い声に鳴きて、虫食ひなど、ようもあらぬ者は名をつけかへて言ふず、くちをしくくすしきここちする。それも、ただ雀などのやうに常にある鳥ならば、さもおぼゆまじ。春鳴くゆゑこそはあらめ。「年たちかへる」など、をかしきことに歌にも詩にも作るなるは。なほ春のうち鳴かましかば、いかにをかしからまし。人をも、人げなう、世のおぼえあなづらはしうなりそめにたるを、そしりやはする。鳶(とび)、烏などの上は、見入れ聞き入れなどする人、世になしかし。されば、いみじかるべきものとなりたれば、と思ふに、心ゆかぬここちするなり。祭の帰さ見るとて、雲林院(うりゐん)、知足院などの前に車を立てたれば、郭公も忍ばぬにやあらむ、鳴くに、いとようまねび似せて、木高き木どもの中に、諸声に鳴きたるこそ、さすがにをかしけれ。
 郭公は、なほ、さらに言ふべきかたなし。いつしか、したり顔にも聞こえたるに、卯の花、花橘などに宿りをして、はた隠れたるも、ねたげなる心ばへなり。五月雨の短き夜に寝覚をして、いかで人よりさきに聞かむと待たれて、夜深くうちいでたる声のらうらうじう愛敬づきたる、いみじう心あくがれ、せむかたなし。六月になりぬれば、音もせずなりぬる、すべて言ふもおどかなり。夜鳴くもの、なにもなにもめでたし。ちごどものみぞ、さしもなき。

四〇 あてなるもの

 あてなるもの
 薄色に白襲の汗衫。かりのこ。削り氷にあまづら入れて 新しき金まりに入れたる。水晶の数珠。藤の花。梅の花に夢の降りかかりたる。いみじううつくしきちごの、いちごなど食ひたる。

四一 虫は

 虫は 鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。きりぎりす。はたおり。われから。ひをむし。螢。
 蓑虫、いとあはれなり。鬼のうみたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣ひき着せて、「今、秋風吹かむをりぞ、来むとする。待てよ」と言ひ置きて逃げて去にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」と、はかなげに鳴く、いみじうあはれなり。
 額づき虫、またあはれなり。さるここちに道心おこして、つきありくらむよ。思ひかけず、鳴き所などにほとめきありきたるこそ、をかしけれ。
 蠅こそ、にくきもののうちに入れつべく、愛敬なきものはあれ。人々しう、かたきなどにすべき大きさにはあらねど、秋など、ただよろづの物に居、顔などに濡れ足して居るなどよ。人の名につきたる、いとうとまし。
 夏虫、いとをかしう、らうたげなり。火近う取り寄せて物語など見るに、草子の上などに飛びありく、いとをかし。
 蟻は、いとにくけれど、軽びいみじうて、水の上などをただ歩みに歩みありくこそ、をかしけれ。

四二 七月ばかりに、風いたう吹きて、

 七月ばかりに、風いたう吹きて、雨など騒がしき日、おほかたいと涼しければ、扇もうち忘れたるに、汗の香すこしかかへたる綿衣の薄きをいとよくひき着て、昼寝したるこそ、をかしけれ。

四三 にげなきもの

 にげなきもの
 下衆の家に雪の降りたる。また、月のさし入りたるも、くちをし。月の明きに、屋形なき車のあひたる。また、さる車に、あめ牛かけたる。また、老いたる女の、腹高くてありく。若き男持ちたるだに見苦しきに、異人のもとへ行きたるとて、腹立つよ。
 老いたる男の、寝まどひたる。また、さやうに鬚がちなる者の、椎つみたる。歯もなき女の、梅食ひて酸がりたる。下衆の、紅の袴着たる。このころは、それのみぞあめる。
 靭負(ゆげひ)の佐の夜行姿。狩衣姿も、いとあやしげなり。人に怖ぢらるる袍は、おどろおどろし。立ちさまよふも、見つけてあなづらはし。「嫌疑の者やある」と、たはぶれにも咎む。入りゐて、そらだきものにしみたる几帳にうち掛けたる袴など、いみじうたづきなし。
 かたちよき君たちの、弾正の弼(ひち)にておはする、いと見苦し。宮の中将などの、さもくちをしかりしかな。

四四 細殿に、人あまた居て、

 細殿に、人あまた居て、やすからずものなど言ふに、きよげなるをのこ、小舎人童など、よき包み、袋などに衣ども包みて、指貫のくくりなどぞ見えたる、弓、矢、楯など持てありくに、「誰がぞ」と問へば、つい居て「なにがし殿の」とて行く者は、よし。けしきばみ、やさしがりて、「知らず」とも言ひ、ものも言はでも去ぬる者は、いみじうにくし。

四五 主殿司こそ、

 主殿司(とのもづかさ)こそ、なほをかしきものはあれ。下女の際は、さばかりうらやましきものはなし。よき人にもせさせまほしきわざなめり。若くかたちよからむが、なりなどよくてあらむは、ましてよからむかし。すこし老いて、ものの例知り、面なきさまなるも、いとつきづきしくめやすし。主殿司の、顔愛敬づきたらむ、ひとり持たりて、装束、時に従ひ、裳、唐衣など今めかしくてありかせばやとこそ、おぼゆれ。

四六 をのこはまた、随身こそ

 をのこはまた、随身こそあめれ。いみじうびびしうて、をかしき君たちも、随身なきは、いとしらじらし。弁などは、いとをかしき官に思ひたれど、下襲(したがさね)の裾短くて、随身のなきぞ、いとわろきや。

四七 職の御曹司の西面の立蔀のもとにて、

 職の御曹司の西面の立蔀のもとにて、頭の弁、ものをいと久う言ひ立ちたまへれば、さし出でて、「それは誰ぞ」と言へば、「弁さぶらふなり」と、のたまふ。「なにか、さもかたらひたまふ。大弁見えば、うち拾てたてまつりてむものを」と言へば、いみじう笑ひて、「誰が、かかる事をさへ言ひ知らせけむ。それ、『さなせそ』とかたらふなり」と、のたまふ。
 いみじう見え聞えて、をかしき筋など立てたる事はなう、ただありなるやうなるを、皆人さのみ知りたるに、なほ奥深き心ざまを見知りたれば、「おしなべたらず」など、御前にも啓し、また、さしろしめしたるを、常に「『女はおのれをよろこぶ者のために顔づくりす。士はおのれを知る者のために死ぬ』となむ言ひたる」と、言ひあはせたまひつつ、よう知りたまへり。「遠江(とほたあふみ)の浜柳」と言ひかはしてあるに、若き人々は、ただ言ひに見苦しきことどもなどつくろはず言ふに、「この君こそ、うたて見えにくけれ。異人のやうに歌うたひ興じなどもせず、けすさまじ」など、そしる。
 さらにこれかれにもの言ひなどもせず、「まろは、目は縦ざまに付き、眉は額ざまに生ひあがり、鼻は横ざまなりとも、ただ口つき愛敬づき、おどがひの下、頸きよげに、声にくからざらむ人のみなむ、思はしかるべき。とは言ひながら、なほ、顔いとにくげならむ人は、心うし」とのみ、のたまへば、まして、おとがひ細う、愛敬おくれたる人などは、あいなくかたきにして、御前にさへぞ、あしざまに啓する。
 ものなど啓せさせむとても、そのはじめ言ひそめてし人を尋ね、下なるをも呼びのぼせ、常に来て言ひ、里なるは、文書きても、みづからもおはして、「遅くまゐらば、『さなむ申したる』と申しにまゐらせよ」と、のたまふ。「それ、人のさぶらふらむ」など言ひ譲れど、さしもうけひかずなどぞ、おはする。「あるに従ひ、定めず、なにごとももてなしたるをこそ、よきにすめれ」と、後見きこゆれど、「わがもとの心本性」とのみ、のたまひて、「改まらざるものは心なり」と、のたまへば、「さて、憚りなし、とは、なにを言ふにか」と、あやしがれば、笑ひつつ、「仲よしなども人に言はる。かくかたらふとならば、なにか恥づる。見えなどもせよかし」と、のたまふ。「いみじうにくげなれば、さあらむ人をば、え思はじ、と、のたまひしによりて、え見えたてまつらぬなり」と言へば、「げに、にくくもぞなる。さらば、な見えそ」とて、おのづから見つべきをりも、おのれ顔ふたぎなどして見たまはぬも、真心にそら言したまはざりけり、と思ふに、三月つごもり方は、冬の直衣の着にくきにやあらむ、袍がちにてぞ、殿上び宿直姿もある、つとめて、日さし出づるまで、式部のおもとと小廂に寝たるに、奥の遺戸をあけさせたまひて、上の御前、宮の御前出でさせたまへれば、起きもあへすまどふを、いみじく笑はせたまふ。唐衣をただ汗衫の上にうち着て、宿直物もなにも埋もれながらある上におはしまして、陣より出で入る者ども御覧ず。殿上人の、つゆ知らで寄り来てもの言ふなどもあるを、「けしきな見せそ」とて、笑はせたまふ。さて、立たせたまふ。「二人ながら、いざ」と、おはせらるれど、「今、顔などつくろひたててこそ」とて、まゐらず。
 入らせたまひて後も、なほ、めでたきことどもなど、言ひあはせてゐたるに、南の遺戸のそばの几帳の手のさし出でたるにさはりて、簾のすこしあきたるより、黒みたるものの見ゆれば、則隆がゐたるなめりとて、見も入れで、なほ、異事どもを言ふに、いとよく笑みたる顔のさし出でたるも、なほ則隆なめりとて、見やりたれば、あらぬ顔なり。あさましと笑ひ騒ぎて、几帳引き直し隠るれば、頭の弁にぞおはしける。見えたてまつらじとしつるものをと、いとくちをし。もろともにゐたる人は、こなたに向きたれば、顔も見えず。
 立ち出でて、「いみじく名残なくも見つるかな」と、のたまへば、「則隆と思ひはべりつれば、あなづりてぞかし。などかは、見じとのたまふに、さつくづくとは」と言ふに、「女は寝起き顔なむ、いとよき、と言へば、ある人の局に行きてかいばみして、またもし見えやするとて、来たりつるなり。まだ上のおはしましつるをりからあるをば、知らざりける」とて、それより後は、局の簾うちかづきなどしたまふめりき。

四八 馬は、

 馬は、いと黒きが、ただいささか白き所などある。紫の紋つきたる。蘆毛。薄紅梅の毛にて、髪、尾などいと白き。げに、ゆふかみとも言ひつべし。黒きが、足四つ白きも、いとをかし。

四九 牛は、

 牛は、額はいと小さく白みたるが、腹の下、足、尾の裾などはやがて白き。

五〇 猫は、

 猫は、上の限り黒くて、腹いと白き。

五一 雑色、随身は、

 雑色、随身は、すこしやせて細やかなる。よき男も、なほ若きほどは、さる方なるぞ、よき。いたく肥えたるは、寝ねぶたからむと見ゆ。

五二 小舎人童は、

 小舎人童は、小さくて、髪いとうるはしきが、裾さはらかに、すこし色なるが、声をかしうて、かしこまりてものなど言ひたるぞ、らうらうじき。

五三 牛飼は、

 牛飼は、大きにて、髪あららかなるが、顔赤みて、かどかどしげなる。

五四 殿上の名対面こそ、

 殿上の名対面(なだいめん)こそ、なほをかしけれ。御前に人さぶらふをりはやがて問ふもをかし。足音どもして、くづれ出づるを、上の御局の東面にて、耳をとなへて聞くに、知る人の名のあるは、ふと例の胸のつぶるらむかし。また、ありともよく聞かせぬ人など、このをりに聞きつけたるは、いかが思ふらむ。「名のり、よし」「あし」「聞きにくし」などさだむるも、をかし。
 果てぬなり、と聞くほどに、滝口の弓鳴らし、沓の音し、そそめき出でづると、蔵人のいみじく高く踏みこほめかして、丑寅の隅の高欄に、高膝まづきといふゐずまひに、御前の方に向ひて、後ざまに「誰々か、はべる」と問ふこそ、をかしけれ。高く細く名のり、また、人々さぶらはねば、名対面つかうまつらぬよし奏するも、「いかに」と問へば、障ることども奏するに、さ聞きて帰るを、方弘聞かずとて、君たちの教へたまひければ、いみじう腹立ち叱りて、かうがへて、また滝口にさへ笑はる。
 御厨子所の御膳棚に、沓置きて、言ひののしらるるを、いとほしがりて、「誰か沓にかあらむ。え知らず」と、主殿司、人々などの言ひけるを、「やや、方弘が汚き物ぞ」とて、いとど騒がる。

五五 若くてよろしき男の、

 若くてよろしき男の、下衆の女の名、呼びなれて言ひたるこそ、にくけれ。知りながらも、なにとかや、片文字は、おぼえで言ふは、をかし。
 宮仕への所の局に寄りて、夜など、あしかるべけれど、主殿司、さらぬただ所などは、侍ひなどにある者を具して来ても、呼ばせよかし。手づからは声もしるきに。はした者、童などは、されどよし。

五六 若き人、ちごどもなどは、

 若き人、ちごどもなどは、肥えたる、よし。受領など大人だちぬるも、ふくらかなるぞ、よき。

五七 ちごは、

 ちごは、あやしき弓、しもとだちたる物などささげて遊びたる、いとうつくし。車など、とどめて、抱き入れて見まほしくこそあれ。
 また、さて行くに、薫物(たきもの)の香、いみじうかかへたるそ、いとをかしけれ。

五八 よき家の中門あけて、

 よき家の中門あけて、檳榔毛の車の白きよげなるに、蘇枋の下簾、にほひいときよらかにて、榻(しぢ)にうち掛けたるこそ、めでたけれ。五位、六位などの、下襲の裾はさみて、笏のいと白き扇うち置きなどしてとかく行き違ひ、また、装束し、壺胡[竹/録](つぼやなぐひ)負ひたる随身の出で入りしたる、いとつきづきし。厨女(くりやめ)のきよげなるが、さし出でて、「なにがし殿の人やさぶらふ」など言ふも、をかし。

五九 滝は

 滝は 音無の滝。布留の滝は、法皇の御覧じにおはしましけむこそ、めでたけれ。那智の滝は熊野にありと聞くが、あはれなるなり。轟の滝は、いかにかしかましく恐しからむ。

六〇 河は

 河は 飛鳥川、淵瀬も定めなく、いかならむと、あはれなり。大井河。音無川。七瀬川。
 耳敏川、またもなにごとをさくじり聞きけむと、をかし。玉星川。細谷川。いつぬき川、沢田川などは、催馬楽(さいばら)などの思はするなるべし。名取川、いかなる名を取りたるならむと、聞かまほし。吉野河。天の河原、「たなばたつめに宿借りらむ」と、業平が詠みたるも、をかし。

六一 暁に帰らむ人は、

 暁に帰らむ人は、装束なといみじううるはしう、鳥帽子の緒、元結かためずともありなむとこそ、おぼゆれ。いみじくしどけなく、かたくなしく、直衣、狩衣などゆがめたりとも、誰か見知りて笑ひそしりもせむ。
 人はなほ、暁の有様こそ、をかしうもあるべけれ。わりなくしぶしぶに、起きがたげなるを、強ひてそそのかし、「明け過ぎむ。あな見苦し」など言はれて、うち嘆くけしきも、げに飽かずもの憂くもあらむかし、と見ゆ。指貫なども、居ながら着もやらず、まづさし寄りて、夜言ひつることの名残、女の耳に言ひ入れて、なにわざすともなきやうなれど、帯など結ふやうなり。格子押し上げ、妻戸ある所は、やがてもろともに率て行きて、昼のほどのおぼつかなからむことなども言ひ出でにすべり出でなむは、見送られて、名残もをかしかりなむ。思ひいで所ありて、いときはやかに起きて、ひろめきたちて、指貫の腰こそこそとかはは結ひ、直衣、袍、狩衣も、袖かいまくりて、よろづさし入れ、帯いとしたたかに結ひ果てて、つい居て、鳥帽子の緒、きと強げに結ひ入れて、かいすふる音して、扇、畳紙など、昨夜枕上に置きしかど、おのづから引かれ散りにけるを求むるに、暗ければ、いかでかは見えむ、「いづら、いづら」と叩きわたし、見いでて、扇ふたふたと使ひ、懐紙さし入れて、「まかりなむ」とばかりこそ言ふらめ。

六二 橋は

 橋は あきむつの橋。長柄の橋。天彦の橋。浜名の橋。ひとつ橋。うたた寝の橋。佐野の船橋。堀江の橋。かささぎの橋。山菅の橋。をつの浮橋。一筋渡したる棚橋。心狭けれど、名を聞くにをかしきなり。

六三 里は

 里は 逢坂の里。ながめの里。寝覚の里。人妻の里。頼めの里。夕日の里。妻取りの里、人に取られたるにやあらむ、わがまうけたるにやあらむと、をかし。伏見の里。朝顔の里。

六四 草は

 草は 菖蒲。菰(こも)。葵、いとをかし。神代よりして、さるかざしとなりけむ、いみじうめでたし。物のさまも、いとをかし。沢瀉(おもだか)は、名のをかしきなり。心あがりしたらむと思ふに。三稜草(みくり)。蛇床子(ひるむしろ)。苔。雪間の若草。木蚋(こだに)。酢漿(かたばみ)、綾の紋にてあるも、異よりはをかし。
 あやふ草は、岸の額に生ふらむも、げに頼もしからず。いつまで草は、またはかなくあはれなり。岸の額よりも、これは崩れやすからむかし。まことの石灰などには、え生ひずやあらむと思ふぞ、わろき。ことなし草は、思ふことをなすにやと思ふも、をかし。
 忍ぶ草、いとあはれなり。道芝、いとをかし。茅花(つばな)も、をかし。蓬、いみじうをかし。
 山管。日かげ。山藍。浜木綿。葛。笹。青つづら。なづな。苗。浅茅、いとをかし。
 蓮葉(はちすば)、よろづの草よりもすぐれてめでたし。妙法蓮花のたとひにも、花は仏にたてまつり、実は数珠につらぬき、念仏して往生極楽の縁とすればよ。また、花なきころ、緑なる池の水に、紅に咲きたるも、いとをかし。翠翁紅とも詩に作りたるにこそ。
 唐葵、日のかげにしたがひて傾くこそ、草木といふべくもあらぬ心なれ。さしも草。八重葎。つき草、うつろひやすなるこそ、うたてあれ。

六五 草の花は

 草の花は 撫子(までしこ)、唐のはさらなり、大和のも、いとめでたし。女郎花。桔梗。朝顔。刈萱(かるかや)。菊。壺すみれ。
 竜胆は、枝ざしなどもむつかしけれど、異花どもの皆霜枯れたるに、いと花やかなる色あひにてさし出でたる、いとをかし。
 また、わざと、取り立てて、人めかすべくもあらぬさまなれど、かまつかの花、らうたげなり。名ぞうたてあなる。雁の来る花とぞ、文字には書きたる。かにひの花、色は濃からねど、藤の花にいとよく似て、春秋と咲くがをかしきなり。
 萩、いと色深う、枝たをやかに咲きたるが、朝露に濡れてなよなよとひごり伏したる。さ牡鹿のわきて立ちならすらむも、心異なり。八重山吹。
 夕顔は、花のかたちも朝顔に似て、言ひ続けたるにいとをかしかりぬべき花の姿に、実の有様こそ、いとくちをしけれ。などて、さはた生ひいでけむ。ぬかづきといふ物のやうにだにあれかし。蘆の花。
 これに薄を入れぬ、いみじうあやしと、人言ふめり。秋の野のおしなべたるをかしさは、薄こそあれ。穂先の蘇枋にいと濃きが、朝露に濡れてうちなびきたるは、さばかりの物やはある。秋の果てぞ、いと見所なき。色々に乱れ咲きたりし花の、かたもなく散りたるに、冬の末まで頭の白くおほどれたるも知らず、昔思ひて顔に風になびきてかひろぎ立てる、人にこそいみじう似たれ。よそふる心ありて、それをしもこそ、あはれと思ふべけれ。

六六 集は

 集は 古万葉。古今。

六七 歌の題は

 歌の題は 都。葛。三稜草。駒。霰。

六八 おぼつかなきもの

 おぼつかなきもの
 十二年の山篭りの法師の女親。知らぬ所に、闇なるに行きたるに、あらはにもぞあるとて、火もともさで、さすがに並みゐたる。今出で来る者の、心も知らぬに、やむごとなき物持たせて人のもとにやりたるに、遅く帰る。ものもまだ言はぬちごの、そりくつがへり人にも抱かれず泣きたる。

六九 たとしへなきもの

 たとしへなきもの
 夏と冬と。夜と昼と。雨降る日と照る日と。人の笑ふと腹立つと。老いたると若きと。白きと黒きと。思ふ人とにくむ人と。同じ人ながらも心ざしあるをりとかはりたるをりは、まことに異人とぞおぼゆる。火と水と。肥えたる人、痩せた人。髪長きと短き人と。

七〇 夜烏どものゐて、

 夜烏どものゐて、夜中ばかりに、いね騒ぐ。落ちまどひ、木伝ひて、寝起きたる声に鳴きたるこそ、昼の目に違ひてをかしけれ。

七一 忍びたる所にありては、

 忍びたる所にありては、夏こそをかしけれ。いみじく短き夜の明けぬるに、つゆ寝ずなりぬ。やがてよろづの所あけながらあれば、涼しく見えわたされる、なほ今すこし言ふべきことのあれば、かたみに答などするほどに、ただ居たる上より、烏の高く鳴きて行くこそ、顕正なるここちして、をかしけれ。
 また、冬のいみじう寒きに、埋もれ臥して聞くに、鐘の音の、ただ物の底なるやうに聞ゆる、いとをかし。鶏の声も、はじめは羽のうちに鳴くが、口を籠めながら聞けば、いみじうもの深く遠きが、明くるままに近く聞ゆるも、をかし。

七二 懸想人にて来たるは、

 懸想人にて来たるは、言ふべきにもあらず、ただうちかたらふも、またさしもあらねどおのづから来などもする人の、簾の内に人々あまたありてものなど言ふに、居入りてとみに帰りげもなきを、供なるをのこ、童など、とかくさしのぞき、けしき見るに、斧の柄も朽ちぬべきなめりと、いとむつかしかめれば、長やかにうちあくびて、みそかにと思ひて言ふらめど、「あなわびし。煩悩苦悩かな。夜は夜中になりぬらむかし」など言ひたる、いみじう心づきなし。かの言ふ者は、ともかくもおぼえず、このゐたる人こそ、をかしと見え聞えるつことも失するやうにおぼゆれ。
 また、さいと色に出でてはえ言はず、「あな」と高やかにうち言ひうめきたるも、「下行く水の」と、いとほし。立蔀、透垣(すいがい)などのもとにて「雨降りぬべし」など、聞こえごつも、いとにくし。
 いとよき人の御供人などは、さもなし。君たちなどのほどは、よろし。それより下れる際は、皆さやうにぞある。あまたあらむ中にも、心ばへ見てぞ、率てありかまほしき。

七三 ありがたきもの

 ありがたきもの
 舅にほめらるる婿。また、姑に思はるる嫁の君。毛のよく抜くる銀の毛抜き。主そしらぬ従者。
 つゆの癖なき。かたち、心、有様すぐれ、世に経るほど、いささかの疵なき。同じ所に住む人の、かたみに恥ぢかはし、いささかのひまなく用意したりと思ふが、つひに見えぬこそ、難けれ。
 物語、集など書き写すに、本に墨つけぬ。よき草子などは、いみじう心して書けど、かならずこそきたなげになるめれ。
 男、女をば言はじ、女どちも、契り深くてかたらふ人の、末まで仲よきころ、難し。

七四 内裏の局は、

 内裏の局は、細殿いみじうをかし。上の蔀上げたれば、風いみじう吹き入れて、夏もいみじう涼し。冬は、雪、霰などの、風にたぐひて降り入りたるも、いとをかし。狭くて、童などののぼりぬるぞ、あしけれども、屏風のうちに隠し据ゑたれば、異所の局のやうに声高くゑ笑ひなどもせで、いとよし。
 昼なども、たゆまず心づかひせらる。夜は、まいて、うちとくべきやうもなきが、いとをかしきなり。沓の音、夜一夜聞ゆるが、とどまりて、ただ指一つして叩くが、その人ななりと、ふと聞ゆるこそをかしけれ。いと久しう叩くに、音もせねば、寝入りたりとや思ふらむと、ねたくて、すこしうちみじろく衣のけはひ、さななりと思ふらむかし。冬は、火桶にやをら立つる箸の音も、忍びたりと聞ゆるを、いとど叩きはらへば、声にても言ふに、かげながらすべり寄りて聞く時もあり。
 また、あまたの声して、詩誦じ、歌など歌ふには、叩かねどまづあけたれば、此処へとしも思はざりける人も、立ち止まりぬ。居るべきやうもなくて、立ち明かすも、なほをかし。
 御簾のいと青くをかしげなるに、几帳のかたびらいとあざやかに、裾のつまうち重なりて見えたるに、直衣の後にほころび絶えすきたる君たち、六位の蔵人の青色など着て、うけばりて遣戸のもとなどに、そば寄せてはえ立たで、塀の方に後おして、袖うち合わせて立ちたるこそ、をかしけれ。
 また、指貫いと濃う、直衣あざやかにて、色々の衣どもこぼし出でたる人の、簾を押し入れて、なから入りたるやうなも、外より見るはいとをかしからむを、きよげなる硯引き寄せて文書き、もしは鏡乞ひて鬢かき直しなどしたるも、すべてをかし。
 三尺の几帳を立てたるも、帽額(もかう)の下にただすこしぞある、外に立てる人と内にゐたる人と、もの言ふが、頭のもとにいとよくあたりたるこそ、をかしけれ。たけの高く短からむ人や、いかがあらむ、なほ世の常の人は、さのみあらむ。

七五 まいて臨時の祭の調楽などは、

 まいて臨時の祭の調楽などは、いみじうをかし。主殿寮の官人の長き松を高くともして、頸は引き入れて行けば、さきはさしつけつばかりなるに、をかしう遊び、笛吹き立てて、心ことに思ひたるに、君たちの、日の装束して立止まり、もの言ひなどするに、供の随身どもの、前駆を忍びやかに短う、おのが君たちの料に追ひたるも、遊びにまじりて常に似ずをかしう聞ゆ。
 なほあけながら帰るを待つに、君たちの声にて、「荒田に生ふるとみ草の花」と歌ひたる、このたびは今すこしをかしきに、いかなるまめ人にかあらむ、すくすくしうさし歩みて出でぬるもあれば、笑ふを、「しばしや。『など、さ、世を捨てて急ぎたまふ』とあり」など言へど、ここちなどya あやしからむ、倒れぬばかり、もし人などや追ひて捕ふると見ゆるまで、まどひ出づるもあめり。

七六 職の御曹司におはしますころ、木立などの遥かにもの古り、

 職の御曹司におはしますころ、木立などの遙かにもの古り、屋のさまも高うけ遠けれど、すずろにをかしうおぼゆ。母屋は、鬼ありとて、南へ隔て出だして、南の廂に御帳立てて、又廂に女房はさぶらふ。近衛の御門より左衛門の陣にまゐりたまふ上達部の前駆ども、殿上人のは短ければ、大前駆、小前駆と付けて騒ぐ。あまたたびになれば、その声どもも皆聞き知りて、「それぞ」「かれぞ」など言ふに、また「あらず」など言へば、人して見せなどするに、言ひあてたるは、「さればこそ」など言ふもをかし。
 有明のいみじう霧りわたりたる庭におりてありくをきこしめして、御前にも起きさせたまへり。上なる人々の限りは、出でゐ、おりなどして遊ぶに、やうやう明けもてゆく。「左衛門の陣にまかりて見む」とて行けば、我も我もと、追いつぎて行くに、殿上人あまた声して、「なにがし一声の秋」と誦じてまゐる音すれば、逃げ入り、ものなど言ふ。「月を見たまひけり」など、めでて、歌詠むもあり。夜も昼も、殿上人の絶ゆるをりなし。上達部まで、まゐりたまふに、おぼろげに急ぐ事なきは、かならずまゐりたまふ。

七七 あぢきなきもの

 あぢきなきもの
 わざと思ひ立ちて、宮仕へに出で立ちたる人の、もの憂がり、うるさげに思ひたる。養子の、顔にくげなる。しぶしぶに思ひたる人を、強ひて婿取りて、思ふさまならずと嘆く。

七八 ここちよげなるもの

 ここちよげなるもの
 卯杖(うづゑ)の法師。御神楽の人長。御霊会の振幡とか持たる者。

七九 御仏名のまたの日、

 御仏名のまたの日、地獄絵の御屏風とりわたして、宮に御覧ぜさせたてまつらせたまふ。ゆゆしういみじきこと限りなし。「これ見よ、これ見よ」と、おほせらるれど、「さらに見はべらじ」とて、ゆゆしさに、こへやに隠れ臥しぬ。
 雨いたう降りてつれづれなりとて、殿上人、上の御局に召して、御遊びあり。道方の少納言、琵琶、いとめでたし。済政(なりまさ)、筝(しやう)の琴、行義、笛、経房の中将、笙(しやう)の笛など、おもしろし。一わたり遊びて、琵琶弾きやみたるほどに、大納言殿「琵琶、声やんで、物語せむとすること遅し」と誦じたまへりしに、隠れ臥したりしも起き出でて「なほ罪は恐しけれど、もののめでたさは、やむまじ」とて、笑はる。

八〇 頭の中将の、すずろなるそら言を聞きて、

 頭の中将の、すずろなるそら言を聞きて、いみじう言ひおとし、「なにしに人と思ひほめけむ」など、殿上にていみじうなむのたまふと聞くにも、はづかしけれど、「まことならばこそあらめ、おのづから聞き直したまひてむ」と、笑ひてあるに、黒戸の前などわたるにも、声などするをりは、袖をふたぎて、つゆ見おこせず、いみじうにくみたまへば、ともかうも言はず、見も入れで過ぐに、二月つごもり方、いみじう雨降りてつれづれなるに、御物忌に籠りて、「『さすがにさうざうしくこそあれ。ものや言ひやらまし』となむ、のたまふ」と人々語れど、「世にあらじ」など、答へてあるに、日一日、下にゐ暮してまゐりたれば、夜の御殿に入らせたまひにけり。
 長押の下に火近く取り寄せて、扁をぞつく。「あなうれし。とくおはせ」など、見つけて言へど、すさまじきここちして、なにしに上りつらむと、おぼゆ。炭櫃のもとに居たれば、そこにまたあまた居て、ものなど言ふに、「なにがしさぶらふ」と、いとはなやかに言ふ。「あやし。いつの間に、なに事のあるぞ」と、問はすれば、主殿司なりけり。
 「ただここもとに、人伝てならで申すべきことなむ」と言へば、さし出でて問ふに、「これ、頭の殿のたてまつらせたまふ。御返事、とく」と言ふ。いみじくにくみたまふに、いかなる文ならむと思へど、ただ今、急ぎ見るべきにもあらねば、「去ね。今聞えむ」とて、ふところに引き入れて入りぬ。なほ人のもの言ふ、聞きなどする、すなはち立ち帰り来て、「『さらば、そのありつる御文を賜はりて来』となむ、おほせらるる。とくとく」と言ふが、あやしう、いせの物語なりや、とて、見れば、青き薄様に、いときよげに書きたまへり。心ときめきしつるさまにもあらざりけり。

  蘭省花時錦帳下

と書きて、「末はいかに、末はいかに」とあるを、いかにかはすべからむ、御前おはしまさば、御覧ぜさすべきを、これが末を知り顔に、たどたどしき真名に書きたらむも、いと見苦しと、思ひまはすほどもなく責めまどはせば、ただその奥に、炭櫃に消え炭のあるして、

  草の庵を誰か尋ねむ

と書きつけて取らせつれど、また返事も言はず。
 皆寝て、つとめて、いととく局におりたれば、源中将の声にて、「ここに草の庵やある」と、おどろおどろしく言へば、「あやし。などてか、さ人げなきものはあらむ。玉の台と求めたまはましかば、答へてまし」と言ふ。「あなうれし。下にありけるよ。上にてたづねむとしつるを」とて、昨夜ありしやう、「頭の中将の宿直所に、すこし人々しき限り、六位まで集まりて、よろづの人の上、昔、今と語りいでて、言ひしついでに、『なほこの者、むげに絶え果てて後こそ、さすがに、えあらね。もし言ひいづることもやと待てど、いささかなにとも思ひたらずつれなきも、いとねたきを、今宵あしともよしとも定めきりてやみなむかし』とて、皆言ひあはせたりしことを、『ただ今は見るまじ、とて、入りぬ』と、主殿司が言ひしかば、また追ひかへして、『ただ、袖をとらへて、東西せさせじ乞ひ取りて、持て来ずは、文を返し取れ』と、いましめて、さばかり降る雨のさかりに、やりたるに、いととく帰り来たり。『これ』とて、さし出でたるが、ありつる文なれば、返してけるか、とて、うち見たるに、あはせてをめけば、『あやし。いかなることぞ』と、皆、寄りて見るに、『いみじき盗人を。なほ、えこそ思ひ捨つまじけれ』とて、見騒ぎて、『これが本、付けてやらむ。源中将、付けよ』など、夜ふくるまで、付けわづらひてやみにし。『このことは、ゆく先もかならず語り伝ふべきことなり』などなむ、皆定めし」など、いみじうかたはらいたきまで言ひ聞かせて、「今は、御名をば、草の庵となむ、付けたる」とて、急ぎ立ちたまひぬれば、「いとわろき名の、末の世まであらむこそ、くちをしかなれ」と言ふほどに、修理(すり)の亮(すけ)則光、「いみじきよろこび申しになむ、上にやとて、まゐりたりつる」と言へば、「なんぞ。司召なども聞えぬを、なにになりたまへるぞ」と、問へば、「いな。まことにいみじううれしき事の昨夜はべりしを、心もとなく思ひ明してなむ。かばかり面目あることなかりき」とて、はじめありける事ども、中将の語りたまひつる同じ事を言ひて、「『ただこの返事にしたがひて、こかけをしふみし、すべてさる者ありきとだに思はじ』と、頭の中将のたまへば、ある限りかうようしてやりたまひしに、ただに来たりしは、なかなかよかりき。持て来たりしたびは、いかならむと、胸つぶれて、まことにわるからむは、せうとのためにもわるかるべし、と思ひしに、なのめにだにあらず、そこらの人のほめ感じて、『せうと、こち来。これ聞け』と、のたまひしかば、下ごこちはいとうれしけれど、『さやうの方にさらにえさぶらふまじき身になむ』と申ししかば、『言加えよ、聞き知れ、とにはあらず。ただ、人に語れとて、聞かするぞ』と、のたまひしなむ、すこしくちをしきせうとのおぼえにはべりしかども、本付けこころみるに、『言ふべきやうなし。ことにまた、これが返しをやすべき』など言ひあはせ、『わるしと言はれては、なかなかねたかるべし』とて、夜中までおはせし。これは、身のため、人のためにも、いみじきよろこびにはべらずや。司召に少々の司得てはべらむは、なにともおぼゆまじくなむ」と言へば、げにあまたしてさる事あらむとも知らで、ねたうもあるべかりけるかな、と、これになむ胸つぶれておぼゆる。
 この、いもうと、せうと、といふことは、上まで皆しろしめし、殿上にも、司の名をば言はで、せうととぞ付けられたる。
 物語などしてゐたるほどに、「まづ」と、召したれば、まゐりたるに、このこと、おほせられむとなりけり。「上わたらせたまひて、語りきこえさせたまひて、をのこども皆、扇に書きつけてなむ持たる」など、おほせらるるにこそ、あさましう、なにの言はせけるにか、とおぼえしか。
 さて後ぞ、袖の几帳なども取り捨てて、思ひ直りたまふめりし。

八一 返る年の二月廿よ日、

 返る年の二月廿よ日、宮の、職へ出でさせたまひし御供にまゐらで、梅壺に残りゐたりしまたの日、頭の中将の御消息とて、「昨日の夜、鞍馬に詣でたりしに、今宵、方のふたがりければ、方違(かたたがへ)になむ行く。まだ明けざらむに帰りぬべし。かならず言ふべきことあり。いたう叩かせで待て」と、のたまへりしかど、「局にひとりはなどてあるぞ。ここに寝よ」と、御匣殿(みくしげどの)の召したれば、まゐりぬ。
 久う寝起きて下りたれば、「昨夜いみじう人の叩かせたまひし、からうじて起きてはべりしかば、『上にか。さらば、かくなむと聞こえよ』と、はべりしかども、『よも起きさせたまはじ』とて、臥しはべりにき」と語る。心もなのことや、と聞くほどに、主殿司来て、「頭の殿の聞こえさせたまふ、『ただ今まかづるを、聞ゆべきことなむある』」と言へば、「見るべき事ありて、上へなむ上りはべる。そこにて」と言ひて、やりつ。
 局は、引きもやあけたまはむと、心ときめきしてわづらはしければ、梅壺の東面の半蔀上げて、「ここに」と言へば、めでたくてぞ、歩み出でたまへる。桜の綾の直衣の、いみじう花々と、裏のつやなど、えも言はずきよらかなるに、葡萄染(えびぞめ)のいと濃き指貫、藤の折枝おどろおどろしく織り乱りて、紅の色、うちめなど、輝くばかりぞ見ゆる。白き、薄色など、下にあまた重なりたり。狭き縁に、片つ方は下ながら、すこし簾のもと近う寄り居たまへるぞ、まことに絵に描き、物語のめでたきことに言ひたる、これにこそは、とぞ見えたる。
 御前の梅は、西に白く、東は紅梅にて、すこし落ち方になりたれど、なほをかしきに、うらうらと日のけしきのどかにて、人に見せまほし。御簾の内に、まいて、若やかなる女房などの、髪うるはしくこぼれかかりて、など言ひためるやうにて、ものの答へなどしたらむは、いますこしをかしう見所ありぬべきに、いとさだすぎ、ふるぶるしき人の、髪などもわがにはあらねばにや、ところどころわななき散りぼひて、おほかた色異なるころなれば、あるかなきかなる薄鈍(うすにび)、あはひも見えぬきはきぬなどばかりあまたあれど、つゆの映えも見えぬに、おはしまさねば、裳も着ず、袿姿にて居たるこそ、ものぞこなひにて、くちをしけれ。
 「職へなむ、まゐる。ことづけやある。いつかまゐる」などのたまふ。「さても、昨夜、明しも果てで、さりとも、かねて、さ言ひしかば、待つらむとて、月のいみじう明きに、西の京といふ所より来るままに、局を叩きしほど、からうじて寝おびれ起きたりしけしき、答へのはしたなさ」など、語りて笑ひたまふ。「むげにこそ思ひうんじにしか。など、さる者をば置きたる」と、のたまふ。げにさぞありけむと、をかしうもいとほしうもあり。しばしありて、出でたまひぬ。外より見む人は、をかしく、うちにいかなる人あらむと思ひぬべし。奥の方より見いだされらむ後ろこそ、外にさる人やとおぼゆまじけれ。
 暮れぬれば、まゐりぬ。御前に人々いと多く、上人などさぶらひて、物語のよきあしき、にくきところなどをぞ、定め、言ひそしる。涼、仲忠などがこと、御前にも、劣りまさりたるほどなど、おほせられける。「まづ、これはいかに。とくことわれ。仲忠が童生ひのあやしさを、せちにおほせらるるぞ」など言へば、「なにか。琴なども、天人の降るばかり弾きいで、いとわろき人なり。御門の御女やは得たる」と言へば、仲忠が方人ども、所を得て、「さればよ」など言ふに、「この事どもよりは、昼、斉信(ただのぶ)がまゐりたりつるを見ましかば、いかにめでまどはましとこそ、おぼえつれ」とおほせらるるに、「さて、まことに常よりもあらまほしうこそ」など言ふ。「まづその事をこそは啓せむと思ひて、まゐりつるに、物語のことにまぎれて」とて、ありつる事ども聞こえさすれば、「誰も見つれど、いとかう、縫いたる糸、針目までやは見透かしつる」とて笑ふ。
 「西の京といふ所の、あはれなりつること。もろともに見る人のあらましかばとなむ、おぼえつる。垣なども皆古りて、苔生ひてなむ」など語りつれば、宰相の君の「瓦に松はありつや」と答へたるに、いみじうめでて、「西の方、都門を去れること、いくばくの地ぞ」と、口ずさみつることなど、かしがましきまで言ひしこそ、をかしかりしか。

八二 里にまかでたるに、

 里にまかでたるに、殿上人などの来るをも、やすからずぞ、人々言ひなすなる。いと有心に、引き入りたるおぼえ、はた、なければ、さ言はむも、にくかるまじ。また、昼も夜も来る人を、なにしにかは、「なし」とも、かがやき帰さむ。まことにむつましうなどあらぬも、さこそは来めれ。あまりうるさくもあれば、このたび出でたる所をば、いづくとなべてには知らせず、左中将経房の君、済政の君などばかりぞ、知りたまへる。
 左衛門の尉(じよう)則光が来て物語などするに、「昨日、宰相の中将のまゐりたまひて、『いもうとのあらむ所、さりとも知らぬやうあらじ。言へ』と、いみじう問ひたまひしに、さらに知らぬよしを申ししに、あやにくに強ひたまひしこと」など言ひて、「ある事あらがふは、いとわびしくこそありけれ。ほとほと笑みぬべかりしに、左の中将の、いとつれなく知らず顔にて居たまへりしを、かの君に見だにあはせば、笑ひぬべかりしに、わびて、台盤の上に布のありしを取りて、ただ食ひに食ひまぎらはししかば、中間にあやしの食ひ物やと、人々見けむかし。されど、かしこう、それにてなむ、其処とは申さずなりにし。笑ひなましかば、不用ぞかし。まことに知らぬなめりとおぼしたりしも、をかしくこそ」など語れば、「さらに、な聞こえたまひそ」など言ひて、日ごろ久しうなりぬ。
 夜いたくふけて、門をいたうおどろおどろしう叩けば、なにのかう心もなう、遠からぬ門を高く叩くらむと聞きて、問はすれば、滝口なりけり。「左衛門の尉の」とて、文を持て来たり。皆寝たるに、火取り寄せて見れば、「明日、御読経の結願(けちがん)にて、宰相の中将、御物忌に籠りたまへり。『いもうとのあり所申せ。いもうとのあり所申せ』と責めらるるに、ずちなし。さらにえ隠し申すまじ。さなむとや聞かせたてまつるべき。いかに。おほせに従わむ」と言ひたる、返事は書かで、布を一寸ばかり紙に包みてやりつ。
 さて後、来て、「一夜は責めたてられて、すずろなる所々になむ、率てありきたてまつりし。まめやかにさいなむに、いとからし。さて、など、ともかくも御返りはなくて、すずろなる布の端をば包みて賜へりしぞ。あやしの包み物や。人のもとにさる物包みておくるやうはある。とりたがへたるか」と言ふ。いささか心も得ざりけると見るがにくければ、ものも言はで、硯にある紙の端に、
  かづきするあまのすみかをそことだにゆめ言ふなとやめをくはせけむ

と書きてさし出でたれば、「歌詠ませたへるか。さらに見はべらじ」とて、扇ぎ返して逃げて去ぬ。
 かうかたらひ、かたみに後見などするうちに、なにともなくてすこし仲あしうなりたるころ、文おこせたり。「便なきことなどはべりとも、なほ契りきこえし方は忘れたまはで、よそにても、さぞとは見たまへ、となむ思ふ」と言ひたり。常に言ふことは、「おのれをおぼさむ人は、歌をなむ詠みて得さすまじき。すべて、仇敵となむ思ふ。今は限りありて絶えむと思はむ時にを、さることは言へ」など言ひしかば、この返りごとに、

  崩れ寄る妹背の山のなかなればさらに吉野の河とだに見じ

と言ひやりしも、まことに見ずやなりにけむ、返しもせずなりにき。さて、かうぶり得て、遠江の介といひしかば、にくくてこそやみにしか。

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