知命立命 心地よい風景

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修身教授録より学ぶ!日本製論語に見る、生きるための原理原則とは。

『修身教授録』の著者・森信三氏は、戦前・戦後を通じ日本の教育界最大の人物であると言われた哲学者・教育者です。
その生涯は「人生二度なし」の真理を根本信条とし、「全一学」という学問を提唱しています
「全一学」は、
・東西の世界観の切点を希求するもの
・宇宙間に遍満する絶対的全一生命の自証の学
・世界観と人生観との統一の学
など12項目以上の定義にもとづくもので、要約すると「宇宙の哲理と人間の生き方を探求する学問」というもの。
理論は実践から生まれた具体的なものが主で、立腰論(人間に性根を入れる極秘伝)はその最たる例の一つです。

その森信三氏の名著『修身教授録』は、大阪天王寺師範学校(現・大阪教育大学)本科での講義から、昭和12年3月から昭和14年3月までの2年間全79回の講義を改めて編集したものです。
当時の森信三氏の教育は、検定教科書を用いず、自身の修身に対する考えを生徒全員に口述筆記させるという形態を採っていました。
こうした破天荒なやり方のため、文部省からクレームを言われたら辞表を出そう、とまで決意して臨んでいだ講義だったそうです。
その中身は
「志の立て方」「信念の育成方法」「家庭のしつけ」
「 親孝行」「 家族・家庭」「 勤労・努力」「 勉学・研究 」
「創意・工夫」「 公益・奉仕」「 博愛・慈善」「 資質・倹約 」
「責任・職分」「 友情」「 信義・誠実」「 師弟・反省」
「正直・至誠」「 克己・節制」「 謝恩 」 「健康・養生」
愛国心」 「人物・人格」「 公衆道徳」「国旗と国家」「 国際協調」
といった、人としての生きる基本・原理原則が書かれています。
今から80年近く前の講義ですが、一行一行がひしひしと心に沁みてくる、まさに日本版の論語といっても過言ではない名著。
そのポイントを幾つか整理してみましょう。

・人はこの一度しかない人生をいかに生きるべきであるか、人生をいかに生き貫くべきであるか?
 一切の困難に打ち克つ大決心を打ち立てる覚悟がなくてはならない、と呼びかけています。

・真の教育とは相手の眠っている魂をゆり動かし、これを呼び覚ますこと。
 教える立場の人が命がけで人を教育するということ。
 相手の魂に火をつけて、その全人格を導くという志を持つことが、真の教育だと説うています。

・どんなに才能があっても、学問修養によって自己を練磨しようとしない限り、才能も結局はうち果ててしまう。
 どこまで社会貢献できるか?役に立つことが成せるのか?を考え抜くことが重要。
 真の志を打ち立てること、そして一生をかけて志を達成する人格を作ること、そのために人間を磨くべきだと呼びかけています。

・一度しかない人生の間に、不屈の精神を確立できた人だけが、多くの人々の心に火をつけることができる。
 地位とか学歴などに縛られず、天命を受け入れ最善を尽くすべきだと説うています。

・独力で自分の道を切り開いて行ける人になるべきで、そのためにも自立の覚悟を養うことが大切。
 日常生活を充実させるために、自己の成すべき仕事の意味・意義を自覚し、こなすことが肝要だと説うています。

・人間が他の動物と違う点の一つとして、自分の人生をどう生きるか考えることができる点。
 ほとんどの人はこの点に気が付いていないが、自分が今生きていることを当たり前だと考えず、自分の生き方を考え努力することで変えていこうと呼びかけています。

こうした珠玉の言葉が散りばめれた名著、是非とも触れてみてください。

修身教授録 (致知選書) 修身教授録 (致知選書)

以下のサイトには詳細の紹介もあるので、参考にどうぞ。
[修身教授録]

以下参考までに、一部抜粋です。

・われわれ人間というものは、すべて自分に対して必然的に与えられた事柄については、そこに好悪の感情を交えないで、素直にこれを受け入れるところに心の根本態度が確立すると思うのであります。さらに一歩をすすめて「天命」として謹んでお受けをするということが大切だと思うのです。同時に初めてわれわれは、真に絶対的態度に立つことができると思うのです。
・われわれ人間にとって、人生の根本目標は、結局は人として生をこの世にうけたことの真の意義を自覚して、これを実現する以外にないと考えるからです。そしてお互いに、真に生き甲斐があり生まれ甲斐がある日々を送ること以外にはないと思うからです。そのためには、われわれは何よりもまず、この自分自身というものについて深く知らなければならぬと思います。
・実際この地上の生物の数は、人間のそれと比べていかに多いか、実に測りがたいことであります。しかもお互いにそれらのいずれでなくて、ここに人間としての「生」を与えられたわけですが、しかしそれは、何らわが力によらないことに思い及べば、何人もうけたことに対して、しみじみと感謝の心が湧き出るはずであります。しかし現代の人々は、自分が人身を与えられたことに対して、深い感謝の念を持つ人ははなはだ少ないようであります。

・諸君も今から気をつけて、弾力のある人間にならなかれば駄目です。ところで弾力のある人間になる最初の着地点は、何といってもまず読書でしょう。ですから、若いうちから努めて良書を読むことです。また若いうちは、文学や詩歌など大いに読むがよいでしょう。また短歌や俳句などに趣味を持つことも大切です。

・すべて物事というものは、これを準備するには、随分と永い時間を要するものですが、さてそれを見るとか味わうとかいうことになりますと、それを準備するに要した時間の幾分の一にも足りない短時間に、否、時にはそれ以上ですんでしまうものでもあります。食事の如きも花火の如きも。どうように今人生においても、よほど早くからしっかりと考えて、長時間の準備をしておかないと、真に国家社会のお役に立つ人間にはなれないでしょう。

・偉人の伝記を読むがよいでしょう。そして進んでは、その偉人をして、そのような一生をたどらせた、真の内面的動力はいかなるものであったかを、突き止めるということでしょう。かくして偉人の書物を繰り返して読むということは、ちょうど井戸水を、繰り返し繰り返し、汲み上げるにも似ていると言えましょう。

・われわれは、一体何のために学問修養をすることが必要かというに、これを一口で言えば、結局は「人となる道」、すなわち人間になる道を明らかにするためであり、さらに具体的に言えば、「日本国民としての道」を明らかに把握するためだとも言えましょう。またこれを自分という側から申せば、自分が天からうけた本性を、充分に実現する途を見出すためだとも言えましょう。

・自己の天分の発揮ということは、実は単に自分のことだけを考えていたんでは、真実にはできないことであります。すなわち人間の天分というものは、単に自分本位の立場でこれを発揮しようとする程度では、十分なことはできないものであります。ではどうしたらよいかというに、それには、自分というものを超えたある何物かに、自己をささげるという気持ちがなければできないことだと思うのです。

・読書が、われわれの人生に対する意義は、一口で言ったら結局、「心の食物」という言葉がもっともよく当たると思うのです。つまりわれわれは、この肉体を養うために、平生色々な養分を摂っていることは、今さら言うまでもないことです。諸君は、差し当たってはまず「一日読まざれば一日衰える」と覚悟されるがよいでしょう。

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