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焚書坑儒にみる日中韓の歴史認識について

焚書坑儒とは、言論・思想・学問弾圧を指す言葉ですが、元々紀元前213年に秦の始皇帝によって断行された思想弾圧事件のことです。
「書を燃やし、儒者を坑する(儒者を生き埋めにする)」の意味の通り、当時儒者達が古えによって現政府を批判していたことから、書経詩経諸子百家の書物はことごとく焼き払う命令が下りました。
・秦以外の諸国の歴史書の焼却
・民間人は、医学・占い・農業以外の書物を守尉に渡し、守尉はそれを焼却する
・30日以内に、守尉に渡さなかったならば、入墨の刑に処する
・法律は、官吏がこれを教える(民間の独自解釈による教育を禁じる)
この焚書により、様々な書物の原典が破棄されることとなり、儒教の経典六経の『楽経』などもこの時完全に失われています。
(現存している古典書物については、そのほとんどが副本か、口述筆記などで写し取られたものです)
このとき、始皇帝が独裁者で刑罰を濫発していると非難した方士や儒者460人余りは、生き埋めにされ虐殺されています(坑儒)。
韓非子』和氏篇にも、挟書を政策として採用すべきだといった記載があることからもわかるように、当時の儒学に対する弾圧は、相当なものだったことが伺えます。

ちなみに、施政者・独裁者が国や人民を制御するための方法のひとつに、国民を無知蒙昧にし、歴史から正しい事実や判断を学べなくしてしまうことにあります。
その端的な手段としては、無知蒙昧に導くために昔の本を読めなくすること。
そのため毛沢東焚書坑儒を礼賛し、中国では漢字の原形を喪失するくらい簡略化した簡体字(simplified)を公布しました。
この簡体字による教育により、1964年の文化大革命以降に生まれた中国人は簡体字で書かれた本しか読めなくなり、結果古典は一切読めなくなってしまった訳です。
これは一種の焚書坑儒であり思想弾圧と言えるでしょう。
独裁を推し進めるために必要なこと。
それは、過去の歴史を葬り去ることなのです。

一方韓国では、1970年に漢字の教育を止めハングルのみの文字になってしまいました。
そのため現在の韓国人の80%が、漢字の読み書きができない状態です。
それ以前の李朝時代までの文書は全て漢字で書かれていることから、結果今の人達は古典や歴史を書物で読むことが一切できなくなっているのです。
これも中国同様、焚書坑儒の一種であり思想弾圧と言えるでしょう。

近年、歴史問題がさかんに論議される中、近隣ではその歴史認識が問題の火種になっています。
しかし、歴史や古典といった古い書物を読む能力をはぎ取られた中国や韓国の国民は、古典から学ぶことも出来ず、文字による知識の拠り所までもを失ってしまったのです。
歴史は過去の記録の中にあり、古典の中に記されていますが、文字を失った民族は、偉人賢人が積み上げてきた文化・歴史を全て喪失してしまうということなのです。

振り返って日本はどうかというと、古典に学ぶ学問をないがしろにし、知識や技術ばかりを詰め込むことを良しとし、思考・熟考の能力を削ぎ落とす教育が140年間続けられています。
ましてや近代の歴史教育は学校でも疎かにされ、この140年程の間に日本が海外とどのように向き合ってきたのかという事実は理解し難い社会システムになってしまっていることが大きな問題です。
これも形を変えた焚書坑儒の一種であり思想弾圧と言えるのではないでしょうか。

国家間で歴史認識を論議する中で大事なことは、近隣の三国それぞれが抱えている時代背景を互いにきちんと把握し、歴史を歪曲することなく正しく理解すること。
こうした取り組みが、今こそ必要な時期です。

まずは自分の国の歴史を正確に理解すること。
その原点から始めたいものです。

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