徳川時代から明治・大正を中心に広く普及し、多くの文人・墨家が愛読したものとして『菜根譚』よりずっと内容が豊富で面白いとまで言われていた『酔古堂剣掃』。 国内では昭和53年から数回増版され、平成元年までは細々と出版された後、今ではほぼ絶版状態…
今回は2回程に渡って、『武士道』について整理しています。 前回は、『武士道』としての精神性についてでした。 ※)『武士道』より学ぶ 大和魂編!ますらをの道を行く 海外の方がイメージとして持っているブシドーと、私達日本人の血脈として流れている『武…
王朝物語は、平安時代後期から室町時代前期にかけて作られた小説・物語群のうち、和文と平仮名表記をもっぱらとし、王朝期の風俗や美意識・文学観念に依拠しつつ製作されたものを指すものです。 これらに共通するのは王朝の風俗を色濃く反映した作り物語フィ…
映画『エクソダス:神と王』の舞台は紀元前1300年のエジプト。 最強の王国として名をはせるエジプトの王家に養子として迎えられて育ったモーゼは、兄弟同然のような固い絆で結ばれていたはずのエジプト王ラムセスと袂を分かちます。 その裏には、苦境に立た…
『孝経』は、曽子の門人が孔子の言動をしるしたという中国の経書七経のひとつです。 儒教の根本理念である孝を述べ、つぎに天子、諸侯、郷大夫、士、庶人の孝を細説し、そして孝道を実践するための具体的内容を説く、全1巻18章からなる書物です。 七経は、儒…
古来から預言書の類のものは玉石混交で、政情不安になる周期においてはたびたびブームとなりますが、今回はそんな預言書について整理してみたいと思います。 その上でまずは大事な前提です。 予言はあくまで予言。 その中身を盲信したり、鵜呑みにするのでは…
『翁問答』は、孝行を中心とする道徳哲学を、わかりやすく問答形式で説いた全2巻の教訓書・心学書です。 先覚者「天君」とその弟子「体充」の問答を傍らで聞いた人物が筆録したという形式で書かれており、人間の道を説いています。 中国明末における儒・仏・…
列子は春秋戦国時代の人、列御寇(河南鄭州人)の尊称にして道家「道」を体得した有道者。 その学問は黄帝と老子の思想にもとづき、清淡虚無、無為自然を重んじて他人と競わず、よくその身を修めたといわれています。 『列子』は道教経典のひとつであり、別名…
赤穂浪士らに多大な影響を与え、また後世では伊藤仁斎、荻生徂徠、吉田松陰、乃木将軍といった人物に影響を与えた思想家であり、山鹿流兵法及び古学派の祖である儒学者・軍学者の山鹿素行の著書、『聖教要録』『配所残筆』についてです。 『聖教要録』は、「…
蒙求は、唐の李瀚が経史から歴史人物の逸話行跡を集約抜粋して著した、伝統的な中国の初学者向け教科書です。 日本には平安時代に伝えられ、鎌倉時代から江戸時代にかけて、武家・僧侶・町人にいたるまで勉学の第一歩としてこれを暗誦されたようです。 内容…
肥前平戸の名君松浦静山侯の江戸時代後期を代表する随筆集『甲子夜話』の巻三十九に輯録されている『水雲問答』。 これは、上州安中の殿様板倉伊予守勝尚侯(卓山)=白雲山人とその師の幕府大学頭・林述斎(=墨水漁翁)との間の往復文書・問答集でして、”…
『墨子』の著者は中国春秋末期戦国時代の思想家墨翟とされ、一切の差別が無い博愛主義(兼愛)を説いて全国を遊説した人物で、墨子として知られています。 いわゆる墨子十大主張を主に説いたことで世に知られており、その思想活動の目的は、天下の飢餓や凍死…
熊沢蕃山は、江戸前期の儒学者・陽明学者です。 元禄・享保期の思想家・儒学者の荻生徂徠にして「この百年来の大儒者は、人材では熊澤(蕃山)、学問では(伊藤)仁斎」とまで言わしめています。 また、明治末の教育本・修身の教科書では以下のように語られ…
荀子は、姓は荀、名は況といい、孟子の晩年の頃、戦国末期に趙に生まれ、秦の始皇帝の即位直前にこの世を去った儒学者で、しばしば荀卿と称されます。 彼は道家や墨家の思想も取り入れ、儒家ではあるが多くの点で孔子を修正し、孟子の性善説に対して性悪説と…
大塩平八郎の乱は、江戸時代の天保8年(1837年)に、大坂で大坂町奉行所の元与力大塩平八郎(中斎)とその門人らが起こした江戸幕府に対する反乱です。 そもそも、前年の天保の大飢饉に端を発する米不足と飢饉から忸怩たる思いを抱いていた平八郎が、幕府の…
古代中国の春秋時代の思想家である老子(B.C.5世紀頃)の唱えた『道(タオ)』の思想は、戦国時代の荘子の無為の思想と並んで老荘思想と言われます。 老荘思想が最上の物とするのは「道」です。 「道」はこの世界のありとあらゆるものを生み出す根本原理であり…
『宋名臣言行録』は、宋代に活躍した名臣の言行を、朱子とその弟子李幼武とががまとめた中国古典の伝記集です。 『貞観政要』と並び、帝王学の二大テキストとして取り上げられることもあるほどの書物で、明治天皇や伊藤博文、他維新の名臣も愛読されたといわ…
”ギムレットには早すぎる” レイモンド・チャンドラーの名作『長いお別れ』の有名な一節です。 これを読んで、ついついバーでギムレットを頼んだ年配の方も多いはず。 ドライジンにコーディアルライムかライムを搾り、シェークしただけの簡単なショートカクテ…
私の10台、20台の頃の読書の中心を占めていたのは古今東西の区別なく小説でした。 30台、40台の頃になると、必然的にビジネス絡みの書物が中心となってきたので、この期間どっぷりと小説に浸るのは止めておこうと自戒を立てて今日に至ります。 最近で…
『近思録』は、朱熹と呂祖謙が周濂渓、張横渠、程明道、程伊川の著作から編纂した、14巻からなる朱子学の入門書です。 儒学では『四書』(『論語』・『孟子』・『大学』・『中庸』)と『六経』が重要な書となりますが、朱子学では、これに『小学』と『近思…
古代中国の春秋時代の思想家である老子の唱えた『道(タオ)』の思想は、戦国時代の荘子の無為の思想と並んで老荘思想と言われます。 老荘思想が最上の物とするのは「道」です。 道は天と同義で使われる場合もあり、また天よりも上位にある物として使われる…
十七条憲法は、604年に聖徳太子(厩戸皇子)が作ったとされる17条からなる法文です。 中身を見ると、道徳的な訓戒のようにも見て取れるのですが、儒教・仏教の思想が習合されており、法家・道教の影響も見られる上に、実際の中身を吟味していくと国家として…
武経七書とは、北宋・元豊三年(1080年)、神宗が国士監司業の朱服、武学博士何去非らに命じて編纂させた武学の教科書です。 当時流行していた兵書340種余の古代兵書の中から『司馬法』『孫子』『呉子』『六韜』『三略』『尉繚子』『李衛公問対』の七書が選…
武経七書とは、北宋・元豊三年(1080年)、神宗が国士監司業の朱服、武学博士何去非らに命じて編纂させた武学の教科書です。 当時流行していた兵書340種余の古代兵書の中から『司馬法』『孫子』『呉子』『六韜』『三略』『尉繚子』『李衛公問対』の七書が選…
武経七書とは、北宋・元豊三年(1080年)、神宗が国士監司業の朱服、武学博士何去非らに命じて編纂させた武学の教科書です。 当時流行していた兵書340種余の古代兵書の中から『司馬法』『孫子』『呉子』『六韜』『三略』『尉繚子』『李衛公問対』の七書が選…
武経七書とは、北宋・元豊三年(1080年)、神宗が国士監司業の朱服、武学博士何去非らに命じて編纂させた武学の教科書です。 当時流行していた兵書340種余の古代兵書の中から『司馬法』『孫子』『呉子』『六韜』『三略』『尉繚子』『李衛公問対』の七書が選…
武経七書とは、北宋・元豊三年(1080年)、神宗が国士監司業の朱服、武学博士何去非らに命じて編纂させた武学の教科書です。 当時流行していた兵書340種余の古代兵書の中から『司馬法』『孫子』『呉子』『六韜』『三略』『尉繚子』『李衛公問対』の七書が選…
武経七書とは、北宋・元豊三年(1080年)、神宗が国士監司業の朱服、武学博士何去非らに命じて編纂させた武学の教科書です。 当時流行していた兵書340種余の古代兵書の中から『司馬法』『孫子』『呉子』『六韜』『三略』『尉繚子』『李衛公問対』の七書が選…
武経七書とは、北宋・元豊三年(1080年)、神宗が国士監司業の朱服、武学博士何去非らに命じて編纂させた武学の教科書です。 当時流行していた兵書340種余の古代兵書の中から『司馬法』『孫子』『呉子』『六韜』『三略』『尉繚子』『李衛公問対』の七書が選…
帝王学の書といわれていますが、立場に依らず、我が身を正す学問として名高い『貞観政要』です。 この書は、唐の史官である呉兢が編成したとされる太宗の言行録です。 太宗といえば、名将李衛公(李靖)が兵法を説いたのを記録した、「武経七書」の兵法書の…